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喫茶室 過去ログ2(1999.7.1〜7.31)

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RE:勇気を失えば全てを失う 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月31日(土)20時17分15秒

大王さん、どうも。

アメリカは、たとえ日本による「真珠湾攻撃」がなかったとしても、どの道、戦端を開いたと思いますよ。何せ、「ハル・ノート」等と言う、当時の日本が到底のめる筈のない条件を提示してきた訳ですし、湾岸戦争やユーゴ空爆同様、直接の開戦理由がなかったとしても、何だかんだと理由を作って戦端を開いたでしょう。アメリカと言うのは、そう言う国です。


RE:潜水空母以外の使い道 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月31日(土)20時12分34秒

小沼航空乙参謀さん、またまたどうも。

すると、伊400型の様な大型潜水艦は、やはり、その巨体=大容量を利用した「潜水輸送艦」的な使い方しか、ないのでしょうか?

例えば、大量の戦略物資や兵員を隠密裏に輸送する目的で運用するとか・・・。「海上輸送艦」が護衛艦の随行を必須としていた点から考えると、海中を単独航行する潜水輸送艦、しかも大型艦と言うのも考えられると思うのですが・・・。


勇気を失えば全てを失う 投稿者:大王  投稿日:07月31日(土)13時42分54秒

小沼様、丁寧なシミュレーションありがとうございます。

>しかも、これでアメリカが講和してくれるかと言えば、それは無理でしょう。
>例え太平洋艦隊が全滅しても、アメリカにはまだ太平洋艦隊の空母と戦艦があり、さらには >建造中の新型戦艦6隻(!)が1942年中に戦列に加わるのです。 >ですから、日本としては、1942年中にもう一度艦隊決戦を行う必要が生じるでしょう。

そうですね、簡単に講話に応じるようなら最初から戦争にはなっていないですね。

アメリカに大戦を遂行させた精神的背景は間違いなく真珠湾奇襲だったと思うのです。真珠湾攻撃なしの開戦であれば後のベトナム戦争のように「マスコミの報道-平和運動-続行不能」にまで追い込めた可能性は高いです。日本としては「限りなく勝ちに近い引き分け」に持ち込める戦争ではありました。当時の日本でそれだけの政治的センスを持っていたであろうと思われる山本五十六は現実には全く逆の事をしたのですね。

それが演出されたものであっても大義名分さえあれば人は喜々として戦場におもむく。残虐さを目の当たりにして後悔する、反省する。二世代も経るとまた同じ事をする。

現在の日本人は単なる腰抜けなのか新人類なのか判りませんね、混在かな。


潜水空母以外の使い道 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:07月29日(木)19時54分19秒

竹下さん、どうも。

それはつまり、伊400型潜水艦を、潜水空母としてではなく普通の攻撃潜水艦として使えるか?という意味でしょうか。

実際に伊401号の艦長を勤めた南部伸清少佐の戦後の回想によると、伊400型は、図体(ずうたい)が桁外(けたはず)れに大きい割には運動性が良く、小回りもきく操縦しやすい艦だったそうです。ですから、飛行機を積まずに普通の潜水艦と同じに使うことは可能でしょう。伊400型は、無給油で地球を1周してもまだおつりが来る程の、通常動力潜水艦としては破格の航続性能を有する艦です。飛行機を積む代わりに、予備の弾薬、魚雷、食料などをたくさん積み込めば、かなり長期の作戦行動が可能となるでしょう。実際、伊400型は米海軍の前線基地、ウルシー環礁を奇襲すべく発進し、目的地に達する前に日本が降伏した為、作戦が中止されたことは周知の通りですが、この時も艦内では、「この艦には3ヶ月分の食料、弾薬が積んである。おめおめと降伏など出来るか。ここは一つ海賊船となって大暴れしてやろう」という意見がでた程です。むろんこの時は飛行機を3機搭載していたわけですが。ただ、伊400型を普通の攻撃潜水艦として使う場合、気になるのは速力が少し遅い事です。伊400型は、水上速力18.7ノット、水中速力6.5ノットです。代表的な日本の潜水艦は、大体水上速力20ノット以上、水中速力8ノット以上です。さらに、アメリカの代表的潜水艦「ガトー」、「「テンチ」級は、水上速力20ノット、水中速力10ノットとなっておりますから、やはり伊400は速力が遅い方でしょう。(全然関係ないけど、「テンチ」級のうち2隻は、今も台湾海軍で現役潜水艦として使われています。物持ちがいいですね<笑>) それに、いくら運動性能が良くても、図体が大きければその分レーダーやソナーに写る可能性が大きくなりますから、この点でも不利は免(まぬが)れません。

それに、伊400型を通常の潜水艦として使う位なら、そもそもこのような超大型潜水艦を建造する必要があるのか?という疑問も沸いてきます。戦争中、潜水艦部隊の参謀を勤め、軍令部にも勤務した井浦祥次郎大佐は、この潜水空母の建造に強く反対し、「こんなものを作るくらいなら中型潜水艦をたくさん作れ」と言って譲らず、この為、10隻以上建造される予定だった伊400型は、3隻に削られました。


RE:戦略潜水艦隊 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月29日(木)09時42分35秒

小沼航空乙参謀さん、なるほど。

「潜水空母」はパナマ運河奇襲攻撃等、初戦では有効かも知れないが、継続的運用にはリスクが大きすぎると言う事ですね。では、現在の原潜同様の運用法(攻撃機などは搭載しない)の場合には、いかがでしょうか?


戦略潜水艦隊 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:07月28日(水)23時47分13秒

竹下さん、どうも。

それはつまり、「伊400型潜水空母を開戦時に保有していれば」という意味でしょうか?
それでは、まず初めに、伊400型潜水艦を1941年12月までに必要数揃えるためにはどうすれば良いかという所から話をはじめたいと思います。

伊400型は、ご存じのように当時、世界最大の潜水艦であり、その大きさは諸外国の潜水艦に比べ桁外(けたはず)れでした。が、何しろ日本は諸外国が4万トンクラスの戦艦を建造している時に6万トンもの超大型戦艦を建造した国です。よって、開戦前、つまり昭和12年頃に伊400クラスの超大型潜水艦を建造するのは十分に可能でしょう。

さて、伊400型を開戦に間に合わせる為には昭和12年には建造を開始しなければなりません。しかも、史実のように3隻では「戦略潜水艦隊」として運用するには数不足ですから、6隻は建造する必要があるでしょう。ここで問題になるのが予算です。昭和12年と言えば、戦艦「大和」型2隻、空母「翔鶴」型2隻、甲標的母艦「日進」などのいわゆるB計画の艦艇の建造が開始された年です。伊400型を昭和16年までに6隻建造するとなると、このB計画に組み込む必要があります。さてそうなると、他の艦を犠牲にする必要が出てきます。では、どの艦を犠牲にするべきか? 「大和型2隻の建造を取り止めれば伊400型6隻くらい建造出来るだろう?」という意見もあるでしょうが、そう簡単には行きません。何と言っても大和型は、軍縮条約明けに日本が建造する久々の戦艦ですから、これの建造を取り止める事は海軍部内にも抵抗が多く、おそらく出来ないでしょう。となると、翔鶴型空母や他の駆逐艦、潜水艦などが犠牲にされることになります。

さて、こうした苦労の末に伊400型潜水艦を6隻ほど揃え、「戦略潜水艦隊」を編成したとして、どのような働きが出来るでしょうか? まず考えられるのが、「紺碧の艦隊」にもあるように開戦当初にパナマ運河を奇襲攻撃する作戦でしょう。これでパナマ運河を破壊し、半年でも使用不能に出来れば、アメリカは大西洋方面からの艦艇の回航が事実上不可能になりますから、戦いは日本に有利になりますね。ただ、ここで問題になるのが、艦載機を無事発進、回収出来るのか?ということです。当然の事ながら、水上爆撃機3機を搭載する伊400型は、艦載機の発進と帰投の時には浮上して待機していなければなりません。発進の時はカタパルトで次々と射出してから潜航すれば良いですが、艦載機を回収する時は、まず海面に着水してから艦のクレーンを使い艦載機をつり上げてから艦内に収容しなければならず、当然、発進の時より時間がかかります。もしもこの間に敵に発見されたら、無防備な艦はひとたまりもありません。下手をすると艦載機の発進もしくは着水の時を狙われ、ミッドウェイ海戦のような状況に陥り「戦略潜水艦隊」が一瞬の内に全滅するという危険性すらあります。むろん、1回の攻撃ごとに艦載機を棄てて搭乗員だけを回収するという方法もありますが、そうすると1回の攻撃ごとにいちいち基地に帰って艦載機を補充しなければならず、あまり効率の良い作戦とは言えないでしょう。しかも、アメリカの対潜能力は開戦後めざましく向上していきましたから、どのみち開戦から1年も経てば活躍の場は次第に無くなり、大柄な船体を利用した輸送任務くらいしか使い道はなくなるでしょう。まあこの時点で伊400型が何隻残っているかは分かりませんが。やはり、隠密性が最大の武器である潜水艦に飛行機を搭載するのは、自ら最大の利点を損なう行為であると言えるのではないでしょうか?

結論として、伊400型を建造する位なら、中型潜水艦をたくさん建造して通商破壊戦をやった方がよほど連合国に大きなダメージを与えることが出来ると思います。


もし、戦略潜水艦隊を編成していたら? 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月28日(水)21時02分44秒

小沼航空乙参謀さん、どうも。

では、もし開戦前夜に、「紺碧の艦隊」よろしく、日本海軍が「戦略潜水艦隊」を編成していたら、一体、その後の戦局はどう展開したでしょうか?

日本海軍の潜水艦は、艦内に索敵機(偵察機)や攻撃機を搭載していた一種の潜水空母も保有する程、その発想と潜水艦建造技術では、アメリカと比べて一歩も二歩も抜きんでていたと思うのですが。

と言う訳で、シミュレーションの程、宜しくお願いします。


日米・艦隊決戦の行方 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:07月27日(火)21時32分15秒

大王さま、竹下さま、レスどうも。

それでは、もしも日本海軍が真珠湾攻撃をやらず、開戦当初に日米の艦隊決戦が行われたらどうなるかを私なりに考えてみたいと思います。まず、この「艦隊決戦」が1941年12月中に行われるとなれば、日米両軍の参加艦艇は、大体以下のようになると考えられます。

★日本海軍
戦艦10隻(長門(ながと)型、伊勢・扶桑(ふそう)型、金剛(こんごう)型)、空母8隻(赤城、加賀、蒼龍(そうりゅう)、飛龍、瑞鶴(ずいかく)、翔鶴(しょうかく)、龍壌(りゅうじょう)、瑞鳳(ずいほう))、重巡10隻程度、軽巡8隻程度、駆逐(くちく)艦40隻程度(東南アジア攻略も同時に行うため、これの支援にも艦隊を割く必要がある)

★アメリカ海軍
戦艦9隻(ウェストヴァージニア、コロラド、メリーランド、カリフォルニア、ネヴァダ、オクラホマ、アリゾナ、ペンシルヴァニア、テネシー)、空母3隻(レキシントン、サラトガ、エンタープライズ)、重巡10隻程度、軽巡8隻程度、駆逐艦30隻程度(実際に1941年12月の時点で米太平洋艦隊に配属されていた艦艇)

むろん、この他にも両軍の潜水艦、更には、この「決戦」は内南洋諸島(マーシャル、トラック)で行われると予想されるので(まさかハワイ沖ではやらないでしょう<笑>)、日本海軍ご自慢の陸攻隊も参加するでしょう。

さて、艦隊決戦とは言うものの、実際には両軍の激突は、まず航空戦から始まるでしょう。両軍とも最初に相手の空母機動部隊を叩こうとするでしょうが、これは勿論、日本側の一方的な勝利に終わるでしょう。うまく行けば、米空母3隻撃沈して日本側損失ゼロということもありえます(両軍の空母の数の差、並びにこの当時の日米空母機搭乗員の練度の差から考えると十分にあり得ること)。問題はこの先です。

米空母を全滅させた日本海軍航空隊(空母及び陸攻隊)は、その余勢を買って米戦艦群に攻撃をかけるでしょう。むろん、重防御の米戦艦を全て撃沈する事は出来ませんが、まあ2隻くらいは撃沈することは可能でしょう。この後でようやく「艦隊決戦」が行われる事になるわけですが、この時点で米空母が全滅、戦艦にも損害が出ているとなると、米艦隊は決戦を行わず退却する可能性も十分考えられます。が、ここでは、米艦隊司令官(おそらくキンメル大将)が退却しないと仮定して話を進めます。

「日本の戦艦(及び重巡)の砲撃命中率は、アメリカのそれと比べて数倍優れていた」という「神話」は割と有名ですが、実際には、日米両軍の砲撃訓練のやり方がまるっきり違うので、単純に両軍のデータを比較し、それをもって日本の方が優れていたとは言えません。よってここでは両軍の砲撃命中率は同じ、雷撃命中率は日本側有利(これは当然でしょう。何と言っても日本には酸素魚雷がありますから)として話を進めます。

両軍の戦艦の撃ち合いとなると、アメリカの戦艦は低速だが重装甲なので、これを沈めるのは困難ですが、日本の戦艦は、長門型2隻を除いては防御力に問題がありすぎ、果たして戦艦同士の撃ち合いに耐えられるかどうかははなはだ疑問です。例え巡洋艦、駆逐艦の助けを借りて米戦艦を全滅させる事に成功したとしても、その代償に長門、陸奥(むつ)以外の戦艦は全滅するという可能性も大いにあり得るでしょう。

結論として、確かに1941年12月の開戦時に艦隊決戦を行えば、日本の勝利は確実でしょうが勝利の決めてとなるのは、やはり航空戦力であり、どのみちアメリカ海軍に航空戦力の重要性を教えることになるでしょう。しかも、これでアメリカが講和してくれるかと言えば、それは無理でしょう。例え太平洋艦隊が全滅しても、アメリカにはまだ太平洋艦隊の空母と戦艦があり、さらには建造中の新型戦艦6隻(!)が1942年中に戦列に加わるのです。ですから、日本としては、1942年中にもう一度艦隊決戦を行う必要が生じるでしょう。

長文になりましたが、何とぞご容赦下さい。


ちなみに 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月27日(火)17時42分09秒

ちなみに、私は「閃電(せんでん)」が一番良かったです。
エンジンを後に搭載しているのは「震電(しんでん)」ぽいですし、全体的な機体デザインは米軍機「ライトニング」ぽいですし・・・とにかく、イカしています。


RE:烈風の3DCG 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月27日(火)17時37分37秒

大王さん、同様、「素晴らしい」の一言ですね。
「これ、CGだよ」って言われなければ、本物の写真と区別つかない位、完成度が高いです。さすが、プロフェッショナルと言った感じです。脱帽。。。


素晴らしい 投稿者:大王  投稿日:07月27日(火)03時20分42秒

下記HP拝見しました。
質感が素晴らしいですね、ここまでできるなら動画で見たい。しかも空戦物。

何故か今、NTVで映画「華麗なるヒコーキ野郎」やってます。烈風は数機しか作られなかったらしいですね。大戦末期の新鋭機は哀しいですね、ガソリンも無かったし、優秀なパイロットもほとんど残っていなかったし、工作精度もガタ落ちだったし。

話を蒸し返して申し訳ありませんが真珠湾攻撃さえなければ勝てないまでも負けない戦争には持っていけましたね。開戦当時の日本戦艦主砲の命中率はアメリカの何倍も高かったそうです。艦船主導で戦えば早い時期に手打ちにできたかもしれません。勝っている時に停戦、休戦申し出ればアメリカでも呑むでしょう。

それを真珠湾攻撃によってアメリカを航空主導に目覚めさせてしまった。嗚呼・・・


烈風の3DCG 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:07月26日(月)21時29分53秒

大王様、お久しぶりです。

ところで、話は全く変わりますが、竹下様と大王様は、「烈風(れっぷう)」はご存じですね? あの零戦の後継機となるはずだった幻の戦闘機・烈風です。その烈風の3DCGのHPというのがありますので、ぜひご覧になってみてはいかがでしょうか?烈風の他にも、「陣風(じんぷう)」、「閃電(せんでん)」といったマニアックな(笑)日本海軍試作戦闘機の3DCGがあります。

アドレスは、以下の通りです。

http://www.ne.jp/asahi/green/wave/


タイは、いい国ですね。 投稿者:日本の人  投稿日:07月24日(土)17時55分31秒

>大王様(さんと呼ぶには、畏(おそ)れ多いです)、始めまして。

そういえば、僕、タイで、逆ナンされました。車で、いろいろ連れてってもらいました。

>竹下さん、毎度どうもです。

なるほど、解りましたです。バカですみませんでした。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6942/


RE:日本人は、結構もてます。 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月23日(金)17時52分26秒

日本の人さん、どうも。

>なんで、「李王銀」で、「イウン」なんでしょうか?

「李王銀」は間違いで、「李垠(り-ぎん)」で、「イ=ウン」と発音します。
「李王世子(せいし)垠」だと、「イワン・セジャ・ウン」と発音すると思うのですが、私自身コリア人ではないので、あっているかどうか・・・


ご無沙汰してます 投稿者:大王  投稿日:07月23日(金)09時34分23秒

興味あるテーマなので書き込みさせていただきます。

タイ王国におけるタイ人女性からみた不人気ランキング
一位、黒人 (国籍問わず) 理由「生理的嫌悪」
二位、インド人 (パキスタン、バングラデシュも含む。まとめてインド人と呼ばれている) 「けち、無表情の中に冷たさを感じる」
三位、アラブ人 「変態が多い」
四位、イスラエル人 「けち」
五位、韓国人 「感情的」
こんな感じです。

逆に人気があるのが、香港、シンガポール人。次点で日本人かな。

白人は「ファラン」とひとくくりで呼ばれている、日本で「外人」というと白人を指している場合が多いがそれと似ている。タイ人は日本人ほど白人コンプレックスは持っていないがやはり白人かぶれの女も多い。日本人の人気が高いのは金払いがいいのとタイは歴史的に観(み)ても日本とは縁がありますので互いに理解できる部分が多いのです。日本人の表現下手(べた)を彼らは解(わか)ってくれているようです。

白人社会では「言わなきゃわからない」ので自己主張しない日本人は理解不能とされています。もてるもてない以前に理解不能なんですね。好きなら「好き」 やりたければ「やりたい」と言わなければならない。

「武士は喰(く)わねど高楊子(たかようじ)」もいいけど喰わないで人格がねじ曲がってしまうケースもあります。白人社会から学ぶ事もあります、要はバランスの問題。

現代の日本人の容姿と経済力、戦前の日本人の気骨を兼ね備えていれば世界のどこへ行ってもモテモテでしょう。


日本人は、結構もてます。 投稿者:日本の人  投稿日:07月22日(木)13時45分58秒

東洋人は、もてないかも知れませが、日本人ははっきり言ってもてます。東洋人の中に埋もれずに、日本人として、海外で堂々としましょう。小道具として、浴衣(ゆかた)とか、扇子(せんす)とかがあれば、なおOKです。

言葉は、取り敢えず日本語だけで、大丈夫です。あっちが解らない場合だけ、「しょうがないなぁ日本語を知らないの?」という顔をして、英語かなんかで話せばいいのです。

日本男児に、光あれ!です。

>「・」

竹下さん、なるほどです。「・」だった分けですね。もう1つ、次いでに聞いていいですか? なんで、「李王銀」で、「イウン」なんでしょうか?

では、また。


RE:だから日本が馬鹿にされるんだってば 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月22日(木)09時44分19秒

撫子さん、こん○○は。

>日本人男性を世界中でもてさせるHOME PAGE

私はこのかた、外人はもとより、日本人女性にももてたためしがありませんが、それって、「悪」なのでしょうか?

まあ、確かに「もてない」より、「もてる」方が、いいに決まっているでしょうが、「もてない」からと言って、特に不自由はしていません。

それに、

>このHPはそんな日本人男性を、魅力的に、さらには世界でイタリア人並に
>もてるようにすることを主旨としたものである。

と言うのも、変でしょう。

格好(ファッション)や趣味を相手に合わせて、「もてる」ようになるよりも、大切なのは、自分自身の「心」を磨く事だと思います。動植物への思いやりや、弱者への「いたわり」と言った、内面性を磨く事の方が、ファッションや趣味、「口説(くど)き文句」の練習よりも何百倍も大切だと思います。

失礼な言い方かも知れませんが、よく、「なんで、あんな不細工な男に、あんなモデル並の美人がくっつくんだ!?」って言うカップルがいますが、それは、男性が格好や趣味を女性に合わせている訳ではなく、「心」が優しいからなんです。又、女性の方も、格好や趣味ではなく、男性の「優しい心」に惹かれたから一緒になったんです。

だから、格好や趣味、「口説き文句」なんかに「うつつ」を抜かして、外人女性にもてようとしても、かえって「バカ」にされると思います。「あの日本人、外見だけで、中身はカラッポ!! バッカみたい・・・」ってね。

まあ、それでも外人女性に「もてたい」と思う男性諸氏は、そのホームページを見ればいいと思います。でも、少なく共、私はそんな事を実践するよりも、自分自身のポリシーの方を大切にしますがね・・・(<「頑固」とも言う)


RE:ぼくの環境では・・・ 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月22日(木)09時27分55秒

日本の人さん、ホームページ開設おめでとう御座います。機会を見つけて、拝見させて頂きます。

さて、

>「イ・ウン」の「・」の字が読めません。

ですが、表記の仕方が悪かったようですね。「・」は文字化けしている訳ではありません。「李」が「イ」又は「リ」で、「垠(ぎん)」が「ウン」で、「・」は姓と名の区切りの意味で書きました。

「イ(リ) ウン」と書いた方が良かったかでしょうか?


だから日本が馬鹿にされるんだってば 投稿者:撫子  投稿日:07月22日(木)01時20分18秒

>日本人男性を世界中でもてさせるHOME PAGE
>突然ですが、私ことTAROはこの10年間アメリカ、イギリス、スペイン、
>ドイツ、オーストラリアと渡り歩き日本人の男性が女性に比べ、国外
>(特に欧米)で 全然 もてないことに気づいた。このHPはそんな日本人
>男性を、魅力的に、さらには世界でイタリア人並にもてるようにすることを
>主旨としたものである。

↑↑↑↑↑こんなご立派なことを言いながら、疑問、反論にはバックレを決め込んで無断削除しまくり。そして↓↓↓↓↓の捨てゼリフ。

>掲示板が右翼と、ネガティブ信仰者に荒らされてしまったので休憩します。
>まあ、彼らは物事をマイナスの方向にしか考えられない人たち(幼少時代に
>なにかあったんでしょうか?)だからちょっと同情もしますけど・・・。
> >暴行高生くんについて・・・
>刺すってさ。さすが、宣伝カーに乗ってるだけあって威勢がいいね。まあ、
>がんばってちょうだいな。

そんな国辱(こくじょく)お坊ちゃまが厚かましくも復活したようです。心有るみなさん、彼にわかりやすく人の道を説いてあげてください。

『日本人男性を世界中でもてさせるHOME PAGE』
http://www.ozemail.com.au/~ryotaro/


ぼくの環境では・・・ 投稿者:日本の人  投稿日:07月21日(水)16時36分25秒

「イ・ウン」の「・」の字が読めません。

PS.この度ホームページをオープンしてみました。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6942/


『帝國電網省』は、 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月21日(水)11時06分42秒

「喫茶室」のマスター(ここの管理者)の竹下です。

ホームページ『帝國電網省』は、明日(7/22)の午前中に、更新します。
具体的には、
の予定です。それでは。


↓つづき 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月15日(木)21時56分26秒

>朝鮮王族出身の李王銀(りおうぎん、ハングル語でどんな発音になるかは知らん<笑>)

発音は、「イ・ウン」又は「リ・ウン」だと思いますが。


李王銀 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月14日(水)18時44分51秒

小沼航空乙参謀さん、どうも。
私もあまり詳しくはありませんが、「李王銀」は、「李王世子(せいし)(ぎん)」殿下の事でしょうか?

彼は李朝最後の大韓皇帝・純宗昌徳宮李王(スンジョン-チャンドッグン-イワン)のご子息で、「世子」つまり「皇太子」でした。お妃(きさき)は日本の皇族で、梨本宮方子(まさこ)様でした。

で、不思議に思うのですが、コリアは「日帝」をいまだに憎悪の対象としていますよね。でも、「滅ぼされた」最後の王朝・李朝のしかも皇太子だった李垠殿下が亡くなられた際にも、「国葬」をした訳でもなく、「謚号(しごう)(おくりな)や「追号」を贈ってもいません。そのくせ、大韓帝国を廃止して、「日韓併合」を強行したと言うんですよ。なんか、しっくりこないのは私だけでしょうか? 私がコリア政府の人間だったとしたら、「国葬」は無理にしても、「半旗」を掲げて哀悼の意を表したり、高宗(コジョン)・純宗に続いて、「哀宗(アイジョン)」と言った「謚号」(皇太子でありながら、王位に即(つ)く事が出来なかったと言う意味で)を贈りますがねぇ・・・。

それとも、日本人のお妃をもらい、大日本帝国の皇族に列せられ、大日本帝国軍人だったから、「その必要はなし!!」と言う事なのでしょうか?


申し訳ない 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:07月14日(水)15時22分27秒

どうも。お久しぶりです。
いやあ、「歴史再考」、先週更新されていたんですねえ。今日まで気がつきませんでした。まことに申し訳ないです。(私は、ここの掲示板のURLをインターネットエクスプローラの「お気に入り」に登録していますので、HPの方はたまにしかチェックしていませんでした)

ところで、朝鮮出身で陸軍大将になった人というのは、朝鮮王族出身の李王銀(りおうぎん、ハングル語でどんな発音になるかは知らん<笑>)とかいうお方の事でしょうか?

李王銀という人は、確か1944年か45年あたりに本土防空部隊である第一航空軍司令官を勤めておりましたから、かなりの要職にあったと言えますね。ちなみに、陸軍の航空軍司令官というポストは、海軍で言えば大体艦隊司令長官クラスになります。その要職に、朝鮮王族の人が就いていた事は、それこそよほどのマニアでなければ分からないでしょうねえ。それにしても、この李王銀将軍、戦後はどうなったのでしょう・・・?


RE:先日、注文していた、、 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月14日(水)15時02分54秒

倉田さん、ご購入有り難うございました。

著者の願い・・・それは、少なくとも、初版が完売する事・・・
書店から「回収、返品の山」の悪夢だけは、なんとしても避けたい所です・・・


RE:倭の五王 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月14日(水)14時59分39秒

「倭」は元は、「わ」ではなく「い」と呼んでいたとか・・・すると、「倭王武」の別表記、「倭武」は、「わぶ」ではなく、「いぶ」と呼んでいた事になる・・・。

「いぶ」・・・。
「イブ」・・・。
「イブ」ちゃん・・・。

そうか、「倭王武」は新宿の「イブ」ちゃんだったのか・・・(失礼な発言!!)
※冗談なので、くれぐれも抗議の書き込み等しないやうに・・・(m_m)


倭の五王 投稿者:まむし連  投稿日:07月14日(水)04時28分29秒

倭の五王の名は実際の名ではないのでは?

「讃」は「わざわざシナを誉めたたえる人」という意味、
「珍」は「シナに朝貢するなんて珍しい人」という意味、

という具合で、皮肉の表現じゃないだろうか。
つまり「ほんとは倭王は朝貢(ちょうこう)していない、ということに気づけ」という「春秋の筆法」というやつですね。


先日、注文していた、、 投稿者:倉田佳典  投稿日:07月13日(火)16時31分36秒

先日、注文していた「教科書になれなかった史実」竹下義朗著が、なぜか手違いで2冊来てしまいました。(^_^)
1冊は友人にあげようと思っています。

おおむねHPの内容をそのまま本にした感じですが、巻末の人名・王朝名等の索引が充実していて参考になります。これだけでもいざ調べるとなると大変なモノ。1冊手元に置いておくと便利な本ですね。

参考文献では、佐治芳彦氏と鹿島ノボル氏が多いようですが、いずれ、異端歴史家の八切止夫についても、ぜひ取り上げて下さい。
※帝国電網省掲示板とアブナイネタ(大和維新塾)掲示板に重複投稿

http://www.tcup3.com/315/himitsu.html


いろいろ 投稿者:日本の人  投稿日:07月12日(月)18時51分45秒

皆様、レス有難うございます。今日もいろいろ書かせてもらいます。

>倭王武

「倭人種の国の王の武さん」という説もあったんですね。この説では、天皇はやはり倭人種の国をまとめる、皇帝という事になるんですね。その意味で「大和(やまと)」の「大=連合」と読み取れますね。

>「安日本」略して「安日」

なるほど、そうなると線が繋がりますね。

>「ロシア」も「おろしゃ」

ウラル・アルタイ語系の特徴でしたっけ?(日本語/朝鮮語/モンゴル語かも・・)
R/L音は、語頭に来ないっていうを読んだことがあります。(R/L判別もなし)
これも、それの音便なのでしょうかね。

>戸来(ヘライ)

全部音読みで「屁来」だったら「ブ」がないのは、気になりますが、戸来を分解すると、戸は訓読み、で来は音読みですよね。という事は、「戸(へ)から来た」って意味には、取れないでしょうか?

んん?もしかしたら、戸来は「コライ」と読むのが正解でしょうか?
あまり関係ないのですが、僕が通っていた自動車学校の教官で「戸来さん」っていう人がおりました。

ちょっと辞書調べてみました(広辞苑CD-ROM)。
----------------------------------------------------------------
へ【戸】
(「へ(竈)」の転という) 戸籍。欽明紀「戸帳(へのふみた)に編貫(つ)く」

へ【竈】
かまど。神代紀上「吾已(すで)に黄泉之竈(よもつへぐい)せり」

へ‐ぐい【竈食い】‥グヒ
かまどで炊いたものを食うこと。記上「黄泉(よもつ)―」


倭王武は天皇? 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月11日(日)19時15分11秒

私自身は、「倭王武」なる人物が、大和朝廷の天皇だったとは到底信じられませんが・・・。
よく、倭王武を雄略天皇(大泊瀬幼天皇(おおはつせわかたけのすめらみこと))に比定しますが、これも納得できません。
オオハツセワカ「タケ」(武)ノスメラミコトの「タケ」(武)を採って、倭王「武」と称した等と言われていますが、果たしてそうなのでしょうか?

シナの史書に登場する夷蛮の王名に、略されたものはありません。突厥(とっけつ;テュルク)の可汗(カガン)にしても、「イシュバラ・トリス・カガン」は「沙鉢略突利斯可汗」とちゃんと音写して記述していますし・・・。又、単にシナの皇帝に「使持節 都督 倭・百済(くだら)・新羅(しらぎ)・任那(みまな)・加羅・真韓・慕韓 七国諸軍事 安東大将軍 倭国王」を称したからと言って、倭王=大和朝廷の天皇と言うのはどうでしょう? ちょっと信じ難(がた)いのですが・・・。

更に、「倭の五王」の系図が必ずしも当時の天皇系図と一致しない事実。ここは、やはり、歴代倭王と大和朝廷の天皇は別モノと考えた方がスッキリするように思います。


アチャコさんへ 投稿者:まむし連  投稿日:07月11日(日)14時51分29秒

ぼくの友人も外三郡誌(そとさんぐんし)のホンモノ見ましたよ。10年くらい前だったかな? 都内某所で。その頃はすでにカラクリを知っていたので驚きませんでしたが。

ところでメアドがまちがってませんか? メール送れませんでしたよ。

>今春の桜町シンポでは縄文草創期鹿児島に発生した縄文文明は、
>中期においてほぼ壊滅する、文明の断絶、が指摘されています。

中期をはさんで、そんなに断絶があるんですか?
あまり聞かない話のような気がして、意外ですが?

>安日長髄(あびながすね)というのは安日が姓、長髄が名ということですから、
>むしろこちらの方が新しいと考えるのが自然でしょう。
>安日が津軽に逃亡して蝦夷(えみし)になったという考えは曾我物語にすでにありますから。

では、もともと「安日と長髄彦の兄弟」というのが古く、後に「安日長髄彦という一人」にされたという説ですか? それとも安日伝承と長髄彦伝承がばらばらに存在して、あるいは兄弟にされ、あるいは同一人物にされたといういわば「並行説」ですか?

>秋田で旧領回復の願いを込めて安東(湊安東氏)と改姓、

ふむふむ、秋田に移ってから安東に改姓したわけですね。
「旧領回復」と「安東」の語義のつながりは、旧領=東=津軽を、平定する=回復する、ですね。実際は秋田からみて津軽は北だけど、旧姓「安藤」以来の発音からの流れか、東である奥羽のもっと奥はさらに東という伝統的な特殊な方角意識からか、「安北氏」とはいわなかったんでしょうね。

>安藤水軍というのは、アラハバキと同様三郡誌
>作者の和田喜八郎氏の大ヒットとご理解ください。

松田弘洲氏の「津軽中世史の謎」を読んだ記憶では、安東水軍という幻が流通したのは、和田喜八郎氏よりずっと前にさる高名な学者の凡ミスから起こった事故みたいなもの、だったと思います。詳細は忘れましたが。まあここまで有名にしたのは和田さんでしょうが。

>中世において南樺太(からふと)アイヌ(骨鬼、クァイ)は安藤氏配下、
>北樺太にはツングース系のギリヤークが居住しており、彼らは元に朝貢しています。
>日本国境は安藤氏の支配が及んでいた南樺太までで、
>当事の日本人が国境が陸続きと考えていたであろうことは推測に難(かた)くないと思います。
>近世でも松前慶広が北海道が島かどうかはわからないと宣教師に言っているんですから。

ほほう。面白いですね。
日露戦争後の国境と一致してますね。
やっぱり「樺太もオオぼくらのものだ〜♪」
愛国戦隊大日本は正しかった(笑)

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4687/mamushi_bbs.htm


日本の人さんへ 投稿者:まむし連  投稿日:07月11日(日)14時48分25秒

>>「(中華=シナの)東を安んず」
>では、日本国内でも、「安東」と名乗るのは、
>東側を平定していると暗に言っているのかなぁ?

日本国内の「安東氏」の場合は畿内からみて津軽が東だからでしょう。長腿彦(ながすねひこ)が大和(やまと)にいた時は全国を支配していたから「安日本」略して「安日」それが津軽に逃げてからは「安東」になった、という考えで「安日長腿彦」という名前を創作したり「安藤氏」を「安東氏」に変更したりしたんだと思います。

>あと、東に「やまと」と読みをみた気がするのですが、これは「大和」 >と同じ意味なのかなぁ?(「西=かわち」とか)
それは東=やまと=奈良県、西=かわち=大阪府で、セットです。 たしかに東に奈良があって西に大阪がありますよね。

>「倭王武=雄略天皇」だって事になっていますが、「王」の字がなんとなくイヤです。
>この武さんは、日本の1豪族の王って事には、なりませんか?
>天皇自身が戦(いくさ)みたいな下賎(げせん)なことをするって想像がなかなかイメージしにくいっす。

現在の学界の通説だけがすべてじゃないでしょう。武は天皇ではないという説ももちろんあります。有力ではありませんが。
昔の右翼的な説では、朝廷の有力貴族の差し金(がね)で、任那(みまな)日本府の役人にやらせたものという説もあったと記憶しています。(武は雄略天皇でなく仁賢(にんけん)天皇の時代だと推測しています)
中世の日本とシナの外交は、間に対馬の宗氏が入って国書を書き換えていたように古代でも武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫(初めは平群(へぐり)氏、後に蘇我氏)が外務大臣のような位置であり任那日本府の役人に指し図して国書書き換えくらいはやっていたでしょう。武が仁賢天皇の時代だとすると、次の武烈天皇が平群氏を滅したので「倭の五王」といわれた外交が終わったのだ、と考えています。
まあ現在では任那日本府の実体をめぐっていろんな議論があって学界の通り相場としては任那日本府という言葉じたいどうかって感じですけどね。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4687/mamushi_bbs.htm


花火師 アチャコ 様 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月10日(土)21時06分59秒

きっついカウンターパンチ、有り難うございます。

投稿内容から、「現地」の方とお見受けしましたが、どうでしょう?
私より、全然、東北史にお詳しい。脱帽の限りです。

さて、本題ですが、

>現場を見ず、机の上で、自説に都合のよい古史古伝をつまみ食いするのは、現場で、泥塗れに
>なって肉体労働している人々を馬鹿にしているとしか受け取られません。

確かにご指摘の通りです。しかし、全ての人間が「現場」に行ける訳ではありません。時間的・空間的に無理な訳です。ですから、色々な資料・情報を元に「机の上」で推論せざるを得ない訳です。もし、「現場を見ずに、机の上」で推論する事自体がいけないとおっしゃられるのであれば、それこそ、歴史はそれに関わる者の「聖域」と言う事になり、百家争鳴諸説諤々(がくがく)はけしからん!!と言う事になりはしませんでしょうか? 現にこうした風潮が、学者先生がもてはやされ、在野の史家は取るに足らぬと言った雰囲気を史学会に蔓延させた訳ですから・・・。

>少なくとも、フランス語、オランダ語、ドイツ語ではBANDOYはバンドーとしか発音できません。
>BANDOYが安東の可能性もあると、歴史の実在証明を存在可能性にもとめるなら、なんでも
>ありになってしまいます。

「坂東」(BANDOY)が「安東」(ANDO)ではあり得ないとのご指摘ですが、変遷の過程で訛ったとしても、けっして不思議では無いと思います。現に、元(モンゴル)は、「カタイ」と呼ばれましたし、日本人が呼ぶ「ランダ」にしても、「ラント」が語源です。「ロシア」も「ろしゃ」と呼ばれていましたし。民族が変われば、呼び方が変化しても、何ら不思議では無いと思います。むしろ、その方が自然だと思います。

>歴史は、右みて左見て、手を挙げて、歩道橋を渡るくらいの慎重さが要求されるとおもいます。

確かに仰(おっしゃ)る通りですが、「石橋を叩いて」叩いて、結局、渡らないのでは意味がありません。私自身、時として、とんちんかんな処(ところ)がままあるとは思います。しかし、それを恐れていては、先に進みません。又、センセーショナルな話題を提供する事によって、今迄歴史に興味がなかった人達が歴史に興味を抱くようになれば、それはそれで「成功」だと思っています。そして、興味を抱くようになった人が、更に自分の「歴史観」や説を世間に沢山(たくさん)発表するようになれば、更に、「歴史」が深まっていくと考えています。そう言う意味で、私のホームページや本が、「絶対正しい」とは思っていません。しかし、この「発表」によって、一人でも多くの人達が「歴史」に興味を抱くであろう事に対しては、私自身、胸を張れると思っています。

最後ですが、極論すれば歴史は、百人いれば、百葉の歴史が存在すると思っています。それは遺跡から出土した遺物や、時代考証、文献考証と同時に、それに携(たずさ)わる人自身の主観が入り込むからです。例えば、明治新政府に好意的な人と、旧幕府に好意的な人とでは、歴史に対する主観が異なる筈です。大東亜戦争をアジア侵略と見る人と、アジア解放とみる人でも同じです。主観が異なれば、英雄が極悪非道の大罪人になっても、これはこれで仕方ないと思います。と言うよりも、そもそも「歴史」観を統一する事等出来うる筈が無い訳で、歴史観の相違は、あって当然ですし、その方が健全だと思っています。
(要は、外三郡誌(そとさんぐんし)否定論者がいると同時に、肯定論者がいたとしても、それを「魔女狩り」の様に、やり玉に挙げるのは如何(いかが)なものでしょうか?)


縄文の米について 投稿者:kanta改め花火師 アチャコ  投稿日:07月10日(土)16時30分52秒

まむし連さま

縄文について書籍をお探しとのこと、先日記述いたした内容はまだ論文としても発表されておりません。今春富山県桜町遺跡縄文シンポジウムで、要約説明された考えで、今夏、NHK教育TVがシンポジウムの内容をTV放送するやに伺(うかが)っておりますが、出版の話しはないようです。従来、米にはジャポニカとインディカがあるという程度だった、考古学界にとっても、DNA鑑定に基づくジャワニカの発見は衝撃的でした。縄文の米が弥生に引き継がれなかった現象を、作秋大阪で開催された国際狩猟民学会では、「文明の退行」(米を食べるのが文明で、どんぐりを食べるのは野蛮なの、っていう突っ込みを入れたくなりましたが)と表現しました。こちらも、唯物史観で文明に後戻りはないと信じてきた考古学会にとっては画期的な意見でした。これに触発されたのか、今春の桜町シンポでは縄文草創期鹿児島に発生した縄文文明は、中期においてほぼ壊滅する、文明の断絶、が指摘されています。

現在、古代米の研究者は日本では静岡大学の佐藤洋一郎教授ただ一人ですので、佐藤教授の論文を集めるしかないでしょう。一般的な物でしたら、佐原真 著「食の考古学」(東京大学出版会 UP選書)がよろしいかと存じます。

安日長髄というのは安日(あび)が姓、長髄(ながすね)が名ということですから、むしろこちらの方が新しいと考えるのが自然でしょう。安日が津軽に逃亡して蝦夷(えみし)になったという考えは曾我物語にすでにありますから。外三郡誌(そとさんぐんし)につきましては、以下の記述を御参考いただければ幸に存じます。一応、外三郡誌被害者の会に加わる者としては、論評はしたくもないですね。

安藤という姓は、安倍−藤原の流れを組むからが有力、藤崎に住んだ安倍だから安藤とする説もあります。藤原とは関係なかったとしても、蝦夷の沙汰を握り、俘囚(ふしゅう)の長の正当な後継をアピールするために必要だったわけですね。青森県から撤退した後、秋田で旧領回復の願いを込めて安東(湊安東氏)と改姓、その望みがなくなってからは秋田氏を名乗ります。安藤氏は足利将軍家への献金攻勢でも認められるように、征夷大将軍の下で蝦夷の沙汰を取り扱っており、将軍家直轄の存在だったという指摘もなされています。将軍家の機関ということから、西国の悪党が私的な発生だったのにくらべ、半官的な存在とも理解されます。日本国王足利義満は、明に倭寇の取り締まりを命じられており、北蝦夷の倭寇鎮圧が安藤の任務だったとも指摘されているところでもございます。ついでに、だから安藤が水軍を持っていた、また安藤水軍という存在、考えは現在否定されています。南部との抗争でも舟は逃げるのにしか使いませんし、当事の合戦はやはり騎馬。そもそも、水軍というのは瀬戸内海、熊野灘(なだ)で通行料を稼(かせ)ぐのが目的、蝦夷の沙汰を持ち、独占交易が認められている以上、他の勢力の密輸はあり得ない、したがって水軍は必要ないということになります。安藤水軍というのは、アラハバキと同様三郡誌作者の和田喜八郎氏の大ヒットとご理解ください。


まけるな、コジケー 投稿者:kanta改め花火師 アチャコ  投稿日:07月10日(土)16時27分51秒

また、くどくなってしまいました。他にご迷惑でした御削除いただきたく存じます。

最後に、私もTBSは、一言多い小島慶子さんがよいと思います。
では、いずれございましたら。


東日流外三郡誌について1 投稿者:kanta改め花火師 アチャコ  投稿日:07月10日(土)16時23分05秒

竹下さま、ネットはたまにしか利用いたしませんので、お返事遅れましたこをお詫びいたします。御反論ありがたく承りました。事前にもうしあげますが、意見の違いはあるのが健全という立場を私はとっておりますので、私見として以下、実証史学の立場から見解を述べさせていただきたいと思います。

端的にいって、私が東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)を信じない理由は過去に一度だけ本物を見たから、ということにほかなりません。当初、市浦村(しうらそん)村誌資料編として三郡誌が世に出たとき、青森県内の歴史学会はほとんど飛びついたことは事実です。しかし、資料を読んで、第一に思ったのは、読みやすいな、ということでした。一般に、古典などという物は西鶴(さいかく)、近松(ちかまつ)ものにしても、現代人にとっては、ちんぷんかんぷん。大方の高校生にとって、古典の時間はオネムタイムだったことと思います。特に体育の後の4時限目などというのはなおさらだったでしょう。

しかし、外三郡誌は、スーーと読めてしまう。読んでも江戸時代特有のリズム感が無いことが逆に違和感として残りました。しかも、江戸時代の地図のはずなのに、明治になって陸軍陸地測量部が制定した地図記号で標記がなされているはなぜか、との疑問が持たれました。 文章にしても、古語の「こそ」を「けれ」あるいは「あれ」で結ぶ、係り結びの法則を一切無視しし、「ぞ」や「けり」で流してしまう一定の特徴が見られました。ある時、ひょんなきっかけで、三郡誌の原本といわれる物を手にいたしましたが、それは、大正から昭和初期にかけての障子紙と思われるものを糊(のり)でつなげ、明らかに筆ペンで書かれた物をわざと汚したものでした。私の古文書の師匠は「論外」と一言いったきりでした。後に、それはレプリカで、ほんものではない。と説明され ましたが。


その2 投稿者:花火師 アチャコ  投稿日:07月10日(土)16時17分57秒

日常、古文書を専門に見ている人間にとって、文字の書き方、文章の流れ、紙質などで書かれた年代は大体検討がつきます。少なくとも私が知る限り、三郡誌を偽書と呼ぶ人々は、正史と違っているから偽書と主張しているわけではないのです。その辺はご理解賜(たまわ)りたいと存じますが。

それが、中世の文章でも、江戸期の文体ですらもないから信用していないのです。

内容にしても、なんで江戸時代の人がモンゴロイド族、オリムピアード、ムー大陸、ビックバーン、進化論、民活などという言葉を使うのっ? という疑問です。古田武彦先生は三郡誌に書かれているから、江戸期にもそういう言語が存在したことは証明される。との趣旨の主張をなされておりますが、はぁーっ?。って感じです。おまけに安藤氏なら北朝の元号を使うはずなのに、使わない。江戸時代の人なのに干支(えと)を間違えるわ、閏(うるう)月も知らないわ、漢文の返点(かえりてん)もでたらめ、自分の名前だって間違える(孝季/考季)、古語の文法すらも知らない。昭和30年代に町村合併で誕生した市浦(三郡誌は視浦と標記しますが)、昭和初期命名された払田柵も出てくる、天平時代の修験者、役小角が「アダム」「イバ」「マリア キリスト」「イジプト六神」(津軽なまりがオチャメですね)を本尊として拝んでいた、なんていう記述をどうすれば信じられるのか、逆におうかがいいたしたいくらいです。

最近では、福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず」と言う言葉は、福沢が外三郡誌を見て書いた、とまで書かれている。(これはさすがに慶應義塾が怒りましたが)三郡誌ばかりでなく、六郡誌絵巻、というのもあり、この絵図は昭和10年省文社が刊行した「國史画帳大和櫻」の絵をトレースして書いた物だと証明されています。もっとも現在唯一人の三郡誌擁護派の古田武彦先生は、大和櫻が三郡誌を見て書いたのだと主張されておりますが。

こういった状況をうけて、外三郡誌に好意的だった学研「月刊ムー」も現代人の創作と判断、出版社としてはやはり、著作権の問題が一番大きい問題ですから、以降手を引いたわけです。うその中にも、わずかな真実が存在するかも知れないとは、擁護派の皆様が使われる主張ですが、その可能性の根拠は聞いたことがありません。そうであって欲しいという先入観が自らの都合のよい方向に向かわせるのでしょう。サッチーがコロンビア大に行った、招待留学生として精神心理学を学んだ、と言っても本人が言っているから本当だと言うことにならない。100%の嘘は常に存在します。

私としては三郡誌を偽書とも呼ぶ気はありません。あれは古史ではなく、古紙でしかないしろものです。しかしながら、偽書は偽書なりの楽しみかたはあります。水戸藩を騙(だま)した沢田源内のような権威をおちょくるたぐいもたまにいた方が楽しいです


その3 投稿者:花火師 アチャコ  投稿日:07月10日(土)16時14分36秒

こういう大衆受けする物にマスコミが飛びつくのは、どこも同じですね。外三郡誌(そとさんぐんし)は当初から、その反大和(やまと)朝廷の姿勢から、朝日新聞青森支局が支持、古代史に強い毎日新聞支局が否定派だったように思います。三郡誌関係では特に朝日新聞はひどく、捏造記事を出しては、半年後あたりに訂正お詫びをうちます。それで過去二人ほど、誤報責任で飛ばされた記者がおります。三郡誌に朝廷に消されたはずの「天皇記(すめらみことのふみ)」や「国記(くにつふみ)」が書かれているという、古田先生持ち込みの大スクープも、ある朝日新聞記者が記事にしようとし、朝日大阪本社の学芸部長がすんでのところで差し止めた、という話も聞いております。古田先生は三郡誌の作者とされる秋田孝季(たかすえ)の実在を証明する証拠として、秋田孝季の名がある「掛け額」が発見されたと言うスクープも持ち込みましたが、(後に赤外線写真で元々あった他の名前を削り取って、秋田孝季の名を書いたものと鑑定されました)さすがに地元も、朝日新聞も相手にしない、そこでなぜか共同通信浜松支局から記事を配信させ、静岡新聞とサンケイ新聞が引っかかってしまいました。サンケイは新聞では誤報を認めませんでしたが、後日、雑誌「正論」で三郡誌偽書説を展開、姑息だなー、っと思った物です。やはり詐欺というのは、自分は引っかからないという賢(かしこ)い人ほどはまってしまう。また、そうした詐話と言うのは現代史では従軍慰安婦問題でも頻繁です。現代史の詐話を認めても、古史古伝の詐話性を認めないのは、「こんなこといいな、できたらいいな」という理想が、事実に優先しがちな朝日新聞と似ているように思われます。実際に飛ばされた記者を知っているため、これ以上被害者は増やしたくないし、三郡誌の否定は歴史に関わる者の責務と考えております。


その4 投稿者:花火師 アチャコ  投稿日:07月10日(土)16時11分53秒

つい先日も、友人の勤める地元新聞社に東京学芸大学教授となのる人物が三郡誌について意見があるとやってきました。面白そうなので、なにかあった場合の助っ人(すけっと)に遊びにいってみました。教授といっても、国際交流担当で、留学生の世話をしているとのことでしたが、三郡誌が偽書というのは間違っている、とのこと。一方的にまくしたてて自分の主張が受け入れられないとわかると、「だから、青森の人間はだめなんだ」と。怒って帰ってゆかれました。

古田先生が三郡誌が本物だと言っているから間違いないと言うのは、「毛主席はおっしゃた」でおなじみの紅衛兵とおんなじ、古史古伝というのは「古代」妄想とういうよりは、信仰なのだと確信した次第です。歴史において他人の書いた物を資料批判せず、鵜呑みにして引用するのでは、方法論として、南京事件でお騒がせのアイリス チャン女史と同じことになってしまいます。

一般的に青森の人間には朝廷にてごめにされた、時の政府から騙(だま)され続けてきたという屈折した感情があります。一部には松尾芭蕉が青森に来なかったのは、東北新幹線が盛岡で止まっているからだと固く信じて疑わない人々もいます。もし新幹線が青森まで来ても、芭蕉くらいは入れてやってもいいけど、坂上田村麻呂だけは頼んだって青森に入らせるもんかっ、と伊奈かっぺい氏も言っておられます。そういった怨念にも似た感情が、外三郡誌にマッチしたから広まったのだとおもいます。


その5 投稿者:花火師 アチャコ  投稿日:07月10日(土)16時08分48秒

>「日本書紀」にこう書かれているから、「○○文書」は「偽書」だと言うのであるならば

とのことですが、かさねて申し上げますが、日本書紀が当事の朝廷にとって都合のよい内容を記したことは理解しておりますし、日本書紀が正しいから三郡誌が偽書だと主張している物ではありません。第一、竹内スクネが300ンっ歳で死んだなんてのは信じておりませんのでご安心ください。ご指摘いただくまでもなく、書記には北方に関する記述は圧倒的に少ない。しかしながら、その歴史の空白を埋めるために、多くの考古学者が現場で土にまみれて格闘している事実は知っておいていただきたく存じます。現在、国の史跡指定を目指して十三湊(とさみなと)遺跡の発掘が続けられておりますが、現場責任者は20代の大学でたてのお嬢さん。一生懸命、日焼け止めクリームを塗りながらがんばっています。作業補助も20代という若い人たちが張り切っています。早く成果がでたらいいなー。と思っていますが、何にも出ない(陶磁器や古銭は山ほど出るんですが、史跡指定の目玉を出さなきゃ政治的に失敗なんですね。新聞にはいつも「幻の安藤氏」とからかわれています)またこちらも国の史跡公園指定を目指して、浪岡(なみおか)町の高屋敷館遺跡の調査も進行中ですが、こちらは評価が高いんですね。10世紀後半の遺跡ですが、製鉄工場跡と考えられ、5片ほど出土した銅製碗は国内産ではないようだという指摘があります。現在青山学院大で成分分析中ですが、どうも沿海州産らしいとされています。結果が出しだい、新聞等で発表されることでしょうが、朝廷から蝦夷(えみし)と呼ばれた集団が平泉藤原氏台頭以前、独自に沿海州と交易していた事実に、疑いはないようです。

ただ、竹下様ご指摘のように、安藤氏がこれに関わったのかは不明とせざるを得ません。沿海州の金を平泉に搬入した可能性を指摘いたしておりますが、昨年、三内丸山遺跡に遊びにやってきた、ロシアの考古学者の話では、アムール河流域の女真遺跡は、青銅、よくて金銅(こんどう)製品しか出ないといってましたから。現地の人間が金製品は出ないといっているので、そうなんでしょう。

現場を見ず、机の上で、自説に都合のよい古史古伝をつまみ食いするのは、現場で、泥塗れになって肉体労働している人々を馬鹿にしているとしか受け取られません。

中世において南樺太アイヌ(骨鬼、クァイ)は安藤氏配下、北樺太にはツングース系のギリヤークが居住しており、彼らは元に朝貢しています。日本国境は安藤氏の支配が及んでいた南樺太(からふと)までで、それから先はどうなっているかわからない。ギリヤークも南がどうなっているか知りません。だから、当事の日本人が国境が陸続きと考えていたであろうことは推測に難(かた)くないと思います。近世でも松前慶広が北海道が島かどうかはわからないと宣教師に言っているんですから。


その6 投稿者:花火師 アチャコ  投稿日:07月10日(土)16時04分57秒

>当時の日本は、津軽南部が「国境」ではなく、関東と甲信越の間が「国境」となって

昔の地図を正しいと思う方がどうかとおもいます。国土地理院の地図じゃないんですから、間違っていて当然。地図を厳密に解釈するなら、日本(ひのもと)中央碑のある東北町は糠部(ぬかべ)であり、決して津軽ではありません。本物の碑文が存在するならそれは津軽に存在しなければならないのです。また、成宗2年(1471年)海東諸国紀だと陸奥(むつ)と常陸(ひたち)州の間の海上に女国、羅刹(らせつ)国、扶桑(ふそう)という記述があります。伊豆大島の南には渤海、三仏斎(さんぶっせい)。女国ならいってみたい。ひょっとして常磐(じょうばん)ハワイのことかしら?。冗談はさておき、この地図では陸奥と出羽(でわ)の間には津軽大里がある。津軽大里は唐招提寺(とうしょうだいじ)行基(ぎょうき)図にも記載されていますが、陸奥にも出羽にも所属しない独立体としてみなされています。朝廷なら郡を置くはずですが、大里というのは何か、まだ確定された説はありません。

地名と姓について、蛎崎(かきさき)氏が松前氏に、大浦氏が津軽氏に、安東氏が秋田氏となるのが普通で、姓が地名に転化した例は糠部を領した南部氏くらいのように思います。安藤氏だって、自称するときは「奥州十三湊(おうしゅうとさみなと)日ノ本(ひのもと)将軍安倍康季(やすすえ)」なんて名のってる。大体、安藤康季は、応永13年陸奥守(むつのかみ)となった南部守行に対抗して、足利義量(よしかず)への献金攻勢で応永30年に陸奥守を買った奴(やつ)だから、こういう類(たぐい)を独立国とはいわんだろうと思う。独立国だったら、アンドウではなく、ツガルと書く方が自然。安藤という地名は青森、秋田でも無いように思います。佐藤有文氏は秋田出身ですから郷土へのサービスなのでしょう。16世紀末のオルテリウスの世界地図帳やジェーンの日本図にしても、秋田、津軽、南部は書かれていますが、関東地方と東北地方は一緒になって東海地方で国境がひかれ、OHIORなんて記述されている。おまけに京都はMECO。当然日本人の発音をそのまま記述したから、奥州がオヒオール、都がメコになるんですから。以前東北学院大の浅見定雄教授からうかがったことがございますが、世界中で「ブ」の音が無音化する言語はない、ヘブライがヘライに転化することは考えられないということでした。言語学は専門ではありませんのでなんとも言えませんが、少なくとも、フランス語、オランダ語、ドイツ語ではBANDOYはバンドーとしか発音できません。BANDOYが安東の可能性もあると、歴史の実在証明を存在可能性にもとめるなら、なんでもありになってしまいます。


その7 投稿者:花火師 アチャコ  投稿日:07月10日(土)15時59分50秒

マルコポーロ「東方見聞録」。よく名前は聞きますが、勉強不足で、ジパングの記述以外に目を通したことがありません。お恥ずかしい限りです。4年ほど前でしょうか大英図書館中国部主事が「マルコポーロは本当に中国にいったのか」という論文を発表、話題になりました。重箱のスミを突つくかのようなプロの仕事に感心したものです。日本では草思社から同タイトルで訳出されております。ヂパングについては、確か愛宕松夫(?)東北大名誉教授が日本国の唐読み Ji−pen−kou が変化したもの、と指摘されていたと思います。竹下様は、マルコの記す、暴風で生き残ったカーンの軍勢がヂパングの首都を占領した、ヂパングでは身の代金が払えない捕虜を殺して食べる、ということも事実とお考えでしょうか。私としては、ガリバーが行ったラピュータが実在の国とは思いませんし、銅像にもなった寛一、お宮さんが実在したとも思えません。歴史修正主義を唱えるのであるならば、真っ先に、マルコポーロをやり玉にするべきです。このホラふきマルコめ、おまえは中国に行ってないだろう、と。

歴史は、右みて左見て、手を挙げて、歩道橋を渡るくらいの慎重さが要求されるとおもいます。実際に、地べたから見るより、高いところから見た方がよく見える物なのですから。

最後に実証史学の立場を堅持されている日本大学の秦郁彦教授が、カエサルの格言を引いておりますので、引用し、結びといたしたいと存じます。

人々は己が見たいと思うものしか、見ようとしない。


レス、有難う御座います。 投稿者:日本の人  投稿日:07月10日(土)13時50分04秒

竹下さん、まむし連さん、レス有難うございます。勉強になります。

>「(中華=シナの)東を安んず」

では、日本国内でも、「安東」と名乗るのは、東側を平定していると暗に言っているのかなぁ? あと、東に「やまと」と読みをみた気がするのですが、これは「大和」と同じ意味なのかなぁ?(「西=かわち」とか)

>徐々にシナ風

徐々にだったんですね。朝鮮人は、先祖の名前を大事にするという言い分は、なんか変ですね。日本人の方が、シナ化しなかったしなかったんだから、先祖のやり方を大事にしていたという事が逆にいえません?(ふふふ)

>倭王武

「倭王武=雄略天皇」だって事になっていますが、「王」の字がなんとなくイヤです。この武さんは、日本の1豪族の王って事には、なりませんか? 天皇自身が戦みたいな下賎(げせん)なことをするって想像がなかなかイメージしにくいっす。(まぁ僕的な希望ですが・・)

でわ、また。

P.S:まむし連さん「連」は「れん」ですか、それとも「むらじ」ですか?


安藤、都督〜〜諸軍事、朝鮮の姓 投稿者:まむし連  投稿日:07月09日(金)12時27分47秒

1)安藤について

>「安東」と「安藤」は、文献的にどちらが古いのでしょうか?

文献的には「安藤」の方が古く「安東」の方はずっと新しいそうです。

>もし「安東」の方が古いなら、音借の可能性は、ないでしょうか?

一説では下北半島の陸奥湾沿いにある「安渡(あんど)」という地名の音借という説もありましたが、この地名じたい古いものではないかも知れず、まあ珍説の類(たぐい)でしょう。

>蝦夷(えみし)の阿部(安部)家から“安”を持ってくるとかは、考えられます?

奥六郡の「あべ」氏も、「安倍」と書くのは後世になってからで、リアルタイムの当時は「阿部」と書くのがふつうだったらしいですよ。

2)「都督〜〜諸軍事」

>「倭・百済(くだら)・新羅(しらぎ)・任那(みまな)・加羅・慕韓・辰韓 七国諸軍事」だったかな?

区切ると「使持節 都督〜〜諸軍事 ◯東将軍 某王」という4つの官職で、このうち2つめの「都督〜〜諸軍事」は〜〜の部分に管轄範囲の地名を入れます。

3)朝鮮の姓、婚姻のタブー

朝鮮人は「族譜」を大切にし、大昔から系図がはっきりしていると思われていますが、いかなる貧民でもシナ風の姓をもつようになったのは李朝時代になってからで、高麗時代には貴族や金持ちしか姓がなかったというのがほんとです。しかも、かなり適当なつけかたをしていて、親子で姓がちがったりしていて、近親婚もかなり自由でした。高麗時代の初期には国王ですら、急遽(きゅうきょ)「王氏」ととってつけたくらいでしたが、末期までに徐々にシナ風の姓や儒教式の結婚観が広まっていったようです。こんな調子なので、さらに古い新羅時代にはシナ風の姓はほとんどなかったようです。新羅の王家の3つの姓や貴族の6つの姓などは実際に使われるようになったのは7世紀か8世紀からで、先祖伝来のものではない。そもそも姓じたいが存在しなかった新羅に対し、百済は滅亡してしまったのでよくわからないが、約20くらいの姓が確認できる。ほとんどが2文字でみな百済固有の姓であり、明かにシナ風のものは山東半島系と思われる「国氏」だけ。(参考文献「朝鮮姓氏族制考」鮎貝房之進 国書刊行会 ほか)

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4687/mamushi_bbs.htm


RE:秀吉朝鮮帰化人説 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月08日(木)21時49分12秒

>話しは変わるが、朝鮮人は本当に、同じ名字(みょうじ)だらけで、不便なんじゃないだろうか?

だから、同じ「金氏」でも、出身地+姓で、区別したんですね(「安東金氏」とか)。しかし、日本人には考えられない事は、惹(ひ)かれ合った男女の姓が「金」氏で、祖先の出身地も同じ(「本貫」と言う)だった場合、例え、数十世代を経(へ)ていても、「同族」と見なされ、結婚が許されないと言う「ルール」。現在は「廃止」されたそうですが、かつては「法律」にも明文化されていたそうです。周囲さえ納得すれば、いとこ同士でも結婚できる日本とは雲泥の差ですね。


RE:安東大将軍ってどういう意味? 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月08日(木)21時40分49秒

日本の人さん、どうも。

「安東大将軍」の「安東」って、「(中華=シナの)東を安んず」って意味なのでは? ちなみに、「大」が付かない安東将軍や、鎮東将軍等もありますよね。それよりもすごいのは、倭王武が上表に自署した肩書き。確か、「倭・百済(くだら)・新羅(しらぎ)・任那(みまな)・加羅・慕韓・辰韓 七国(しちこく)諸軍事」だったかな? これは、要は東アジアの七ヶ国を軍事的に統(す)べると言う意味で、特に、れっきとした「独立国」である百済をもその管轄に「含める」と主張しているところが、すごい。結局、シナは百済を除く「六国(りっこく)諸軍事」を追認したのだけれど。それでも、六ヶ国の軍事統率権を認めさせた倭王武は、大したものですよ。「東夷」でありながら、シナの皇帝に対して、勝手に「七国諸軍事」を称して、「七国」の内、「六国」も認めさせた訳ですから・・・後に隋の文帝に、「日出(い)づる処(ところ)の天子」を称した倭王の気概が既に見て取れると言うものです。


Lily様へ 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:07月08日(木)20時09分04秒

Lily様、お久しぶりです。

つまり、12試艦戦(試作1,2号機、A6M1)ではなく、エンジンを栄12型に換装した試作3号機(A6M2、後の零式艦上戦闘機11型の原型)が初飛行した日ということでしょうか?
試作1号機が初飛行したのが1939年4月1日ですから、7月6日あたりには3号機が完成し、初飛行してもおかしくありませんね。


安東大将軍ってどういう意味?(再送) 投稿者:日本の人  投稿日:07月08日(木)11時11分10秒

シナ文献中に出てくる。安東大将軍ってどういう意味ですか? 倭王武(雄略天皇)についていたりしますよね。知っている方、教えて。

PS.すみません竹下様、下のメッセージ消してください。

http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/sou-teiki.html


秀吉朝鮮帰化人説 投稿者:日本の人  投稿日:07月08日(木)10時53分48秒

>「複数字姓」の方が主流だったのでは、ないでしょうか?

主流とか副流の問題でなく、一気にシナ化したと、ぼくは思います、強制か自主的かは、わかりませんけど。

同族だと思っていた朝鮮がシナ化した事に腹を立てて、秀吉が出兵したんじゃないか?(という説をどこかで、読んだのだが、本の名前、忘れた)

話しは変わるが、朝鮮人は本当に、同じ名字(名字)だらけで、不便なんじゃないだろうか? 吉田戦車のマンガじゃないけど、「顔色が悪く、ツメが尖(とが)った、キムさん」なんて呼ぶのだろうか? とても気になる。

蛇足:朝鮮人の名字は、255種類だそうです。8ビットあれば、足りますね。因(ちな)みに日本の名字は、long int じゃ無いとダメですね。


とは書いたものの 投稿者:Lily  投稿日:07月08日(木)01時50分26秒

十二試の試験飛行は4月1日だったし(また聞きなので、今、書物ひっくり返して調べている最中)、そもそも1937年だし・・・零戦11型の制式採用は昭和15年1940年7月だし・・ヘンですね〜〜

誰がどこでどうやって決めたんでしょう? ほんとに??


確かかどうかはわかりませんが 投稿者:Lily  投稿日:07月08日(木)01時28分23秒

きのう7月6日は。。。。。1939年、零式艦上戦闘機の試作機が試験飛行をはじめた日だそうです。


RE:一進会ですが 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月07日(水)18時21分19秒

akdさん、いらっしゃいませ。

確かに「一進会」は日本の助力があったでしょう。そう言った意味では、コリア人から見れば、「日帝に荷担した売国奴」となるのでしょうが、そもそも、当時の朝鮮は会社で言えば、倒産寸前。「保護国化」にしても、「会社更生法適用」みたいなものです。自主再建は事実上、不可能と見たからこそ、一進会の指導者達は「日韓併合」に賛同したのでしょう。

それに対して、日本人の私が言うのもなんですが、朝鮮総督府や日本政府はよくやったと思いますよ。何せ、内地(日本本国)から莫大な資金を投入して、朝鮮半島を36年間も支え続けたんですから・・・そう言う意味では、感謝こそされ、恨(うら)まれる筋合いは無いと思います。

どうしても、「日帝支配」が憎(にく)いと言うのであれば、朝鮮総督府庁舎を解体したように、朝鮮半島に残っている「日帝」が建設したインフラを全て解体撤去すればいい。でも、出来ないでしょうね。何せ、日本は道路網・鉄道網・通信網・港湾・金融・農政改革と、「破綻」していた朝鮮半島で、ありとあらゆる事をしましたからね・・・ま、潰(つぶ)せる訳が無いか(笑)


RE:7月6日はゼロ戦の日、だそうな(笑) 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月07日(水)18時10分53秒

小沼航空乙参謀さん、どうも。

お昼の「おもいっきりテレビ」の「今日は何の日」コーナーで、 みのもんた先生に解説して頂きたいですね(笑)


RE:残り二十八ヵ国 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月07日(水)18時08分38秒

御楯弾正少弼さん、どうも。

台湾と国交を持っているのは、基本的に第三世界の国々ですね。台湾からすれば、一つでも多く「国交関係」を樹立したい。国交を結ぶ国からすれば、台湾からの経済援助にあやかりたい。と、両者の利害が一致しての国交関係だと思います。シナもその点を充分承知しているからこそ、非難や妨害はするけれど、本気になって、潰(つぶ)しにかからないのでしょう。

これが、日本・ドイツと言った先進諸国だったとしたら、相当、態度を硬化させて、本腰で潰しにかかろうとするでしょうね。

しかし、いい加減に台湾を認めろよ!! 「中台統一」なんて諦(あきら)めろよ!! と、シナには言いたいですね。


RE:「創氏改名」について 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月07日(水)17時59分20秒

日本の人さん、どうも。

>旧い時代の半島からの渡来人の名前は、現在のように中国名では、なかったそうです。

確かにそうですね。現に百済(くだら)末期の大臣に、「鬼室福信」と言う人物が登場しますし。(「鬼室」が姓) 昔は、李(イ)・朴(パク)・金(キム)と言った「一字姓」よりも、二文字以上からなる「複数字姓」の方が主流だったのでは、ないでしょうか?


一進会ですが 投稿者:akd  投稿日:07月07日(水)15時43分16秒

 はじめまして、少し前からこちらのページは拝見させてもらっていますが、書き込みは初めてです。
 表題の通り、日韓裏面史ー其の肆にでてくる一進会についてですが、この結社は日本が作り上げたといってもいいくらいの団体だったと思いましたが・・・。援助をされてたって話もきいたことありますし。まあ、それだけなんですけど。
 あ、そうそう。本を昨日ガッコの生協で注文しました。楽しみにまってるところです。届いたらまた書き込みますのでよろしく。
 それでは。
 日の丸には賛成。でも国歌のほうは「『スキヤキ』を国歌にしよう」論に賛成なakdでした。


「創氏改名」について 投稿者:日本の人  投稿日:07月07日(水)13時24分34秒

日韓裏面史-其の伍、読ませて頂きました。勉強になりました。

>「創氏改名」

(ふる)い時代の半島からの渡来人の名前は、現在のように中国名では、なかったそうです。つまり朝鮮人は、既にシナ人によって「創氏改名」されてしまったという話しでした。

「創氏改名」に文句があるなら、シナに文句を言えなどと思う日本の人でした。


安藤について・・ 投稿者:日本の人  投稿日:07月07日(水)10時17分00秒

「安東」と「安藤」は、文献的にどちらが古いのでしょうか? もし「安東」の方が古いなら、音借の可能性は、ないでしょうか?

蝦夷(えみし)の阿部(安部)家から“安”を持ってくるとかは、考えられます?

・・・話しは、変わるが、「?東」さんは、伊東さんぐらいしか知らないです。佐東さん、斎東さん、遠東さんっているのでしょうか? 東を使った人の出自も藤原家なのでしょうか? 知っているかた教えてください。


ありがとうございます 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:07月07日(水)07時48分02秒

御盾弾正少弼さま、情報ありがとうございます。

それにしても、島国が多いですね。また、バチカン市国が台湾と国交を持っているとは意外でした。


残り二十八ヵ国 投稿者:御楯弾正少弼  投稿日:07月07日(水)01時13分22秒

 うち(「反攻」会議室)にも書きましたが、外務省HP(http://www.mofa.go.jp/mofaj/world/kankei/o_taiw.html)によると、

トゥヴァル、ナウル、ソロモン諸島、マーシャル諸島、バチカン、マケドニア、パナマ、ドミニカ共和国、コスタ・リカ、グァテマラエル・サルヴァドル、パラグァイ、ドミニカ、ホンデュラス、ハイティ、ベリーズ、セント・ヴィンセント、セント・クリストファー・ネイヴィース、グレナダ、ニカラグァ、スワジランド、マラウイ、リベリア、ブルキナ・ファソ、ガンビア、セネガル、サントメ・プリンシペ、チャード

だそうです。

 南太平洋と中南米とアフリカ、といったところですが、「バチカン」の存在は大きい。

 ちょっと前までは南アフリカ共和国も入ってました。

http://members.xoom.com/mitate


7月6日はゼロ戦の日、だそうな(笑) 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:07月06日(火)19時35分24秒

ところで、ちょっと小耳にはさんだことですが、今日7月6日は、ゼロ戦の日だそうです。
ゼロ戦というのは、あの旧日本海軍の零式艦上戦闘機のことですよねえ? 一体誰が決めたのでしょう?(笑)
それに、何で今日(7月6日)なのでしょうか? うちにあるゼロ戦関係の本を全部引っぱり出して調べてみましたが、7月6日に、ゼロ戦に関係する出来事はありませんでしたねえ・・・(^^;


パプアニューギニア、台湾と外交関係樹立 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:07月06日(火)19時26分25秒

パプアニューギニア、台湾と外交関係樹立
【台北5日=河田卓司】
台湾の外交部(外務省)は5日、台湾が南太平洋のパプアニューギニアと同日を期して外交関係を樹立したと発表した。これで、台湾が外交関係を持つ国は29となった。
パプアニューギニアは中国と国交を結んでおり、中国が反発するのは必至だ。台湾とパプアニューギニアは、密(ひそ)かに外交関係樹立について交渉を進め、今月3日、ビル・スケート首相が外相らと共に台湾入りし、詰めの協議を行っていた。同首相は5日、蕭(しょう)万長・行政院長(首相)とも会談した。
パプアニューギニアは経済難に陥(おちい)っており、同首相に対しては国会で不信任案提出の動きも出ていた。パプアニューギニア側は、台湾の経済協力で経済回復を図る狙いと見られている。(読売新聞・7月6日国際面より)

パプアニューギニア以外の、台湾と外交関係を持つ28の国ってどこだ? そっちの方が知りたいぞ(笑)


明日は、七夕ですね。 投稿者:日本の人  投稿日:07月06日(火)12時28分32秒

どうもです。

「日の丸」「君が代」法制化、大賛成です。ついでにいうなら、「日本語」を「公用語」にしてもらっても嬉(うれ)しいです。反対する人が気持ちが解りません。

まず、「日の丸」は途轍(とてつ)も無く、美しい。ぼくが外人に生まれてきても、「日の丸」大好きなハズである。白地に赤丸。あれより美しいデザインを見たことがないです。「君が代」も最高にいいです。他国と較(くら)べてしまうのだが、他国の歌は、ちゃらちゃらしているけど、「君が代」は、厳粛で重厚で感慨深いです。

>日本は世界の笑いものになる

狙って笑われるのは、構わない。意図しないで、笑われるのは、よかないですね。道化師は、笑われる為にドジを踏む。日本は、憲法9条を盾にして、安全でない地域に自国民を出さないで、笑われる。これは、確信的に笑われている。とぼくは、判定せざる負えないので、OKです。

「お金」と「生命」の比較を政府がして、「生命」の価値に重きを置いているので、憲法9条を盾にしていると思いませんか?

決定をする人(政治家や官僚)自体は、危険な地域に行かないので、実際なら、医者などを派遣しても痛くも痒(かゆ)くもないのに、行かせないで、「お金」を出す。

ぼくは、いい政府だと思いますよ。自ら「笑い」をとってまで、自国民の生命を守るのだから・・・・

それでも、笑われるのは、忍びないと思うなら、青空さんが個人で行ってください。


RE:千代に八千代に 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月06日(火)11時13分52秒

どうしても、「日章旗」(日の丸)が国旗としてダメと言ふのならば、「旭日旗」(軍艦旗)を国旗にでもしませうか・・・笑

PS.
二日程、東京に行って来ましたが、新宿の紀伊国屋書店(3F)、池袋の東武百貨店、新宿の京王百貨店に寄った際、本が並べられている事を、この目で「確認」して参りました。でも、なんかこうして、実際に並べられているのを目にしても、今一、実感と言うものが湧きません。と言うか、今だに自分の本と言う感じがピンとこないんです・・・それにしても、この感覚は自分自身、とても不思議です・・・


コソボに人的貢献できず。 投稿者:青空  投稿日:07月06日(火)03時04分59秒

武器を使う可能性があるから。絶対に安全な場所ではないから。
上記の理由により、国連から50人程度要請されたにもかわらず、この要請を拒否した。日本国憲法の制約とはそういうこと。ちなみに、マレーシアは人を送る。
このままだと・・日本は世界の笑いものになる。医療行為すら、制約があってだめだそうです。


千代に八千代に 投稿者:不肖・高野  投稿日:07月06日(火)00時46分49秒

 国歌として「君が代」にまさる歌はありません。
 わが同志(笑)反日日本人諸君、アンタがたは平和憲法が大好きじゃろう? その一章はなんであるか。「天皇」の規定でしょう。「平和の象徴」たる皇室のいやさかえを祈るのは、わが国の平和と繁栄を念じるのと同義なのですよ。
 皇室がお嫌いか。だったら、憲法を改正して皇室を廃止するよう主張しなさい。国会議員の3分の2が皇室廃止に賛成し、国民投票の過半数によって国民から引導を渡され、顔色をなくされた天皇陛下が「退位する」とおっしゃるよう、運動を起こしなさい。
 僕はそんな運動に断固として反対する。でも、筋が通った主張だから、不本意ながら尊重せざるをえない。ただ、そんな国民運動を起こすことを面倒がり、あの手この手で難癖(なんくせ)をつけ「わしゃ嫌いじゃから歌わん」といった、学級会の小学生にも劣る腐った性根(しょうね)が大嫌いなのである。
 率直に言おう。アンタがた反日日本人は、決をとったら「君が代」「日の丸」が圧倒的多数で認められるのが重々わかっているから、それが嫌さに問題を先送りしているだけでしょうが。もし自説に自信があって「いつかはひっくり返せる」と信じているのなら、どっしり構えていればいいのです。アンタ方の主張が多数派になれば、また法を改正すればいいだけの話ですから。
 僕は「君が代」「日の丸」が心底(しんそこ)から好きだが、それ以外の国歌なり国旗が制定されればそれは仕方ない。そのときは喜んで歌おう。「嫌いなことには従わない」などというのは、25年前の小学校の学級会で卒業したからじゃ、アンタ方と違って(笑)。


kantaさんへ 投稿者:まむし連  投稿日:07月03日(土)18時38分51秒

>BANDOYとは関東地方の関八州の通称である”坂東”を指す地名であることは疑う余地がありません。
>15、16世紀にあっては、日本全体が独立国家の集合国家であったように思います。
>その頃の地図に独立国があったとしても驚くことではありません。

たしかに安藤氏をさすには時期的にどうかとは思っていましたが、1562年というと、関東は北条氏が台頭する途上でしたか、すると関東が独立国家なら北陸も東海も独立国家として書かれていないのはどうしてでしょう? ヨーロッパに情報が伝わるまでのタイムラグを考えると、もっと前の、鎌倉公方(くぼう)がまだ実力のあった頃の状況なんでしょうかね。

>ちなみに最新の考古学では、弥生(ツボケ族)が縄文(アソベ族)を武力併合したのではなく、
>縄文人が弥生以前から栽培されていた陸稲(熱帯ジャポニカ種)を使い、
>弥生人が栽培していた水田法(温帯ジャポニカ種)を営んだと考えられています。
>現在では、縄文と弥生の違いは稲作、金属器の使用にあるのではなく、
>米を貨幣、資産とみなす政治形態にあると理解されています。
>縄文人にとっては米は単なる食物の一つに過ぎませんが、
>弥生人にとっては宗教なんですね。
>こういった考えの方が教科書には載らないのでしょう。

その話、出典を教えてください。というのは、縄文に関しては、ぼくもそう思いますが、そのへんを要領よくまとめた本を探しているのです。

>秋田家系図では、長髄彦(ながすねひこ)の兄、安日(あび)王が安東浦に放逐され、これを祖としております。
>新井白石の藩翰譜では開化天皇の息子の大毘古命(おおひこのみこと)の息子、建沼河別命(たけぬかわわけのみこと)
>崇神天皇の十年、蝦夷(えぞ)征伐に来たけれど、 蝦夷が強くて困っていた、そこへ安日の子孫と名乗る
>安東(やすはる)が助っ人にやってきて蝦夷を平定、戦功により安倍の名字(みょうじ)を賜(たまわ)ったとしています。

古くは「安日長髄彦」というひとりの人間だったようですね。長髄彦は殺されているとする日本書紀に合わせたため2人に分離したものでしょう。外三郡誌には長男「安日彦」次男「建沼河別」三男「長髄彦」というバリエーションもありこの3兄弟説が最終的な発展形態でしょうか。

>江戸初期に編集された伝承 、可足記では藤原基衡(もとひら)の子、秀栄(事実なら秀衡の弟となりますが、
>記録にはないんですね)が十三(とさ)藤原氏の祖として十三湊(とさみなと)を領地していたとされています。
>秋田家系図では安東太郎貞秀が後鳥羽天皇に拝謁、「朝鮮国より献上の鷲羽両枚を桧の扇に乗せ賜(たま)う」
>とあり、大河の乱において格別の勲功を立てたことが推察されています。
>なお殺害された宇佐美に変わり、津軽地頭は北条義時が派遣され、津軽を統治します。
>伝承では、最後まで十三湊に残っていた十三藤原氏は寛喜元年(1229)
>津軽萩の平の合戦で安藤氏に攻め滅ぼされたとされています。

安藤氏の先祖は、その名字の「藤」からして十中八九、藤原氏の枝分かれでしょう。安芸(あき)の藤原か、安房(あわ)の藤原か、姓氏家系大辞典でもいまいちわかりませんでしたが。

>安藤というのは、国から免許をもらった水産加工、鍋釜製造、流通の武装総合商社
>と理解するのが正解だとおもいます。

「武装総合商社」というと、3種の蝦夷の一つ「渡党」が実は「悪党」と呼ばれる西日本の「武装総合商社」的武士団と同質のものという見解があるらしい。安藤氏は「渡党」を構成する一員だったのかも? ただ、なかなか頭の固い人もいて、通常の農村的な在地の地頭代にすぎないという人もいます。なので、海では「武装総合商社」でも、陸では工藤氏など近隣の通常の武士と同等レベルの実力しかなかったのかなあ、とも思いますが、よくわかりません。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4687/mamushi_bbs.htm


RE:君が代の君は天子でなんで悪いんだ? 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月03日(土)18時31分39秒

ごる様、お初にお目にかかります。
今後とも、『帝國電網省』並びに「喫茶室」(ここ)を、ご贔屓(ひいき)に!!

>ついでに私は皇室の政治利用は反対です。 >できれば京都にお戻りになられて、祭りごとや歌などを歌われているのがなお尊(とうと)かろうと思います。

そうですね。私も皇室の政治利用には反対です。と言うよりも、皇室が時の権力者に利用・翻弄(ほんろう)されるのは、私達一般国民の様な「私人」の自由を制限されている身分である以上、ある種「不幸」だと思うからです。又、天皇の京都還幸(かんこう)については私自身は、賛成も反対もしませんが、皇室が京都還幸を望まれるのであれば、それはそれで構わないと思います。何せ、日本は鎌倉・江戸時代と、天皇の都(京都)と、将軍の都(鎌倉・江戸)が別々の「展都」又は「分都」状態をかつて経験してきた訳ですし。又、明治以前とは違い、交通・通信網が発達しているのですから、それ程、不便でも無いと思います。更に、ごるさんの仰(おっしゃ)る通り、祭りや歌をされている方が、権力にまみれ汚れるよりも、はるかに良いと思います。と言うよりも、皇室自体を祭祀(さいし)や皇室行事等を継承する「無形文化財」又は「人間国宝」と考えれば、非常に尊い存在だと思うのですが。


RE:買いました 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月03日(土)18時20分49秒

スグルさん、お買い上げ頂きまして、有り難うございます。

ホームページ『帝國電網省』や、拙著『検定不合格 教科書になれなかった史実』は、スグルさんをはじめ、守り立てて下さっている皆さんがあってこその賜物(たまもの)です。
今後も、ご支援・ご鞭撻(べんたつ)の程(ほど)、宜しくお願い致します。


君が代の君は天子でなんで悪いんだ? 投稿者:ごる  投稿日:07月03日(土)09時39分37秒

こんにちは。
はじめまして。
盗聴法反対んとこのページから来ました。

今「君が代」とかが問題になっとるようですね。こんなことをいちいち問題にせにゃあかんことがホントアホらしい話しですね。やっぱり歴史教育に問題があるような気がします。

うちの実家ではなんか行事があるとき、たまに「庄屋さん」が来ます。そうです、江戸時代の「庄屋」をやっていた子孫の家の人です。けっこうびっくりしました。普段の付き合いはほとんどありませんし、町会議員でもなんでもない人なのですが、町会議員なんかよりよっぽどえらい人なんです。普通の人なんですけどね。

ちょっと違うけど天子さん(天皇陛下)も、この庄屋さんみたいな感じがします。正直言って今の日本の教育は頭でっかちで偽善的な人間を量産しとる気がします。じいさんのそのまたじいさんのずーと先のご先祖さんも天子さんの元で一緒に生きてきたわけで、それを今になってどうこう言っとる俺らって何様になっちまったんだろう?

ついでに私は皇室の政治利用は反対です。できれば京都にお戻りになられて、祭りごとや歌などを歌われているのがなお尊かろうと思います。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/3248/pori.htm


買いました 投稿者:スグル  投稿日:07月03日(土)00時56分42秒

今日書店で『検定不合格 教科書になれなかった史実』を買いました。
当然、まだ読み始めですが、パラパラと見た感想として、実に読みやすいと思います。中身は語りかけるような調子ですし、読み手も好感が持てると思いますよ。明日あたり学校にも申請して買わせます(笑)。

ただ、ホロコースト否定論についてはなかなか一筋縄(ひとすじなわ)では受け入れられないでしょうね。最近自分の頭は右翼より右翼思考になってしまったかもしれない、と考えている僕でも、こればかりはにわかには信じ難い事柄ですので。…というか右翼とホロコースト否定は関係無いかな。


二日ほど、留守にします 投稿者:竹下義朗  投稿日:07月02日(金)20時50分30秒

管理人の竹下です。

私用で、7/4,5と二日間、自宅を留守にします。その間はここ(喫茶室)にも来れませんし、メールの確認も出来ません。
と言う訳で、ヨロシク。。。

PS.
拙著『検定不合格 教科書になれなかった史実』は、昨日(7/1)、目出度(めでた)く、発売開始とあいなりました。(東京都内の大手書店) 東京以外では、発売開始に、1〜2週間のスパンがかかるそうですので、ご了承の程、宜しくお願いします。それでは。


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