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>「神」のミは微・未・尾と書かれているし、「上」のミは美
藤堂明保【とうどうあきやす】氏の『学研大漢和字典』で甲類と乙類の古代シナ語音を檢證してみると、餘り違いはありません。
ə は曖昧母音で、e の180度廻轉した記號。
「み」甲類
美;mιuər(周秦漢)>m(b)ιui(隋唐)>muəi(宋元明)>məi(mĕi)(清以降) (藤堂漢和)1028頁
彌;miĕr>m(b)iĕ>mi>mi(mí) 433頁
民【みん】;miən>m(b)iĕn>miən>miən(mín) 701頁
諸早Gmιuər>m(b)ιui>muəi>məi(méi) 759頁
(→眉;mιuər>m(b)ιui>muəi>məi(méi) 893頁)
弭;miĕr>m(b)iĕ>mi>mi(mĭ) 434頁
寐;miuəd>m(b)iui>məi>mei(mèi) 365頁
瀰;mier>m(b)iĕ>mi>mi(mí) 781頁
・
三(和語「みつ」mitu>mitsu)
見(和語「みる」)
御(和語「み」)
水(和語「みづ」midu>midzu>「みず」mizu)
參(和語「まゐる」mawiru>「まいる」mairu)
視(和語「みる」)
乙類
微;mιuər>m(b)ιuəi>wəi>uəi(wēi) 449頁
(→薇;mιuər>m(b)ιuəi>wəi>uəi(wēi) 1136頁)
未;mιuəd>m(b)ιuəi>wəi>uəi(wèi) 624頁
(→味;mιuəd>m(b)ιuəi>wəi>uəi(wèi) 226頁)
(→妹;muəd>m(b)uəi>məi>məi(mèi) 327頁)
尾;mιuər>m(b)ιuəi>wəi>uəi(wĕi),i(yĭ) 382頁
所謂「甲類・乙類」の違いは、音素でなくて異音だったという説もあるようです。
「ゐゑを」については、ワ行ですから、「わ」wa と同樣、w で始まっていた音です。
「ゐゑを」は「爲wei 惠 hui 遠 yuan」の草書らしく、「いえお」は「以 yi 衣 yi 於 wu」の草書でしょう。
「ゐ」の音讀みは圓唇から平唇に移る wi,「ゑ」は we,「を」は wo でした。
「い」i,「え」e,「お」o との違いは最初に w があるかどうかでしょう。
假名の元になった漢字の現代北京音と比較してみます。
あ a ← 安 ān
わ wa ←和 huó, huò, hú, hé, hè (朝鮮語で hoa [hwa])
い i=yi ←以 yĭ (朝鮮語 'eui [щi],平唇で ui)
ゐ wi ←爲 wéi , wèi (朝鮮語で 'ui [wi],u [w]が圓唇で i が後半平唇)
う wu=u ←宇 yŭ (朝鮮語で 'u [u],「大宇」tai-'u [tεu]>Daewoo)
え e ←衣 yi (<隋唐 ・ιəi,現代朝鮮語 'eui [щi])
ゑ we ←惠 hui [huəi](日本語呉音「ゑ」we,漢音「くゑい」kwei)
お o ←於 (1) wū, (2) yū, yú (<隋唐代 (1) ・o,(2) ・ιo,現代朝鮮語 ’eo [Λ])
を wo ←遠 yuăn (<隋唐代 h^ιuΛn,現代朝鮮語で 'ueon [wΛn])
「圓【ゑん】」も朝鮮語では「遠」と同音で、慣用綴り won.
「温泉【をんせん】」は安土桃山時代の『日葡辞書』で Vonxen とあり、これは當時の日本語で[wen∫en]のような發音だったものでしょう。
今の北京語で「温泉」は wenquan,「温家寶」は Wen Jiabao ですから、北京語の wen (温)が日本語音「をん」won と同系なのは確かです。
日本語の「遺憾【ゐかん<ゐかむ】」と「遺言【ゆいごん】」を比較すると「遺」の音讀み「ゐ」wi と「ゆい」yui は、「うい」 ui と「いうい」 iui のように唇を丸める u を伴った發音だったとわかります。
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「倭」と「和」の古代音
「英和辭典」はシナでは「英日詞典」Yīng-Hàn Cídiăn.
「中日辭典」はシナでは「漢日詞典」Hàn-Rì Cídiăn になり、「漢和字典」との區別は
「日」と「和」、「詞」と「字」だけです。
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古代シナ語で「倭」は周秦漢代に ・uar,隋唐代は ・ua,「和」は周秦漢代に h^uar,隋唐代は h^ua だったようです。
(h^ は有聲音の h)
「倭」・uar と「和」h^uar に共通する音符(聲符)は「禾」h^uar.
「禾」
「粟の穗のしなやかに伸びた樣子、角が立たない」
呉音「ワ」wa,「クワ」kwa
h^uar (周秦漢)>h^ua (隋唐)>ho>hə (hé)
朝鮮語 hoa [hwa]
↑
同系
↓
「和」
「しなやかに垂れた低い粟(禾) 、角が立たない」+「口」→「やわらぎ」
呉音「ワ」wa,漢音「クワ」kwa,唐音「ヲ」wo
h^ar (周秦漢)>h^ua (隋唐)>ho>hə (hé,hè)
h^ar (周秦漢)>h^ua (隋唐)>ho>huə (huó,huò),hu (hú)
朝鮮語 hoa [hwa]
例;
「和尚」は周秦漢語で h^uar-dhiaŋ,隋唐語で h^ua-zjiaŋ,宋元明代は ho-∫ιaŋ,清朝以降は héshàng.
「和尚」と「和上」は日本語の呉音で「わじやう」wa-zjau.
「和尚」は朝鮮語で hoa-sang [hwasaŋ],
日本語の「をしやう」[wo∫(j)au]>「おしょう」[o∫o:]は唐音+漢音。
「委」
「曲がって垂れた稻(禾)」+「女」→「女性のなよなよした姿」→「しなやかに、力なく垂れる」→「身を委ねる、任せる、頼る」
呉音・漢音「ヰ」wi
・ιuar>・ιuĕ>uəi>uəi (wĕi, wēi)
朝鮮語 ’ui [wi]
例;「委員會」は日本語で「ゐゐんくわい」[wiwinkwai]>「いいんかい」[i:ŋkai],
北京語で wĕiyuánhuì,朝鮮語で ’ui-’ueon-hoi [wiwΛn(h)we].
「矮」
「短い矢(矢)」+「ぐんなりと曲がる(委)」→「曲がって低い物」、「丈の低い樣」
呉音「エ」e,漢音「アイ」ai,慣用音「ワイ」wai
・uăr>…>・ăi>iai…ai (ăi)
↑
同系
↓
「倭」
「女性のなよなよした姿(委)」+「人」→「しなやかで丈が低く背の曲がった小人」
(1)呉音・漢音「ワ」wa
・uar>・ua>uo>uə (wō) 朝鮮語 ’oai [wε]
(2)呉音・漢音「ヰ」wi
・ιuar>・ιuĕ>uəi>uəi (wēi)→「委」と同音で、今のシナ語では使われないらしい。
http://glin.jp/arc/arc.cgi?N=294
http://www.hosp.go.jp/~aono/newpage90.html
奈良時代に日本國内の舊國名を全て漢字二文字にする命令が出され、「泉【いづみ】」も「和泉」に、「紀【き】」も「紀伊【きい】」、「紀伊國【きのくに】」になったようです。「紀伊國屋」は「の」に對應する漢字がありません。「紀之國屋」、「紀乃國屋」とでも書くべき物。
奈良の「倭【やまと】」も「和」にした上で二文字にされ、「大和」になったのでしょう。
「和」はシナ語 huo>朝鮮語 hwa >日本語 wa, wo という形で傳來したのでしょう。
今のシナ語では「和服」を héfú と言いますが、「和」hé は「倭」wō の代わりなので huófú の方が日本語音 wafuku に近いと言えます
「惠」は日本語音で「ゑ」we,「くゑい」kwei,シナ語で hwei の樣な發音ですが、朝鮮語では hye [he]になっており、古代シナ語は *hiei のような發音だったのでしょう。
例;「朴槿惠」pak keun-hye [pakkщne]>Park Keun-Hye
「恵比寿ビール(惠比壽麥酒)」は YEBISU BEER と書かれますが、「ゑ」we と ye を混同するのは中世からあったようです。
「上野【うへの】」を Uyeno と書く例がありますが、uΦeno>uweno という變遷ですから Uweno のはずです。
「上野【うはの】」は uΦano から uwano になっています。
「維【ゐ】」wi と「唯【ゆい】」yui の場合、北京語で wei ですが、朝鮮語で ’yu であり、古代シナ語では、三重母音 iui の近い音だった可能性があります。
『ユーラシア言語研究2』
http://6008.teacup.com/hwangdongyang2002/bbs
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