Archives of the Salon's log
喫茶室 過去ログ19(2000.12.1〜12.31)

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喫茶室:[最新の発言を見る/投稿する] [2001年1月のログ] [2000年11月のログ]


感情を爆発させるって素晴らしい 投稿者:柴犬  投稿日:12月31日(日)21時49分30秒

物言わぬは腹膨るる元なり。しみじみ思います。「ピースボート嫌いな人々紹介して」とシャロック2に頼んだらこちらに繋がってレベルの高い方々が多くて教えられる事ばかりです。とても議論に参加できませんが自分が前より利口になった気がします。千代に八千代に日本国の繁栄を祈っております。竹下様フセイン様他の皆様、来年も宜しく。


五万分の一の地図 投稿者:陸軍大将 岡村寧次  投稿日:12月30日(土)17時02分30秒

留学生君、化石君。陸測の地図は余が入手したものである。
「それは孫傳芳督軍の顧問時代の話である。その幕下の幹部、指揮官の大部分が孫傳芳と同様、
日本陸軍士官学校中国留学第六期生であり、私が其の第六期生区隊長をしていた縁故に因り、
懇請されて、顧問となって南京に居り、先生、先生と敬仰されていた。大正十五年秋蒋介石軍
の北上に対し孫傳芳は九江、南昌地域でこれを迎撃したが、大敗して孫の軍隊は全滅するに至
った。元来中国各地の地域の中最も詳細なのは五万分の一地図であるが、それは昔、中国各省
から日本に留学した武学生の一部が、陸地測量部で学び、帰国してから測図したものであるか
ら、図の方式も全く日本のと同じであった。しかし、中国全地域とも、これを貴重扱い、極秘
扱いとして、市販厳禁は固より、その入手は至難であった。私が敬仰、信頼を受けていた孫傳
芳の陣営でも、作戦上の諮詢を求められたが、この地図は決して私に手渡さなかった。けれど
も、ある日、私は最前線の南昌に行ったところ、同地の指揮官が、華中中部地区五万分の一地
図全部を私に貸与して、作戦指導方針の大計画立案を依嘱した。私はそれに応じ計画案を提出
したが、地図はそのまま九江の本営に持ち返っていた。間もなく孫傳芳軍は敗退に敗退を重ね、
遂に九江の本営たる江上の船にも敵弾が集中するに至り、孫傳芳は万策尽き錨を抜いて下江退
却することになった。この時冷静な者があり、岡村先生は、直に小船を雇って日本軍艦に避け
られたしというので、私は小船を雇って、九江租界日本人の保護のため碇泊していた第一遣外
艦隊の旗艦安宅に横付けさせたが、中国服を着ている私を、歩哨が怪んで取り入れない。
兎も角近藤参謀を呼んでくれと言い、漸く近藤参謀が縄梯子を垂れて収容してくれたのであっ
た。匆忙の際、私は荷物一切を棄て去ったが誰も気が付かないのを幸いに、五万分の一地図全
部を持ってくることは忘れなかったのである。
この地図には間違いが多いなどの批判を、陣中至る処で、よく聞くたびに、私は心の中で『人
の苦労も知らないで』とつぶやくのである」
(岡村寧次大将資料 上巻 昭和45年 原書房)


>>「南京大屠殺」が登場します  投稿者:フセイン  投稿日:12月28日(木)23時28分31秒

内容はNHK教育の再放送からですが
今日はインド独立と日本軍でした
インパール作戦の部分は見損なってしまった。
月曜日が虐殺が何故行われたのか特番。

http://www.nhk.or.jp/etv2000/


>「南京大屠殺」が登場します 投稿者:フセイン  投稿日:12月27日(水)07時59分42秒

虐殺だと
日清戦争から出てきます。
南京虐殺
日本軍は上海から戦い続け精神的に疲れ切っていたことも一因です。
上海>南京>徐州で虐殺を続けたようです。
中国人民も
日本と同じく市民まで戦っていたかも知れない?
竹槍訓練は判らないが


御無沙汰致しました。突然の宣傳方、御容赦下さい。 投稿者:南 燎原  投稿日:12月27日(水)00時52分46秒

長期に御待たせしましたが、「思想と言論」では基幹頁を改装すると
共に第二基幹頁も準備致しました。當面は第一基幹頁のみの開設であ
りますが、近々に開設豫定の第二基幹頁(死刑制度関連)と共に、安
易な附和雷同気運を嫌い、獨自の路線を歩みます。

當基幹頁は中程の思想でありますが、是々非々で遣って居ります。
極論で無ければ、氣輕に御運び下さい。百頁を超える體裁に附き、打
鍵相違等がありましたら御指摘下さい。先ずは廣報まで。

なほ、相互リンク等は如何でせうか。但し私は國語オタクではありま
せんので、御安心の程を。

http://cgi.members.interq.or.jp/kanto/just/index.html


RE:時すでに遅し… 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月26日(火)21時21分50秒

オープン・マインドさん、初めまして。

>唐突で申し訳ありませんが、「ホロコースト」の件、載せてしまいましたか。

先月出版した新著に載せてしまいました・・・。「歴史再考」にはまだ発表していませんが、
来春には発表する予定です。(拙著に載せてしまいましたので、今更、隠してもどうしよう
も無いですし・・・)

オープン・マインドさんは、木村愛二氏の著書をお読みになられた様ですが、私は、あの曰
く付きの廃刊雑誌『マルコ・ポーロ』に寄稿された西岡昌紀氏から頂いた著書を読みました。
私自身は、「ホロコースト」を専門にしている訳ではありませんし、微に入り細にわたる様
なコラム執筆もしていませんので、「ホロコースト」については多分に西岡氏の著書を参考
にさせて頂きました(著者了解済)。まあ、こう言った言い方ですと、何かツッコミを入れ
られた時に、「西岡さんにお聞きして下さい」と逃げる事が出来ますから、卑怯と言われる
と思います。私がした作業は、西岡氏の著書を読んだ上で、問題の要点を「初心者」にも分
かり易い様にまとめた事と、それに補足して同問題における自分の主観を織り交ぜただけで
す。ですから、「肯定派」から事細かくツッコミを入れられても正直言って困ってしまいま
すね(笑)


開示:私が決めた「法」 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月26日(火)20時54分20秒

留学生さんから開示を求められました、私(管理者)が決めたこの掲示板における「法」

>(ここは、私の掲示板ですから、私が決めた「法」に遵ってもらいます。それ
>が嫌なら来なければいいし、守れないのなら出て行ってもらうだけの事です。)


の内容については、ちゃんと開示してあります。それは、同投稿内の上記の前文

>勝手に来ておいて、相手を尊重する態度が見られなかった事。不遜な態度について
>は、発言の如何に関わらず、削除対象とします。

です。

要は、「議論する相手を尊重しなかったり、誹謗中傷目的での投稿は削除しますよ」と言っ
ている訳です。


「中日自由討論留言板」について 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月26日(火)20時49分37秒

留学生さん

>本サイトのノーフレーム版の「国際会議場」に中日自由討論留言板があってなか
>なか入りませんでした。どうしてですか?

さあ、どうしてでしょうか? 「国際会議場」と言うのは、諸々の掲示板のリンク
集です。私が管理している掲示板は、ここ「帝國電網省掲示板『喫茶室』」だけで
す。ですから、「中日自由討論留言板」の事迄は分かりかねます。


訂正 投稿者:オープン・マインド  投稿日:12月26日(火)16時49分49秒

 申し訳ありません。最初の方の投稿は読みづらいので二つ目のほうにします。一つ目は削除願います。


時すでに遅し… 投稿者:オープン・マインド  投稿日:12月26日(火)16時47分27秒

 竹下様はじめまして。唐突で申し訳ありませんが、「ホロコースト」の件、載せてしまいましたか。実は「ホロコースト」についての意見をもう少し慎重にしてもらうように御忠告するつもりだったのです。しかし、ここの所の忙しさにかまけて一ヶ月以上もこちらを拝見できずそれも延び延びになってしまい、その思いも果たせられずここに至ってしまいました。もっとも、私が何かを言えたとしても、著作の方までは間に合わなかったのですけれども。

 かく言う私も随分以前から「ホロコースト」のことには興味があり、否定派とされる人達の言うことを調べていました。英語が出来ないため木村愛二氏の著書などは自分的には重宝したのですが、これまでの一連の論争などを鑑みても「否定派の意見の骨子の方が脆弱である」という私見だったのです。これは、だからと言って肯定派の言っている事が100%正しいという意味ではなく、あくまで証拠能力を比較した点で言っているのですが。
 最も問題なのはアウシュヴィッツ中央建設本部長の43年1月29日の報告で、ガス室らしき(あくまで“らしき”ですが)表記のある書類の解釈が、どうしてもうまく反論する事が出来ないのです。これを否定派は納得のいく解釈を提示できていません。この報告書を偽造だと言うのはたやすい事ですが、しかしそれならそれで偽造の証拠なり根拠を示さなくてはならないし、あるいは報告書の内容がせめて別の事を表していると傍証を固めるべきですがそれも出来ているとは言い難い。よって、否定派の論拠は今の所袋小路に入っているような感じなのです。
 とはいえ肯定派も、否定派の言っている事を全て論駁したとは私にはとても思えませんから、相変わらずすっきりしていないのが実情です。両者に言い切るだけの根拠に欠けているものですから。そこで今の所私は間を取って、ガスによる殺害はあるにはあったが殺害された人数はもっと少ないし、それを行った理由も単なる人種差別的なものではないと判断しているような状況です。ただし、心情的にはこんな常軌を逸した虐殺を行うなど考えられないのですが、南京事件ほどの反証がありませんし何を起こすか判らないのも人間ですので、中立的に見るしかないのです。
 また、木村氏の(イスラエル糾弾のためのホロコースト否定という)論理や南京虐殺とホロコーストを結び付ける論理も必要ないと思います。というのは、前者は糾弾するにはホロコーストがあろうとなかろうと関係ありませんし、後者はそれを言う方がおかしいのですから。ホロコーストがウソだとしたら確かに強烈なパンチにはなりますが、イスラエルのアコギさはそれがなくとも充分に立証できます。そしてリンケージ論は、湾岸危機のときにサダム・フセインが言ったことほどの正当性のカケラもありません。単に馬鹿げた暴論です。そんな連中と同じ土俵に上がる必要はないですし、「君たち何をたわごとを言っているのかね?」と冷ややかに対応すればいいのではないでしょうか。

 私が何かを言ったからとて竹下さんが言いたいというのならばそうして下さって構わないのですが、少なくともホロコースト否定論者の方が今の所歩が悪いのは確かなので、その辺を御考慮の上で発言されてはどうかと思いこのようなお節介をさせて頂きました。実際には、もうこのお節介もあまり役立たないのかもしれませんが。では、今回はこれで失礼させていただきます。


RE:留学生さん 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月25日(月)23時20分18秒

>中国の教育制度は何回か変わったんで、教科書の名前詳しく教えてくださいませんか?日本では手に入れにくいと思いますが、今回帰国する際に必ず収集します。
 
上海教育出版社から1958年に出版された「中国歴史教師手冊」をお勧めします。巻末の
「中外歴史大事年表」には1927年の蒋介石軍による南京虐殺を記すのみで、1937年の日本軍による「南京事件」は全く出ていません。
それから、香港の齢記出版公司から1972年に初版発行された「新編中国史」にも日本軍による
南京虐殺は書かれていません。
では、いつから日本軍の仕業として南京事件が登場するのか。
私の知る限りでは、1979年に北京出版社から発行された全日制学校初中課本「中国歴史」
からです。ここで「南京大屠殺」が登場します。それ以来、今日にいたるまで定着しています。
この間の政治の動きを追っていきますと、1977年にケ小平が人民解放軍総参謀長に復帰し、
1978年12月に実権を掌握しています。
ケ小平の権力掌握から一年も経過しない内に南京事件が教科書に登場したことから、ケの政治的な
意図が働いたものと私は思っています。
1960年代の教科書の内容は知りませんので断定はしかねますが、「日本軍による南京虐殺」の登場はケ小平以降と思います。
なお、私も数十年前の中国の歴史教科書を「所有」しているわけではありません。
私にできるのは読むことだけですが、留学生さんなら自国での収集も可能かと思います。

それから「侵略」の定義の件は失礼しました。べつに「改竄」する気は無かったのですが
領土を奪うことも条件に含まれていましたね。大切な言葉を抜かしてしまいました。
これは私のミスです。
ただ、日韓併合は大韓帝國の方から申し入れているのだから、「領土を奪う」行為には該当しないと私は解釈しています。
仮に今、日本政府が中華人民共和国に「中日併合」を申し入れ、北京政府がOKして日本を併合
するのであれば、領土を奪ったことにはならないでしょう。単に相手の希望をかなえただけです。
このように書きますと、日本政府の圧力があったのだから日韓併合は無効だという人もいるのでしょう。しかし、圧力があったから無効、とするなら1919年のベルサイユ条約や1951年のサンフランシスコ講和条約も無効ということになってしまいます。
日韓併合は、韓国側からの申し入れであることと、多数の国から承認を受けていることの2点
により、領土を奪う行為には該当しないものと私は考えています。

学問の方も頑張ってください。
それでは、また


RE:荒し一派の投稿行動について 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月25日(月)22時17分12秒

御楯弾正少弼さん

>「戦争被害者の子孫」「安部」「南波」「回想録」等の捨てハンで登場した面々が、
>「ちょっと」氏の自作自演や文字通りの「一派」であるかどうかはともかく(後略)

これら四氏は、同一のリモートホストからの投稿ですから、同一人物だと思います。

>特定の人格に対する出入り禁止処置は、無数の人格設定が可能な捨てハンの乱用に
>より無力化されますから。

これはある意味、掲示板の「宿命」共言えますね・・・。

今迄、私はここの「管理者」としての権限である「削除」を余り使わずに来ましたが、
今後、「荒らし」ととれる同様の投稿については、躊躇せずに削除を乱発するかも知
れません。メールアドレスを公開した上でのハンドル名での投稿ならいざ知らず、
実名を明らかにせずメールアドレスも公開しない人(SINOさん、お気を悪くされ
ません様)の投稿については、内容如何(「荒らし」の範疇に含まれる様な書き込み
に該当すると判断したもの)によっては、告知もせずに削除する事でしょう。
もっとも、たとえメールアドレスを公開した人の投稿であっても、「荒らし」に該当
すると判断したものについては、当然ながら削除対象とします。


RE:朝鮮 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月25日(月)22時14分25秒

通りすがりの受験生さん

>僕は予備校で朝鮮を開国させたのはロシアの恐怖があったからだと習いました。

その通りです。明治の日本人にとって、「ロシア」程恐ろしかったものはありません。
だからこそ、「大津事件」で、日本人巡査が来日中のロシア皇太子(後の皇帝ニコライ
2世)に斬りつけ負傷させた時、日本の世論は騒然となりました。「皇太子の敵討ちに、
ロシアが日本に攻めてくる!!」と、当時の日本人は震え上がったものです。その位、
当時の日本人にはロシアへの恐怖心がありました。

>ただ、日本政府はやり過ぎたと予備校の講師は言ってました。
>インド支配のイギリスは学校なども作らず、あまり表には出てません。
>イギリスは植民地支配の要領が良かったようですね。

いや、やり過ぎた、と言うよりも、そもそも、日本には「植民地支配」自体が「不得手」
だったんですよ。日本は欧米の様な植民地からの「収奪」と言う考え方が出来ませんで
した。日本全国津々浦々迄、道路や電話線が敷かれている・・・つまり、日本全国を同等
の水準に保とうとする国民性からかも知れませんが、日本は植民地に対しても、「内地の
延長」としてインフラを整備せずにはいられなかった訳です。だから、欧米が収奪型だっ
たのに対して、日本は投資型を選択しました。要領が良かったとか悪かったと言った問題
では無く、日本人の国民性がそうせしめた・・・せずにはいられなかった、と言うしか無
いと思います。


シナにおける歴史教育は? 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月25日(月)22時12分01秒

これは大事な事ですから、留学生さんにお聞きしたいと思います。

それは、あなたの国では、チベット・満州・内モンゴル・ウイグルについて、現在、一体
どの様な「歴史教育」がなされているのか? と言う事です。少なく共、私自身は、上記
の地域は「中国」固有の領土では無いと思っています。あなたの国の政府は、ダライ・ラ
マを犯罪人の様に罵りますが、誰が何と言おうと、チベットにおける政教両権の最高指導
者は、ダライ・ラマだと思っています。その辺りの所を、あなたの国では一体どの様に教
えているのでしょうか?

化石太郎さんが、

>北京政府の主張する歴史ほど信頼できないものはありませんよ。(中略)
>つまり、時の政権の意向に沿った歴史が正史とされているのです。

と仰られた事は、上記とも関連性があると思いますので、お聞きかせ頂きたいと思います。


「シナ」の呼称について 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月25日(月)22時09分11秒

留学生さん

>ちなみに中国という言葉があってシナという表現は
>やはり失礼ですのでお考えくださいませんか。

私が「シナ」の呼称を使う訳については、私のコラム
『日本人が中国を「シナ」と呼んでどこが悪い!!』(末尾のリンクを参照)
で表明しておりますので、お読み下さい。その上で以下に補足を書きます。

もし、あなたの国「中国」が、日本人に「シナ」の呼称を使うな、と仰るので
あるならば、あなたの国の英語表記がまず改められるべきです。なぜなら、

「People's Republic of China」

の「China」は日本語では「シナ」だからです。あなたの国が英語表記に「シ
ナ」とは同系である「チャイナ」を使っておきながら、かたや、日本には
「シナ」の呼称は使うな、と言うのは正直言って合点がいきません。

もし、日本人に「シナ」の呼称を使うな、と仰るのであるならば、語源を一と
する「チャイナ」・「シーヌ」・「ヒーナ」と言った欧米諸語における呼称も
使うな、と言うべきです。欧米人には文句を言わず、日本人には文句を言う、
と言うのは、日本人の私から見れば「人種差別」共とれます。

又、どうしても、「中国」に固執するのであるならば、ビルマが国際的呼称を
「ミャンマー」に変更させた様に、あなたの国も「中国」(Zhonguo)を国際的
呼称とするべきでは無いでしょうか? つまり、英語表記も、

「People's Republic of Zhonguo」

と言った具合にです。そこまでした上で、日本人に「シナ」では無く、「中国」
の呼称を使ってくれ、と言うのであるならば、一応理に叶いますから、一考の
余地も出てくるでしょう。しかし現状においては、少なく共、私自身は「中国」
の呼称強要には上記の理由から反発を覚えます。

それと誤解されては困りますので書きますが、私は「シナ」の呼称をあくまでも
英語の「チャイナ」と同系であると言う理由から使用しているだけで、決して
侮蔑用語(まあ、「シナ」を「侮蔑用語」とする定義自体、私には理解出来ませ
んが)として使っている訳ではありませんので、悪しからず。

http://www2.justnet.ne.jp/~yoshiro/no_frame/history/honbun/cina.html


RE:ちょっと一言いいかしら! 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月25日(月)22時05分43秒

諸般の事情を鑑みて、SINOさんより

>ここはみんな一律に投稿は一日二通、累計十五通までと決めて、
>それ以上は過去の自分の記事を自主削除しない限り強制的に
>投稿できないように提示版のシステムを定めたらどうでしょうか。

と言うご提案を頂きまして、有り難う御座います。ただ、私自身は個々人の投稿数の制限を
正直言ってしたくはありません。折角、SINOさんからご提案頂きましたのに恐縮ですが、
例えば、5人の投稿に対して、それぞれレスを投稿した時点で、既に5通と言う事になって
しまいます。まあ、5人へのレスを1通にまとめると言う手もありますが、それでは、1通
自体が長文になってしまうでしょうし、全てのレスを1通に集約するのは、文章を構築する
のも入力するのも大変骨が折れる作業だと思います。又、投稿数の制限を設けると、掲示板
自体が活気を失いかねませんし・・・「荒らし」をする勢力にとっては、それこそ「して
やったり」と小躍りする事でしょう。したがいまして、私としましては、今迄通り制限を設
けない方向で管理したいと考えています。ただ、常連の方々(「荒らし」と認める者は除外)
が「制限の設定」に賛成なされるのであるならば、それはそれで私自身、真剣に考慮させて
頂きます。

あ、それと、「自主削除」の件ですが、この掲示板システムは「t-cup」を利用しており、
最大投稿保存数は70件と決められています。ですから、71件目(新しい投稿)が投稿される
と、一番古い投稿(1件目)が自動的に削除されてしまいます。「過去ログ」は、私が随時
保存したものを編集(繋ぎ合わせ)した上でアップしています。又、「t-cup」システム
の制約から、各投稿の削除は、主務管理者(私)と補佐管理者(小沼航空乙参謀氏)しか
出来ません。したがいまして、たとえ自分の投稿であっても個々人が勝手に削除する事は
出来ないんです。


荒し一派の投稿行動について 投稿者:御楯弾正少弼  投稿日:12月25日(月)18時49分52秒

 「ちょっと」氏名義の投稿に対しては既に管理人様による出入り禁止が処置され
ましたが、「ちょっと」氏の後続としての荒し一派の登場により、今後状況がさら
に複雑化する可能性もありますので、彼等の投稿行動について若干の考えを述べます。

 「戦争被害者の子孫」「安部」「南波」「回想録」等の捨てハンで登場した面々が、
「ちょっと」氏の自作自演や文字通りの「一派」であるかどうかはともかく(あるい
は何者かが他所で「煽り」をかけたのかも知れませんが)、「ちょっと」氏に触発さ
れた行動であることは間違いないと思われますので、「一派」と呼んでおきます。

 私は彼等の投稿が、同一の宣伝目的をもった一連の行動であると考えています。

 「ちょっと」氏一派の投稿は、中国を批判する者を黙らせるという目的で一貫して
います。南京事件については中共が主張する三十万人虐殺説を支持していない(明確
に否定もしていませんが)「ちょっと」氏にしても、中国の「屠城」や喰人文化につ
いては「否定のための否定」で馬脚を現わしています(このあたりが彼の「甘さ」です)。

 荒し一派が、自称被害者や自称加害者の近縁者という設定(もちろん事実ではない
でしょう)を多用し、感情に訴える主張をしているのに対し、「ちょっと」氏名義の
投稿は、一見客観的な史料・主張を採り、「>先入観なく、第三者の主張に惑わされ
ず自分自身が判断することです」というスタンスを装っているため、立場が異なるよ
うにも見えますが、これを「役割分担」と見ることも出来ます。もっとも、それほど
高くはない作文能力を補うために、一次史料と称するものを羅列して長文をこしらえ、
複数投稿するという手法は共通のものですが。

 捨てハン一派の登場が、管理人様の「ちょっと」氏名義に対する出入り禁止処置を
見越して打たれた布石である可能性も無くはありません。特定の人格に対する出入り
禁止処置は、無数の人格設定が可能な捨てハンの乱用により無力化されますから。

 以上、ここ数日の「荒れ」を拝見しての所感です。


一次史料 投稿者:ごみ  投稿日:12月25日(月)13時37分11秒

一次史料を出すというのは、歴史を専門にやっている人でなければとても大変ではないでしょうか。私は南京事件について、歴史を専攻している人と議論をしたときには、彼がいくつも一次史料を並べてきたのですが、こういうやりかただと結局自分にとって都合の良い史料をどれだけ集められるかということに陥るのではないでしょうか。確かに史料のない言い合いは無益かもしれませんが、史料というものは偏って集めることが簡単に出来ます。

と言っておきながら、竹下さんがマレーとシンガポールについて少し触れているので、いま私が偶然持っている史料について紹介します。


NOT ALL PEOPLE ARE EQUAL BEFORE THE LAW IN SINGAPORE

Written by: Chia Chee Kong. Block 112 Yishun Eing Road #13-415, Singapore 760112
NRIC : 111 4390/C.
1st October 1996

私もちょうどこの三ページの記事を半ページ読んだだけなので詳細は分からないのですが、華人の主に支配するシンガポールで、非華人の女性の卵巣と卵管が切除され、その手術をした医師がリー・クアンユーと関わりがあるとかで処罰されずにいる、という内容です。この記事は、私の職場の友人がシンガポールの専門学校にいたころに授業中に回ってきたコピーだそうです。

こういう文書を見ると、チベットや内モンゴルについてもやはり本当なのだなと思わざるをえません。中国人は自分たちの政府をまず疑うことをすべきだと思います。


ちょっと一言いいかしら! 投稿者:SINO  投稿日:12月25日(月)13時31分09秒

>いくら小さいことといっても法律を守らなければならない

記事の内容がいいか悪いかなんてことを判断するのはどだい不可能です。
内容の質なんてことは読む人の考え方次第でどうとでも変わります。
ここはみんな一律に投稿は一日二通、累計十五通までと決めて、
それ以上は過去の自分の記事を自主削除しない限り強制的に
投稿できないように提示版のシステムを定めたらどうでしょうか。
これなら万一「提示版荒らし屋」が現れても被害は最小限で済みます。
どっちにしろ真面目な学問上の討論ならチャットでもあるまいし、
そんなに一日でたくさん書けるものではありませんし、またいい加減な自己主張
ばかり乱発せずに自分の書いた記事を何度も推敲するという作業も大事なことですから。

>ちなみに中国という言葉があってシナという表現は
>やはり失礼ですのでお考えくださいませんか。

下のリンクでも紹介してますが、このように「支那」と呼ぼうが「中国」
と呼ぼうが、当事国に対し痛烈に非難攻撃を加えることは可能ですよ。
寧ろ僕は「中国」という今の世代で一般化してしまった用語を用いて
悪口攻撃をしていくことで、次の世代の日本人が「中国」と聞いた
だけでアレルギー反応を起こしてしまうようになればいいと思います。

http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/rock_1_3_2.shtml


日本の軍事費 投稿者:ごみ  投稿日:12月25日(月)13時19分11秒

中国からの留学生のかたがきたのですね。私もアメリカの掲示板でつたない英語で日本の冤罪を晴らそうと努力していますから、多少は共感できます。あ、歴史再考のハワイ王国に関するものをネタとして使わせていただきました。ハワイ大学の学生が言い分けして、カラカウワ王は宮殿とかを作って浪費していたので良くない王だったとか、疫病をまきちらしたのはアメリカ人の前に既に来ていたヨーロッパ人だとか言っていましたよ。


日本の軍事費ですけど、確か SAPIO だかでこんな理由があると書いてありました。

1) 人件費
2) 日本は兵器を輸出していないので、多品種少量生産しなければならない

日本が独自にこれまで開発してきた兵器というのは、竹下さんがおっしゃるように、航続距離の短いものばかりです。輸送機 C-1 は当時かなり良い機体だったといいますが、周辺国への配慮により航続距離をわざと短くしたそうです。諸外国からの評判も良かったようなのですが、日本は武器禁輸なので自分たちの分だけしか作っていません。輸送機という当りさわりのないものでさえ、いちおう兵器だからということでこのような制限があったのです。

中国の軍事費は年間 20パーセント成長だそうじゃありませんか。


留学生さん 投稿者:RIO  投稿日:12月25日(月)06時24分18秒

専門が外交史とは、色々とご存知なのでしょう。またお会いできることを楽しみにしています。論文の仕上げ、頑張ってください。


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月25日(月)00時06分38秒

>近隣の者として忠告しますが、北京政府の主張する歴史ほど信頼できない
>ものはありませんよ。疑うなら数十年前から現在にいたるまでの歴史教科書
>を読み比べて見て下さい。日華事変に関する記述もかなり変化しています。
>たとえば南京虐殺はケ小平より前の政権の時代には教科書に書かれていません。
>つまり、時の政権の意向に沿った歴史が正史とされているのです。
化石さんこんばんわ。
そういえば、化石さんは中国語よめますよね。ちょっと聞かせていただきたいですが、ケ小平より前の政権の時代の教科書といえば化石さんが何冊もっていますか。いつ出版したものですか。中国の教育制度は何回の変わったんで、教科書の名前詳しく教えてくださいませんか?日本では手に入れにくいと思いますが、今回帰国する際に必ず収集します。


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)23時37分52秒

皆さん、こんばんは。私の発言に対する発言は有難うございました。
私が1月中旬に論文を提出しなきゃいけないので、後でゆっくり皆さんと歴史について討論させていただきたいと思います。出来れば、友達にもなってくださいませんか。お茶でも一緒に飲みましょう。中国に旅行に行きたかったら案内させて頂いても大丈夫ですよ。
RE:RIOさん
返事有難うございます。
>しかし、中国側が提出している被害者数は、かなり誇張があるのではないでしょうか。それにつ>いてどう思われますか?
まず自己紹介します。私は中国からの留学生で、いま日本の大学にいます。私のゼミには日本人12人、在日韓国人一人、韓国留学生一人、フランス留学生一人、ルクセンブルグ留学生一人、中国人留学生二人います。われわれが外交史を研究しております。2年前始めてゼミに入った時に先輩たちの歴史に対する細かさに驚きました。歴史はやはり細かく細かくやらないと間違い結論を出しやすいです。私はあえてここで提案いたします。われわれが自分の意見を主張するために論拠を出す時に論文のように脚注を書きましょう。それに、出来るだけ一次資料を引用しましょう。
RE:化石太郎さん
返事ありがとうございます。ちょっと侵略の定義についてですが、化石太郎さんは「侵略」の定義は、@他国に侵入し、A財物を収奪する、の2条件を持ってなされるとのことですが」(RE:留学生さん 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月24日(日)21時15分44秒)と言っていましたが、見た目では、広辞苑の定義を受け入れた結果ですが、実はちょっと違います。広辞苑第五版により、「侵略」という言葉の定義は「他国に侵入してその領土や財物を奪いとること」です。私の日本語はまだまだですが、広辞苑の定義を分析させていただきます。確かに2条件ありますが、一つは他国に侵入すること、もう一つはその領土あるいは財物を奪いとることですよね。つまり、第二条件は領土を奪いとることと財物を奪いとること両者どれか一つですよね。小さな修正ですかど、文字の量の変化だけではなく、質の変化ですから、大事だと思います。
RE:竹下義朗さん
竹下さんのサイトをお借りして発言させていただいて有難うございます。
>ここは、私の掲示板ですから、私が決めた「法」に遵ってもらいます。
>それが嫌なら来なければいいし、守れないのなら出て行ってもらうだけの事です。
学部生の時に私の専門は法律でした。いくら小さいことといっても法律を守らなければならないことをよく主張しています。しかし、近代の法といえば皆に知らせなければなりません。立法はまずのことです。民主化ということはあとで討論させていただきます。
本サイトのノーフレーム版の「国際会議場」に中日自由討論留言板があってなかなか入りませんでした。どうしてですか?
ちなみに中国という言葉があってシナという表現はやはり失礼ですのでお考えくださいませんか。
それでは、またお会いいたしましょう。


証言と証拠は違います 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月24日(日)21時56分55秒

*『幸存者の証言ー蔡玉英さん(1931年生まれ、女)』から
>日本兵は父の所へ近づき、父の目を指で開き、刀を口に差し込み、中国語で
>「死了(スーラ)、死了(スーラ)」と言いました。

何で日本兵がシナ語で言うんでしょうか?

確かに不思議ですね。この類の「証言」は検証に耐えないものが多すぎます。
まともに裁判をやれば全て却下されてしまうものばかりです。裏付となる証拠が無ければ
話になりません。
でも、日本のマスコミはこういう「証言」を歓迎するんですよね。それに日本人も
「涙ながらの訴え」という代物に弱い体質ですからね。
日本がアメリカのような訴訟社会であれば、証拠が無いまま謝罪する、ということも無くなると
思いますが。
日本もある程度訴訟社会となった方が、外国の要求に対しては強くなれそうな気がします。

ところで帝國電網省は時々特定人物に狙われますね。でも、ここの掲示板は人に恵まれているようですから大丈夫でしょう。
この1日で、近代史を久々に復習しましたよ。事実関係をしっかり確認しないといけませんからね。

それから、留学生さん

せっかく言論・政治活動の自由な日本に来ているのですから、もう少し別の角度から歴史を
見ては如何でしょうか。あなたの意見を聞きますと、なんだか北京政府広報局と話しているような
気がしてきます。
近隣の者として忠告しますが、北京政府の主張する歴史ほど信頼できないものはありませんよ。
疑うなら数十年前から現在にいたるまでの歴史教科書を読み比べて見て下さい。日華事変に関する
記述もかなり変化しています。たとえば南京虐殺はケ小平より前の政権の時代には教科書に書かれていません。つまり、時の政権の意向に沿った歴史が正史とされているのです。
これでは歴史の真実など尊重できるはずもありません。
日本にいるうちに中国共産党以外の歴史観に触れてみてください。
必ずあなたの役に立つと思います。


朝鮮 投稿者:通りすがりの受験生  投稿日:12月24日(日)21時48分30秒

僕は予備校で朝鮮を開国させたのはロシアの恐怖があったからだと習いました。
朝鮮半島がロシアの手に渡ってしまったら、次の標的は我が国日本です。
だから、日本は速く朝鮮を開国さしてロシアの南下を阻止する必要があったわけです。
その後、化石 太郎さんが言っておられたように大学なども作りました。
ただ、日本政府はやり過ぎたと予備校の講師は言ってました。
インド支配のイギリスは学校なども作らず、あまり表には出てません。
イギリスは植民地支配の要領が良かったようですね。


RE:留学生さん 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月24日(日)21時15分44秒

>1930年代の前にも日本が侵略行為をやりました。朝鮮支配を企図した日本が、1904年以降韓国の内政・外交権を次第に掌握した末、韓国併合条約により韓国を領有しました。これは侵略とはいえますよね。ちなみに広辞苑により「侵略」という言葉の意味は「他国に侵入してその領土や財物を奪い取ること」であって、日本人である化石太郎さんのほうが私より分かっているでしょう。

20世紀初頭に遡っての「侵略」追及だったんですか。私は「侵略戦争」とあったものですから
「戦争」に注意を集中していました。戦争が起きていない期間の出来事も含めていたわけですね。
「戦場」が拡大してしまったようですが、誠意を持ってお答えします。

1910年に大韓帝國が大日本帝國の一部になったのは歴史的事実です。
しかし、史実を見ますと韓国政府の側から併合案は大韓帝國政府の側から出されています。
海外の列強は日韓併合を承認し、中国政府も特に抗議はしていません。日本の韓国併合を承認
した外国から後に非難が飛んでくるというのは合点がいかない話です。
それに朝鮮半島侵略なら、中国は先輩ではありませんか。
ちなみに韓国統治において日本は韓国から財物を奪ってはいません。
逆に、財物を貢いでいました。植民地経営の収支決算では、日本は利益をあげていません。
赤字だったのです。なにしろ、国内以上に情熱を注いでインフラ整備を始めてしまったのですよ。
例えば、京城帝國大学が1924年に作られ、台北帝國大学が1928年に作られたのですが、    大阪帝國大学ができたのは1931年、名古屋帝國大学の創立が1939年です。
つまり、大阪・名古屋という日本国内の大都市より先にソウルと台北に国立の大学を創設しているのです。
大学創設は「財物の収奪」に該当するのでしょうか。
韓国の大学が廃絶された、などというニュースは聞いたことがありません。
ちなみに、石橋湛山(戦後の首相)が大正時代に調べたところ、日本人一人に対する国家予算の
支出が10円45銭であったのに対して、朝鮮半島・台湾の住民一人あたりに対する支出は9円46銭
でした。両者の経済格差・物価格差を考慮すると、日本は朝鮮と台湾に莫大な予算をつぎ込んで
いたことがわかります。これでは「収奪」どころかプレゼントではありませんか。

侵略の定義は、@他国に侵入し、A財物を収奪する、の2条件を持ってなされるとのことですが、
日本の韓国統治は以上の2点を満たしてはいません。
ゆえに侵略と決めつけるのは誤りだと私は考えます。


RE:歴史の真実を尊重しなさい! 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月24日(日)21時14分15秒

戦争被害者の子孫さん

>日本の過去の歴史に対して、日本人は勿論発言する権利を持っていますが、中国人、
>韓国人、東南アジアの人々にも発言する権利を持っていると思います。

権利が無い等と言っていないでしょう。ですが、「日本の責任」を言う前に、旧宗主国
だった米英仏蘭と言った「欧米列強の責任」についても、糾弾すべきではありませんか?
誰が何と言おうと、先の大戦がきっかけとなって、東南アジア諸国が「独立」した事は
事実でしょう? その事実−あなたの仰る所の「歴史の真実」を尊重せず、闇雲に「日本
の責任」だけを糾弾するのはフェアで無いのではありませんか?


RE*2:戦争被害者の子孫様 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月24日(日)21時08分09秒

化石太郎さん

>私はあなたの意見には真っ向から反対しますが、あなたの言論の自由を制限する気は
>ありません。なんならこの場をお借りして討論してもかまいません。喜んで応じます。
>
>PS 竹下さん お借りしてよろしいでしょうか?

どうぞ、ご自由に。


*『幸存者の証言ー蔡玉英さん(1931年生まれ、女)』から

>日本兵は父の所へ近づき、父の目を指で開き、刀を口に差し込み、中国語で
>「死了(スーラ)、死了(スーラ)」と言いました。

何で日本兵がシナ語で言うんでしょうか? 私には不思議で堪りません。もし、その兵士が
本当に「日本兵」だったとしたら、「こいつは、死んでいる」とか何とか日本語で言った事
でしょう。それをシナ語で「死了」とは・・・不思議に思わないのでしょうか? それに、
当時の日本兵がなぜ、そう言ったシナ語を知っていたのでしょうか? やっぱり、不思議で
堪りませんね。化石太郎さん、この点についてどう思われますか? 私には、「安部」・
「南波」・「回想録」諸氏(同一人物でしょうが)が「日本人」とは思えませんね。よしん
ば、日本人だったとしても、書かれている回想は、「死了」の点から言っても、日本兵の
回想とは到底思えません。


東南アジアの「声」って? 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月24日(日)20時55分38秒

東南アジアの「声」と言うのは、一体誰の声でしょうね?

現在、日本の侵略云々と言った主張は、その殆どが「華人」(シナ系)を
発信源としているのではありませんか? マハティール(マレーシア首相)
に代表される非華人は華人とは異なった考え方をしていますよ。又、スカルノ
等が戦犯としてオランダ軍に処刑される予定だった今村将軍(ジャワ軍政
司令官)を奪還しようとした逸話や、インドネシア独立戦争に従軍した旧
日本兵達・・・。

戦後、日本の侵略云々と言った主張は、イギリス・オランダ支配下で間接
統治者として現地人(マレー人等)に君臨した華人が、戦後、列強から独立
した東南アジア諸国において、「冷や飯」を食わされる羽目になった腹いせに
「反日」を叫んでいるものと認識しています。そして、それに日本国内の左翼・
進歩的文化人連中・一部のマスコミが便乗した結果が、現在の「日本の戦争
責任」糾弾に繋がっていると思っていますが。

もう一つ言えば、何故、当初は「マレーシア連邦」の一州だったシンガポール
がその後、独立したのか? マレー人と華人の関係は? 現在のマレーシア・
インドネシアとシンガポールの関係は? 示唆を受けるものが結構あると思い
ますが・・・。


日本軍のシナ進駐で一言 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月24日(日)20時53分27秒

日本軍のシナ進駐が侵略とのご指摘ですが、私も化石太郎さんのお考えと
一緒です。又、日本に限らず、どこの国にしても、在外邦人の人命保護に
配慮していますよ。場合によっては、自国の軍隊を派遣してでも、自国民の
生命を守ろうとします。その意味では、ペルーの日本大使館占拠事件におけ
る日本の対応は、「世界の物笑い」となった位、お粗末でした。何せ、日本
はあの時、警察部隊も自衛隊も派遣しなかったんですから。

先の戦争において日本人居留民は、通州等でシナ人によって大量虐殺され
ました。そのシナ人達は「民間人」ではありませんでしたよ。れっきとした
「軍人」ですよ。「自国民の保護」を目的に日本はシナに軍を派兵し駐留し
ましたが、もし、シナ兵が大量の日本人居留民を虐殺しなかったら、何も日
本は増派等しなかったでしょう。又、第二次上海事変におけるシナ軍の大攻
勢が、本格的な事変に発展した事もお忘れなく。あの時、日本租界を防衛し
ていた帝国海軍陸戦隊には、大挙して押し寄せてきたシナ軍を相手に防戦出
来る程の戦力はありませんでした。だから、陸軍に増派を要請したんです。
もし、「全面戦争」に突入した責任を問いたいのであるならば、日本租界を
大軍で攻撃してきたシナ側にすべきでは?

ついでですから書きますが、私は在外邦人の生命保護を目的とした自衛隊の
海外派兵に賛成です。


留学生さんへ 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月24日(日)20時50分10秒

留学生さん

>>他人の言論の自由を制限し、自己中心の言いたい放題
>
>   これは以下のことなんです。(後略)

私が「自己中心の言いたい放題」とのご指摘ですね。
それならば、申し上げますが、ここ(帝國電網省掲示板「喫茶室」)は、
そもそも「私の掲示板」です。言い方を変えれば、「我が家」です。その
「我が家」で主人の私が言いたい事を言って何が悪いのですか? 呼んで
もいないのに、勝手に上がり込んで来て「言いたい放題」とは・・・
あなたこそ、「言いたい放題」ではありませんか? はっきり言えば、こ
この主人(管理者)である私に対して余りにも失礼では?

>あなたが私の家に来てナイフを持って無理矢理に何年間も住んでいてある日
>喧嘩が始まってこれも私のせいかもしれませんね。

留学生さんが化石太郎さんへの反論として書かれたものですが、上記の私の
言い分と「目糞鼻糞」だとは思いませんか?(以下、比喩)

   あたなが私の家(ここ)に上がり込んで来て、主人に言いたい放題。
   これで喧嘩が始まっても私(竹下)のせいかも知れませんね(笑)

「言いたい放題」で気に食わないのなら、とっとと出て行って頂いて構わない
のですよ。何も、来て下さい等と頼んだ訳ではありませんし、嫌々来て頂く筋
合いもありませんし。


RE*2:日本の軍事費さん 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月24日(日)20時40分28秒

日本の軍事費さん

まず、これだけは言っておきたい事ですが、現在の日本がいくら世界第二位の
軍事費を誇っていたとしても、それだけで「軍事大国」の道を歩んでいる等と
思ってはいけませんよ。

例えば、シナ。「決算書」に上らない膨大な軍事予算、台湾への軍事侵攻を捨
てていない国家統一政策、チベット・満州・ウイグルの「新中国」成立後の進
駐、昨今の日本近海における行動・・・。更には、日本でさえ保有していない
核兵器の保有と、米国西海岸まで届く長距離射程のICSM「東風31」。これらの
事実を目の前にした時、現在の日本とシナのどちらが「軍国」か? 自明の理
と言うものです。

私は、雪さんと同様に、「専守防衛」にはそれなりの防衛力整備は必須である
と考えていますし、場合によっては、空母の保有も必要だと思っています。何
せ、現在の自衛隊の戦力・装備では、北朝鮮のテポドンですら発射を阻止出来
ません。何故かと言えば、発射基地を攻撃出来ませんから。攻撃出来ないと言
うのは、法制上の制約もさる事ながら、日本本土から北朝鮮まで飛んでいって
目標を攻撃した後に、日本本土へ帰還出来る攻撃機が無いと言う事です(航続
距離の問題)。この様な現状では、いくら軍事費がかさんでいると言ってみて
も、現在の日本に他国を「侵略」する意志も能力も到底ありません。

雪さん

こちらこそ、今後とも宜しくお願いします。


削除したので悪しからず 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月24日(日)20時35分38秒

「ちょっと歌ってよろしいかしら」氏は、「ちょっと立ち寄り」・「ちょっと
一言よろしいかしら」氏と同一人物と判断させて頂きます。以前、「入館お断り」
と申しましたが、それを無視しての来館である事と、氏名・メールアドレスを非公開、
議論目的では無い等の事から、同氏の投稿(以下に列挙)は全て削除致しました。

   目的って手段に優先するの?  投稿日:12月24日(日)18時04分34秒
   目的って手段に優先するの?  投稿日:12月24日(日)18時06分25秒
   目的って手段に優先するの?  投稿日:12月24日(日)18時07分15秒
   捕虜は殺されたとは思うのね。 投稿日:12月24日(日)18時08分40秒
   だったら一件落着       投稿日:12月24日(日)18時09分40秒

あ、もう一つ、理由を書き忘れていました。
勝手に来ておいて、相手を尊重する態度が見られなかった事。不遜な態度については、
発言の如何に関わらず、削除対象とします。
(ここは、私の掲示板ですから、私が決めた「法」に遵ってもらいます。それが嫌なら
来なければいいし、守れないのなら出て行ってもらうだけの事です。)

最後に繰り返しますが、同氏については「出入禁止」です。たとえ、ハンドルを変えても、
同氏のものと判断される投稿については、見つけ次第「全て削除」します。


留学生さん 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月24日(日)10時56分53秒

>1920年代日本陸軍参謀本部陸地測量部によって中国の極めて詳しい50000:1地図が作製されたことはご存知でしょうね。(中略)さて、質問します。20年代の時にこれはどういう目的で作製されましたか?

質問にお答えします。
それは参謀本部の日常業務です。日本に限らずどこの国でも参謀本部を戦争に備えて情報を集め、
準備しています。その準備の中で地図作成は最重要課題です。
いざ戦争が始まってから地図を作ろうとしても間に合わないでしょう。だからどこの国の参謀本部
でも地図は平和な時に作っておくのですよ。北京政府の参謀本部も地図を準備しているはずです。
地図を準備しない陸軍参謀本部があるとすれば、それは単なる給料泥棒、税金泥棒です。

>日本軍が北京のすぐ近くに駐在しているということは、中国側が招いたのではありませんよね。あなたが私の家に来てナイフを持って無理矢理に何年間も住んでいてある日喧嘩が始まってこれも私のせいかもしれませんね。

日本軍の北京駐留権は義和団事件の結果、中国側(清王朝)が認めた権利です。
義和団事件について中国国内でどう教えられているのか知りませんが、清国政府軍が大使館攻撃
に加わり包囲するというのは文明国のするべきことではありません。このような無法な国で外交官の生命を保障するには軍隊を駐留させるしかないでしょう。
ちなみに1930年代の中国にも無法状態は残っていました。通州事件では中国軍によって日本人居留民が大量に虐殺されています。日本国内では平和時にこのような野蛮な事件は起きていません
東京にある中国大使館を日本軍が攻撃したこともありませんし、中国人居留民がまとめて殺されるような事件も起きてはいません。
北京に外国の軍隊が駐留する原因を作ったのは中国側にあることをお忘れなく。
ところで北京政府は現在、チベットや満州を支配していますが、これは立派な侵略ではありませんか?
チベットはチベット人、満州は満州人の土地でしょう。
「中国」の範囲は北は万里の長城までとするべきでしょう。万里の長城は中国人が他の「野蛮な」
民族と自分達とを隔てる境界線として中国人自身の手で造られたものです。自ら設定した境界線
なら、もう少し尊重するべきです。


留学生さん 投稿者:RIO  投稿日:12月24日(日)04時57分07秒

中国の留学生さん。初めまして。このBBSに時々お邪魔するRIOと申します。個人的に、対日賠償問題、米国での訴訟、今後の成り行きに関して、非常に興味を持っております。ですから、中国の方の意見にも興味しんしんです。

私の知っている限りでは、日本軍が中国で行った行為について、俘虜虐殺や強姦があったという記録が、「従軍日誌」などにかかれています。また、慰安所の設置を促すオフィシャルな記録もあります。しかし、中国側が提出している被害者数は、かなり誇張があるのではないでしょうか。それについてどう思われますか?

また、戦後60年になる今、何故昔の日本軍の罪だけが問われているのでしょう。米軍は、ベトナムをめちゃくちゃにしましたが、その罪が問われることはありません。また、日本本土も、不当な爆撃や原爆投下などで一般市民の多大な犠牲を出していますが、それで相殺されるとはいえないのですか?

また、日本はODAというかたちで中国に経済援助を行ってきました。中国政府は、ODAという形の援助を欲し、個々の被害者の賠償には言及しません。ですから、個々の被害者への補償は、中国政府が行うべきではないでしょうか?


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)04時24分23秒

富大 図 ; 1 292.038||C47||Ka=1 00300727 ; 2 292.038||C47||Ka=2 0031836
  3 ; 3 292.038||C47||Ka=3 00339537
武工大環 ; 6 292.2/C62c b:1199801631
福井大 ; 1 292.2038||TYU||1 8805435 ; 2 292.2038||TYU||2 8805832 ; 3 2
  92.2038||TYU||3 9006475
福大 ; 1 198096446 ; 2 004005068 ; 3 s222892* ; 4 T19307899* ; 索引図
  T19404822*
北大 図 ; 1 dc19:911.51/chu 0171224960 ; 2 dc19:911.51/chu 0171224971
  ; 3 dc19:911.51/chu 0171225243
北大分館 分館 ; 1 0170170985 ; 2 DC19:912.5/CHU 0170255065 ; 3 DC19:91
  2.5/CHU/3 0172880546 ; 5 912.5/CHU/5 0172880513 ; 6 912.5/CHU/6 01
  72880524 ; 7 912.5/CHU/7 0172880535 ; 8 912.5/CHU/8 0173276626
民博 ; 1 AF1/292.203/チュウ C860954414 ; 2 AF1/292.203/チュウ C8717025
  44 ; 3 AF1/292.038/チュウ C880110341 ; 4 AF1/292.038/チュウ C93133
  3016 ; 5 AF1/292.038/チュウ C941559819 ; 6 TIZ/292.038/チュウ F200
  006099 ; 7 TIZ/292.038/チュウ F200006100 ; 8 TIZ/292.038/チュウ F2
  00006101 ; 索引図 AF1/292.038/チュウ C942114516
名大情言 情報・言語 ; 1 292.038||Ty ; 2 292.038||Ty 988424 ; 3 292.038
  ||Ty 1010338
名大文 文地理 ; 1 292.038||Ty 10974018 ; 2 292.038||Ty 10997886 ; 3 29
  2.038||Ty 11011913 ; 4 292.038||Ty 11139192 ; 5 292.038||Ty 111626
  54 ; 6 292.038||Ty 11218930 ; 7 292.038||Ty 11247387 ; 8 292.038||
  Ty 11293855
明大 本 ; 1 099.3||88||||H 18618519 ; 2 099.3||88||||H 18712409 ; 3 09
  9.3||88||||H 18810495 ; 4 099.3||88||||H 19314696 ; 5 099.3||88|||
  |H 19415829 ; 6 099.3||88||||H 19700846 ; 7 099.3||88||||H 1971597
  6 ; 8 099.3||88||||H 19812767 ; 索引図 099.3||88||||H 19415830
立正大 図 ; 6 292.203||Sa61||6 195-11921 ; 8 292.203||Sa61||8 195-2537
  4 ; 索引図 292.203||Sa61||索 94-3747
立大 ; 6 96-11399
立命館 ; 4 6111509676 ; 6 0114264715 ; 7 6111698552 ; 8 0114610101
流経大 ; 5 292//83//5 H0017202* ; 8 292||83||8 H00044273
龍大宮 図 ; 1 29750306084 ; 2 29750306095 ; 3 29750306107 ; 5 29500022
  137
歴博 書庫 ; 3 292.2038||チユ3 0110027141 ; 4 292.2038||チユ4 011702848
  0 ; 5 292.2038||チユ5 0117028498 ; 6 292.2038||チユ6 0118074046 ;
  8 292.2038||チユ8 0120064563 ; 索引図 292.2038||チユ 0110205309
佛教大 図 ; 1 383205 ; 2 383206 ; 3 383207 ; 4 1034797 ; 6 1100526 ; 7
   1126107 ; 8 1150489 ; 索引図 1059516


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)04時23分16秒

1920年代日本陸軍参謀本部陸地測量部によって中国の極めて詳しい50000:1地図が作製されたことはご存知でしょうね。この地図はその詳しさと精密さで日中戦争終わってから何十年間も中国でずっと使われていたのです。共産党軍と国民党軍の間で戦争をやってる時にも使われていて、地元の人にも知られていない道をきちんと書いてあるほど驚くべきであるわけです。さて、質問します。20年代の時にこれはどういう目的で作製されましたか?
まだ知らない方は以下の大学の図書館に行ったらすぐ見つけられます。何冊もあって一冊だけで何十キロで重いですよ。
中国大陸五万分の一地図集成 / [陸軍参謀本部陸地測量部作製]
出版事項 = 東京 : 科学書院 , 1986.10-1998.10
東大東文 図書 ; 1 RB12:E15:1 6470232346 ; 2 RB12:E15:2 6470232353 ; 3
  RB12:E15:3 6470232361 ; 4 RB12:E15:4 6430243029 ; 5 RB12:E15:5 643
  0251725 ; 6 RB12:E15:6 6430266863 ; 7 RB12:E15:7 6470232379 ; 8 RB
  12:E15:8 6430295888 ; 索引図 RB12:E15:9 6430253457
東大文 常呂 ; 1 4810359366 ; 2 4810359374 ; 3 4810359382
東大養 人 ; 索引図 3911046005
東大理 地理 ; 4 禁:274:4 2010114672 ; 5 禁:274:5 2010108682 ; 6 禁:274
  :6 2010097711 ; 7 禁:274:7 2010103337 ; 8 禁:274:8 2010110035
東農大 図 ; 1 LR292||C62||1 00151132 ; 2 LR292||C62||2 00151133 ; 3 LR
  292||C62||3 00151134 ; 4 LR292||C62||4 00189782 ; 5 LR292||C62||5
  00189783 ; 6 LR292||C62||6 00201180 ; 7 LR292||C62||7 00209924 ; 8
   LR292||C62||8 00213175 ; 索引図 LR292||C62||9 00189784
東北大 本館 ; 1 01860348596 ; 2 00870372329 ; 3 00880350282 ; 4 009301
  97791 ; 5 00940160399 ; 6 00960232119 ; 索引図 00940203941
東洋大 参考 ; 1 R292.2038:C-3:1-1 2100907167 ; 2 R292.2038:C-3:1-2 210
  0907175 ; 3 R292.2038:C-3:1-3 2100907183 ; 4 R292.2038:C-3:1-4 010
  4235072 ; 5 R292.2038:C-3:1-5 0104306691 ; 8 R292.2038:C-3:1-8 011
  0390614 ; 索引図 R292.2038:C-3:1a 0104283387
桃山大 ; 索引図 H089305*
同大 ; 1 290.3822;R;1 B;8610055355 ; 2 290.3822;R;2 B;8710020648 ; 3 2
  90.3822;R;3 B;8810025779 ; 4 290.3822;R;4 B;931007215 ; 5 290.3822
  ;R;5 B;9410058232 ; 6 290.3822;R;6 B;9701077366 ; 7 290.3822;R;7 B
  ;9701077374 ; 8 290.3822;R;8 B;9801084661 ; 付 290.3822;R;S B;9410
  058224
徳大 図 ; 1 292.038||Ch|| 299003192 ; 2 292.038||Ch||2 299003193 ; 3 2
  92.038||Ch||3 299003194 ; 4 292.038||Ch||4 299003195 ; 5 292.038||
  Ch||5 299003243 ; 6 292.038||Ch||6 299003244 ; 7 292.038||Ch||7 29
  9003245 ; 8 292.038||Ch||8 299003246
奈女大 ; 2 292.203||36 87W03600 ; 3 292.203||36 88W01315
南山大名 図 ; 4 0658557 ; 5 0696058 ; 6 0746243
日女大 図書館 ; 5 2092235 ; 索引図 2105521
日大文理 ; 1 L292.03||C62||1 11312337 ; 2 L292.03||C62||2 13577418 ; 3
   L292.03||C62||3 13718244 ; 4 L292.03||C 62||4 14525664 ; 5 L292.0
  3||C 62||5 14576120 ; 索引図 L292.03||C 62||索 14574322 ; 7 L292.0
  3||C62||7 14911889 ; 8 L292.03||C62||8 15045752
日文研 ; 1 YG||10||GE351||Ch 00020083 ; 2 YG||10||GE351||Ch 00020084 ;
   3 YG||10||GE351||Ch 00020279 ; 4 YG||10||GE351||Ch 00088496 ; 5 Y
  G||10||GE351||Ch 00102973 ; 6 YG||10||GE351||Ch 00142936 ; 7 YG||1
  0||GE351||Ch 00165693 ; 8 YG||10||GE351||Ch 00190360 ; 索引図 YG||
  10||GE351||Ch 00103279


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)04時21分30秒

1920年代日本陸軍参謀本部陸地測量部によって中国の極めて詳しい50000:1地図が作製されたことはご存知でしょうね。この地図はその詳しさと精密さで日中戦争終わってから何十年間も中国でずっと使われていたのです。共産党軍と国民党軍の間で戦争をやってる時にも使われていて、地元の人にも知られていない道をきちんと書いてあるほど驚くべきであるわけです。さて、質問します。20年代の時にこれはどういう目的で作製されましたか?
まだ知らない方は以下の大学の図書館に行ったらすぐ見つけられます。何冊もあって一冊だけで何十キロで重いですよ。
中国大陸五万分の一地図集成 / [陸軍参謀本部陸地測量部作製]
出版事項 = 東京 : 科学書院 , 1986.10-1998.10
神院大 ; 索引図 292.038||CHU 95102982
神外大 図 ; 1 N292.2-M-114-1 350081718 ; 2 N292.2-M-114-2 350320834 ;
  3 N292.2-M-114-3 350320835 ; 4 N292.2-M-114-4 350320836 ; 5 N292.2
  -M-114-5 350320837 ; 6 N292.2-M-114-6 350349158 ; 索引図 N292.2-M-
  114-II 350342894
神大人社 ; 1 7-5-455//1 0000351315 ; 2 7-5-455//2 010000359702 ; 3 7-5
  -455//3 010000359703 ; 4 7-5-455//4 010009607369 ; 5 7-5-455//5 01
  0009611810 ; 6 7-5-455//6 010009611811 ; 7 7-5-455//7 010009706149
   ; 8 7-5-455//8 010009805977 ; 索引図 7-5-455//S 010009404831
神大文 ; 1 292-203-T//1 S020010006646 ; 2 292-203-T//2 S020010007505 ;
   3 292-203-T//3 S020010008769 ; 4 292-203-T//4 S020009400358 ; 5 2
  92-203-T//5 S020009402866 ; 6 292-203-T//6 H029600001428* ; 7 292-
  203-T//7 020009800181 ; 8 292-203-T//8 020009802475 ; 索引図 292-2
  03-T 020009404811
神奈川工科大 ; 6 290.3||C||6 11108796 ; 7 290.3||C||7 11112160
成蹊大 図 ; 1 292.203||18||1 A:0087101811 ; 2 292.203||18||2 A:0087102
  920 ; 3 292.203||18||3 A:0088101440 ; 4 292.203||18||4 A:009310500
  0 ; 5 292.203||18||5 A:0094103200 ; 6 292.203||18||6 A:0096106638
  ; 7 292.203||18||7 0097105191 ; 8 292.203||18||8 0098103720
清泉 ; 1 292.2038:5:1 85401 ; 2 292.2038:5:2 85402 ; 3 292.2038:5:3 87
  125 ; 4 292.2038:5:4 107800 ; 5 292.2038:5:5 304162 ; 6 292.2038||
  5||6 3203718
西日工 ; 6 290.38/KA/C202 1:0082588
静大 図 ; 1 292.203||C62||T1 0086131265 ; 1 292.038||C62||T1 008700302
  6 ; 1 * * ; 2 292.203||C62||T2 0087045076 ; 2 * * ; 3 * *
跡見大 ; 6 H7691*
摂大 本館 ; 1 S292.2||C 1 28612915 ; 2 S292.2||C 2 28711857
大谷大 ; 1 00499254
大東大松 ; 1 1210944308 ; 2 1210269724 ; 3 1210481111 ; 4 1210748916 ;
   5 1210748924 ; 6 1210748932 ; 7 1210748940 ; 索引図 1210748959
茶女大 図 ; 4 292R/C62/4 09401003621 ; 5 292R/C62/5 09501000440 ; 6 29
  2R/C62/6 09601009732 ; 7 292R/C62/7 09801000681 ; 索引図 292R/C62/
  S 09401003352
追手門 図 ; 1 00361921 ; 索引図 S0080893
鶴見大 ; 1 292.2038||C T345950* ; 2 292.2038||C T345951* ; 3 292.2038|
  |C T369358* ; 4 292.2038||C||4 H9307539* ; 5 292.2038||C||5 095142
  55 ; 6 292.2038||C||6 09614098 ; 7 292.2038||C||7 09805110 ; 8 292
  .2038||C||8 09805280
帝京大 ; 2 292.2/C-62/2 0000195707 ; 3 292.2/C-62/3 0000195708 ; 4 292
  .2/C-62/4 0000195709 ; 5 292.2/C-62/5 0000195710 ; 6 292.2/C-62/6
  0000195711 ; 7 292.2/C-62/7 0000195712 ; 8 292.2/C-62/8 0000195713
   ; 索引図 292.2/C-62/索引 0000169638
帝塚大東生駒 図 ; 1 L292.2//C8//1 S1100151962* ; 2 L292.2//C8//2 S1100
  154898* ; 3 L292.2//C8//3 S1100160571* ; 4 L292.2//C8//4 T11002446
  74* ; 5 L292.2//C8//5 T1100255579* ; 6 L292.2//C8//6 T1100289862*
  ; 索引図 L292.2//C8//8 T1100248340*


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)04時16分44秒

九産大 ; 1 290.38 101448918 ; 2 290.38 105462758 ; 3 290.38 105463766
  ; 4 290.38 104704630 ; 5 290.38 104851019 ; 6 290.38 105462774 ; 7
   290.38 105707020 ; 8 290.38 106040629 ; 索引図 290.38 104851019
九大 経済 ; 3 292.2 ||C 62 ||3 068171188010651
九大 文 ; 2 地理||290.38||Ka 16 068051188027591 ; 索引図 地理||290.38|
  |Ka 16 005111996016053
九大六 ; 1 068581186034662 ; 索引図 292.2 ||C 625 ||2 068581194020065
駒大 KDC大型書架 ; 1 H671.1:162-1 951842707 ; 2 H671.1:162-2 871021606
   ; 3 H671.1:162-3 881019236
駒大 NDC超大型書架 ; 4 292:72-4 931030134 ; 5 292:72-5 941122343 ; 6 2
  92:72-6 961025970 ; 7 292:72-7 971025986 ; 8 292:72-8 981078199 ;
  索引図 292:72-9 951336940
駒大 外国語資料室 ; 4 292:72-4A 931030126 ; 5 292:72-5A 941122350 ; 6
  292:72-6A 961025988 ; 7 292:72-7A 971025994 ; 8 292:72-8A 98107820
  7 ; 索引図 292:72-9A 951336957
駒大 地理資料室 ; 4 292:72-4B 931037147 ; 5 292:72-5B 941122376 ; 6 29
  2:72-6B 961025962 ; 7 292:72-7B 971026018 ; 8 292:72-8B 981078322
  ; 索引図 292:72-9B 951336965
駒大 仏教資料室 ; 4 292:72-4C 941100562 ; 5 292:72-5C 941122368 ; 6 29
  2:72-6C 961069762 ; 7 292:72-7C 971026000 ; 8 292:72-8C 981078314
  ; 索引図 292:72-9C 951336973
熊学大 ; 1 000701845 ; 2 000701857 ; 7 004836822 ; 3 003077553 ; 4 004
  232755 ; 5 004232767 ; 6 004590308 ; 索引図 004936444
熊大 ; 2 292.2||C,62||(2) 10101024
熊大 文(共通辞) ; 1 292.2||C,62||(1)|| 遡及データ
慶大三 三田 ; 4 OH 1107361893
広修道 ; 1 1
広大中 ; 1 292.038:C-62:1/HL152200 1500422360 ; 2 292.038:C-62:2/HL152
  200 1500422361 ; 4 292.2038:C-62:4/HL151200 1500407422 ; 5 292.038
  :C-62:5/HL152200 1500422362 ; 6 292.038:C-62:6/HL152200 1500422363
   ; 8 292.038:C-62:8/HL152200 1500422364 ; 索引図 292.038:C-62:サク
  イン/HL152200 1530406101
甲南女 ; 4 T00261366*
高大 ; 7 15801560 ; 索引図 1:15449220
佐大 図 ; 3 292.038-C 62-3 118900311
阪外大 ; 1 292.2||143|| 0003046153 ; 2 292.2||143|| 0003046227 ; 3 292
  .2||143|| 0003123637 ; 4 292.2||143|| 0003882738 ; 5 292.2||143||7
   0004556830 ; 6 292.2||143||7 0004556830 ; 7 292.2||143||7 0004556
  830
阪市大 センタ ; 1 L292.038//C62//8019 11700780189 ; 2 L292.038//C62//7
  884 11790178849 ; 3 L292.038//C62//7882 11790178823 ; 4 L292.038//
  C62//7883 11790178831 ; 5 L292.038//C62//7885 11790178856 ; 6 L292
  .038//C62//8019 11700780197 ; 7 L292.038//C62//8020 11700780205
阪市大 経済 ; 索引図 L292.038//C62//1776 11200217765
阪市大 文 ; 7 L292.038//C62//8518 11400685183
阪大 ; 索引図 R292.2038/CHU/# 10300315305
阪大 文資 ; 2 292.2038/CHU/2 89LT033075 ; 3 292.2038/CHU/3 89LT033083
  ; 4 10500141600 ; 5 10500225973 ; 6 10500446223 ; 7 10500570113 ;
  8 10500716245
埼大 図 ; 1 292.03:Ty:1 W0055203 ; 2 292.03:Ty:2 W0055211 ; 3 292.03:T
  y:3 W0068983
札大 ; 1 R292.038||C62||1 ; 2 R292.038||C62||2 ; 3 R292.038||C62||3 ;
  4 R292.038||C62||4 ; 5 R292.038||C62||5 ; 6 R292.038||C62||6 05645
  718 ; 7 R292.038||C62||7 ; 8 R292.038||C62||8 ; 索引図 R292.038||C
  62
滋大教 ; 4 292.038||C 62 94001211
鹿国大 図 ; 索引図 T1000245102*
鹿大
取大 図 ; 1 292.203:Chu:(1) 0010166528 ; 2 292.203:Chu:(2) 0010166536
  ; 3 292.203:Chu:(3) 0010166544 ; 索引図 292.203:Chu:(S) 0100773068
上智大 Ref ; 1 292.038:C625:v.1 860294218 ; 2 292.038:C625:v.2 8700848
  96 ; 3 292.038:C625:v.3 880154608 ; 索引図 292.038:C625:Index 0017
  22134
新大 図 ; 4 292.038//C62//4 ; 5 292.038//C62//5 194025605 ; 6 292.038/
  /C62//6 1960180687 ; 7 292.038//C62//7 1980088460 ; 8 292.038//C62
  //8 1990048690


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)04時15分54秒

1920年代日本陸軍参謀本部陸地測量部によって中国の極めて詳しい50000:1地図が作製されたことはご存知でしょうね。この地図はその詳しさと精密さで日中戦争終わってから何十年間も中国でずっと使われていたのです。共産党軍と国民党軍の間で戦争をやってる時にも使われていて、地元の人にも知られていない道をきちんと書いてあるほど驚くべきであるわけです。さて、質問します。20年代の時にこれはどういう目的で作製されましたか?
まだ知らない方は以下の大学の図書館に行ったらすぐ見つけられます。何冊もあって一冊だけで何十キロで重いですよ。
中国大陸五万分の一地図集成 / [陸軍参謀本部陸地測量部作製]
出版事項 = 東京 : 科学書院 , 1986.10-1998.10
OXFORD/ BOR ; 1-8 JS.a.1/1-8 ; 索引図 (含:旧満洲五万分の一地集成) Z.C.
  350.5
フェリス 山手参考 ; 索引図 292.2||C62 102254910
プール ; 1 4024472 ; 2 4024473 ; 3 4024474 ; 4 4024475 ; 5 4024476 ; 6
   4024477 ; 7 4024478 ; 8 4024470 ; 索引図 4024471
愛教大 図 ; 1 292.038||C62||1 87010479 ; 2 292.038||C62||2 87010480 ;
  3 292.038||C62||3 88014194
愛大国研 研 ; 1 292.038:Ka16:1 1041302604 ; 2 292.038:Ka16:2 104130261
  3 ; 3 292.038:Ka16:3 1041302622 ; 4 292.038:Ka16:4 1041302631 ; 5
  292.038:Ka16:5 1041302640 ; 6 292.038:Ka16:6 9641300306 ; 7 292.03
  8:Ka16:7 9841300159 ; 8 292.038:Ka16:8 9841300444 ; 索引図 292.038
  :Ka16:Ix 1041302597
愛大豊 図 ; 1 #454.8:6:1 8711119950 ; 2 #454.8:6:2 8811085862 ; 3 #454
  .8:6:3 8811085871,9017001838 ; 4 #454.8:6:4 9811017730 ; 5 #454.8:
  6:5 9417023065 ; 6 #454.8:6:6 9617005276 ; 7 #454.8:6:7 9711047441
   ; 8 #454.8:6:8 9911078637 ; 索引図 #454.8:6:Ix 8611808236
一橋 図 ; 4 *Rd**247**4 119304514S ; 5 *Rd**247**5 119404009S ; 6 *Rd*
  *247**6 1196048680 ; 7 *Rd**247**7 119705162W ; 8 *2920**769**8 11
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横国大 ; 7 199905140 ; 8 199905141
横国大 図 89 ; 4 292.038//TY H0461459 ; 5 292.038//TY T330021 ; 6 292.
  038||TY H97002680*
岡大 文歴史 ; 5 MA29/22-C 016000204301
学習院 史学 ; 1 292.2||120ア||1 00479588
学習院 東研 ; 索引図 292.2||120F 00651588
関西院大 史 ; 索引図 912:269-2 0001492891
関西院大 地図 ; 4 912:269:4 0001276237 ; 5 912:269:5 0001352244 ; 索引
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宮教大 ; 4 961003635
京産大 ; 4 R/292.2038-TYU+4 R)696825/BV ; 5 R/292.2038-TYU+5 R)731778/
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  BV ; 8 R/292.2038-TYU+8 R)878311/BV
京女大 図 ; 5 292.22//X147 0005123909 ; 索引図 292.22/A25/ 0005125685
京大人文研 東方部 ; 6 292.038||Ty/9 96089353 ; 7 292.038||Ty/9||7 9807
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京大総人 人環・人社 ; 5 292||Chu 96024525
京大総人 人環・文社 ; 2 292||Chu 98051131
京大総人 日中文化 ; 5 292||C||4 98088513 ; 6 292||C||4 97042342
京大文 中哲文 ; 6 日F||292.2038||り-01 96049917 ; 索引図 日F||292.2038
  ||り-01 00013608


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)03時41分50秒

>他人の言論の自由を制限し、自己中心の言いたい放題

これは以下のことなんです。

「ちょっと一言よろしいかしら」さんへ 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月20日(水)19時03分31秒

「ちょっと立ち寄り」から改名なされた様ですが、以前、私は丁重に、

>「もうお越し頂かなくても、結構ですよ。」

と申し上げた筈ですが、再びのご来館ですか?
こちらの言い方がはっきりとしていなかった様で、悪うございました。
それでは改めて申し上げます。
これ以後、「入館お断り」とさせて頂きますので、悪しからず。

それにしても、「ちょっと一言よろしいかしら」とは何とも・・・
私、デヴィ夫人が嫌いなんですよね・・・


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)03時33分07秒

1935年の歴史なんですけど、日本軍がどうやって蒋介石の共産党に専念しているチャンとをとって北京のすぐ近くまで侵入したのかを覚えてくださいね。
5月29日)支那駐屯軍が国民党機関の河北省撤退を要求
6月5日)関東軍特務機関貞らが宋哲元軍に逮捕される(チャハル事件)
6月10日)国民政府が国民党機関の河北省撤退を承諾(梅津・何応欽協定)
6月27日)国民政府が宋哲元軍のチャハル省北中部撤退を承諾(土肥原・秦衝純協定)
11月25日)日本軍指導の冀東防共自治委員会成立
12月18日)北平に冀察政務委員会成立(委員長宋哲元)


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)03時21分45秒

>当時の中国大陸には国民党、共産党、および各地の軍閥が勢力争いを繰り広げて
>おり、日本はその勢力争いに巻き込まれたと見るべきでしょう。
歴史を良く調べてください!1937年の時点では中国の各軍閥はもう既に蒋介石の北伐によって降伏して統一した何年間もの後であります。共産党は北京の西1000キロメートル以上の陜西にいて勢力はぜんぜん小さいのであります。


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)02時48分54秒

>次に中国ですが、日華事変(日中戦争)は歴史再考にもあるように日本側の攻撃によって
>始まったものではありません。実態が完全に解明されたわけではありませんが、中国側の
>発砲によるものと見て間違いはないと思われます。
1937年7月7日のことは日本側の攻撃によって始まったものとしても、日本軍が北京のすぐ近くに駐在しているということは、中国側が招いたのではありませんよね。あなたが私の家に来てナイフを持って無理矢理に何年間も住んでいてある日喧嘩が始まってこれも私のせいかもしれませんね。
ここまで考えると化石太郎さんにはもう何もいえなくて負けました。


RE・日本の軍事費さん 投稿者:  投稿日:12月24日(日)02時40分00秒

初めまして、日本の軍事費さん。あなたは「日本は専守防衛なのに
軍事費が多いのは変じゃないか」とおっしゃっているのだと思いますが、それは違います。
「専守防衛」だからこそ多大な軍事費が必要なのです。
考えて見てください、たとえば敵が攻めてきたとします、対岸の敵の基地から空襲のために
敵機が飛んできて攻撃してきても我々はその飛行機を撃墜する事「しか」出来ないのです。
敵の基地を敵機が離着陸出来ないように攻める事が出来ないのです、つまり攻められっぱなし
という事です。これが他の国なら、さっさと攻められるものなら攻めて相手の基地を破壊し
てしまえばもうそれで空爆の危機は去ります。しかし日本はその攻撃にじっと耐えなければならず
敵の攻撃はいつまでも続きます。つまりそれだけ日本は対空攻撃能力をほかの国より高くしなければ有事の際には防衛しきれないのです。それだけ軍事費も必要なのです。
アメリカがいるといっても現在日本に駐留している部隊の力だけでは露・中・朝が攻めてきた場合には不充分ですしアメリカから来る本体は前線へ行くので銃後は不充分です。近代戦において
前線と銃後の差はほとんどありませんし、補給地でもある日本を叩けば前線も衰弱しますので
本土も敵は攻撃してくるでしょう。そのためにも多大な軍事費を使い防衛力を高水準にしなければ
いけないのです。
ちなみに「永久中立国」である素晴らしい国家スイスでは国特に国境線をまるでハリネズミのごとく武装しています。これは「永久中立」を守るためには「軍事力」が必要だから武装しているのです。

竹下義朗様>初めまして、初参加でこんな長文を述べてしまい失礼しました、
      これからもチョクチョク書きこみさせていただきますのでどうぞ
      よろしくお願いします。


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)02時30分47秒

>ちなみに多くの韓国人が日本軍の兵士・士官として従軍しています。
>これでは加害者対被害者の構図は出てきません。仮に先の大戦が日
>本の一方的な侵略だったとするなら、韓国は共犯ということになるでしょう。
これもいい理屈ですね。他国を侵略してその国民に「あなたはもううちの国民だ」といって戦場に送って戦わせ、それであの国に対してはもう侵略でもないし、共犯もいて寂しくなくなります。


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)02時17分12秒

>日本は中国に対して戦闘は遂行していますが、韓国・東南アジア諸国およびその国民とは一切戦>争は行っていません。戦争をしていない以上、「侵略戦争」の加害者対被害者という関係は論理>的に成り立たないはずです。
>また、韓国は当時日本国であり、やはり先の大戦においては加害者対被害者の関係は不成立です
まず、韓国のことですが。もしヒトラーが化石太郎さんの話を聞いたら必ず後悔するでしょうね。なぜ当初フランスを合併しなかったのだろう?いっそ合併したら侵略戦争だと言われなくなるだろうね。いっそ合併したらフランスも被害者じゃなくなるだろうね。
また、東南アジアのことですが。他の殖民者を追い出して自分が殖民者になるのも先の「侵略」という言葉の定義に当てはまるでしょうね。


(無題) 投稿者:留学生  投稿日:12月24日(日)02時02分17秒

はじめまして。
私は中国からの留学生で、これから真剣に日中関係のことについてこの場をお借りして討論させていただきたいとおもいますが、よろしくお願いいたします。
>ここであなたの言う戦争とは1930年代から45年までの間の一連の戦闘行為を指すものと
>解釈した上で論じます。
まず、これは間違いました。1930年代の前にも日本が侵略行為をやりました。朝鮮支配を企図した日本が、1904年以降韓国の内政・外交権を次第に掌握した末、韓国併合条約により韓国を領有しました。これは侵略とはいえますよね。ちなみに広辞苑により「侵略」という言葉の意味は「他国に侵入してその領土や財物を奪い取ること」であって、日本人である化石太郎さんのほうが私より分かっているでしょう。


(無題) 投稿者:abc  投稿日:12月24日(日)01時22分51秒

小林よしのりは福岡出身らしい。なんだか夏目漱石の声が聞こえてくるような気がする…

「福岡より東京は広い。東京より日本は広い。日本より… 日本より頭の中の方が広いでしょう。とらわれちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓(ひいき)の引倒しになるばかりだ」


RE:戦争被害者の子孫様 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月24日(日)01時03分31秒

はじめまして。
ここであなたの言う戦争とは1930年代から45年までの間の一連の戦闘行為を指すものと
解釈した上で論じます。
あなたの意見を整理すると以下のようになります。
加害者=日本
被害者=中国・韓国・東南アジア諸国
しかし、そんなに簡単に割り切れるものでしょうか。
日本は中国に対して戦闘は遂行していますが、韓国・東南アジア諸国およびその国民とは一切戦争は行っていません。戦争をしていない以上、「侵略戦争」の加害者対被害者という関係は論理的に
成り立たないはずです。
また、韓国は当時日本国であり、やはり先の大戦においては加害者対被害者の関係は不成立です。
ちなみに多くの韓国人が日本軍の兵士・士官として従軍しています。中にはホン(洪)・サイク
陸軍中将のように将軍として戦った人物もいます。さらに内地在住の韓国人は帝國臣民として
参政権を持ち、貴族議院には終戦時で7名いたように日本の立法機関にも参議していました。
これでは加害者対被害者の構図は出てきません。
仮に先の大戦が日本の一方的な侵略だったとするなら、韓国は共犯ということになるでしょう。
東南アジアにいたってはそもそも国家が存在していませんでした。
当時、かの地域は英領マレーシア、オランダ領インドネシア等の植民地だったのです。
日本は決して東南アジア人や東南アジア諸国を相手に戦争をしていたわけではありません。
あくまでも米国人、英国人、オランダ人を相手に戦っていたのです。あなたは戦った相手を
勘違いしています。
次に中国ですが、日華事変(日中戦争)は歴史再考にもあるように日本側の攻撃によって始まった
ものではありません。実態が完全に解明されたわけではありませんが、中国側の発砲によるものと見て間違いはないと思われます。
しかも、直前に通州事件があり、日本人居留民が中国軍の手で大量に虐殺されていたのです。この事件を知らない方は当時の新聞に踊る「暴支」の文字に違和感を覚えがちですが、現地に軍を派遣した日本側の対応もそれなりに理はあったのです。
さらに言うなら、日本は日華事変の期間中に何度か和平工作を試みていますが「侵略」呼ぶに足る領土要求などしてはいません。そして、中国側は日本の和平交渉にほとんど応じていません。
自ら発砲し火蓋を切りながら和平にも熱意を持たなかった以上、中国を一方的な被害者とするのは
誤りです。
中国大陸を戦場にしてはいましたが、日中両軍の戦力バランスの結果として日本軍が押す形になったまでのこと。当時の中国大陸には国民党、共産党、および各地の軍閥が勢力争いを繰り広げて
おり、日本はその勢力争いに巻き込まれたと見るべきでしょう。

>アジア諸国の人々の意見を聞くべき
これがまた怪しいんですよ。なにせ戦争終了から55年も経過していますから日本人もアジア人も
真実から切り離されてしまっています。もう大分世代が入れ替わっていますので今、直接意見を聞けるのは大部分が戦争を経験していない世代ということになります。アジア諸国の戦後世代の意見の信憑性には疑わしいものもあるでしょう。
特に韓国や中国では反日を旗印にした公教育が行われていますから、冷静・的確な意見など期待
するのは無理です。
ちなみに呉善花氏の著作によれば、日本の統治を受けた世代よりも戦後の世代の方が反日意識が強いとのことです。いかに強烈な反日教育かは容易に想像できます。

>他人の言論の自由を制限し、自己中心の言いたい放題
それは、まさに左翼のやり口です。朝日新聞と日教組に言ってやって下さい。
少なくともあなたには言論の自由は保障されているはずです。あなたの意見は朝日新聞や
毎日新聞なら大歓迎してくれますよ。この会議場にもちゃんと意見を発表しているじゃ
ありませんか。
私はあなたの意見には真っ向から反対しますが、あなたの言論の自由を制限する気はありません。
なんならこの場をお借りして討論してもかまいません。喜んで応じます。

PS 竹下さん お借りしてよろしいでしょうか?


(無題) 投稿者:abc  投稿日:12月24日(日)00時07分49秒

何よりも戦争がもういちどおこらように。


幸存者の証言ー蔡玉英さん(1931年生まれ、女) 投稿者:回想録  投稿日:12月24日(日)00時05分21秒

日本兵が去った後、私の性器は腫れあがり、痛くて動くこともできませんでした。小便が知らないままに流れ出し、調節ができなくなっていました。父も母も動けなくなり、傷の手当は自分でするしかありませんでした。布切れを股に当てていましたが、小便が沁みて痛くて体を動かすことができず、何カ月経っても前かがみになって股を開いた姿でしか歩けませんでした。
 父は、首を切られたため体を動かすこともできず、重体で食べ物も受け付けず、数日後には死んでしまいました。母も精神的におかしくなり、悲憤で毎日泣き暮らしました。日本兵に強姦された時顔をかかれ眼も傷ついて失明し、食物も受け付けなくなって父のすぐ後に死んでしまいました。
 数日後、父の師兄弟の妻が安全区から戻ってきて私たちの世話をしようとしました。この人はまだ16歳で、家にやってきた三人の日本兵に輪姦されてしまいました。後で戻ってきた夫はそれを知って、「日本兵と寝た女」と彼女を罵りひどく殴りつけました。夫にわかってもらえず彼女は絶望して、間もなく池に飛び込んで自殺してしまいました。
 また、近所に住んでいた自分より一歳年上の遊び友達の女の子は両親の目の前で日本兵に強姦されました。父も母も「助けて下さい。助けて下さい。」とひざまずいて哀願するのも聞き入れられず銃で撃ち殺されました。その上、女の子は強姦された後、酒の瓶の先を性器に差し込まれ痛くて泣き叫んでいました。日本兵は刀でその子を斬り殺しました。
 その後も日本兵は度々やってきましたが、私のボロボロになったズボンをずらし、下半身が腫れ上がっているのを見て強姦するのをあきらめました。しかし、わからない言葉で怒鳴りながら私を殴ったり蹴ったりしました。
 父も母も日本兵に殺され、幼い私は体の痛みを我慢しながら、ひとりぼっちで生きて行かなくてはなりませんでした。物乞いをして、その日の食物を手に入れることもありましたが、悲しくて何度も池に飛び込んで死んでしまおうと思いました。ある日、池の畔で泣いていると、青年がやってきて私に泣いている訳を尋ね慰めてくれました。彼は早くに両親を亡くしていて、ひとりぼっちの私の悲しみを理解してくれ、何度も食べ物やお金を私に分けてくれました。
 14歳になったとき、私は14歳年上のその人と結婚しました。夫は優しくて、私のおむつまで洗ってくれる人でしたが、夫の姉はことごとく私に辛く当たりました。「日本人と寝た女。汚らしい女」と罵り殴られました。日本兵のせいで、両親を奪われ、教育も受けられませんでした。強姦の時の傷がひどく、私はいまだにおむつを離せない体になり、60年間辛い思いをしてきました。


幸存者の証言ー蔡玉英さん(1931年生まれ、女) 投稿者:回想録  投稿日:12月24日(日)00時03分58秒

当時は、南京城内通済門(南京城南部)の北大中橋東文思巷に住んでいました。当時の家族構成は53歳の父、53歳の母、7歳の私の三人家族で父は竹細工師でした。日本軍が侵攻してくることを知って、近隣の人々は国際安全区に避難していきました。父親は、自分たち年寄りや小さな子どもならいくら日本軍が悪いといっても危害を加えないだろうと思って家に残りました。周りでも年寄りや子どものいる家はこうして残る者が多かったのです。
 12月13日。朝7時か8時ごろ、三、四人の銃と刀を持った日本兵が家の扉を開けて入ってきました。当時敷地内に三家族が住んでいましたが、銃を乱射して押し入ってきた日本兵に、まず管理人のおじいさん、朱という家主のおばあさんが撃たれました。続いて、屋内にいた父が左腕を撃たれて倒れました。母も引きずり倒されました。
 午後2、3時頃、再び二人の日本兵が入ってきて、母を取り囲み、刀で母のシャツや身につけていた衣服を切り裂きました。取られまいとして身につけていた銀の首飾りやお金を日本兵は奪っていきました。母は「やめてください。」と言いましたが、綿入れの上着や布団まで何もかも奪っていきました。
12月14日。午前2、3時ごろ、父の傷も深いので近くの避難所に逃げようとしましたが、手前で多くの日本兵に銃でさえぎられ家に追い返されました。その日は、朝まで何もありませんでした。
 真冬で寒かったので、午後、庭の日溜まりで陽にあたっていると、二人の日本兵が馬に乗って入ってきました。馬から降りた一人が髭が生えていて、急に私に近づいて抱き上げズボンを脱がそうとしました。激しく抵抗して泣く私に父は、「泣かないで、泣かないで。」と言って、日本兵から私を取り返そうとしました。父は、数度日本兵に顔を殴られ、地面に倒れました。その場で馬乗りにされ、首を三度も切りつけられました。血が止まらずに血だまりの中で父は動かなくなりました。母は必死になって父をベットに運んでいきました。
 12月15日。午後2、3時ごろ、台所の下で母と私が横になっている所へ、再び二人の日本兵が入ってきました。父は出血で衰弱して横たわったままでした。日本兵は父の所へ近づき、父の目を指で開き、刀を口に差し込み、中国語で「死了(スーラ)、死了(スーラ)」と言いました。父は意識がありましたが、傷がひとくて声も出ず抵抗もできませんでした。父が死んだと思って一人の日本兵が私に近づいてきました。私は恐怖で声もでませんでした。日本兵は私を押し倒し、乱暴にズボンを剥ぎ取りました。太股を両手で開き、指を膣に押し込んでえぐりました。痛くて痛くてたまりませんでしたが、殺されるのが怖くて泣くこともできませんでした。そのまま私は日本兵に強姦されてしまいました。母は強姦を恐れて顔に煤を塗っていましたが、もう一人の日本兵に顔を強くこすられました。この時母親は日本兵の手を噛んだので顔をひどく殴られ強姦されてしまいました。その後銃口を膣にねじ込まれて痛くて「やめて」と泣きながら哀願しましたが聞き入れられませんでした。もし私も泣き叫んだら、母も殺されると思っていました。母の下半身からたくさんの血が流れ止まりませんでした。動けなくなった父親の眼前で母と私は日本兵から残酷な蹂躙を受けたのでした。


南京戦に参加した父 投稿者:南波  投稿日:12月24日(日)00時00分15秒

日本軍
*日本軍の兵隊など虫けら以下だった。何かと言っては、将校に殴られ蹴られして苦しめられる。自分はやりたくなかったので、軍曹になっても兵隊を殴らなかった。すると、今度は、俺が兵隊を甘やかしていると言って、将校からやられるんだ。
*殴ってばかりいるイヤな将校など殺してやりたくなる。俺も、戦闘中に、何回か殺してやりたい将校を後ろから撃ってやった。将校共も判っているので、、戦闘では前に出ないで、兵隊の後ろにばかりいるんだ。ある時、憎たらしい曹長が、俺にも子供がいると言ったことがある。それを聞いて、ああこんな奴にも家族がいるんだと思ったが、そいつも、その日の戦闘で死んだ。戦闘が終わった時、一人の将校が、負傷して倒れていた。俺も負傷していた。その将校が、「自分を連れていったら勲章をやるぞ」と言ったので、何言ってやがる死んじまえと思って置いていこうとしたら、今度は「助けてくれ」と言ったので、おぶって連れて帰ってやった。


何の為の戦闘か?
*八路軍(現在の中国人民解放軍)は強かった。退却する時は、何人か残して退却するが、残った兵隊は、体を木に鎖で縛りつけたり、膝をヒモで結んで、自分で逃げられない様にするんだ。そして、日本軍に殺されるまで撃ち続けて仲間を退却させる。中国の兵隊が、なんで、何の為にあれだけ闘うのか判らなかった。日本の兵隊で、天皇の為に闘っている者など誰もいなかった。天皇陛下万歳等と言って死ぬ兵隊はいない。皆、母親か妻、子供の名前を呼んで死んでいく。天皇云々と言う奴は、死なない将校だ。俺も考えた。何で闘っているのか。中国の兵隊は、自分の家族を守る為に闘っている。結局、俺も家族の為に闘っているのだと思うほかなかった。しかし、家族は日本にいるのに、何で俺は、中国で闘っているんだ。何で、中国まで来て、中国の兵隊や村人を殺しているんだ。それを考えると、もう戦闘がイヤで死のうと思った事が何回もある。弾が当たる様に、戦闘中に、塹壕から頭を出しているけど、当たらないんだ。仕方無いから、死ぬつもりで、突っ込んでいった。それでも、弾が当たらないばかりか、英雄的行為として、勲章までくれやがった。それを、従軍記者が取材に来て、偉そうに言うので、何も判っていない奴だと思って殴りつけてやりたかった。

中国軍との交流
*ある戦闘で負傷して戦場に取り残された時、八路軍の兵隊も一人負傷して取り残されていた。その兵隊と一つ屋根で暮らす事になった。互いに傷が治るまで一緒に暮らした。日本軍が来ると俺が出て、今治療していると言い、八路軍が来ると相手が出て、今治療していると言い、互いに傷が治ってから別れた。

除隊そして空襲―敗戦へ
*除隊して働いていたら、空襲された。皆な焼け出された。国道のロータリーじゃ逃げてきた人が、重なりあって焼け死んだ。うちの親戚も沢山死んだ。敗戦になって、米軍が上陸してくるとなると、千葉でも神奈川でも、女・子供はみんな遠くの山へ逃がした。強姦されたり殺されると思ったからだ。日本軍は朝鮮や中国でそういう事を、散々してきたから、今度は皆なやられると思ったんだ。俺は、中国で何百人殺したか判らないし、日本は、中国でひどい事をした。しかし、中国人はすごい。あれだけひどい事をされたのに、日本人の子供を育てて日本に帰してくれる(中国残留日本人の帰国子女)。日本人には、絶対出来ないだろう。
*俺は、武見(元医師会会長)、笹川良一(元日本船舶協会会長)、天皇(ヒロヒト=昭和天皇)が死ぬまでは死ねない。笹川と児玉は、満州で財宝や金をかっぱらったりしながら、終戦間際に逃げ帰ってきた。また、天皇の命令で日本の兵隊は中国でひどい事をしたし、死んでいった。生きて虜囚のはずかしめを受けず(軍規)と命令して、兵隊や日本人も自決させたのに、なんで、天皇は敗戦になっても、自決せずにおめおめと生きているんだ。

*戦前の教育では、戦争に反対するなんて考えられなかった。しかし、もう一度、日本が侵略しようとするなら、その時は、俺も反対するよ。


南京戦に参加した父 投稿者:安部  投稿日:12月23日(土)23時58分24秒

私が小学生の頃から、父は「俺は中国で、この手で何百人殺したか判らない」と言っていました。そして、亡くなるまで、夜、時々うなされていました。昨年、東裁判を傍聴した時、戦時中に将校だった連中も傍聴していました。連中の目つき、雰囲気、姿勢が「どこかで見たり感じたりしてきたものだ」と思いましたが、それは父と同じものでした。そして、この連中も中国で虐殺を繰り返してきたのだと直感しました。それくらい父も残虐な行為を行っています。父−南波賢(1991年8月死亡 享年76才)は、二回徴兵され、関東軍に所属し、中国東北部=「満州」と中国南東部=上海、南京等(所属は金沢第9師団)を侵略し、二回とも負傷して除隊しています。また45年には大空襲で焼け出されてもいます。以下の文章は、小学生の頃から聞かされていた事を、亡くなる前年に再度聞き取りしてまとめたものです(父親ばかりでなく、今また子供たちを兵隊に取られる様な時代がくるとは)。


上海から南京へ
*土と兵隊にある様な満州での戦闘は、まだのどかだったが、上海上陸から南京にかけては地獄だった。俺の村から180名が徴兵されて同じ部隊にいたが、それが一晩で11名しか生き残らない戦闘になった。自分も負傷して、夜中に戦場をはい回った。自分の体の下は、皆兵隊の体だった。冷たいのもあれば、まだ温かいのもあった。クリークに入って、渡り始めると、何かにぶつかり、5m位先で誰かが「うっ」と呻いた。何かと思って掴むと、水の中に倒れていた兵隊の腸だった。腹からはみ出した腸が水の中を流れていて、それに俺がぶつかったので、呻き声をだしていたんだ。
*自分も負傷し治療して部隊を追っていったが、追いついたのは南京占領後だった。部隊は、河口で中国人を殺し続けていた。「何でこんな事をしているんだ」と聞くと、師団長命令で「全員処置せよ」(全員殺せという意味)との命令があったそうだ。後ろ手で縛り、数珠つなぎにした中国人を、トラックが何台も何台も運んできた。その中国人をトラックから降ろして、河口に並ばせて、機関銃でバッバッバッと連射して殺すんだ。倒れたところを足げにして、河に捨てた。中には、生きていた者も居て、泳いで逃げようとするのを小銃で撃った。それを三日三晩やった。兵隊であろうがなかろうが、皆殺しにした。俺の役は生きている者を一人ずつ殺すことだった。中国政府は、南京で30万人殺されたと言っているが、俺はもっと殺したと思っている。

*河口で殺した後も、ここで中国人を殺し埋めたという場所に連れていってもらった事がある。そこは、一面の野原だったが、見ていると地面が地震の様に揺れていた。なんだと思って地面を掘ると、血が吹き出してきた。腐った死体から出たガスと血で地面全体が揺れていたんだ。


三光作戦
*ある村を占領した時、一軒一軒家を調べて回った。自分が入った家に、中国軍の兵隊が10何人か隠れていた。こっちは一人だったが、「村は日本軍が占領したから降伏しろ、命だけは絶対助けてやる、俺を信じろ」と言って降伏させた。こっちも必死だったんだ。その10何人を部隊長の所に連れて行って「捕虜です」と言うと、奴は、「何で連れてきた、全員殺せ」と言いやがった。俺は、「そんな事はできない、自分を信じてみんな降伏したんだ。出来る訳がない」と言うと、奴は、「お前が殺さないのなら、お前を軍令違反で銃殺にするぞ」と言いやがった。この時ほど、俺は、日本の兵隊を殺してやりたいと思ったことはない。俺は、自分の銃を部隊長に向けて「自分には殺せない」と言うと、奴は違う部下に命じて、中国の兵隊全員を撃ちやがった。しかし、鉄砲の弾なんて、心臓や頭に命中しない限り、なかなか死なない。腹に当たった位では、一日中苦しんで死ぬんだ。みんな、なかなか死なないで、のたうち回っているんだよ。俺は見てられなかった。銃剣で一人ずつ殺したよ。俺は泣きながら、「申し訳ない、済まん、俺を信じて降伏さえしなければ死なずに済んだのに」と言いながら一人ずつ殺したんだ。
*一つの村を占領すると、必ず中国人が家財道具を持って逃げてくる。道路に検問所を作って、歩いてくる中国人を捕まえる。家財道具はその場で燃やしてしまう。中国人は、4−5人ずつ、手榴弾を入れた穴の上に座らせる。そして引っ張ってきた針金で雷管を抜き、爆発させて殺してしまう。暴れる中国人は、殴りつけておとなしくさせてから、生きたままガソリンをかけて燃やしてしまう。生き埋めにする時は、土をかけただけでは死なないので、上から踏む。すると、土の中で骨がボキボキ折れる音がするんだ。


(無題) 投稿者:日本の軍事費  投稿日:12月23日(土)23時50分54秒

■日本の軍事費■
平成5〜9年度の実績(単位:億円・%)

平成5年度予算額 46,406
平成6年度予算額 46,835
平成7年度予算額 47,236
平成8年度予算額 48,455
平成9年度予算額 49,414

(^^;早い話、5兆円規模なんです。これを念頭において、北朝鮮と中国の軍事費を比較してください。誤解されては困りますが、現在、わが国は米国から保護されており、他国の攻撃を受けた場合、米国をバックアップする補助的な位置付けになることを忘れないでください。あくまで、先頭で戦うのはアメリカ軍の兵隊さんです。これは歴史の流れから来ています。われわれのような侵略魂の民族がしゃしゃり出ることは周囲の国を刺激し、問題をややこしくするだけです。この軍事費を見て、不思議に思いませんか?「戦争を放棄した」と言ってるのに、実質は世界二番目でございます。


歴史の真実を尊重しなさい! 投稿者:戦争被害者の子孫  投稿日:12月23日(土)23時43分55秒

 日本の過去の歴史に対して、日本人は勿論発言する権利を持っていますが、中国人、韓国人、東南アジアの人々にも発言する権利を持っていると思います。
 昔の侵略戦争に対して、加害者の日本の意見よりむしろ被害者アジア諸国の人々の意見を直接に聞いたほうが良いと思います。いくら過去の侵略の性質を否定しても、事実としては存在しています。他人の言論の自由を制限し、自己中心の言い放題は昔の軍国主義のやり方です。


え!? 投稿者:Kao  投稿日:12月23日(土)03時04分47秒

セリカちゃんがお亡くなりに?
まあ、なんて残念なんでしょう。
で、次の恋人は?
貴婦人なんかがいいかと存じますが・・・。
3年落ちくらいなら100以下ですよ、って
あたしは中古車屋か。^^;

そういうわけですので(どういうわけだ)、
しっかりお勉強させて頂きますです。


RE:新生Kao(笑) 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月22日(金)20時01分08秒

麗しのkao様

>特にパワーアップなどはしておりませんです。^^;

いやぁ、てっきり私は、エンジンのVVT-i化で20馬力程、パワーアップされたのかと思って
おりました(トヨタの新型セリカぢゃ、ないってば)。ああ、そうそう。kao様にお誉め頂
いた愛車(セリカGT-FOUR)ですが、遂にお亡くなりになりました(事故とちゃいます)。

>右の才能ないのかしら。あと歴史を身につける才能も。

「才能」では無いと思いますよ。右の「才能」?は国を憂えるかどうかでしょうし、歴史を
身につける「才能」も、歴史が好きかどうかだったりする訳で、「天賦の才能」等と言う代
物は、この世に存在しないと思います。ですから、そんなに気になされない方が宜しいかと。

>それから先日は突然失礼を致しました。
>それから先日はお会いできなくて残念でございました。

全く以て、残念至極でございました。あれ以来、悶々とした日々を過ごしております・・・
と言うのは冗談ですが、お時間が合えばお会いして、色々と語り合いたいと思っております。

>というわけで、ROMはしっかりさせて頂きます。

ROMでも全然結構ですが、たまには「お言葉」を賜ります様、お願い申し上げます。


RE:感想っス。 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月22日(金)19時43分49秒

ゆきおさん、初めまして。
レスが遅れてしまい、スンマセン。。。

>中学時代に自衛隊違憲論者の先生にみっちりと偏った思想を教えてもらったのに、
>片鱗ものこってませんし。

ハハハハ、私なんか、今でこそ「反シナ派」ですが、これでも昔は「親中派」だったん
ですよ。嘘の様なホントの話。

>これからも、凄い文章をお願いします。

「凄い」かどうかはアヤシイ所ですが、ぼちぼちアップしていきますです。
それでは、今後共、ヨロシク。。。


RE:嗚呼 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月22日(金)19時19分06秒

>軍事メーカーにとって敵がいないと発注が来なくて倒産してしまいますからね。

湾岸戦争時の米軍兵器のバーゲンセールが良い例でしょう。ただ、「敵がいないと」と
言うのは、必ずしも軍事メーカーとは限りません。むしろ、米国自体の方が該当するで
しょう。米国はその建国から英国からの独立「戦争」で始まり、以後、「フロンティア」
と称して、ネイティブ・アメリカン(いわゆるアメリカ・インディアン)を侵略し、
隣国メキシコ(カリフォルニア等)・スペイン(フィリピン)と事を構えて領土を拡張。
更には、太平洋を隔てた日本とまで戦争をしました。つまり、米国は、常に「敵」を必要
とする国だと言う事です。ああ、そうそう。湾岸戦争の「敵」サダム・フセイン(イラク
大統領)にしても、ある意味で米国に嵌められた様なものですよ。


RE:レスありがとうございます 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月22日(金)19時08分57秒

寒帯さん

>こういった動きに石原氏(真意はわかりませんが)が反発を見せまし
>たが、国は強引に進めていくでしょう

正に「亡国」の緒と言うべきですね。国(政治家・官僚達)は国家国民を、売り飛ばす
つもりでしょうかねぇ・・・百年後、「日本」と言う国は、この地球上に残っているの
か? 杞憂であって欲しいものです。


レスありがとうございます 投稿者:寒帯  投稿日:12月22日(金)09時07分08秒

留学生の話では、日本の国策など問題ではないそうです
あくまでも、欧米列国の事実上支配下に置かれた極東連合です

最終的には、尖閣列島の海底油田利権が絡んでくると思われますが
世論が納得するかどうかは、石原氏の三国人発言で分かるように
マスコミがいくらでも操作は可能ではないでしょうか

また、将来極東諸国をしょって立つ超エリートは、日本の援助で学び
その後アメリカに渡って民族を超えた洗脳を受け、再び母国に戻って
アメリカ主導の国策を進めていく
日本の極東諸国への援助金は、その国民に渡ることなく日本に住み着
いた者たちによって積極的な経済活動を行う
そういった意味では、すでに国策など意味のないものとなっているの
ではないでしょうか

こういった動きに石原氏(真意はわかりませんが)が反発を見せまし
たが、国は強引に進めていくでしょう


RE:極東連合 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月22日(金)08時12分28秒

寒帯さん、初めまして。

「極東連合」と言うと、かつて樽井藤吉が提唱した日韓合邦しての「大東国」構想が
思い出されます。ただ、政治の中心(首都)がソウルと言うのは、どうなんでしょう
か? 東京ならサミットや幾多の世界会議を開催し、「国際都市」として認知されて
いますが、ソウルとなると・・・。

又、幾ら日本が不況とは言っても、韓国の様にIMFのお世話になっている訳では無
いですし、明治期の「日韓併合論」ではありませんが、国力の差から言っても、ソウ
ルが政治の中心と言うのには、我が国の世論が納得するかどうか・・・ちと無理があ
るのでは無いでしょうか?

又、シナについては、少なく共、我が国が連合するにはリスクが大き過ぎると思いま
す。それならば、むしろ、国交が断絶しているのにも関わらず、経済・文化面で密接
な関係にある台湾(中華民国)と、国交正常化して同盟した方が得策だと思います。


新生Kao(笑) 投稿者:Kao  投稿日:12月22日(金)04時06分01秒

特にパワーアップなどはしておりませんです。^^;
ただ、読んで字のごとくなだけです。
こちらの板もなかなかあたしにはまだ。
もう2年も勉強してるのにちっとも身に付かない。
右の才能ないのかしら。あと歴史を身につける才能も。
ちゃんと竹下さまのご著書も読んでいるのに。(涙)
というわけで、ROMはしっかりさせて頂きます。^^

それから先日は突然失礼を致しました。
それから先日はお会いできなくて残念でございました。


極東連合 投稿者:寒帯  投稿日:12月22日(金)00時29分23秒

くだらない?話を失礼します。

先日、留学生(超エリート)数百名を抱える愛国心バリバリの大家さんから聞かされた話です。

いま極東周辺では、EUを真似するのか対抗するのか、とにかく連合するよう活発に動いているとのこと
経済の中心は日本が、政治の中心はソウルと予想されるそうです
表向きは反目し合っているようですが、裏では着々と連合に向けて政治も経済も進んでいる
このことは、留学生の間では常識だそうです
ただ、中国の位置付けだけは今一つ分からないそうですが、北朝鮮はその中に組み込まれるようです

このままでは、日本の文化伝統は完全に過去のもの
そうなると自分の愛国心は一体なんなんだろうかと嘆いていられました

眉唾な話であってほしいものですが!


嗚呼 投稿者:通りすがりの受験生  投稿日:12月21日(木)18時05分39秒

新参者でこのようなことを言うのもすいませんが、アメリカは戦争によって
あのような大国になったと思います。WWT&WWUは共に途中参戦という立場を取り
参戦前、イギリスなどへ武器などを大量輸出しました。
イギリスなどが負けてしまうと貸したお金が返ってきませんよね。
だから負けてしまうと困るので途中参戦し債権を取り立て、資金を増やし
敗戦国に大半の罪を着せていると思います。

話は変わって、もし仮に、トマホークなどのミサイルを1億円で作って、
15年程の後、耐用期限が来てしまったらどうします?
解体するにも作るのにかかる費用と同じ位かかるとしたらどうします?
解体するより敵を見つけて期限近くのミサイルを発射したほうが軍事メーカーにとって
儲かりますよね。僕はそういうことが言いたかったんです。
軍事メーカーにとって敵がいないと発注が来なくて倒産してしまいますからね。


RE:極東軍事裁判自体が違法 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月21日(木)17時42分01秒

化石太郎さん

>東軍事裁判自体が当時の法規に反するものではないでしょうか。

正にその通りです。「罪状」が先にあって、それを裁く為の「法律」が後に決められたもの、
いわゆる「事後法」に該当する訳で、先進文明諸国においては、「禁じ手」とされています。
又、ご指摘の様に、裁判官と検事が「戦勝国」から出され、唯一、弁護人のみ、「敗戦国」
(日本)からの選出を許されていた訳で、端から裁判官と検事が「ツーカー」の関係にあった
と言っても、言い過ぎでは無いでしょう。更に、弁護側が「戦勝国」に不利となる様な陳述を
すると、通訳が停止され、終いには発言行為自体を制止されてしまいました。これでは、真っ
当な「裁判」としては到底成立し得ません。ですから、「東京裁判」は「無効」であると断ず
るしかありませんね。


RE:申し訳有りません 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月21日(木)17時32分41秒

KABARENさん

>間が抜けてしまいますので削除していただいて結構です。

いや、私こそ反応が早すぎた様です。申し訳ありませんでした。
(KABARENさんの発言は削除致しませんので、ご心配なく。)


目的先行のようですが 投稿者:ごみ  投稿日:12月21日(木)17時29分09秒

「ちょっと一言よろしいかしら」さんへの雑感です。

■屠城
日本の歴史にも確かにあるのですね。私は詳しくないので初耳でした。しかしどう考えても中国の歴史のそれとは比較できるものではありません。統計的分析が行われればはっきりと分かるでしょう。それと、歴史的に異教徒に対しては世界的に残虐なことが行われています。

■人肉食
やむをえない場合の人肉食を、必ずしもそうでない場合の文化としての人肉食と強引に結びつけようとしていませんか。中国の史書を見れば明らかに中国に人肉食の文化があることが分かります。客をもてなすために肉親の肉を食わせた人の話とか。しかもそれは美徳とされていたようです。

■捕虜処断
捕虜を処刑したというのは本当でしょうね。
極端な話、中国は人海戦術の国ですから、捕虜をとっていたら数千万人をやしなわなければならなくなるでしょう。殺していいとか悪いとかの問題ではなく、そうするしかなかったと私は考えています。少なくとも、当時の先進国はみな、中国人と戦ったとしても捕虜を取るなどということは決して考えなかったでしょう。

■陸戦規定
「交戦者の資格のない者」や「投降した捕虜」を殺害してもよいとは書かれていない、とのことですが、書かれていないことは特に認められているわけでも禁止されているわけでもないということではありませんか。
日本軍は手続きを踏まずに捕虜を処刑したと私も思います。ただ、手続きを踏んだからといって人道的になるわけではなく、ただ国家が国際社会に言い分けできるというだけに過ぎません。ソ連が名簿を作ったのは管理上必要だったからで、日本軍は大量の捕虜を強制労働させたわけではありませんから。


> >全軍による組織的な市民虐殺行為は到底考えられません。
> 信じたくない気持ちは分かりますが、願望と事実を
> 一緒するのはいかがなものでしょうか。

こういう詭弁は読んでいて不快です。少なくとも、議論する気がなく、ご自分の主張をただ述べられたいだけなのだなと思うだけです。

「ちょっと一言よろしいかしら」さんは色々とお詳しいようですね。ただ、「ちょっと一言よろしいかしら」さんの主張にしても、少なくとも中国人からは反発を受けるでしょう。私は中国系アメリカ人や朝鮮系アメリカ人があまりに荒唐無稽な主張をするのを見て、反論もしてみました。ただ「南京大虐殺を否定するな」が目的なのは私には理解できません。


ところでやはり 731部隊は事実(の可能性がかなり高い)なのですね。


加筆  投稿者:SINO  投稿日:12月21日(木)00時33分20秒

ここのサイトには南京大虐殺認定派からまぼろし派までいろんな考えの人がいるようです。
けれどもそうやってお互いが意見を交換し合えるということは素晴らしいと僕は思ってます。
但し投稿者個人に対する嫌がらせ・中傷無しに文の内容批判だけをするならばです。
だいたい戦後五十年ずっとアメリカの占領下(今なお基地あり)にあった日本が、
この後に及んで未だに旧ソ連のような資料隠蔽をやっているとは僕には到底思えませんが、
もしも今まで公にされてなかった「南京大虐殺の新資料」なるものがあったらご教示願います。

児島襄「日中戦争4」(文春文庫)P50〜51より引用

通州には、中国軍部隊として、独立第三十九旅七一七団第一営(溥鴻恩)が、
郊外に駐屯していたが、二十七日、支那駐屯軍歩兵第二連隊主力の攻撃を受けて、退却した。
 第二連隊は、前述したように南苑攻撃に参加するが、その前に通州の安全を確保する
ために中国側の武装解除をもとめ、拒否されたので「撃攘」したのである。
 これで、通州は、「無事の街」になったとみなされた。
 通州は、親日政権「冀東防共自治政府」の所在地であり、四個総隊と教導総隊から成る
冀東保安隊のうち、第一、第二総隊および教導総隊約三十人が駐留している。
 第三、第四総隊は天津に分駐していたが、宋哲元の“蜂起”指令に背をむけた。
通州の保安隊も同様に親日心に富むものとされ、しかも、野砲を持つ強力な存在なので、
第二連隊が南宛にむかったあとも、警備能力は十分だと考えられたからである。
 ところが、実際には、第一総隊長兼教導総隊長張慶餘、
第二総隊長張硯田は、既述したように、ひそかに宋哲元に服従している。
 しかも、保安隊員のほとんどは血気にはやる十八〜二十歳の青年であり、
南苑戦闘にかんしては、中国側が勝ったとのラジオ、新聞の逆宣伝を信じて興奮していた。
 それだけに宋哲元の“蜂起”指令をうけると、文字どおりに「武者ぶるい」をして蹶起した。
 いわゆる「通州事件」ーであり、中国側の「抗日戦史」には、
「率所部約五個大隊・・・乗敵不意以奇襲・・・実開爾後偽軍反正之先例」
と、いわば“正義の叛乱”事件としてあつかわれている。
 だが、中国側にとっては、敵である日本の味方としての地位を放棄して
“蜂起”した保安隊の行動は、たしかに「義挙」といえるであろうが、
その「反正」の内容はもっぱら非戦闘員である日本人男女を対象にした虐殺であったのである。


http://www.platon.co.jp/~vought/an/index_an.htm


通州の日本人虐殺が原因 投稿者:SINO  投稿日:12月21日(木)00時01分55秒

>矢猫が可哀相だというならば、当然家族がいるはずの、中国兵だって可哀相。

南京の大虐殺なんて聞いたら、それこそ南京市民無差別大量虐殺みたいだ。
確かに偕行の「南京戦史」にある通り敗残兵や便衣隊の処断については、
粗雑な手続きですぐに殺してしまったのは乱暴だったと言わざるを得ないが、
それはあくまで戦時という混乱した非常事態で起った出来事であって、
「無辜の老若男女に対する市民無差別殺戮」では断じて無い。
通州事件の報が伝はるや、我が国民の憤慨は頂点に達し、轟々たる世論が
日本全土に沸騰した。この民族の痛憤が、四カ月後の南京攻略に於て
若干の報復行為となつて爆発したとしても、あながち不思議ではない。
 凡そ報復は人間感情の本質的な部分に属する。一体、
どの個人が、どの民族が、己の肉親や同胞を理由なく辱められ、
なぶり殺されて報復の念を抱かなかつたであらうか。

南京で何がしかの事件が発生したとしても、それは、それ以前に済南や通州で
日本人虐殺を演じてきた支那人の責任なのである。原因を作つた方こそ責めら
れるべきなのであり、この点についての認識を誤つてはならない。


#第一南京の街が日本占領後に廃墟になったなんて事実は無い。

そもそも南京攻防戦の前に起きた通州事件では二百何十人もの
日本の民間人が婦女子や子供に至るまで猟奇的なやり方で殺されたんだから。
「通州の日本人大虐殺があって、多くの日本人が中国に反感を持ったから」
とでも言ってくださいよ。理由も無く突然弱者中国に襲いかかったんじゃない。
それを無視して南京で乱戦中の日本兵の残虐ばかり言い立てて、
三十万虐殺だなんてそりゃあないって。中国があくまでそれにしがみつくんなら、
こっちだって「通州虐殺は三十万だった」のキャンペーンやろうぜ。


戦争 投稿者:通りすがりの受験生  投稿日:12月20日(水)21時40分20秒

亜米利加・軍産複合体が無くならない限り、10〜15年間隔で戦争をすると思いますが・・・


極東軍事裁判自体が違法 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月20日(水)20時22分10秒

「ちょっと」様へ
>サンフランシスコ平和条約にて極東軍事裁判の判決を認めたのだから南京事件も認めるべき。
 
極東軍事裁判自体が当時の法規に反するものではないでしょうか。戦勝国が敗戦国を一方的に裁く規定というのは国際法にはありません。裁判官と検事の人選が戦勝国側の人間のみになっている点も問題でしょう。裁判官と検事がグルになりかねないような形態の裁判など裁判と呼ぶに値しません。
それから島原の乱は日本の国内戦争としては少々異質です。あれは宗教戦争の意味もあったと思います。また、鳥取城の兵糧攻めは屠城とは違います。開城後は敵兵の命を取るようなことは行われていません。事実は的確に記述するべきでしょう。


申し訳有りません 投稿者:KABAREN  投稿日:12月20日(水)20時05分05秒

管理人様、投降のタイミングが悪くてもうしわけありません。
一生懸命考えていて、投稿したら管理人様のあとになって
しまいました。
間が抜けてしまいますので削除していただいて結構です。


右でも左でもありませんが 投稿者:KABAREN  投稿日:12月20日(水)19時59分18秒

ちょっと一言よろしいかしらさん、はじめまして。
私は、ちょっと前までは相手の立場ばかり考えていて、日本の立場で考えた
ことがありませんでした。ですから、戦争といえば日本は悪かった
とばかり思っていました。しかし、日本の立場で考える意見に出会って、
当時何が起こったのか知りたくなり、いろいろなHPを見ています。

>矢猫が可哀相だというならば、当然家族がいるはずの、中国兵だって可哀相。さらに
>いうなら、命令でそんなことをしなきゃならなかった一般兵士だって悲惨。というこ
>とを思わないのかしら。自分の主張を言うのも大事だけど、相手の立場になって考える
>ことも大事だと思う。
 時代背景の違う矢猫を同列に扱うのはいかがなものでしょうか?
 私は、戦争は悲惨であり、戦争犯罪でなくとも死亡した人は
 可哀相だと思います。
 しかし、それはあくまで戦争体験のない現代から見てということです。
 間違っていたら申し訳有りませんが、
 あなたの言い方では、「可哀相で悲惨なのだから主張するな」
 と聞こえます。

>サンフランシスコ平和条約で我が国は「極東国際軍事裁判と
>その他の裁判の結果」を受諾しているのですから、東京裁判の10万人以上、
>20万人以上、南京裁判の30万人以上のすべてが間違いではない、という前提条件
>すら認めず
 政策として条約を交わしたのであって、事実であるかどうかは別なのでは?
 ですから、いろいろな意見があるのだと思います。
 東京裁判では、唯一の国際法専門家インドのパル判事が全員無罪を
 主張しています。また、裁判の正当性自体にもいろいろな意見があります。

>きちんと、条約を守っていれば、日本側にも、中国側にも犠牲者がでなかっ
>たであろうと思います。
 私は、条約を守っても犠牲者はでたと思います。当時支那軍は統制がとれて
 いなかったので、ゲリラ戦が増えてもっと悲惨な状況が生まれたのでは?
  
  
 
 
  
 
 


RE:お久しぶりでございます。 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月20日(水)19時16分55秒

おお!!「麗しのkao」嬢ではございませんか!!
お久しゅうございます。
過日は、その見目麗しいご尊顔を拝する事を楽しみにしておりましたので、少々残念で
ございました。

それにしても、「新生kao」とは? どの様に、パワーアップされておるのでしょうか?
某裏掲示板が最近閑散としておりますし、こちらで宜しければ、ちょくちょく、お越し
下さい。

あ、それと、『ナショナル・ジオグラフィック・マガジン』ですよね。
戦後半世紀を経ての汚名払拭(真珠湾での「騙し討ち」)には、溜飲が下がる思いです。


「ちょっと一言よろしいかしら」さんへ 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月20日(水)19時03分31秒

「ちょっと立ち寄り」から改名なされた様ですが、以前、私は丁重に、

>「もうお越し頂かなくても、結構ですよ。」

と申し上げた筈ですが、再びのご来館ですか?
こちらの言い方がはっきりとしていなかった様で、悪うございました。
それでは改めて申し上げます。
これ以後、「入館お断り」とさせて頂きますので、悪しからず。

それにしても、「ちょっと一言よろしいかしら」とは何とも・・・
私、デヴィ夫人が嫌いなんですよね・・・


なんだ、ちょとの狼藉はあったのね 投稿者:ちょっと一言よろしいかしら  投稿日:12月20日(水)16時17分00秒

南京事件、信じられないのも当然です。
外務省から事件を伝えられた閑院宮参謀総長も、13年1月4日付けで松井大将に対し、
「就中軍紀風紀ニ於テ忌々シキ事態ノ発生近時漸ク繁ヲ見之ヲ信セラント欲スルモ尚
疑ハサルヘカラサルモノアリ」
という「軍紀風紀ニ関スル件通牒」を発し、異例の軍紀風紀の徹底を要望しているわ
けです。
参謀本部自身が、自分の軍隊の所為を信じられなかったのですから。一体どうなって
るんだってことで、阿南惟幾陸軍人事局長が派遣され、特に16師団長を調査するわけ
です。(田中隆吉が見たと証言したこの阿南報告も残っていない)

捕虜の処刑は国際法上許されている、或いは便衣兵の処刑は国際法上認められている
といった主張を展開したのは、東中野修道と藤岡”もと日共”信勝ですね。しかし、
それが国際法上認められず、明らかに陸戦規定に違反しているからこそ東京裁判で有
罪とされたわけです。それが正しいなら、カチンの森はどうなのよ。向こうはたった
4500人。という問題が派生する。

武藤章軍務局長の陳述によれば、
「中国で捕へられた者を俘虜として宣言するか否かの問題は全く問題でありました。
そして一九三八年(昭和十三年)に遂に、中国の戦争は公に「事変」として知られて
いますので、中国人の捕へられた者は俘虜として取扱はれないという事が決定されま
した」(極東国際軍事裁判速記録第44号)
と、いうことですから、南京戦当時は俘虜をどうしたらいいのか何も決めていなかっ
たことになります。それこそ、釈放するも、皆殺しにするも現場部隊長の裁量に任さ
れていたわけです。当然、糧食が少なければ、それを皆殺しにするだけのことでしょ
う。そして、その集団の中に、特定できない市民が混じっていたということであり、
それが虐殺と称されたわけですが、日本軍からすれば、全員中国兵の「はず」ですか
ら、戦闘行為であるとみなしただけのことです。
矢猫が可哀相だというならば、当然家族がいるはずの、中国兵だって可哀相。さらに
いうなら、命令でそんなことをしなきゃならなかった一般兵士だって悲惨。というこ
とを思わないのかしら。自分の主張を言うのも大事だけど、相手の立場になって考える
ことも大事だと思う。

私が前回、説得力がないといわれる文体を呈したのは、君たちは相手の立場に立って
物事を考えたことがあるのか、自分と異なる意見に対して反日であるとか、国賊であ
るとか中傷される立場にたてるかどうかを見たかったからにほかなりません。南京で
日本軍が多数の市民を含む捕虜を処刑したという事実と、売国奴とは何のつながりも
ないはずでしょう。むしろ、サンフランシスコ平和条約で我が国は「極東国際軍事裁
判とその他の裁判の結果」を受諾しているのですから、東京裁判の10万人以上、20万
人以上、南京裁判の30万人以上のすべてが間違いではない、という前提条件すら認め
ず、日本軍は規律正しい部隊だからそんなことはしないと、主張することこそが、
「正に、百害あって一理無い」行為なのではないでしょうか。


国家の責任 投稿者:ちょっと一言よろしいかしら  投稿日:12月20日(水)16時16分15秒

本来、国際法は国家間の関わりを定義したものであり、個人への罰則を規定した物で
はありません。国際法に違反しているからといって、個人が個人を殺害した場合、そ
れは矢張り殺人でしかありませんし、陸戦規定のどの条項を見ても「交戦者の資格の
ない者」や「投降した捕虜」を殺害してもよいとは書かれておりません。
ちゃんと読んで書いていますか?。
興味はないと思いますが一応「陸戦ノ法規慣例二関スル条約」を見てみましょう。
「第四条 俘虜ハ敵ノ政府ノ権内二属シ之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ権内ニ属スルコト
     ナシ
     俘虜ハ人道ヲ以テ取扱ハルヘシ
     俘虜ノ一身ニ属スルモノハ兵器、馬匹及軍用書類ヲ除クノ外依然其ノ所有タ
     ルヘシ
第一四条 各交戦国ハ戦争開始ノ時ヨリ又中立国ハ交戦者ヲ其ノ領土内ニ収容シタル時
     ヨリ俘虜情報局ヲ設置ス情報局ハ俘虜ニ関スル一切ノ問合ニ答フルノ任務ヲ
     有シ俘虜ノ留置、移動、宣誓解放、交換、逃走、入院、死亡ニ関スル事項其
     ノ他各地俘虜ニ関シ銘銘票ヲ作成補修スル為ニ必要ナル通報ヲ各当該官憲ヨ
     リ受クルモノトス情報局ハ該票ニ番号、氏名、年齢、本籍地、階級、所属部
     隊、負傷並捕獲、留置、負傷及死亡ノ日付及場所其ノ他一切ノ備考事項ヲ記
     載スヘシ銘銘票ハ平和克復ノ後之ヲ交戦国ノ政府ニ交付スヘシ
     情報局ハ又宣誓解放セラレ交換セラレ逃走シ又病院若ハ繃帯所ニ於テ死亡シ
     タル俘虜ノ遺留シ並戦場ニ於テ発見セラレタル一切ノ自由品、有価物、信書
     等ヲ収集シテ之ヲ其ノ関係者ニ伝送スルノ任務ヲ有ス
第二三条 特別ノ条約ヲ以テ定メタル禁止ノ外特ニ禁止スルモノ左ノ如シ
     イ 毒又ハ毒ヲ施シタル兵器ヲ使用スルコト
     ロ 敵国又ハ敵軍ニ属スル者ヲ背信ノ行為ヲ以テ殺傷スルコト
     ハ 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト
     ニ 助命セサルコトヲ宣言スルコト
     ホ 不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト
     ヘ 軍使旗、国旗其ノ他ノ軍用ノ標章、敵ノ制服又ハ「ジェネヴァ」条約ノ
       特殊徽章ヲ擅ニ使用スルコト
     ト 戦争ノ必要上万巳ムヲ得サル場合ヲ除クノ外敵ノ財産ヲ破壊シ又ハ押収
       スルコト
     チ 対手当事国国民ノ権利及訴権ノ消滅、停止又ハ裁判上不受理ヲ宣言スル
       コト 
第三十条 現行中補ヘラレタル間諜ハ裁判ヲ経ルニ非サレバ之ヲ罰スルコトヲ得ズ
第四七条 掠奪ハ之ヲ厳禁ス」

南京の日本軍が陸戦規定に従って捕虜、便衣兵を処遇したという主張も、残念ながら
作り話でしかありません。我が国は、事変だと称して、俘虜情報局も設置しておりま
せんし、捕虜各自に作成が義務づけられている俘虜銘々票も作成していないのです。
従って、名前も、人数も今となっては分からないのです。ソ連ですら、シベリア抑留
者名簿や死亡者リストを作っているにも関わらずです。
結局、この後先考えない捕虜の扱いが、後に30万にまで膨張した犠牲者数の主原因で
しょう。きちんと、条約を守っていれば、日本側にも、中国側にも犠牲者がでなかっ
たであろうと思います。
(尤も、国民党軍も、日本兵の捕虜はとっていません。脇坂次郎の証言では、南京に
入ったら、火あぶりにされた日本兵の捕虜が、虫の息で立ち木に縛れていたといいま
す。そんなのを見たら、この野郎という気持ちにはなるわな。だからやっていいこと
にはなりませんが。)

藤岡氏のいうように国際法に違反した便衣兵は死刑になって当然というならば、巣鴨
BC級戦犯1030人を始めとする多くの戦犯者も当然国際法違反として、全員死刑にす
るべきであるとの理論に帰結されます。国際法に違反したからといって、国家の責任
を個人が取るべきか否かについては現在尚結論を見ていない問題です。
そもそも個人に対して国際法違反として処刑を実施したのは、所謂ドーリットル空襲
で捕虜になった3人のアメリカ人搭乗員を死刑にしたのが最初であり、国際法に従っ
て死刑にしたのではなく、「防衛総司令部軍律」に基づき「第13軍軍律会議」によっ
て死刑にしたわけです。したがって、捕虜を処刑する場合、当然軍令、あるいは軍律
によって処刑するという正式手続きが必要であることは言うまでもありません。もち
ろん、いかなる場合であっても、死刑判決には陸軍大臣の確認が必要となります。

>全軍による組織的な市民虐殺行為は到底考えられません。
信じたくない気持ちは分かりますが、願望と事実を一緒するのはいかがなものでしょ
うか。


自分に都合のいいイズムは信じるな 投稿者:ちょっと一言よろしいかしら  投稿日:12月20日(水)16時15分23秒

>ましてや、シナ人よろしく「屠城」をした等とは。
「屠城」の歴史が日本にはないという主張も、ただの言葉の遊びでしかありません。
島原の乱は一揆軍35000人のうち山田右衛門作一人除いて屠城したんじゃないですか?。
兵庫有岡城の荒木村重ファミリーしかり。
有名な秀吉「鳥取城飢餓地獄」の例だってある。極限状態に陥った吉川軍がどうなった
か、信長公記に記述されている通り。(とても書けるもんじゃないので、興味がある人
は自分で読みましょう。ーーついでに、信長の比叡山焼き討ちは小規模。ほとんど人が
住んでいない空き家を燃やしただけということが考古学上確認されています。比叡山と
いう権威を焼いたわけですね)

人肉食が日本にないという過去ログ主張も大間違い。
天明、安政の大飢饉では、奥羽諸藩(米沢藩は除く)の農民が何を食べて生き抜いた
と思います? 食い物がなければ、そうなるしかないでしょう。
戊辰戦争でも、会津藩の捕虜は官軍に生き肝を食われている。たった130年前のことで
す。生き肝食いは前の戦争でも、父島やトラック島で行われているし、フィリピンで
もニューギニアでも行われている。これも知らないということが、存在しないこととは
違うということですね。(それにやられた側は100年経っても覚えているってこと)

人間は自分が信じたいと思う嘘を信じてしまうものです。何も信じなきゃ楽ですが、そ
ういうわけにいかない。また、自分はだまされないと思う人間に限って、だましやすい
とも言い得る。一番いいのは本勝も洞富も、藤岡も東中野も信じない。当時の資料を自
分で読んで、先入観なく、第三者の主張に惑わさず自分自身が判断することです。

というわけで、第16師団中島今朝吾中将の有名な日記を紹介しましょう。捕虜は解放さ
れたのか、殺されたのか。どう判断するかは、個人個人に委ねられています。

「12月13日
一、本日正午高山剣士来着ス。
  捕虜七名アリ直ニ試斬ヲ為セシム
  時恰モ小生ノ刀モ亦此時彼ヲシテ試斬セシメ首ニツヲ見込斬リタリ
一、然ルニ城内ニハ殆ンド敵兵ヲ見ズ唯第九師団ノ区域内ニ避難所ナルモノアリ
老幼婦女多キモ此内ニ便衣ニナリタル敗兵多キコトハ想察スルニ難カラズ
一、斯クテ敗走スル敵ハ大部分第十六師団ノ作戦地境内ノ森林村落地帯ニ出テ又 一方
 鎮江要塞ヨリ逃ゲ来ルモノアリテ到ル処ニ捕虜ヲ見其始末ニ堪ヘザル程ナリ
一、大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタル共千五千一
万ノ群トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ唯彼等ガ全ク戦意ヲ失ヒゾ
ロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ之ガ一旦掻擾セバ始末ニ困ルノデ
  部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ
  十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ乍併戦勝直後ノコトナレバ中々実行
  ハ敏速ニハ出来ズ 斯ル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ参謀部ハ大
  多忙ヲ極メタリ
一、後ニ到リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊丈ニテ処理セシモノ約一万五千、大平
門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三○○其仙鶴門附近ニ集結シタ
ルモノ約七八千人アリ尚続々投降シ来ル
一、此七八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ中々見当タラズ一案トシ
テハ百二百ニ分割シタル後適当ノケ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ
一、此敗残兵ノ後始末ガ概シテ第十六師団方面ニ多ク、従ッテ師団ハ入城ダ投宿
ダナド云フ暇ナクシテ東奔西走シツツアリ」


お久しぶりでございます。 投稿者:Kao  投稿日:12月20日(水)05時39分01秒

生まれ変わってあちこち書き込みを開始している
新生Kao(笑)でございます。

パールハーバーでの悪者が米国側だったという
記事が世界的に有名(なんだろうか?)な雑誌
「ナショナルジオグラフィック」に掲載されたとのこと。
我が家でも購読しておりますが、
今月末に我が国にはやってくるそうです。

とのことが、以下の板に情報がございました。
参考までに。

http://www.ptweb.co.jp/~outlaw/minibbs.cgi


RE:少し思うに。 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月19日(火)19時53分51秒

ひるるくさん

731部隊の件については、最も卑怯なのは米国だと思いますよ。
なぜなら米国は、731部隊関係者を東京裁判で訴追しない代わりに、実験データや研究資料を
入手した−つまりは、「裏取引」をしたと言われています。その米国において戦後半世紀を
経た今、731部隊=日本の戦争犯罪を糾弾する声が上がっていると言うのは、どう考えれば
良いのでしょうか? どう考えても、卑怯以外の何ものでも無いのでは?

>さらに、ホロコースト、南京大虐殺を戦争犯罪とすれば、マンハッタン計画もその列に並
>べるべきです。

東京大空襲や、広島・長崎への原爆投下と言った、非戦闘員の殺戮について、「戦勝国」は
最後まで罪を認めませんでしたが、世に言われる「ホロコースト」や「南京大虐殺」を糾弾
するのであるなら、前述の行為についても「戦争犯罪」が当てはめられるべきですね。

>万民平等が基本なはずの現代なのに、なぜか戦争についてだけは勝った者が裁く弱肉強食
>の概念がまかり通ってます。

「喧嘩両成敗」がフェアと言うものです。戦勝国も、敗戦国も、「戦後」は戦争を反省し、
亡くなった多くの人々を敵味方に関係なく追悼・・・すれば、何かしらの「意義」も見い
だせるのでしょうが・・・欧米には、この様な論理は理解されないのかも知れませんね。


少し思うに。 投稿者:ひるるく  投稿日:12月19日(火)17時39分55秒

南京大虐殺は、主に日本軍における無統制さ、無節操さ、狂人的な状態に置かれた
暴走だと言われてますよね?
要するに昔からあった略奪なんかが暴走したものと解釈できますね。
事の真偽は棚に上げるとして、
もし、そうなら南京以外でもそういったことが呼ばれている地域もあるんでしょうか?
もし旧日本軍全体が南京大虐殺を行えるのであれば、南京以外にも日本が占領した大都市はあるわけですから、
そういった地域でも発生しててもよさそうなものです。
そういった地域はあるのでしょうか?

>731部隊
私は軍隊の中にこういった部隊があることは、必要悪だと考えます・・・が
戦争が終了すれば勝ち負けに関わらず糾弾されるべき問題だと考えます。
ホロコーストなどの研究結果が現代医療に多大に貢献したのは結構有名ですよね。
ですが、多大なる犠牲を元に作られた資料を残された者がつかう場合も公明正大に
真実を明かし、責任の追求、犠牲者達への哀悼と補償は必ず行うべきです。

>戦争犯罪
常々思う点は、近代民主主義に置いて万民平等が基本精神ですが、
事、戦争となると勝者が一方的に裁判を行い刑を決めます。
戦争とは所詮、政治の道具でしかありません。
それも話し合いで決めることが出来ずに、最後の手段としてのみ存在価値を許されます。
もし、戦争における犯罪人を決めるのだとすれば、それは戦争を最終的に回避し得なかった
当時の政治上層部全てに当てはまると思います。
ですから、もし被告人として裁かれねばならないのは、東条英機、ヒトラー、ムッソリーニ、
ルーズベルト(トルーマン?)、チャーチル、スターリンなどではないでしょうか?
さらに、ホロコースト、南京大虐殺を戦争犯罪とすれば、マンハッタン計画もその列に並べるべきです。
閑話休題
万民平等が基本なはずの現代なのに、なぜか戦争についてだけは勝った者が裁く弱肉強食の概念がまかり通ってます。
これはなにかヘンじゃないでしょうか?


RE:結局… 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月18日(月)20時30分05秒

ごみさん

>私自身の考えでは、南京事件はやはりちょっとした狼藉はあったのではないかと思います。

私もそれはあったと考えています。しかし、日本軍の規律の良さは、義和団事変当時の進駐
は元より、当時(戦前〜)の列強諸国の中でも屈指であったと考えています。でなければ、
昭和天皇が「終戦の詔勅」を発しただけで、整然と矛を収めたでしょうか? その意味でも、
一部の不良兵士による狼藉はあったでしょうが、全軍による組織的な市民虐殺行為は到底
考えられません。ましてや、シナ人よろしく「屠城」をした等とは。

>捕虜(指揮官の逃げた軍隊の兵隊は捕虜の資格がないそうですが)を殺したのも、管理して
>おくだけの物資や施設がないのでやむを得ず殺し、そのことを後悔していたのではないか
>と思います。

陸上戦闘における国際法である「ハーグ陸戦法規」には、「捕虜」に関する規定が定めら
れていますよね。一般に「便衣兵」−軍服を脱いで一般市民に紛れた状態で武装した兵士
やゲリラは、「捕虜」としての待遇を受けられない事は周知の事実です。又、司令官が逃
亡して統制がとれなくなった軍の兵士についてもこれが準用される筈です。南京で処刑さ
れたとすれば、主としてこれら国民党軍兵士及び便衣兵だったのでは無いでしょうか?
もし、そうであったならば、たとえ、処刑後「自責の念」にさいなまれたとしても、日本
軍は「陸戦法規」に遵っただけであって、「戦争犯罪」に問う事は出来ない筈です。その
意味で恨むのなら、兵士をさっさと見捨てて敵前逃亡した国民党軍側の司令官達にこそ、
向けられるべきでは無いでしょうか?


RE:蒸し返す気は無いけど 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月18日(月)20時09分57秒

ひるるくさん

>まぁ、気長に検証をいきたいと思ってます。

あの「リメンバー・パール・ハーバー」(日本軍による真珠湾での「騙し討ち」)にしても、
戦後半世紀を経て、ようやく、嘘であった事が認知され始める位ですから、「南京大虐殺」
にしてみても、一筋縄ではいかないものと思っています。ですから、相当気長に待たなけれ
ば、汚名を払拭出来ないのでは無いでしょうか?


結局… 投稿者:ごみ  投稿日:12月18日(月)16時11分08秒

南京事件についてのつい最近の BBS のログを拝見しました。

私は基本的に、発言に品性がなくしかも匿名の人間の言うことは、
いかに説得力があっても信じることが出来ません。しかし私は以
前、南京事件の虐殺は捏造ではないか、とよそで発言したところ、
発言に若干品性がないもののちゃんと記名により批評してきたか
たがいました。その人もまた、戦闘記録とかを証拠に上げている
ようでした。私は一次史料にあたるほど暇ではないので何も確認
していないのですが、これらの記録というものは本当に存在する
のでしょうか。また、これらの記録は曲げられて引用されていた
りはしないのでしょうか。また、記録自体が捏造であるというこ
とはないのでしょうか。

私自身の考えでは、南京事件はやはりちょっとした狼藉はあった
のではないかと思います。日本軍は他の軍隊と比べて、乱暴狼藉
は厳に戒めていたので、ちょっとした事件で数人程度を殺してし
まっても反省して日記や記録に示したのではないかと思います。
捕虜(指揮官の逃げた軍隊の兵隊は捕虜の資格がないそうですが)
を殺したのも、管理しておくだけの物資や施設がないのでやむを
得ず殺し、そのことを後悔していたのではないかと思います。

また、1900年に北京で起きた騒動で、日本を除く七カ国の軍隊は
町を荒らしたのに対して、日本軍は秩序を守って人々を保護した
ために人々は家の軒に日章旗を掲げた、という話を聞きました。
こんな状態では、七カ国は日本を破ったとして、日本を破る大義
が存在しないことを危惧して情報戦を仕掛けてきたのではないで
しょうか。

それと、731部隊についてはいかがでしょうか。


蒸し返す気は無いけど 投稿者:ひるるく  投稿日:12月18日(月)11時40分24秒

>南京大虐殺
結局、信じる側と信じられない側の間では、お互いに”相手の資料は信用できない”
と言う点に行き着くんですよね。
少し残念だったのは、ちょっと立ち寄りさんに読む側に対する配慮が欠けてるって点ですね。
読むだけでも結構な労力が要るほどの文章で、さらに興味深い内容であるだけに残念です。
まぁ、議論する気がないからだとは思いますが。

さて、私的には南京大虐殺ってのは、少し前までは実在するのだろうと考えてました。
でも、今では本当にあったんだろうか?と疑問を持っています。
どちらの意見を聞いても、基本的に自供と状況証拠でしかありません。
まぁ、気長に検証をいきたいと思ってます。


あ、それと 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月18日(月)10時32分03秒

あ、それと書き忘れましたが、「ちょっと立ち寄り」さんの書き込みについては、折角
お時間を割かれて書かれた長文の力作ですし、削除等致しません。過去ログにもちゃんと
収録しておきますから、ご心配なされなくとも結構ですよ。ハイ。


「ちょっと立ち寄り」さんへ 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月18日(月)10時25分19秒

この度は、ご来館頂きまして誠に有り難うございました。
「ちょっと立ち寄る」つもりでしたのに、随分と時間をお割き頂きまして、誠に以て
恐縮の限りです。ハイ。

ただ、矢追純一氏スペシャルが何だとか、と言った「トンデモ」扱いは甚だ迷惑です。
(でも、私は矢追純一スペシャルの「全て」が荒唐無稽だとは思わないですがね)
「南京大虐殺」が無かったと考えている私と、あったと考えている貴方とでは、まず
見解がすれ違うだけでしょう。又、「ちょっと立ち寄られる」だけの方に、余計な
お時間を費やして頂くのも何ですし・・・ご意見はご意見として承っておきますから、
もうお越し頂かなくても、結構ですよ。ハイ。


感想っス。 投稿者:ゆきお  投稿日:12月18日(月)05時46分22秒

 ども、はじめまして。
 え〜、薄い文章で申し訳ないですが。

 楽しんで読みました。成る程と思うばかりで、自分の知識の無さが情けなくなるばかりです。
 中学時代に自衛隊違憲論者の先生にみっちりと偏った思想を教えてもらったのに、片鱗ものこってませんし。
 これからも、凄い文章をお願いします。

 ではでは。


訂正 投稿者:大王  投稿日:12月18日(月)03時30分58秒

>まして感情が入っている場合は説得力がない。
下記へ訂正
まして感情が入っている場合は説得力が半減。


さらっとね 投稿者:大王  投稿日:12月18日(月)03時26分10秒

簡潔に論旨を伝えられない人は自分が思っているほど頭は良くないのです。
まして感情が入っている場合は説得力がない。


ご苦労さん 投稿者:御楯弾正少弼  投稿日:12月18日(月)00時35分21秒


>議論するつもりはない…
>ちょっと立ち寄った…
>南京事件にはまったく関心がない…

とキザにきめてる割りには渾身の力作じゃないですか。
有意義な日曜日を過ごされたようですな。

で、満足しました?


議論するつもりはないけれど、 投稿者:ちょっと立ち寄り  投稿日:12月17日(日)17時18分52秒

コラム読みましたが、右左関係なく、矢追純一スペシャルや超能力TVを見て育った作者
を始めとする、第二次ベビーブーム・共通一次世代に特有の「本に書いていることを疑わ
ない」純真さ、あるいは意図的な作為ないしは誤りを思わずにいられませんでした。
南京事件についてはまったく関心がありませんが、すでに歴史的に論破を終わり、その誤
りから絶版になったはずの故田中正明氏一連の著作をリライトしただけの内容の無さはあ
まりにも馬鹿馬鹿しく、あなたからすれば反日的非国民の妄言でしょうが一筆啓上してお
かねばなりません。

>日本軍のシナ進駐をもって、「中国侵略」の証拠とする事は出来ない
ならば、最低限昭和12年7月7日時点での列強の在中兵力、部所は記述するべきでしょう。
調べればすぐ分かるように、我が日本軍はイギリス、フランスの約2倍の兵力を当時維持し
ていたんじゃありませんか。しかも、駐留場所によっては邦人の数より多かった場所もあ
るでしょう。加えて、支那駐屯軍と上海派遣軍、第10軍、第11軍はみんな軍の目的が違う
でしょ。それを一緒にしちゃいけません。だったら支那派遣総軍も義和団事件最終議定書
に従ったものなの。認識不足はあんたでしょ。
駐留が侵略なんじゃなく、結果が侵略という行為なのですよ。
日本遺族会会長の橋本竜太郎氏も「結果において侵略的行為が行われた」と国会答弁して
いるではないか。そもそも、あらゆる戦争の目的は自衛と自国の平和に決まっている。吉
田茂首相だっていっている。(だから自衛戦力もたないと続けたけどね)
目的がどうのこうのじゃなく、歴史ってのは結果なんだよね。 少なくとも、イタリアは
第一次上海事変や冀察政権のような無茶は、中国ではしていないな。

>てんでバラバラに軍閥やら地方政権が乱立し、誰が「中華民国」を代表する主権者な
>のかも分からない様な状態だった。
これは、昭和7年2月の連盟総会で、佐藤尚武が言ったいやみですね。顔恵慶から「おまえ
らのせいだろうが」と論破されて一本負けした有名な話ですな。帝国陸軍が泰平商会を通
じて、38式歩兵銃やら山砲やら武器援助していたでしょう。日本にとってそれが望ましか
ったから、そういう状況を作り出していたんでしょ。向こうが悪いとは本末転倒ですな。
大体、昭和16年12月12日の閣議決定で、支那事変にさかのぼって「大東亜戦争」と呼称す
ることが決まっているのだから、やはり実質戦争ですな。


最後まで読んでね 投稿者:ちょっと立ち寄り  投稿日:12月17日(日)17時17分14秒

南京事件というのは君が思い込みたいように、
>「極東国際軍事法廷」 ── いわゆる「東京裁判」において、突如降って沸いたが如
>く、取り上げられた「日本の戦争犯罪」
ではないのだよ。
昭和20年9月20日、若松只一陸軍次官は省内に俘虜関係調査中央委員会を設置し、自らが委
員長となり、連合軍に裁判される前に、その戦争犯罪を日本側で裁判する必要があったた
め、連合国側から追及される危惧がある事案、
1 バターン作戦後における俘虜取扱いに関する調書
2 比島における俘虜取扱いに関する調書
3 泰緬鉄道建設に伴う俘虜取扱いに関する調書
4 ビルマにおける俘虜取扱いに関する調書
5 国内正式俘虜収容所における俘虜取扱いに関する調書
6 ニューギニア、アイタペにおける俘虜取扱いに関する調書
7 船舶輸送間における俘虜取扱いに関する調書
8 昭南華僑取扱いに関する調書
9 南京華人取扱い(所謂南京事件について)に関する調書
についての調書作成を命じる。ただし、これらのうち「南京華人取扱い(所謂南京事件に
ついて)に関する調書」だけは、現在発見されていない。報告書には中支那方面軍編成表
が1枚添付されているだけで、調書本文は作成されたのかどうかも判明していないのですな。
当然、永遠にでないでしょうがね。
あなたが、知らないというだけのこと。君が知らないということと、それが存在しないと
いうこととの区別がついていないように思う。

さらに、支受大日記所載の「漢口ニ於ケル第三国人ニ危害ヲ及ホサザルノ件」にしても昭
和12年12月16日付で、梅津美次郎陸軍次官が松井集団参謀長宛てに、「駐日米大使館覚書」
を転送した上で、
「本件ニ関シ南京及蕪湖事件ヲ繰返サザルコトハ国際関係上絶対必要ト思惟スルニ付貴軍
ニ於テ然ルヘク御配慮アリ度」
と要請しているし、12月17日付け外務次官発陸軍次官宛て「在漢口安全地帯設定ニ関スル
米国側申出ノ件」で、
「最近蕪湖及南京ニ於テ発生セル事件ハ前記地域ノ安全ニ関シ少カラザル危惧ノ念ヲ起サ
シムル次第ナル」
と、南京に於いて発生せる事件への危惧を提示している。(もっとも外国権益に対する抗
議だけど)
南京事件は「東京裁判で初めて出てきた」言葉ではないということは確認できるだろう。
当時は南京大虐殺とはいっていない、という言葉の遊びなら君のいう通りだが、君の言い
たいように、それがなかったということにはならないね。君がないと主張しているのは
「大虐殺」なのだから、だったら中虐殺や小虐殺はあったとも受け取られるぞ。


最後まで読んでね 投稿者:ちょっと立ち寄り  投稿日:12月17日(日)17時16分32秒

>東京・世田谷区とほぼ同程度の面積だった
これも、見事に田中氏の作話に引っかかりましたね。
「昭和16年8月発行 南京」(南京日本商工会議所編)には、
「民国二十三年の省市區劃改正までの南京市の面積は六五.〇二五平方粁に過ぎなかったが、
区劃改正によって四七七.八四五平方粁に擴大された。然し今次事變後浦口區が削除された
ので現在では四七四.六一平方粁となってゐる」
と記述されている。したがって、世田谷区ほどの面積しかないという指摘は成り立ちよう
がない。(ほぼ北九州市と同面積になりますかね)君は、南京城、南京市、南京特別市の
区別がついていないのではないかな。
当時の南京の人口にしても何を根拠に概算しているのかまったく分からない。
前述「南京」によれば事変前の南京市の人口は973185人、うち南京城外の郷区人口は
148557人(民国25年6月調査)で、南京陥落時点において、難民区内に20万人、南京保衛軍
10万プラス軍夫2ー5万、この他に日本軍突入直前に国民党軍に村を清野され、住家を失っ
て、城内に逃げ込み、しかも難民区に入れてもらえなかった郷区の市民の数をカウントす
るなら、50万の人間(軍民ということで全員が市民じゃないが)がいて、うち何人が揚子江
をわたって逃げられたのか、ということだね。逃げられたのがごマンといても、50万近い
人口が25万(南京市ですな)になるという現象を一般的には増加したとは言わないね。

>戦時中、金属が不足して、お寺の梵鐘(かね)迄供出させた様なご時世です。
へーー。南京戦当時、金属供出が行われていたとは初耳。その当時どこで行われていたの
か聞きたいね。一体いつの戦時中だね。金属類回収令に基づく強制譲渡が実行されたのは
昭和17年5月のこと、さらに商工省に金属回収本部が設置されたのが18年3月、ガダルカナ
ル撤退後だ。自分の都合のいいように歴史を騙っていないかい。

>国民政府(蒋介石政府)から国際連盟に対して、ただの一回も「提訴」されていない
戦闘行為自体はアメリカやイギリスが巻き込まれたんじゃないので、基本的に日本と中国
政府二国間の問題、虐殺があっても連盟に抗議して何になるの? 日本はもう脱退してるし、
アメリカは連盟に入っていないし。さらには日中両方が宣戦布告もやっていない。
でも、連盟には9月に日本の無差別空襲とそれに続く侵略行為は提訴済み。その結果開催
されたブラッセル会議は、日本に対する非難決議を出しただけ。

当事国でない無関係の国にとっては虐殺や戦争なんてどうでもいいことなのだよ。君もキ
プロスやエリトリアの虐殺は興味ないだろう。
おまけに、南京事件発生時はトラウトマン工作が進められている最中、両国が和平を準備
しているのに連盟に訴えるということはないな。他の国だって、みんな日中両国が戦争を
止めたがっているという本音をドイツから知らされているんだから。
結局、トラウトマン工作は不拡大派の筆頭、多田駿参謀次長の交渉継続案を突っぱねた、
広田弘毅の拒否で停戦の機を逸することになるわけで、それでだされたのが13年1月16日の
「国民政府を対手とせず」の近衛声明。
それに対して、和平の望みがなくなった汪兆銘が、昭和13年2月11日パリ反侵略大会向けに
漢口からラジオ演説を行うわけだ。外事警察報188号(昭和13年3月 内務省)によれば、
「抗戦の初期に於いて北方の天津、旧都北平は陥落し之に次いで上海、首都南京も陥落し
た。北部の河北、山東、山西、祭哈爾、綏遠、南部の江蘇、浙江、安微等の罹災地域広大
にして、罹災民の多数なることは中国数百年来未曾有のものにして、将士の死傷も三十万
に達し、その他、非戦闘員の虐殺されし者、老弱、婦女子にして非人の待遇を受けし者等
実に言語に絶してゐる」
とのこと、昭和13年2月の時点で、「非戦闘員の虐殺」というのは南京以外には無いわけ
で、当然南京を念頭にした演説とみなさざるを得ない。南京といっていないから、南京の
ことを言った物ではないとの反論があるため、一般に使わないだけのこと


最後まで読んでね 投稿者:ちょっと立ち寄り  投稿日:12月17日(日)17時15分30秒



報道がないといっても、菊池寛は紀行「揚子江一瞥」のなかで、
「河の波打際には、ところどころ動物や人間の死体が、無数に打ち上げられている」
と記述しているし(虐殺とは言えんが)、小林秀雄だって「杭州より南京」のなかで、
「市街の破壊された跡には上海の廃虚を見た後では別段驚かなかったが、人々の眼差しの
相違は心に沁みた」
と感想している。東京日々新聞の鈴木二郎記者は「月刊丸 昭和46年11月号」に目撃談
を寄せてるし、虐殺事件はなかったという立場の同盟通信の前田雄二記者ですら自己の回
想録の中で「兵隊から頼まれて笑いながら俘虜を撃ち殺した同僚がいたこと」を記してい
る。敗残兵、元兵士を処刑するのは当然であると考えていた当時だから、それをなんとも
思わない、悪いことだとは誰も思っていないのが当時のジャーナリズムですな。丹念に地
方新聞を見ると、捕虜の大群が城外に連行された、といった程度の記事は見つかるね。
他にも「昭和13年新聞紙処分日誌 内務省検閲課」によれば、
キング三月号付録「支那事変忠勇談、感激談」は「南京で拾った話の中 33頁」記事差し
止め。
婦女会4月号は「戦地で拾った南京攻略戦秘話の77頁」記事差し止め。
報知新聞4月10日「支那の首斬り浅衛門とテロ親分五人衆」記事差し止め。
等々、いまとなっては内容が分らない差し止め記事が無数にある。
当時、朝日新聞に特集された「南京に戻る避難民の写真」にしたって、手荷物を持たない
手ぶらの全員が青年男子の4列縦隊の行進光景を避難民の群れと思うかね。兵民分離に向
かう捕虜の行進だろう。やらせやうそ写真は左だけじゃないんだよ。
東京大空襲のあった3月10日は陸軍記念日の楽隊行進が国会周辺で行われている。写真週
報掲載のその写真を見て、東京に被害はなかったと主張するようなものだ。

君がいくら報道されていないと主張したところで、当時のニューヨークタイムスにもちゃ
んとキジが出ている。
「日本軍部隊には、訓練され統制がとれている物もあり、又将校のなかには、寛容と同情
の心をもって権力を和らげる者もいたと言うべきであろう。しかし、全体として南京の日
本陸軍の振る舞いは、国家の評判を汚すものであった。南京陥落後数日して当地を訪れた
責任ある高位の日本軍将校および外交官は、外国人が見聞して報告したあらゆる狼藉を事
実と認めている。彼の説明によると陸軍の中の一部が手に負えなくなり、上海の司令部の
知らぬ間に虐殺が行われていたという。
南京に中国軍最後の崩壊が訪れた時、人々の間の安堵の気持ちは非常に大きく、また、南
京市政府および防衛司令部が瓦解した時の印象はよくなかったので、人々は喜んで日本軍
を迎えようとしていた。事実、日本軍の縦隊が南門、西門から入城行進してくると、人々
は集まって実際に歓声をあげて迎えていた。
しかし、日本軍の蛮行が始まると、この安堵と歓迎の気持ちはたちまち恐怖へと変わって
いった。日本軍は広く南京市民の気持ちと信頼をかち得ることが出来たかもしれなかった
のに、逆に、日本への憎しみを一層深く人々の心に植え付け、中国の人々の「協力」を取
り付けるために戦っているのだといいながら、その「協力」を得る機会をはるか先に後退
させてしまった」
国会図書館に行けば一枚120円でコピーできる程度のものなのだから、それくらいは読んで
おくのが歴史に対する礼儀ではないかな。


最後まで読んでね 投稿者:ちょっと立ち寄り  投稿日:12月17日(日)17時13分40秒

さらに部隊戦闘詳報に目を通すなら、
歩兵第六十六聨隊第一大隊戦闘詳報は、12月12日、
「午後七時頃手榴弾ノ爆音モ断続的トナリ概ネ掃蕩ヲ終リ我ガ損害極メテ軽微ナルニ反シ
敵七○○名ヲ殪シ捕虜一五○○余名及多数ノ兵器弾薬ヲ鹵獲シ該方面ニ遁入南門城扉ヲ鎖
サレ退路ヲ失ヒシ敵ヲ城壁南側クリークノ線ニ圧迫シ殆ンド殲滅シ其策動ヲ封スルヲ得タ

最初ノ捕虜ヲ得タル際隊長ハ其ノ三名ヲ伝令トシテ抵抗ヲ断念シテ投降セハ助命スル旨ヲ
含メテ派遣セルニ其ノ効果大ニシテ其ノ結果我カ軍ノ犠牲ヲ尠ナカラシメタルモノナリ捕
虜ハ鉄道線路上ニ集結セシメ服装検査ヲナシ負傷者ハ労ハリ日本軍ノ寛大ナル処置ヲ一般
ニ目撃セシメ更ニ伝令ヲ派シテ残敵ノ投降ヲ勧告セシメタリ
一般ニ観念シ監視兵ノ言ヲ厳守セリ」
続いて13日、
「午後二時零分聨隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
 左記
イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スヘシ
  其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
ロ、兵器ハ集積ノ上別ニ指示スルマデ監視ヲ附シ置クヘシ
ハ、連隊ハ旅団命令ニ依リ主力ヲ以テ城内ヲ掃蕩中ナリ
  貴大隊ノ任務ハ前通リ

右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命シ整理集積セシメ監視兵ヲ附ス
午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附キ意見ノ交換ヲナシタル結果各中隊(第一
第三第四中隊)ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ五十名宛連レ出シ、第一中隊ハ路営地南方谷地
第三中隊ハ路営地西南方凹地第四中隊ハ路営地東南谷地附近ニ於テ刺殺セシムルコトトセ

但シ監禁室ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際絶対ニ感知セラレサル如ク注意ス
各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分刺殺ヲ終リ
聨隊ニ報告ス
第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ失敗セリ
捕虜ハ観念シ恐レス軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸フルモノ銃剣ノ前ニ乗リ出シ従容トシ居ルモノ
アリタルモ中ニハ泣キ喚キ救助ヲ嘆願セルモノアリ特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ其ノ声起レ
リ」
言葉もないね。これは南京戦史を編纂した偕行社をして「全文を通じその表現は極めて異
様である」と言わしめた、紛れもない事実なのだよ。まともな人間なら文章を読んで想像
できると思うがね。

南京事件というのはこのような捕虜の処理、日本軍により便衣兵と判断された、概数すら
も分からない市民、警察官、消防士、発電所職員等の殺害をいうんであって、君がイメー
ジするように、城内で市民だけが30万人殺されたというもんじゃない。東京大空襲の犠牲
者数はいまだに確定できないから、東京空襲は存在しないというのと同じ論理だ。

>その様な軍隊(日本軍)が、シナ人よろしく「屠城」(南京市民を老若男女問わず虐
>殺)等する訳がありません。
問題はまさにそこ、岡村寧次大将がいうとおり、「明治の軍隊と昭和の軍隊はまったく
違う」ということだね。


削除するなら、最後まで読んでからにしてね、 投稿者:ちょっと立ち寄り  投稿日:12月17日(日)17時12分33秒

昭和の日本軍による行為を憲兵司令部作成「帰還将兵ノ言動ニ対スル考察」は、
帰還将兵要注意言動事例として、以下のように記録している。
「女ヲ見レバ直捕ヘテ強姦シ終ニハ惨殺スル位平気デ行ハレル之等ノ事ニ関シテハ上級部
隊長ヨリハ厳重ナル下達モアルガ下級部隊長ハ何モ言ハナイ」
「戦闘間一番嬉シイモノハ掠奪デ上官モ第一線デハ見テモ知ラヌ振リヲスルカラ思フ存分
掠奪ヲスルモノモアッタ」
「第一線ニ於テ人事不省ニ陥ツタ際ハ必ズ自己ノ貴重品、時計等ハ不思議ニ無クナツタ我
軍隊モ掠奪者ガアルラシイ」
「若イ女ヤ子供ガ泣イテ助ケヲ頼ムノデ銃剣デ殺スノハ一寸可哀想ダッタ、又支那人ヲ木
ノ枝ニブラ下ゲテトラックノ上カラ火攻メニスルト天野屋利兵衛ミタイダヨ、一寸泣カナ
イノガアルガ女ハヤハリ弱イアノ声ガ今デモ思ヒ出サレル」
「最初ハ支那人モ寛大ニ取扱ツタガ後ニハ放火班サヘ組織シ家ハ焼ク、人ハ打ツ蹴ル刺ス
生キ埋メニスル等惨虐ノ限リヲ尽シタ」
してもいない手柄話を作ってしまうのは、向井、野田両少尉の例があるけれど、作り話に
しては具体的過ぎますな。天野屋利兵衛とは。(知らんだろうな)
これは南京だろうと推測できる言動としては、
「支那ノ負傷兵ハ屍体ト一緒ニトラックニ満載揚子江ニ投棄シタ」
「敗残兵ヲ捕虜トシタ場合ハ全部殺シテ仕舞フ、或時ハ万余ノ捕虜ヲ揚子江岸ニ立タセテ
機関銃デ狙撃シタガ其時揚子江ガ一條ノ血潮ニナッタトノ事ダ」
という話を察知している。
さらには帰還将校の講演会も調査、工兵第八聨隊留守隊城戸崎準中尉の、
「美化鎮ニ入城ノ際右往左往スル支那住民主トシテ女、年寄、子供五百名程ヲ池ノ端ニ一
列ニ並ベ一斉射撃ヲナシ死ナヌ者ハ更ニ銃剣デ突殺シタ」
との講演談を掲載している。
憲兵隊が日本兵を貶める目的で反日記事を捏造するわけはないでしょう。

「昭和13年中軍人軍属軍紀風紀考察ノ資料」でも、
「飲酒酩酊ノ上外出中又ハ慰安所ニ赴カントスル途中婦女ヲ認メ遂ニ劣情ヲ起コシ暴力ニ
訴ヘ姦淫ヲ遂行セントスルモノ大多数ヲ占メ徴発ニ際シ本犯ヲ敢行スルモノ之ニ次キ難民
区警備、巡察、衛兵、厩当番等勤務中ノ犯行亦少カラス特ニ是等勤務中他人ノ誇大ナル此
ノ種雑談ニ好奇心ヲ起シ勤務ノ場所ヲ離レテ本犯ヲ敢テスルアルハ注意ヲ要ス」
と強姦の事例を概説している。南京憲兵隊が発足し、治安が改善されたとされる13年中で
すら、難民区警備中に抜け出して強姦しに行く者が少なくなかった。勿論これは一部の者
による非行であろうが、その一部の者達が少なくなかったということですな。難民区警備
だから、当然南京だね。
中国人にたいする不法行為については何故か13年10月から12月までの状況しか触れられて
いないが、
「最近三ヶ月間ニ於ケル軍人軍属ノ支那人ニ対スル不法暴行ハ附表其一○ノ如ク二○六件
ヲ算シ強姦、掠奪(強奪)ノ為ノ暴行以外ハ住宅侵入又ハ飲食店内ニ於ケルモノ最モ多ク
物品ノ廉価購入要求、支那人婦女又ハ警察官ニ対スル暴行行為之ニ次 多クノ場合ハ飲酒
酩酊裏ニ行ハレタルモノナリ」
「支那人ニ対スル犯罪ノ大部分ハ誤レル征服感乃至優越感ニ基クモノニシテ之カ為予想外
ノ犯行ヲ平然実行シ怪マサル状況ニシテ」
「徴発時ニ発生スル犯罪ノ多クハ命令ノ範囲ヲ脱逸シ或ハ命令ナクシテ徴発ヲ行ヒ或ハ下
級幹部ノ威令行ハレサル為放逸暴慢ナル行為ヲ敢テシ或ハ掠奪、強姦等ヲ続行シ甚シキハ
多数ノ良民ヲ殺害スルカ如キ事態ヲ惹起スルニ至ルコト多キ」
「軍属等ノ中ニハ学業知識低級ニシテ軍律ニ関スル知得不十分ナル為平然犯行ヲ犯シ甚タ
シキハ所謂戦場犯ノ如キモノハ戦勝者ノ役得ノ如ク心得掠奪強姦等ヲ敢エテスル者ナキニ
アラサル」
13年10月の時点ですら徴発に行って「多数ノ良民ヲ殺害スルカ如キ事態ヲ惹起スルニ至ル
コト多キ」では、南京事件以来何度となく、提示された軍紀風紀の取締りが全く無視され
ていたと思わずにはいられませんね。それこそ「上級部隊長ヨリハ厳重ナル下達モアルガ
下級部隊長ハ何モ言ハナイ」という帰還将兵の言動事例の通りと言えるでしょ。「支那人
ニ対スル犯罪ノ大部分ハ誤レル征服感乃至優越感ニ基クモノ」であると分析されているけ
ど、「13年10月 事変後ニ於ケル支那民心ノ動向ト大民会ニ就テ 畑部隊特務部」でも、
「現在ノ状況ハ日本人ガ余リニ優越感ヲ発揮シテ支那人ヲ下等視シ又ハ占領意識ヲ振廻シ
テ無闇ト威張リ散ラス等如何ニモ支那人ニ「成程日本人ハ我々支那人ノ良友ダ」ト首肯サ
セル行動カ少ナ過キルノカ遺憾デス」
と、述べられている。


削除するなら、最後まで読んでからにしてね、 投稿者:ちょっと立ち寄り  投稿日:12月17日(日)17時11分11秒

「14年2月15日作成 中支那方面軍司令部 参謀長口演要旨」でも依然として、
「軍紀風紀ノ振作ニ関シテハ緒官ノ努力ニ依リ逐次向上シツツアルモ今尚上官暴行抗命等
ノ悪質軍紀犯、掠奪強姦等ノ忌ムベキ犯行及殺人傷害等其ノ跡ヲ絶タサルハ遺憾トスル所
ナリ」
と嘆かれてるしっ。昭和の日本軍がいくところみんなこんなもん。
例外に、西住戦車長にもなるとまさにサムライ、南京で民家から物品を拾ってきた部下に、
副官を付けて返しにやったと、菊池寛が「昭和の軍神 西住戦車長伝」で書いている。
そういう人物もいたにはいたけれど。それくらいじゃないと軍神にはなれない。みんなが
皆軍神ならそんなことはしないでしょうがね。普通の人間はそこまではできんわな。

おしまいに南京事件はパル判事の判決にも出ているぞ。
「いずれにしても、本官がすでに考察したように、証拠にたいして悪くいうことのできる
ことがらをすべて考慮に入れても、南京における日本兵の行動は凶暴であり、かつベイツ
博士が証言したように、残虐はほとんど三週間にわたって惨烈なものであり、合計六週間
にわたって、続いて深刻であったことは疑いない。事態に顕著な改善が見えたのは、よう
やく二月六日あるいは七日すぎてからである。
弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。かれらはたんに
誇張されていることを愬えているのであり、かつ退却中の中国兵が、相当数残虐を犯した
ことを暗示したのである。」

竹下君、君は「優越感ヲ発揮シテ支那人ヲ下等視」していやしないかね。
私は南京事件について議論するつもりはない。折伏も説得もしないし、自分の意見だけが
正しいということもしない。ただ君の主張には間違いが多すぎるということを指摘するま
でだ。もっとも、以上の記述を読んだ後、やはり南京で日本軍は虐殺などはしていないし、
侵略もしていない。捕虜の殺害も正しいし、中国大陸における日本軍は神兵であったと思
うのもよい。どのような馬鹿げた意見であっても、自分とは異なる意見であってもそれを
言えることは重要だとは考える。

以前は小沼参謀が意外にまともな発言をしてバランスを取っていたと思うがね。
チャイナレッドだとか社民党だとか自分が嫌いなものの存在を抹消したいと思う心はそれ
こそスターリン的。
生兵法は怪我の基。半端な知ったかぶりは恥じをかくだけですよ。


RE:はじめまして。 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月15日(金)17時46分28秒

ひるるくさん、初めまして。

>日本が犯した罪は罪。無罪は無罪。被害は被害として捉えることが重要だと考えてます。

何事も是々非々なスタンスで臨む事は非常に大事な事だと思います。その意味では、幕末、
慶喜公のブレーンの一人だった横井小楠にあやかりたいものです。

>私は過去を振り返るときには、独自の思考が必要であると常々思ってます。
>なにか一方の情報だけではどうしても偏りが出てきます。

上下左右様々な方向から物事を見てみるのも重要だと思います。見る方向が違えば、見え方
も違ってくるでしょうし。その上で、自分なりに情報を咀嚼し、自分なりのヴィジョンを構
築すれば良いのではないでしょうか?

>その意味では、ここは客観的なサイトに入るかと思います。
>これからもちょくちょく利用します。がんばってくださいm(_)m

有難うございます。こちらこそ、今後共、宜しくお願いします。


はじめまして。 投稿者:ひるるく  投稿日:12月15日(金)16時16分29秒

始めまして。”ひるるく”と申します。
いつもは歴史再考が更新されてるかどうかだけチェックして、そこしか読んでなかったので・・・・
じつわ、ここ2年ほど掲示板の存在に気付きませんでした(ぉぃ)
リニューアルする前から覗いてたのに(^^;;;;

さて。。。私は基本的に左右どっちでもないです。
ただ、本当の過去が知りたいと願ってる一人です。
日本が犯した罪は罪。無罪は無罪。被害は被害として捉えることが重要だと考えてます。
そのせいか靖国神社に行くことも在れば、赤旗祭りに顔を出すこともあります。
右翼にしても共産党の人間にしても互いに理想や思想は違えてますが、日本をどうするべきかを
真剣に考えている人は沢山いるようです。
一緒にすんな!って言う意見も聞こえてきそうですが(^^;
私は過去を振り返るときには、独自の思考が必要であると常々思ってます。
なにか一方の情報だけではどうしても偏りが出てきます。
その意味では、ここは客観的なサイトに入るかと思います。
これからもちょくちょく利用します。がんばってくださいm(_)m


反共 投稿者:かいと  投稿日:12月14日(木)22時29分59秒

 北朝鮮 中国 こそ世界の平和を乱す独裁国家 


名誉回復告知(重要) 投稿者:竹下義朗(管理者)  投稿日:12月14日(木)21時57分08秒

閲覧者各位

「kitty」なるハンドルで喫茶室(当掲示板)の秩序を乱そうとした書き込みがなされました
が、当の「kitty」氏からメールを頂きました。そのメールにより、どうやら、「kitty」の
ハンドルを騙(かた)って複数の掲示板に「荒らし」をした不届き者の存在が判明しました。
その不届き者については、ハンドル名も判明しましたが、この場では告知致しません。したが
いまして、「kitty」氏本人に対しては、その名誉を回復すると共に、ここへの「出入禁止」
措置は撤回致します。

又、「kitty」氏本人より、「kitty」のハンドルを騙っての悪質な書き込みに対しては、一
切レスをされません様に、との要請を受けましたので、皆様に合わせて告知致します。
尚、管理者としましては、今後、「kitty」名義での書き込みにつきましては、「kitty」氏
本人の書き込みと認められるもの以外は、全て削除対象として扱う事と致します。

最後に、参考としまして、下記に当件に関連する『KITTY-GUY(裏)』掲示板の書き込みを転載
致します。

                     帝國電網省掲示板『喫茶室』管理者 竹下義朗 

------------------------------------------------------------------------------


46 名前: にごー 投稿日: 2000/12/14(木) 16:12:21
    ぉおっ、また変わってる(笑
    これもかわいいね

    いぱーいスレできててちょいびびった(笑
    あらーしでふか???
    ネタ?

47 名前: ”kitty” 投稿日: 2000/12/14(木) 18:32:29
    今ふらりと見たら…(笑)
    最近チャットとかにも逝ってなくて、この子(荒らしさんね)の相手もしてなかったので
    怒ってるみたいね。
    まあ俺以外だれも相手にしてくれなかったんだろうから、晒し者としてログは削除せずにおくよ。
    つーか、手動でよくこんなに頑張るなあ(笑)
    リファー辿ると、たくさんの掲示板に宣伝がしてあってkitty感激。
    まあ来ても何も無いから、彼以外は興味持たないだろうけど。

48 名前: にごー 投稿日: 2000/12/14(木) 19:40:04
    >この子
    スレながめてるとなんか分裂症ちっくで面白いカモ(笑
    「リロードする度に変わります」っつー今日の一言みたいでさ(笑

49 名前: ”kitty” 投稿日: 2000/12/14(木) 21:24:17
    ageとくね

http://freebbs.fargaia.com/html/kittyguy.html


RE:国際戦犯法廷 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月14日(木)20時50分04秒

化石太郎さん

>4日で判決が下される法廷って、いったい・・・

あんなの、茶番ですよ、茶番。
裁判なんて名ばかりのゴッコですよ。
それを真に受けている人権団体や左翼の方が、頭がどうかしちゃっているんですよ。


RE:右翼のちんかす童貞野郎どもへ告ぐ!! 投稿者:竹下義朗(管理者)  投稿日:12月14日(木)20時42分24秒

kittyへ

いしやんさんが、

>ましてや、匿名でこのような書き込みをするなど、人間として最低限の礼節をも欠いた
>卑劣な行為です。恥じ入りなさい。

と仰っている様に、匿名でいちゃもん等つけないで欲しいね。
言いたい事があるんなら、ましてや誹謗中傷の類なら、ハンドルなんかぢゃなく、実名で
しかもメアドも公開するのが「オトコ」と言うものぢゃないの?

ま、どっちにしろ、ここの管理者として、貴方には「出入禁止」を申し渡します。
ちなみに、実名でメアド公開してきても、「出入禁止」は「出入禁止」。
書き込みは見つけ次第、削除させてもらいます。と言う訳で、常連の皆様、kittyへの
レスは無用とお心得下さい。
一回、ペナルティを犯した者、しかも、不遜な態度でここの秩序を乱そうとした者に対し
ては、容赦致しません。悪しからず。それぢゃ、kitty、さいなら。


下の人へ 投稿者:いしやん  投稿日:12月14日(木)19時42分28秒

ネット上の掲示板(少なくとも、この掲示板)は、言うまでもなく公共の場です。
その場において何らかの意思表示をされる場合には、まず御自身の知性と教養とを十二分に把握
した上で発言なされる事をお薦めします。
ましてや、匿名でこのような書き込みをするなど、人間として最低限の礼節をも欠いた卑劣な行
為です。
恥じ入りなさい。
そして、二度とこの板に訪れないように。
でわ。


質問 投稿者:kitty  投稿日:12月14日(木)16時30分31秒

おまえら全員いつ童貞すれたんだ?答えれねんだろ?あ?カスのくせに調子コいてんじゃねーよ(笑)

http://freebbs.fargaia.com/html/kittyguy.html


右翼のちんかす童貞野郎どもへ告ぐ!! 投稿者:kitty  投稿日:12月14日(木)15時54分45秒

わかったような事言ってんじゃねーよ!!
イジメてやるから俺のHPに来い!!
この妄想野郎どもがよ(爆笑)

http://freebbs.fargaia.com/html/kittyguy.html


国際戦犯法廷 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月12日(火)22時09分38秒

4日で判決が下される法廷って、いったい・・・
共産圏でも、もう少しまともに裁判をやるのではないでしょうか。
死人を弁護人抜きで被告席に追いやり、4日で結審とは、あまりにも異常な「裁判」です。
外国の国際法学者が判事を務めたとNHKは放送していましたが、学者の良識というものはないんでしょうか。曲学阿世の徒とはどういうものか、よくわかりました。


RE:↓ 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月12日(火)18時45分05秒

ジンガさん

>は「杞憂」の投稿で“→国連脱退→???”と書こうかと思いましたが、過去に日本が国連
>を脱退した後、どうなったかを考えると、少し書き込みに躊躇してしまいました。

かつて、日本は「国連」(国際連盟)の常任理事国でしたが、米英との確執等様々な要因に
よって、脱退し孤立化していきました。しかし、現在の日本は常任理事国で無いにも関わら
ず莫大な資金で国連(連合国)財政を支えています。建前上は、アメリカが最大の分担金拠
出国と言う事になっていますが、現実には日本が最大の分担金拠出国です。もし、日本の分
担金拠出額が国連財政にとってとるに足らない程度の額だったとしたら、各国にしても制裁
を発動しようが、国交を断絶しようが、自由自在でしょう。しかし、前述の通り、国連分担
金の最大拠出国は日本です。日本が国連に籍を置くか置かないかで、国連の存続自体が左右
される訳です。ですから、各国が国連を通じて日本に経済制裁する事は到底不可能でしょう。
平素から、日本をなめてかかっている各国も、この点についてはぐうの音も出ません。もっ
とも、各国が国連と言う機構自体の廃止に踏み切れば、話は別ですが・・・現状ではまずあ
り得ないでしょうね。


RE:RE:杞憂  投稿者:ジンガ  投稿日:12月12日(火)00時15分38秒

>竹下さん
なるほど。実際問題として日本抜きに国連はありえず、世界経済もまた然りという訳ですか。
実は「杞憂」の投稿で“→国連脱退→???”と書こうかと思いましたが、過去に日本が国連
を脱退した後、どうなったかを考えると、少し書き込みに躊躇してしまいました。
以前、ひさぽん氏が言われたように、争わないことが最大の利益になり得るという国際的な相互
バランスには、日本が不可欠という事ですね。後は国際戦犯法廷の判決待ちか・・・。


RE:国際戦犯法廷 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月11日(月)19時40分23秒

Yamanekoさん、どうも。

>今帝都で行われている国際戦犯法廷だが、各国からの対日賠償総結集となった。(中略)
>被告は、今は他界している東条英機その他14名ほどの軍司高官、そして驚くなかれ、先帝
>陛下も被告の一人である。

つまりは、「死人に口なし」と言う訳ですね。
それなら、いっちょ日本も、ワシントンD.C.へ乗り込んで、日本を「対米開戦」に誘導した
F.ルーズヴェルトや、原爆投下に承認を出したトルーマンと言った死人を引きずり出して、
国際戦犯法廷でも開廷しますか? あ、もう一人いたいた。日ソ不可侵条約を一方的に破棄
して対日開戦し、北方領土をパクったスターリンも「戦犯」として引きずり出さないとね。


12月8日は日米開戦の日ですが 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月11日(月)19時29分24秒

拙著『検定不合格 教科書になれなかった史実2』に掲載済みで、機会を見て「歴史再考」に
も掲載しますが・・・

12月8日、つまり日米開戦の日は、日本海軍による「真珠湾奇襲」(騙し討ち)によって戦端
が開かれたとされ、「卑怯者・日本」と言うのが「定説」とされてきましたが、実は先に戦端
を開いたのはアメリカだった・・・しかも、公海上で宣戦布告なしに日本軍艦船へ先制攻撃を
した、と言う事実が、アメリカの人気雑誌『ナショナル・ジオグラフィック・マガジン』に記
事として掲載されました。

戦後半世紀を経て、ようやく、「卑怯者・日本」、「真珠湾での騙し討ち」と言う事実誤認と
汚名が払拭された訳です。しかし、まだまだ残っています。「従軍慰安婦」・「南京大虐殺」。
これら言われ無き日本の「戦争犯罪」が事実誤認であり、不当なものである事が、一日も早く
認知される事を希望するものであります。そして、これらについて日本政府が断固たる態度を
以て対処されん事を切望します。


RE:杞憂 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月11日(月)19時15分48秒

ジンガさん、どうも。

>杞憂その一 (中略)
>各国からの経済制裁→経済制裁への報復→
>国内企業への大打撃→日本経済の破綻→国力疲弊・財政破綻
>この場合、国連への提訴の段階で和解できれば、何とかなりそうです。

各国からの経済制裁ですか? それはどうでしょうか。
確かに日本は、世界各国から「金づる」と見られており、政治的にも「ナメ」られています。
しかし、だからと言って日本を「世界」の枠組みから外す事は到底不可能です。

もしも、国連への提訴の段階で、埒があかなかったとして、各国からの制裁と言う事になった
としましょう。その時点で、日本が国連からの「脱退」を言い出したらどうなるでしょうか?
実際には、日本の政治家や官僚は弱腰ですから、現実にそうなるかは分かりませんが、現在、
国連の活動資金の相当部分が日本の分担拠出金で賄われている事だけは事実です。各国が本気
で日本に「制裁」を発動し、日本が対抗措置として国連から「脱退」したら、最早その時点で
国連はお終いです。何せ、活動資金が捻出出来なくなってしまう訳ですから・・・。

又、このグローバルな時代に、本気で日本に経済制裁を科したら、日本も痛いでしょうが、制
裁を科す方も経済面で相当なダメージを蒙る事になります。何せ、経済や金融は国境に関係あ
りませんから・・・。そう考えると、日本に制裁を科す時には、相手にも相当の覚悟が必要で
は無いかと思います。下手をすれば、世界恐慌と言う事態にも陥りかねませんからね。


杞憂 投稿者:ジンガ  投稿日:12月11日(月)15時41分46秒

杞憂かも知れませんが・・・

杞憂その一
国際戦犯法廷で日本にとって不当判決(法外な賠償金支払命令)→断固拒否→国連に提訴し、
裁判そのものの不成立を主張→各国との関係悪化→各国からの経済制裁→経済制裁への報復→
国内企業への大打撃→日本経済の破綻→国力疲弊・財政破綻

この場合、国連への提訴の段階で和解できれば、何とかなりそうです。


杞憂その二
不当判決→支払いに応じる→さらに訳の分からないイチャモンをつけられ、金を絞り取られる→
国力疲弊・財政破綻

個人的には支払拒否ですけど。

いずれにしても、国際間で微妙な立場に立たされるような気がします。
東京裁判の二の舞にならなければいいが・・・と杞憂してしまいます。


国際戦犯法廷の判決 投稿者:ジンガ  投稿日:12月11日(月)09時51分25秒

要するに“国家規模で因縁をつけて、少しでも金をむしり取ろうとするゴッコ裁判”の判決に、
バカ正直に従う必要はあるのかどうか疑問です。戦犯というなら当然、トルーマンや当時のソ連も
槍玉にあげられてしかるべきでしょうね。でも強国にはそんな事は言わないズルさが見え隠れしま
すけど・・・。


国際戦犯法廷 投稿者:Yamaneko  投稿日:12月10日(日)21時43分24秒

今帝都で行われている国際戦犯法廷だが、各国からの対日賠償総結集となった。主任検事は、セルビアの戦争犯罪を裁いたひとである。その他主任検事はもう一人いる。中国、韓国、マレーシア、ふぃリッピん、インドネシア、東シティーモア、オランダから、平均各国5人検事がまねかれ、大検事団が結集している。下記にあるように、各国から合計80人ほどの慰安婦が招かれた。

被告は、今は他界している東条英機その他14名ほどの軍司高官、そして驚くなかれ、先帝陛下も被告の一人である。最終弁論では、日本政府の罪はもちろん、先帝が慰安婦制度を事前に知っていたと言う議論がなされた。判決は12日に下される予定である。


請願 投稿者:ライチュウ  投稿日:12月10日(日)21時32分29秒

以下の車両を小型自動二輪の免許で運転できるように請願。
 排気量125cc以下で前1輪・後2輪(俗に言うスリーター)で、
 後2輪のタイヤとタイヤの間が50cm以下で、
 屋根付き・車室なしのもの。
この規格に合う排気量50cc以下の車両は原付免許で運転できるので、
上の車両も小型自動二輪の免許で運転出来るようにしよう。
aleph__hamakada@hotmail.com
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkd6020/hamakada/

http://village.infoweb.ne.jp/~fwkd6020/hamakada/


RE:日本の宣伝戦略 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月10日(日)20時00分30秒

キクチヨさん、どうも。

>日本的な美徳はそれはそれとして置いておいて、国際社会に出ればそれなりの対応をしな
>ければ、いつのまにか声の大きい方が正論として通ってしまう様に思います。

全くその通りです。「秘すればこそ・・・何とやら・・・」とは言いますが、それが通じる
相手にはそれで良いとしても、通じない相手に対しては、断固たる態度が必要です。外交交
渉でもそうですが、交渉が行き詰まり、相手側のペースで進められそうになった時に、

「我々の考え方を、きっと相手も理解してくれている」

等と寝ぼけた事を言っていては、正に相手の思うつぼです。時には、「巨人の星」ではあり
ませんが、「ちゃぶ台をひっくり返す」事も必要では無いでしょうか? 「飴と鞭」、「脅
しすかし」が国際社会と言う修羅場を渡り歩く上では鉄則だと思います。しかし、残念ながら
日本外交にこれらが全く以て欠けている事も事実です。


RE:??国際戦犯法廷?? 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月10日(日)19時51分54秒

KABARENさん、どうも。

>しかし、こんな無法が許されるのでしょうか?
>いくら民衆法廷とはいえ、既に死亡した軍幹部・政府高官(誰かは未確認)
>を訴追し、弁護人もいないという一方的な法廷で、
>「裁判官に慎重な審理を求める」ことは不可能。

裁判の体裁を整える為に一応「弁護人」は置いたが、反証や弁論を悉くはねつけた史上最悪の
法廷「極東軍事法廷」(東京裁判)と、目糞鼻糞ではありませんか? 全くもって呆れてモノ
も言えませんね。と言うか、それって、「裁判ごっこ」だったのと違いますか?(笑)


RE:歴史再考更新御礼 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月10日(日)19時44分57秒

化石太郎さん、どうも。

>ただ、敬意を持つがゆえにホロコースト否定論をテーマとして取り上げることに懸念を感じ
>ます。(中略)
>以上、三点の理由により、私はホロコースト否定論を歴史再考のテーマとして取り上げるこ
>とに幾分の心配を持っています。

ご心配頂きまして、有り難う御座います m(__)m
ただ、矢は既に放たれてしまった、と言いますか、時既に遅し、と言いますか・・・。
11月に出版しました拙著『検定不合格 教科書になれなかった史実2』に、HP内「歴史再考」
掲載に先駆けて、当問題を載せてしまっております。

>「ホロコースト」は基本的にドイツーユダヤの問題で、日本国の名誉や国益との関わりはあ
>りません。(中略)
>歴史学上の問題としては、「ホロコースト」は関心を集めるテーマですが、日本の国益には
>無関係であり、それゆえに支持を得にくいと思われます。

確かに、「ホロコースト」問題は、日本の国益には直接的な関係はありません。しかし、先の
大戦における「枢軸国」(敗戦国)の「戦争犯罪」として、西(ドイツ)の「ホロコースト」
と、東(日本)の「南京大虐殺」は、双璧をなしているが如く言われ、場合によっては「ワン
セット」に断罪される事も多々あります。「南京大虐殺」については、昨今、日本でも汚名払
拭(名誉回復)の為の試みがなされています。しかし、もう一方の「ホロコースト」について
は、残念ながらユダヤの思うがままです。「ワンセット」思考で取り沙汰されている現状にお
いては、いくら「南京大虐殺」の虚構を立証しようとしても、もう一方の「偽史」に足を引っ
張られてしまい、結果として日本の国益を損なってしまうと言うのが実状では無いかと思いま
す。私は何も、ドイツ人に義理がある訳ではありません。ただ、以上の点から、ユダヤ・シナ
系の傲慢さと横暴には、国家国民を挙げて打破すべきものと考えます。

>まあ、仮に発表されたとしても帝國電網省が「マルコポーロ」の運命をたどることはないと
>思いますけれど。

私も自らの都合でならいざ知らず、『マルコポーロ』誌の如き「外圧」による閉鎖だけは御免
被りたいものです。その意味でも、ご支援の程、宜しくお願い致します。


日本の宣伝戦略 投稿者:キクチヨ  投稿日:12月10日(日)11時58分47秒

KABARENさんの書かれているようなこともそうですが、支那のアイリス・チャンを使った南京問題蒸返し戦略に対しても、
日本は無策に過ぎます。
真実は見える、とか、分かってくれる人がいればいい、とか沈黙を守れば守るだけ不利になってしまうのが、何故分からないのでしょうか。。。<日本政府

日本的な美徳はそれはそれとして置いておいて、国際社会に出ればそれなりの対応をしなければ、
いつのまにか声の大きい方が正論として通ってしまう様に思います。

なんか、グチみたいになってしまいますね。書いてて情けなくなってきます。


??国際戦犯法廷?? 投稿者:KABAREN  投稿日:12月 9日(土)18時20分11秒

「慰安婦制度等の戦時中の旧日本軍の性暴力を裁く」という
民衆法廷が開かれました。ご丁寧に元慰安婦と称する人々を80人も
集めたそうです。
しかし、こんな無法が許されるのでしょうか?
いくら民衆法廷とはいえ、既に死亡した軍幹部・政府高官(誰かは未確認)
を訴追し、弁護人もいないという一方的な法廷で、
「裁判官に慎重な審理を求める」ことは不可能。
加害兵士の証言もあるとのことですが、誰でしょう?
12日に判決が出ますが、結果は明白。

慰安婦の方に暴力を振るったのなら、その個人が傷害罪になると思いますが、
慰安所があったこと自体は何ら問題ないはずです。
別に旧日本軍が経営していたわけではありませんし。
慰安婦を集めて店を開き、いやがる女性にも無理矢理働かせたのは
地元の経営者でしょ。経営者を起訴しろよ。
正義ぶっている人権団体のみなさん、矛先が違うでしょ。
法廷と名乗るもただの自己満足集団リンチではありませんか。
結果次第ではまたお邪魔します。


>赤軍派疑惑 投稿者:まむし直  投稿日:12月 9日(土)14時35分39秒

赤軍派疑惑って、そりゃ疑惑じゃなくて有名な事実じゃないの?
よくわかんないけど俺はそう思ってたけどなあ…?
昔は「ソ連→日本社会党→日本赤軍→ピースボート(辻元清美)」でしょ。

ちょっと関係ないけど高校の時、日本史の授業で、
教師が「日本赤軍の資金源は社会党で…」なんて
ごくあたりまえのようにしゃべってたぞ。
ちなみにその教師は右でも左でもなくふつうの人です。
まあ昔のことだから日教組には建前上入ってたとは思うけど。


別の船について 投稿者:柴犬  投稿日:12月 9日(土)01時02分32秒

皆様のお陰でピースボートの料金が再値下げされました。カジュアルクラス68万円とか。乗船経験者はマイレージ他の割り引き行使でさらに20万円OFF、赤軍派疑惑、重信房子逮捕絡みも有るのかな。引き続き追い詰めましょう。社民党も新左翼も死ね。日の丸って世界の国旗の中ではベストデザインだとつくづく思う。本日も晴天なり


>古代日本の造船能力 投稿者:まむし直  投稿日:12月 8日(金)22時22分14秒

>白村江行きの大船団を建造した技術者集団はどこにいってしまったのでしょうか。

民間に流出したのでしょう。
当時の技術では、軍艦でもないかぎり大きな船を作ってもあまり意味がなく
漁労やたんなる航海ならば小舟の方が有利なので、技術の伝承が途絶えてしまったのでしょう。

古代ローマの建築技術や医学などは中世には途絶えてしまったし、
日本でも戦国時代には大型船や大砲がありましたが江戸時代には途絶えてしまいました。
メソポタミア以来、古代には日本のみならず世界各地に
高度な科学技術というのはいろいろありましたが
それをバックアップする社会システム(資本主義、産業社会)がなかったため
一部の神官階級や技術者集団に秘伝として伝わるしかなく、途絶えるのも早いのです。

>古代日本の造船能力は案外研究されていないように思います。
>これがわかれば朝鮮半島との関係の
>解明にも役立つと思うのですが。

「古代日本の軍事航海史」松枝正根/かや書房
これなんかどうよ。


歴史再考更新御礼 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月 8日(金)21時51分53秒

歴史再考更新、ありがとうございます。
南京事件の反証としてわかりやすい組み立てになっていて、興味深く読ませていただきました。
外国では北京政府と華僑の「南京事件」宣伝攻勢に押されている日本ですが、少なくとも国内で
こうした反論が発表され続ける限り日本もまだ大丈夫だと思います。
また、忙しい中で歴史再考を発表されている竹下さんの熱意には敬意を抱いています。
ただ、敬意を持つがゆえにホロコースト否定論をテーマとして取り上げることに懸念を感じます。
理由は以下の通りです。
1 戦略的困難
「マルコポーロ」廃刊に見受けられるようにユダヤ系の人々の影響力は強大です。「ホロコースト否定論」は彼らをまともに敵にまわすことになります。
日本は「南京事件」で華僑に押され気味です。この状態でユダヤ人まで敵に回すとならば両面作戦
となり、著しく不利になります。二正面作戦は避けるべきと考えます。
2 国益に関係ない
「ホロコースト」は基本的にドイツーユダヤの問題で、日本国の名誉や国益との関わりはありません。ドイツが親日的な国ならば、かつての同盟国の為に弁じようという気にもなるかもしれません。しかし「正論」等の雑誌を読む限りでは、ドイツ人の方には日本を盟邦として扱う気などないようです。それどころかドイツの罪を軽くする為に南京事件等の日本の「罪」をことさらに報道して日本を同罪者にしようとする傾向があるとのことです。
歴史学上の問題としては、「ホロコースト」は関心を集めるテーマですが、日本の国益には無関係
であり、それゆえに支持を得にくいと思われます。
3 国内で同調者を得にくい
上で述べたように、日本とは関係ないテーマであるため、国内の支持・支援を得ることは困難です。南京虐殺否定派の人達もこの問題に関しては静観か無関心に終始するでしょう。日本の名誉
がかかっている南京事件論争とは異なります。
加えて資料を得にくい。舞台が欧州であるがゆえに、本格的に調べるには語学力を要すると思われます。そのため「ホロコースト」に関する検証が難しいのです。
仮に私が日本語の文献の中で「ホロコースト否定論」にある程度の信憑性を認めたとしても、対外的には主張せず、私の内心に保留するでしょう。南京事件と比べた場合、日本語で書かれた一次資料が不足すると考えるからです。
以上、三点の理由により、私はホロコースト否定論を歴史再考のテーマとして取り上げることに
幾分の心配を持っています。
まあ、仮に発表されたとしても帝國電網省が「マルコポーロ」の運命をたどることはないと思いますけれど。


RE:古代日本の造船能力 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月 8日(金)19時15分57秒

>7世紀半ばに白村江の戦いがありましたが、九州から約2万人の兵が援軍として行っている
>わけですよね。(中略)
>ところが一世紀後には「遣唐使」という名目でたった4隻前後の船をたまに出すことしかし
>なくなってしまった。
>白村江行きの大船団を建造した技術者集団はどこにいってしまったのでしょうか。

「どこ」へ行ってしまったかはともかく、少なくとも、朝廷の支配領域外(要は化外の地)に
行ってしまった事だけは確かでしょうね。「遣唐使」にたった4隻しか出せず・・・と言う事
は、白村江海戦当時から見て、それだけ「海軍力」が低下していた共言え、多分に「戦勝国」
唐・新羅の影響力が働いたのでは無いでしょうか?


古代日本の造船能力 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月 4日(月)02時35分33秒

7世紀半ばに白村江の戦いがありましたが、九州から約2万人の兵が援軍として行っているわけですよね。ということは古代日本には相当な船舶建造能力があったということになります。
一朝一夕に2万人を運ぶ船団は作れないでしょう。おそらく造船技術を持つ人々が多く存在し、為政者も育成策をとっていたのではと私は勝手に考えています。
ところが一世紀後には「遣唐使」という名目でたった4隻前後の船をたまに出すことしかしなくなってしまった。
白村江行きの大船団を建造した技術者集団はどこにいってしまったのでしょうか。
古代日本の造船能力は案外研究されていないように思います。これがわかれば朝鮮半島との関係の
解明にも役立つと思うのですが。


RE:柴犬さまに同感です! 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月 3日(日)19時50分06秒

RIOさん、お久しぶりです。

>うちの猫どもも、竹下様の下の発言に感激しております。私も竹下ファンになりそうです^^。

有り難う御座います m(__)m

>しかし、ホロコーストについては、あれほど「有った」ことをあちらこちらでお伝えした
>はずなのに、結局どたなも転向させることは出来なかったようです。

私もその中の一人なのでしょう。ただ、これだけは誤解して頂きたく無い事ですが、私は、
ナチスが「政策としてのユダヤ人迫害」をした事迄、否定するつもりは毛頭ありません。
彼らからすれば、ユダヤ人が同じ空間(この場合、ドイツ国内であり、欧州域内)にいる事
自体が許せなかった訳で、兎にも角にも「追い出し」たかった訳ですね。だからこそ、ユダ
ヤ人を収容所へと送った訳ですが、「大量殺人」迄は考えていなかったと思っています。
まあ、これ以上は、拙著の同コラムを読んで頂くか、ホームページに発表する迄待って頂く
事として・・・一つだけ言える事があります。それは、「ホロコースト」にしろ、「南京大
虐殺」にしろ、最終的に誰が「得」をしたかと言う事です。

「南京大虐殺」では、シナが日本に対して資金(かね)を引き出す為の、政治的には軍事力
強化を阻止する為の、有効な「カード」として用いました。対する「ホロコースト」では、
イスラエルが戦後、ドイツから莫大な資金を引き出す為のカードとして用いました。これは、
重要な事だと思います。

日常の社会にも、「当たり屋」がいる様に、国家レベルにおいても、「当たり屋」がいる
と言う事です。


「南京大虐殺」については 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月 3日(日)19時33分26秒

化石太郎さん

>日本では「南京虐殺は無かった」と主張すれば右翼扱い・・・
>殺人の有無と右翼か左翼かは関係ないと思うんですがね。

正にその通りですね。「あった」か、「無かった」かと言う事と、右翼か左翼かと言う
事は全く以て別次元の話ですよ。私も世間では「右翼」に分類している様ですが、自分
自身は特に「右翼」と言う自覚は無いんですが・・・だからと言って、「左翼」足りえ
ない事も確かですが・・・。

ちなみに、「南京大虐殺」の件については、8日の更新時、ホームページ内の「歴史再
考」にコラムとして発表します(拙著新刊にも載っています)。


柴犬さまに同感です! 投稿者:RIO  投稿日:12月 3日(日)12時11分16秒

竹下様、ご無沙汰しております。最近は小動物を虐待する気味の悪い若者が増えました。

女性の方は、彼氏が小動物にどう接するかが、キープするかどうかのバロメータになりますね。
やはり日本男児は、女性だけでなく、小動物にもやさしくなくっちゃね。うちの猫どもも、竹下様の下の発言に感激しております。私も竹下ファンになりそうです^^。

しかし、ホロコーストについては、あれほど「有った」ことをあちらこちらでお伝えしたはずなのに、結局どたなも転向させることは出来なかったようです。時間の無駄だったのでしょうか。


常識あれば 投稿者:化石 太郎  投稿日:12月 2日(土)21時26分04秒

北京政府と左翼の主張する南京大虐殺には致命的な欠陥があります。
遺族が出てこないことです。
仮に私一人が殺害されれば数名の遺族が発生します。30万人が殺されれば、やはり数十万単位で
遺族ができる計算になります。ところが南京で家族を殺されたと主張する遺族が現れてこない。
現れてくるのは怪しげな証言と証人のみ。常識があれば北京政府の主張など「歴史の改竄」であることがわかるのです。
しかし、日本では「南京虐殺は無かった」と主張すれば右翼扱い・・・
殺人の有無と右翼か左翼かは関係ないと思うんですがね。


RE:柴犬の愛犬じゃらより 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月 2日(土)20時36分07秒

柴犬さん

>飼い主曰く「竹下様って良い方でしたのね。」

今更、何を仰るウサギさん。。。当たり前田吟ってもんですよ(爆)
冗談はともかく、犬も猫も好きですよ>私は。。。

それにしても、近頃のペットブームには少々うんざりしています。何せ、興味本位で
ペットを飼いだしたはいいが、いざとなると、公園やら野っ原やらに「ポイ捨て」。
ゴミぢゃあるまいし、犬猫にだって生命(いのち)ってもんがあるでしょうに・・・。
何でもかんでも古くなると「ポイ捨て」する習慣、しかも「不法投棄」をして何ら
恥じる事が無くなってしまった「日本人」が嘆かわしい限りですよ。

タバコしかり、空き缶・空き瓶しかり、洗濯機しかり、自動車しかり・・・何でもかん
でも「ポイ捨て」。ま、同時にそう言った輩(やから)は、「モラル」やら「良心」も
一緒に「ポイ捨て」している訳なんだが・・・。

話を戻しますが、よくナチスによる「ホロコースト」(アウシュウィッツ収容所の物語)
で「殺された」と言うユダヤ人達や、「南京大虐殺」で「殺された」と言うシナ人達の
事となると、結構声高に非難や糾弾されたりするが、町で「いらなくなった」ペットを
「回収」するシステムに関しては、市民達は正直言って無関心だったりする。私に言わ
せれば、これこそ、ペット達にとっての「アウシュウィッツ」だと思うのだが、如何な
ものでしょうか? 何せ、ペット達は引き取り手が現れない限り、「ガス殺」と言う結
末しか残されていないんですから・・・。

あ、そうそう。上で、ナチスの「ホロコースト」について書きましたが、あれはウソで
すよ。いずれ、『歴史再考』(私のホームページ「帝國電網省」の歴史コラム)にも発
表しますが・・・少しでも早く読みたい方は、拙著『検定不合格 教科書になれなかった
史実2』(雷韻出版刊 今月発売の新刊)に載せています。


柴犬の愛犬じゃらより 投稿者:柴犬  投稿日:12月 1日(金)22時25分59秒

私は15歳の老犬です。野良の友猫も多数います。飼い主曰く「竹下様って良い方でしたのね。」動物の幸せな国は人も幸せだとじゃらは考えます。


話は変わりますが、「矢猫」救出 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月 1日(金)21時34分43秒

この所、お茶の間番組で取り上げられている、茅ヶ崎海岸の「矢猫」。
動物愛護団体に何とか捕獲され、背中に刺さっていた矢を抜かれ治療してもらったそうで、
ホッとしています。

それにしても、悪い事をするもんだ。猫に向けて矢を放った「おまえ」!! 「おまえ」こそ、
矢で射られたら、どうなんだ? ボーガン持ち歩いて猫を狙う暇があったら、空き缶の一つ
も拾え!!(怒)

>別の意味で、「生類憐れみの令」復活を願う一人・・・


続き 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月 1日(金)21時27分07秒

>漢民族同士でも決して一枚板ではないのです。(漢民族という定義も難しいものがあります
>が)
>中国の現政権は国内をまとめるために「反日」を煽り、利用しているのでしょう。
>しかし、相手には明らかな弱点があるのです。

北京語と広東語は、英語とフランス語程の差があると言います。筆談ならともかく、
口語ではまるっきり通じません。何せ、同じ漢字でも全然発音が違いますから。
又、地域毎に習俗も違いますし、「反日」で大同団結させる以外に、北京の中央政府
が広大な「帝国」をまとめる事等出来ないのは当然です。その意味では、日本がシナ
内部の地域対立を裏で煽って分裂を画策すると言うのも、戦略としては一つの手です。

それにしても、やはり、シナには旧ソ連の様に、幾つかの地域国家に分裂してもらい、
現在の様な「帝国」体制では無い、緩やかな「国家連合」になってもらうべきですね。


RE:中国の反日よりも 投稿者:竹下義朗  投稿日:12月 1日(金)21時18分42秒

化石太郎さん、初めまして。

>中国で今後深刻になりそうなのは国内各地域の対立ではないでしょうか。
>例えば、広東地方の人々は北京政府の支配を快く思っていないようです。

北京と広東の対立は宿命と言っても良いでしょう。
何しろ、「国父」と讃えられている孫文は、中華民国初代臨時大総統(ちなみに、我
国では、「中華民国大総統」を「支那共和国大統領」とも呼んでいた)でしたが、旧
清朝の実力者、袁世凱に大総統の座を奪われた後、主として広東を拠点に幾度と無く
軍政府を組織しており、北京軍閥(政権)とは常に対立状態でした。ですから、北京
と広東の対立と言うのは、結構根深いものがあります。

又、広州(広東)と隣接する深せん経済特区の発展による経済力を背景に、広東は、
「我々の稼いだ富を北京なんかに獲られてたまるか!!」と言った感情があります。
人間の世界でも、経済的に成り立つ様になると、自立したくなるのものですが、広東
にも同じ事が言えると思います。元々が、中央(北京)から遠く、独立心旺盛な地域
にプラス経済の発展とくれば・・・嫌がおうにも中央のコントロールに従わなくなる
のは当然の成り行きでしょうね。


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