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喫茶室 過去ログ11(2000.4.1〜4.30)

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陛下の軍歴・軍籍 投稿者:御楯弾正少弼  投稿日:04月28日(金)03時06分12秒


 竹下様、小沼様ご無沙汰しております。桧様はじめまして。

 >先帝は幼稚舎ご入学(学習院がそういう名称かどうかれた
 >わかりません)の際、少尉任官あそばされた本を見た事があったような

 昭和天皇は皇太子位につかれた後の大正元年九月九日、十一歳にして陸海軍少尉
に任官されています。明治四十三年公布の皇族身位令第十七条に「皇太子皇太孫ハ
満十年ニ達シタル後陸軍及海軍ノ武官ニ任ス」という条文がありますので、今上陛下
も昭和十八年の御誕生日以降には少尉任官の可能性があるわけですが、実際には任官
されていないのではないでしょうか。確認できていないので断言はできませんが。

http://members.xoom.com/mitate


お骨折りいただき感謝です 投稿者:桧 与平(自宅から)  投稿日:04月27日(木)22時31分25秒

 竹下閣下  244桧です。
 お調おざいますべいただき、ありがとうございました。
 桧のあやふやな記憶ですが、先帝は幼稚舎ご入学(学習院がそういう名称かどうかれた
 わかりません)の際、少尉任官あそばされた本を見た事があったような記憶がございまして
      供奉将校はともかくとして影武者がいたとは・・・
  皇室の財産がスイス銀行の隠し口座にあるとか、終戦間際イ号潜水艦が南米に3種の神器 
 を持ち出したなどいう外国紙もあるようですね。
                 略脈のない話ですみません                 交信終了致します


RE:陛下の軍歴・軍籍について教えてください 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月27日(木)21時10分32秒

桧与平さん、どうも。

>以前から気になっておったのですが、今上天皇陛下は戦時中の皇太子のみぎり
>軍籍および軍務におつきになっていたのでしょうか?

折角のご質問ですが、私自身、その辺の所を存じてはおりません・・・(面目ない)
ただ、今上陛下は、昭和8年12月23日御誕生ですから、昭和16年12月8日の対米開戦時は
7歳(誕生日が来て8歳)、昭和20年8月15日の終戦時でも11歳でした。まだ、ご幼少で
軍務(たとえ、「栄誉職」の様な形だとしても)に着かれていたとは思えません。
それに戦時中、今上陛下(当時は皇太子殿下)は疎開していましたし、警護役の陸軍将校
(だったと思います)もいました。更には「影武者」として同年代の子供迄、用意されて
いたと言う話ですよ。


陛下の軍歴・軍籍について教えてください 投稿者:桧 与平(自宅から)  投稿日:04月25日(火)23時38分18秒

 244戦隊 桧であります 博識なる竹下閣下へ
 いげ以前から気になっておったのですが、今上天皇陛下は戦時中の皇太子のみぎり
 軍籍および軍務におつきになっていたのでしょうか? 先帝は、ご幼少の頃より
 帝国陸海軍の少尉に任官 順調に昇進をへて、即位の際には、大元帥となられておりました。
 終戦間際の新聞を見ても、学習院にお通いあそばす記事はあるものの任官 及び
 軍務にお付きになった記録が無いように思いました。(桧の知る範囲でですが)
 
 もし、意図的に軍務から遠ざけていたのであれば、それは敗戦を予期した当時の宮内省や
 木戸内大臣等の深謀略慮でしょうか?  だとすれば まさにその見識たるや・・・ですね。
 今の陛下が、軍務にお付きあそばされなくとも、国民としていささかも尊敬の念が薄れる事は
 ございませんが。  (桧のあやまった知識であれば修正願います)
                                                               打電終了


総選挙をした場合後の分析 投稿者:ミルク  投稿日:04月23日(日)09時41分32秒

総選挙をした場合後の分析
総選挙をした場合、週刊新潮は自公連立勝利に懐疑的だが、
週刊文春は勝利すると予想している。
このようにどうなるかよくわからないが、
与党は自分に都合がいいときに解散できるので、
場合によっては任期終了まで総選挙せず、続けるかもしれない。
一方国民の間では、総選挙を求める声は出ず
、児童ポルノ法や盗聴法などの悪法についても現状肯定の雰囲気も多い。
このような状況では例え総選挙しても、状況がよくなるとはいえない。
こうなった原因は、政治が不信がられているからであり、
どのような政策を採ればいいのかハッキリしないからです。
当面は児ポ法・盗聴法が悪法であると呼びかけるとともに、
落選運動など、悪法を可決した自自公に反対する連合戦線を作るべきです。

http://union-jp.net/home/ysngmilk.html


けいちかさん、桧さんへ 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:04月22日(土)20時46分35秒

けいちかさん、はじめまして。

>なかじま少将以外は全部ご回答頂いているではありありませんか!!

なかじま少将?つまり、1916年(大正5年)の時点で、陸軍少将の地位にあった「なかじま」
という人のことを指しているのですか?
それならば、該当する方は、大正4年に昇進した中島正武少将になりますね。
この人は、同年にロシアに出張し、同国にいる間に少将に昇進しました。
経歴を見ると、どうもロシアに縁の深かった人のようです。


>桧さん
いえいえ、どういたしまして。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。


納得いたしました 投稿者:桧 与平(自宅から)  投稿日:04月22日(土)18時33分25秒

 小沼参謀殿
   桧でございます。 T−33の位置づけについて懇切丁寧な情報ありがとうございました。  
   小官の疑念も氷解いたしました。 いまは、亡くなったお二人の英霊に魂安らかなれと
   思うのみでございます。
     今後も、ご教導おねがいいたします。    
                                      以上 打電終了いたします。


RE:ありがとうございました。 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月21日(金)20時06分09秒

けいちかさん、どうも。

お役に立てて幸いです。
これを機会にたまには、お立ち寄り下さい(^_^)


RE:爵位 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月21日(金)20時04分22秒

まむし。さん、どうも。

>「親王」だから爵位がないのです。広い意味でいえば「親王」も爵位といえるけど…。
>公爵の上が王で、王の上が親王でしょ?

確かに皇族に「爵位」はありませんでしたね。
ただ、「爵位」ではありませんが、親王にも「格付け」があった事は確かです。
「一品」とか「二品」と言った様に、「品」(ほん)と言うのがそれです。


爵位 投稿者:まむし。  投稿日:04月21日(金)13時33分24秒

>>有栖川宮熾仁(たるひと)親王(1885年、参謀本部長に就任) 爵位は分かりません・・・

「親王」だから爵位がないのです。広い意味でいえば「親王」も爵位といえるけど…。
公爵の上が王で、王の上が親王でしょ?

>1893年「島津公」の爵位はお分かりになりますか?
>>島津忠義(鹿児島藩知事) 爵位は分かりません・・・

島津公というのは、島津公爵ということですよ。


ありがとうございました。 投稿者:けいちか  投稿日:04月20日(木)21時47分18秒

竹下様

ありがとうございます。「分かる範囲」なんておっしゃって、なかじま少将以外は
全部ご回答頂いているではありありませんか!!

いえいえ、もうこれで十分です。本当にありがとうございました。


RE:皆様のお智恵拝借したく! 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月20日(木)20時35分24秒

けいちかさん、はじめまして。

ご質問の件で、私に分かる範囲をアップしておきますので、参考にどうぞ。


1888年「プリンス有栖川」とはどなたでしょうか?爵位か何かが分かると有り難いのですが。

>有栖川宮熾仁(たるひと)親王(1885年、参謀本部長に就任) 爵位は分かりません・・・

1893年「島津公」の爵位はお分かりになりますか?

>島津忠義(鹿児島藩知事) 爵位は分かりません・・・

1896年「プリンス小松」はどなたでしょうか?

>小松宮彰仁親王

1900年「よしひと皇太子」とは?

>明宮嘉仁親王(後の大正天皇)

1916年「日本のプリンス、カン・イン」とは誰の事ですか?

>閑院宮載仁親王

1909年「日本のプリンス・なしもと」とは?

>梨本宮守正王(朝鮮李王世子垠殿下夫人方子の父君)

1916年「陸軍少尉」なかじま。。少尉でいいのでしょうか?

>まるっきり分かりません・・・


>ユニセフ 投稿者:ミルク  投稿日:04月20日(木)20時27分35秒

>ユニセフ
*今までも偽善的であることは気付いていたが、やむを得ないと思っていたが、WHOと同じく、危険
団体かもしれない。

http://union-jp.net/home/ysngmilk.html


初めまして。ミルクのページ紹介です。 投稿者:ミルク  投稿日:04月20日(木)20時24分14秒

以下のことをしています。児童ポルノ法案や盗聴法などの悪法。死刑と冤罪。漫画評論。サンライズ
著作権問題。どれみ#批判。
林輝太郎研究。本当に儲かるなら他人に教えるだろうか。儲かっているはずなのに新聞記事にない。
後藤羽矢子先生自身のカキコのあるサイトのリンクもあります。
ナチス戦犯にも時効を、大橋ツヨシ、
相互リンクしたい。この文章をみている方は誰でも応募ください。リンクしたと知らせられれば一週
間以内にリンクします。 
三野正洋研究・ティーガー重戦車は無用か? 日本の原発五十二基は多すぎる。脳死臓器移植は密室
殺人。無料プロバイダー情報。

http://union-jp.net/home/ysngmilk.html


皆様のお智恵拝借したく! 投稿者:けいちか  投稿日:04月20日(木)19時37分03秒

はじめまして。Yahooで検索をしていたら、こちらの掲示板にたどり着きました。

実は1880年頃から1917年頃までの皇室関係の方々の正しい尊称を
教えて頂きたく、こちらに書込みをさせて頂いております。というのも、
私は現在モスクワ在住で、調べようにも手許に資料がないのです。
また、今回何故このようなものを調べているかと申しますと、ロシア語からの
翻訳を依頼されまして、そこには英語で言うところの「プリンス」しかなかったり
名前が不正確であったりしているので、是非お答え宜しくお願いします。

年代は順不同ですが、分かる範囲でお答え頂ければと思います。

1888年「プリンス有栖川」とはどなたでしょうか?爵位か何かが分かると
有り難いのですが。

1893年「島津公」の爵位はお分かりになりますか?

1896年「プリンス小松」はどなたでしょうか?

1900年「よしひと皇太子」とは?

1916年「日本のプリンス、カン・イン」とは誰の事ですか?

1909年「日本のプリンス・なしもと」とは?

1916年「陸軍少尉」なかじま。。少尉でいいのでしょうか?

以上、お分かりになりましたら、お返事いただきたく、宜しくお願いします。


解説 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:04月18日(火)13時20分19秒

桧さま、こんにちは。

T-33練習機の件についてちょっと解説させていただきますと、確かにこの飛行機は、第二次大戦
末期に設計されたアメリカ初のジェット戦闘機・P-80シューティングスターを練習機化したもの
であり、航空自衛隊でも創設以来長年に渡り、パイロット養成に使用してきましたが、公式的に
は、とうに退役していることになっており、もはや練習機部隊では使われておりません。

では墜落した機体は何だったのかと言うと、いわば「員数外」とでもいうべき機体でした。
確かに、練習機部隊からは姿を消しましたが、編成表には載らない各部隊の連絡飛行用として
少数が残されておりました。この手の機体には、最新の機体、例えばT-4練習機などが当てら
れるということはなく、たいていは古い飛行機で間に合わせることになります。
さらには、この手の機体に乗る人は、殉職した方もそうですが、ある程度歳を取ったベテラン
つまり、昔はパイロットだったが今は昇進して管理職になっている人が多いので、そういう人
にとっては、かつてパイロットの卵だった頃に乗ったT-33の方が、最新のT-4よりもかえって
操縦しやすいという事もあったのでしょう。

あと、日本の航空機生産能力は、その年に新造航空機の調達が何機認められたかによって左右
されるので、そんなに大量に生産できるほどの設備は整えられていません。
航空自衛隊の主力戦闘機・F-15Jを例に取れば、一ヶ月あたり一機という生産ペースでした。
他の機体も、似たり寄ったりです。


赤トンボ 投稿者:桧 与平  投稿日:04月18日(火)12時46分24秒

 
 竹下閣下  244 桧でございます。
 ご丁寧な返電恐縮です。  私も管理者殿の分かりやすい事例に異を唱えるものでは
 ございません。 発動機異常で、墜死した責の大半は整備隊にあると思います。
 しかし 桧があえて意見具申させていただきたいのは、整備の対象になった機体についてで
 あります。 かのロ式T−33は すでに朝鮮戦争時代にセイバーに主役を交代した老兵です。
 その様な老兵を だましだまし使っているわが国軍全体のご苦労を考えます。(保守部品の調達も
 楽ではありますまい) 新鋭練習機(申し訳ありません 機種が分かりません)であれば この様な
 痛ましい事故は起きなかったのでは、と思う次第です。新鋭機ならば事故発生の確率もずいぶん
 違っていたのではないかと・・・  今は平成不況の最中とはいえ 昭和19〜20年ごろの
 生産能力では無いはず。 これも 自衛隊に対する不当な扱いが、間接的にご両名を殉職に
 追いやった原因のひとつと桧は考えます。 T−33は、現代の赤トンボではないでしょうか?
 赤トンボでも、ちゃんと整備すべきでしょうが そんな老朽機に搭乗せざる得なかった我が国
 の国防政策は何なのでしょう  仮想敵国 北韓がミグ19をまだ使っているから まだいいと
 でも思ったのかな?

  すみません しつこい話しになりまして。 この話は、今回限りとさせていただきます。
                                                          打電終了いたします。


RE:整備に当たる強者は 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月17日(月)18時43分33秒

桧与平さん、どうも。

>しかしながら竹下閣下のご意見に、反論をさせていただきたく打電いたします。

どうやら、私の言葉が足らなかった様です。

>例の自衛隊機墜落事故でのマスコミ報道には、私も憤慨していました。
>大停電がどうのとか何とか言っていますが、そもそも、あの事故は操縦ミスではありません。
>機体のトラブル(エンジン)が主原因でしたよね。だとすれば、機体を整備していた整備士に
>「糾弾」の矛先が向いても良い筈です。しかし、実際には、トラブルを抱えていた機体を操縦
>した彼らに、その矛先が向けられました。これは、どう見ても納得がいきません。

上記は私の書込の抜粋ですが、ここで言いたかった事は、決して整備士の糾弾ではありません。
左翼・マスコミが操縦士に糾弾の矛先を向けた事について、操縦ミスで無いのならば、何で操縦
士ではなく、機体の整備を担当していた整備士に向けなかったのか?と言う意味です。

もっと身近な所で言うと、車検から戻ってきた車を運転していた人が、ハンドルが効かなくなっ
たとします。と目の前には小学生の列・・・。運転手はコントロールがままならない自動車を必
死で運転して何とか小学生の列につっこまなくて済みました。しかし、その結果、停車中の無人
の自動車に衝突。運転手は死亡してしまいました。後日、調査してみると、車検の際の整備ミス
が原因だったとの事・・・。

もし、こんな事故があったとしたら、停車中に衝突された自動車の持ち主は、どう思うでしょう。
確かに、衝突事故を起こした運転手に過失があるでしょうが、そもそも、その自動車の整備ミス
さえ無ければ、事故も起きずに、運転手も死なずに済んだ・・・。とすれば、一番咎められるの
は、死んだ運転手ではなく、整備ミスを犯した整備士と言う事になります。

しかし、マスコミは、整備ミスを犯した整備士ではなく、死んだ運転手に全面的過失があったと
報道した・・・。

ざっとこんな感じです。どうでしょうか。やっぱり変ではないでしょうか? 私が言いたかった
事もこれと同じです。マスコミの報道の偏向を指摘した訳です。

桧さんをはじめ、誤解をなされた方がおありでしたら、私の発言の趣旨は上記に書いた通りです
ので、改めて表明させて頂きます。


整備に当たる強者は 投稿者:桧 与平  投稿日:04月17日(月)13時19分02秒

 竹下閣下 244桧でございます。
 小官の入間の軍神の件では、かくも多くの返電あり感激しております。
 しかしながら竹下閣下のご意見に、反論をさせていただきたく打電いたします。

  かの入間基地所属のロッキードT-33練習機のエンジントラブルについて、整備兵にその責あり
 とご指摘されていたと思われます。  おそらくは事故発生後、整備隊に対しては警察・内部
 警務隊その他の監査・取り調べがあり場合によっては厳しい処断も行われたかと思います。
 (これは未確認ですが)  しかし 問い調べがあった無しにかかわらず、殉職した搭乗員の
 ご家族の次に沈痛な思いに苛まれているのが、整備兵ではないかと拝察いたします。
 (我が平成の国軍の団結を思えば当然の帰結と思います)
 小官が、最も憤りを感じているのは自衛隊が事故を起こした事に小躍りし鬼の首を取ったような
 報道をしたマスコミもさることながら、初進空以来45年たった老朽機を使わざる得なかった
 我が国の国防政策にあります。 45年ですよ! その老朽機を駆って最後の回避処置を行った
 2人の英霊 部隊葬の際には両方のご家族は気丈にも、周辺住民の皆さまにご迷惑をお掛けした
 事を述べられていたそうです・・・
  話は戻りますが川崎重工で定期点検は行っていたようです。しかし金属疲労等、不可抗力の
 故障が発生してもおかしくは無かったと思います。
  加藤隼戦闘隊 隊歌に ♪整備に当たる強者が・・の一節がございます
 (これは戦後新たに挿入され歌詞とおもわれますが) 
  どうか、同じ釜の飯を食って機体と笑いそして泣いている整備兵に、訴追の無きことを
  お願いいたします。    244 桧 打電終了


訂正 投稿者:野良黒  投稿日:04月16日(日)22時28分06秒

検索アドレスは http://www.excite.co.jp が正解です。すみませんでした。

それと、安易な新聞記事の切り抜き投稿は、掲示板らしくないな、と自分でも思いましたので
今後は慎みます。大変失礼しました。

今後は憲法改正論議が出てくるのかも知れませんが、それとともに国としてのプライドも取り
戻して欲しいと思います。


憲法制定過程について 投稿者:野良黒  投稿日:04月16日(日)21時56分50秒

4月13日のトピックスです。坂口安吾のエッセーについてニュースを検索した時に見つけた
ものですが、注目しておきたいところです。

参院憲法調査会がGHQ担当者招き、憲法制定過程聴取 
 参院憲法調査会(村上正邦会長)は十三日の運営検討委員会で、五月二日に、現行憲法の草案
作成に関与した連合国軍総司令部(GHQ)のスタッフを参考人として招き、憲法制定過程の実
情を聴取することを決めた。
 招くのは、ミルトン・エスマン・コーネル大名誉教授、ベアテ・シロタ・ゴードン氏、リチャ
ード・プール氏の米国人三人。いずれもGHQが憲法草案を十日ほどで作成した一九四六年当
時、GHQ民政局に勤務していた。草案作成の担当分野は、エスマン氏が行政権、ゴードン氏が
女性の権利を中心とする人権、プール氏が天皇制で、三人とも当時は二十歳代だった。
 参院憲法調査会は、「憲法作成に携わった生き証人の貴重な証言を国会の議事録にとどめてお
きたい」(事務局)としている。当日は、多数の傍聴希望に対応できるように、傍聴席を増やす
予定だ。(4月13日19:54)
 今日、http://www.exdite.co.jp で検索ができました。検索字句は「GHQ」です。


RE:「特攻隊に捧ぐ」 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月16日(日)20時55分18秒

野良黒さん、どうも。

坂口安吾のエッセー「特攻隊に捧ぐ」の記事は、私の購読している地方紙にも、今日、掲載され
ていましたので、今朝、読みました。

しかし、GHQの検閲や新聞統制は、戦前の言論統制と、一体何処が違うのでしょうか? やって
いる事は同じなのに、かたや「軍国主義」と言い、かたや「民主主義」と言う。アメリカだから、
「民主主義」と言うのは、余りにも短絡過ぎです。同様に、戦勝国だから「正義」、敗戦国だから
「悪」と言う論理からも、そろそろ日本国民(大多数の)は抜け出さなくてはなりませんね。


RE:竹下さんへ。 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月16日(日)20時47分55秒

ihaさん、どうも。

>どうもありがとうございました。

いえいえ、大した事をした訳でもありませんし・・・。
それにアドバイスも月並みなものですし・・・。
何か私こそ恐縮しちゃいます・・・。


追伸 投稿者:野良黒  投稿日:04月16日(日)00時45分44秒

「特攻隊に捧ぐ」のエッセーは、25日発売の「坂口安吾全集」第16巻に収録されるようで
す。出版直前の発見という事で、タイミングが良すぎると言えば言えなくもないですが、それよ
りもエッセーの中身が重要だと思います。


「特攻隊に捧ぐ」 投稿者:野良黒  投稿日:04月16日(日)00時40分26秒

いずれ皆さんの耳にも入ると思いますが、坂口安吾のエッセー「特攻隊に捧ぐ」が発見されまし
た。これは坂口氏が戦後間もなく発表しようとしてGHQの検閲で全文削除になった、特攻隊を
擁護するエッセーです。エッセーは四百字詰め原稿用紙8枚ほどの文章で、GHQの膨大な検閲
資料を集めた米国の「プランゲ文庫」に残されていたようです。昭和48年3月に雑誌ホープに
掲載予定だったものです。執筆は46年4月の「堕落論」発表前後と推定されています。
坂口氏はこのエッセーで「近頃では殉国の特攻隊員など一向にはやらなくなつてしまつたが、か
う一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべき」とした上で、特攻隊員の心情に思いを馳せ、
その「無償の行為」が人間の「至高の姿」である事を強調しており、特攻隊の「愛国殉国の精
神」を認めて「私は戦争を最も呪ふ。だが、特攻隊を永遠に讃美する」と擁護し、戦争と「軍の
積悪」を否定するが、それとは別として特攻隊を肯定しているようです。
文中には「人は特攻隊を残酷だといふが、残酷なのは戦争自体」「日本軍の作戦の幼稚さは言語
道断」「所詮兵隊は人間ではなく人形なのだ」の言葉もあるそうです。削除の理由は「軍国主義
的」であるからとされています。(以上、大分合同新聞4/15夕刊1面記事より要約) 
        
 私は、この記事を読み、不覚にも涙が滲んでしまいました。現在、日本を見直す動きもあるよ
うですし、同時に戦後のGHQの真の姿も、その真意とともに浮き彫りにされつつあるように思
います。子供達に先祖の崇高な精神を受け継いでゆくのは、現代に生きる私達の努めでもありま
すが、また私達自身もしっかりしなければと思います。


竹下さんへ。 投稿者:iha  投稿日:04月15日(土)22時43分23秒

どうもありがとうございました。
って、メールでも送ってもらえて、本当に嬉しいです(涙)(笑)
じゃあ、世界史の授業の時にそう言っておきますね(笑)
ホント、ありがとうございました。
では。。。


RE:ばかマスコミ 投稿者:鷹の眼  投稿日:04月15日(土)21時43分05秒

朝日新聞系のテレビ朝日の看板番組「ニュース・ステーション」での石原都知事発言に関する
報道で、不遜キャスターの久米宏が、「知事に抗議する声が全国に広がり始めています」と
発言しました。 なんとなく聞き流してしまいそうなコメントなんですが、これは明らかに
作為的な発言。 何の根拠があって朝日は簡単にそのような断定した報道をするのか?
自分たちが全国に広げつつあることを、このように受身で発言することで、世論であると
すりかえてしまう手法は、マスコミとして不見識且つ危険な兆候です。世論操作以外の何物
でもないと思いますよ。

もう正体はばれているのだから、社会の木鐸のふりなどやめなさいといいたいですね。
朝日も久米も。


外務省に抗議のメールを!! 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月15日(土)20時00分36秒

現在、来日中のダライ・ラマ14世に対して、外務省が日本への入国許可を与えるに当たり、
「石原・東京都知事と会談すれば、今後、二度と査証を発給しない」と強く警告(要は圧力)
していた事が、昨日、発覚しました。

「独立チベット」の最高指導者であるダライ・ラマ14世が、日本で誰と会おうと、それは自由
な筈。まして、麻原彰晃と会う訳でもあるまいし、相手は、選挙で都民によって選ばれた東京
都知事。「民主主義」と「言論の自由」を「保障」している筈の我国の、しかもよりにもよって
外務省が、犯罪者でも何でも無いダライ・ラマ14世に対して、「行動の自由」・「言論の自由」
を制限しようとは、何たる事か。

北京の老人達の顔色ばかり伺い、日本の国益(国家としての尊厳)を損なう様な行動を取る外務
省は、半世紀前、「真珠湾奇襲」の汚名を受ける原因を作った国賊と何ら変わっていない様に思
う。

ついては、下記に外務省のメールアドレスを掲載しますので、抗議のメールをお送り下さります
様、皆さんにお願いするものです。

mailto:kokunaikoho@mofa.go.jp


RE:世界史の質問。 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月15日(土)19時44分28秒

ihaさん、こん○○は。

>内容は、「ネーデルラントが何故ネーデルランドと呼ばれないのか?」です。

それって、単に現地での(オランダ語の)発音の問題では無いでしょうか?
(オランダの正式名称は、「ネーデルラント」です)
「ランド」って言うのは、英語系の発音でしょ?
(オランダの英語発音は、「ネザーランド」)
ドイツにしても、スイスにしても、現地の発音では、「○○ラント」って言いますよ。


RE:ばかマスコミ 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月15日(土)19時35分03秒

白足袋宰相・吉田茂いわく、

「何言ってやがるんだ!!」
「新聞記者ごときが!!」
「何も分からない癖にガチャガチャ言いやがって!!」
「バカヤロウ!!」

その程度のものでしょ(笑)


世界史の質問。 投稿者:iha  投稿日:04月15日(土)19時32分09秒

はじめまして。
今日世界史の授業で調べてこい、と言われた事があるのですが、
web上結構探して・・・見付かりませんでした(涙)
だから、もし答えてもらえる方があれば、
掲示板かメールで答えていただけないでしょうか?
お願いします。

内容は、「ネーデルラントが何故ネーデルランドと呼ばれないのか?」です。

もし知ってる方があれば、教えて頂けないでしょうか?
返信待ってます。
では。。。


ばかマスコミ 投稿者:八神邦建  投稿日:04月15日(土)17時45分19秒

 ばかマスコミは、ほんとのことや、すばらしいことを言う
人間を攻撃し、ひきずり落とそうとするものです。
 私がかつて電話で応対した某大手新聞の記者など、ひどい
ものでした。「取材依頼」(つまり、こっちがお願いされる側)
なのに、「載せてやるから取材させろ、いいな」っていう態度
でした。もちろん、はっきりことわってやりました。
 すべての記者がそうだとは思いませんが、多くの記者たち
が、そういった愚劣な心根で、取材対象に接しているのは、
残念な事実として、よく知られております。
 彼らは、テレビ局のキャスターやプロデューサー連中の
ように、民衆の味方面をしながら、実は民衆をばかにし、
真実の情報を伝える義務と責任があるとも思わず、会社
の社名で仕事をしている「情報チンピラ」にすぎません。
 マスコミが「大衆」とともにあるなんて、彼らは爪の
垢ほども思ってはいません。むしろ「大衆の上に立って、
教えさとし導く、おえらいもの」と勘違いし、尊大に
振舞っているものどもです。
 自分の給料や地位昇進だけを最高の価値とする人間
どもに、わが身を犠牲にして、大惨事を回避した英雄
的行為の自衛官の真実が、わかるはずもありません。


RE:海ゆかば 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月14日(金)20時00分41秒

皆さん、どうも。

例の自衛隊機墜落事故でのマスコミ報道には、私も憤慨していました。
大停電がどうのとか何とか言っていますが、そもそも、あの事故は操縦ミスではありません。
機体のトラブル(エンジン)が主原因でしたよね。だとすれば、機体を整備していた整備士に
「糾弾」の矛先が向いても良い筈です。しかし、実際には、トラブルを抱えていた機体を操縦
した彼らに、その矛先が向けられました。これは、どう見ても納得がいきません。違うでしょ
うか? 更に、彼らは自分達の搭乗する機体に緊急事態が起こった事を知り、それが自分達の
生命を危険にさらしている事を十分承知の上で回避行動を取り、住宅街への墜落と言う最悪の
事態を阻止しました。その結果が、彼ら二人の「死」です。彼らが脱出しようとすれば、いく
らでも出来ました。現に、かつての米軍機墜落事故の際に、パイロットは脱出しました。そして、
その機体は住宅へ墜落し人的被害を起こしました。

以上の様に考えると、「死」と引き替えに、住宅街への墜落と言う最悪の事態を阻止した彼らに
敬意を払いこそすれ、糾弾する等、以ての外です。それを糾弾して止まなかったマスコミこそ、
糾弾されるべきでは無いでしょうか?


石原「三国人」発言について 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月14日(金)19時49分27秒

例の「三国人」発言に対するマスコミの過剰な反応は、そもそも、共同通信の報道が発端との事。
石原都知事は「(日本に不法に入国し、日本に不法に在留している)三国人(=外国人)」と言
った発言をした訳ですが、マスコミ報道では、何故か、括弧内の最も重要な部分がカットされて
いました。報道し忘れたのなら、「誰しもミスがあるもの」で勘弁も出来ますが、もし、故意に
カットしたのならば、「確信犯」として、マスコミを糾弾すべきです。

今回の「三国人」は石原都知事も、「第三国人」の略で、外国人と同義で使用したと言っており、
決して、シナ人を「ちゃんころ」等と言う様な、明らかに「差別用語」と断定出来るものではあ
りません。要は、「三国人」と言う語を第三者がどう解釈するかで、どうにでも解釈出来ると言
ったレベルの話だと思います。

しかし、一独立主権国家にも匹敵する人口・経済力・政治的影響力を持つ「東京都」の最高指導
者である「東京都知事」が、不測の事態において都民の安全が守られる様に、と言った趣旨で発
言したにも関わらず、「三国人」の一語をもって、都知事を攻撃するとは、マスコミの「揚げ足
蒲鉾」ぶりが、よく分かると言うものです。

PS.葉月雷神さま

>追伸:管理者様、ここは歴史のページでしたよね。これじゃマスコミ批判ですね・・・。
>すみません。もう少し勉強してまともな論がうてるようにがんばります。

そんな事ありませんよ。「歴史」は、政治や世相も包含するものですから、気にしないで下さい。


マスコミに対して 投稿者:葉月雷神  投稿日:04月14日(金)19時09分10秒

管理者様、その他各位様、お久しぶりです。
(初めての方には、はじめましてですね。)

ここしばらくの間、ネットにアクセスしておりませんでしたので
ご無沙汰して申し訳ありませんでした。

マスコミに対して思う事がある故、久しぶりに書き込みさせていただきます。

石原都知事の発言に対して、相変わらず異常なまでのマスコミの反応には閉口
してしまいますが、彼ら(特に朝日や毎日を中心に)言葉遊びでもしているかのように
感じられます。この国には禁忌である単語が多すぎると感じます。
 確かに適切かどうかと言われれば、「適切だ」とまでは思いませんが
それにしても自分の治める東京にの治安を気に掛けて発言したことに対しての
意味合いは殆ど無視されるか、あるいは論点をずらされ、こんな言葉を使う政治家は
(私には各社の過剰反応がそう受け取れた)といった論調で批判を繰り返し、
挙句の果てに辞めろとくる。

私は断片的にしかマスコミの歴史を知りませんが、戦前戦後通してマスコミが
まるで「噂を周りにばら撒く」程度の事しかしてきていないような気がしてなりません。
中にはきちんとしたマスコミも居るとおもいますけど、彼らの存在が霞むほどに今も昔も
日本のマスコミは劣悪なものだと思います。

追伸:管理者様、ここは歴史のページでしたよね。これじゃマスコミ批判ですね・・・。
すみません。もう少し勉強してまともな論がうてるようにがんばります。


すいません、ミスです 投稿者:大和撫子  投稿日:04月14日(金)14時13分23秒

↓下の文末の最後の一行「考えられないような」 はミスです。申し訳ございませんでした。
削除してください。


自衛隊の皆様、私たち日本国民をおまもりください 投稿者:大和撫子  投稿日:04月14日(金)14時07分45秒

なんというすばらしい方たちがいたものでしょうか!自衛隊の方たちは自分たちの命
とひきかえに私たちの安全をまもってくださったのですね。涙があふれてとまりません。

それにしてもマスコミのかたよった報道には本当にあきれてしまいます。一体誰が私たちの
安全のために日々危険と隣り合わせの任務についてくださっているのか考えたことが
あるのでしょうか?石原知事の発言に対しても、一部のマスコミは言葉の曲解としか考えられ
ないようなことをいって石原知事を失脚させようとしています。石原知事は三国人という言葉を
在日朝鮮韓国人の意味で使っているのではないとはっきりおっしゃっているのに、なぜマスコミは
わざと大騒ぎをするのでしょうか。知事は災害がおきた時、日本に不法入国している外国人から
日本国民をまもってほしいと自衛隊の方たちにおっしゃっただけなのに。これはあたりまえの
ことではないですか。一体誰が私たちをまもってくれますか?アメリカ軍が自分の命と
ひきかえに私たちをまもってくれるとでも思っているんでしょうか。あたりまえのことを
言っただけなのにこれほど大騒ぎする一部の人たちの気が知れません。また、国のまもりを
外国の軍隊にまかせ自衛隊はいらないなどと言う人はどうかしているとしか思えません。

私たちが平和で安全な暮らしができるのも、私たちのために日々働いてくれている自衛隊の
方たちのおかげであると思います。自衛隊の方たちに最高の敬意を払いたいです。

考えられないような


本当だよね 投稿者:いしやん  投稿日:04月14日(金)00時27分03秒

本当だよね。あの自己の際、マスコミは「どうして大惨事にならなかったのか」という事は殆ど
(あるいは一切)報道しませんでした。彼ら自衛隊員たち(だけでは)有りませんがは、緊急時
においては、我々一般市民の為に自己犠牲を厭う事の出来ない立場にある方々です。そのような
方々の勇気ある行動を、我々市民が誉め称えなくてどうするのでしょう?。
マスコミの猛省を期待していますよ。今もあの時も。


驚きました 投稿者:野良黒  投稿日:04月13日(木)21時20分56秒

桧様
そんな事があったとは露知らず・・・神風特攻隊に通じる精神を、現代に体現する人物が
いたとは・・・。両名のご冥福を祈ります。


海ゆかば 投稿者:桧 与平  投稿日:04月13日(木)16時19分43秒

 陸軍244戦隊 桧でございます。
  すでに このコーナーで取り上げられた話題ならお許しください。
 昨年11月23日に 埼玉県入間基地で起こったTー33練習機による飛行技量維持訓練中の
 事故についてでございます。 中川大佐 門屋中佐(いずれも殉職後昇進)の死の直前に
 取った態度は、敗戦後 警察予備隊をへて隠忍侍従 自己犠牲につらぬかれた 今日自衛隊と
 呼ばれる栄えある国軍諸氏の我が国民に対する態度が、現れた行為だと思います。
 いずれも飛行時間2000時間を超える 技量甲の操縦員です。 
 機に異変あらば、即脱出などは出来たはず。  両名は、生還の時間と引き換えに
 基地周辺の住民の安全を選択したのです。 我が国のマスコミは 停電 一歩間違えば
 大惨事 との論調でしか報道しませんでした。 
 この両名の行動は、平成の軍神に値するものと桧は思っています。  いつか どこかでこの事を
 ずっと申し上げたいと思っておりました。
  繰り返しになりますが、以前取り上げられた話題でございましたら伏してお詫び申し上げます。
  2名の軍神の魂帰る事を祈念しつつ打電終了いたします。
                                             桧 与平


RE:紫禁城を戦火から護った日本人と満州族のために戦った王女 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月11日(火)20時40分01秒

大和撫子さま

貴重なお話有り難うございました。(過去ログには、適宜、改行を入れて収録致しました)

それにしても、こう言った話が歴史教科書に取り上げられない事自体、非常に残念で仕方あり
ません。私が「歴史再考」で取り上げた満州国(愛新覚羅溥儀)や蒙古自治邦(徳王)等は、
本来、教科書でこそ教えるべき事です。それがなおざりにされている現状こそ、憂慮すべき事
ですね。

>日本の敗戦で芳子は国民党に逮捕され漢奸(民族の裏切り者)という罪で裁判にかけられ、1948年に
>銃殺されてしまいました。芳子は漢民族ではありません。満州族です。

そうですね。満州人である彼女に対して「漢奸」とは、正に笑止です。しかし、重大な事は、半世紀も
経った現在もこの論理をシナ人は捨てていないと言う事実です。チベット人であるダライ・ラマ14世し
かり、台湾人である李登輝、陳水扁しかり、ウイグル人であるウーアルカイシしかり・・・。そもそも、
民族学的には虚構である「漢民族」の裏切り者(漢奸)等と言う言葉自体、パラノイアである訳ですし、
民族も言語も文化も多種多様なシナ構成人種を一括りにして「中国人」と言い張る事自体、トンデモ
無い奴らですね。しかし、その論理を信じ、「中国」に肩入れする阿呆な日本人がいると言う事実。
同じ日本人ながら、そんな日本人とは一緒にされたくないものです。


紫禁城を戦火から護った日本人と満州族のために戦った王女 投稿者:大和撫子  投稿日:04月11日(火)19時02分59秒


はじめまして、「歴史再考」楽しく読ませていただきました。とくに愛新覚羅溥儀と徳王に関する
ページはとても興味深かったです。本当に中国政府は満州も蒙古もチベットも自分の領土だなどと
主張して何様のつもりなんでしょうか。そこに住む満州族や蒙古族やチベット族の人たちはどんな
にひどい弾圧を受けてきたか、どうして今まで報道されてこなかったんでしょうか。


私はここである人物のことを思い出していました。それが題にかいた紫禁城を護った日本人と満州
族のために戦った王女のことです。日本人とは川島浪速、そして王女とは川島の養女になった清朝
王女川島芳子こと愛新覚羅顕シ[王+子]姫です。
川島浪速は日本軍の通訳官として義和団事件の八カ国連合軍に従軍、この時英独などの西欧軍は紫
禁城を包囲し中に立てこもる清軍を紫禁城もろとも焼き払おうとしました。川島はこのままでは紫
禁城が円明園のように破壊されてしまうと考え、上官に自分を交渉役にするよう訴え、単身たてこ
もる清軍のところへ乗り込みろう城の不利を説き、ついに城門を開かせたのでした。そのため清の
皇族たちは川島に大いに感服し、とくに八大世襲王家の筆頭肅親王は川島と義兄弟の契りを結んだ
ほどでした。清は入城した日本軍が軍紀正しく優秀なのをみて、ぜひ日本の警察制度を取り入れて
北京の治安を守りたいと考え、初めて近代的な警察学校を設立されたました。川島はその校長とな
り中国の警察制度設立に大いに貢献したのでした。

さて、辛亥革命で清朝が滅びると、肅親王はこのままでは清朝の祖先発祥の地満州が中国に併呑さ
れてしまうと恐れ、ひとまず日本を頼って旅順に亡命し、日本の力をかりて祖国を独立させようと
しました。肅親王と義兄弟の川島、そして蒙古を独立させようとしていた蒙古王族パプチャップは
日本政府の援助のもと満蒙独立運動をおこし挙兵しました。ところが突然日本政府が方針を変更し
て援助を打ち切ってしまったため挙兵は失敗に終わりました。

このころ肅親王は自分の第十四王女を川島の養女にして日本で教育させることにしました。この王
女が川島芳子となるわけです。芳子は幼いときから二人の父親の意思を継ぎ満州を独立させ満州の
民を幸福にしたいと考えるようになりました。そのころ満州族は今まで支配していた漢民族に逆に
差別され満州族という隠して暮らさねばなりませんでした。清朝の陵墓は国民党によってあばかれ、
満州の領地は軍閥たちに荒らされ、人民は大変苦しめられていたのです。
芳子は満州の人民を救うために女を捨てて戦う決心をし、長い髪を切って男装しました。そして満
州国建設のため日本と協力し、溥儀の皇帝復位のために奔走しました。ある時は諜報活動に従事し
「東洋のマタ・ハリ」とよばれ、またある時は自ら軍を率いて匪賊討伐に出陣し「東洋のジャンヌ
ダルク」とよばれて活躍しました。

しかし日本の敗戦で芳子は国民党に逮捕され漢奸(民族の裏切り者)という罪で裁判にかけられ、
1948年に銃殺されてしまいました。芳子は漢民族ではありません。満州族です。その彼女が祖国の
独立のため日本に協力したとしてどうして漢奸にされてしまうのでしょうか。しかも裁判ではなん
らスパイ活動を証明する物的証拠はありませんでした。これはあきらかに日本協力者の見せしめ処
刑でした。
その後も中国側は芳子のことを日本の手先だとか妖婦淫婦だとかひどいことを言いつづけています。
まったく悔しくてなりません。しかもそれを多くの日本人まで信じてしまっています。たしかに彼
女はちょっと変わった性格の持ち主で男性関係も派手でしたが、彼女は本当にアジアの平和を願っ
いたのです。それを多くの人が極悪人だとか希代の悪女だとか誤解しているのは悲しくてなりませ
ん。どうか川島芳子のことを再考してほしいです。

つい感情的になって長い文を書いてしまいましたが、これで失礼します。


面目ない。 投稿者:小沼航空乙参謀  投稿日:04月05日(水)21時42分32秒

皆様、こんばんは。

>批判&反論するのは結構ですが、相手側に対する礼儀とある程度の尊敬の念を以って言葉を
>選ぶようにしてください。これは、ちょっと前の小沼殿にも言える事です。

いや、まったくもっておっしゃるとおりですね。面目ない。
以後、気を付けます。

>管理者の竹下閣下 小沼参謀にもあわせてお詫びいたします。

ワシも人のことは言えません。


>五式戦は、技術的後退の産物なのでしょうか?

いしやんさんも述べておられる通り、戦闘機、というか兵器というモノは、いくらカタログ上の
データが優れていても、実戦で使いものにならなければ意味はないです。
あと、量産性が低くてもお話になりません。
この点において、三式戦「飛燕」はもとより、あの四式戦「疾風」も落第生と言えるでしょう。
ですから五式戦は、当時の日本の貧弱な工業力という実状にマッチした、実質的な日本陸軍
最優秀戦闘機と言っても良い機体だったと思いますよ。
航空マニアの間では、「飛燕」や「疾風」の方が人気が高いようですが。

それと、五式戦が三式戦に劣っているのは水平最大速度のみと言って良く、あとは軒並み
飛燕と同等、もしくは上回っており、あのP-51マスタングとも互角に戦えたそうです。
特に、上昇性能と降下性能が優れておりました。まあこの辺は、データ上にはほとんど
現れない数値ですが。
「五式戦1機は四式戦3機以上の価値がある」と評した陸軍パイロットもいるくらいです。

ただ、主任設計技師の土井武夫氏は、戦後、「しかし、キ61には液例エンジンが最適だった」
と言っていたそうです。まあ、液例エンジンを搭載するつもりで機体を設計したのですから
当然ですが。更には、飛燕のエンジンは機体と同じく川崎航空機製ですから、「身内」を
悪く言うわけにもいかなかったのでしょう。


RE:改名しました 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月05日(水)19時39分34秒

桧与平さま

改名の件、諒解しました。
又、当掲示板のご主旨をご理解頂きまして、有り難うございます。


五式戦 投稿者:いしやん  投稿日:04月05日(水)19時00分41秒

To:桧殿
おお、桧与平とは、あの義足の撃墜王、檜氏からの銘々ですね。渋い!。
五式戦は、技術的な後退と言うよりは当時の日本の量産技術では品質を管理できないエンジンを
積んだ三式戦の勇み足であるといしやんは認識しています。だって、技術的には五式戦が三式戦
に代わって1943年に実戦参加出来たのですから。もしそうだったら、F4UやF6Fに苦戦
した陸軍航空隊のパイロットたちも、もっと善戦できたでしょうに。陸軍の航空行政上の失策で
すね。


ある説(続) 投稿者:八神邦建  投稿日:04月05日(水)14時00分52秒

 あるいは、詔書発表の寸前に、GHQから強圧的に「改ざん指令」が
でて、やむなくあの部分を追記せざるをえなかったと考えても、おか
しくはないだろう。


ある説 投稿者:八神邦建  投稿日:04月05日(水)13時57分58秒

 ある人が、「人間宣言」についてこう語っている。
「あの詔書の、問題の部分をよく読みなさい。そこだけ、
全体の文章の香気と異質なものがある。あの部分だけ、
無断でなにものかが改ざんしたか、挿入した可能性を
否定しきれない」
 戦後のどさくさで憲法まででっちあげられた時期のこと
である。「やられた」可能性はたしかにある。


改名しました 投稿者:猫殺し改め桧 与平  投稿日:04月05日(水)11時58分50秒

 前 略
 管理人殿 猫ごろしなどというおぞましいHNを改め 桧 与平と名乗らせていただきます
 ネットであれば複数人格での参加も可なれど 本サロンの設立主旨である紳士の行いに
 あるまじき事と判断いたし 改名させていただきます。
  五式戦は、技術的後退の産物なのでしょうか?


RE:深く反省いたします 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月04日(火)11時19分57秒

猫ころし殿

>新参者なのに、みなさまの大切なURLをかき回してしまった事をお詫び申し上げます。
>管理者の竹下閣下 小沼参謀にもあわせてお詫びいたします。

誰にでも過ちはあるものです(当然、私もです)。
その過ちを認めた上で事後に当たれば、それはその人にとって、大きな「糧」(かて)となります。
いしやんさんの書込にもありましたが、

>相手側に対する礼儀とある程度の尊敬の念を以って言葉を選ぶようにしてください。

の通り、年齢(年長者・若輩者)や地位(社会的・政治的等)に関係なく、お互いに
「ジェントルマン」(紳士)でありたいものです。

当掲示板は、その名称を「喫茶室」(サロン)と申します。この名称には、単なる掲示板の域を
越えて、ここに集う皆さんが「紳士的に発言を楽しむ」と言った思いも込められています。個々の
意見や見解の相違があるのは、百人百葉、あるのは至極当然です。それを踏まえた上で、相手に
対して敬意を表した上での議論を楽しみ、お互いに向上できれば・・・主務管理者としては、それを
切に願っております。

なにぶん、私は主務管理者として不適格かも知れません。その分をここに集う皆さんのご協力と
「ジェントルマン」としての態度でカバー出来れば・・・幸いと存じます。


RE:もう少し言葉遣いに気を使って下さい 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月04日(火)11時09分03秒

いしやんさま

>To:竹下殿
>すいません。出過ぎた事を書き込んだかも知れません。謝罪いたします。

いえいえ、私こそ・・・ただただ、不徳の致すところ。
管理者とは名ばかり・・・失格ですね(反省)

話は変わりますが、小渕総理の容態が一日も早く回復に向かいますよう、ご祈念申し上げます。
(以前の書込で、私が小渕総理をあげつらったのは、あくまでも「総理」としての小渕氏について。
一市民としての小渕氏については何ら含む所は無いつもりです)


深く反省いたします 投稿者:猫殺し  投稿日:04月03日(月)20時14分55秒

いしやんさま  猫殺し(心ならずもこのようなHNになっちゃった・・・)

 新参者なのに、みなさまの大切なURLをかき回してしまった事をお詫び申し上げます。
 管理者の竹下閣下 小沼参謀にもあわせてお詫びいたします。
  昭和天皇を・・・・という表現に我を忘れて怒ってしまいました。
 小生はいわゆる右翼ではございません   ただの民草でございますが、終戦直後のマ司令官と
 先帝の会見に感動を覚えた者です。  天佑とは、私心なき皇室をいただいた我々国民の事では
 ないかと愚考する次第です。  


もう少し言葉遣いに気を使って下さい 投稿者:いしやん  投稿日:04月03日(月)19時10分25秒

To:猫殺し殿
題名の通りです。この掲示板は過去のイザコザを乗り越つつ、みんなで守って来た大事な場所で
す。批判&反論するのは結構ですが、相手側に対する礼儀とある程度の尊敬の念を以って言葉を
選ぶようにしてください。これは、ちょっと前の小沼殿にも言える事です。

To:竹下殿
すいません。出過ぎた事を書き込んだかも知れません。謝罪いたします。

でわ。


つける薬なし 投稿者:猫殺し  投稿日:04月03日(月)17時12分08秒

 猫左よ 十字砲火だな 半可通だのって言われてさ・・
 俺がさっぱりわからんのが あんたのレスだよ

 (ここから・・・)
 昭和天皇は有能な人で人徳があったのも確かでしょう。
しかし、人間宣言によって戦後日本のアノミー症状を引き起こして
しまったことは事実です。政治家はその意図や心がけではなく
その成果や結果で評価されるべきでしょう。昭和天皇が226や
対米降伏の決定時にとった行動は賞賛に値するとは思いますが、
人間宣言を行なったのは誤りだったと思います  
                              (ここまで)    
 ここで 貴様は、昭和天皇の人徳 人柄なんていってるな だったら
 人間宣言も不自然では無いのでは?(人間宣言なんて事では無いそうだが)
 まあこれは、あげ足取りといわれてもしゃーないな
 だけどここからはホントに?だよ 「政治家は その意図や心がけ・・・」っていうくだり
  つたない読解能力ではあるが、どう読んでも昭和天皇を政治家と位置づけてるとしか
 読み取れないね   いつから陛下が政治家になったの? 終戦の決断は、御前会議が結論に達せず
 鈴木貫太郎首相が畏れ多くも 陛下にご決断を御願い奉った その責任を取って、彼は首相を辞して
 いる。決して敗戦の責を負った訳ではない。  帝国憲法に違反した行為だったからこの辺は
 木戸日記や他の閣僚の記録からも証明できる 2.26の収束にあたっては反乱将校に対し対し供奉将校を
 通じてお怒りの心境をつたえたが、それですら後に側近からたしなめられている。
 皇室は、長い日本の歴史にあって大和時代はいざしらず 政に対しては、超越した存在であり続けた
事がいまのいやさかの元であると確信する。  神であるといったり政治家としての判断といったり
 政治家なら人間でいいじゃん  猫ちゃんこそアノミー症の裏返し症状が出てるんじゃない?
 ちなみに陛下の「人間宣言」は結構な事とおもいます。 マッカーサーも五箇条の御誓文は高く評価
 してる  敗戦後の日本人精神を徹底的に破壊したのは、占領軍でもなんでもなく日教組みてーな
 狂った団体と朝日新聞様のような進歩的文化人たちさ  陛下には何の責任も無い
 まして陛下は政治家なんて言う賎業とは無縁な存在だよねこちゃん


もうひとこと 投稿者:八神邦建  投稿日:04月02日(日)15時12分12秒

 自虐史観をただす「唯一絶対の方法」「これが決定打」という
方法を模索する姿勢はよくない。「天佑」の証明は方法のひとつだ。
 GHQはあらゆる方法で日本解体をしかけたのだから、自虐史観の修正も
あらゆる方法でやらねばならない。その中に、私や貴君が有効と考える
方法が同居したって、いっこうさしつかえはない。
 私もそうだが、戦後世代は、どうも受験のテストのせいか、「選択肢」
はひとつ、と考えがちだ。原因と結果は1:1の関係にあると、思いこむの
が悪癖だ。実は1:多であったり、多:1だったりするのだ。
 自虐史観でいえば、東京裁判や新憲法から、大東亜戦争そのもの、
欧米国際情勢、さかのぼって明治維新、黒船までゆく議論が必要に
なってくる。
 逆にいうと、戦前戦中の著作や体験談を勉強して、いかに自分たちの
現状が「亜性アメリカ人」であるか、自覚するところからはじめなけれ
ばならないだろう。
 今から、30年近く前、昭和47年(1972)に横井庄一さんが、
日本に帰国したとき、彼はこう述懐している。

「なにがなんだかわからない。みなさんが、アメリカ人に見える」

 27年間も、終戦を知らずにルバング島で身を隠していた遅れてきた
日本兵の言葉だ。戦中の目で見た正直な感想であろう。
 そのご、彼が「このままでは日本はほろびる」と危機感を抱き、
選挙に出馬を繰り返したのを、ごぞんじの方も多いだろう。
 唯一絶対の方法は探さない、というのが鍵でございます。


真珠湾攻撃については 投稿者:八神邦建  投稿日:04月02日(日)14時47分32秒

 この板でも以前「米国は、すべて知っていた上でわざと攻撃させ、日本は
卑怯者だ、という米国世論をつくった」という説が
ありました。それを証拠立てるデータも色いろとあるようですし、基本的に
小生も、同じ考えです。

「人間宣言」については、竹下さんの見解と同様です。

 って、「天佑」はどうした、天佑は。


自虐史観の淵源 投稿者:猫左衛門  投稿日:04月02日(日)07時22分02秒

八神様、
私の場合は、所謂自虐史観がでてきた淵源があの詔書だったのでは、という立場です。
無論直接の原因はアメリカによる対日宣伝(洗脳)工作ですが、それがここまで成功
したのは、残念ながらあの詔書の内容により当時の日本人が心神喪失状態になって
しまったからだと考えております。
戦争悪者説については、私は違った方法でその誤りを正すことが可能と考えております。

天佑というものは、うまくいった部分を捉えるとそういえる場面はいろいろあったと
思います。対米戦の緒戦の真珠湾にしても、発見されずに接近できたこと自体非常に
運がよかったとも判断できるでしょう。ただ、アメリカは実は知っていたが気づかぬ
振りをしていただけとも考えれるので、天佑があったかどうかは視点次第なのでは
という気もします。


何故、昭和天皇は「人間宣言」を発したのか? 投稿者:竹下義朗  投稿日:04月01日(土)19時52分02秒

だうも、だうも・・・「人間宣言」でヒートしておりますようで・・・。
昭和天皇が「人間宣言」を何故したのか?について、思うところを簡単に書いてみます。

まず結論から申せば、少なく共、昭和天皇ご自身は「人間宣言」なる詔勅を発した後も、
何ら「人間」になってはいないと思いますよ。少なく共、私は昭和天皇が崩御する瞬間迄、
「現人神」であり続けたと思っています。それは、昭和天皇ご自身の「言い回し」に注意
すれば分かります。更に戦後、一般国民が、戦前の憲法で国家元首・大元帥だった昭和天皇が
戦後の憲法において「象徴」とされたにも関わらず、治世末期の危篤状態の日々を「腫れ物」に
でも触るかの如く、その一挙手一投足、テレビ・新聞等からの情報に、敏感になっていたと言う
事実。昭和天皇の崩御により、元号が「昭和」から「平成」へと替わった瞬間、はじめて
「現人神」の時代が終焉したのだと思います。その点では、「昭和」から「平成」への改元は、
単に元号が替わったと言う事以上に、「最後の現人神の死」と言う日本史上の一大トピックだった
のでは無いでしょうか?

さて、それでは、何故、昭和天皇は世間から「人間宣言」等と称される詔勅を発したのでしょう
か? 私は、これも皇室伝統の処世術の一つだったのではないかと思います。平安時代から鎌倉
時代、朝廷から武家への政権移動と言った「革命」においても、天皇は廃位されず皇室も存続
しました。幕末から明治への「革命」の際にも、天皇は制度としての「現人神」として国体をその
一身に担いました。終戦に伴い、戦犯訴追と言う最大の危機に直面しながら、訴追を免れ、退位も
せずに済み、更に皇室も存続しました。歴史の場面々々における「危機」に際して、天皇(皇室)
は歴史の荒波に逆らうのではなく、自らの身を流れに任せる事で、維持存続してきました。そうで
なければ、他国の王権の様に、とうの昔に滅亡していた事でしょう。その観点からすれば、「人間
宣言」も、皇統存続に必要なプロセスの一つだったとも言えます。第三者が「現人神」からただの
「人間」になった、と言ったとしても、少なく共、当事者の昭和天皇ご自身には、「現人神」から
「人間」になった等と言う実感はさらさら無かったと思います。あったとすれば、新しい時代の流れ
に身を委ね、皇統を次代(今上天皇)へ更に未来へと維持存続させねば皇祖皇宗に顔向け出来ない、
と言った思いだけだったと思います。


猫左どの 投稿者:八神邦建  投稿日:04月01日(土)11時42分02秒

>朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と
>敬愛とによりて結ばれ、

 という箇所がもっとも重要だと考えますが。

 日本人のアノミーの原因は、この詔書による
のではなく、「東京裁判史観」にあるのであって、
「戦争はまちがいだった。おれたち悪い国民」と
思いこまされたことが最大の要因であると考えます。
 もっと、前後の文脈から、昭和陛下のお心を拝察
すべきで、貴君の「読み方」は全体を見ずに部分だけ
とりだして「人間宣言」という偽タイトルをつけた
当時のマスコミとまったく同じではないですか。
 だから、アノミーの原因である「戦争悪者説」を
くつがえそうとするために、「天佑」をさがして
おるのじゃよ、猫左の。


タイトルじゃなく 投稿者:猫左衛門  投稿日:04月01日(土)09時04分30秒

詔書の現御神云々の部分が致命的なんです。
それまでの天皇を頂点とする共同体としての日本社会が奉ってきたことの否定ですから。


修正:詔書本文中 投稿者:八神邦建  投稿日:04月01日(土)02時04分52秒

2行目 「国是是」→「国是」
11行目「国通」→「国運」
末尾より2行目
「その心にして」→「その心を一にして」

 貴重な資料なので、ワードかクラリスにおとして
修正して保存しておきましょう。


ありがとうございます 投稿者:八神邦建  投稿日:04月01日(土)01時57分50秒

 野良黒さま、おこころづかい感謝いたします。予約、うけたまわりました(笑)

 さて、ごぞんじない方のために、マスコミが勝手に「人間宣言」などと詐称
した「昭和21年年頭の詔書」をお伝えいたします。これのどこが「人間宣言」
なのか、よーく味読せられたくぞんじます。

《昭利二十一年年頭の詔書》

ここに新年を迎う。かえりみれば明治天皇、明治の
はじめに、国是是として五箇条の御誓文を下し給えり。
いわく、
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし
一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。
一、官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂
げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一、知識を世界に求め、おおいに皇基を振起すべし。

叡旨公明正大、また何をか加えん。朕は個々に警い
新たにして、国通を開かんと欲す。
ずべからくこの御趣旨にのっとり、旧来の陋習を去
り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養
豊かに文化を築き、もって民生の向上をはかり、新日本
を建設すべし。
大小都市のこうむりたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の
停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は、まことに
心をいたましむるものあり。しかりといえども、わが国
民が現在の試練に直面し、かつ徹頭徹尾文明を平和に
求むるの決意固く、よくその結束をまっとうせば、ひ
とりわが国のみならず、全人類のために輝かしき前途
の展開せらるることを疑わず。それ、家を愛する心と
国を愛する心とは、わが国において特に熱烈なるを見る。
いまや実に、この心を拡充し、人類愛の完成に向かい、
献身的努力をいたすべきの時なり。
思うに長きにわたれる戦争の敗北に終わりたる結果、
わが国民ばややもすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈綸
(ちんりん)せんとするの傾きあり。詭激(きげき)の
風ようやく長じて、道義の念すこぶる衰え、ために思想
混乱あるは、まことに深憂にたえず。しかれども、朕は
汝ら国民とともにあり。常に利害を同じうし、休戚を分か
たんと欲す。朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と
敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜる
ものにあらず。天皇をもって現御神(あきつかみ)とし、
かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、
ひいて世界を支配すぺき使命を有すとの架空なる観念に基
づくものにもあらず。
朕の政府は、国民の試練と苦難とを緩和せんがため、あら
ゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は、
わが国民が時難に決起し、当面の困苦克服のために、また
産業および文運振典のために、勇往せんことを祈念す。
わが国民がその公民生活において団結し、あいより助け、
寛容あい許すの気風を作典興するにおいては、よくわが
至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。かくのご
ときは、実にわが国民が人類の福祉と向上とのため、絶大
なる貢献をなすゆえんなるを疑わざるなり。
一年の計ぱ年頭にあり。朕は朕の信頼する国民が、朕と
その心にして、みずから誓い、みずから励まし、もつて
この大業を成就せんことをこいねがう。

御名 御璽
昭和21年1月1日

 これを「人間宣言」と捏造タイトルをつけてマスコミには、
本当に腹がたつ。くりかえすが「人間宣言」というのは、正式な
名称ではなく、勝手にでっちあげられた名前なのだ。
 


天佑の資料 投稿者:野良黒  投稿日:04月01日(土)00時55分49秒

>八神邦建様
当初の目的である「天佑」の情報収集がなかなか捗りませんね。素人が途中でチャチャを入れ
すぎたかもしれません。色々と資料を集めておられるようですが、出版の予定があるのでしたら
予約しときます。自分用、知人へのプレゼント用、図書館への寄贈用で、まず三冊ほどお願い
します(笑) 初版発行の際にはメールでお知らせ下さい。首を長くして待っております。

>帝国電網省喫茶室へお集まりの皆様へ
「天佑」の情報をお持ちの方は、引き続き情報提供方について、よろしくお願いします。


Re:人間宣言 投稿者:八神邦建  投稿日:04月01日(土)00時24分54秒

 人間宣言全文を読めば、マスコミがいうような「天皇自己否定宣言」
などではないことが、すぐにわかる。
 正確には、「昭和21年年頭の詔勅」という。
 全文をよまないで、「人間になった、自己否定した」と、鬼の首
とったように騒ぐ猫左のような「半可通」が多すぎる。そう、おも
われませんか、親愛なる野良黒さま。


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