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喫茶室 過去ログ81(2006.2.1〜2.28)

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国家反逆罪ですな〜  投稿者:yf  投稿日: 2月28日(火)19時47分16秒
  久保田さんご紹介の「NHKがLIVE映像 から故意にカットした写真集」
この写真を見て腹が立ちました、、

 私はこの日録画しながらLIVEで見ておりましたが 特に違和感も無く ただただ感動しておりました まぁ 殆(ほとん)どの方が 私と同じでように バカHKに騙(だま)されたのですね
それにしても カットされた部分の映像が見たかった、、、

この写真をコピーして 不払いの理由に出来そうですな〜(笑;

まぁ 名文句を残した中継アナーを弁護すると
あらぬ映像に対して 「TVをご覧の皆様には分からないと思いますが、、」と
写るべき人の動向を実況し始めたではないですか、、 悪いのはディレクターか??
 

Re:非常に怪しい記事を見付けました  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月28日(火)17時29分34秒
  安竜福のデタラメぶりについては、下條先生の『竹島は日韓どちらのものか』文春新書に詳しく記され、徹底的に論破されています。  

非常に怪しい記事を見付けました。  投稿者:  投稿日: 2月28日(火)15時05分19秒
  皆様ご無沙汰しております。以前、投稿させて頂いた事がある護です。
実は非常に怪しい記事を見付けたので、皆様のご意見を伺いたいと思って、投稿させて頂きました。かの勢力は、捏造・歪曲など日常茶飯事(さはんじ)だという印象を強く抱いているので、容易には信じ難(がた)い話だと思っているのですが・・・。

(朝鮮日報):「竹島は江原道に属す」 日本の17世紀文書公開
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/02/27/20060227000001.html

「竹島は江原道に属す」 日本の17世紀文書公開

記事入力 : 2006/02/27 07:26

独島(トクト)を「朝鮮の江原道に属する島」と記録した17世紀の日本の公文書が26日公開された。

 江原(カンウォン)大学・史学科の孫承(ソン・スンチョル)教授は最近、日本の島根県の村上家に伝わる『元祿九丙子年朝鮮舟着岸一卷之覚書』の原本の写真を入手し、これを公開した。

 この文書は1696年(粛宗(朝鮮の19代王)22年)5月、日本の漁船が独島に出漁することに対して抗議するために日本に渡った安竜福(アン・ヨンボク)の2回目の訪問の際、日本の地方官吏が安竜福を取り調べ、幕府の直轄領の石見州に報告した内容だ。文書の存在は昨年5月、日本島根県の地方紙の山陰中央新報の報道によって明らかになったが、実物が公開されたのは今回が初めてのこと。

 文書には「朝鮮国江原道の竹島(鬱陵島)と松島(独島)がある」という安竜福の供述が盛り込まれている。さらに「朝鮮の8道(朝鮮之八道)」というタイトルの下に各道の名称を記録し、「江原道」の下に「この道のなかに竹島と松島がある」と明記し、鬱陵島と独島が朝鮮の領土であることが明確に示されている。<写真>

 孫教授は近くこの文書の全文を翻訳した内容を学会を通じて発表する予定だ。

朝鮮日報


追伸
竹下様、ご対応を有難(ありがと)うございます。

 

『卑弥呼と日本書紀』67  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月28日(火)11時48分37秒
  ■■■■■ 三・六 謎の多い七つの対魏外交記録1――景初三年―― ■■■■■


〈卑彌呼〉の時代の東アジア情勢を概観したところで、『魏志倭人伝』の原文にもどろう。
 裸国、黒歯国・・・といった空想的な記述がおわると、またとつぜん現実にもどり、外交記録がはじまる。
 これは断片的ではあるが、魏の都での記録を元にしているため、信憑性はかなり高いと考えられている。
 記録は七項目に分けることができる。
 以下、本節と次節で順次説明してゆく。


◆◆◆ 〈一〉景初三年(明帝(めいてい)・叡(えい)の年号/西暦二三九年)六月 ◆◆◆

 記された外交記録の最初は、景初三年、西暦換算で二三九年である。
 すなわちこの年、倭の女王〈卑彌呼〉の使者である大夫(たいふ)の難升米(なしめ)らが帯方郡にきて、魏の皇帝に拝謁したいと申し出た。
 そこで、魏の役人でもある帯方郡の太守(たいしゅ)の劉夏(りゅうか)は、部下に難升米らを引率させて、魏の都の洛陽に送った。
 そして難升米らは魏の皇帝に種々の宝物や男女を献上した――と述べられている。
 この景初三年という年は、現在の写本では二年となっているが、それは写し間違いで、ほんとうは三年だろうと、他の文献や魏国と周辺国の事情などから推定されている。
『日本書紀(やまとのふみ)』にも三年と記されているので、ここでは三年としておく。

 難升米の読みは、ナンショウメという説もあり、いろいろである。もともと発音不明の文章を史家が推定しているものなので、他の多くの人名地名の読みについても、意見がいろいろある。
 難升米に直接対応できる人名は日本側の史書にはない(間接的にはある)が、あとでも魏の皇帝から旗などを下賜(かし)されているので、いまでいえば、外務大臣とか有力大使とかいった身分の人間だったのであろう。
 

NHKの反皇室ぶり  投稿者:岩谷文太  投稿日: 2月28日(火)07時02分34秒
  NHKは放送開始と終了時には君が代とはためく日の丸と地球の映像を流していましたね。先帝陛下が危篤状態の時、NHKや幾つかの民放は電波を切らずに一晩中風景の映像を流し続けていて、ご容態を文字で流していました。あの時位でした、君が代が流れなかったのは。でも最近は終夜放送が普通になってるようで、君が代も流さなくなったとか。

私の印象では、NHKが決定的に反日にかじを切り出したのは、先帝陛下の崩御(1989)以降、一段と顕著になったように記憶しています。それまで扱って来なかった『太平記』を「待ってました!」と言わんばかりに、足利尊氏(たかうじ)側の視点で大河ドラマ(1991)にしたのが印象的でした。いくらなんでもタイミングが露骨過ぎます。

その後2001年でしたっけ、聖徳太子に朝鮮語を喋(しゃべ)らせたりと、NHKは留まるところを知りません。ドラマ中に朝廷内では百済(くだら)言葉が主言語のようなセリフがありました。

映画『アマデウス』で当時の背景として「オーストリアの宮廷ではイタリア語を話し、ドイツ語は大衆の言語」ということで、モーツァルトがドイツ語オペラを書くのを反対されたシーンがありましたが、あれをパクったのでしょうかね? ただしオーストリア王朝自体が神聖ローマ帝国なので、日本とは全く状況が違います。

半島と交易が盛んだったとしても、現代のように教材や辞書があって誰でも外国語を勉強出来る時代と違い、当時外国語が話せた人と言うのは、それなりの環境で育った人のみの筈です。朝鮮語を話す親に育てられるとかしない限り、あり得ないでしょう。私は日系人で2世でも日本語を話せない人の例を見てますので、日常的に用いない言語を子供が習得するのは非常に難しいことであると思っています。

時代劇のドラマでは現代の日本語が話されているので、そこら辺からして史実とは異なる訳ですが、それにしてもそこに現代朝鮮語が出て来て、それが朝廷の主言語であると演出するのは、フィクションにしても実在の人物が登場する訳で、SFや怪奇小説じゃないんだからやり過ぎですね。
 

Re:いつも思う事ですが  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月27日(月)23時47分30秒
  わたしもいつも思うのですが、こんなにもすがすがしい日の丸の国旗を憎む人って、いったいどういう神経をしているんでしょうか。
まったく謎です。
オリンピックの会場にも隅の方にいるんでしょうか?
(プロ野球の球場なんかにはいるみたいですけど)
 

NHKトリノ五輪總集編  投稿者:黄東洋hwangdongyang2002  投稿日: 2月27日(月)23時31分15秒
  荒川静香選手の点数発表までは映しながら、日章旗を持って舞う場面や、君が代演奏の場面は削除されていました。

NHKが日本の応援団のようにはしゃぐようになって、民放に近づいたように見えたのは、受信料を集めるためかとも想いましたが、ファンが待ち望んだ日本の国歌演奏を放送しないNHKは視聴者を無視しています。
NHKには受信料など拂わない方がいいでしょう。

『ユーラシア言語研究2』
http://6008.teacup.com/hwangdongyang2002/bbs

 

渡来人と言う言葉  投稿者:三保 平清  投稿日: 2月27日(月)21時39分44秒
    オロモルフ様
「渡来人」と言う言葉についてのお答え有り難う御座います。自分ながらも随分荒っぽいそして間違いのある主張かもと思いましたが、どうもこの言葉は腹に据えかねるので、投稿しました。私は高校では確か「帰化人」と習いました。桓武天皇のお后(きさき)が「渡来人」などと言う事は絶対にないと信じています。古代には正当な皇統を受け継いだ皇子でも、皇位継承で随分暗殺されていますね。なのにそんな事あり得ないと愚考致します。高野新笠(たかののにいがさ)は日本人の皇統に属した人物と思います(左翼の宣伝と思います)。
 

いつも思う事ですが  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月27日(月)19時00分54秒
  オリンピックで日本人選手が「金メダル」を獲得、メダル授与式に於いて、国歌「君が代」が流れる際、会場で、「日の丸、君が代、反対〜〜〜」等と大声で喚(わめ)く、そう言った邦人を見た事が無いのですが、な〜〜〜んでかな?

とどのつまりが、日本人にとって、国旗は「日の丸」であり、国歌は「君が代」以外には考えられない、と言う事でしょう。「シンプル・イズ・ベスト」の「君が代」は何度聴いても胸が熱くなり、「ああ、日本人に生まれて良かった」とアイデンティティの再確認をさせてくれます。
 

荒川の金傳えた生中継 31.8%(最高は「君が代」演奏)  投稿者:黄東洋hwangdongyang2002  投稿日: 2月27日(月)15時50分23秒
  (写真)国旗を片手にウイニングランをする荒川=パラベラ競技場で23日、石井諭写す(毎日新聞)17時25分更新

>荒川の金伝えた生中継 31.8%
>荒川の金、早朝のNHK生中継でも視聴率31.8%
> 荒川静香選手が金メダルを獲得した冬季五輪トリノ大会フィギュアスケート女子のフリーを24日早朝に生中継したNHKの視聴率が、関東地区で午前6時―7時が31.8%、同7時―8時15分が30.2%を記録したことが、27日、ビデオリサーチの調べでわかった。
> 瞬間最高視聴率は同7時11分の43.1%で、荒川静香選手の表彰式で「君が代」が演奏されている場面だった。
> 一方、27日早朝に行われた閉会式の視聴率は、4.1%だった。
(2006年2月27日13時8分 讀賣新聞

写真特集 荒川 静香
Yahoo!Japanでの同様の記事

荒川静香さんは君が代演奏で歌を口ずさんでいましたね。
私の気のせいか、以前は各国の選手も取り上げていたNHKが、今度のトリノでは民放なみに日本人選手を贔屓(ひいき)して取り上げているように見えるし、アナウンサーやキャスターも民放なみに感情たっぷりにはしゃいでいたように見えます。

モーグル(滑雪2枚板多瘤積雪坂滑降随時跳躍)の里谷多英選手は長野で君が代演奏中、帽子を被っていました。もし彼女が金は無理でもトリノで3位以内に入ったら、余所(よそ)の国の国歌演奏でちゃんと脱帽したか否(いな)か、見届けたかった。
しかし、幸か不幸かそれはありませんでした。

『ユーラシア言語研究2』
http://6008.teacup.com/hwangdongyang2002/bbs

 

尚も「日の丸」や「君が代」を放映させないNHK  投稿者:久保田泰啓  投稿日: 2月27日(月)14時22分22秒
   まず、以下のリンクサイトで「彼女の姿」をじっくりと眺めてほしい。

http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/masscomi3.html


 フィギュアスケートで荒川静香選手が授与式のさい流れてくる国歌をフルコーラスで歌ってたこととか国旗を纏(まと)ったり掲げたりして30分以上リンク上にいたこととか・・・それは礼儀正しい大和撫子(やまとなでしこ)でなんとも微笑(ほほえ)ましい限りですね、まさしく日の丸ウイニング・ランといったところです。

『金メダリスト・荒川静香選手の公式サイト』
http://www.shizuka-arakawa.com/

なお、英文記事ではこのように記述されています・・・ってか、こういうの何で海外の記事で見つけなければならんの?という疑問が沸々と(泣)

She sang the entire national anthem, and stayed on the ice for more than a half-hour, clutching her medal. The only time she let it go was to grab a Japanese flag.

http://sportsillustrated.cnn.com/2006/olympics/2006/02/23/figure.skating.gold.ap/index.html


そんななか民放も去る事ながら、今回は特にNHKの偏向ぶりが目立ちました、それも実況中継でな

■メダル授与式の「君が代」に荒川静香選手が歌っているシーンを可能な限り映さない。こういう場面は彼女の表情を映し続けることが当たり前。(日本時間 07:11〜)

■リンクサイドで「日の丸」の国旗を受け取る直前にすぐさま壁面にカメラを向け各選手のダイジェストシーンを延々と流していたのは荒川選手の「日の丸アピール」を避けるため(日本時間 07:15〜)

そんなNHKの「偏向LIVE」だよ

http://f.flvmaker.com/mc.php?id=hHrFdggS2olEKcM8_4XfDOR8jt7q4yj7p4Fo.D_ATHLWL_bOqEQGqpg7dI/zcfk/JpicYSMkmulicYtQlFQs

こんな侮辱ぶりなところに受信料はもう払えねぇよ。
 

 「 抗ガン剤に殺される!!  −抗ガン剤の闇を撃つ− 」  地球環境問題・医療問題評論家 船瀬 俊介 氏  投稿者:真相ハンター  投稿日: 2月27日(月)13時46分27秒
           ワールドフォーラム3月例会のご案内

           http://www.worldforum.jp


  「 抗ガン剤に殺される!!  −抗ガン剤の闇を撃つ− 」

       地球環境問題・医療問題評論家 船瀬 俊介 氏


日時 : 2006年3月31日(金) 18:30 - 21:30

場所 : 北とぴあ 8階 803会議室

北区王子1-11-1 TEL.03(5390)1100

交通 : 東京メトロ南北線 王子駅 下車 1分 ・ JR京浜東北線 王子駅 下車 2分

地図 : 北とぴあへの地図  王子駅前

参加費 : 3,000円(会員&予約申込振込みの場合) / 4,000円(オブザ−バ−)

振込先 : 東京三菱UFJ銀行 田無駅前支店/普/3826681/口座名義 佐宗邦夫

申し込み先:ワールド・フォーラム代表幹事 : 佐宗邦皇 E−mail:sasokunio@hotmail.com

ワールド・フォーラム3月例会では、当会ではお馴染みの地球環境問題・医療問題評論家 船瀬 俊介 氏 をお招きして、ガン治療に於いて治療と称して多用されている抗ガン剤を初めとする主要の3大治療療法の外科手術による切除・制ガン剤の化学療法・放射線療法の実態とその効果の裏の真実やガン治療の実態と患者が選択するべき真の治療方法の真相について、「抗ガン剤に殺される!! −抗ガン剤の闇を撃つ−」というテーマでお話戴きます。船瀬氏は、長年の消費者運動における医療問題や医療過誤により自らのお子様の長女を殺され原告として病院と医師を訴え法廷で弁護士抜きで闘って地裁では全面勝訴した経験をお持ちになり、医療現場での医者や病院の驕慢さと患者無視の治療実態を充分に知る経験者でもあります。

船瀬氏は、昨年「抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ」という本を出版されましたが、本当に今のガン患者たちは、医学によってお金をむしりとられて、殺されているも同然なのだということを知らせました。もし、家族がガンになっても、絶対に病院にはいってもらいたくないと思い、ガンの死亡者、
30万人以上のうち、25万人以上が医療によって、殺されているという真相だそうで、これを書いて出版しても、医者や医薬品業界からのクレームは皆無だそうで、彼らもそのように認識していると思われます。
電話で医者に取材をしたら、抗がん剤がまったく効かないのは周知の事実ということを、実際医者の口から聞いているそうです。マスコミも、そういう事を絶対に表には出さないそうです。なぜなら、ガンのビックビジネスが成り立たなくなるから、人の命より、お金儲け・・・が、ガンを取り巻く医療の現状です。皆様方にはご多忙のところ、大変恐縮致しますが、お誘い合わせの上で、お越し下さいますようお願い申し上げます。


 ( プロフィール 船瀬 俊介 氏 )1950年福岡県田川郡添田町生まれ。1969年田川高校卒業後、九州大学理学部入学。1970年同大学中退4手上京、1971年早稲田大学第一文学部に入学。在学中は早稲田大学学生生活共同組合の消費者担当組織部員として活躍。学生常務理事として生協経営にも参加。事務局で広報関係の仕事に従事、消費者運動に携わるきっかけとなる。日米学生会議に日本代表としても渡米、後に、米国の消費者運動の指導者のラルフ・ネーダーのグループや米国消費者同盟(CU)を歴訪し交流、日本のラルフ・ネーダーたらんと志を立てた。1975年同大学第一文学部社会学科卒業。日本消費者連盟に出版・編集スタッフとして参加し、「消費者レポート」を発行するなど、消費者の啓蒙活動を行なった。1986年に退職して独立後には、消費者・環境問題を中心に評論・執筆・講演活動を行ない現在に到る。この間1990年にはラルフ・ネーダー氏らの招待で渡米し、多彩な市民・環境団体と交流を深めた。主な著書には「危ない化粧品」「温暖化の衝撃―超食糧危機が来る」「屋上緑化」「買ってはいけない」「SARS−キラーウィルスの恐怖」「コンクリート住宅は9年早死にする」「木造革命」「まだ肉を食べているのですか?」「抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ」など多数。
 

『卑弥呼と日本書紀』66  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月27日(月)12時42分30秒
  [承前]

 Bについては多少の説明がいるかもしれない。
 任那(みまな)についてのもっとも古い記録は『魏志倭人伝』にある倭領(日本領)とされている狗邪韓国(加羅とほぼ同地域すなわち任那)だが、そのほか同じ『三国志』の韓の條にも、韓の人たちの住む地域の地理について、

「東西は海だが南は倭との境だ」

 ――とあるので、シナ王朝が半島南端にある狗邪韓国を日本の一部と認識していたことは明白である。
『三国志』には信用しにくい記事も多いのだが、狗邪韓国は魏の植民都市の帯方郡のすぐそばで、歩いて数日のところだから、その記述は信用できる。
 したがって、『好太王碑』を待つまでもなく、二世紀ごろから多くの日本人が任那の地にいたのは確実なのだ。

 この任那がいつごろできたのかは不明だが、縄文時代の前には陸続きだったのだし、紀元前から交易がなされていたことは遺跡からの鏡などの出土品ではっきりしているので、かなり古く、すくなくとも弥生中期からあったと考えられる。
 紀元前後の三韓は原始状態の山野に弥生的な集落が点在していたていどの地であり、ひとつのまとまった国ではなかったから、そこに日本人の大きめの集落「任那の原型」があったとしても、それは自然にできたものであって、植民したとか侵略したとかいった話にはならないであろう。

 現在のロシアや中国は広大な領土を有しているが、それはたかだかこの数百年のあいだに現地人を駆逐して拡げたためである。
 しかしその多くは現在、国際的に正当な領土として認められている。

 したがって二千年も前に自然のうちにできた任那が日本の領土だったのは当たり前の話であり、もし侵略という言葉をどうしても使いたいのであれば、前述のように六世紀から七世紀にかけて「新羅(しらぎ)に侵略された」というほうが当たっているであろう。
 もっとも厳密には、五世紀以後は、三韓全体の盟主が日本で、任那の日本府はその事務所的な役割であり、日系の人物が百済(くだら)などの要人としてたくさんいたと考えられる。

(だから渡部昇一氏は、もともと北九州と半島南部は一体の地域で、白村江(はくすきのえ)の大会戦ののちに多くの百済人が帰化してきた話は、大東亜戦争後に大陸や朝鮮から多くの日本人が引き揚げてきた話に相当している――と述べている。つまり故郷への「引揚者」である。どうやら言葉や祭祀(さいし)も通じるものがあったらしい。韓国に留学して韓国史を学んだ時代作家の荒山徹は「百済は日本の一構成要素として日本史で扱うのが妥当」と断言している)

 なお任那というどくとくの地名は、在位が三世紀と考えられる崇神(すじん)天皇の諱(いみな)または国風謚号(しごう)の「ミマキイリヒコ」からつけられたと、『日本書紀(やまとのふみ)』には記されている。

(崇神天皇の時代に使者の往来があったことは、前に記した)

(次回から『魏志倭人伝』に戻ります)
 

ありがとうございます  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月26日(日)21時57分12秒
  利亜さま、資料をありがとうございます。
今後ともよろしく。
 

Re: 『卑弥呼と日本書紀』63  投稿者:利亜  投稿日: 2月26日(日)18時04分52秒
  >清国の建国にもナポレオンの野心にも影響したとされている。

ナポレオンはどうかわかりませんが清国(しんこく)建国に影響を与えたことは確かですね。
支那では秀吉との戦いは当時の年号を取って「万暦(ばんれき)の三征」の一つに数えられてますね。

『万暦の三征』(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%9A%A6%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%BE%81

「時の帝、万暦帝は二十五年もの間政務を放り出し宮殿に引篭(ひきこも)った不名誉な記録を持つ。
これは彼の師である張居正の亡き反動として起きたとされる
(張居正は万暦帝を理想の皇帝たらんとして厳しく教育したのが裏目にでたらしい)」

なお、明(みん)は彼の孫である崇禎(すうてい)帝(彼は明代の皇帝には珍しく名君に呼ばれるにふさわしい能力を有していた)の時代で滅びますがその要因は万暦年間にありました。
大雑把(おおざっぱ)に言えば派閥抗争(立太子問題等)、満洲の勃興、自然災害、経済的なことなど

オロモルフさん

貴方(あなた)の投稿を読んで勉強させて頂いてます。
これからの投稿も楽しみにしています(日本史には疎(うと)いもので)
 

お得情報?  投稿者:逆¥助交際  投稿日: 2月26日(日)16時00分25秒 Remote Host: trust.httpdnet.com, Time: 1140937225
  (本掲示板にそぐわない内容に付き、管理者権限に於いて削除)  

Re:渡来人  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月26日(日)12時20分34秒
  「渡来人」という術語について

 この不思議な言葉は、現在では教科書にも出ているので、わたしもつい使ってしまうことがありますが(今の連載では使っていないつもり)、戦後の左翼史家が創作した術語だろうと思います。

 理屈はいろいろと付けられていますが、とにかく戦前は聞いたことのない術語です。

 たとえば、戦後の広辞苑を見ましても、初版から第四版までは見られません。ようやく平成十年に出た第五版になって掲載されるようになりました。
 左翼史家が必死で宣伝した結果なのでしょう。

 一方教科書では、中学高校の多くの歴史教科書において「渡来人」として出てきます。なかには「渡来人(帰化人)」と書く教科書もあり、これなどはまだ良心的な方です。
 中学では扶桑社の教科書が「帰化人(渡来人)」と記してプロパガンダに抵抗していますし、高校では小堀桂一郎先生方の明成社の教科書が扶桑社と同じ書き方をして頑張っています。

 教科書の左傾化はずいぶん前から話題ですが、国語辞書や用語事典の左傾化も着々として進行中であり、憂慮しております。
 広辞苑への批判はときどき耳にしますが、「現代用語の基礎知識」などの用語事典の左傾化も酷いものがあります。
 

『卑弥呼と日本書紀』65  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月26日(日)11時57分51秒
  [承前]

 弥生時代末期の日本人にとって鉄がきわめて重要な資源であり、鉄を求めて朝鮮半島で活躍していたことがよくわかる記述である。
 この記述は、帯方郡のすぐそば(歩いて数日の距離)の地域での見聞記なので、『三国志』のなかでもとくに信憑性はたかい。

 だから、三世紀の〈卑彌呼〉の時代に、朝鮮半島との交易や競争があったり、日本と公孫氏・楽浪郡・帯方郡との外交があったりしたのはむしろ当然であって、そのときすでに数百年の交流経験があったのだ。
 さらに第七章に示す『三国史記』新羅(しらぎ)本紀には、〈卑彌呼〉が若いころの二世紀後半に〈卑彌呼〉の使者が新羅に来たことや、三世紀初頭に、辰韓の地で日本軍とそこの王とが戦ったとなどが記されている。
 だから、つぎの四世紀とされる〈神功(じんぐう)皇后〉の三韓征伐の伝承も、史実を反映しているのは確実である。

 日本と朝鮮半島の国々との困難で重要な関係は、明治時代の日清・日露戦争に始まったのではなく、遠く紀元前の弥生時代からあったのである。


◆◆◆ 任那は古代日本の領土である ◆◆◆

 朝鮮半島の南端部における日本の勢力が、いつごろからあったのかについては、いろいろな見解があるようなので、著者の率直な意見を記しておきたい。
 任那(みまな)という地名で代表されるこの領土については、過激な異論もある。
 それは、韓国の学者だけでなく戦後の日本の論者にもあるのだが、

A「まったくの嘘であり日本人が朝鮮半島に進出などしていなかった」
B「日本が朝鮮という国を侵略して任那という植民地をつくったのはけしからん」

 ――の二種類である。

 このうちAはおよそナンセンスな説である。
 朝鮮半島南部における日本の勢力については、日本の古文書だけではなく、シナ正史にも朝鮮正史にも、さらには高句麗(こうくり)王の碑文にさえも記されており、否定のしようがない。
(つづく)
 

韓国  投稿者:江戸人  投稿日: 2月26日(日)10時57分6秒
  春に韓国行って嫌日流買ってきます。  

↓Re  投稿者:大神 正念  投稿日: 2月26日(日)04時24分54秒
  現在でも何かと言えば、すぐ武力闘争デモが勃発しますね、・・朝鮮人。「挑戦人」て、呼び方を変えたらいいのに。ゲラ。勿論、北の場合は抑圧されて、逆に人民が武力で暴行を甘んじてますが。
あ、そう言えば、事を支那に移しますと、昨今の日本大使館襲撃事件で、世界の非難を浴びた支那政府は、北京五輪に向け、道徳に関するキャンペーンを展開するのだとか。道にツバを吐いたら罰金なんだそうですが。「お里が知れる」って言いますけどね、大陸、半島の品の無さ、こ汚なさは、アフリカ以下だと思ってますけどね。
どーでも良いけど、色んな病原菌を発生させて、我が国に被害を及ぼすのだけは勘弁してもらいたいものですね。
 

RE:『卑弥呼と日本書紀』63  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月25日(土)19時34分27秒
  >応永の外寇

朝鮮は、兎角(とかく)、「豊臣秀吉(プンシン=スギル)による壬辰倭乱(イムジンウェラン)」と言っては、秀吉の朝鮮征伐を持ち出し、日帝の侵略性の証左の如く主張しますが、被害者面(づら)している朝鮮だって、しっかりと「侵略」しています。

先の「応永の外寇」もそうですが、「蒙古襲来」とて、その主力は高麗軍。詰まりは朝鮮人。又、ベトナム戦争に参戦した韓国軍が、ベトナム人に対して行(おこな)った事を考えれば、彼ら朝鮮人は、その残虐性・陰湿性で日本人など足元にも及ばない事は論を待たないと言えるでしょう。
 

RE:見事!  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月25日(土)19時25分47秒
  荒川静香さんのスケーティングは、実に安心して見ていられます。それは、とどのつまりが彼女の技術・演技力を含めた総合力が高いと言う事であり、「ああ、あそこで転んだりしないかな?」と言った心配と言いますか、ハラハラドキドキが不要な程、上手(うま)い事の証左と言えるでしょう。

(ちな)みに、彼女は1992年に日本スケート連盟が始めた「全国有望新人発掘合宿」の第一期生だそうです。第一期生の彼女が、オリンピックの檜(ひのき)舞台で日本初の「金メダル」を獲得する迄に、実に14年もの歳月が経ちましたが、その時に蒔(ま)いた種子(たね)がしっかりと開花した訳で、何事も「息の長い取り組み」が必要と言う事なのでしょう。

(かつ)ての日本の企業は十年・二十年と言った長期的なスパンで業務に取り組んだものです。長期的ですから、当然、一年や二年では「業績」としての結果は出ません。然(しか)し、蒔いた種子がきちんとした形で結実したからこそ、国際社会に於ける日本のブランドイメージは向上したのでしょう。それが昨今では、半年・一年先の成果を追求する短期的展望につい目が行きがち。直(す)ぐに「業績」に跳ね返って来るかも知れませんが、長期的な展望=ビジョンが欠けがちで、直ぐに行き詰まってしまう。

荒川選手の「金メダル」を機に日本も、改めて自らの足元を見つめ直してはどうかと思います。
 

おやじハリファックスさん  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月25日(土)19時13分22秒
  こちらこそ、今後共、宜しくお願い致します m(_ _)m  

渡来人  投稿者:三保 平清  投稿日: 2月25日(土)18時50分41秒
  私はずっと以前から、「渡来人」と言う呼び方に不信感を持っています。人類そのものが「ミトコンドリア・イブ」から出発して、各地へ渡来していった「ホモ・サピエンス」ではありませんか。「渡来人」と言う言葉の使い方は「渡来人」=「文明の発達した人々」と言う意味を匂わせたい様です。しかし実際はどうか。半島の緑は日本に比べて遙かに貧弱。緑が貧弱と言う事は、植物の生命力が弱く土地の生産力も森の恵みも小さかったと言う事でしょう。つまり人間の住める条件としては、非常に弱い。そんなところに大文明が興隆するはずがない。ましてその山野には虎が徘徊していた。どうして人が安心して住めるの。小生「渡来人」とは大陸や半島の難民と、日本から出かけていった「帰国子女」だったと考えています。天皇の皇后になっている渡来人がいると言っていますが。そんな馬鹿な。女御(にょうご)、更衣(こうい)ならば兎(と)も角(かく)、皇后になれる訳がない。皇位を継ぐ人間を生むのに。しかし皇統に属する人達が「帰国子女」として帰って来たのなら、皇后になる可能性もあるかもしれない。半島から日本へ渡来したのではなく、人口も多く文化的に発達していた日本から、半島へ渡来した数の方が圧倒的に多いと考えます。だからこそ「神功皇后」も任那(みまな)も広開土王碑も存在するのでしょう。半島だけでなく、大陸の黄河流域は人に住みやすい場所でしょうか。黄河文明はその地で発生したのではなく、西域から流入したのではないかと。「胡弓(こきゅう)」とはペルシャから伝わった事を意味しています。「渡来人」などと言う訳の分からない言葉を使うべきではない。

『広開土王碑』(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%96%8B%E5%9C%9F%E7%8E%8B%E7%A2%91%E6%96%87

 

『卑弥呼と日本書紀』64  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月25日(土)12時46分14秒
  [承前]

◆◆◆ 朝鮮半島との関係は弥生時代から ◆◆◆

 ざっと朝鮮半島近辺の歴史をたどってみたが、朝鮮の史書の『三国史記』をみると、こまかな信憑性や年代は別にして、ひじょうに古くから――年代どおりとすれば紀元前から――日本人が朝鮮半島の北方まで進出し、交易や抗争を展開していたことが記されている。

 この半島との古くからの関係は、日本に紀元前のシナの鏡や剣や各種青銅器類が残されていることや、考古学的遺跡の比較からも、検証される。
 日本の遺跡から見つかるもっとも古い鏡は紀元前三世紀とされ、紀元前一世紀になるとかなり多くの銅鏡が発見されているし、弥生時代の青銅器に使用された金属がほとんどシナ大陸産であることも、鉛同位体比法という方法によって確認されている。

 おそらく、有名な秦の始皇帝の時代――日本では弥生時代の前期――には、農業・織物・金属などの大陸の文物が日本に流入し、交易がなされていたのであろう。
 始皇帝の意をうけて、不老不死の仙藥を求めて海を渡り、熊野に漂着してそのまま日本に留まったという徐福伝説の真偽は不明だが、〈卑彌呼〉の時代よりはるか昔の紀元前三世紀にすでに――たぶん縄文時代からすでに――大陸との人的交流が、組織的ではなかったとしても、なされていたことは確かである。

 そしてその交流に朝鮮半島が重要な役割を果たしたのは当然であり、とくに紀元前一世紀以後になると、その輸入品の多くは、間違いなく半島の植民地楽浪郡・帯方郡などを経由して渡来したのだ。
 奴国の金印もその一環であろう。
 さいきんの発掘調査によって、日本海沿岸と《大和(やまと)》をむすぶ狼煙(のろし)通信の施設がすでに弥生時代からあったらしいことも、わかりつつある。

『三国志』の『東夷伝・韓の条』に、

「弁韓や辰韓は鉄を産し、倭人はここから鉄を入手しており、交易には銭のかわりにその鉄を用いている」

 ――と記されている。
 

見事!  投稿者:大神 正念  投稿日: 2月25日(土)01時30分36秒
  荒川、金。  感動した。有り難う!  

開設9周年おめでとうございます  投稿者:おやじハリファックス  投稿日: 2月24日(金)13時01分6秒
  開設9周年おめでとうございます。
益々の御健筆をこころより期待しております。宜しくご指導のほどお願い申し上げます。

現在ハリファックスはマイナス5度、いささか寒うございますがおやじは元気であります。
 

『卑弥呼と日本書紀』63  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月24日(金)12時42分34秒
  [承前]

 高麗(こうらい)を滅ぼした李氏朝鮮は、十六世紀末の豐臣秀吉による朝鮮征伐で日本と苛烈な戦いをしたが、明国の参戦によって日本軍が苦戦し撤退したことでことなきをえた。
 この時の講和会談は、日本と明国との間でなされ、朝鮮は道案内にすぎなかったらしい。
(当時の日本も明国も朝鮮を独立国とは考えておらず、講和会談は日本と明国の間でなされたが、明国の尊大な態度に秀吉は激怒したとされる)

 この朝鮮征伐のとき、李氏朝鮮の圧政に苦しんだ人たちが日本に逃れてきて帰ろうとせず、かなりの人数が帰化したとされている。
(これは戦後の朝鮮戦争時の現象と似ている)

 李氏朝鮮は、日露戦争において遼東半島の付け根で日本がロシアと戦った末、明治四十三年に日本が併合するまで存続した。
 秀吉の朝鮮出兵は世界史にも大きな刺激を与えた。
 清国の建国にもナポレオンの野心にも影響したとされている。

 そして、昭和二十年に日本が撤退してから、共産勢力の南下による米ソの対立構造がはじまり、ソ連・中国・アメリカを巻き込んだ昭和二十五年から二十八年にかけての朝鮮戦争の結果、北に朝鮮民主主義人民共和国、南に大韓民国が成立し、西暦二〇〇六年の現在まで、不安定な国際情勢の源となっている。
 そして日本との間にも、竹島問題をはじめとして、領土・経済・政治・拉致・教育干渉・環境汚染など困難な問題が山積している。

 とくに昭和二十年から三十年代にかけての李承晩(イ=スンマン)時代の韓国は、日本固有の領土である竹島を武力で奪い、数千人の日本漁民を不法に拉致するなど、やりたい放題であった。

 その後も、半島による日本の苦難が続いている事はご案内のとおりである。

 つまり、大陸と朝鮮半島と日本列島の複雑な国際政治情勢は、「弥生時代」「古墳時代」から現在まで、じつに二千年以上ものあいだ、<ほとんど同じ力学>のもとに、日本の安全保障に関係してきたのである。

(補遺1:應神天皇紀――
 推定四世紀後半の應神天皇紀には高句麗(こうくり)との激しい闘いが記されているが、さらに、瀬戸内海に繋留していた朝廷の新造船が新羅(しらぎ)の工作員によって放火された話、高句麗の王からの国書があまりにも無礼だったため応対した皇子の菟道稚郎子(うじのわきのいらつこ)が怒って破り捨てた話などが記されている)

(補遺2:刀伊(とい)の入寇――
 寛仁三年(一〇一九年)の三月から四月にかけて、朝鮮北方の女真族らしい賊軍が五十隻からなる軍船を連ねて対馬や壱岐を侵略し、さらに九州に上陸して残虐のかぎりをつくした。老若男女(ろうにゃくなんにょ)を惨殺し、若い成人男性を拉致して奴隷にした。日本側は必死で闘って、退散させたが、惨殺された日本人はほぼ400人、拉致され奴隷にされた日本人は1300人に達したとされる。この事変は、平安中期の日本の国土防衛の弛緩を物語っている)

(補遺3:応永の外寇――
 応永二十六年(一四一九年)の六月、李氏朝鮮が、軍船200隻以上、兵士二万人近くという大軍を編成して対馬を攻撃し、多くの惨殺や放火をおこなった。朝鮮軍は永住しようとしたが、日本側も必死で闘って、結局は撤退した。そのあと、対馬を朝鮮慶尚道の属州とするという約束がなされたとされるが、これは当時の島主である宗貞盛(そう-さだもり)も知らない謀略であった。室町中期の事変である)
 

Hollywood,Clint Eastwood の「南京虐殺映画」は風説の流布だったようです  投稿者:黄東洋hwangdongyang2002  投稿日: 2月24日(金)00時44分4秒
  1月18日に讀賣新聞が報じた「ハリウッドで クリント・イーストウッド監督の南京虐殺映画を作る計劃」は風説の流布だったという記事が『SAPIO』3/8号の巻頭<SAPIO'S EYE>に載っています。
ハリウッド関係者は取材に対して一様に「根も葉もない話」と言ったとのこと。

『SAPIO』編輯部は、シナ共産党がハリウッドの話題性を利用して南京虐殺を内外で話題にしたかったのではないかと分析。

日本では livedoor(活力門 huolimen)と耐震強度偽装の騒ぎのお陰で、南京映画は話題にもならなかった。

シナはハリウッド映画《SAYURI》で Zhang Ziyi(章子怡)が藝者を演じたのに対して怒ったのか、シナ国内の上映を禁止し、これについて『SAPIO』編輯部は「南京映画を袖にされた腹いせではあるまいが、中国がハリウッドを巻き込んだ情報工作を仕掛けている事に注意する必要がある」との分析をしています。

朝日新聞の「竹島を韓国に讓れ」論は「竹島はどうせろくに人も住めない岩だらけの小島で、周囲の漁業だけが価値のようなものだから、韓国にでもくれてやれ」というような主張でした。これは韓国に対して失礼でしょう。

トリノ五輪では、南北朝鮮は合同で参加したはずなのに、新聞では「韓国」や North Korea がメダル幾つと報じています。

『ユーラシア言語研究2』
http://6008.teacup.com/hwangdongyang2002/bbs

 

昨日は  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月23日(木)21時11分39秒
  昨年の島根県による制定後、初の「竹島の日」でしたね。
閣内からは誰一人、式典に列席しませんでしたが、韓国との外交関係を考え、事を荒立てない事と、自国領土=権益の固守防衛と、どちらが大事なのか、政府は分かっているのか? おそらく、何も分かっちゃいないですね。

幾ら、韓国が「独島(ドクト)は韓国領である!!」とか、「『竹島の日』制定には断固反対!!」等と言ってみた所で、竹島を韓国が侵略し不法占拠している「歴史的事実」は変えようがありません。彼らからすれば、大声を張り上げて、恫喝すれば、日本は大人しくなる、と考えているんでしょうが、幾らそんな事をしたって、国際司法裁判所へ持ち込めば、韓国の全面敗訴は必至でしょう。

日本は何ら臆する事はありません。韓国との外交関係が壊れたとしても、結果的に泣きを見るのは日本では無く韓国なんですから、対韓外交は強硬姿勢で押し切るべきです。
 

RE:皇太子殿下のお誕生日  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月23日(木)21時02分17秒
  遅ればせ乍(なが)ら、東宮(とうぐう)殿下の四十六回目の誕生日を言祝(ことほ)ぎますと共に、皇室の弥栄(いやさか)を謹んで祈念申し上げます。


>久保田さん

有り難(がと)う御座(ござ)います。今後共、宜敷(よろしく)お願い致します。
 

皇太子殿下のお誕生日  投稿者:久保田泰啓  投稿日: 2月23日(木)15時43分23秒
  謹んでお祝い申し上げます。・・・近年いろいろと騒がしい世の中ですが、こういう時にこそ「平安」に過ごされますようにと願うばかりでございます。


追記

>竹下さん

遅ればせながらサイト開設「9周年」おめでとう御座(ござ)います。今後も宜しくお願いします。
 

『卑弥呼と日本書紀』62  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月23日(木)12時18分30秒
  ■■■■■ 三・五 〈卑彌呼〉以後の東アジアと日本の安全保障 ■■■■■


◆◆◆ 新羅の制覇から現在まで ◆◆◆

 さて、唐と結んで半島で勝利した新羅(しらぎ)は、やがて高句麗(こうくり)も滅ぼし、西暦六六八年(天智天皇の時代)に朝鮮半島の南半分を統一する。
 そのあと掌(てのひら)を返した唐に攻められ、日本もハラハラするが、なんとか七年間の戦争に耐えて、シナ王朝の係属になりながらも、新羅の半島南部の支配は九三五年(平安時代中期)まで続いた。
 なお現北朝鮮に相当する半島北部は、大陸側のいくつかの国の一部になっていた。
 この統一新羅の時代(奈良・平安時代)には、内にこもってしまった日本の国防力は弱まり、しばしば対馬や九州沿岸を新羅人らに荒らされるようになった。

 統一新羅は西暦九三五年に滅亡し、そのあとは十四世紀までが高麗(こうらい)の時代で、やはりその領土は南半分で、のちに北方まで勢力を伸ばしたが、同時に元王朝の支配下に入ってしまった。
 蒙古(もうこ/モンゴル)のフビライ(ジンギスカンの孫)が唐の後継の宋を滅ぼして建国した元王朝が隆盛をきわめ、高麗はその力に服したのである。
 西暦一三二〇年代、北条時宗の時代に、元寇という空前の危機が日本を襲うが、その主導は元王朝だったとはいえ、軍勢の多くはシナと朝鮮の兵士であり、とくに高麗の朝鮮兵によってたくさんの日本人が殺された。対馬などはほとんど皆殺しだったが、日本軍は頑強に抵抗し、ついに元は諦(あきら)めた(*)。

 大陸では西暦一三六八年に元が滅びて明王朝ができるが、それからまもない一三九二年に高麗は李氏に滅ぼされ、半島は李氏朝鮮の時代となった。
 李氏朝鮮も高麗につづいてシナ王朝に服従して属国的な立場にあった。
 そもそも「朝鮮」という国号も、シナ王朝の明国に定めてもらったものであった。
 そして日本に対しては常に居丈高(いたけだか)だった。
 高麗滅亡の理由のひとつとして、倭寇との戦いによる疲弊があったとされているが、とうじの倭寇は日本人が主体とはかぎらず、いまの福建省など大陸沿岸部や朝鮮半島沿岸部の海賊が多かったらしい。

(* 元からの国書(脅迫文)については、下記を参照されたい。)
↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/mouko_kokusyo.htm
 

『卑弥呼と日本書紀』61  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月22日(水)12時48分49秒
  [承前]

◆◆◆ 任那の滅亡と日本の危機 ◆◆◆

 しかし、西暦五一〇〜五三〇年ごろと推定される繼體天皇の御代(みよ)に、神武(じんむ)以来の重臣である大伴(おおとも)一族の判断で半島南西端にあった任那(みまな)四県を、要望に応じて百済(くだら)に割譲してしまったことから、危機が拡大した。
 この割譲は〈神功(じんぐう)皇后〉の時代に済州島を百済に与えたという伝承以来の事件であった。
 繼體天皇は世継(よつ)ぎ不足という混乱の時代に地方から迎えられた天皇であり、国内の乱れが任那の経営に影響したことがうかがえる。
 この四県割譲が原因で任那に混乱が生じ、やがて新羅(しらぎ)による任那侵略がはじまった。

 そしてこれを阻止すべく大軍を派遣しかけたとき、九州の筑紫(ちくし)の国造(くにのみやつこ)だった豪族の磐井(いわい)が、新羅にそそのかされて叛乱をおこした。
 有名な「磐井の乱」である。
(これは半島勢の工作によって国内が分裂してしまった貴重な歴史的教訓である)
 この乱によって新羅を抑えることができなくなり、外交方策に転じたがうまくいかず、新羅の策略にしてやられるようになる。

 しばらくして第四章のトビラの歌にある大伴狭手彦(おおとものさでひこ)らが奮戦して成果をあげたが、それも一時的なものであった。
 そして結局、大和(やまと)朝廷では、新興の蘇我一派が巧みな策略を弄(ろう)して大伴一族を抑え、蘇我と物部(もののべ)の抗争をへて大化改新にいたって蘇我も亡(ほろ)び、豪族単位の政治をやめて法治国家をめざすようになるのである。

 西暦五六二年に新羅に攻められて任那を失ったのは、第二十九代欽明天皇の時代であり、『日本書紀(やまとのふみ)』に詳しくその経緯が書かれている。
 西暦六六三年の白村江(はくすきのえ)の戦いは、日本と百済の連合軍と、唐と新羅の連合軍の間でなされ、日本側が大敗して百済は新羅にのみこまれたのだが、それは大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのみこ 天智天皇)と藤原鎌足の時代であった。
 この敗戦によって日本の防衛が危うくなり、急遽《大和》の飛鳥(あすか)から守りに強い大津に都を移し、沿岸にたくさんの城を築いたり、沿岸から都に危機を知らせる狼煙(のろし)制度を作ったりした。

 飛鳥の都の北西は山を越えて広い河内(かわち)や和泉(いずみ)だが――神武東征の話でわかるように――その地形は今と違って入江(いりえ)が生駒(いこま)山系にまで深く入り込んでおり、海と飛鳥はすぐ近くだったので、海への交通にはよいが国防の観点からはとても危険だったのだ。

 このときの飛鳥から大津への移転劇に涙してできたのが、第二章のトビラ裏にある、天武天皇の寵(ちょう)をうけたのち天智天皇の愛人になったとして有名な額田王(ぬかだのおおきみ)の歌である。
 

竹島の日  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月22日(水)12時44分52秒
  某テレビで竹島の番組を作るというので資料依頼がありまして、日露戦争当時の竹島の資料を提供しました。
たぶんこの資料を知っている人はほとんどいないと思います。竹島問題の本を書いている人たちも知らないでしょう。
テレビの担当者も初めて見た――と言っていました。
でも、テレビですから、ぬるま湯的な番組しか出来ないでしょうね。
 

(無題)  投稿者:江戸人  投稿日: 2月22日(水)12時03分33秒
  今日は竹島の日  

『卑弥呼と日本書紀』60  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月21日(火)12時19分26秒
  [承前]

 百済(くだら)は馬韓の一国だった伯済(はくさい)が、新羅(しらぎ)は辰韓の一国だった斯廬(しろ)が、それぞれ周囲の小国群を併合してつくった国だったが、日本領の任那(みまな)は、つぎのような経過で確立したらしい。

 前述のように、三世紀前半に朝鮮半島南端の弁韓の一部に加羅(から)(または加耶(かや))という国があった。
 それは『魏志倭人伝』で倭国の一部とされている狗邪韓国(くやかんこく)とたぶん同じとされ、そこに多くの日本人がいた。
 もちろん国といっても今の国とは違い、一種の集落である。
 日本ではそれを任那と呼んでいたわけだが、四世紀になってこの国――集落――がしだいに勢力を拡大して周囲の小国を従え、もとの弁韓全体を支配するようになったのだ。

 この時代前後には優れた人材が任那地区はじめ半島諸国から渡来して日本文化に貢献したことが『記紀』や『万葉集(まんにょうしゅう)』にも記されているが、もともと任那の指導層には日系が多かったと考えられている(*)。
(『女性天皇の歴史』や渡部昇一氏の諸著書参照)

 その後の日本は、シナ大陸の三国時代につづく王朝である晋・隋・唐と外交しつつ、高句麗(こうくり)や新羅と厳しい軋轢(あつれき)をくりかえし、西暦四〇〇年前後には高句麗の好太王軍と半島深部で大激戦を演じて、任那を中心とした半島での日本勢力を拡大した。『好太王碑』にも日本の拠点として任那という名が登場している。
 これは〈神功(じんぐう)皇后〉からつぎの應神天皇の御代(みよ)にかけてのことだったらしいが、こうして日本の勢力圏である任那は弁韓にとどまらず、馬韓(百済)や辰韓(新羅)を圧して三韓のなかで最大の面積になった。

 しかし国力は長くは続かず、繼體天皇の御代に半島での日本勢力は縮小・弱体化し、西暦五六二年には任那を新羅に奪われ、六六三年の白村江(はくすきのえ)の戦いで破れてついに友邦国の百済も滅び、〈卑彌呼〉の時代以来四百年以上つづいた朝鮮半島の足場を失って、日本は次第に内にこもるようになるのである。

 西暦四〇〇年前後の應神天皇らの朝鮮経略ののちしばらくは、日本は三韓の盟主としてその地を安定させる責任をもっており、任那の地に日本府という役所を設置して行政をつかさどり、三韓に混乱が生じるたびに大和(やまと)朝廷の軍がかけつけて問題を処理していた。
 高句麗に攻められた百済や新羅を救うために大伴(おおとも)・物部(もののべ)といった豪族が活躍したのだ。
 たとえば西暦四〇〇年代後半には、百済が高句麗に攻められて滅亡しそうになったとき、日本が軍事支援して王城を南に移して百済を再興させている。

(* 親日だった任那・百済・済州島+に多くの日本人がいたこと――ある意味では北九州と一体の地域だったこと――は、渡部昇一氏なども強調しておられ、著者も『女性天皇の歴史』に記したが、敵対していた新羅も山陰地方との交流があり、新羅の第四代の王は丹後地方出身の日本人だと受け取れる伝説がある。
 ↓↓↓↓↓

http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/tabana=tango.htm

 ――を参照されたい)

(+ 済州島は、日本の正史では神功皇后が百済に割譲したとされているが、現在の済州島にも、島で産まれた三人の男神と日本から来た三人の姫とが結婚して子孫が増えた、という伝説がある)
 

『中国と紙の恐怖3』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月21日(火)12時12分41秒
  [承前]

●7.
 これに対処して、生産向上を図ってはいても、2000年において潜在必要量の1/10にもなりません。しかも紙質のひじょうに悪い低級紙がほとんどです。

●8.
 仮に中国の1人あたりの紙消費量が日本の半分になったとしますと、中国の緑は数年で消滅するでしょうが、それだけではなく、もし輸入に走ったとすると、世界の森林が10年か20年で消滅してしまうでしょう。
 中国一国で16,000万トン以上にもなり、現在のアメリカと日本を合わせたよりもずっと大量の消費になるからです。

●9.
 改革開放路線によって無数に出来た中小製紙工場は、山奥の渓流に汚染された排水を垂れ流しており、その毒物のパーセンテイジは日本の排水の10倍ほどもあると言われています。そのため、河川という河川が、汚濁され、惨憺たる状態になってしまっています。

●10.
 いまの中国の森林の面積率はわずか12%であり、世界最高の日本の1/6にすぎず、世界最低値を記録しています。しかも毎年140万ヘクタールもの森林が消えており、一方植林は31万ヘクタールにすぎません。

●11.
 このように、中国の紙事情は、じつに破滅的であり、森林は消え水は汚濁し少しでも雨が降らないと渇水がおこり、少しでも雨が降ると洪水がおこり、紙の需要と供給のバランスは悪くなる一方であり、しかも外へ向かって輸入を図れば世界が(日本が)破滅する――という状況なのです。

●12.
 この悪夢の唯一の救い手は、光ディスクだ――というわけで、いま中国では日本以上に記録の電子化が盛んです。しかし、電子化でこの危機が救えるようには思えず、尻を竹のへらで拭(ふ)く人民の数はいっこうに減らないでしょう。

▲以上は10年近く前の記事で、小生の同人誌に掲載した要約ですから、現在とはデータが違っていると思いますが、好転しているデータはほとんど無く、より悪化している面の方がずっと多いと思います。
( )内に記した2002年のデータと比較してください。
 近々世界のあちこちでフィリピンと同じ事が起こるでしょう。
 まさに恐怖です!
 

『中国と紙の恐怖2』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月21日(火)12時05分51秒
  [承前]

●3.
 その次に多く使っているのは、マフィアを中心とする地下出版物だと言われています。これは実体がつかみにくいのですが、これで大金持ちになった人がたくさんおり、膨大な紙を買い占めているそうです。

●4.
 最近になって香港や台湾からティッシュやトイレットペーパーが沿岸部に入り込み、流行になってきたので、用紙の使用量は鰻(うなぎ)登りになり、車やパソコンの普及率を上回っているそうです。

●5.
 そういう中国における紙生産量は、アメリカ・日本に次いで世界第三位であり(現在では生産も消費もすでに世界第二位。木材輸入も世界第二位)、1996年の統計で、
  アメリカ:8,183万トン(8,087万トン)
  日本  :3,001万トン(3,067万トン)
  中国  :2,638万トン(3,780万トン)
 ――とされています。
 しかし、1人当たりの消費量となると、
  アメリカ:319キロ(306キロ)
  日本  :245キロ(240キロ)
  中国  : 25キロ(33キロ)
  世界平均: 45キロ(53キロ)
( )内は2002年の数値。
 ――となり、お話になりません。
 そのうえ、中国の紙質はひじょうに悪く、それは中国の本や雑誌を購入した人ならよく知っております。
 しかも、その紙の多くが誰も読まない政府宣伝物やマフィアによって消費されており、一般庶民にはほとんど回ってきていないのです。
 だから1人あたりの実質消費量は上の25キロよりずっと少ないでしょう。たぶん日本人の1/20ていどだろうと推定できます。

●6.
 これではトイレットペーパーどころではありません。じつは義務教育の教科書が手に入らないという危機的状況が続いているのだそうです。
 また本の価格も、改革開放時にくらべてすでに10倍から20倍に達しているそうです。
 新聞も危機的で、有名な「人民日報」は、最高時の600万部から大幅に低落し、いまはたったの200万部であり、しかもその90%は政府など公共機関の購入です。ですから一般の人はわずか20万しか購読していないのです。

(つづく)
 

『中国と紙の恐怖1』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月21日(火)12時04分46秒
  ▲フィリピンの大災害
 戦史でも知られるフィリピンのレイテ島で大規模な地滑りが起こり、大勢の村人が泥に埋まってしまったという悲惨なニュースが駆けめぐりました。
 これについて、20日の産経新聞では、
「森林の違法伐採が主因で、フィリピンではこの30年間で森林が53パーセントも消滅した。その行く先は中国である」
 ――と報じています。

▲「中国と紙の恐怖」を予言
 これについて、林浩というジャーナリストが、『季刊・本とコンピュータ』という雑誌の1998年秋季号に、悲痛な警告を書いています。
『紙の神・蔡倫(さい-りん)も悲嘆する中国「紙」事情』という告発文です。
 いまから八年前のことです。
 以下にそれをかいつまんでご紹介いたします。

▲世界の恐怖、中国の紙事情
 中国の無法的な近代化が世界に(とくに日本に)およぼす悪影響については、すでに多くの憂国の士が検討結果を書籍にして発表しています。
 その主たるものは、石油エネルギーと食糧の輸入国への転落です。またもちろん大軍拡もあります。
 しかしそれと同じくらい恐ろしいのが「紙」です。
 中国は紙神蔡倫の国で、神の本家本元ですが、それが大変なことになっているのです。
 断片的ですが、記してみます。

●1.
 13億(じっさいにはもっと多いでしょう)の民のうち、トイレットペーパーを使っているのは半分以下です。多くは肛門を竹でしごいて後始末をするのです。もし全国民がトイレットペーパーを使うようになったら、中国全土から木も草もすっかり消えるでしょう。それでなくとも消えつつあるのですが………。

●2.
 中国でもっとも多く紙を使っているのは、政治宣伝用の出版物です。数百頁もある本が一千万部以上印刷されることなど珍しくありません。

(つづく)
 

『卑弥呼と日本書紀』59  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月20日(月)12時10分53秒
  [承前]

 こうして楽浪郡・帯方郡ともに魏の植民地になり、魏の皇帝はそこに役人を派遣して支配した。
 この、公孫氏が滅んだ直後の西暦二三八年または二三九年に、〈卑彌呼〉が使者を、帯方郡を介して魏の都の洛陽に送ったことが、『魏志倭人伝』に出ているのである。

 もちろんこれは、朝鮮半島や朝鮮海峡における日本の立場を強化するためで、〈卑彌呼〉の実権がどうだったかにかかわらず、日本側の見事な外交感覚である。
 日本全体としてみれば、これは、公孫氏によってさえぎられていたシナ王朝との国交の回復でもあった。
 日本の正史『日本書紀(やまとのふみ)』では、ほぼこの時代と推定される崇神(すじん)天皇紀に、任那(みまな)の地(弁韓のなかの加羅)から蘇那曷叱知(そなかしち)なる人物が大和(やまと)朝廷に朝貢(ちょうこう)してきたとされている。
 また他の文献によれば同じ崇神天皇の時代に、孝昭天皇の子孫である塩垂(乗)津彦命(しほたりつひこのみこと)が半島に派遣されて、新羅(しらぎ)(の前身?)に攻められて混乱していた任那の地を治めたという話も伝えられている。

 どの国の正史でも、古代のものは、自分の国がへりくだった時のことは記されていない。
 とくに『記紀』は、日本は大陸から独立するぞ――という気概のみなぎった時代に編纂されているので、朝貢に来た話は記されても、その逆は記録が残らなかったか、あるいは無視したか、したであろう。
 しかしすくなくともこの時代に半島との交流があったことはたしかで、日本の正史にちゃんと記載されているのだ。


◆◆◆ 高句麗の南下と任那の拡大 ◆◆◆

 その後の朝鮮半島は、高句麗(こうくり)の力が強まり、四世紀前半には楽浪郡は高句麗の領土となって、シナ王朝の植民都市は数百年の歴史を終えた。
 高句麗はもともと鴨緑江(おうりょくこう)の北側に本拠地をもち、現在の中国領にまでまたがる地域を支配した国で、その住民は北方の騎馬民族の血をひいていたと考えられている。
 それが豊富な騎馬軍団によって朝鮮半島を南下して領土を拡大したのだ。

 それと同時に図3・2で馬韓とされている付近が、日本と友好を結んだ百済(くだら)となり、辰韓とされている部分がのちに敵対する新羅となり、そして弁韓の部分が、日本の領土としての任那となった。
 百済と新羅の建国は四世紀半ばごろとされている。
 

『卑弥呼と日本書紀』58  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月19日(日)12時23分0秒
  [承前]

◆◆◆ 公孫氏の滅亡と魏の半島支配 ◆◆◆

 その傍証として、奈良県天理市の東大寺山古墳――天理市から北にかけての大豪族だった和珥(わに)一族の墓とされる――から出土した中平(ちゅうへい)という年号の刻まれた鉄刀がある。
 中平とは後漢の年号で、西暦一八四年から一八八年にかけて使われた。ちょうど公孫度(たく)が国を作ろうしたころである。
 しかもこの刀は、中国でも二振りしか発見されておらず、高官以外は持たないような貴重品なのだ。

 これがもしシナ王朝からの下賜品であるとすると、シナ正史に記録が残っているはずだが、そういう記録は見られない。しかし公孫氏の場合には、すぐに滅亡した辺境の豪族なので、記録は残っていない方が自然なのだ。
 だから、この宝刀は、後漢からの直接の下賜(かし)品ではなく、その間にあって後漢への道を遮(さえぎ)っていた公孫氏が、後漢に対抗して日本を味方につけるための外交の道具として贈った可能性が高いのである(*)。

 さて、西暦二二〇年に魏(ぎ)が建国し(都は後漢とおなじ洛陽)、二二一年に蜀(しょく)が建国、そして二二二年に呉(ご)が建国して、三国時代にはいるのだが、しばらくは公孫氏の力はつづき、呉と軍事同盟を結んだりしていた。

 しかし西暦二三四年に有名な五丈原(ごじょうげん)で諸葛孔明が病死すると、蜀に攻められる心配が減った魏の力が強まり、魏は朝鮮半島への勢力拡張にのりだす。
 三国のうち朝鮮半島に接しているのは魏であり、蜀は遠くはなれているし、呉も東シナ海を介しているので、半島から東への直接的な攻勢は魏のみのものであった。

 西暦二三七年に公孫氏攻略の軍を起こして撃退されるが、翌二三八年に、司馬仲達が魏の大軍をひきいて攻め入り、ついに公孫氏を滅ぼした。
『三国志演義』に「死せる孔明生ける仲達を走らす」とある、あの軍師・仲達である。

(* 時代が少し後なら後漢のあとの魏を意識していたことになる。
 この刀は、わずかに内側に反(そ)った形――通常の日本刀とは逆の向きに反っている――の片刃で全長一メートル程度の長刀だが、金象嵌(ぞうがん)で次の銘文が刻まれていることで有名である。
「中平□□□五月丙午造作(支)(刀)百練清(剛)上應星宿(下)(辟)(不)(詳)」
 これは、我が国で発見された紀年の刻まれた最古の考古学的史料であり、超重要品である。
 百練(ひゃくれん)というのは、特別丁寧に鍛えた鉄を意味するらしいが、有名な石上(いそのかみ)神宮の「七支刀(ななさやのたち/しちしとう)」の銘文と同じ表現である。
 いずれにせよ、卑弥呼の時代の直前にシナ王朝で作られた刀が大和朝廷の皇宮(こうきゅう)のそばに埋められていたことは興味深い。

図2・3は、公孫氏から贈られた剣を受け取る卑弥呼を想定した模型と思われる。
↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H23-34.htm
 

Re:遼東公孫氏  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月19日(日)00時09分35秒
  竹下義朗さん、ありがとうございます。
たしかに、四国時代というべきなのかもしれませんね。
相当な領土ですし・・・。
わたしはこの話を書くまでは公孫氏という名前も知りませんでしたが、『四国志演義』だと公孫氏はもっと有名だったでしょう。
魏書には公孫恭は性的不能におちいっていたと書いてありますね。
やれやれ。
 

「ホロコーストの真相」=ソ連軍によって押収された、「アウシュビッツ収容所」で死んだユダヤ人のドイツ公式記録  投稿者:真相ハンター    投稿日: 2月18日(土)23時01分24秒
  http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/607.html


この公式記録によれば、アウシュビッツに収容された全ユダヤ人総数=173,000人の内で、発疹チフスによる病死=58,247人、自然死=2,064人で、これだけで6万人が虐殺とは無関係の死となり、これに加えてたの地域に強制移住させられた移送者(この中には、イスラエル建国の国民として金を出してパレスチナに移送された多数のユダヤ人が含まれていたと推定できる)=100,743人がいて、1945年1月15日にドイツ軍が撤退した後に解放された生存ユダヤ人が11,839人いたとのことで、病死+自然死+移送者+生存者の合計は、172,886人で、アウシュビッツ収容所に収容された全ユダヤ人の総数=173,000人の残りがホロコースト対象者と仮定したら、114人がホロコーストの対象者だった可能性があるというのが、「ホロコーストの真相」だったということになろう。処刑=2,064人と記録されており、すなわち処刑の2,000人を含めた、114〜2,064人が、「処刑または理由が不明の死因で殺されたユダヤ人であったというのが「ホロコーストの真相」なのである。

これらの犠牲者となった114〜2,064人の「ホロコースト」の死者の大半は、「シオニスト・ユダヤのパレスチナ移送に頑強に反対・抵抗した」、「ユダヤ問題の最終的解決」の「ユダヤ国家/イスラエルをパレスチナに建国する」為に、「自分達もその国民になるべく強制移住させられることに素直には従わなかった非シオニスト・ユダヤ人達」が大半だったのであろう。つまりは、ホロコーストとは、シオニスト(ヒトラーとナチスもその一派)が同じ宗教を信じていたユダヤ教徒でシオニズムに反対していた人々に対して行った同教徒に対する極悪犯罪だったのである。すなわち、「ホロコースト」とは「シオニストの、同胞のユダヤ教徒に対する極悪犯罪
だった」のである。


この問題の詳細を知りたいと思われる方にお薦めしたいのが、下記のいい講演会をあるインターネットサイトで見つけたので、転載しておきます。


            ワールドフォーラム2月例会のご案内


         http://www.worldforum.jp/information/2006/03.html



講演テーマ:  ホロコーストの真相−『ホロコースト・ガス室神話検証』−

 講師  :  国際情報誌季刊「真相の深層」編集発行人
               ・国際情報総合分析研究所所長    木村 愛二 氏

日時 : 2006年2月24日(金) 18:30 - 21:30

場所 : 北とぴあ 8階 801会議室    北区王子1-11-1 TEL.090(7234)9792

交通 : 営団地下鉄南北線 王子駅 下車 1分  ・ JR京浜東北線 王子駅 下車 2分

地図 : 北とぴあへの地図 王子駅前

参加費 : 3,000円(会員&予約申込振込みの場合) / 4,000円(オブザ−バ−)

振込先 : UFJ銀行田無支店/普/3826681/口座名義 佐宗邦夫

参加申込先  :  ワールド・フォーラム代表幹事 : 佐宗邦皇

              E-mail : sasokunio@hotmail.com
 

遼東公孫氏  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月18日(土)19時55分39秒
  我々は、兎角(とかく)、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の「三国時代」と呼びますが、私は遼東(りょうとう)公孫氏を含め、「四国時代」と呼ぶべきものと考えます。

遼東公孫氏最後の主(あるじ)、公孫淵(えん)は、228年、公孫恭から「遼東太守・楽浪郡公」の地位を奪取。その後、更に独立色を強め、237年、遂に魏・呉双方から完全に自立し、自ら「燕(えん)王」を称し、「紹漢」と建元しています。233年、呉の孫権が公孫淵を「燕王」に册封しようとした際、当の公孫淵はこれを拒絶。にも関わらず、237年、「燕王」を称したと言う事は、魏・呉の皇帝によって王に封じられるのでは無く、自らの意志で王を名乗る事で、自立の意思を内外に表明したと言う事になります。又、この時、「紹漢」の元号を建てていますが、元号を建てる事が出来るのは、唯一、天子のみですから、「燕王」の称号と合わせて考えれば、この時、実質的に燕国を建国したと言う風に見る事が出来ます。

(もっと)も、その燕国は、建国翌年の238年、五丈原(ごじょうげん)での「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事で名高い魏の司馬懿(しば-い)に滅ぼされてしまいましたので、三日天下の様なものでしたが。
 

『卑弥呼と日本書紀』57  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月18日(土)13時49分54秒
  [承前]

 一方南部の比較的狭い地帯には、馬韓・弁韓・辰韓のいわゆる三韓があり、そのなかがさらにいくつもに分かれていた。
 このうち弁韓の一部が加羅(または加耶)であり、『記紀』にある任那(みまな)である。

 シナ王朝に近い半島北西部はもともとが漢民族の係属国ではあったが、前漢武帝の時代にそれも滅びて、シナ王朝が直接支配する領土が黄海沿岸に大きく拡がった。
 楽浪郡はその南部に位置づけられており、現在の平壌(ピョンヤン)やソウルはこの広大な楽浪郡のなかに含まれていたらしい。
 しかし楽浪郡はかならずしも安定ではなく、東の高句麗(こうくり)やその南方の濊(わい)に侵されつづけながら、後漢の末期にいたった。

 一世紀の西暦五七年に日本の奴国に金印を贈ったのは後漢であるが、そのときの日本の使者(倭奴国の使者)は、この楽浪郡を経由したと考えられる。
 同じような使者は、西暦一〇七年にも来て、生口(せいこう)百六十人を献上したと後漢書倭伝に記されている。
 この使者を送った国王は帥升(すいしょう)とされているが、日本側の『記紀』では照合できない。
 たぶん、奴国と同様な北九州の豪族――伊都国など――だと思われるが、大和朝廷だったとの説もある。

 後漢末期の西暦二〇〇年近くになると、大陸が乱れ、やがて三国時代に入るのだが、その乱れに乗じて、遼東半島付近の後漢の高級官僚で「遼東太守」だった公孫度(こうそん-たく)が独立して、国をつくった。
 独立を決意して遼東侯を名乗って勢力を広めはじめたのが西暦一九〇年だった。
 公孫度が二〇四年に死ぬと、子の公孫康(こう)があとを継いでさらに勢力範囲を拡げ、高句麗を抑えて楽浪郡を手に入れ、その南側を新たに帯方郡と名づけた。

 この公孫一族の領土が、地図で公孫氏と書かれている箇所とその左右および帯方郡までであるが、その力は四代にわたってつづいた。
 すなわち公孫康の二二一年の死後、弟の公孫恭(きょう)が西暦二二八年まで、康の子の公孫淵(えん)が西暦二三八年まで、権力をもった。
 公孫氏が勢力を保っていた間は、日本にとってはシナ王朝との間に公孫の領土があるわけだから、外交の相手は主に公孫氏だったらしい。
 問題の〈卑彌呼〉も、西暦二三八年までは公孫氏に使いを送って友誼(ゆうぎ)を確認し、一種の外交をおこなっていたとされる。
 

『卑弥呼と日本書紀』56  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月17日(金)11時40分43秒
  ■■■■■ 三・四 〈卑彌呼〉の時代の東アジア ■■■■■


◆◆◆ 前漢から公孫氏の時代まで ◆◆◆

 まず図3・2をごらんいただきたい。

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H23-34.htm

 これは、『魏志倭人伝』の時代、すなわち〈卑彌呼〉が活躍したとされる三世紀のアジアの、勢力分布の概要を示した地図である。
 この時代は、〈卑彌呼〉の話を除いても、日本人にとてもなじみぶかい。
 なぜなら、それは魏・蜀・呉の三国が覇権を争った三国時代であり、その覇権争いは後(のち)に『三国志演義』という大衆物語にまとめられたが、これを吉川英治が天才軍師・諸葛孔明を主人公にした大長編『三国志』として翻案し、たいへんなベストセラーになったからである。
 テレビや映画やアニメに何度もなっているし、劇画・コミックにも繰り返し登場している。

 だから三国時代の覇権争いについては多くの日本人が知っているのだが、そのころの遼東半島や朝鮮半島の情勢についてはピンと来ないことが多い(わたし自身も)ので、簡単におさらいしておこう。

 シナ大陸の王朝の交替劇はとても古く、紀元前二千年くらいから話があり、伝説の時代・殷・西周・東周の春秋時代・戦国時代をへて、西暦前二二一年に始皇帝が天下を統一して秦をつくり、万里の長城を築いたりするが、三世になって漢の高祖に滅ぼされ、前二〇二年に前漢が興る。
 この前漢の第七代の武帝は有名な名君だが、この武帝が朝鮮半島の経略にのりだし、西暦前一〇八年に半島に楽浪(らくろう)・臨屯(りんとん)・眞番(しんばん)・玄菟(げんと)の四郡をおき、役人を派遣して、日本を含め半島周辺を支配する拠点とした。

 図3・2でいうと、楽浪郡は楽浪のあたり、臨屯郡は東海岸側、眞番郡は帯方のあたり、玄菟郡は北方の高句麗(こうくり)のあたりである。


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 朝鮮半島の歴史については、下も参考にしてください。
↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/hanto_toitu.htm
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Re: RE:「潘基文外相、国連総長出馬」に日米とも否定的反応  投稿者:岩谷文太  投稿日: 2月17日(金)04時07分14秒
  竹下さん
メディアに載ってる記事なので表現は柔らかくなってますが、外務省の言いたいことはずばり「どの面(つら)(さ)げてそんなことが言えるんだ?」ですね。

CRIの記事ですが、私も「中国がそれを言うか?」と思いましたね。中国は狡猾(こうかつ)なので、実力のないうちは日本の援助にすがったり、それを自国の権益のためにばらまいたりしていても、ある程度力が付いて来たら先進国の仲間入りを目指すでしょうから、と言うかそういう演出があの記事には感じられるので、最終的に韓国は見捨てられるように思えます。

オロモルフさん
韓国はただ感情と勢い、自己正当と自分達の都合だけで行動しますから、「厚顔無恥」という概念自体が無いような気がしますね。今回の立候補は先日のES細胞捏造騒動のショックから国民を立ち直らせるためではないかと見てる人もいますが、狡猾な中国ならともかく、ただ感情の赴(おもむ)くままに行動する韓国にそういう知恵などあるんでしょうか?
 

厚顔無恥  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月16日(木)22時13分11秒
  岩谷文太さんにも竹下義朗さんにも同感ですが、「厚顔無恥」という概念があの国にあるのかどうかが問題ですね。
ひょっとしたら無いのでは?
 

RE:「潘基文外相、国連総長出馬」に日米とも否定的反応  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月16日(木)20時16分34秒
  文太さん

>国連事務総長候補に韓国外相、日本は安保理改革に支持迫る (日経新聞 2/15 0:09)

>外務省幹部は「自分たちに都合のいいときだけ支持してほしいと言われても難しい」と言い切った。

そりゃ、そうですよね。
「持ちつ持たれつ」、「魚心あれば水心」と言う言葉もありますが、助けて欲しい時に足を引っ張っておき乍(なが)ら、自分が足を引っ張っていた相手に助っ人(すけっと)を頼もうなんて、むしが良過ぎるにも程があります。こう言うのを「厚顔無恥」と言うんです。

>韓国外交通商相、国連事務総長選の立候補を表明 (CRI中国国際放送 2/15 4:10)

>韓国は現在、国連分担金を滞納しており、未納付の分担金は去年末までで、1億2千万ドルに
>達するという問題です。第二に、韓国は発展途上国への支援が不十分だという点です。
>国連の規定によりますと、先進国の発展途上国への政府支援は国内総生産の0.7%を占める
>べきだとされていますが、現在、韓国は0.06%しかありません。

・・・他人(日本)から「恵んでもらった」金をアフリカ等発展途上国へばら撒(ま)いて、「有り難(がた)く思え」って恩を着せているのが支那。更には、安保理常任理事国であり乍ら、日本の足元にも及ばない程、チンケな分担金しか払わず、平和維持軍にも参加しない。そんな支那が韓国の事を、よくもこうヌケヌケと批判出来たもんです。怒るどころか、笑い過ぎて、臍(へそ)で茶を沸(わ)かせますよ(爆笑)

靖国だの、歴史認識だの、とほざいていますが、支那・韓国のこう言った面を見ていると、このまま外交関係が修復しなくても良いと思いますよ。て言うか、相手にしない方が余程(よほど)、日本の為になりますし、関わるだけ損をすると言うか、とばっちりを食うと言うか、ま、そう言った国々ですね。
 

『卑弥呼と日本書紀』55  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月16日(木)12時04分54秒
  [承前]

〈卑彌呼〉の話はこれでとつぜん終わって、つぎに《邪馬台国》の東に海を千里も行くと倭種の国があり、その南に侏儒国があり、その東南に裸国や黒歯国があって、そこは船で一年がかりの距離である――という凄い話が記されている。
 この裸国・黒歯国は南米にあると真剣に考えている人も多いようだが、科学的な検討は加えようがない。

 で、結局倭の地(日本)は一周して五千余里だそうなのだが、といっても一里がどれくらいか分からないし、実測の方法もない時代なのだから、この長さは「かなり長い」としかいいようがない。
 一里を四三五メートルとするとほぼ二二〇〇キロになって、合うといえば合うが、地理的な測定法の無かった時代のことなので、「かなり長い」としておくのが科学的な態度であろう。

*****

 さて、もう終わりに近いのだが、この次にとくべつ有名な事項が書かれている。
 魏の国と倭の女王――すなわち《邪馬台国》の〈卑彌呼〉――との間の外交交渉の記録である。
 これは《邪馬台国》までの経路などとはちがって、魏の都で魏の役人が使いの日本人と面会して記録した史料によるものなので、『魏志倭人伝』のなかではもっとも信憑性がたかく、重要である。

 ただし、この外交記録を理解するためには、この時代の東アジアの勢力分布を知っておく必要があるので、次の二つの節でその概要を述べておくことにしよう。
 

「潘基文外相、国連総長出馬」に日米とも否定的反応  投稿者:岩谷文太  投稿日: 2月16日(木)09時48分59秒
  2ちゃんねるに韓国の世界日報の記事の訳が出ています。
アメリカの主張は「人物で選ぶ」であり、カナダもこれに合わせています。これは暗に韓国人候補を支持しないことを示していると韓国メディアにはそのように取られているようです。ちなみに引き合いに出されている読売新聞の報道は、ウェブ上には存在しません。


■「潘基文外相、国連総長出馬」に日米とも否定的反応 (世界日報 2/15)
http://www.segye.com/Service5/ShellView.asp?TreeID=1052&PCode=0007&DataID=200602151730000339 (朝鮮語)

미국·일본 '반기문외교 유엔총장 출마'에 부정적 반응

반기문 외교통상부 장관의 유엔 사무총장 후보 출마 선언에 미국과 일본이 부정적인 인식을 갖고 있는 것으로 드러나 가시밭길이 예상된다.

숀 매코맥 미국 국무부 대변인은 14일(현지시간) 반 장관의 유엔 사무총장 출마 선언을 환영하느냐는 질문에 대해 “미국은 이 자리에 최적임자를 찾고 있다”며 부정적인 인식을 드러냈다. 매코맥 대변인은 이날 언론브리핑에서 “반 장관은 매우 뛰어난 자질을 가진 분이지만, 이 자리에 관심을 갖고 차지하려는 후보들이 많다”며 이같이 말했다. 그는 이와 함께 “미국이 어떤 후보를 지지할 것인지 예단하는 것은 시기상조”라며 “이 문제는 앞으로 논의해야 할 토픽”이라고 말했다.

내심 동유럽 출신 사무총장을 원하고 있는 미국은 알렉산데르 크바시니예프스키 전 폴란드 대통령과 바이라 비케 프라이베르가 라트비아 대통령을 염두에 두고 있는 것으로 알려졌다.

일본 정부도 반 장관의 입후보에 대체로 부정적 기류다. 일본 정부 대변인인 아베 신조(安倍晋三) 관방장관은 14일 “(차기 사무총장은) 아시아에서 선출돼야 한다. 후보자의 능력과 경험, 유엔 개혁의 전진이라는 관점에서 종합적으로 판단하겠다”고 말해 일본의 상임이사국 진출에 유리한 후보를 지지할 것임을 시사했다.

15일 일본 언론들도 반 장관이 일본 정부의 지지를 얻기 힘들 것이라고 내다봤다. 요미우리신문은 “한국 정부가 일본의 상임이사국 진출에 반대하는 입장이었던 만큼 반기문 유엔 사무총장이 탄생하면 더욱 어려워질 것이란 견해가 강하다”고 전했다.

도쿄·워싱턴=정승욱·한용걸 특파원 jswook@segye.com

2006.02.15 (수) 19:56


http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1140010491 (日本語訳)

『潘基文(バン・ギムン)外交通商部長官の国連事務総長候補出馬宣言にアメリカと日本が否定的な認識を持っていることが分かって茨(いばら)の道が予想される。

シェーン・マコーマック米国国務省報道官は、14日(現地時間) バン長官の国連事務総長出馬宣言を歓迎するかという質問に対して「アメリカはこの席に最適任者を捜している」と否定的な認識を示した。マコーマック報道官は、この日言論ブリーフィングで「バン長官は非常にすぐれた資質を持った方だが、この席に関心を持っている候補は多い」と言った。報道官はこれと共に「アメリカがどのような候補を支持するか予測するのは時期尚早」としながら「この問題はこれから論議しなければならないトピック」と言った。

内心、東欧出身の事務総長がほしいアメリカは、アレクサンデル・クワシニエフスキ前ポーランド大統領とヴィケ・フレイベルガ・ラトビア大統領を念頭に置いていることが知られている。

日本政府もバン長官の立候補に概して否定的雰囲気だ。日本政府代弁人である安倍晋三官房長官は14日「(次期事務総長は)アジアから選出されなければならない。候補者の能力と経験、国連改革の前進という観点で総合的に判断する」と言って日本の常任理事国進出に有利な候補を支持するはずだ、と示唆した。

15日、日本メディアもバン長官が日本政府の支持を得にくいと予想した。読売新聞は「韓国政府は、日本の常任理事国入りには反対の立場で、『潘事務総長』が仮に誕生した場合、常任理事国入りは一層困難になるとの見方が強い」と伝えた。』

(2ちゃんねるの訳)

関連記事:

■米、国連事務総長の後任「最適の人材を」(日経新聞 2/15 10:45)
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060215AT2M1500C15022006.html

米、国連事務総長の後任「最適の人材を」

【ワシントン支局】マコーマック米国務省報道官は14日の記者会見で、今年末に任期が切れるアナン国連事務総長の後任に韓国の潘基文外交通商相が立候補を表明したことについて「(潘氏は)非常に優れた人物だが、どの候補者を支持するかあれこれ言う段階ではない」と述べた。

 これまでに名乗りを上げた候補者がアジアに集中していることに関しては「我々が求めているのは事務総長に最適の人材だ」と説明し、支持する候補を選ぶ際に地域にはこだわらない考えを示した。

(10:45)


■国連事務総長候補に韓国外相、日本は安保理改革に支持迫る (日経新聞 2/15 0:09)
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060214AT1E1400L14022006.html

国連事務総長候補に韓国外相、日本は安保理改革に支持迫る

 日本政府は韓国の潘基文外交通商相が次期国連事務総長へ日本の支持を期待する発言をしたことについて冷ややかだ。韓国は日本の悲願である国連安保理常任理事国入りに反対。外務省幹部は「自分たちに都合のいいときだけ支持してほしいと言われても難しい」と言い切った

 記者団に誰を支持するのか聞かれた小泉純一郎首相は「まだ決めるのは早いのではないか」と無難な答え。安倍晋三官房長官は記者会見で「アジアから選出されるべきだ」としつつも「国連改革の前進などの観点から総合的に判断したい」と述べた。

(00:09)


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中国は「アジアの候補を支持」とはっきり表明してますが、地域にこだわらないとするアメリカと真っ向から対立しています。とりあえず特定の国の支持との表 明はなく、こちらも様子見ではあるようです。ただし候補の一本化に言及するなど「アジアからの事務総長」にはかなりこだわってる様子。


■「アジアの候補なら支持」 国連事務総長後任で中国  (共同通信 2/15 12:43)
http://www.asahi.com/international/update/0215/011.html

「アジアの候補なら支持」 国連事務総長後任で中国

…中国の王光亜国連大使は14日、「アジアの候補は誰であれ、わが国の支持を得られる」と指摘、地域持ち回りの慣例に基づいて「次はアジアの番」との立場をあらためて記者団に強調した。

 中国外務省の劉建超副報道局長は同日の北京での定例会見で、アジアの候補を「支持する」と述べており、「人物本位」の選出を求める米国と中国の綱引きが激しくなってきた。王大使は「中国はすべてのアジアの候補を支持する。今の時点で(韓国の潘基文(バン・キムン)外交通商相ら)3―4人の候補者がいるが、さらに候補者が増えてもわが国の支持を得られる」と述べた。


■中国国連大使、「アジア一本化」示唆 国連総長選び (朝日新聞 2/15 14:42)
http://www.asahi.com/international/update/0215/011.html

中国国連大使、「アジア一本化」示唆 国連総長選び

2006年02月15日14時42分

 アナン国連事務総長の後任の選出方法をめぐる議論が熱を帯びてきた。中国の王光亜国連大使は14日、「チャンスを確実にするため、いずれかの段階でアジアグループとして、どう調整できるか考えなければならない」と述べ、候補者一本化の必要性に言及。一方、カナダは同日、地域の輪番にこだわらず透明性の高い選出方法をとるべきだとの提案書を全国連加盟国に送った。

 王大使は国連本部で記者団の質問に答えた。同日、韓国が潘基文(パン・ギムン)外交通商相の擁立を正式に公表。タイのスラキアット副首相とスリランカのダナパラ元国連軍縮局長は正式に運動を展開しており、他の候補の登場もうわさされている。

 王大使は「中国は次はアジアの番だと強く信じている。数十億の人口がおり、良い候補者がいないわけがない」と強調。「当面はさらに候補者が出るかを見守りたい」と述べた。

 カナダはこれまでの事務総長の選出を「密室で大国が決めている」(カナダ国連外交筋)と指摘。候補者の経歴や実力などをオープンに審査して、選出の過程をより透明化することを提案した。国連事務局をより効果的で、開かれた組織に改革することにつながるとしている。


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一方中国のメディアは韓国に対して冷ややかな見方をしています。このCRIの記事は新華社通信を含む中国国内の多くの新聞に転載されてますが、CRIは国営放送なのでこれが政府見解とも言えます。


■韓国外交通商相、国連事務総長選の立候補を表明 (CRI中国国際放送 2/15 4:10)
http://gb.chinabroadcast.cn/8606/2006/02/15/107@898859.htm (簡体中文)

韩国外长宣布竞选联合国秘书长

国际在线 www.crionline.cn 2006-02-15 04:10:52
韩国外长潘基文
韩国外长潘基文

  国际在线报道(记者张敏):韩国外交通商部长官潘基文14日正式宣布竞选下一届联合国秘书长。潘基文当天在首尔举行的记者招待会上说,他已经向包括朝鲜在内的联合国所有成员国的外长通报了他的参选计划。

  谈到参选目的,潘基文说,他在36年的外交生涯中,直接从事与联合国有关的工作长达10年。其间,联合国秘书长及联合国的职能和作用等一直是他所关心的问题,他希望能有机会为联合国的发展做些事。

  潘基文,1944年6月13日出生,首尔大学外交专业毕业,曾在美国哈佛大学深造。1970年进入韩国外交部后,曾在韩国驻印度使馆、韩国驻联合国代表团、韩国驻美国使馆工作,并出任韩国驻奥地利大使兼驻维也纳联合国和其他国际组织的代表。曾任韩国外交通商部联合国处处长、美洲局局长、卢武铉总统的外交政策顾问、外交通商部次官(副部长)等职。2004年1月被卢武铉任命为外交通商部长官。

  韩国舆论认为,在潘基文竞选联合国秘书长的问题上,有利和不利因素同时并存。有利因素是,从个人的角度来说,潘基文是一名资深外交家并具有在联合国工作的经验。而且他为人温和,办事务实,有处理复杂事务的能力。从国家的角度来说,韩国舆论认为,韩国在联合国属于中间力量。

  但潘基文同时也面临两个不利因素。第一,韩国目前拖欠着联合国会费,去年底未仍交纳1.2亿美元的联合国会费。第二,韩国在支援发展中国家方面做得不够。根据联合国的规定,发达国家对发展中国家的官方援助应占其国内生产总值的0.7%,但是韩国目前的比例仅为0.06%。

※竞争对手

  除了这两个因素的影响外,目前潘基文可能存在的竞争对手也不在少数。在亚洲国家中,正式宣布参加联合国秘书长竞选的还有泰国副总理素拉革和斯里兰卡和平谈判代表、联合国前主管裁军事务的副秘书长贾扬塔-达纳帕拉。素拉革得到东盟十国的支持,而达纳帕拉也很有竞争力。此外,东帝汶外长奥尔塔等人也有意参选。在欧洲,波兰前总统克瓦希涅夫斯基和拉脱维亚总统弗赖贝加等也可能角逐下届联合国秘书长。

  现任联合国秘书长安南的任期到今年底结束。根据联合国宪章的规定,联合国秘书长人选由安理会推荐并经联合国大会任命,任期5年,可连任,一般10年轮换一次,由世界各大洲人士轮流担任。由于亚洲人士已连续34年没有担任联合国秘书长一职,根据惯例,这次应该由亚洲人担任联合国秘书长,而且这一提法已得到广泛支持。

※更方表态

  但在联合国秘书长人选问题上拥有否决权的5个安理会常任理事国中,美国和英国却无视这一惯例。美国常驻联合国代表博尔顿上月表示,下一任秘书长不应该出自任何特定地区。而中国和俄罗斯都明确表示支持下一届秘书长人选出自亚洲。

  据悉,潘基文14日宣布参选联合国秘书长一职后,美国驻韩国使馆发言人对此表示欢迎,但同时表示目前不准备表态支持某个候选人。俄罗斯驻韩国使馆政务参赞则表示,亚洲国家的候选人应该团结一致,以增强与其他地区的竞争力。

分析评论:

美英表示反对 安南继任者能否从亚洲产生有点悬

亚洲人轮换联合国秘书长乃大势所趋

编辑:  祖国斌   稿源: 国际在线


http://jp.chinabroadcast.cn/151/2006/02/15/1@57220.htm (日本語版)

韓国外交通商相、正式に国連事務総長選の立候補を表明

2006-02-15 13:08:59 cri

 韓国のバンキムン外交通商相は14日、次期国連事務総長選挙に立候補することを表明しました。記者会見で、「朝鮮を含む国連の全ての加盟国の外相に立候補の方針を伝えた」と発表しました。

 立候補の目的について、バンキムン外交通商相は、「36年にわたる外交経験のうち、10年間直接国連と関わる仕事をやってきた。そのうち、国連事務総長や国連の職能と役割などの問題にずっと関心を持っており、国連の発展に何か寄与できるチャンスを求めていた」と述べました。

 バンキムン外交通商相は1944年6月13日生まれ、ソウル大学外交学科の出身で、アメリカのハーバード大学に留学した経験があります。1970年韓国外務省入り、インドやアメリカの大使館での勤務のほか、オーストリア駐在大使、国連の韓国代表、その他、国際機構の韓国代表を歴任。そして、韓国外交通商省国連局局長、アメリカ局局長、ノ・ムヒョン大統領の外交政策顧問、外交通商次官を経て、2004年1月、外交通商相に就任しました。

 韓国の世論は、バンキムン外交通商省の立候補には、有利、不利両方の要素が同時に存在していると見ています。有利な要素は、まず、個人としての魅力です。バンキムン外交通商相は豊かな経験を持つ外交専門家で、国連で勤務した経験もあり、穏やかな実務的な性格で、複雑な問題を解決する能力を備えています。また、国際関係から見ると、韓国は国連で中間レベルの勢力に属しており、他国の支持を得られやすいと言えます。

 一方、バンキムン外交通商相には二つの不利な要素があります。第一に、韓国は現在、国連分担金を滞納しており、未納付の分担金は去年末までで、1億2千万ドルに達するという問題です。第二に、韓国は発展途上国への支援が不十分だという点です。国連の規定によりますと、先進国の発展途上国への政府支援は国内総生産の0.7%を占めるべきだとされていますが、現在、韓国は0.06%しかありません

 多くのライバルの存在もあります。アジア諸国で言えば、タイのスラキアット・サティアン副首相、スリランカの和平交渉代表、国連のダナパラ軍縮局・事務局長も立候補を正式に表明しました。タイのサティアン副首相はASEAN・東南アジア諸国連合10カ国の加盟国の支持を得ており、ダナパラ軍縮局事務局長もかなりの競争力を持っています。また、東チモールのジョゼ・ラモス・ホルタ外相も出馬する意向を示しています。

 報道によりますと、バンキムン外交通商相の立候補に対し、韓国駐在のアメリカ大使館のスポークスマンは歓迎の意を示しましたが、具体的どの候補者を支持するかについては態度をはっきりさせていません。


つまり韓国の国際貢献は国連規定の1/10以下。先進国としては著しく国際貢献が少ないということを、中国のメディアからも指摘されています。このような国の人間が事務総長に立候補すること自体が非常識でしょう。

スマトラ沖地震の時に、韓国は日本やアメリカなどの提示額を見ながら支援額をコロコロ変え、最終的に額を再度減らした末、それすらも殆ど支払わなかったという前科があります。この国営放送記事の書き方でも、「有利な理由」は個人的な魅力という程度のものであるのに比べ、「不利な理由」が国連の方針を大きく守られていないという非常に深刻なものであることから、中国は最終的に韓国を支持しないのではないかとも読めます。

関連情報:
■被災者を愚弄する韓国の国際貢献の在り方 (★厳選!韓国情報★ 2005/9/6)
http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/082e0ddd817666e9b951f76d4ec07957

 

『建国記念の日とは?』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月15日(水)22時31分2秒
  ■建国記念の日の祝賀
 あいかわらず、わたしの家のある通りで国旗が出ているのは我が家だけ(泣)。
 地元のテレビのニュースを見ていましたら、がらんとした会場に集まって拳を振り上げる反対派の集会のことを延々と放映しておりました。
 大勢が集まった祝賀会場の話はまったく出てきませんでした。

■2月11日の謎
 わたしは詮索好きなので、神武(じんむ)天皇が即位なさったのが、太陽暦に直すとなぜ2月11日になるのかが分からず、ずっと気になっておりました。
 いま手元にある易しい祝日の解説書は、

◎産経新聞取材班『祝祭日の研究――「祝い」を忘れた日本人へ――』角川新書(Oneテーマ21)(200102)

◎所功『「国民の祝日」の由来がわかる小事典』PHP新書(200308)

 ――の二冊です。
 しかし、これには、一種の精神論だけで、2月11日に決まった具体的な経過は出ておりません。
 そこでわたしが見ましたのは、

◎日本文化研究会(編)『神武天皇紀元論――紀元節の正しい見方――』立花書房(昭和三十三年三月)

 です。この本は、田中卓先生が実質上の編集作業をして、紀元節反対派との論戦のために刊行された論文集です。
 その中の数編が、2月11日に決まった経過について、記しています。

■それでも分かりにくい
 でも、それでも分かりにくいのです。
 おおまかに記しますと――
 それは讖緯(しんい)説から来ている。
 辛酉(しんゆう/かのととり)の年に革命がおこり、干支一周六十年を二十一回重ねた千二百六十年を一蔀(ほう/ぼう)として、その翌年から世の中がすっかり変わって新しい時代に入る。
『日本書紀(やまとのふみ)』では神武天皇元年を辛酉としていますが、暦がきちんとし始めたのは推古天皇の時代であり、推古天皇九年一月一日(西暦601年2月8日)を千二百六十一年目の辛酉の年の初めとして、第二蔀の初めとしているので、これから逆算したとされます。
 それを建言した人物の名も分かっています。
 しかし、新暦と昔の暦とを対照した詳しい説明(表)はありません。

 この問題についての、明治期の難しい本はいくつか有るらしいのですが、今入手可能な詳細で分かりやすい解説書は無いでしょうか?
 建国を祝う儀式ですから、正否を論じるつもりはなく、ただ2月11日に決まった計算内容を知りたいのです。
 

Re: 日本は支持すべきじゃないでしょう  投稿者:平熱36.4℃  投稿日: 2月15日(水)21時12分9秒
  韓国と国連と言えば非常任理事国の選挙で一票しか得られなかったこととか有りましたね。  

ウイングさん  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月15日(水)20時58分1秒
  >それと韓流に沸いていますが反日国の俳優を余り取り上げるべきじゃないと思います。

日本での「韓(ハン)流」も、この先未来永劫(えいごう)続く訳でも無いでしょう。
お隣、台湾では既に「韓流」に対する「締め出し」が始まっていますし、本国である韓国内でも「公正な貿易」の為に、自国映画への「保護」措置を廃止する方向で進んでいます。(日本文化を含む)外国文化制限と言う「温室」の中で、何とかやってこれた「韓流」ですが、今後は世界の荒波にもまれる訳で、今迄の様な訳にはいかないでしょう。

(ちな)みに、「韓流」の「韓」は、台湾では「寒」と同発音で、「韓流」は「寒流」等と揶揄(半分、馬鹿にされている)されているそうです。

「韓国(ハングック)」は、「恨(ハン)」の文化を持つ国=「恨国(ハングック)」であると同時に、内情が「お寒い国」=「寒国(ハングック)」である共言えます。
 

韓国=恨国=寒国  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月15日(水)20時49分32秒
  文太さん

>韓国はとにかく反日が国是なので、日本を貶(おとし)めなければならない。
>でも、一方で日本への近親意識も物凄い。だから日本に対して韓国の味方であることを期待する。
>要するに甘えの構造なんですよ。

仰有(おっしゃ)る通りです。
(そもそ)も、「日帝三十六年」にした所で、日本による「植民地支配」では無く、日本と朝鮮が合邦した、英国風に言えば「日韓連合帝国」(the United Empire of Japan and Korea)の色合いが濃かったのが当時の「大日本帝国」です。それは、合邦前の国力の差からも、その後の財政的支援の面から考えても、鮮人よりも日本人の方が立場的に強かった事は否定しません。然(しか)し、欧米的な概念での「植民地支配」等と言える統治を日本は決してしませんでしたから、鮮人が自国の過去を「過去の植民地支配」云々とか「日帝三十六年」と言うのは、自らの国家・民族を、自らの手で貶(おとし)めている事になります。ここに南北朝鮮の「病理」がある訳で、そう簡単に治る様な代物(しろもの)では無い事だけは確かでしょう。その点から考えれば、残念乍(なが)ら、日本は彼らと付き合わない事が一番と言えます。

>負担金未納滞納常習の国には立候補を認めるべきではありませんね。

日本の安保理常任理事国「立候補」に対して、韓国は支那と共に「歴史認識」を持ち出して、阻止に回りましたが、「歴史認識」云々よりも、余程(よほど)、「負担金未納滞納常習」の方が事務総長ポスト獲得には致命的でしょう。何(いず)れにせよ、日本は最後の最後迄、韓国人事務総長誕生に対して「ノー」を貫くべきでしょう。
 

韓国って  投稿者:利亜  投稿日: 2月15日(水)14時15分50秒
  まるで私の会社の上司のような性格な国ですね(苦笑)私的なことですが  

『卑弥呼と日本書紀』54  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月15日(水)12時33分11秒
  [承前]

 じつに興味ぶかい一文である。
 この冒頭に、七、八十年前に倭国が乱れた――という重要な記述がある。
 これがどの時代なのかが問題になるが、後漢書や隋書には、桓・靈帝の時代(西暦一四七年〜一八八年)に大いに乱れた――倭国大乱――と記されている。
 しかし『魏志倭人伝』を見てそう推理した可能性があるので、あまり詮索することはできない。
 ただ、古代の強国ができる過程で混乱がおこるのは歴史の必然なので、この倭国の乱自体はふしぎなことではない(*)。

 この「乱」以外には、補足説明はあまり必要がない。
 そして、これ以上の説明がないので、検討や考察はきわめて難しい。
 女王を共立した国とはどことどこか、鬼道とは具体的に何か、はもちろん、男弟とただ一人の男子が同一人物なのか違うのかすらも、決定困難である。
(**)

 そこで、とくに〈卑彌呼〉とは誰か、《邪馬台国》とはどういう国なのか、この両者の読みは「ヒミコ」「ヤマタイコク」でいいのか、などについて、じつにさまざまな見解が飛び交うことになったのだ。
 またなぜか、女王や補佐の男弟の服装や人物像などについては、まったく書かれていない。九州の国々の一般庶民の習俗はいろいろと書かれているのに――である。
 このことから、魏の使者は《邪馬台国》までは来ておらず、〈卑彌呼〉には会っていない――という説が有力視されている。

 鬼道とは当時のシナでの表現で、これだけだと道教的な幻術を想像するが、その実態は、神に仕(つか)えて神託を告げる巫女的な存在――シャーマンとしての存在――だったろうと、『記紀』などの研究からいわれている。
 つまり古代の神道における神子(巫女 みこ)である。
 ただし巫女といっても、いまの巫女とはちがって、高度な政治性と指導性をもって霊感(判断力)を働かせ、神託(政策)を告げる、カリスマ的な女性のことである。
 政治の政をマツリゴトと読むように、古代においては神々を祀(まつ)ることと政治とは一体のものであった。
 すなわち完全な祭政一致だった。
 これは『日本書紀(やまとのふみ)』を読めばよくわかる。

(* 『魏志倭人伝』にある倭国の乱と『日本書紀』との対応については、後述する)

(** 東洋史学者として著名な岡田英弘は、こういう文章の混乱について、別々の時期に派遣された二人の使者の報告を混ぜて一つの文章にしてしまったためだろうと推理している。使者の問題については後述するが、あり得ることである)
 

Re: 日本は支持すべきじゃないでしょう  投稿者:岩谷文太  投稿日: 2月15日(水)07時48分16秒
  こういうのを見ると韓国らしいなと思いますね。韓国はとにかく反日が国是なので、日本を貶(おとし)めなければならない。でも、一方で日本への近親意識も物凄い。だから日本に対して韓国の味方であることを期待する。要するに甘えの構造なんですよ。

日本に対してやってる同じことを自分達がされたらキレるだけ。いかんせん重度の分裂症なので、自分達のやってることが分からない。相手にしない方が良いです、こういう連中は。

国連のトップを韓国人が務(つと)めることの方がよほど恐ろしいことです。負担金未納滞納常習の国には立候補を認めるべきではありませんね。
 

竹下義朗様へ  投稿者:ウイング  投稿日: 2月14日(火)22時57分9秒
  それぐらいのことをしても罰(ばち)は当たらないと思います、それと韓流に沸いていますが反日国の俳優を余り取り上げるべきじゃないと思います。

台湾などの親日国のを取り上げるならまだわかります。
 

日本は支持すべきじゃないでしょう  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月14日(火)21時47分35秒
  『韓国外相 国連事務総長選 きょう出馬表明』(Yahoo!ニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060214-00000014-san-int

韓国外相 国連事務総長選 きょう出馬表明

【ソウル=久保田るり子】韓国の潘基文外交通商相(61)は十四日、次期国連事務総長選に正式出馬を表明する。出馬表明はタイのスラキアット副首相、スリランカのダナパラ元国連軍縮局長に次いで三人目。出馬が有力視されていた潘氏はすでに今年初めから支持取りつけに動き始めていた。

 潘氏は、現在の外交通商省に入省し、駐米公使やオーストリア大使を歴任。国連大使、国連総会議長秘書室長も務めた国連通で、実娘は国連児童基金の職員としてスーダンに赴任している。

 〇四年からは盧武鉉政権で外交通商相を務めているが、盧大統領の対米発言にはブレが目立つのに対し、米高官に知己の多い潘氏の対米外交は「安定感」がみられた。

 一月中旬に米韓戦略対話で訪米した潘氏は、アナン事務総長を表敬訪問し、安全保障理事会常任理事国の国連大使とも会合を持った。これをもって「事実上の出馬表明」と見る向きが多かったが、輪番制による自動的なアジアからの次期総長選出に難色を示すボルトン米国連大使も「潘氏が米国に勤務したときから知っている。たいへん尊敬している」と語った。

 国際舞台で存在感を示したい韓国では「現職外相で顔が広い点でも、アジア圏では有力候補」(外交筋)とされる潘氏への期待は大きい。

 だが、この問題は日韓に新たな波紋も呼びそうだ。事務総長は安保理の推薦を受けて総会で任命されるが、韓国は、現在、非常任理事国である日本の賛成を期待している。しかし、韓国は日本の安保理常任理事国入りに反対しており、日本としては当面、態度を保留する方向とみられる。

(産経新聞) - 2月14日3時23分更新


韓国の潘基文(パン=ギムン)外交通商相がアナン事務総長の後任に立候補し、韓国は日本の支持・賛成を得たい様ですが、日本は支持すべきでは無いでしょう。

先に、日本が安保理常任理事国入りを目指した際、韓国はあからさまに反対を表明した経緯があるのですから、ここで、日本の支持を取り付けたいと言うのは、余りにもむしが良過ぎます。今回は、「アジア枠」から選出と言う暗黙の了解(米国は反対しているが)がある中、アジアからは潘氏以外に、タイのスラキアット副首相、スリランカのダナパラ元国連軍縮局長も名乗りを上げている他に、東ティモール、シンガポールも候補擁立を検討中との事ですから、「当て付け」として、韓国以外の候補を日本は推すべきです。

ま、それ位の事をしても罰(ばち)は当たらんでしょう。今迄の韓国の背信行為から考えれば。

 

竹下義朗様へ  投稿者:ウイング  投稿日: 2月14日(火)21時39分25秒
  言われてみればそうですね、いままで怒りモードだった自分が恥ずかしく思います。

でも宇津木麗華や小山ちれに対して中国は
どんな対応をしたかは想像がつくと思われますよ。
 

ウイングさん  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月14日(火)21時17分26秒
  >フィギュアスケートの井上怜奈に対して、マスコミは余りにも甘いすぎますよ。

まあ、そう目くじらを立てても仕様がありませんから、「去る者は追わず」位に考えて
おきましょう。
 

平熱36.4℃さん  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月14日(火)21時15分4秒
  こちらこそ、宜しくお願いします。  

電波芸人、所功 氏の活躍?  投稿者:久保田泰啓  投稿日: 2月14日(火)15時56分21秒
  『ぼやきくっくり〜「サンプロ」皇室典範改正問題』
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri/index.php?eid=304

『竹田恒泰日記〜所功氏との対決、他』
http://blogs.yahoo.co.jp/takebom1024/25508853.html


以上のブログエントリを読み比べてみるだけでも・・・所功 氏って狡猾さが満開しておりますね。

それはそうと、竹田恒泰 氏は「金曜発言中」http://www.news24.jp/hatsugenchu/index.htmlという日テレ系討論番組を、スカパー!(NN24)およびBS日テレにて2/17(金)20:30〜22:00で放映するようです。更に彼自身のブログ、ということで講演情報も早速お知らせするようになりましたね。これを機会に活用できれば良いと思いますよ。
 

『卑弥呼と日本書紀』53  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月14日(火)12時20分14秒
  [承前]
  1. 寿命は八十、九十、百年という長寿である。
  2. 庶民でも数人の妻を持つことがある。
  3. 婦人は淫(みだ)らでなく嫉妬心もない。
  4. 泥棒はおらず訴訟も少ない。法を犯(おか)すと軽い場合は妻子を国が取り上げる。重いと殺される。
  5. 身分の上下の秩序がきちんとしている。
  6. 《邪馬台国》は人々に税を納めさせ、これを収納する倉庫がある。
  7. 国々には市場があって、物々交換をするが、《邪馬台国》では大倭(役職名?)に命じてそれを監督させている。
  8. 《邪馬台国》では、自分の国より北にある国々(投馬国までの国々)に一大率という偉い役人を送って国の様子を検分し、国々はこの役人を怖(おそ)れている。
  9. 伊都国には常に一大率がいて権勢をふるっている。
  10. 女王が使者をシナの都や帯方郡や朝鮮の国々に派遣するときや、帯方郡の使者が倭国に来たときは、伊都国の海岸で文書や贈り物の点検をうけて間違いの起こらないようにしている。
  11. 身分の上の人の前で説明する場合には、うずくまったりひざまづいたりして両手を地面につける。
  12. 受け答えのときの承諾の言葉は「噫(あい)」である。
    (これは現在の日本語の「ハイ」につながるが、噫はオク、エイ、エ、イなどとも読むので、はっきりしたことはわからない)
*****

 さて次が、有名な《邪馬台国》を中心とした倭国の歴史と女王〈卑彌呼〉の話になる。
 ここは重要なのではしょらず、三品彰英の訳文をほぼそのまま掲載しよう。

「邪馬台国は、もと男子が王であった。ところが男王の治下、七、八十年以前のこと、倭国は大変に乱れて、国々は互いに攻撃しあって年が過ぎた。そこで、国々が協同して一人の女子を立てて王としたのである。彼女は名を卑彌呼といい、鬼道(神霊)に仕(つか)え、その霊力でうまく人心を眩惑(げんわく)している。すでにかなりの年齢であるが夫を持たず、男弟がいて彼女の政治を補佐している。彼女が王となってから後は、彼女を見た者は少なく、婢女千人を侍(はべ)らせている。ただ一人の男子だけが飲食を給仕(きゅうじ)するとともに、神託をうけるために彼女のもとに出入りして外に伝える。彼女の居所の宮室は楼観(見張りやぐら)や城柵(じょうさく)を厳しく設(もう)け、また常に武器を持った人々がいて守衛している。」
 

疑問  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月14日(火)12時15分53秒
  国や地方が反日的な組織のために出しているお金と、皇室のために出しているお金と、どちらが多いのでしょうか?
ふと疑問を感じます。
 

はじめまして  投稿者:平熱36.4℃  投稿日: 2月14日(火)00時04分4秒
  初めまして、平熱36.4℃と申します。
ネット上を漂(ただよ)っていたらふとこのサイトに辿(たど)り着き、それから四年。その四年の間、ここの「歴史再考」等から多くの真実を知ることができ、そのおかげで誤った歴史観を持ったまま大人にならずに済みました。
ということで、自分はまだ未成年です。

無知な書き込みや、掲示板のレベルを下げてしまうような書き込みをしてしまうかもしれませんが、ここで自分を磨(みが)いていければなと思っています。よろしくお願いします。
 

Re:女系天皇を認めると  投稿者:大神 正念  投稿日: 2月13日(月)22時48分16秒
  「伝統」に付け加えますと、遺伝子・染色体の問題がありますよね。

どこかの知った様な評論家が、「日本の憲法は、男女平等を謳(うた)っているので、女系天皇を認めないのは理に合わない」とかノタマっておりますが、そういうレベルの問題では無いわけです。ここに男女平等を持ち出すこと自体が、次元が低いわけです。

・・・憲法を持ち出すのであればそれこそ、日本国憲法は、「天皇は国の象徴たる」と、しているわけです。そもそも天子様が何たるか。と、言う事であれば、染色体が別のものとなる事が、どういう事か。もはやそれは、国の象徴たる伝統でしょうか?憲法にも反する愚でしょうね。
 

女系天皇を認めると  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月13日(月)20時25分22秒
  皇統は男系によって継承されてきた。これが伝統であり、「世界最古の王朝」としてのステータスが国際社会からも認められてきた理由です。そこへ、女系による継承も容認するとなると、小泉氏が言う所の「安定的な皇位継承」等望むべくも無い。何故(なぜ)なら・・・

現在、「女系継承」を推進している連中には、「ジェンダーフリー」推進派どころか、左翼勢力、在日等、所謂(いわゆる)「反天皇」を標榜する勢力が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している。彼らにしてみれば、「男系継承」の伝統を「破壊」する事で、ひいては、皇室の廃止すら画策している。

『建国記念の日、奉祝派と反対派それぞれが集会』(asahi.net 朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0211/TKY200602110273.html

建国記念の日、奉祝派と反対派それぞれが集会

2006年02月11日19時02分

 建国記念の日の11日、首相の靖国神社参拝や「愛国心」の強調によるアジア諸国との摩擦や象徴天皇制のあり方などをテーマに、奉祝派と反対派がそれぞれ各地で集会やデモなどをした。

 神社本庁、日本会議などでつくる「日本の建国を祝う会」は、東京・明治神宮会館で奉祝式典を開き、約1500人が集った。式典で会は、女性・女系天皇を認める皇室典範改正案について「皇位継承制度の根本的な改変。我々は断じて見過ごすことはできない」とし、「万世一系の皇統を守り抜くため、政府による拙速な皇室典範改正案の国会上程に断固反対する」などと決議した。

 旧総評系労組を中心とした平和フォーラム(共同代表、江橋崇・法政大教授ら)は東京の自治労会館で集会を開き、約300人が参加、憲法や教育基本法が「愛国心を強要する方向で改悪されようとしている」と危機感をあらわにした。

 一方、「戦前の紀元節復活」に反対する市民グループなどが主催して、「女性・女系天皇を容認する皇室典範改正ではなく、天皇制の廃止を」と訴える集会も同日、東京で開かれ、約150人がデモ行進した。


「安定的な皇位継承」を保障するつもりが、皇室廃絶の口実にされるのでは本末転倒。
(ゆえ)に、「男系継承」の伝統は、何としても護持しなければならない。それが、たとえ、皇太子家から秋篠宮家へ、更に旧宮家へと皇系が移ったとしても。それ程、皇統にとって「男系継承」の伝統は重い。

 

(無題)  投稿者:のまねこ  投稿日: 2月13日(月)17時45分13秒
  皆さん頑張ってください  

莫大なる経費?  投稿者:解法者  投稿日: 2月13日(月)16時22分18秒
  大したことなかろうが!

何ぬかしてる!
国家の大事だよ!
 

(無題)  投稿者:のまねこ  投稿日: 2月13日(月)11時29分23秒
  古畑仁三郎と宝船って出入り禁止にされた深谷Tだよね


                    _ _     .'  , .. ∧_∧
           ∧  _ - ― = ̄  ̄`:, .∴ '     (    )
          , -'' ̄    __――=', ・,‘ r⌒>  _/ /
         /   -―  ̄ ̄   ̄"'" .   ’ | y'⌒  ⌒i
        /   ノ                 |  /  ノ |
       /  , イ )                 , ー'  /´ヾ_ノ
       /   _, \               / ,  ノ
       |  / \  `、            / / /
       j  /  ヽ  |           / / ,'
     / ノ   {  |          /  /|  |
    / /     | (_         !、_/ /   〉
   `、_〉      ー‐‐`            |_/
 

『卑弥呼と日本書紀』52  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月12日(日)22時32分12秒
  ■■■■■ 三・三 風俗・習慣・制度 ■■■■■


『魏志倭人伝』における日本の国々の話は以上でおわり、その次に――脈絡無しにとつぜん――倭人(日本人)の風俗・習慣・制度などの記述がでてくる。
 その内容は断片的で順不同であり、もっともな面と奇妙な面とが混在している。
 はしょって箇条書(かじょうがき)にしてみよう。

*****
  1. 古くから倭の使者はシナの都に来ると「大夫(たいふ)」と自称する。
    (これはシナ王朝風の官名で、日本の使者がシナの制度に通じていたことを意味するとされる)
  2. みな入れ墨をしている。
  3. 帯方郡からの経路で推(お)し量(はか)ってみると、倭国(日本)は会稽(かいけい)の東冶(とうや)の東方海上にあることになる。
    (東冶の東方海上とは沖縄本島と奄美大島の間ぐらいになる。そこに日本の中心があると考えていたらしい)
  4. 風俗は乱れておらず、衣服は貫頭衣(かんとうい)のようなもの。
  5. 稲や絹や綿をつくり、牛や馬はいない。
  6. 武器には矛(ほこ)、盾(たて)、木弓を使用する。
  7. 温暖で生野菜を食べ、はだしである。
  8. 家を建て、父母兄弟は寝所(しんじょ)を別にしている。
  9. 埋葬時には遺体を棺に納めるが、棺を囲う槨(かく)はなく直接土を盛り上げる。
  10. 海を渡ってシナに来るときは、死者の喪(も)に服しているような持衰という人物をのせ、航海がうまくゆくと褒美(ほうび)をあたえ、そうでないと殺そうとする。
    (これは今でも日本にある物忌(ものい)みのことらしい)
  11. 真珠や青玉がとれ、山からは丹(に)がとれる。
  12. 骨を焼いてその裂(さ)け目で吉凶を占う。
    (これは『記紀』にある亀卜(きぼく)を連想させる)
  13. 集会での座席には父子・男女の区別はない。
    (これも注目すべき風習。父親が特別威張(いば)っているわけではなく、しかも男女の区別が無い事が印象に残ったのだろう)
  14. 酒好きである。
  15. 身分の高い人への礼儀は手を打つだけである。
    (これは神社の参拝作法である柏手(かしわで)の原型とされている)
(つづく)
 

竹下義朗様へ  投稿者:ウイング  投稿日: 2月12日(日)22時11分47秒
  フィギュアスケートの井上怜奈に対して、マスコミは余りにも甘いすぎますよ。
中国は宇津木麗華や小山ちれに対してどんなことをしたか。
 

RE:さびしいね  投稿者:宝船  投稿日: 2月12日(日)15時45分0秒 Remote Host: p3222-ipbf413marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp, Time: 1139726700
  「皇統のスペア」の意味はよく理解できますが、それを伏見宮家系の旧11宮家だけに限定することに無理があるのでは、昭和22年まで皇室家だったとはいえ、GHQや吉田内閣の強制による犠牲だったとはいえ、もう戦後60年も経過し、政治史事件でも時効の枠に入るべき性質のもの、敗戦の折り目を潜った戦後民主主義の思想にどっぷりと浸(つか)った、現在の日本国民の意識にどう折り合いをつけるのでしょうか。

現在の皇室家の光格天皇家系に、伏見宮家系より血統的には、さらに近い御家柄はいくらでも有ると思います。これらは5身代離れるから駄目だ、旧宮家は明治憲法精神の枠組みであるゆえに復活だとの理論は、明治憲法そのものが過去の出来事の一つと、国民意識化している現状、これを説得するのはとても難しいと思います。

だが、旧宮家を復活させるために、他の不満家系を宥(なだ)めるために、ゾロゾロと宮家を復活させては、皇族家の格落ち、さらに莫大なる経費がかかり過ぎ、逆に国民の不満を招き、天皇家無用論の大合唱にも繋(つな)がりかねません。よく、ウヨク系掲示板では、国民世論など、民主主義など、皇室問題を影響するもんではない。との「問答無用論」を伺(うかが)いますが、これはただ言っているだけにて、実行力は皆無であります。ただの空論であります。

旧宮家の復活、諮問会議の答申にあったが如く、「国民の賛同は得られないであろう」
さあ、どのような理屈をつけて国民を説得したらよいのであろうか・・・。
 

中国語が出来たら...  投稿者:岩谷文太  投稿日: 2月12日(日)15時16分57秒
  知人の中国人がいつでも利用してるサイトは、日本の映画やアニメを含むいろいろな動画ファイル、様々なソフトウェアの海賊版などがただで幾らでもダウンロード出来るウェブサイト。この前は『ハウルの動く城』や往年の『人間の証明』を見せてくれました。これらは中国語の字幕がついていて、一つのファイルサイズがDVDの片面程度の長さなので、恐らく中国で発売されたDVDの不法コピーデータがネット上で出回っているのでしょう。

ソフトウェアは、シリアルナンバーやオーサライゼーションは解除されている「クラックバージョン」。

日本やアメリカじゃこんなことあり得ない。中国はネットで言論の規制はするのに、こういう不法コピーや著作権侵害は全く取り締まらないので、ちょっと呆(あき)れました。

何だ、中国語が出来たら金払う必要ないぢゃん。
 

『卑弥呼と日本書紀』51  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月12日(日)10時27分25秒
  [承前]

◆◆◆ 狗奴国の謎と重要性 ◆◆◆

 この一覧のうしろの方の侏儒国などは末尾近くに書かれていることで、かなり空想的であり、まともな論評はできない。
 現実的な検討のできる国々のなかで、《邪馬台国》に服していないとされる狗奴国については、「九州説」では読み方から、『日本書紀(やまとのふみ)』にある、天皇を悩ませた九州の熊襲(くまそ)だろうという人が多い。
 クマソとは球磨(くま)と阿蘇(あそ)が繋がってできた言葉だという説があるが、クマをクヌと聞いたとすれば確かに狗奴国になる。
 これは「九州説」にとって有利であるが、著者には何ともいえない。

 一方「大和説」にとっての有力な説は、上毛野・下毛野地方――のちの上野・下野地方/現在の群馬県・栃木県に相当――の豪族だろうというものである。
 ケノとクヌが類似していること(KENO→KUNU)と、この地方の平定に中央政権が苦労した話が、『記紀』に多く記されていることからの、推理である。
 さらには熊野説もあるし、さいきんの発掘状況からは東海地方または愛知〜岐阜〜近江地方も有力視されている。

 大和朝廷より先に《大和(やまと)》に達して君臨していたとされる〈饒速日命(にぎはやひ)〉一族の後裔を自認する尾張(おわり)一族などが勢力をもっていたこれらの地方(愛知岐阜など)は、最近の考古学的調査によって、〈卑彌呼〉の時代に《大和》と複雑な関係があったらしいと推理されるようになってきたのだ。

《邪馬台国》の周辺から投馬国あたりまでと考えられる二十一の国については、斯馬国は志摩であろうとか己百支国は伊勢石城であろうとか、苦心の探索が報告されているが、決定打はない。
 そもそも原文の国名をどう読むかが明確でなく、かつ日本の古代の地名がどう発音されていたかが曖昧なのだから、科学的な探索はきわめて困難なのだ。
 

Re:RE:さびしいね  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月11日(土)22時35分58秒
  今回の皇室典範問題を考えますと、昭和天皇のお若いころに、危機的な状況があったわけで、結局七人もの御子をもうけられて危機を脱しましたが、あのころに、もっと抜本的な対策を実現しておくべきだったと思います。
あと、やはり戦後の旧皇室典範の廃止と旧宮家の問題ですね。
こういう歴史の教訓から言いますと、「なるべく多くの手段を考えて危機に備えるべき」だと思います。
日本人の危機意識の希薄さ(いざとなれば何とかなるさ)は、地震対策や防衛問題だけでなく、皇統問題にもあると思います。
 

◎紀元節制定の解説書は?  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月11日(土)22時28分2秒
   紀元節を2月11日としたのは・・・。
 讖緯(しんい)説から来ている。
 辛酉(しんゆう/かのととり)の年に革命がおこり、干支(かんし/えと)一周六十年を二十一回重ねた千二百六十年を一蔀(ほう/ぼう)として、その翌年から世の中がすっかり変わって新しい時代に入る。
『日本書紀(やまとのふみ)』では神武天皇元年を辛酉としていますが、暦がきちんとし始めたのは推古天皇の時代であり、推古天皇九年一月一日(西暦601年2月8日)を千二百六十一年目の辛酉の年の初めとして、第二蔀の初めとしているので、これから逆算したとされます。
 この問題についての分かりやすい解説書は無いでしょうか?
 なお私が見ていますのは、
日本文化研究会(編)『神武天皇紀元論』立花書房より昭和三十三年刊行(紀元節復活を望む学者の論文集)
 ――です。
 

RE:さびしいね  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月11日(土)20時28分11秒
  古畑仁三郎さん

>あの白髪交じりの、お婆さん

は「出入禁止」と致しましたので、悪(あ)しからず。
 

RE:さびしいね  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月11日(土)20時26分15秒
  宝船さん

私は決して、秋篠宮紀子妃殿下の第三子御懐妊を軽(かろ)んじて等いません。寧(むし)ろ、今秋の御出産を心待ちにしている一人です。そして、御降誕なされる御子様が親王殿下であれば尚良い、とも思っています。然(しか)し、それでも尚、私は旧宮家の皇籍復帰に拘(こだわ)ります。

秋篠宮家の第三子が親王殿下で、且つ、甚だ恐縮ですが、皇太子御一家にこの先、親王がお生まれにならなかった場合、皇位は、今上陛下→皇太子殿下→秋篠宮殿下→秋篠宮家若宮様の順に継承される事になります。然し、その先は、将来の事であり何とも言えませんが、第二、第三の皇統危機に見舞われないとは言い切れません。かと言って、女系継承等以(もっ)ての外(ほか)です。であるならば、旧竹田宮家の御曹司、竹田恒泰氏言う所の「皇統のスペア」=皇室の藩屏(はんぺい)として、男系男子がおられる旧宮家の皇籍復帰は不可欠であるものと考えます。

ご理解頂けないかも知れませんが、御懐妊は誠に以て慶(よろこ)ぶ可(べ)き事、親王御降誕なら尚良い。然し、皇統の安定的継承の為には、旧宮家の復活も必要、と言うのが私のスタンスです。
 

奉祝  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月11日(土)20時11分24秒
  皇紀二千六百六十六年の紀元節に際し、皇室の御安泰と鎮護国家を心よりお祈り申し上げます。  

Re:出雲  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月11日(土)18時14分52秒
  黄東洋さん、ありがとうございます。  

さびしいね  投稿者:宝船  投稿日: 2月11日(土)17時35分37秒 Remote Host: FLH1Aff064.tky.mesh.ad.jp, Time: 1139646937
  竹下さんは、秋篠宮妃殿下のご懐妊の報道、9月の誕生とは関係なしに、旧宮家の皇族復帰に拘(こだわ)っておみえになるのかな?  

出雲  投稿者:黄東洋hwangdongyang2002  投稿日: 2月11日(土)14時49分56秒
  「出雲」の旧假名表記が「いづも」だとすると、平安時代にこの地名があれば発音は idumo(イドゥモ),その後、鎌倉〜室町当りは idzumo だったと推定されます。
「出【い】づる」idzuru<iduru(イドゥル)は「出【い】でよ」ideyo との関連から、id- が語幹でしょう。

Yahoo!辞書「でる【出る】」
>◆文語の下二段動詞「出(い)づ」の連体形「いづる」が終止形としても用いられるようになり、それがさらに「づる」に変化し、この「づる」が下一段化してできた形。

「投馬」であれば「とうま」touma で「つま」になったとすると、発音は tuma(トゥマ)>tsuma になります。
「頭」はシナ語で tou なので日本語音は「とう」tou>to: と「づ」du>dzu>zu>「ず」zu になります。

『ユーラシア言語研究2』
http://6008.teacup.com/hwangdongyang2002/bbs

 

さびしいね  投稿者:古畑仁三郎  投稿日: 2月11日(土)14時12分45秒 Remote Host: p27077-ipadfx41marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp, Time: 1139634765
  最近、あの白髪交じりの、お婆さんの厭味(いやみ)タップリのレス、全然と見かけないですが、どうかされたんですか、とても寂しいのですが  

『卑弥呼と日本書紀』50  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月11日(土)12時09分10秒
  [承前]

帯方郡(魏の植民地)
 ↓南と東に七千余里
狗邪韓国(弁韓のあたり)
 ↓海を千余里
対馬国(千余戸/官・卑狗、副官・卑奴母離)
 ↓海を千余里
一支国(三千戸/官・卑狗、副官・卑奴母離)
 ↓海を千余里
末廬国(四千余戸)
 ↓陸を東南に五百里
伊都国(千余戸/官・爾支、副官・泄謨觚と柄渠觚/国王あり女王国に属す)
 ↓陸を東南に百里
奴国 (二万余戸/官・兕馬觚、副官・卑奴母離)
 ↓陸を東に百里
不弥国(千余戸/官・多模、副官・卑奴母離)
 ↓南へ水上を二十日
投馬国(五万余戸/官・彌彌、副官・彌彌那利)
 ↓南へ水上を十日、陸上を一月(または一日/または伊都国からこの日数)
邪馬台国(七万余戸/官・伊支馬、その下に彌馬升と彌馬獲支と奴佳鞮/女王が都す)
 ↓ (帯方郡からここまでが一万二千余里)
 ↓              ↓
 ↓さらに南へ         ↓
 ↓              ↓
狗奴国(官・狗古智卑狗     ↓
    男王・卑彌弓呼が    ↓
    いて女王に服さず)   ↓
                ↓海上を東に千余里
                ↓
               倭種の国
                ↓女王国から南に四千余里
               侏儒国
                ↓東南に船で一年
               裸国
               黒歯国

(以下投馬国と邪馬台国の間および邪馬台国周辺の国々)
   斯馬国    華奴蘇奴国
   己百支国   鬼国
   伊邪国    為吾国
   郡支国    鬼奴国
   弥奴国    邪馬国
   好古都国   躬臣国
   不呼国    巴利国
   姐奴国    支惟国
   対蘇国    烏奴国
   蘇奴国    奴国
   呼邑国   (前の奴国と同じ文字)

〔倭国は遠方の島々からなり、めぐると五千余里になる〕
 

スメラのクニ@2666  投稿者:久保田泰啓  投稿日: 2月11日(土)08時14分29秒
   今年の紀元節は・・・秋篠宮妃紀子殿下の「紀」、だったりするかもしませんね。さぁて、『my国旗』をベランダに揚げるぜ(小さいけど)! あ、どこの国の国民もやってる事だと思うので異端視しないでネ、ホントに SHOW THE FLAG だったりするけど何よりも気分良いし。

 マスメディアにやって欲しいこと・・・たどり着くと皇室伝統(天皇制とは言わないよ)と日本は切っても切れない関係だから、ということで『日本の始まり』の報道特集を是非。

>竹下さん

いつもお世話になっております。本日は格別におめでたい日に合わせる感じで前日にアップされた「歴史再考」コラムを読ませていただきました、有難う御座いました。さて先(ま)ずは今夜あたり『アレの件』も含めて(泣)メールさせていただきます。


*追記*

「民安かれ、国安かれ」と全人類のために祈る元首を戴(いただ)いている国は世界の中でも唯一日本だけだと思います、マジで。

『敬天新聞社』
http://www.keiten.net/articles/other/040_01.html

 

『卑弥呼と日本書紀』49  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月10日(金)12時41分23秒
  [承前]

◆◆◆ 国々の一覧 ◆◆◆

 さて、《邪馬台国》までの以上の国々については、だいたいの距離や戸数がわかるが、その他については、詳細は不明だとして、《邪馬台国》に達するまでにある、女王国に従属している二十一の国名が並べられている。
 そのままを信じれば投馬国と《邪馬台国》の間に二十一の国があることになるが、その一部は《邪馬台国》の周辺に点在する国なのかもしれない。

 またその先――《邪馬台国》の南――には、女王に反抗している狗奴国(くな/くぬ)があり、男王卑彌弓呼(ひみここ)がいて、官の名は狗古智卑狗(くこちひく)だとしている。
 男王の名は、語順が違っていて、ほんとうは卑弓彌呼(ひこみこ)つまり「・・・彦命(ひこのみこと)」または「・・・彦御子(ひこのみこ)」ではないか――というのが多くの意見である。
 それから、帯方郡から《邪馬台国》までは、一万二千里ほどだとしている。

 ここまで見慣れない名前の国々を記してきたので、整理しておく意味で、一覧表の形に並べておこう。

*****
 

アンケート  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 9日(木)22時20分15秒
  BIGLOBEで皇室典範改変問題のアンケートをしていますが、改正の必要なしが一位、つぎが慎重にせよ、で、急いで改正せよはほとんどありませんね。  

『卑弥呼と日本書紀』48  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 9日(木)11時59分11秒
  [承前]

◆◆◆ 《邪馬臺國》か《邪馬壹國》か ◆◆◆

 つぎが、《邪馬台国》の台の文字についてである。
 原文の《邪馬台国》は《邪馬壹國》と書かれており、壹は壱の正字でイチ、イツ、イなどなので、これをそのまま読めばたぶん「ヤマイコク」である。
 古田武彦のようにそのままの読みで考えるべきだとの意見もあるが、それは少数派で、一般には、この邪馬壹國の壹は似た文字なので誤写したのであって、逸文から考えても、原典は「臺(台の正字)」であった――とするのが定説となっている。
 つまり《邪馬臺國》だろうというわけである。
 著者も、この問題全体を見渡したとき、この誤写説が順当だろうと考えている。

 ところで、一般になされている「ヤマタイコク」という読みは現代の日本語風のもので、臺は「ト」とも読むので、「ヤマト」と読まれていたとも考えられる。
 つまり《大和(やまと)》とほとんど同じ発音であるとの説が昔から多く出されている。
《邪馬臺國》と畿内の《大和》や九州の《山門(やまと)》の発音上の照合は、三世紀のシナでの発音と、三世紀の日本での発音の両方を知らなければできないわけで、それが極度に困難な現状では、おおまかに似ていればよし、としなければならない。
 碩学(せきがく)として聞こえる田中卓のように、「ヤマトコク」と読むべきだとの意見も多い。
 ここでは《大和》や《山門》を連想させる発音だっただろう――とだけ推定しておく。
 くわしいことは第五章に記す。

《邪馬臺國》の本字の臺を現在の簡略文字で台と書き、國も国と略して、一般には《邪馬台国》というわけで、本書でも通例にしたがって《邪馬台国》と記しているが、今にのこる写本では《邪馬壹國》であり、逸文や修正意見が《邪馬臺國》であり、その略字が《邪馬台国》であることを、念頭においていただきたい。

 なお本書では人名は極力原文どおりの正字で書くことにしているが、『魏志倭人伝』の最後に出てくる〈卑彌呼〉の娘の壹與(いよ)も正しくは〈臺與〉(とよ)だといわれている。
 もちろんあくまでも現在の写本どおりに壹としてイヨと呼ぶべきだ――と強く主張する人もいるが、著者は〈臺與〉の可能性の方がたかいと感じており、以下では〈臺與〉としている。
 

秋篠宮殿下のお手植えされた・・・蘭、咲きました♪  投稿者:久保田泰啓  投稿日: 2月 9日(木)06時02分37秒
  『秋篠宮さま手植え「プリンセス・キコ」偶然の開花』(YOMIURI ONLINE 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060208i516.htm

秋篠宮さま手植え「プリンセス・キコ」偶然の開花

ご懐妊報道直後に開花した「プリンセス・キコ」=名古屋市の「ランの館」で  名古屋市中区の市立「ランの館」で一昨年、秋篠宮さまが手植えされたラン「プリンセス・キコ」が、紀子さまの第3子ご懐妊の報道があった直後の7日夜から8日朝にかけて開花した。職員らは「こんな偶然があるとは」と驚いている。

 プリンセス・キコは中南米原産で高さ約30センチ。花は、紀子さまをイメージしたような清楚(せいそ)な姿で、白色で縁に薄紅色がほんのり入っている。

 2鉢あるうち、横地修館長が植えた1鉢は、昨春から咲いたのに対し、秋篠宮さまが植えられた鉢は開花が遅れていた。9日から同館アトリウムで特別展示される。

(2006年2月8日22時21分 読売新聞)


その名も、ダイアレリア属 ミゾクチプリンセス・キコBM/JOGA☆ とても丈夫で育て易い花ですが御懐妊と合わせたように咲きました、名古屋の『ランの館』という処で。

http://www.rannoyakata.net/

こういうのって・・・ぜひとも大切にしたいよね? これからも日本の国体=皇室に対して、開き直りで以って執念を「信念」などと嘯(うそぶ)いている「権力闘争というエゴ丸出しの抵抗勢力」から私は護(まも)りたい。

 

『男系・女系』修正  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 8日(水)15時42分33秒
  反対する」
↓↓↓↓↓
(たとえ男性であっても)反対する」

(より厳密に表現してみました)
 

『男系・女系』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 8日(水)13時20分26秒
   男系・女系という言葉が古くから使われていたのかどうか、ふと疑問に思いまして、質問しましたが、HISASHIさまのご意見では、(公式の史書では)古くからは無く、皇室典範の「男系」からだろう、という事でした。
 つまり、皇室典範の「男系」にヒントを得て「女系」を使うようになり、「男系か女系か」という言い方がなされるようになったのでしょう。

 わたしは、戦前から使われていた「父系・母系」を採用したらどうか――と、ふと考えました。
 つまり、
「女性天皇までは認めるが、あくまでも男系の女性天皇にすべきで、女系天皇には反対する」
 ――という主張があったとしますと、これを、
「女性天皇までは認めるが、あくまでも父系の女性天皇にすべきで、母系天皇には反対する」
 ――と言い換えるのです。

 女性天皇と女系天皇は、用語的にとても紛(まぎ)らわしく、私にもなかなか区別がつきません。
 しかし、「女性天皇」と「母系天皇」なら、かなり明確な区別がつくと思うのです。
 また、「男系・女系」よりも「父系・母系」の方が、家族の温(ぬく)もりを連想して柔らかみがあります。

 まあ、単なる思いつきにすぎませんけど・・・。
 

『卑弥呼と日本書紀』47  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 8日(水)12時39分2秒
  [承前]

 瀬戸内海を船ですすんだとすると、大阪湾についてそこから《大和(やまと)》まではマラソンコース以下であり、健脚なら半日、ゆっくり歩いても数日でつく。
 またさらに、現在よりもずっと川幅の広い河川が大阪湾から奈良盆地まで達していたので、ほとんど歩かなくても《大和》へ行けたはずである(*)。

 昔の文書は多くの人が何代にもわたって書き写して保存されるものなので、一日を一月と写し間違えたのだろうという説が出るのはもっともである。

 ただし、一月でよい――という説もある。
 出雲(いずも)を経由して日本海がわを通って若狭湾に上陸して大和へ向かう経路――この経路も有望である――を、休み休み歩いたとして、それを大げさに書いたのだろう――という推理である。

 この件についてのもうひとつの意見は、水上十日と陸上一月とは伊都国からの日数ではないか、そして水上を行けば十日で陸上を行けば一月かかるという意味ではないか――というもので、原文があいまいなため、いろいろな仮説が出されている。

 参考までに、「《邪馬台国》大和説」で考えられている二つの代表的な経路を、図S2に示しておいた。

↓↓↓↓↓↓↓↓

http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/HS2-4.htm

 瀬戸内を通る実線は、多くの大和説の論者が考えている経路であり、日本海側を通る破線は、笠井新也が大正時代に唱えた経路である。
 最近では、考古学の進展を踏まえて、破線を見直す人が多いらしい。

(* 古代においては、今は陸地になっている大阪湾の奥が巨大な汽水湖で、そこから大河が奈良盆地に連絡していたことは、神武東征の物語からも地質研究からも指摘されている。海外からの使者も、大和に到着してから船を降りたとされている)
 

万が一  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月 8日(水)10時32分27秒
  小泉氏が、紀子妃殿下の御懐妊をも無視して、今国会に『皇室典範』改正法案を上程、これを強行可決する様な事になれば、政界どころか、国論が二分し、将来、愛子内親王、某親王それぞれを天皇に立てる、第二、第三の南北朝と言う事態も起きないとは言えません。

典範改正派は、愛子天皇、そして、その御子様の女系天皇を奉ずるのでしょうが、男系支持派からすれば、その様な事は絶対に認められない。秋篠宮家に親王が御降誕すればそちらの親王を、縦(よ)しんば、内親王であったとしても、今度は旧宮家の男子を奉じて天皇に立てる事でしょう。それが、一体どう言う事なのか? 小泉氏は分かっているのか? 「安定的な皇位継承」等と嘯(うそぶ)き乍(なが)ら、実際には国家の混乱と皇室の弱体・廃絶に拍車が掛かるのは必定(ひつじょう)。それこそ、「天皇制」廃止勢力の思う壺です。

「典範改正は陛下の御意思」等と神懸(かみが)かった事を口にした小泉氏は、政権末期にあって意固地(いこじ)になっているのでしょうが、事は「国体」に関わる一大事。意地を通すのであれば、本能寺での信長同様、討(う)たねば(失脚させねば)ならないでしょう。
 

 投稿者:大神 正念  投稿日: 2月 8日(水)00時34分1秒
  >後世に至る迄、「朝敵」の称号を甘受する事となるでしょう。

御意(ぎょい)
「万世(ばんせい)一系」。実際に、世界が日本を尊敬している根拠がそこにあります。
世界が平伏(ひれふ)す「万世一系」。それを軽んじるならば、日本はもはや日本では無くなるところでした。
一度これが施行されたら、二度と取り返しの付かない事になるのですね。
恐ろしくてめまいがします。

小泉さん、今回ばかりは、貴方(あなた)の感性は間違っている。
これを押し通せば貴方は、単なる国賊として、後世の笑い者になるでしょう。
 

朝敵  投稿者:無識者  投稿日: 2月 8日(水)00時16分34秒
  今国会で典範改正法案出す意向だそうです。
衆議院3/2通れば成立だから現在の国会勢力では成立の可能性大・・・・・
傍系皇族に男の子が産まれても事実上継承権は無くなるわけで・・・・
秋篠宮に男児が生まれても長子優先の女系認められたら私は天皇制支持辞めます・・・・

『<皇室典範>小泉首相、改めて今国会への改正案提出を強調』(Yahoo!ニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060207-00000120-mai-pol

<皇室典範>小泉首相、改めて今国会への改正案提出を強調

 小泉純一郎首相は7日夕、紀子さまの懐妊の皇室典範改正論議への影響について「正式な報告がないのに言える立場でない」としながらも今国会で典範改正案の成立を目指す考えを改めて示した。記者団の「今国会に提出し成立を目指すか」との質問に「そりゃそうですね」と答えた。

 一方、安倍晋三官房長官は同日夜、宮内庁の発表を受けて「今後、(自民)党の議論も踏まえて検討していきたい。今回の慶事も併せて議論があると思う」と語った。

 これに先立ち、首相は衆院予算委員会で「法案を出して慎重に審議していただければ、今国会で十分、大方の賛同を得られる状況になっていくと思っている」と強調した。【野口武則】

(毎日新聞) - 2月8日1時19分更新

 

皇室典範改正への危惧  投稿者:解法者  投稿日: 2月 7日(火)23時51分56秒
   秋篠宮紀子妃殿下御懐妊 真に喜ばしいが、親王誕生とまいらなかった場合の「皇室典範改正」へ急激に傾斜していくことを危惧している。

 ともあれ、御懐妊の可能性があるのに、小ざかしい者どもが、男子承継への道を閉さんとしたことは<永久>に忘れてはならない!
 

RE:奉祝・秋篠宮紀子妃殿下御懐妊  投稿者:KABAREN  投稿日: 2月 7日(火)22時24分55秒
  心からお祝い申し上げます。
しかしながら、小泉首相は今国会への法案提出を名言してますね。
これ以上ない皇室からの意思表示を国民も理解しなければ、法案成立という悪夢が始まる可能性も残ります。
それにしても、宮内庁の記者会見が9時からあったとのことですが、NHKはニュースの時間中なのに生中継しないんですね。
ホリエモン逮捕のときはどうでもいいのに各局がこぞって緊急生放送したのに。
街頭インタビューも、政治的発言は意図的に編集したのではないでしょうか。

偶然ですが、うちも秋篠宮ご夫妻と同年齢で、第2子ですが6週目です。
長女は愛子様と同い年。同い年というだけで何となく幸せな気持ちになれる…
皇室って素晴らしいですね。
 

奉祝・秋篠宮紀子妃殿下御懐妊  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月 7日(火)20時19分23秒
  謹んでお慶び申し上げます。

・・・これで小泉氏の野望が潰(つい)えたも同然ですね。
御出産は今秋との事ですが、それを待たずして、ましてや親王御降誕の可能性もある中、強引に『皇室典範』改正を進めようとするのであれば、小泉氏を支持してきた国民とて疑念を抱くでしょうし、後世に至る迄、「朝敵」の称号を甘受する事となるでしょう。
 

RE:祝・紀子妃殿下ご懐妊  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 7日(火)17時09分44秒
  日テレだけが昼間から大々的に放送。他は沈黙だったので疑問に思っていましたが、夕方になって確認。
心よりお祝い申し上げます。
 

RE:祝・紀子妃殿下ご懐妊  投稿者:久保田泰啓  投稿日: 2月 7日(火)15時17分18秒
  秋篠宮殿下・・・人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく

秋篠宮妃紀子殿下・・・飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる


『歌会始(うたかいはじめ)の儀で秋篠宮ご夫妻がコウノトリの歌を披露』
http://www.city.toyooka.lg.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=stoc20000&WIT_oid=icityv2::Contents::1871


そういえば・・・今年の『歌会始の儀』にて両殿下はそのことを暗示されてましたね、コウノトリがやってきた、ヤァ!ヤァ!ヤァ!と。


『九州石油株式会社 | コウノトリ物語』
http://www.kyushuoil.co.jp/kids/kounotori/01.html
 

祝・紀子妃殿下ご懐妊  投稿者:岩谷文太  投稿日: 2月 7日(火)14時28分14秒
  ■紀子さま第3子懐妊 宮内庁(北海道新聞 02/07 14:20)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060207&j=0022&k=200602073007

『宮内庁によると、秋篠宮妃紀子さまが7日までに、第3子を懐妊された。』


■紀子さまご懐妊(共同通信 02/07 14:30)
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2006020701001644_National.html

『秋篠宮妃紀子さまが懐妊されたことが七日、分かった。宮内庁関係者によると、経過は順調とみられる。秋篠宮ご夫妻にとっては、一九九一年十月に誕生した長女眞子(まこ)さま、九四年十二月誕生の二女佳子(かこ)さまに続くお子さまとなる。男子誕生ならば、皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに続く第三位。天皇、皇后両陛下にとって四人目の孫となる。』

おめでとうございます。
是非とも男子であって欲しいものです。
 

おしえてください  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 7日(火)13時39分27秒
  男系・女系という言葉が最近よく使われていますが、これは昔の古代史の本に出てくる言葉でしょうか?
わたしは見たことが無いのです。
父系・母系なら見ましたが・・・。
 

『卑弥呼と日本書紀』46  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 7日(火)12時15分13秒
  [承前]

◆◆◆ 《邪馬台国》の謎に直面 ◆◆◆

 こうして遂に、女王のいる《邪馬台国》が出てきたことになるのだが、その方位と距離が問題なのだ。
 不弥国の位置もはっきりせず、投馬国の場所もまた謎であるが、もし『魏志倭人伝』の方位と距離をそのまま信じれば、投馬国も《邪馬台国》も九州の南の海中になってしまう。
 そこで、じつにさまざまな解釈が出され、議論が百出し、決着がつかないのである。

 記述をそのままいまの地図にあてはめると、《邪馬台国》は外国になってしまいかねず、ある学者のようにインドネシアにある――という説まで飛び出してしまう。
 そこで、「九州説」では、距離の解釈を工夫して九州内にあるとするし、「大和説」では方位を変更(*)しさらに距離も一部変更するのである。

 この問題については、あとで詳述するので、ここでは二、三の修正意見のみ記しておく。
 そのひとつは、投馬国から《邪馬台国》まで行くのに水上十日に加えて陸上を一月かかるというのは、たとえ「大和説」であってもあまりにも長すぎるので、一月は一日の書き間違え(写し間違え)だろうという意見である。

 投馬国は読みの推測(トウマまたはツマまたはズマ)から、「大和説」では出雲か但馬ではないか――と考えられている。
 地理や大きさから出雲のほうが有力だが、出雲説における読みの類似については、

   出雲=イズモ→ズモ→ズマ(ツマ)=投馬
(出雲=IZUMO(**)→ZUMO→ZUMA(TUMA)=投馬)

 ――であろうと推理されている。
 投にはツやズという音があるのだ。
 さいきん出雲や但馬のあたりに巨大な集落遺跡が見つかっているので、この説は考古学的調査と矛盾しないのだが、もしそうだとすると、そこから《邪馬台国》までが地理にあわない。
 出雲から海を十日行き、さらに同じ方角に地面の上を一月も歩いたら、山形方面まで行ってしまうだろう。

(* 『記紀』と名称が合致する末廬→伊都→奴の経路は、『魏志倭人伝』では南東と書かれているが実際は北東である。つまりほぼ90度違って記述されている。だから、『魏志倭人伝』の方位は、全体として90度違うのではないか――との指摘がある。→この問題は後に詳しく述べる)


(** 出雲を古代でもIZUMOと発音していたかどうかは疑問だが、そう仮定しての話)

(注2:『魏志倭人伝』の経路は、大部分が船便を連想する。道路が整備されておらず乗り物も無かった古代においては、陸地の旅は能率が悪く危険もあった。その点船便は圧倒的に効率的だったろうし、海岸沿いなら海難も少ない。したがって陸行は船ではどうしても行けない経路のみだったろう――と推理できる。こういう事からも「不弥国=津屋崎説」は有力視される)
 

「世界に好影響の国」世論調査  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月 6日(月)19時48分5秒
  ネットのニュース配信で、もうご存じの方もおられる事と思いますが、「世界に好影響の国」世論調査で、日本が1位になったそうです。

「世界に好影響の国」世論調査  日本1位、最悪イラン  33カ国集計

【ワシントン3日共同】 世界に最も「良い影響」を与えている国は日本──。米メリーランド大が世界の約4万人を対象に実施した英BBC放送との共同世論調査で、こんな結果が出た。同大が3日発表した。逆に最も悪影響を与えている国は、核問題が国際社会の反発を招いているイランで、次いで米国だった。

 調査は昨年10〜12月に米州、欧州、中東、アフリカ、アジア各地域の33カ国で行われた。質問の対象となったのは日本、米国、中国、ロシア、フランス、英国、インド、イランの8カ国と欧州。

 調査結果によると、日本が世界に「好影響」を与えているとの回答は、33カ国中31カ国で「悪影響」を上回り、平均すると好影響が55%、悪影響が18%だった。具体的に何が判断材料となったかについては触れられていない。

 日本との関係が悪化する中国では16%対71%、韓国では44%対54%で、いずれも日本が悪影響を与えているとの回答が好影響との回答を上回った。

 半面、好影響との回答が多かったのはインドネシア(85%)やフィリピン(79%)。米国では66%が好影響と答えた。

 一方イランに対しては、悪影響との答えが33カ国中24カ国で好影響を上回った。昨年ワースト1だった米国は、昨年と同じく20カ国で悪影響が多数派。中国は20カ国で好影響が多数だったが、平均すると9ポイント下落した。

2006年2月5日付『山梨日日新聞』記事より


・・・33ヶ国中、「悪影響」が多数派だったのは、支那と韓国のたった2ヶ国だけ。ともすれば、「アジア諸国は云々」と日本の戦争責任や歴史観でアジア諸国の「民意」を代弁しているかの如く主張する両国ですが、この結果から見れば、支那・韓国だけが「浮いた」形です。

支那については、今後益々軍拡を進め、日本や東南アジア、インドと言った周辺諸国に対する脅威が増せば、下落幅は9ポイントどころで済む筈が無く、「悪影響」との声が増加するのは必至でしょう。

それにしても、調査対象から漏れている韓国を加えたら、韓国に対して世界はどんな評価を下すでしょうね? 我が国に対する評価もさる事乍(なが)ら、非常に気になる所です(笑)

 

植民地時代に教育水準向上  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月 6日(月)19時19分52秒
  2月5日付の『山梨日日新聞』の紙面から転載します。

植民地時代に教育水準向上 麻生氏、台湾に触れ

 麻生太郎外相は4日午後、福岡市で講演し、日本が植民地支配下の台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるがゆえに、今の時代に追いつけている」と述べた。日本と関係の深い地域として台湾に言及する中での発言。

 麻生氏は「これは台湾の偉い方から教えてもらった話で、年配者は全員知っていた。われわれの先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直その時思った」と述べた。

2006年2月5日付『山梨日日新聞』記事より


 この麻生発言のポイントは、第一に台湾を「国」と明確に指摘している事。今尚、「台湾は中国の一地方」等と言う支那の世迷い言に迎合する国会議員がいる中、台湾を「国」=独立主権国家として認識、然も、日本の現職の外相が公の場で発言した事は非常に重みがあります。それに引き替え、山崎拓、加藤紘一、そして、野中広務と言った御仁達と来たら・・・彼らに爪の垢(あか)でも煎(せん)じて飲ませてやりたい程、麻生外相の「歴史観」はまともですし、本来、日本の外相は斯(か)くあるべき、と言えます。

 そして、第二に、日本統治時代の台湾について、極めて公正且つ率直な見解を表明している事。清国から日本への割譲以来、終戦迄の間、日本が推進してきた台湾の近代化については、実際にその時代を経験された老世代から見れば、至極当然の話である訳ですが、今迄、ややもすれば、「植民地支配」から来るある種の「後ろめたさ」や、台湾を固有の領土と主張して止まない支那に対する遠慮から、この様な発言は在野の人間はしても、閣僚、然(しか)も外交の責任者である外相は忌避してきました。その禁忌を破って、今回、麻生氏が正論を述べた点は前述のポイントと合わせて、高く評価すべきです。

 麻生外相も「ポスト小泉」の一人に名を連ねている訳ですが、後継首相に誰が就こうと、正しい台湾観(及び支那観・韓国観)を持った上で、アジア外交を展開してもらいたい、と強く願いますね。

 

『卑弥呼と日本書紀』45  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 6日(月)12時08分52秒
  ■■■■■ 三・二 議論百出の奴国から先 ■■■■■


◆◆◆ 不弥国〜投馬国〜《邪馬台国》 ◆◆◆

 議論百出の奴国から先について、とりあえず、順に記してみる。
 奴国から東へ百里行くと不弥(ふみ/ふび)国があり、人家は千余で官は多模(たも)、副官は卑奴母離(ひなもり)である。
 不弥国の位置は、九州内部か関門を渡ったところか決定打はないようだが、小規模な国だし百里というのはたかだか数十キロだから、この距離を信じれば、いずれにせよ奴国のすぐ近くが想定される。

 一説によると、発音から宇美町あたりではないか――とされる。宇美は図3・1の奴国の楕円の右端あたりである。そのほか南東の太宰府、北東の津屋崎などいろいろな説がある。
 津屋崎は玄界灘(なだ)に面した小さな岬(みさき)で、図3・1の地図の楕円の北端小円部だが、そのすぐそばに福間(ふくま)という土地があることが根拠のひとつである。
 津屋はいまではあまり有名ではないが、かつては北前船(きたまえぶね)で賑わった土地である。

 帯方郡からこの不弥国までは、どれだけ離れているかはすべて「里」を単位にした距離で記されている。
 つまり――正確かどうかは別にして――まともな書き方がなされている。
 ところが不弥国から先は、距離ではなく、「日数」によってその離れ方が表現されるようになる。
 そのため、『魏志倭人伝』の編者に資料を提供した人物は、北九州までは来たが、その先には行っておらず、日本人から聞いた知識によって推理したのだろう――という説が多くある。
 ともかく続けてみよう。

 不弥国から南へ水上を二十日行くと投馬(とうま/つま/づま)国がある。官を彌彌(みみ/びび)、副官を彌彌那利(みみなり)といい、五万もの人家がある。
 この数がほんとうだとすると、弥生時代としてはずいぶん大きな国である。

 さらにそこから南にすすむと、問題の《邪馬台国》*に達する。
 この国は女王が都をつくっているところで、水上十日陸上一月がかかる――と記されている。
 官は伊支馬(いきま)が長で、その下に彌馬升(みましょう)、彌馬獲支(みまかくき)、奴佳鞮(なかてい)などがおり、人家は七万である。

(*《邪馬台国》は最重要なので、《 》でくくります)
 

中華圏の人々  投稿者:粕谷真人  投稿日: 2月 6日(月)02時32分5秒
  黄教授チーム、患者対応型ES細胞の国際特許を出願
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=062006020401000

どうやら、中華圏の人々は主張を大声ではいあげれば通用すると思っているらしい。まあ、このようなことを続ければだえにも相手にされなくなるのだが・・・
最近、インターネット中国と朝鮮関係の内容を見ていると、中華文明圏は中国人とその劣化コピーの朝鮮人で構成されるとわかる。

彼らと付き合ったことがある人は、どの国の人間もきらっているようで、ここに掲載されている、「中国人は最初から相手にされない。というより、中国人にまともな研究など不可能だと思ってる人間が多い。」にはうなずく。

国際学会での韓国人研究員達
http://snow.kakiko.com/korea02/e_select/e0167.html
 

■“万力”で押しつぶされた世界の中産階級  投稿者:アンナプルナ  投稿日: 2月 5日(日)21時11分57秒
  アメリカや日本が、民主国家として徐々に弱体化し、逆にロシアや中国やインド等が、「テロとの戦争」の大儀の中でドンドン発展拡大してきている。国際金融寡頭勢力にとって、資本主義対共産主義の2極対立構造より、いまや全世界を相手にした「テロとの戦争」の方が、世界の中産階級をペンチではさむように上下から圧力をかけ弱体化させることになり、より効率的なシステムだと発見したようである。まあ、そんなわけで、ここで G ・アレン+L・エブラハム著の「インサイダー」から引用する。



(引用開始)

「これらのエリート計画者は彼らが“世界ゲーム”と呼んでいるものを訓練している。その一例は次のようなものである。すなわち、A国には住民が多すぎて、B国には住民が不足している。いかにして住民をA国からB国へと移動させることができるか。また他の例は、C国に反乱がある。その反乱をとめるため『平和』部隊をそこに送るにはどれだけの時間を要するか、というものである。



ここでは全世界的なコントロールが細部にわたって訓練される。これこそフォード、カーネギー、ロックフェラー諸財団というインサイダーたちがやっている方法である。このようなわけで、世界政府ができあがる際に偶然を信用するわけにはいかないのである。このゲームの本当の名称はジョージ・オーウェルの『1984年』である。彼らの“人道的な”ユートピアにおける絶対的なコントロールを保障するためには、人口数は、強制的不妊化ないし断種、その他の処理によって組織的に減らされるだろう。これらの計画の実現には、各国の大合同がなされるまえにまず、地域的警察の排除と市民の非武装化によって、各国の内部的コントロールが中央化される必要がある。(中略)



われわれがそこに見出すものは、『上からの圧力と下からの圧力』という共産主義的戦術である。共産主義者の歴史家ジャン・コザックは、チェコスロバキアを制圧するために利用した図式としてこれを描いている。上からの圧力はインサイダーたちによってつくられ、下からの圧力は路上の過激な暴徒によってつくられる。両者は一緒に働いて、中産階級を締め付ける巨大な“ペンチ”を形づくっている。過激なデモは、万人の生命と財産を全面的にコントロールしようとする無制約な政府をつくり出す。そしてこのデモは、このような政府をつくろうとしている少数のエリート陰謀家によって操られている。



アメリカの中産階級は、“万力”で押しつぶされて死なんとしている。下からの圧力については、『民主主義社会のための学生』(CFR“外交問題評議会”に近い組織)、ブラック・パンサー、イッピーズ、青年社会主義者同盟がその責任を持っている。これらの集団は、もしアメリカを『変え』なければ、われわれはアメリカを失うだろうと喧伝している。ひんぱんに聞こえてくるこの『変える』というひとつの言葉で、これらの集団は社会主義のことを言おうとしているのである。



これらの集団の全会員は、エスタブリッシュメントに対して戦うという確信を持っている。しかし実際のところ、彼らはエスタブリッシュメントの不可欠な同盟者なのである。これらの過激派は、素朴にも社会主義は人民を考慮に入れていると信じている。しかし、いっさいの財産や福祉は、少数のインサイダー集団によってコントロールされるのが事実である。このようなわけで、刑事上の訴追を受けたり拘留されずに、これらの小レーニンや小トロッキーたちはいろいろと行動できるのである。(中略)



彼ら過激派の大半は、貧困と戦うおもだった財団、もしくは政府から広範な援助を受けているのである。インサイダーたちは、これらの集団の社会主義に対する要求を支持している。過激派は、その活動を通して、つまりもともと打倒しようと思っているものに奉仕しているわけである。『マルクスの後継者は片足を銀行の中に、他の片足を社会主義運動の中に突っ込んでいる』というバクーニンの訴えを思い出してみよう。(中略)



社会主義が抑圧された大衆の運動ではなく、エリート集団の権力追及に起源していることを、これ以上立派に証明することはできないであろう。その腕はこのゲームにおいて単なる形式にすぎない。世論形成者たちが『提携』のスポンサーを隠しているので、世論がこのことに何も気がついていないのは至極もっともなことであるから、エスタブリッシュメントのゲームが社会主義であることを知っている人だけが、眼前に展開されるものの真実の意味を知るのである]

====

(貼り付け終了)





つまり私たちには、あまりにも世の中で起きる出来事を、偶然というか、表面的に捉えてしまう習性がついてしまっている。表面的には人類愛に満ちた平和主義を装いながら、この地球上の現実世界に於いては、効率主義を中心にすえた欲望と拝金主義で、意図的にコントロールされているのである。



パレスチナ紛争の拡大がイスラエルにプラスにならないと気づいた前首相シャロンが、何故かタイミングよくこの世を去り、頑固に唱え続けるブッシュの「中東民主化戦略」によって、テロ組織のハマスが予想通り圧勝する流れとなる「カラクリ」の裏には、果たして、いったい何が隠されているのだろうか。

『偽装国家、日本の行き着く果て?』(「千葉邦雄のニュースの落とし穴」より)
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/060205.htm

 

聖旨  投稿者:今上 胡錦濤大帝  投稿日: 2月 5日(日)17時27分35秒 Remote Host: proxy.tnrc.edu.tw, Time: 1139128055
  (本投稿は、大日本天皇陛下を侮辱する内容に付き、管理者権限に於いて削除)  

『卑弥呼と日本書紀』44  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 5日(日)12時32分35秒
  [承前]

◎北九州地図での確認

 この三国のおおまかな位置を、図3・1に示しておいた。

↓↓↓↓↓↓↓↓

http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H23-34.htm

 奴国の中心は楕円の中心ではなく楕円の上部(北)の方だったかもしれない。
 参考までに、金印出土地と吉野ヶ里遺跡の場所も図示しておいた。
 このあたりにはさまざまな遺跡や古い地名があり、弥生時代から重要な地域だったことが推理できる。
 三国のうち、奴国の中心位置については、多少の異論もあるようだが、末廬国や伊都国のありかについては、異論はほとんど無いようである。
 このあたりは日本から見て半島や大陸に渡る拠点であり、同時に防衛の拠点でもあり、とくに伊都国は重要な場所だったらしい。

*****

 さてここまでは、『魏志倭人伝』の記録と日本側の『記紀』や古い地名などさまざまな史料とがほぼ一致するのだが、ここから先の多くの国の所在が急に分からなくなり、

「《邪馬台国》九州説」
 と
「《邪馬台国》大和説」

 との間で論戦がなされることになるのである。
 

ハルノート  投稿者:風太  投稿日: 2月 5日(日)12時05分2秒
  http://homepage3.nifty.com/yoshihito/haru.htm
ハル、ノート(対日外交覚え書き)

ルーズベルト政権内部の対日強硬派であった財務長官のヘンリー・モーゲンソーは、自分が作成した対外政策に関する書類を、昭和十六年十一月十八日に、ルーズベルト宛に送り、その写しを国務長官のコーデル・ハルにも送りました。それには「日本との緊張を除去し、ドイツの敗戦を確実にする問題の処理方法」という長い名前がついていました。
実はこの書類の原案は彼の部下である財務次官ハリー・ホワイトが、この年の五月に起草したものでした。
十一月二十六日になって国務長官ハルと彼の部下達が、この日の午前から午後にかけてこの書類の対日外交政策を検討した結果、作成されたのが「合衆国および日本国間の協定のための基礎概要」という十ヶ条からなる新提案で、別名をハル・ノート(ハルの対日覚え書き)と呼ばれました。

注:)
ホワイトは戦後にソ連のスパイであったことが発覚して自殺しましたが、国際共産主義勢力の一員として、当時ドイツと戦争をしていたソ連にとって、日ソ開戦の危険を回避することが必要でした。その為に日本と米国との間で戦争が起こることを計画し、その為には日本が到底受諾できないような条件を作成して、日米開戦に導く努力をしたのは当然のことでした。
 

『卑弥呼と日本書紀』43  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 4日(土)12時53分32秒
  [承前]

 すなわち末廬(まつろ)国は『古事記(ふることふみ)』でいう末羅(まつら)、『日本書紀(やまとのふみ)』にある松浦県(まつらのあがた)で、現在の東松浦半島やその付け根の唐津のあたりである。
『日本書紀』には〈神功(じんぐう)皇后〉が神意をたずねた場所として出てくる。
 松浦の読みは一般にはマツウラであるが、現在でもマツラと読む人名や地名がたくさんある。
 隣接する唐津(からつ)港は、加羅津でもあり、朝鮮半島の加羅の国と連絡する港という意味をもつとされているから、もともと朝鮮半島と関係の深い土地柄である。

 伊都(いと)国は今の糸島半島のあたりとされ、『日本書紀』にも〈神功皇后〉が臨月を石で抑(おさ)えた事績のところで伊都県(いとのあがた)として出てくる。
 伊都(いと)と名づけたのは仲哀天皇ということになっている。

 そして奴(な)国は那珂川(なかがわ)のある博多湾の周辺のようで、『日本書紀』の宣化天皇紀では博多湾のことを「那津(なのつ)」としているし、仲哀天皇紀ではこのあたり一帯を「儺県(なのあがた)」と記している。また那珂川を「儺河(なのかわ)」とも記している。
 さらに名島という島もある。
 奴国の読みは、ナコクではなくヌコクかもしれないし、その中間かもしれない。
 千八百年も前のシナや日本の発音が正確に分かる筈はなく、本書にしめすもろもろの読みは、比較的賛同者の多い推定にすぎない。
 この奴国は、西暦五七年に金印を贈られた倭奴国の後継なのであろう。金印の発見位置も、この奴国の内部である。

 つまり、酷似した地名(および職名)が『記紀』にあるし、現存もしている。
 

Re:天皇の靖国参拝 石原都知事が支持  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 4日(土)12時48分55秒
  石原都知事は、何年か前に天皇陛下の靖国神社参拝を強く希望する旨の発言をしていましたね。  

天皇の靖国参拝 石原都知事が支持  投稿者:黄東洋hwangdongyang2002  投稿日: 2月 4日(土)10時57分52秒
  2006年2月4日 朝日新聞

天皇の靖国参拝 石原都知事が支持
東京都の石原慎太郎知事は3日の記者会見で、「靖国に天皇がお参りになれば、これは政治の問題ではない、文化の問題だと内外に示され、ぐちゃぐちゃ言っているやつらも口を閉じるだろう」と天皇に靖国参拝を要望する持論を主張した。麻生外相の発言が問題になっていることについては「おれの方がやや理路整然としている」と述べた。
女性・女系天皇問題についても「日本人の精神性とのかかわりから天皇の存在も意味合いを考える必要がある。その限りで女でも男でも結構だが、災害の時に災害服を着て出回っていらっしゃるより、宮中の拝殿で国のために祈っていただきたい」と述べ、靖国参拝も「その一つの普通の行動」と位置づけた。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ベタ記事なみの小ささ。
第37面、第3社會面に掲載。朝日新聞は、麻生發言に對しては社説まで用意して大騒ぎしたのに、石原知事が支持すると、扱いはこの小ささ。

『ユーラシア言語研究2』
http://6008.teacup.com/hwangdongyang2002/bbs

 

その内容を素直に信じてはいけない  投稿者:岩谷文太  投稿日: 2月 4日(土)08時30分49秒
  2ちゃんねるで見つけました。

------------------------------------
31 :名無的発言者 :2005/04/14(木) 11:20:21

南京大虐殺は実際にありました。以下の記録が残っています。

日本兵の戦闘力は非常に高く、とくに隊を束(たば)ねるトップクラスの将校ともなるともはや通常の戦闘では太刀(たち)打ちできない。将校クラスの日本兵は大振りな刃物を主な武器とし、「血矢亜時」と呼ばれる独特な剣技で襲ってくる。「血矢亜時」の威力はすさまじく、時には4,50人もの中国兵が一瞬のうちに切り倒されたという目撃記録もある。またその「血矢亜時」攻撃時、日本将校の体から稲妻のような光が放たれ中国兵が感電死した、紫色の光が出て何かの毒と思われるものに冒された(一種の毒ガス兵器と思われる)、夏の戦闘だったのに凍死した、などの報告もある。

またこれら日本の将校を何とか包囲し攻撃を集中して追い詰めると、いきなり激しい怒声を発した後体が光り輝き、目にも留まらぬ速さで竜巻のように暴れだした、同時に周囲が炎で焼き尽くされ、包囲していた一個大隊が消滅したとの記録もある。(これは旧日本軍が密かに開発していたと言われる核兵器と何か関係があると思われる)

このように日本軍の破壊力はすさまじく、時には一人の将校が1000人の中国兵を倒すこともあった。(これが悪名高い日本兵の1000人切りである)彼ら日本兵は中国兵を50人殺すごとに、指揮官から一言づつ拡声器で褒(ほ)めたたえられ、1000人を一度に殺すと今度は自ら誇らしげに「私こそが世界に並ぶもののない真の英雄だ」などと周囲10km四方に轟(とどろ)くほどの雄たけびを上げたという。この実話を元に作られたのが「むそを」シリーズと言われる人気ビデオゲームである。

        日本・その侵略の歴史/中国人民開放史第5巻(ISBN: 4834216861/民明書房)より



43 :名無的発言者 :2005/04/15(金) 14:07:39

南京大虐殺は実際にありました。以下の記録が残っています。

日本兵の強靭(きょうじん)な体力と重火器は桁外(けたはず)れに凄く、中隊長クラスの将校ともなるともはや通常の火器では太刀打ちできなかった。将校クラスの日本兵は艦載用の25mm対空機銃を腰だめに構えてフルオートで撃ち、下士官たちも零戦や紫電改の主翼に搭載されていたエリコン20mm機銃を腰だめに構えて12時間以上フルオートで撃ち続けた。

25mm対空機銃の威力はすさまじく、時には南京市郊外の4km先まで着弾したという目撃記録もある。またその「重機関銃」攻撃時、日本軍下士官の体から97式戦車の主砲に用いられていた57mm砲弾が自動的に連射されたり、上級将校の腹部からは戦艦大和の主砲弾であったはずの46cm砲弾が数m先の中国人に対して発射され、これらにより市内の至る場所で猛爆発が相次ぎ、多数の便衣兵が爆死などの報告もある。

またこれら日本の将校を何とか包囲し攻撃を集中して追い詰めると、いきなり激しい奇声を発した後、自動車のHIDライトの如く目が光り輝き、青白い光線を両眼から発した瞬間、光線の照射先にある物体を片っ端(ぱし)から焼き切っていった。この怪光線攻撃により、包囲していた共産党軍一個大隊が消滅したとの記録もある。(これは旧日本軍が密(ひそ)かに開発していたと言われるビーム光線兵器と何か関係があると思われる)

このように日本軍の火力はすさまじく、時には一人の将校が1万人の中国兵を倒すこともあった。(これが悪名高い日本兵の1万人焼き切りである)彼ら日本兵は中国兵を5千人殺すごとに、指揮官から一言づつ小型携帯無線器で褒めたたえられたという。この実話を元に作られたのが「medal of honor」シリーズと言われる人気PCゲームである。

              日本鬼子・その侵略の歴史/新華社通信(ISBN: 4756564219/労働書房)より

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/china/1112672754/-100+&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja

------------------

■民明書房図書館
http://yokohama.cool.ne.jp/nikutaijin/minmei.html

その内容を素直に信じてはいけない。
実か虚かを見抜けなければ民明書房を極めることはままならない。
 

Re: ふざけるな  投稿者:岩谷文太  投稿日: 2月 4日(土)07時04分39秒
  江戸にすむ人さん

>生き埋めシーンがあったが、本物でしょうか?
>そのようなフィルムは存在しますか??


現在のコンピューター処理技術では、1930年代のフイルム撮影のような映像を作ることは容易です。要するにオリジナルのフイルムの提示がない限り、本物とは見なす根拠とはなり得ません。更に科学的検査によってフイルムの製造年が1938年以前であること、日本又は日本と貿易関係にあった国で作られたものであることを立証する必要もあります。実際、この手の映像は大半が中国共産党が後の時代に作った偽物でしょう。

記録として米軍撮影や日本軍撮影の大戦時の映像は残っています。しかしながら、虐殺を行ないそれをわざわざ撮影すること、つまり戦闘行為以外の殺戮(さつりく)を撮影して、責任者が日本で処罰されるような証拠作りをわざわざやるでしょうか? 南京ばかり映像がどんどん出て来て、731部隊の映像がないというのも不自然です。アイリス・チャンの『レイプ・オブ南京』に掲載されている写真も、大半が偽物か合成写真であるとの反論も出ています。中国人は目的のためなら手段を選ばず、平気で捏造をするという良い例です。


2年程前に『南京の記念館で記録映画とおぼしきものが上映されていて、「そこに日本兵が登場し、日本語で話していたから本物だと思った」と、知合いから言われた』という人からの投稿がありましたが、その時もこの件に関しては書いたことがあります。

現在のカムコーダーの世代の人はピンと来ないかもしれませんが、映像音声同時収録の歴史はさほど古いものではありません。テレビなどで戦前の映像が放送される場合、音声は別に作られたものをかぶせています。当時は映像と音声の同時収録は殆(ほとん)どあり得なかった (*1) ので、フイルム記録は十中八九が映像のみです。また、1930-40年代には磁気テープ録音は実用化されておらず (*2)、光学フイルム録音方式 (*3)、原盤カッティング方式 (*4) 以外の音声録音技術は存在しません。うち原盤カッティング方式は収録時間が片面3分と非常に短く、更に持ち歩きが不可のため報道用録音には使われていません。

つまり、唯一可能な光学録音でも、1940年以前には持ち運び型音声同時収録撮影機は実用化されておらず、1940年以前に音声映像同時収録を日本軍がやっていたという可能性はゼロです。つまりその生き埋めシーンに、「兵隊が日本語で話していた」など、映像と同機する音声がついていた場合、間違い無く偽物です。

当時欧米の記者や宣教師などが現地にいたようですが、じゃあ彼等(かれら)が撮影した可能性はあるのか? 生き埋めに欧米のマスコミが立ち会い、撮影したなどということが起こる筈もありません。いずれにしても、音声があろうとなかろうと、資源・物資不足になりがちな最前線のそんな状況で、10分間に200人を殺害しレイプをしまくり、それを戦記として撮影する物資的・資源的・設備的・時間的・体力的ゆとりがある筈のないこと位、普通に想像力を働かせれただけでも分かるはずです。


日本と敵対していたアメリカが作ったハリウッド映画を生徒に見せて信じ込ませるとは、戦中アメリカと中国のプロパガンダを今やってるということです。また、本物か偽物か分からない記録フイルムが含まれていたとしたら、その信憑性の疑わしさも言及するのが公正中立というものでしょう。教師と言えども一個人の思想を、偏った情報のみを与え生徒に押し付けるのは、断じて許されるものではありません。

- o - o - o - o - o - o -

(*1)映像音声同時録音:1940年にオーリコン社 Bach Auricon(アメリカ ロサンゼルス)が シネボイス CineVoice を発売し、撮影機で録音する方式(シングルシステム)が登場する。南京事件は1938年のことであり、屋外で撮影機で映像音声同時録音する技術が実用化する以前。

■小型映画撮影史
http://i2da.hp.infoseek.co.jp/kogata/kogataeigacontent.html

(*2)磁気テープ:戦後、半世紀もの間、録音方式の主役となった磁気テープ記録は、第二次大戦中にナチスによって開発された技術。民間で実用化され始めたのは1950年代始め頃。

(*3)光学録音方式:フイルムに色の濃淡で音声を記録する方式。映画や音楽記録には1920年代から使用が始まっている。音声電流を光電管により光の強弱にかえ、スリットを通して感光する(主に波型状、横縞(よこじま)状、縦縞状)。主に映画劇場上映用の映像と音声同機技術として用いられた。原盤カッティング方式よりも磨耗が少ないため、磁気テープ登場以前は報道用などに主に光学再生が用いられた。

(*4)原盤カッティング方式:エジソンの発明した円筒式蓄音機(1877)を応用した、ベルリナー式円盤蓄音機(1887)の技術。ラッパ型集音器から取り込んだ音声を、リアルタイムで鑞を塗ったディスクに針で彫り込む録音方式。1925年以降はマイクロフォンの電気音声データを波形化し彫り込む方式に発達。光学録音よりも音質が良いため、磁気テープ以前の音楽録音ではこれが主流。


■レ・コード館 蓄音機
http://www.niikappu.jp/record/chikuonki.htm
 

ふざけるな  投稿者:江戸にすむ人  投稿日: 2月 3日(金)23時07分29秒
  生き埋めシーンがあったが、本物でしょうか?
そのようなフィルムは存在しますか??
 

RE:どう思う?  投稿者:通りすがりの愛国者  投稿日: 2月 3日(金)22時55分58秒
  これについては私も知りたい。
私の頭では、「また日本にタカリに来た」以外の想像ができません。。。
 

ニダ調査  投稿者:岩谷文太  投稿日: 2月 3日(金)17時43分55秒
  たまにはどうでもいい話題を。

■急速に拡大するドメイン市場-NIDA調査ではインターネット普及率71.9%
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1138803867/

『韓国に行ってみれば、以前、「朝凪(あさなぎ)のような土地」として知られていた韓国が、現在は決してそうではないということがわかります。 韓国は、ハイテク、マルチメディア、そして何よりインターネットの利用において、世界の発展の最先端を走っています。韓国では、インターネットがこれまでになく重要な役目を果たしています。典型的な韓国の家庭を見てみると、インターネットが日常生活と仕事生活のほとんどの部分を取り囲んでいるのがわかります。個人用パソコンと、あちこちで見られる俗に言う「PC房(バン)」は、特に若い世代の間で人気があります。主婦はスーパーマーケットへの注文をオンラインで送り、映画や連続ドラマを見る時間が無いときは、それらをウェブ経由でダウンロードしておきます。

 実際、NIDA(National Internet Development Agency of Korea)によると、韓国の全人口のうちの71.9%がインターネットを使用します。 ITU(国際電気通信連合)による別の統計では、1000人中610人がインターネットを使用し、これはアイスランド(675/1000)に次ぐ数値です。これらの結果は、韓国のドメイン市場にについてより詳しく調べる理由として十分です。 新規ドメイン登録数はどのくらいか? TLDの.krに対する評価は? gTLDの使用具合は? そして、これが最も重要なことですが、ドメインの再販や売買はどうなっているか? …。』
(2ちゃんねるの訳)


「ニダ調査」?


■Korean Domain Market Growing Rapidly (Sedo 1/31) (英国サイト)
https://www.sedo.co.uk/links/showhtml.php3?Id=1185&tracked=&partnerid=&language=e

By Jin-Hee Choi, Korean Country Manager for Sedo.com & Kenna Lee Edler, Key Account Manager for Sedo.com

『…In fact, according to the NIDA(National Internet Development Agency of Korea), 71,9% of Korea's total population use the Internet. Another statistic, reported by ITU (International Telecommunication Union), reveals that for every 1000 inhabitants, 610 people use the Internet, second only to Iceland (with 675/1000). … 』


ネタかと思ったら英語の原文に本当にあった。これは日本語で「韓国インターネット開発機構」「韓国インターネット振興院」と訳されています。これは旧KRNIC (韓国ネットワークインフォメーションセンター KoRea Network Information Center)」が2004年8月に「NIDA」という名前の政府機関になったものだそうですが、「ニダ」ですか。


この記事は韓国人によって書かれています。
「全人口」と言う事は、赤ちゃんから老人まで含むのですが、インターネットは世帯や会社で契約する場合も多い訳で、そもそも「全人口の79%」と言う根拠が良く分からんです。

インターネットアクセスのある世帯は、そこの乳幼児から年寄りまで含む家族が全員使ってることにし、インターネットアクセスのある老人ホームでも居住者が全員使ってることにし、インターネットアクセスのある会社は社員全員が使ってるという延べ人口にすれば、こういう数字になるでしょう。結果を出したいために手段を操作する、黄禹錫(ファン=ウソク)式ですね。とっても韓国らしい。 AP通信にも「急いで性急に結果を求めるのが韓国文化」と書かれてたっけ。
 

RE:ふざけるな  投稿者:AZUMA Goro  投稿日: 2月 3日(金)12時40分41秒
  許せません。教育を逸脱しています。
事実を匿名の父兄としてメールされては、あて先は、市の教育委員会、都道府県の教育委員会、文部省を併記して、内容は、その事実に加えて、知り合いに話したところ、知り合いの知り合いの右翼が知って、街宣車を出すと言っている。新聞社も嗅ぎ付けて調べているので、早めに対応をされては?
といった所でどうでしょう。
日を置いて、地元の新聞社に、右翼が動いて教育委員会が大騒ぎしているらしいとの情報を伝えます。問い合わせしてくれるでしょう。
姑息ではありますが、そのくらいしないとダメですね。
 

『卑弥呼と日本書紀』42  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 3日(金)11時43分46秒
  [承前]

◆◆◆ 末廬国〜伊都国〜奴国 ◆◆◆

 さて九州本島北端部に着いてみると、そこには末廬(まつろ)国があり、人家は四千余である。人々は魚や鮑(あわび)をとるのが得意である。
 ここから陸を東南に五百里すすむと、伊都(いと)国につく。
 官を爾支(にき)、副官を泄護觚(しまこ)および柄渠觚(ひここ)という。
 この官名の爾支は『記紀』にでてくる「根子」だろうといわれている。
 根子とはその土地の基礎をつくった――といった意味の尊称で、第七〜九代の天皇の御名に入っているし、後の天皇の名にも使われている。また各地の要人の名にもつけられている。
 人家は千余で、帯方郡から使者がきたときは、みなこの伊都国に駐留する――と記されている。
 重要な国だったことがわかる。

(以下官名の日本語との対応については諸説ありすぎるので説明は簡単にしておく)

 この伊都国のところに、国には国王がいてみな女王国に属している――という興味ぶかい文章があるが、属しているのが伊都国の歴代国王なのか、他の多くの国々もそうなのかが読みとれず、いろいろな意見がある。
 国王と官(役人)の関係もいまひとつはっきりしないが、王と行政官の長ということであろうか。また地方豪族の長と中央から派遣された監督官ということかもしれない。

 伊都国からさらに東南に百里すすむと、奴(な)国に達する。官の名は兕馬觚(しまこ)で、二万余の人家がある。
 副官を卑奴母離(ひなもり)という。

 九州本島についてからのこの三つの国がどこだったかについては、古い地名の発音との照合や『記紀』や『万葉集(まんにょうしゅう)』や考古学的知見によって、かなり明確になっている。
 

RE:ふざけるな  投稿者:竹下義朗  投稿日: 2月 2日(木)18時55分32秒
  >世界史の先生

そう言う先生には、
  1. 映画『プライド 運命の瞬間』と『ムルデカ』を見せる。
  2. 書籍『マオ』を読ませる。
  3. 広島と長崎の原爆資料館を拝観させる。
  4. 九州は知覧の特攻隊記念館を拝観させる。
  5. 靖国神社への参拝と、同敷地内の遊就館を拝観させる。
等のプログラムを課すべきです。

ああ、そうそう。
米国と支那への旅行もオススメします。
米国ならば、ニューヨークやロス等では無く、ナバホ族等、ネイティブ・アメリカンの居留地。支那ならば、チベットやウイグル等の「占領支配地域」。
それでも、「日本が悪かった」って言うのなら、「楽園」である北鮮への片道切符を手配して上げましょう。
 

ふざけるな  投稿者:江戸にすむ人  投稿日: 2月 2日(木)18時42分14秒
  今日世界史の授業中にハリウッド製作の日中戦争(黒白映像で字幕つき)
内容は中国という美しい国があった その隣には軍国主義の日本があり
攻め込んできたという内容だった。

日本軍が市民に対し無差別爆撃するシーン
したいが沢山転がっているシーン
白人兵士が中国人を助けるシーン
南京虐殺では 生き埋めにするシーンや
射殺される瞬間のシーンなど痛いシーンが沢山でした・・・・

見終わった後多くの人間は日本人は酷いなど口にし
世界史の先生が私は天皇を崇拝する君が代は歌わないといったら
一部の生徒が俺もその方向性で行こう
などといってました。

南京で生き埋め?
 

『卑弥呼と日本書紀』41  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 2日(木)12時07分10秒
  [承前]

◆◆◆ 朝鮮半島〜対馬〜壱岐 ◆◆◆

 帯方郡から海岸に沿って朝鮮半島を南下したり東に向かったりして七千里ほどゆくと、狗邪(くや)韓国につく。
 これはすでに倭国の一部であると読みとれる記述がなされている。
 それから千里ほど海を渡ると対馬国に達し、さらに海を千里渡ると一大国に達する。
 そこからさらに千里の海を渡ると、九州本島北端部に到達する。

 狗邪韓国というのは朝鮮半島南端部にあった弁韓に含まれる加羅と考えられている。
 ここは日本が六世紀まで権利を持ち日本人がたくさん住んでいた任那とほぼ同じ地域で、現在の韓国の地理でいうと慶尚南道(キョンサンナムド)金海(キメ)地方(鎮海湾北方)である。
 ひじょうに古い時代――三世紀前半――にすでに朝鮮南部が日本の勢力下にあって任那(みまな)の原型ができていたらしいことがわかる記述である(注1)。

 つぎの対馬国(対海国とした書もある)は日本の対馬であることが確実で、一大は一支の誤写ともいわれ壱岐であることが確実とされている。

 七千里とか千里とかいう距離の単位の「里」については、魏の時代の一里が四三五メートルなので、これで数えたという説が有力だが、他にもさまざまな議論があり確定していない。
 いずれにせよ現在の日本の「里」よりずっと短いが、こういう短い「里」で考えても、七千里とか千里といった数値は過大である。
 しかし三世紀に厳密な測定ができたとは考えられないし、過剰表現はシナ文書の通例でもある。

 対馬や壱岐の官(役人)は卑狗(ひく)、副官は卑奴母離(ひなもり)といい、人家は千余と三千ほどであり、人々は海産物を採り、米は船で買い入れて生活している――とある。
 とうじの人たちが九州から朝鮮南端まで、対馬と壱岐を経由して往来していたことについては、多くの史家が確かだとしており、これについて異論を述べる人はほとんどいない。

 官の名については、推定しかありえないが、卑狗は「・・・彦(ひこ)」を官吏名と解して記したものであり、卑奴母離は「夷守(ひなもり)」だろうという説がむかしからある(注2、3)。
「彦」は貴人の末尾につく尊称だが、本来的に首長という意味を含んでいるので、敬称としてそれのみで呼んでいたのかもしれない。
 夷守とは、辺境(鄙/ひな)を守護する役人のことで、『記紀』に出ている役職名である。
 この卑奴母離はあと二回でてくる。

(注1:ちなみに、『魏志倭人伝』のすぐ前は三韓の解説である『魏志韓伝』だが、そこにも「半島南端部は日本領」だと明記されている。反日韓国人のなかには、対馬は昔は韓国領だったという人がいるらしいが、『三国志』の『魏書』には、対馬どころか半島の南端までが日本領だと書いてあるのだ。半島の中央部に植民して居座(いすわ)っていた魏国の役人が言うのだから、間違いないだろう。こういう史料は、韓国の歴史家は無視するらしい)

(注2:彦(ひこ)は日子→貴い男性。日は太陽で、貴人の尊称の一種。これに対して姫(ひめ)は日女→貴い女性または太陽の妻。やはり太陽を意味する尊称といわれている。彦も姫も今の感覚とはまったく違う高貴な尊称であった)

(注3:卑奴母離=夷守(ひなもり)の「ひな」は都から遠い土地の意味で、今でも「ひなびていて素朴」とか「ひなには稀(まれ)な美人」といった使い方がある)
 

どう思う?  投稿者:大神 正念  投稿日: 2月 2日(木)01時25分48秒
  プーチンが、「四島を返そっかなぁ〜」
なんて事をほざいたらしいけど、この時期・・・今度はナニが目的だと思う?
何を企みだしたんだ?きゃつは。
 

『卑弥呼と日本書紀』40  投稿者:オロモルフ  投稿日: 2月 1日(水)11時52分33秒
  [承前]

◆◆◆ 金印発見で裏づけられた前文 ◆◆◆

 話の出発点は、いまの韓国のソウル付近一帯の帯方郡で、ここは当時は魏の国の植民地になっていて、シナ王朝が朝鮮半島近辺を統率する拠点だった。
 まず、

「倭人(日本人)はこの帯方郡の東南の大海に住んでいて、そこには国々があり、もと百余国だった。漢のとき(西暦一世紀半ば)に使者が来た。いま使者や通訳が来る国は三十ほどある」

 ――という前文があり、ついで帯方から九州本島の北端部までの行程――と思われる――記録とその土地と住民の様子や役人の名前などが記されている。
 漢のときの使者というのは、教科書にかならずといっていいほど出ている「金印」の発見によって裏づけられている。
 すなわち、江戸時代に博多湾の志賀島(しかのしま)から「漢委奴國王」と刻まれた金印(委は倭ともいわれる)が発見されたが、これは、シナの正史・後漢書倭伝にある、

「西暦五七年に後漢光武帝が都の洛陽にきた日本の使者に金印を授けた」

 ――という記事に対応したものだろう、といわれているのだ。
 金印にある「奴國」とは、いまの博多湾岸であることは――地名の研究から――多くの学者がみとめている。

 これが別のときの「金印」だったとしても、ひじょうに古い西暦紀元前の弥生時代半ばにすでに、日本の豪族たちがシナや朝鮮の役人や商人たちと、海を渡って活発に交流していたことは、確からしい。
 ということは、九州〜大和の交流はもっと盛んだったということを意味しているのだが、この「金印」のほかにも、西暦紀元前にシナ大陸で作られた鏡などが各地の遺跡や神社に残されているし、弥生青銅器の材料も多くは大陸産である。

『魏志倭人伝』にもどって、九州北端部についたあと、日本本土内に入ってからの個々の国についても、同様に行程や国の有様が記されている。
 行程とは、次ぎの国に行くのに、どちらの方角に何里とか何日とかいうもので、また有様は土地柄とか家の数とか風俗とか役人の名前とかである。
 ただし記述はごく短く単純であり、理解に苦しむことが多い。
 以下おおまかに説明する。
 


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