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喫茶室 過去ログ143(2011.4.1〜4.30)

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RE:卑弥呼後、狗奴国

 投稿者:歴史の観察者  投稿日:2011年 4月30日(土)16時26分51秒
  私は、昔(50年以上)より、邪馬台国の大和説をとる立場から、なら、倭人伝にある狗奴国はどこか?の疑問に、南と東の包囲感覚のズレから、ただ、ボンヤリとその考古学の勉強もなく・・大和の東(南)の伊賀・伊勢地方を考えていた。

そして、今から20年ほど前?、いや18年ほどかな・・奈良で、愛知県埋蔵文化センターの赤塚次郎氏の講座を聞いてより・・東海説・一宮・尾西・羽島にかわりました。
朝日遺跡に釣られたわけでなく、あくまで前方後方墳からだけです。
この説で、この掲示板で皆さんと論争する気持ちはありません・・狗奴国についてはほとんど勉強はしておりません・・。

ただ邪馬台国だけ述べて、狗奴国の位置ダンマリでは、無責任と思われる・・。
だが、心、ひそかには、皇室の? 神話の? この狗奴国に出があるのでは? 昔より妄想しておりましたから、赤塚説に乗ったのかもわかりません・・だが、この話は自信がないからやめます・・ただ、ぼんやりと狗奴国・東海説と思っていることを報告だけしときます。

護国さんと、解法者さんの邪馬台国論争・興味ももってROMしております。
立場としては、ほとんど解法者さん側ですが、それでも護国さん負けずと頑張れ!。

狗奴国論
http://higashinomiya.com/kuna/index.php?%B6%E9%C5%DB%B9%F1%CF%C0

八王子遺跡SK73
http://higashinomiya.com/index.php?%E5%85%AB%E7%8E%8B%E5%AD%90%E9%81%BA%E8%B7%A1SK73

初期ヤマト政権解明の糸口、中心部にライバル後方墳
天理・ノムギ古墳
http://www.minami3.com/iseki/03nie/030903nomugi.htm
 

憲法

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月30日(土)10時26分31秒
  遂に、日本史上最も暗いGWがやってきた。我が国の首相たるものは、禍を福と転じて「日本近海に眠るメタンハイドレート、海底熱水鉱床や人工石油研究等で、世界が再び注目する21世紀における「資源大国・日本」の可能性。」を現実の物とし、「地熱発電」などの技術を活用すべきだ。

さて、現在の日本は『日本国憲法』によって政治がおこなわれている。之が戦前ならば、陸軍省または参謀総長の命令――それがなかったら天皇陛下――によって軍隊が独自の救出劇を演じるのであるが、今回はそれが売国奴だったもので、えらいことになった。この売国奴は党議拘束によって議員立法を事実上禁止し、「議会制民主主義」を封じ込めたうえに、司法までをも操る、とんでもない独裁者である。

其れが『日本国憲法』によれば、閣僚の罷免権など自由自在、気に入らない閣僚がいれば辞めさせる、前原氏が辞任の意向を示すと、止めずに「売国プロジェクト」を発動。その矢先に今回の地震、なんという国だ、「日本国」は。

之が『大日本帝国憲法』であれば、中井治は軽い懲役刑で、菅首相は自衛隊(軍隊)の指揮権なし。閣僚も天皇陛下の許可なしに任命できない。というより、こんな売国奴を陛下は総理などにしない。だぁら、私は『大日本帝国憲法』の復活を解いているのだ。
 

谷垣も菅と一緒

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月30日(土)10時03分16秒
  原子力政策見直しは慎重に、自民・谷垣総裁
産経新聞3月31日(木)19時3分[.] 自民党の谷垣禎一総裁は31日午後の記者会見で、日本の原子力政策の見直しについて「諸外国みなが見直すと世界中のエネルギー需要の変更につながるので、視野を大きく取りながら組み立てないといけない」と述べ、慎重に検討すべきだとの見方を示した。

 谷垣氏は17日の記者会見で「原子力政策の推進は難しい状況になった。事故を速やかに総括・分析し、新しい対応を打ち出さないといけない」と指摘。原発推進の方針を見直す考えを表明していたが、慎重姿勢に後退した格好だ。

 原子力政策に関する党の新たな基本方針はエネルギー政策合同会議(甘利明委員長)で取りまとめる予定で、谷垣氏は「小手先の提言では済まないので、若干問題点を整理するには時間がかかるだろう」との見通しも示した。

[.]Copyright 2011 SANKEI DIGITAL INC.[.]

自由民主党は「原発廃止」までを主張しきれていない。これじゃあ、民主党と一緒。こういう人が旧与党の党首だったから、菅直人なんかに票が言ってしまった。谷垣氏も菅首相の売国プロジェクトに協力しているようなもの。

義援金、被災者に届かない…給付は1割未満
読売新聞4月30日(土)3時4分[.] 東日本大震災で寄せられた義援金の給付が進まない。岩手、宮城、福島の3県へ日本赤十字社などから送られた約580億円(第1次分)のうち、被災者の手元に届いたのは1割にも満たないことが、読売新聞の調べでわかった。

 事務を担当する市町村側で職員が足りなかったり、住民への通知や本人確認が出来なかったりし、足踏み状態が続いている。

 日赤や中央共同募金会など4団体と被災した15都道県による「義援金配分割合決定委員会」は今月8日、死亡・行方不明者1人当たり35万円、住宅の全壊・全焼は1戸当たり35万円、半壊・半焼は同18万円を各世帯に配ることを決めた。

 宮城県には計約238億円が配分されたが、実際に受け取った被災者は、ほとんどいない。全職員の7人に1人が死亡・行方不明となった同県南三陸町では、戸籍が流失するなどして受取人の確認が難しいことに加え、町外への避難も十分把握できないという。「事務量が多く義援金にまで手が回らない」と、町職員から悲鳴が上がっている。

 岩手県には約101億円が配分されたが、29日現在、申請を受け付けているのは、対象23市町村のうち宮古市など5市町村のみ。野田村が、県と村の独自分を上乗せして259人に計1億4,002万円を渡しただけで、他の自治体では支給はこれからだという。
[.]COPYRIGHT THE YOMIURI SHIMBUN

そういえば、東大の教授が菅直人の支離滅裂な対応に抗議して内閣参与を辞任したらしいな。できたら辞任する前に菅首相の方をやめ指すように説得してほしかったんだけど。
 

RE:卑弥呼後、狗奴国

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月30日(土)09時55分1秒
  すみません、私は狗奴(この)国についてはまだ触れていませんでしたので、誤解があるようです。

過去ログでちらっと触れましたが、私(日野)は狗奴国は香川県にあったと考えております。そういうと、「邪馬台(壹)国九州説と矛盾するではないか」といった批判も来るかもしれませんが、そうではありません。『魏志』では狗奴国について「南」としか書かれてありませんが、具体的な里程は魏や晋の文官は知らなかったということになります。一方の『後漢書』では「女王国の東千里」に狗奴国があるとされます。『後漢書』では長里なので、この位置はだいたい香川県あたりになります。

その後、瀬戸内海の覇権は吉備に移りますが、垣内(かいと)遺跡はその「讃岐――吉備」の構想の真相を解く手がかりになるでしょう。邪馬台国の勢力が本州にも広がっていたのは、「女王國の東、海を渡る、千余里、復た國有り、皆倭種。」(『魏志』)からわかります。

邪馬台国その後――筑紫君となった。竹下先生の言う九州王朝もその時代。
 

東電幹部の責任を糺す

 投稿者:竹下義朗  投稿日:2011年 4月28日(木)22時32分22秒
  <引用開始>
東京電力 報酬50%カット…社長「厳しい数字」と反論
毎日新聞 4月28日(木)21時42分配信

 東京電力が発表した常務以上の役員報酬半減について、海江田万里経済産業相は28日午前の記者会見で「まだ足りない」と述べ、一層の削減が必要との考えを示した。これに対し、東電の清水正孝社長は同日午後、東電本店で記者団に「50%カットは大変厳しい数字」と反論。ただ、今後の対応は「未定」とし、追加削減の可能性を否定しなかった。

 海江田氏は会見で「ヒラの取締役から社長、会長まで報酬に随分差があり、一律50%カットでは足りない」と指摘。「高額の報酬の方が、さらなるカットをするのは当然だ」として、特に会長、社長ら首脳陣に対し、削減幅をより大きくするよう求めた。東電は10年、21人の取締役に平均約3,400万円の役員報酬を支払っている。【永井大介】
<引用終了>

・・・何とも呆れてものも言えないとは、この事だ。
福島原発の事故現場で高濃度の放射能に晒され、命を張って作業している東電の下請け、孫請け会社の作業員=「平成の特攻隊」に比べれば、たかが役員報酬が半減した所で、痛くも痒くも無いだろう。3,400万円の50%でも1,700万円もあるのだから。この不況で年収が彼らの10分の1にも満たない者は世の中にわんさかといる。ましてや、東電の国有化や国費投入=税金投入も囁かれている以上、経営責任を取って年間役員報酬0円で奉仕しても良い位だ。

こう言う現場の苦労も分からん輩は、手厳しく糾弾せねばならない。高額の役員報酬は「楽して」得られるものでは無い。いざとなったら、経営者としての責任を一身に負わねばならないリスクを加味しての高額報酬である事を知らしめねばならない。
 

卑弥呼後、狗奴国

 投稿者:はる  投稿日:2011年 4月28日(木)13時50分25秒
  過去ログの読みが浅いかもしれませんが、もう少し、野次馬を…。

井沢元彦説では、邪馬台国と狗奴国との240年代後半に起きた争いの最中の248年に皆既日食が起こり、太陽を崇める邪馬台国軍は混乱の中敗退し、その責任を卑弥呼が負わされ殺されたとしている。
解法者さんが書かれている通り、その後の両国がどうなったかは分からないし、実際、戦闘の有無でさえ想像するしかない。が、卑弥呼の死後、大きな墳墓が作られたというから、邪馬台国には、まだそれだけの余裕は有ったということが分かる。つまりその時点で邪馬台国は少なくとも滅んではいない。それとも、東遷して箸墓に作ったか?護国さんの説では、紀元前に神武東遷が行われ、大和には分家?が有ったとするから、再東遷は容易いかも。卑弥呼死後、男王ではまとまらず、13歳の女王台与を立てたというが、その混乱は再東遷を物語るのか。
また、女王国の南に位置する狗奴国は、邪馬台国に軍事的に劣らないことも想像できる。男子の王がおり、その長官は“狗古智卑狗”、きくちひこと読めば熊本県菊池郡、かわちひこと読めば大阪の河内か。近畿では、和歌山県熊野辺りと言われるが、匹敵するような古墳・遺跡は有るのか?一方、九州では、熊本など南九州に該当。宮崎には北九州よりも大きな前方後円墳があるらしいから、十分な勢力と言えるかもしれない。何より、九州北部と南部はルーツをたどるDNA的にも違いが有り、対立していた理由が明らか。

>従って、邪馬台国(後の筑紫君)が自分たちの神社を宇佐に移したわけで、…(中略)…豊前に九州の権力が移ったと考える方が正解なのです。
筑紫君が宗廟を宇佐に移したならば、元の高良大社の場所(現在地と同じ?)が怪しいってこともあるかもしれません。
 

え?

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月28日(木)13時24分6秒
  >「邪馬台国」が歴史上から消えてしまったのは、やはり<滅亡>したと捕らえるのが常識的な考えではなかろうか。「邪馬台国」が「大和」に東遷したとしても本家が消え去ってしまうことは考えがたい。やはりその前の「倭国大乱」により「大和」に併合されて歴史上から消えてしまったと考えたい。なお「水野 祐」は「邪馬台国」は「狗奴国」により滅ぼされ、さらに「大和」により征服されたと考えている(前掲書 89頁)。<

私の「論争大歓迎」に偽りはありません。こういう論争をすると、名誉棄損も付き物で、かなり解法者氏にも批判されていますが、そのことには反省しているのですが、これは単なる質問です。

要するに、解法者氏は「邪馬台国」は滅亡したと?それなら、九州・大和を問わず、天皇家との関係が混乱してくる。(尚、「倭国大乱」を私は原文により「倭国の乱」と呼ぶ。それは「倭国大乱」と記した『後漢書』は信用できないからである[『古代からの伝言 日本建国編』八木荘二])

つまり、私が聞きたいのは何故「邪馬台国」と「大和」の関係を解法者氏はどうとらえているのか、解法者氏は「邪馬台国=大和」であったと記憶しているが、まさか「王朝交代」があったと主張しているわけではないでしょう。すると、結局「天皇家=邪馬台国」となるのか、否か、其れが聞きたい。

(尚、私は『古事記』などから、我が国では「出雲王朝」の際、即ち「天孫降臨」の時を除き王朝交代はなかったと考えている。こういうと、九州王朝説と矛盾するように聞こえるが、私は九州王朝も大和王朝も同じ天孫王朝であり、本来ならば筑紫王統大和王統などと呼ぶべきであろう)
 

邪馬台国(65)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月28日(木)13時00分33秒
   「大和」の西征を説く者に対する批判として、畿内の鉄の普及は九州に比べてかなり遅れており、しかも戦争となると鉄製の武器を持った方が有利となるので、「邪馬台国」の東遷は有り得てもその逆の「大和」の西征は有り得ないとされる(「弥生時代の戦い」橋口達也〔『考古学研究』42巻1号 古代学研究会 1995年〕)。
 また、「大和」の西征を説く者の根拠として畿内の「庄内式土器」の北部九州への伝播を言う者もいる(「『倭国乱』の社会・経済史的意義」吉田 晶〔『東アジアの古代文化』92号 大和書房 1997年〕、前沢輝政−前掲書)。これに対しては、土器の移動は婚姻によるものもあるので、一概に征服があったとは言えないとする(「二世紀の北部九州について」柳田康雄〔『東アジアの古代文化』92号 大和書房 1997年〕)。しかし、敵対する国同士で婚姻などあってもごく少数であり、これは反論になってない。
 「邪馬台国」が歴史上から消えてしまったのは、やはり<滅亡>したと捕らえるのが常識的な考えではなかろうか。「邪馬台国」が「大和」に東遷したとしても本家が消え去ってしまうことは考えがたい。やはりその前の「倭国大乱」により「大和」に併合されて歴史上から消えてしまったと考えたい。なお「水野 祐」は「邪馬台国」は「狗奴国」により滅ぼされ、さらに「大和」により征服されたと考えている(前掲書 89頁)。
 

邪馬台国(63)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月27日(水)13時12分49秒
   先に説明したとおり、「邪馬台国」が「大和」に東遷したという者は、その時期について「台与」の時代の『三国志』魏志倭人伝の「邪馬台国」などに関する記事が途絶えた後の3世紀後半から4世紀初頭を言うが、なかには250年初頭と言う者がいる(『邪馬台国は二ヶ所あった』大和岩雄 94頁、『邪馬台国論争』原田大六 150頁)。
その理由として「狗奴国」との240年代後半に起きた争いであろうとする(大和岩雄−前掲書 95頁)。征服戦だったとする者もいる(原田大六−前掲書 365頁)。
『三国志』魏志倭人伝には前記のとおり「狗奴国」が「邪馬台国」に属していなかったことは記されているが、戦争したとは書かれてなく、あくまで想像の域を出ないが、仮に戦闘状態にあったとしても、「邪馬台国」が「狗奴国」に攻め滅ぼされたかもしれない。また、そうでないにしてもどうして遠く離れた「大和」の地に行ってしまったのか、戦争に勝利した「狗奴国」がその後どうなったのかという説明もない。
 これも含めて、「邪馬台国」がどうして「大和」に東遷したのかという明確な理由がないのが不思議なことである(『東アジアの中の邪馬台国』白石昭一郎 288頁)。
 

邪馬台国(64)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月27日(水)13時11分54秒
   「邪馬台国」の東遷とは逆に「大和」の西征を言う者もいる。『三国志』魏志東夷伝弁辰条に「国に鉄を出し、韓・濊・倭みな従って之を取る。諸市は買うに皆鉄を用い、中国の銭を用いるが如し、また以って二郡(楽浪・帯方郡)に供給す」、『後漢書』東夷伝辰韓条に「国に鉄を出し、韓・濊・倭みな従って之を市〔あきない〕す」と記している。この記事の解釈は鉄の開発に楽浪郡(108年に設置)が関与し、そのため楽浪郡が独占していたとし、北九州の「ツクシ政権」は楽浪郡と結んで鉄の輸入の独占権を有していた。しかし、「後漢」の衰退による楽浪郡の権威の弱体化のためその後ろ盾をなくした「ツクシ政権」が弱体化し内紛を起こし、それに乗じて「ヤマト政権」が「キビ政権」と結んで2世紀末ころから「ツクシ政権」を制圧したのが「倭国大乱」である(『新版 魏志倭人伝』山尾幸久 194頁、『日本古代の国家形成』山尾幸久 大和書房 1986年6月5日 44頁)とする。
 こうした「大和」の西征はかなりの範囲で支持されている(「『倭国大乱』考」前沢輝政〔『考古学研究』135号 古代学研究会 1996年、「日本古代の国家形成論序説」都出比呂志〔『日本史研究』434号 日本史研究会 1991年、「加耶の鉄と倭王権についての歴史的パ−スペクティブ」鈴木靖民〔『日本古代国家の展開』上巻 434号 恩文閣出版 1995年、「邪馬台国の畿内・東海・関東」白石太一郎〔『邪馬台国時代の東日本』六興出版 1991年〕、白石太一郎−前掲書 59頁)。
 

はるさん

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月27日(水)12時37分30秒
  いい線いってるんですよ、井沢さんもかなりいい線いってる。然し、其処で根本的な失敗をやっているんです。

宇佐八幡宮ですが、久留米市の歴史家・古賀達也氏によると、高良大社(神護石(こうごせき)が全国で初めて発見された神社です)から宇佐八幡へ神様を移動させたわけです、聖武天皇のころ。つまり、

筑紫(高良大社)→豊前(宇佐八幡宮)


であったのです。

従って、邪馬台国(後の筑紫君)が自分たちの神社を宇佐に移したわけで、『筑後国風土記』や『日本書紀』によれば筑紫君もと豊君も親戚同士であったそうですから、もともとは筑紫、そして今はその親戚である豊前に九州の権力が移ったと考える方が正解なのです。

と、急いで書いたので物足りない分ですが、これが私の感想です。私の邪馬台国論は過去ログにありますから、恐らくもう見られていると思いますが、はる氏や井沢氏の説はもっと後代になるわけです。

【資料・一】古賀達也氏の論文――「宇佐八幡宮文書」の九州年号、より

九州の宗廟

「高良、九州ノコソウヒウタルカ、天平勝宝元年己丑ノ年、宇佐八幡ノ御社造立アリテヨリ、高良、御マヽコタルニヨリ、九州ソウヒウノ御ツカサヲ ユツリ玉フ也」
 『高良玉垂宮神秘書同紙背』(高良大社刊・昭和四七年)

 九州の宗廟の地位を天平勝宝元年(七四九)に宇佐八幡に譲ったとする記事である。

(『高良記』の文と関係記事のみ引用)
 

邪馬台国を探してみた。

 投稿者:はる  投稿日:2011年 4月27日(水)11時37分45秒
  遅ればせながら、大変興味深く読ませていただきました。ド素人の揚げ足取りになるとは思いますが、思うままに書いてみました。

1)距離
 帯方郡からの総距離=12,000里 短里(77m/里)なら924q、長里(435m/里)なら5220q
 一支国(壱岐)〜末盧国(松浦)=1000余里 短里なら77q、長里なら435q 実際には直線距離で60q程度?
 末盧国(松浦)〜伊都国(糸島)= 500里  短里なら40q弱、長里なら220q弱 実際には直線距離で60q程度?
 伊都国(糸島)〜奴国(福岡?)= 100里  短里なら10q弱、長里なら50q弱 実際には直線距離で20q程度?
 よって、短里・九州説に軍配。そもそも魏志の記述は、7000里、1000里、500里、100里、20日、10日、1月と大雑把ですが…。
2)旅程
 対馬〜壱岐(一支国)は分かる。が、その後ナゼ、伊万里湾の松浦(末盧国)に行く? 普通は唐津湾or糸島半島(伊都国)、もっと直接奴国(福岡市?)を目指すのでは?そもそも、邪馬台国の都へのルート(軍事機密)を外国人に素直に教えるわけはないでしょうから、方位も距離も不正確になるよう仕向けるでしょうね。
3)名前(作家の井沢元彦氏の説)
 卑弥呼と台与という二人の女王が魏志倭人伝に登場するが、これを名前とは取らない。目上の者を名前で呼ぶ習慣が中華圏には無いから。天皇陛下の名を本名で呼ぶ者がいないのと同じで、もし呼ぶ者がいれば、それは親か敵でしょう。邪馬台国からの使者は、魏の皇帝に王の名を問われて何と答えたか?通常、地位・役職・居住地などを答えたと考えられる。後世の例で言えば、将軍・関白・淀の方・北の政所など。であるならば、卑弥呼・台与は何を表すのか?ヒムカ・トヨという音から出身地である、日向(宮崎)・豊(福岡・大分)ではないか。
4)卑弥呼の死因(作家の井沢元彦氏の説)
 東日本大震災でも現首相や内閣の責任を問う声は多い、地震そのものも管首相のせいだと言う者さえいる。古代ならば尚更で、邪馬台国が太陽信仰の国であり、卑弥呼がシャーマンであるならば、不作・凶作・飢饉・敗戦・異常気象に至るまで霊力の衰えと判断され殺されたと考えることは難しくない。卑弥呼が死亡したといわれる248年に、皆既日蝕が起こっている。太陽信仰国家でこれは致命的。近畿よりも九州の方が日蝕の程度が大きかった(らしい)。天の岩戸伝説はこのことを象徴的に物語っているとも。
5)地形・面積
 単純に筑紫平野と奈良盆地を比較して、農業生産力からどちらに大きな国ができるか?どう見ても筑紫平野だが、実際の遺跡や古墳では逆になっている。これは不思議。北九州よりも宮崎の方が大規模な前方後円墳が有るというが、これも不思議。立地条件と国の大小は関係が無いのか?確かに、尾張の織田信長と甲斐の武田信玄のような関係を想像すれば、逆転もあり得る。有能な人材がいれば。
6)大和をヤマトと発音する理由
 これが、幼い頃から疑問でした。漢字は後から当て字したことは間違いない。邪馬台国をヤマト国と読むことに異論はないでしょう。九州の山門などはそれらしく読めるが、近畿の大和は読めない。近畿の人々は何をもってヤマトと名乗ったのだろうか?それが分からなければ、別の場所のヤマト国の人々が移って来て、奈良にヤマト国を作り名を継承したと考えるのが楽。しかし、どちらかと言えば奈良の方が山都っぽい。ちなみに武蔵も知らなきゃ読めん。
7)神宮
 神宮と神社の違い御存知? 宮は皇室の祖先を祀り、社はそれ以外の者を祀る。唯一の例外は太宰府天満宮。それほど朝廷は菅原道真の怨霊を恐れたということでしょうか。伊勢神宮を始め、全国の神宮と名の付くものの起源を調べれば、何か手がかりになるまいか? 私感ですが、九州には巨大な神宮が大変に多い。八幡宮くらいしか無い東北育ちのせいかもしれませんが…。
 作家の井沢元彦氏によれば、出雲大社と宇佐八幡宮(大分県宇佐市)だけが参拝時の柏手が四回だという。死につながる縁起の悪い四には意味が有り、出雲大社に祀られている大国主命と同様に鎮めなければならない怨霊が宇佐にも祀られていると言う。宇佐神宮の御祭神は、応神天皇、その母神功皇后、そして宗像三神のこととされる比売大神。この中で誰が鎮めなければならない怨霊なのか? 応神・神功にその形跡は無し。ならば比売大神となるが、宗像三神としているのはカムフラージュで、これこそ卑弥呼ではないかと言う。
 ナゼ、全国4万社余りあるという八幡様の総本宮が宇佐に有るのか? 卑弥呼の後継者台与が豊の国出身で、殺害された卑弥呼を祀ることが大きな任務だからではないのか? 比売大神なる者が応神・神功という大物と一緒に祀られるだけでも不思議なのに、ナゼ挟まれて中央に祀られているのか? ナゼ、弓削の道鏡が皇位に就く就かないの託宣を天照大御神を祀る近くの伊勢神宮ではなく、遠い宇佐に求めたのか?しかも戦勝祈願の八幡宮に。もし、卑弥呼がどこにも祀られていないなどと考えるならば、それは日本人の心を知らないと言わざるを得ない。

以上、最初に読んだのが井沢元彦の歴史推理小説『卑弥呼伝説』だったもので、これらの状況証拠から十年ほど前は九州説でした。
ちなみに、数年前に吉野ヶ里には行きましたが、水田は発見されていませんでした。そりゃそうだ、あんな丘陵地帯に水田が有るはず無い。百姓なら誰でも分かる。あそこはあくまで環濠集落でしょう。解法者さんは、30〜40万人の都を想定しているようですが、大き過ぎやしませんか。江戸の町でも百万、奥州平泉の全盛期でも十万(これも誇大と思う)ですから、里程と同様に魏志の数値は当てにならんと思います。物証も大事、しかし宗教的な観点も大事。なんせ墓を探しているんですから。
長過ぎてスミマセンが、これが全てですので。
 

激励

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月27日(水)09時08分47秒
   激励も逆効果になることもあるということを感じるべきだろう。
被災者本人は頑張っているのだろうから、黙っているのも大切ではないかとも思える。
 

RE:廃棄処分

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月27日(水)08時35分29秒
   「ガイヤの夜明け」(東京デジタル 071 午後10時)を見ていたら、あの大量の瓦礫の山、分類してリサイクルが可能だといいます。
 たとえば、遺棄された車・船舶のガソリン・重油など海水が混ざっていても分類してリサイクル可能ですし、鉄材・プラスチックも木材もコンクリ−ト片も同じだそうです。
 こうしたリサイクル技術は日本は世界一なのでしょう。
 

Re:逆効果

 投稿者:はる  投稿日:2011年 4月27日(水)02時49分46秒
  最近は、「私も頑張ります」、「共に頑張りましょう」などという表現に変わってきてますよ。それでも、受け取り方次第ですが…。
あの大量の瓦礫の山、廃棄処分する他に、何かいい利用方法は無いものか。
夜更かししちゃった。
 

逆効果

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月26日(火)17時15分47秒
   普段、何気なく見ているテレビでも人によっては大きな負担になることがあることに気がつかされた。今、テレビを見るとどこでも『頑張れ! 日本!』という標語が踊っている。仙台市に住んでいる友人がいる。奥さんに亡くなられて独居老人だ。市の中心部からさほど遠くないマンションで暮らしている。今回の「東日本大震災」で直接の被害は受けなかったもののライフラインがやられて、ほんの1週間前まで上下水道、ガスが通じてなく、トイレが大変だった。また、地震1週間後までは救援から見捨てられており、1日1食だった。コンビニ・スーパーは閉店し、食べるものがなく、確かそのころ電話が通じ話を聞いているうちにポリポリと何か食べている音がする。何食ってんだと聞いたら、あまりに腹が空いたので冷蔵庫をあさっていたらポテトフライが見つかってそれを食ってんだとの返事が返ってきた。
 散歩でもしろやと言ったが、腹が減ってそれどころではない。という返事が返って来たのでテレビでも見てろやと言うと気がめいって見る気もしないという。何しろ話し相手もいないから気がめいって仕方がないそうだ。
 こちらとしては電話で励ますしかないから、毎日電話したが、最近になって何かの折に、テレビを見ると『頑張れ! 日本!』という標語に出会うが、何とかならないのかと言われた。あれは災害を受けない者のセリフだよ。災害を受けた者は言われなくとも頑張るしかない。
余計なお世話だ。聞くたびに怒りというより気がめいって仕方がない。
 私も『頑張れ! 日本!』とエールを送っていたが、被災者にとっては余計なお世話だという面があるとは思ってもみなかった。よく「うつ病」の人に『頑張れ!』と励ますことは禁句だと聞く。被災した方々に何と言えばいいのか、答えは出ないが、考えることも大切だと感じた。
 

倭の五王(41)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月25日(月)22時14分33秒
  G 「宋」順帝昇明2年(478年)条
〈1〉「武」の上表文は誇張か。
 「武」の上表文の骨子は、(1)日本では、先王以来「東は毛人(蝦夷)を征服すること55カ国、西は衆夷(多くのえびす−熊襲・隼人)を服すること66カ国、とあるように、国内を統一してきた、(2)海を渡って朝鮮半島に攻め込み、95カ国を平定した、(3)句驪(高句麗の蔑称)は無道であり、「辺隷」(百済の蔑称)を侵している、にある。その主眼は(3)にある。
 このうち、(1)については、毛人(蝦夷)が支配していた東国は、「武」(「雄略天皇」)の名が刻まれている「稲荷山古墳」(埼玉県行田市)から出土した「鉄剣」で、この地にも大和政権の支配が及んでいたことが明らかで、衆夷(多くのえびす−熊襲・隼人)が支配していた西国でも、同じく「江田船山古墳」(熊本県玉名郡和水町)で出土した「鉄剣」で、この地にも同じく大和政権の支配が及んでいたことが明らかとなっている。(2)については『日本書紀』、「広開土王碑」、『三国史記』から、「倭」が「任那」を支配し、「百済」・「新羅」を属国にしたことが、明らかとなっている。(3)については、「広開土王碑」には「高句麗」との間に3度にわたって「倭」の属国であった「百済」を防衛するために、大戦争を繰り広げていることが記されており、『三国史記』高句麗本記・百済本記も「百済」がたびたび「高句麗」と戦い、次第に領土を侵食されていったことが記述されている。「倭」が「百済」を中心とした朝鮮半島経営を行うについての難敵が「高句麗」であったことは疑う余地がない。こうしたなかで「武」の上表文が当時の中国の南朝の中心国家であった「宋」に上表文を奉って、「高句麗」への牽制を願い、合わせて「使持節、都督・倭・百済・新羅・任那・泰韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭国王」の授爵を願い出たことは当然と言えたのであった。
 この「上表文」に「大軍で高句麗を討とうとしましたが、「済」など父兄が突然亡くなり、喪に服さざるを得ませんでしたので、軍を動かさず休ませることになり、高句麗を討つことができませんでした」とあるが、これは『三国史記』高句麗本紀第20代「長壽王」63年(475年)に、王が百済の「漢城」を陥落させ、第20代「蓋鹵王」を殺し、男女8千人を捕虜とした連れ帰ったことと関連すると思われる。こう考えると、「武」の上表文は史実と合致するばかりか、「倭」としては「高句麗」の南下を何としてでも阻止しなければ、南朝鮮の経営が破綻すると考えたのである。
 なお、この「海を渡って朝鮮半島に攻め込み、95カ国を平定した」については誇張だと言う者が多い(『倭と加耶の国際環境』東 湖 吉川弘文館 2006年8月10日 250頁、(『古代の倭国と朝鮮諸国』鈴木英夫 青木書店 1996年2月25日 93頁)。しかし、この「宋」順帝昇明2年(478年)を見ると、「武」の授爵から「百済」が除外されている。このことは授爵に当たって「宋」が念入りに「武」の支配地域を検証したことがうかがえる。事実と異なるものは通じなかったのである。また、「宋」が利害関係のない国について除正を認めただけに過ぎないなどと言うのは(「朴 淳発」−前掲書 247頁)、なぜに中国の王朝に除正を求めたのかの解答がない。
 なお、こういう者が「東征毛人五十五国、西服衆夷六十六」となると、これに異議を唱えないが(「東 湖」−前掲書 同頁)、事が朝鮮のこととなると<否定>する。誇張であるとしたら、総てが誇張の可能性があるだろう。その数はともかく大和政権が日本国内はもちろん、朝鮮半島南部を支配下に置いたこと否定できないことはこれまでもたびたび論じてきた。
〈2〉「武」はなぜ自称したか。
 これは、「武」が「高句麗」や「百済」の下に立つことを潔しとしなかったと言われてきた。しかし、そうであるならば両国の将軍号などより上位の称号を自称すればよいはずである。だが、そうではない。それ以下の将軍号などを自称していたのである。このことから、「武」が「宋」朝より徐正される可能性のある将軍号などを自称していたと考えられる(「鈴木靖民」−前掲書 160頁)。ただ、「武」が徐正され将軍号などに満足していたかは別問題である。
 

朝鮮併合に関する素案(2)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)14時33分33秒
  2. 施政権

 朝鮮の施政権は、最高施政権者である朝鮮総督(旧朝鮮労働党総書記)の下に設置された朝鮮総督府(旧朝鮮労働党)が掌握・行使するものとし、総督は朝鮮臣民の中から公選によって民主的に選出された上で、日本国内閣総理大臣の就任時と同様、天皇陛下の親任を以て正式に就任する。

又、朝鮮総督の地位は、日本国総理に準ずるものとし、「国家元首」としての天皇陛下の下、日本本土(日本国総理)・朝鮮(朝鮮総督)の施政権をそれぞれ陛下より委任されていると言う形式を採る。

尚、大日本帝国総理は日本国総理が兼任する。

 

朝鮮併合に関する素案(1)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)14時30分30秒
  1. 地位

日本と朝鮮は、日本と日本国民統合の象徴である天皇陛下の下、その地位は平等でなければならず、決して支配者・被支配者の関係であってはならない。

朝鮮は連邦制国家・大日本帝国の一部であり、植民地ではない。大日本帝国の国家元首は天皇陛下であるから、当然朝鮮の君主も天皇陛下である。

名称は自治区なので「朝鮮共和国」とするのが普通であるが、民主主義国家ではなく、立憲君主制なので、「朝鮮皇国」又は「朝鮮自治区」「朝鮮社会国」とすべきであろう。
 

台湾併合に関する素案(2)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)14時29分6秒
  2. 施政権

 台湾の施政権は、最高施政権者である台湾総督(旧台湾総統)の下に設置された台湾総督府(旧総統府及び行政院)が掌握・行使するものとし、総督は台湾臣民の中から公選によって民主的に選出された上で、日本国内閣総理大臣の就任時と同様、天皇陛下の親任を以て正式に就任する。

又、台湾総督の地位は、日本国総理に準ずるものとし、「国家元首」としての天皇陛下の下、日本本土(日本国総理)・台湾(台湾総督)の施政権をそれぞれ陛下より委任されていると言う形式を採る。

尚、大日本帝国総理は日本国総理が兼任する。

 

台湾併合に関する素案(1)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)14時27分40秒
  1. 地位

日本と台湾は、日本と日本国民統合の象徴である天皇陛下の下、その地位は平等でなければならず、決して支配者・被支配者の関係であってはならない。

台湾は連邦制国家・大日本帝国の一部であり、植民地ではない。大日本帝国の国家元首は天皇陛下であるから、当然台湾の君主も天皇陛下である。

名称は自治区なので「台湾共和国」とするのが普通であるが、民主主義国家ではなく、立憲君主制なので、「台湾皇国」又は「台湾自治区」とすべきであろう。
 

台湾併合に関する素案(序)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)14時23分38秒
  日本と台湾の合邦を前提とした「台湾州」に関する素案を読んだ。

私は中華民国を廃止して「大日本帝国領台湾」とすべきであるとしたが、竹下先生も類似の案を出していたようである。唯一の違いは台湾の扱いぐらいか。

私も竹下先生の言うところに準じてこの素案を考えてみた。
 

垣内遺跡

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)14時02分42秒
  近所、とい訳では決してないのであるが、同じ兵庫県の遺跡なので若干の関心がある。これなくして邪馬台国は語れないのではないのか。

誤解のないように言っておくと、私は邪馬台国九州説である。然し、それでもこれには関心がある。そもそも、九州説であるからといって、近畿で発見されている巨大遺跡は文献解読では誤魔化せない。九州説、近畿説の垣根を取り払って、この遺跡の謎に挑戦するのも考古学の一つであると思う。

誰か、この垣内(かいと)遺跡について知っているでしょうか?
 

倭の五王(9)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)12時52分31秒
  <6、「衆夷」と「毛人」の違いについて>

神武達の困窮を極めて大和の地に侵入を成功させた後、10代後の崇神の時、大和の地をほぼ手中におさめ、四方へ侵略を始めた大和の地を拠点に、かっての銅鐸圏がすっぽり入る領域、それを倭王武上表文は衆夷と分けて、毛人(銅鐸圏の被征服者達)55国と記しています。


  海北95国
  ↑
  西衆夷→東毛人………合わせて216国で倭王武は衆夷にいて、毛人は銅鐸圏の被征服者達
  66国   55国


倭王武にとって、「天の下」大和を治める神武〜雄略天皇は毛人の地を支配する配下のひとりと思っていたし、祟神〜雄略天皇は卑弥呼〜倭王武を同じ「天つ神」を祭る宗主国と思っていたこと疑えない。(詳しくは後述)九州王朝は神武天皇の傍系。
 

倭の五王(8)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)12時50分53秒
  <5、毛人55国>

和銅元年(708)武蔵国秩父郡から発見された和銅献上があり、よって改元する。とありますが改元理由を和銅発見としているようですがこの時代に銅の発見と献上では改元までして祝うことはないでしょう。

真の理由は関東の一角、武蔵国が始めて大和朝廷の支配下に入ったからでしょう。その喜びが和銅改元となった。

このことは、倭王武の言う東毛人55国は関東の全域を含んでいない。ということです。又、倭建命の東方十二国平定のための遠征では最初の征伐地とされている地は焼津(古事記では相模・日本書記では駿河)であり、毛人55国の東辺は、関東地方西部ではないか、と思われます。

『日本書紀』では、下図のような大和及びその周辺を支配領域の中心としたため、蝦夷まで持ち出して関東から東北にかけて「毛人の国」として、現伝承に忠実な『古事記』とは対照的に虚構を作り出しています。

衆夷と毛人とは国を隣接しています。
 

倭の五王(7)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)12時48分2秒
  <4、衆夷66国>

「〜その南に狗奴国あり、男子を王となす。その官に狗古智卑狗あり。女王に属せず」
@その八年、太守王キ官に至る。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼と素より和せず。倭載斯烏越等を遣わして郡に訪り、相攻撃する状を説く。塞曹掾史張政等を遣わし、因って詔書・横幢を齎し、難升米に拝仮せしめ、檄を為りてこれを告喩す。 …・・(魏志倭人伝)

A女王国より東、海を渡ること千余里、拘奴国に至る。皆倭種なりといえども、女王に属せず。……・(後漢書)

さて、女王国に属さず、相攻撃しあった狗奴国(拘奴国)との結末はどうなったのでしょうか?魏志倭人伝・後漢書ともそれは記してありませんが、倭王武の上表文に、衆夷を服すること66国とありますから3世紀から5世紀にかけて倭国(邪馬壱国)が「鉄器と騎馬」という新しい戦法をもって狗奴国を吸収したのでしょう。邪馬壱国の南にあったのか(魏志倭人伝)、東にあったのか(後漢書)。隣接しあっていたことは間違いないでしょう。

その結果30国から66国へと支配権の拡張をなした。先に記したように卑弥呼・壱與の後裔が倭王武ですから。

倭王武は「自仮開府義同三司〜」とありますから、倭国都督府に居していたはずです。
それではどこに都督府はあったか・・・・・たとえば”都府楼跡”。589年、南朝「陳」が隋によって滅びるまで九州にあった。

尚、私は狗奴国は四国の讃岐を中心とする地方であったと考えています。ですから、狗奴国ではなく、他の国々(例えば五島列島など)の可能性もあります。(投馬国は南九州であった、これかもしれない)
 

倭の五王(6)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月25日(月)12時43分27秒
  『三国史記』では、新羅王は倭人であったという。この多婆那国の位置については諸説あるが、一部の左翼や韓国人を除くと日本列島に存在していたという点で共通している。つまり、新羅王は日本から来たのである。

それでは、何故百済だけが称号から除かれたのか?あれほど歴代の倭王が百済の軍事権を申請したにもかかわらず何故なのか?

其れは百済と倭国の間の関係が曖昧であったからであろう。倭国は百済を属国とみていたが、どうやら百済は対等であると中国に対して主張したようである。嘗ての李氏朝鮮の行動を見ると、之はそれほど不思議ではない。

好太王碑自体が現在中華人民共和国領にあることから考えても、高句麗を朝鮮の王国と考えるのも無理があり、満洲から朝鮮半島北部にかけての広い王国である。(時代によって版図は異なる)

同様に「倭」も朝鮮南部から九州北部の両方を支配していた王国である可能性が高い。

朝鮮の正規の史書「三国史記」や「三国遺事」によれば、高句麗、新羅、百済に対する倭の脅威は非常に大きく、国境で常に紛争を起こしている。

このことは、倭が朝鮮南部に根拠を持っていたと考えないと理解できない。

南朝皇帝は、倭王に新羅・任那の王位は認めたが、百済王位は認めない。それも道理で、南朝皇帝は百済王に百済の王位を認めていた。要するに、百済と日本の関係が曖昧であり、それぞれ別々に朝貢していたからこうなったのである。
 

倭の五王(19)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月24日(日)22時11分11秒
  5.「武」
 「興」から「武」に代が変わり、「武」は「宋」順帝昇明2年(478年)に遣使している。このときも、『宋書』本紀−順帝紀および列伝には、『「興」死し、弟の「武」立つ。自ら使持節、都督・倭・百済・新羅・任那・泰韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭国王」と称して』(「興死、弟武立。自称使持節・都督・倭・百済・新羅・任那・泰韓・慕韓七国諸軍事・安東大将軍・倭国王」)となっている。このときも、「済」は、外された「百済」を入れていることである。倭王「武」としては属国であった「百済」を外されるのは屈辱の何物でもないと考えていたのである。このことは、次の遣使に現れている。
 授爵が認められなかった「武」は使者に上表文を持たせて奏上している。この様子は『宋書』順帝紀および列伝に、次のように記されている『順帝の昇明2年(479年)、使いを遣わして表(ふみ)を上(たてまつ)りて曰く「封国(国土=自国)は偏遠(へんえん−遠い僻地)にして、藩(領土)を外に作る。昔より祖禰(そでい−祖先〔祖〕や父〔禰〕)、自ら(躬)甲冑を擐(つ)けて、山川を跋渉(ばっしょう−遍歴)し、寧処(落ち着く)に遑(いとま−暇)あらず。東は毛人(蝦夷)を征服すること55カ国、西は衆夷(多くのえびす−熊襲・隼人)を服すること66カ国、渡りて海北を平らげること95カ国なり。王道は融泰(ゆうたい−安泰)し、土(国土)を廓(ひろげ)(王都)を遐(遥か−国土が広がり王都への道のりが遠くなる)かにし、累葉(るいよう−代々)朝宗(ちょうそう−天子に拝謁する)して、歳を愆(違)えず、臣下は下愚と雖も。忝(かたじけな)くも先緒(祖先の偉業)を胤(つ)ぎ、統ぶる(すぶる−治める)所を駆率(くそつ−統率)し、天極(自然の摂理)に帰崇(尊ぶ)し、道は百済を逕ぎ(すぎ−通り)、船舫(せんぼう−船)を装治(準備する)す。而(しか)るに句驪(高句麗の蔑称)は無道にして、図りて見呑(軽く見る=軽蔑する)を欲し、辺隷(辺境で従う者=「倭」に従う者=百済の蔑称)を掠抄(りゃくしょう−掠め〔かすめ〕取る)し、虔劉(けんりゅう−殺し害する)(や)まず。毎(つねに)稽滞(けいたい−滞る)を致し、以て良風を失う。路を進むいうと雖も、或いは通じ、或いは不(しからず)。臣、忘考(亡き父)の「済」、実に寇讎(こうしゅう−敵)が天路(正しい道)を擁塞(ようそく−塞ぐ)するを忿り(怒り)、控弦(こうげん−弓を引く兵士)百万、義声感激し、方(まさ)に大挙せんと欲するも、奄(にわかに)父兄を喪(うしな)い、垂成(すいせい−成就する)の功をして一簣(いっき−僅か)を獲(え)ざらしむ。居(いながら)にして諒闇(りょうあん−天子が喪に服する期間)に在り、兵甲(武器と甲冑)を動かさず。是(ここ)を以て偃息(えんそく−休息する)して未だ捷(か)たず。今に至り甲を練り兵を治め父兄の志を申(の)べんと欲す。義士虎賁(勇士)、文武が功を効(いた)し、白刃が前を交わるとも、亦顧みざる所なり、もし帝徳の覆載(ふさい−天の惠)を以て、この強敵を摧(くじ)き、克く(よく)方難(迫害)を靖(やす)んじなば、前功を替えることなし。窃(ひそか)に自ら開府儀同三司(官名)を仮し(自称する)、その余(臣下)は咸(みな)各仮授(仮に授ける=自称する)し、以て忠節を勧(はげ)まん。」と。詔して「武」を使持節、都督・倭・新羅・任那・泰韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭国王」に徐す。』(「鳥越憲三郎」−前掲書 153頁を参考にした)。
 

倭の五王(20)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月24日(日)22時09分40秒
   原文は次のとおりである。
 「順帝昇明二年、遣使上表曰「封国偏遠、作藩于外。自昔祖禰、躬擐甲冑、跋渉山川不遑寧処。東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平九十五国。王道融泰、廓土遐畿、累葉朝宗、不愆于歳。臣雖下愚、忝胤先緒、駆率所統、帰崇天極、道逕百済装治船舫。而句驪無道、図欲見呑、掠抄辺隷、虔劉不已。毎致稽滞、以失良風。雖曰進路、或通或不。臣、亡考済実忿寇讎擁塞天路、控弦百万、義声感激、方欲大挙、奄喪父兄、使垂成之功不獲一簣。居在諒闇、不動兵甲。是以偃息未捷。至今欲練甲治兵、申父兄之志。義士虎賁、文武効功、白刃交前、亦所不顧。若以帝徳覆載、摧此強敵、克靖方難、無替前功。窃自仮開府儀同三司、其余咸各仮授、以勧忠節。詔除武使持節、都督・倭・新羅・任那・泰韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王。」

 これを現代訳にしてみよう。
 『順帝の昇明2年(479年)、(倭王「武」は)使いを遣わして表(ふみ)を上(たてまつ)りて言うには「自国は遠い僻地であったため、領土を外に作ることが悲願でありました。祖先の王や父〔禰〕)は、自ら甲冑をまとい、山川を遍歴し、戦いに休む暇はありませんでした。東は毛人(蝦夷)を征服すること55カ国、西は衆夷(多くのえびす−熊襲・隼人)を服すること66カ国、また、海を渡りて朝鮮半島を平らげること95カ国でありました。王道は安定し、国土を広げたため、王都への道のりが遠くなるほどでした。私どもは代々、天子(宋の順帝)を尊ぶことを忘れず、朝貢を繰り返してまいりました。
 臣下である私は愚鈍でありますが、祖先の偉業を継いで天下を良く治め、自然の摂理を尊んでまいりました。朝鮮半島では、百済を過ぎて、船を準備して戦いに備えておりました。しかるに、高句麗は無道で「倭」を軽んじて、「倭」が従えた朝鮮半島の地の者たちを掠め取り、殺し、害したため、平和が乱されました。それでも天子への朝貢を行おうとしましたが、高句麗の妨害に会って、なかなか上手くいかず天子との良好な関係が閉ざされてしまいます。
 臣下である私は亡き父の「済」が築いた天子との良好な関係を結ぼうという正しい道を高句麗が妨害するのを怒り、大軍で高句麗を討とうとしましたが、「済」など父兄が突然亡くなり、喪に服さざるを得ませんでしたので、軍を動かさず休ませることになり、高句麗を討つことができませんでした。
 今、喪服の期間が終りましたので、武器を揃え兵を募って、「済」の志を継いで高句麗を征伐しようと考えております。彼らも自らの任務を尽くし功を挙げようといきり立っております。我々は高句麗との戦争が起きようともかまいません。
 もし、天子(「宋王」)の天恵を以て強敵である高句麗をくじき迫害を避けることができましたら、それに代わるものはありません。天子のお許しを得ないで開府儀同三司をを自称し、私の臣下もそれぞれ貴国の官名を仮称しておりますが、お許しいただくとともにそれの称号を許されるのであれば、忠誠を尽くしたいと考えております。」とあった。
 そこで、天子は「武」を使持節、都督・倭・新羅・任那・泰韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王、との称号を与えた。
 「武」の熱望にもかかわらず、ここでも、倭王「武」には「百済」への称号は除かれていた。
 

倭の五王(21)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月24日(日)22時08分26秒
   倭王「武」は、「南斉」王にも、「南斉」高帝建元元年(479年)に遣使し、「安東大将軍」から「鎮東大将軍」に進号している(『南斉書』高帝紀)。また、「梁」武帝天藍元年(502年)には、鎮東大将軍から征東将軍に進号している(『梁書』列伝)。『南史』では征東大将軍となっている(『南史』列伝)。前述のとおり、高句麗王「文咨王」は車騎大将軍に、百済「東城王」は征東大将軍と進号している(『梁書』列伝)。倭王はこの年、初めて「百済」に追いついたが、「高句麗」には及ばなかった。倭王がこれ以後長い間は中国の王朝と「冊封」関係に入ることはなかった。この理由については後述する。
 これまでのことから理解できると思うが、「倭」にとっては朝鮮半島の覇者となるのには「高句麗」こそが最大のライバルだったのである。このことは以上の中国史料、朝鮮史料(『三国史記』、『三国遺事』ばかりではなく、「広開土王碑」で明らかである。これらにつては多く説明してきたのでここでは繰り返さない。
 「倭」が中国の王朝との「冊封」を求めたのは、@ 朝鮮半島の経営を目指すうえにおいて「高句麗」の朝鮮半島南下作戦を阻止すること、A 「百済」との対抗意識、つまり、属国だった「百済」さえ中国の王朝との「冊封」関係に入り、それを誇っていたのであれば、上位に立つ「倭」としても「百済」の下に立つわけにはいかなかった、B 「冊封」関係に入ることによる権威づけ、の3つにあったと考えるが、@が最大の理由であった。
 これについて、「高句麗」の圧迫により「倭」の国内統一が阻害されたので、これを阻止
するために中国の王朝にその脅威を取り除いてもらいたいがために「冊封」を求めたという者がいる(『倭国と東アジア』沈 仁安〔北京大学〕六興出版 1990年2月10日 186頁)。これは、「武」が上表文で祖先の創業過程を述べる本意は倭国の統一が容易に得られないことを説明したものであり、日本の強大さを示そうとしたものではないというにある。これは<珍説>の部類である。この考えが成立するためには、「高句麗」が日本に侵攻していたか、あるいは強力に圧力を加えていなければならない。これは北朝鮮の「金 錫亨」の「高句麗」日本侵攻論の焼き直しである。これについては、「日朝古代交流史における朝鮮人の六大妄想」で詳しく反論したので、ここでは繰り返さない。「高句麗」の圧力で日本が阻害されていたのは、朝鮮経営に限られていた。「高句麗」は日本に一度たりとも侵攻してないのである。
 

邪馬台国(61)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月24日(日)14時29分34秒
  先に「前方後円墳」は九州に16個ある。そのうち福岡県は5個に止まる)という者がいることを紹介したが(『古墳文化と古代国家』斉藤忠 至文堂 1966年3月25日 164頁)。現在わかっている九州の「前方後円墳」は560基くらいあり、そのうち3割に当たる150基くらいが宮崎県地方にある。しかも、北九州にあるよりも規模が大きい(『シンポジウム 日本の考古学 4−古墳時代の考古学−』白石太一郎・赤塚次郎ほか 学生社 1998年3月10日 [高木恭二の発言]59頁)。「邪馬台国」が北九州にあり、これが「大和」に東遷したというならば、どうしてこんなに宮崎県地方に「前方後円墳」が多く、しかも北九州のものよりも規模が大きいのであろうか。理解しがたい。
 「前方後円墳」の出現について、中国から冊封を受け国際的に承認されたことを契機に従来の族長的権威とは異なった超越的権威を人民に対しても誇示したものである考えは傾聴に値する。『三国志』魏志倭人伝に「卑弥呼以死。大作塚」とあるのはこのことを示していよう。

 「鏡」を大量に墳墓に副葬する風習は九州から「大和」に伝来したと言われるが、この風習の年代差が100年以上ある(『シンポジウム 日本の考古学 4−古墳時代の考古学−』[車崎正彦の発言]87頁)。それであれば、「邪馬台国」の「大和」へ東遷してから100年以上も経って「鏡」を大量に墳墓に副葬する風習が「大和」に根付いたとするのは納得しがたい。さらに2.3世紀の九州製の鏡は小さくてみすぼらしい(『シンポジウム 古墳時代の考古学』森 浩一 学生社 1970年6月5日[森 浩一の発言]206頁)。本家の「鏡」がそんな状況で、「邪馬台国」が「大和」に東遷したとすると説くのは無理がある。
 

倭の五王(5)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月24日(日)12時19分18秒
  『三国史記』に以下の記事があります。

脱解尼師今が立った。一説に吐解と云(い)う。時に年62歳、姓は昔。妃(きさき)は阿孝夫人。脱解、本(もと)は多婆那国(たばなこく)で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在(あ)る。初め、その国王は女国(場所不明)の王女を娶(めと)って妻とした。懐妊から7年、大きな卵を産んだ。王が言うには「人にして卵を生むのは不祥である。適当に廃棄せよ」と。その王女は忍び難(がた)く、絹布(けんぷ)に卵を包み、宝物と一緒に棺(ひつぎ)の中に安置し、海に浮べ、その行く先任を(潮流に)任せた。

 初めは金官国(現韓国慶尚南道金海市)の海辺に着いたが、金官人はこれを怪しんで取得せず。又、辰韓の阿珍浦海岸(現韓国慶尚北道慶州市)に漂着した。是(これ)は始祖・赫居世の在位39年(紀元前19年)のこと也。その時、海辺の老婆が(船を)縄で引き寄せて海岸に繋留させた。之(これ)を開けて見ると、一人の童児が中にいた。其の老婆は之を拾得して養育した。成長すると身長9尺、風貌は秀逸で明朗、智識は人に優れていた。或(ある)いは曰(いわ)く「此(こ)の児(こ)の姓氏は不明。初めて来た時、一羽の鵲(かささぎ)が飛来し、鳴きながら随伴したのだから、鵲の字を省略して、昔を以,small>(もっ)て氏(うじ)と為(な)す。又、解(と)いて出てきたのだから、脱解と名付ける」。

 脱解は初め、漁釣(さかなつ)りを生業(なりわい)と為し、その母を供養し、未(いま)だかつて懈怠(けたい)の様子はなかった。母が言うには「汝(なんじ)は常人に非(あら)ず、骨相は特異、宜(よろ)しく学修し、功名(こうみょう)を立てなさい」と。是(ここ)に学問に専念し、地理にも通じ、楊山の麓の瓠公(ひょうこう)の居宅を展望して、吉運を生む地勢と観(み)た。詭計(きけい)を設(もう)け、詐取(さしゅ)して之(ここ)に住む。其の地は後(のち)に月城と為(な)す。

 南解王の治世5年(8年)、彼が賢人であるとの噂を聞き、娘を彼の妻にした。治世7年(10年)には大輔に登用して、政事(まつりごと)を委(ゆだ)ねた。儒理(尼師今)が死に際して「先王は遺命に曰く、「私の死後、無論息子や女壻(むすめむこ)を問わず、年長の賢者を以て王位を継(つ)がせよ」と。これを以て私が先に立ったが、今度は宜しく(脱解に)王位を相伝する」と。

 (即位)2年(58年)春正月、瓠公に大輔を拝命。2月、親(みずか)ら始祖廟で祭祀(さいし)

『三国史記(さんごく-しき,サムグク-サギ)(現代語訳:竹下義朗)

(原文)

脱解尼師今立、一云吐解。時年六十二、姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。初其國王娶女國王女為妻。有娠七年、乃生大卵。王曰「人而生卵不祥也。宜棄之」。其女不忍、以帛卵裏寶物置於櫝中、浮於海、任其所往。

(以下略)
 

脱原発

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月24日(日)12時12分30秒
  やはりそうでしょう。之しか手がないはず。解法者さん、皮肉を言うつまりはないのですが、それでも右と左にすべてを分けるのはあまり良くないと思いますが。  

原発の是非

 投稿者:はる  投稿日:2011年 4月24日(日)12時09分45秒
  どちらかと言えば、今回の事故で原発に対する(東電に対する?)信頼感は失せつつあります。
取り敢えず、下記について御意見を伺いたく。
  1. 今回事故を起こした“沸騰水型”でも是であろうか?
  2. 必ず起こると言われる東南海地震の断層直上で稼働されている静岡県“浜岡原発”は、阪神・淡路クラスの直下型地震であっても、災害対策は万全か?風下には首都圏があり、同様の事故が起これば、福島の比ではない影響が出ると言われています。
  3. 使用済み燃料棒の貯蔵・廃棄の為の恒久施設が現在有りませんが、六ヶ所村の仮施設が直に満杯になるとも言われています。今後どうする予定でしょうか?以前名乗りを上げた高知県の自治体は住民や知事の反対によって取り下げたことがありましたが、もはや名乗り出る自治体は無いと思いますが…。
  4. 中国で稼働・建設される原発の安全性は? 日本人だから原発も安全に稼働できると思っていましたが、中国人でも安全でしょうか? 一度事故が起これば黄砂どころの騒ぎでは無くなるでしょう。風上で原発事故を起こせば、風評だけで日本を滅ぼせるかもしれませんね。
上記のことからも、日本は脱原発に向けて世界をリードすべきかと、その好機でもあると思います。
 

思い出した。

 投稿者:はる  投稿日:2011年 4月24日(日)12時05分58秒
  三陸の人達がトンマかどうかは否定も肯定もしませんが、火災でも家の中に大切な人や物が有れば飛び込んでいくでしょう(ドラマだけ?)。
地震時、火を消すのは常識で、阪神・淡路でも出火はだいぶ時間が経ってからだったと記憶しています。おそらくは壊れた配管から漏れ出た都市ガスに電気火花が引火したのでしょう。強制的に停電にでもしない限り、大都市では防ぎようが無い火災だったかと考えます。
ところで、例えば津波の波高3mというのは、何も障害物が無い場合の高さだろうか? とすれば、防潮堤で遮られ後ろから来る波が更に覆い被されば、もっと高くなるということなのかもしれません(想像)。三陸育ちでもそこら辺の定義はワカランのです。
そう言えば、高校の応援歌の一つに“宮古節”というのがあり、その一節に「津波以外は怖くない」とあったっけ。
 

倭の五王(4)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月24日(日)10時09分35秒
  <3、海北95国>

そして、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称すとあります。これに対して、詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除すとあり、百済が除かれていますが、宋書夷蛮伝は高句麗・百済・倭国となっていますから当然でしょうが、宋に承認された、「朝鮮半島南部に新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓」の倭地あり、となります。
(新羅は倭国領と記述されていることは注目点でしょう)

 

倭の五王(3)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月24日(日)10時07分44秒
編集済
  順帝の視点から倭国を概観した場合に ”216国+α=不明”などというケースが有り得ることだろうか?必ず倭王武の主張する支配領域は216国と理解したでしょうし、倭王武も倭国の支配領域は216国と記した(国の数不明となるような記述は有り得ない)はずです。



天監元年(502年)鎮東大将軍倭王武を征東将軍に進号せしむ(梁書)とあります。雄略死後23年後の進号となりますが
@日本書紀の雄略の在位期間が間違っているのか
A梁書のうかつな進号記事なのか
Bそもそも倭王武は雄略でない。・・・・・のか

注目すべき記事として「まさに大挙して海を渡ろうとしたのであります。しかるにちょうどその時、にわかに父兄を失い」とあります。これをありのままに素直に読めば高句麗との戦闘準備途中の思いもよらなかった突然の事故死、例えば海難事故にあって、【奄喪父兄】あっという間に父兄を失う・・・そう理解します。

@讃(?-425)
A珍(425-?)
B済(?-451)
C興(451-467)
D武(468-502以降も在位)

しかし、『日本の歴史 T』神話から歴史へ井上光貞 370頁や『日本古代国家の成立』直木孝次郎 129頁では倭王武(在位462-502以降も在位)は雄略天皇(在位456-479)と比定しています。

 

倭の五王(2)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月24日(日)10時06分20秒
編集済
  <2、倭国の支配領域>


倭王武の主張する当時の倭の支配領域は
@東(毛人)55国
A西(衆夷)66国
B海北(朝鮮半島)95国
合わせて216国・・・・・・上表文を読んだ順帝(宋の上層部の人達を含めて)は、これが倭王武の主張する支配領域であり、その都はA衆夷にあると理解した。
なにせ、「倭国は高麗の東南大海の中にあり、世々貢職を修む〜」と認識しているのだから。
これは魏志倭人伝の「倭人は帯方の東南大海の中にあり」を受けたものでしょう。
「3世紀の倭人の国は5世紀の倭国であって連続した同一の国」この認識の上にたっている。


海北

西衆夷→東毛人



一方、『日本の歴史1』 神話から歴史へ 井上光貞薯 中央公論社には
海北

西衆夷←大和およびその周辺→東毛人 とし

@東(毛人)55国・・・・関東から東北
A西(衆夷)66国・・・・九州から中国・四国地方
B海北(朝鮮半島)95国
C武の本拠地大和及びその周辺・・・・大和・近畿(α国?)
合わせると 216国+αとしてその結果は倭国の国数不明となってしまい。およそ、有り得ない外交文面となってしまいます。


 

倭の五王(1)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月24日(日)10時04分58秒
  <1、累葉朝宗 不愆于歳>

わが国は代々中国に使えて、朝貢の歳をあやまることがなかったのであります。と「倭国朝貢」史を述べている。
これを具体的に列記してみると

A:建武中元2年(57)倭奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり、光武賜うに印綬を以ってす。・・・後漢に朝貢
B:景初2年(238)6月。倭の女王、大夫〜〜天子に詣りて朝献せんことを求む。〜〜・・・魏に朝貢
C:義煕9年(413)是の歳、高句麗・倭国及び西南夷の銅頭大師並びに方物を献ず・・・晋に朝貢
D:永祖2年(421)詔していわく、「倭讃万里を修む。遠誠宜しくあらわすべく、除授を賜うべし」と・・・宋に朝貢

「後漢から宋に至るまでわが祖先達は途切れることなく朝貢してきた。
そして、誤まることはなかった」と自らを「臣」という立場をとって倭王武は述べています。

「倭奴国王→卑弥呼→讃→武」 に至るまで、同一王朝。それを証明する上表文です。

このことは、後の『南斉書』(箒子顕489-537)にも受け継がれ「倭国在帯方東南大海島中漢末以来立女王土俗巳見前史建元元年(479)新進除使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・()・六国諸事安東大将軍倭王武号為鎮東大将軍」とあり、倭王武は後漢書倭伝に記載されている卑弥呼の後裔と記述されています。

 

倭の五王(序)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月24日(日)10時03分38秒
  嘗て、この掲示板で解法者氏と倭の五王について論争しました。私は倭の五王は天皇家ではないと考えます。神武天皇の二男の子孫である筑紫君家であると考えているのです。(今の天皇家は三男の子孫、『古事記』参照)


中国の史書『宋書』488年沈約の編纂(沈約441〜513薯)に倭王武の上表文が残されています。「順帝昇明2年(478年)遣使上表曰〜」
・・・・それでは、まずこの上表文から見えてくる倭国発展史に迫ります。


先ず最初にその上表文(『日本の歴史1』 神話から歴史へ 井上光貞薯 中央公論社)から記載します。

「皇帝の冊封をうけたわが国は、中国からは遠く偏って、外臣としてその藩屏となっている国であります。
昔からわが祖先は、みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、安んじる日もなく、東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、平らげること九十五国に及び、強大な一国家を作りあげました。
王道はのびのびとゆきわたり、領土は広くひろがり、中国の威ははるか遠くにも及ぶようになりました。

わが国は代々中国に使えて、朝貢の歳をあやまることがなかったのであります。
自分は愚かな者でありますが、かたじけなくも先代の志をつぎ、統率する国民を駈りひきい、天下の中心である中国に帰一し、道を百済にとって朝貢すべく船をととのえました。

ところが、高句麗は無道にも百済の征服をはかり、辺境をかすめおかし、殺戮をやめません。
そのために朝貢はとどこおって良風に船を進めることができず、使者は道を進めても、かならずしも目的を達しないのであります。

わが亡父の済王は、かたきの高句麗が倭の中国に通じる道を閉じふさぐのを憤り、百万の兵士はこの正義に感激して、まさに大挙して海を渡ろうとしたのであります。
しかるにちょうどその時、にわかに父兄を失い、せっかくの好機をむだにしてしまいました。
そして喪のために軍を動かすことができず、けっきょく、しばらくのあいだ休息して、高句麗の勢いをくじかないままであります。
いまとなっては、武備をととのえ父兄の遺志を果たそうと思います。
正義の勇士としていさをたてるべく、眼前に白刃をうけるとも、ひるむところではありません。

もし皇帝のめぐみをもって、この強敵高句麗の勢いをくじき、よく困難をのりきることができましたならば、父祖の功労への報いをお替えになることはないでしょう。
みずから開府儀同三司の官をなのり、わが諸将にもそれぞれ称号をたまわって、忠誠をはげみたいと思います」

・・・・次から、この上表文の検討です。

 

日本人は穏やか過ぎる

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月24日(日)09時43分57秒
  今の首相は在日献金問題(菅直人がパチンコ店より140万円!)のほとぼりが冷めるまで、東日本大震災で時間稼ぎをしようとしている。なのに、過激な解法者氏でさえ「憲法停止」までしか言っていない。解法者氏に喧嘩を売るわけではないが、どうせなら「憲法廃止」を誰か言ってほしいと素人ながら考えている。  

役人が復興をさまたげている

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月23日(土)11時17分27秒
   4月22日〔金〕の「ワ−ルドビジネスサテライト」(東京デジタル071)を見ていたら、コロッケの移動販売車が岩手県で販売しようとしたら、飲める水が200リットル積載してないと営業できないが、160リットルしかなく、規制のない宮城県で移動販売を行うという。どうしてこういう規制があるのか理解しがたいが、それにしても災害時には弾力ある措置が取れないものか。また、電力不足が懸念されているなか自家発電機の需要が高まっている。燃料は軽油だそうだが、これも軽油が200リットル以上だと消防署の許可が要る。また、東京都では排ガス規制があって使用できないという。今は非常時。規制を緩めるという発想がないのか。先にタンクロ−リ−を走らせるには事前に警察署から許可書を得る必要があり、これが災害地のガソリン・軽油・灯油などの供給を妨げている例を紹介したが(指摘後、改善された)、<役人は規制で飯を食っている>という弊害が顕著に現れた例である。
 たまりかねた経団連が業者からの規制緩和の要望を取りまとめるという。政府も一々規制を監視・緩和するのも大変だが、これも政府が組織を整えてないのが原因である。これこそ「政治主導」で可能ではなかろうか。
 

トンマな政府と東京電力

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月23日(土)11時08分32秒
   日本はロボット大国だが、実戦経験がないとして信用されず福島第一原子力発電所の事故現場に投入されてなかったが、ようやく国産ロボット(千葉工業大学・東北大学などが開発した災害救助用ロボット「Quince」)が投入されるという(朝日新聞 平成23年〔2011年〕4月22日〔金〕夕刊 東京4版 19面)。
 何で実績がないのか良く理解できなかったが、開発はされていたが、途中で中止されていたからであった。開発の1度目は、1979年のアメリカのスリ−マイル島原発事故を受けた1983年で、1990年までに約200億円かけたが、打切りとなった。2度目は1999年の茨城県のJOC事故の後で、数十億円使ったが、「原子炉では事故は起きない」と1年で終わった(前同紙)。
 どうしてこういうことになったのかは、考えるまでもなく<事故用ロボットを開発すると原発事故が起きると受取られる>からだ(「広瀬茂男」東京工業大学教授)。【兵器を開発すると近隣諸国に波風を立たせて平和を損なう】という<平和ボケ>と同じ構造だ。
 事故用ロボットの開発を阻止した者をあぶりだして、徹底的に指弾したらよい。今回の津波災害および原子力発電所事故について、容赦することなく災害拡大の原因を検証し、関係者に対する糾弾を避けてはならない。
 先に「もたれあいの原発行政」として批判したが、津波災害についても同じである。日本人はともするとあいまいな決着を望むが、それでは被災者が浮かばれまい。
 

わからん

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月23日(土)00時13分6秒
   三陸地方はたびたび津波に襲われている。どうしてそれを過小評価したのだろう。津波は第1波、第2波、第3波と続くのが常識と思えるが、第1波の後に自宅に物を取りに戻って津波にさらわれた人が多かったのはどうしてだろう。
 新潟地震を例にとるが、地震が起きたのは昼時だった。新潟市民は真っ先に火を消したという。旅館を経営していた母もそうだった。それはちょうど9年前に大火があり、中心部が約千戸焼失したという経験があったからだとされている。そのため、新潟地震では一般家屋からの火災は全くなかった(石油備蓄施設からの火災は発生したが、大事には至らなかった)。
 地震で怖いのは津波と火災。阪神・淡路大震災でも火災で亡くなった人が多いと聞く。新潟県人はあばら骨が1本足りないと言われるが、それでも地震には対処できた。
 申訳ないが、三陸地方の人はトンマじゃない。
 

常に予測を下回っていた。

 投稿者:はる  投稿日:2011年 4月22日(金)17時43分46秒
  何度も避難訓練をして来た、宮古育ちのはるです。
津波のビデオを色々と見ましたが、実際に町が飲み込まれる迄には30分程の余裕が有ったようです。その間、即高台に逃げた者と、すぐそこまで水が来ているにも拘わらずのんびりしている者と、対応には大きな開きが有ります。津波があんなにじわじわとやって来るなんて皆知らなかったのではないかと思いました。
過去、実際の津波は気象庁の予測を常に下回ってきました。これは津波に限らず、台風の大きさや強さ、大雨・洪水警報などにも言えます。津波の高さをいかに予測するのかは知りませんが、気象庁にしてはいつものように高めに予測したのではなかったかと思います。おそらくオオカミ少年としか思わない住民も多かったことでしょう。更に間が悪いことに、2日程前だったと思うのですが、やはり地震と津波が起きており、この時既に湾内の養殖筏は被害を受けていたのです。まさか、続けざまにもっと大きいのが来るなんて、と思った人がいてもおかしくはないでしょう。
しかし、今回の揺れはいつもの揺れとは違いましたよね。やたら長周期で長時間横に揺れ続けましたから、これは来ると直感を働かせた人も逆に多かったはずです。
結局、最後に自分を守るのは自分自身なのでしょう。普段の天気予報でも、気象庁や気象予報士が、ナゼか同じ予報しかしないのだが、実際に自分が住んでいる場所の天気なら自分の方が当たるというくらいに勘を磨いておいた方が良いかと思います。
ちなみに“鵜住居”は、(うずまい)ではなく(うのすまい)と読む難読地名です。
 

「立入り禁止」は自己責任で

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月22日(金)14時04分58秒
   政府は、4月22日(金)午前0時、福島第一原子力発電所の半径20キロ圏内に出している「避難指定区域」を「警戒区域」に切替えた。これは強制的な立退きや立入禁止を命じることができるが、まだそこまではせずに対象区域に居住していた人(約7万8千人)に数日後から一時帰宅を認める。福島第二原子力発電所の半径8キロ(福島第一原子力発電所の半径20キロ圏内に入る)にも同じように「警戒区域」に指定した。ただ、福島第一原子力発電所の半径3キロ圏内は立入禁止にした。また、福島第一原子力発電所の半径20キロ圏外にある「飯館村」や「南相馬市」の一部を同日に「計画的避難区域」に指定する方針だという(産経新聞 平成23年〔2011年〕4月22日〔金〕朝刊 東京15版 1面)。
 この3キロ圏内はともかく、20キロ圏内は工場もあり、これを生活基盤としている人もいるから、<自己責任>で立入自由にしたらどうだろう。というのは、この地域が放射能汚染で危険なのかが正確に伝わってこないからである。住民も同じではなかろうか。当初から言われていたことだが、情報が錯綜し、どれを信じていいかわからないからである。本当に無能な政府で、政府不信では「警戒区域」指定がそもそも妥当であるのかが、理解できないからである。
 

これでは逃げられない

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月22日(金)11時39分33秒
   東日本大震災の津波について、気象庁は3月11日、発生3分後の午後2時49分に大津波警報を発令し、1分後に岩手県には高さ3メ−トルの津波が来ると予想。これを受けて岩手県釜石市は午後2時52分に「高いところで3メ−トル程度の津波が予想されます。海岸付近の方は直ちに近くの高台か避難場所に避難するように指示します」と市内96ヶ所のスピ−カ−で放送した。
 ところが、気象庁は津波予測を午後3時14分には6メ−トルと切り替え、同31分には10メ−トル以上とした。しかし、市は停電で気象庁の情報を伝えるメ−ルを県から受取ることができなくなっていた。そのため市民の中には「津波は3メ−トル」だと信じて2階に避難すれば大丈夫と判断した人が多かった。実際は釜石港には約9.5メ−トルの津波が押し寄せたと予測されている。市の鵜住居(うずまい)地区の防災センタ−に150人から200人が駆け込んだが、2階まで被災し、生存者は約30人だった。山田町でも同様だった。隣の宮城県ではどうかというと、当初から6メ−トル大津波警報が出ていたが、住民への告知は各自治体により異なり、南三陸町ではそのとおりの「6メ−トルの津波が来ます」と防災無線で呼びかけた。実際の津波は15メ−トルを超えており、3階建ての防災対策庁舎が水にのまれて、多くの町職員が犠牲となった(朝日新聞 平成23年〔2011年〕4月20日〔水〕夕刊 東京第4版 1面)。
 そこで、問題だが「気象庁」の対応に問題はなかったのであろうか。おそらく<想定外>だったと言うであろうが、3メ−トルと過小評価した過失は大きい。自治体も住民も信じてしまうからだ。特に自治体は津波の予測は「気象庁」に頼るしかない。何メ−トルという予測はなかなか困難だろう。困難でも何メ−トルと予測するのが使命だといわれればそれまでだが、『とにかく高台に逃げてください』と言うのが正答だったと思える。自治体については予測する手段がなく、非難するのは酷であろう。
 「気象庁」は<知らぬ顔の半兵衛>を決め込んでいるが、今後の防災対策から「気象庁」の対応は検証すべきである。
 

回答がなく極めて残念

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月21日(木)21時30分58秒
  <日本人はどうして大災害に際しても秩序正しい行動を取ることができたのか>

 残念ながら、ここでは回答がなかったが、自分の頭で考えることは必要だろう。
 

災害に際して日本人はどう行動したか(1)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月21日(木)21時17分52秒
   「マイケル・サンデル 究極の選択」(NHK デジタル011−4月16日〔土〕午後9時〜)の番組で、「マイケル・サンデル」ハ−バ−ド大学教授(哲学)が司会者となって、東京、中国(上海復旧大学学生)、アメリカ(ハ−バ−ド大学学生)に、東日本大震災で日本人が秩序正しい行動(@ 略奪が起きなかった、A 便乗値上げが起きなかった、B 阿鼻叫喚がなかった)を堅持したことに対して、共同社会との関わりについて討論を通じて問いかけるというものがあった。大変興味深かった。この「秩序正しい行動」については例外なく出席者から賛辞が寄せられた。
 そのうちの一つの議論。<日本人はどうして大災害に際しても秩序正しい行動を取ることができたのか>である。中国の学生から「中国でも愛国という精神があり、これから中国人も同じような行動が取れ、特に日本人がそのような行動を取ったとしても珍しいことではない」、また、日本人の学生から「日本は単一民族で価値観がまとまりやすく秩序正しい行動が可能となる」という意見が出された。
 いずれも間違っている。「日本人の取った秩序正しい行動」は国家への忠誠心や愛国とは何ら関係がない。震災に際し中国人の多くが日本から帰国したが、中国の航空会社は普段の航空料金の3倍もの便乗値上げを行った。航空会社は中国では国の規制が働くが、中国政府は何ら対応を取らなかった。また、原子力汚染が中国でも広がるという噂に翻弄され、ス−パ−での買占め、甚だしきは放射能に塩が効果があるという噂から10年分の塩を購入した者がいたという。四川大地震(2008年5月12日)の際には学校が崩壊し多数の児童が亡くなったことから、その抗議が激しく警察が暴動を恐れて警戒に当たったり、災害救援物資を積んだトラックが襲われたり、窃盗や略奪があったり、義捐金詐欺が横行したりした。中国政府は報道を規制したので、もっと激しい略奪があったことだろう。中国人が日本人より愛国心が強いということは認めるが、災害に対しては「愛国心」が何の役にも立たなかったことを示している。
★ 四川大地震
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1128106.html http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2392519/2933615
 

災害に際して日本人はどう行動したか(2)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月21日(木)21時16分59秒
   次に「単一民族」論であるが、朝鮮を考えてみよう。朝鮮では「単一民族」であることについては異論を見ない。しかし、同じような買占めが起きた。また、放射能汚染に極端に反応し、中国の黄砂の防止のためのマスクを放射能汚染に効果があると偽って10倍の値段で売りつけた業者が摘発された。町中が黄砂防止を超えてマスクだらけの現象が現れている。さらに、死に関して阿鼻叫喚が見られることは幾多の事故から明らかである。これを「火病」というが、朝鮮人が災害に際して「秩序正しい行動」を取れるかは大きな疑問がある。
 それでは、日本人はどうして「秩序正しい行動」を取ることができたのであろうか。明確には答えを出せないので、推測に止まるが、それは、@ 自然に対する畏敬の念というものが長い間に日本人のなかに染み付いてきたのではなかろうか。つまり、古来から日本列島は災害の連続で、これにあがなうことは不可能で、受容れるほかないという精神が備わってきた。したがって、阿鼻叫喚が何の役にも立たないことを知り抜いてきた。A 宗族・親族に基盤を置くのではなく共同体帰属意識が高く、そこに存在する秩序を破壊することが厳しくとがめられることにある。この共同体帰属意識であるが、我が国が「農耕民族」だったとすることにあるのかもしれない。「狩猟民族」のように1つの獲物を狙うという競争が少なく、一定の土地を耕作し、時には灌漑・虫害防止などの共同作業を強いられるなかでの共同意識なくしては、収穫も得られないということに由来すると思える。
 

災害に際して日本人はどう行動したか(3)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月21日(木)21時16分12秒
   B 日本は小さいときから「人に迷惑をかけてはいけない」と言われて育てられている特異の国ではなかろうか(朝鮮では「立身出世しろ」と言われて育てられる−このことは人を押しのけてもわが身を保てに通じる)。それはとりもなおさず自分の所属する共同体の枠組みから外れたことをしてはいけないということであろう。つまり、教育のなせる業なのではあるまいか。C 春、夏、秋、冬がほぼ3ヶ月ごとに交代する温暖な気候が温厚な性格・民族性を形成したこともあるのではなかろうか。D 天皇という国民を束ねる存在も大きいと思える。国民を一つにまとめる存在として長い間続いてきた。現代においては天皇に備わっている「無私」というものがそれを支えていると考える。このことはひたすら政権にしがみ付くという「我欲」で災害を乗り切ろうとする首相との対比で際立ったものとなっている。今回の大災害に際しても首相の言葉より天皇のお言葉に励まされたという声が寄せられたのはそういうことにあったのではなかろうか。言い換えれば、天皇を中心として国民が一つにまとまるという意識が他人を押しのけて「我欲」を追及する精神を押さえつけることであろう。
★ 宗族
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%97%8F
 

もたれあいの原発行政

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月21日(木)11時45分43秒
   福島第一原子力発電所の行政施策について、厳しい指摘がなされている。その最大のものが「もたれあいの原発行政」である。
 原子力発電の所管は、経済産業省だがここでは原子力発電の推進が施策として行われている。一方「原子力安全・保安院」の役目は原子力発電の安全性にある。したがって、逆に原子力発電の規制が施策として行われる。ところが、「原子力安全・保安院」が経済産業省の下部組織で、ここに派遣される職員も経済産業省のそれでいずれは本省たる経済産業省に戻っていくという。つまり、推進と規制が同じ所管の下で行われているということになる。しかも、推進役の経済産業省が上部に立つため「安全性」が担保されるはずもない。
 他方、「原子力安全委員会」というものがあり、原子力発電を含む利用の安全の確保に向けた企画・審議・決定を行う機関で、これは内閣府に所属している。先の「原子力安全・保安院」は原子力などのエネルギ−(電力、都市ガス、石油液化ガスなど)、鉱山の安全・保安を図る機関であるが、原子力に関しては企画・審議・決定を任務とする。この両者の関係は、原子力発電について「原子力安全委員会」が「原子力安全・保安院」を監督するように見える。しかし、今回の福島第一原子力発電所の事故については存在感が薄く、一体具体的に何をやる機関なのかがよくわからない。
 この「原子力安全委員会」であるが、東京大学を中心とした原子力学者で構成されている。それでも彼らが「内閣府」に所属し、第三者的な立場から原子力発電の安全性をチェックできれば、その安全性は機能していたと思えるが、それを行う彼ら自身が「東京電力」から研究費をもらっている。したがって、彼らが原子力発電を担う「東京電力」を批判することができるはずもない。
さらに「東京電力」は経済産業省の天下り先となっている。「石田 徹」前資源エネルギ−長官が平成22年8月に退官して、平成23年1月に「東京電力」に顧問として天下ったことはそれを如実に現している。これでは、「経済産業省」だって「東京電力」の原子力発電を規制できまい。
 では、政治家はどうか。電力会社などの社員で結成された「全国電力関連産業労働組合連合会」(電力総連)という民主党支持の労働組合がある。「電力総連」はもちろん原子力発電の推進の立場で国会議員も
擁立している。自民党はというと元々原子力発電をエネルギ−政策の核に据えたから反対するわけにはいかない。これを背景に電力各社から政治献金および選挙協力を受け、そればかりか、原子力発電所の設置は地元に莫大な補償金などの利益をもたらすから、その利権に国会・地方議員が群がる。
 かくして原子力発電は、政治・官僚・民間電力会社・学者・労働組合の癒着により成り立っている。「原口 博」民主党議員、「河野太郎」自民党議員が原子力発電の安全性に疑義をはさんだだけで、こういうオカシナ議員には近づかないようにと経済産業省からチャチが入ったのは有名な話だが、安全性さえ確保できればエネルギ−の中核を担うはずの原子力発電が肝心の<安全性>がないがしろにされたのである。
 かくして福島第一原子力発電所の事故は起こるべくして起きたと言わざるを得ない。
★ 原子力安全委員会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AE%89%E5%85%A8%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A
★ 原子力安全・保安院
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%83%BB%E4%BF%9D%E5%AE%89%E9%99%A2
★ 資源エネルギ−長官 天下り
http://tonchamon.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-bb0e.html
 

「蓮 舫」は政治のガン

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月21日(木)11時43分10秒
   先に「自動販売機」の節電について述べた際に、「蓮 舫」が3月14日にマスコミを引き連れて、石原東京都知事の元を訪れ、握手して帰っていったということを非難したが、そのとおりだった(女性セブン 2011年5月5日号)。
 同誌は女性読者100人に、自動販売機の節電についてのアンケ−トを取ったところ、節電(石原説)に賛成な者 41人、節電反対(蓮 舫説) 27人 どちらでもない 32人 と節電(石原説)に軍配が上がった。「蓮 舫」は女性に人気が高いとされるから、男性も入れてアンケ−トを取ったらもっと節電(石原説)が多かったろう。
 その結果は予想通りだったが、コイツは目立つところだけ出て来てスタンドプレ−に始終する。こういうヤツを国会に送った者の言い分を聞いてみたいが、一体担当の仕分けなど行政刷新に何か功績があったのであろうか。また追加された節電にどういう施策を行ったのか。いなくとも国民は自主的に節電に邁進している。全く持って役に立たないヤツだ。
 

邪馬台国(61)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月20日(水)14時24分0秒
    先に「前方後円墳」は九州に16個ある。そのうち福岡県は5個に止まる)という者がいることを紹介したが(『古墳文化と古代国家』斉藤忠 至文堂 1966年3月25日 164頁)。現在わかっている九州の「前方後円墳」は560基くらいあり、そのうち3割に当たる150基くらいが宮崎県地方にある。しかも、北九州にあるよりも規模が大きい(『シンポジウム 日本の考古学 4−古墳時代の考古学−』白石太一郎・赤塚次郎ほか 学生社 1998年3月10日 [高木恭二の発言]59頁)。「邪馬台国」が北九州にあり、これが「大和」に東遷したというならば、どうしてこんなに宮崎県地方に「前方後円墳」が多く、しかも北九州のものよりも規模が大きいのであろうか。理解しがたい。
 「前方後円墳」の出現について、中国から冊封を受け国際的に承認されたことを契機に従来の族長的権威とは異なった超越的権威を人民に対しても誇示したものである考えは傾聴に値する。『三国志』魏志倭人伝に「卑弥呼以死。大作塚」とあるのはこのことを示していよう。

 「鏡」を大量に墳墓に副葬する風習は九州から「大和」に伝来したと言われるが、この風習の年代差が100年以上ある(『シンポジウム 日本の考古学 4−古墳時代の考古学−』[車崎正彦の発言]87頁)。それであれば、「邪馬台国」の「大和」へ東遷してから100年以上も経って「鏡」を大量に墳墓に副葬する風習が「大和」に根付いたとするのは納得しがたい。さらに2.3世紀の九州製の鏡は小さくてみすぼらしい(『シンポジウム 古墳時代の考古学』森 浩一 学生社 1970年6月5日[森 浩一の発言]206頁)。本家の「鏡」がそんな状況で、「邪馬台国」が「大和」に東遷したとすると説くのは無理がある。
 

RE今さら菅直人を批判しても始まらない

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月19日(火)20時15分53秒
  その通り。諸悪の根源は「日本国」  

(無題)

 投稿者:  投稿日:2011年 4月19日(火)19時07分8秒
  同感  

(無題)

 投稿者:  投稿日:2011年 4月19日(火)12時48分16秒
  原発事故で避難してる人達には悪いけど、住んでた土地にもう二度と戻れないですよ。多分。


それを踏まえて新都市を各地に作るしかないと思うし、避難してる人達に安易な約束をしない方がいいと思いますよ。
 

今さら「菅 直人」を批判してもむなしい

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月19日(火)12時33分47秒
   国民は熱狂的に民主党を支持しなかったか。特に今回の災害で甚大な被害を受けた、宮城・福島・岩手の三県は住民が圧倒的に民主党を支持しなかったのか。
 反権力・反体制・人権至上を党是としてきた民主党が体制側に立って権力を掌握しても危機管理をまっとうできると考える方がおかしい。
危機管理とは権力を最大限に行使して、国民の私権を制限してこそ可能なのである。石原都知事が圧倒的な支持を受けて都知事に四選を果たしたのも、都民に石原氏にそのような資質を見出したからにほかならない。
 国民が選んだ民主党政権は案の定、国民の権利を制限するとして
「災害対策基本法」および「被災市街地復興特別措置法」を実施してない。
 宮城・福島・岩手の三県の住民は、今になって民主党を批判するのは<天に唾する>ものだ。どれほどの者が民主党の胡散臭さを感じ取ったであろうか。そういう意味では、東日本大震災は<天罰>だったと思える。石原都知事は「我欲」にまみれた国民に対する天罰だと言ったが、民主党のマニフェストなるものに騙されて。そこに日本の希望の光を見出すという幻想を抱いた無知蒙昧な者どもに与えられた「天罰」だったのである。
 「ガマン」というのは日本人の美徳だが、今だからこそ、私権の制限に従うが、復興に伴いいつしか災害のことを忘れ、「我欲」が復活してこよう。長い間、権利という甘い誘惑に慣れ親しんだ国民がそれを忘れ去ることはないだろう。こうして悲劇の歴史は繰り返されると思える。
 

増税は絶対にダメだ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月19日(火)12時10分41秒
   政府は4月18日(月)に、復興財源として消費税を早ければ2012年度から3年限定で、3%引上げ8%とし、被災地住民には増税分を還付する方向で検討に入ったという讀賣新聞 2011年〔平成23年〕4月19日〔火〕朝刊 東京14版 1面)。増税路線をひた走る財務省主導に籠絡されたものと考えてよい。ところで、「消費税」は1%で年間2.5兆円の増収となる。3%上げれば7.5兆円となり、3年間で22.5兆円賄えることとなる。
 私も基本的には増税派だが、平時であって非常時はダメだ。
 

(無題)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月18日(月)18時01分58秒
  The Voice of Taiwanというサイトを発見。明らかにこの帝國電網省の併設サイトであろう。できたら、その目次を知りたいのだが、「The Voice of Taiwan 目次」で検索しても成果なし、目次はないのだろう。だれか、之について詳しい方に一覧表を作成してほしいのですが…。  

答えを明確に出せないでいる

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月18日(月)15時36分38秒
  >日本人はどうして大災害に際しても秩序正しい行動を取ることができたのか<

 誰か教えてくれませんか。
 

復興財源の調達は増税では無理だ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月18日(月)10時02分19秒
   東日本大震災の復興財源について、政府は10兆円あまりを予定しているが、被害額は30兆円とも言われている。これをどうやって賄うかについて民主党は消費税・所得税・法人税のいくつかを一定期間増税する「復興連帯税」を検討しているという(讀賣新聞 2011年〔平成23年〕4月17日〔日〕朝刊 東京14版 4面)。可能性の高いのは「消費税」で1%で年間2.5兆円の増収となる。5%上げれば12.5兆円となり、30兆円必要としても3年弱で賄えることとなる。
 しかし、増税には賛成できない。大震災で消費が落ち込むなかで、増税すればなお一層その落ち込みが想定される。特に被災地の方々には重い負担となる。これについては増率した消費税に関する負担分は家族構成を算定して還付するというカナダ方式が提案されているが(産経新聞 2011年〔平成23年〕4月17日〔日〕朝刊 東京12版 7面「岩崎慶市」客員論説委員)、これはダメ。課税は単純でなければならず、こうした複雑な方式は適切ではない。被災者は広範囲に広がり、元の住所から移転している者は全国に広がっている。還付手続を行うのは地方政府または税務署と思われるが、負担が大きい。また、一時的にせよ増率した消費税を負担することになるという欠陥もある。
 やはり、ここは「復興国債」で賄い、折を見て消費税で賄うというのが良策と思われる。「復興国債」であるが、相続税免除付の「復興国債」を発行し、利子を付さないことが肝要だ。この際、それの原資が脱税・不正手段などで得たものであっても目をつぶることだ。どのくらい集るかわからないが、国民のタンス預金を引き出す効果は相当あると思う。国民の総資産は1400兆円あると言われているから、30兆円は軽く集ると考える。これなら国家の負担は全くない。仮に集らなくとも「復興国債」を発行すればよい。引受先は日本銀行である。復興が起動に乗った3年後くらいから、消費税を上げて賄えば、これも政府の負担はない。消費税を災害復興に使用するというなら、国民の抵抗も少ないだろう。
 いずれにせよ、すぐに増税を実行するのは適切ではない。
 

邪馬台国(60)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月17日(日)13時02分27秒
   「邪馬台国」が「大和」に東遷したとするならば、どうして「大和」に九州の特徴を持った土器が発見されないのかという疑問が投げかけられている(「これが『九州説』『大和説』の争点だ」〔『プレジデント』1989年7月号〕、(『シンポジウム 日本の考古学 4−古墳時代の考古学−』[白石太一郎の発言]46頁)。これについては、これは「煮沸用搬入土器」で「纒向遺跡」の造営には九州から祭政機構の要員のみが東遷したのであるから(『邪馬台国は二ヶ所あった』大和岩雄 41頁)、土器を作る女性は来ず男性しか来なかった(「纒向遺跡と初期ヤマト政権」石野博信〔『東アジアの古代文化』63号 1990年〕)というが、「纒向遺跡」の造営には全国各地から動員されたのであって、各地の土器が搬入されているのである(『大系 日本の歴史 2−古墳の時代−』和田 萃 49頁)。したがって、北九州からは一般の工人が動員されなかったとは考えがたく、また男性のみだったというなら他の地域からはどうだったのかと言いたくもなる。反論になってない。
 逆に土着の土器を使用していた北部九州も2世紀後半から3世紀に近畿・瀬戸内系統の土器が入るようになり、従来の土器様式が変わってしまったのである(『弥生式土器(T・U)』佐原真編 ニュ−サイエンス 1983年)。
 「邪馬台国」が「大和」に東遷したと説く者は、それで「大和」の遺物の説明がつくといい、特に「安本美典」にその傾向が強いが、自説の弱点を隠し極めて<強引>に自説のみを言い立てているような気がしてならない。
★ 日本刀
 http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2005/11nihontou23.html
 

菅政権を滅ぼせ

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月17日(日)12時47分22秒
  沖縄の主権帰属は未確定? 遂に本性を現した「中国」

尖閣諸島の領有権主張はもうそろそろ収まってくるだろう。なぜなら、去年は毛沢東の遺言として「尖閣諸島奪還」(予定、達成できず)の年となっていたのであるが、結局達成できなかったのであるから、中国政府としては

「やはり、尖閣の実効支配を覆すことはできなかった。もう少し軍事力を蓄えてから日本に外交圧力を加えることにしよう。どうせ、菅なら今の日本は成り立たないからなあ」

というのが本音であり、寧ろ恐ろしいのはこの瞬間である。

本は、「邪馬台(臺)国」(正確には「邪馬壹国」)の時代から「倭の五王」の時代にかけて、「倭国」の名で支那に「朝貢」していたと(支那の)史書に記述されている。かつて、日本が我国に「朝貢」していた歴史がある以上、日本も「潜在的中国領」であり、日本は「中華人民共和国の祖国の大家族」の中に戻らねばならない

最も、之を言われたら、私が嘗てから主張している

「平安時代は呉越も(南中国)も高麗(朝鮮)も、日本に朝貢していたのであるから、日本領である」

と言えばいいのであるが、実際に中国は自らのもと朝貢国の領有権を主張しており、昨年の全国一斉大規模反日デモの際にも

「中国固有の領土である沖縄を返せ!」

というプラカードが出ていた。(沖縄も中国の朝貢国)

「人権擁護法」と「夫婦別姓」が可決されれば、日本は政治的・文化的に中国領となるのであり、やはり今の管をどうにかあの世にやらなければ危ない。

「小鳩」再び連携、菅政権批判強め復権狙う?
読売新聞4月17日(日)10時31分[.] 民主党の鳩山前首相と小沢一郎元代表が再び連携し、菅政権への批判を強めている。

 党執行部から「反主流派」扱いをされ、両氏とも復権を狙っているようだ。

 小沢元代表は16日、インターネット番組に出演し、菅政権の東京電力福島第一原子力発電所の事故対応に関して、「政府は本当のことを言っていない。いいかげんだという評価になり、二重に被害が大きくなった」と強調した。「今のような状況を政治が続けることは許されない」とも語り、倒閣の必要性を訴えた。

 批判を強める背景には、原発事故への対応の不手際で世論の首相への風当たりが強まり、「『菅降ろし』に共感が得られる」(元代表側近)と見たことがある。小沢グループからは「統一地方選後半戦(24日投開票)の結果が悪ければ倒閣モードをさらに強める」との声も出ている。菅内閣が2011年度第1次補正予算案編成で国債発行を見送る方針であるなど、財政規律の維持を重視していることに対抗し、国債発行も辞さない大規模な財政出動を主張し、違いを明確にすることも検討している。

 一方、鳩山氏も政権への不満を小沢元代表と共有しており、12日の会談では、「政権は東日本大震災に対応できていない」「統一地方選前半戦での惨敗の責任は政治家が取るべきだ」といった考えで一致した。
[.]COPYRIGHT THE YOMIURI SHIMBUN

之は明るいいニュース。事実、この原発事故が起きるであろうことは、私のような素人でも「冷却装置が破損」という情報を聞いたときに「之は放射能が漏れるな」とわかったくらいであり、案の定放射能が漏れて「レベル六相当」と言われてからも「レベル五だ」といいはり、今あわてて「レベル七」にしてとんでもないパニックを引き起こした菅首相は「五百流内閣」である。
 

倭国と日本(21)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月17日(日)11時04分50秒
編集済
  九州年号というものが存在する。其れは古代史の一級資料である金石文にも記されており、その実在は疑えない。

まず、この年号は「継体」(517〜521)から「大長」(704〜712)まで存在しており、『襲国偽僭考』では『九州年号』という古写本からの引用として「善記」(522〜525)から「大長」に至る年号群が記されている。このように、江戸時代の本居史学においては九州年号が本物か、否かという論争が盛んであった。

金石文における九州年号
「法興元三十一年、歳次辛巳(西暦621年)十二月、鬼前太后崩ず。明年(西暦622年)正月二十二日、上宮法皇、枕病して余(よ)からず。」――「釈迦三尊像光背金石文」
「法興六年(西暦596年)十月歳在丙辰、我が法王大王、恵総法師及び葛木臣(かつらぎのおみ)と与(とも)に、夷与(いよ)村に逍遙し、正に神井を観る。世の妙験を歎じ、意を敘(の)べんと欲し、聊(いささ)か碑文一首を作る。・・・」――「伊予温湯碑」
「勝常寺・・・改め鋳る大和元年権大僧都法印日宕という彫附あり」――「鐘金石文」(新編会津風土記に記載)
「大化五子年二月十日 (子=司*=寅か)」――「土器刻字」(茨城県現存、下給国旧事考に記載)

このように、九州年号の存在は疑えません。事実、日本の正史である「六国史」にもこれは載っています。

六国史における九州年号
「詔報曰白鳳以来朱雀以前年代玄遠」――『続日本紀』

金石文にも六国史にも載っている九州年号、之を「偽年号」や「私年号」とすべきか?否、これは九州に存在した「タイ国」の痕跡であること、これまでの論証で述べてきた「タイ国は倭国に非ず」を補強する、証拠であること言うまでもない。これは海外の史料である『海東諸国記』にも載っているし、各地の寺社でも使われている。

「百済国在云童男行者得邇尊者・・・明要元年辛酉三月三日始開山岳造仏閣」――「丹生山明要寺文書」
「明安戊辰年御勢大霊石大明神再興」(明要八年か)――「福岡県三井郡大保御勢大明神社方開基」
「善紀元年壬寅従大唐八幡大菩薩日本還給善紀元年王刀壬寅従大唐八幡大菩薩渡日本」――「八幡宇佐宮御託宣集」
「香椎宮縁起にいわく、善紀元年壬寅(五二二)、大唐より八幡大菩薩〔大帯姫也〕日本に還り給いて、廻りを見給うに、人知らざる間に御住所を求め給いて、筑前國香椎に住み居り給う。」――「同上」
「又、善紀元年記にいわく、大帯姫大唐より日本に渡った後、新羅との戦いの時、懐妊の間、石を以て御腰に挿し祈りていわく、もし是れ験有る石ならば、我が胎子今七日の間生まれ給まわざれ。」――同上
「文武天皇元年壬辰(ママ)大菩薩震旦より帰り、宇佐の地主北辰と彦山権現、當時〔筑紫の教到四年にして第廿八代安閑天皇元年なり、〕天竺摩訶陀國より、持来り給ふ如意珠を乞ひ、衆生を済度せんと計り給ふ、」――『八幡宇佐宮繋三』

 細注に記された「筑紫の教到四年にして第廿八代安閑天皇元年なり」という文は、いわゆる九州年号の「教到」が天皇家とは別の筑紫地方の年号、あるいは筑紫の権力者が公布した年号であるという、編者の認識を示している。たとえば、鶴峯戊申の『襲国偽僭考』中に記された九州年号が古写本「九州年号」という書物からの引用とされているが、この「九州年号」という書名にも、同年号を九州地方の年号とする認識が示されている。これも同様の現象である。

 いわゆる九州年号は九州地方の寺社縁起などに濃密に分布している。その分布事実と「筑紫の年号」あるいは「九州年号」という認識は、偶然の一致とは考えられず、九州年号の実在を証明する現象と言わなければならない。そして、この事はタイ国九州王朝説の正しさをも指し示す論証力を有するのである。


 

倭国と日本(20)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月17日(日)10時23分43秒
  隋書』では「帝紀」に「倭国」を記載している。之は「倭国が朝貢してきた」というものであり、対等な外交を要求してきたタイ([イ妥]国)国の面影すらない。いや、もっと重要な違いがある。607年に隋とタイ国は「国交断絶」(其の後遂に絶つ)とあるが、倭国は608年以後にも朝貢を続けているのである。(610年など)此の事からタイ国と倭国が別国であることは明白なのである。

さて、倭国が大和王朝であることは先ほど述べた。又、『新唐書』から推測すると、その時の倭王は「用明天皇」であり、年代に約12年のずれがあることもわかった。聖徳太子は12年誤差説により、遣隋使ではなく、遣唐使を送ったことになる。もっとも、其れは『日本書紀』が隋との国交の記録を隠していたからで、『隋書』における倭国の記事のほとんどは聖徳太子や推古天皇の記録であろう。12年誤差説では、推古天皇は604年に即位したことになるが、その604年に倭国は隋に朝貢している。

一方で、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや・・・」の国書を隋の煬帝に送ったタイ国のタリシホコ(多利思北孤)は大和王朝の者ではないということになります。それではどこの王様か?大和ではない、それなら筑紫ではないでしょうか?というより、『隋書』を読む限りそうとしか読めないのです。

「其の地勢は東高くして西下り、邪靡堆(ヤマタイ、ヤヒタイ)に都す、則ち魏志の所謂(いわゆる)邪馬臺なる者なり。・・・」
「水陸三千里、大海の中に於いて、山島に依って居る。」
「阿蘇山有り。其の石、故無くして火起こり天に接する者、俗以て異と為し、因って祷祭を行う・・・」


阿蘇山と言えば、熊本県の阿蘇山です。まさに九州な訳です。そして、その倭国は魏志(三国志)の時代から中国とは行き来があり、首都はヤマタイと言い、昔の邪馬台国だと言うのです。私は邪馬台国九州説なので、完璧にタイ国は九州です。

いや、「私は九州説なので…」というのは「主観的」かもしれません。然し、既に「タイ国は大和に非ず」ということを証明したのですから、ここでは九州と考えても問題ないでしょう。

さて、一方の大和ですが、12年誤差説では裴世清が大和に来たのは620年となります。裴 世清は隋の時代に九州へ行き、唐の時代に大和に来たわけです。それでは、次に九州にあったタイ国がどうのような国であるかを見ていきます。
 

パチンコは自粛しないでしょう

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月17日(日)09時53分53秒
  >パチンコはどうなるのだろう。 <

解法者さんもご存じのとおり、パチンコは民団の「大事な」収入源ですからね。北からの援助が期待できる朝鮮総連よりも、民団の方が厄介ですよ。無論、朝鮮総連も「パチンコ」はやっているし、「在日皇民化」でもしないとこれは解決しないでしょう。

おそらく、民団の人は「日本から電気を奪えて万歳!」とでもやっているのでしょう。判明しているだけでも「140万円」の賄賂を民団から受け取っている菅首相がパチンコを取り締まるはずもないし。
 

自動販売機の自粛

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月16日(土)22時34分47秒
   石原東京都知事の「軒並み自販機が並んでいるバカな国は、世界中にない。自分の家で冷やせばいい」と発言したことに波紋が広がっている。全国清涼飲料工業会によると、東京電力管内に自動販売機が87万台。最大消費電力は約26万キロワットで福島第一原子力発電所の1号機の出力46万キロワットの半分以上にもなる。
 おもしろいことに都議会の民主党が中心となって冷却機能を7月〜9月の午前10時から午後9時の間に停止させるという条例案を提出するという。これに「蓮舫」行政刷新担当大臣が「経済活動に影響が出るものを権力で要請するのは国民がどう考えるか」と早速噛み付いた(産経新聞 平成23年〔2011年〕4月16日〔土〕朝刊 東京14版28面)。さすが人権論者だけあって言うことが厳しい。だが<国民がどう考えるか>はいただけない。「国民」など引き合いに出さずに<絶対反対だ>と言うべきだ。これでは民主党専売の「大衆迎合主義」そのものだ。「蓮舫」の発言を受けて世論調査が行われると思うが、そこで<規制賛成>と出たら、何と抗弁するのであろうか。これを聞きたいものだ。それよりも自党である都議会の民主党を批判し、条例案の提出を阻止すべきだ。さらに「蓮舫」は節電担当大臣でもあるから、夏場に向けての<節電対策>を提示すべきだ。それを提示してから自動販売機の節電を批判すべきだ。底が浅い。文句を言えば、マスコミは面白がって取り上げてはくれるだろうが、すぐに馬脚を現す。発言に気をつけたらいいが、軽薄で思いつきを言うだけだから、直るはずもなかろう。
 私は自動販売機の電力を削減して、工業へ回したらよいと思う。ただ、東京でも夜道を歩いていると自動販売機の電気が消えたり、一部節電している。石原東京都知事にはかなわない。パチンコはどうなるのだろう。
 

危惧していたことが・・・

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月16日(土)17時20分46秒
編集済
  茨城震度5強「余震とみていない」気象庁 震源は茨城南部と訂正
産経新聞4月16日(土)14時10分[.] 16日午前に茨城県南部で震度5強を観測した地震について、気象庁は同日午後の記者会見で「3月11日の本震の余震域から外れており、余震とはみていない」と説明。別の地震が誘発されたか、単独で発生したとの見解を示した。

 会見した気象庁の長谷川洋平地震情報企画官によると、今回の地震は東日本大震災の本震である東北地方太平洋沖地震とは異なるプレートの境界付近で発生。「定常的に地震活動が活発な場所だが、3月(11日)の本震を受けてひずみがたまり、影響が及んだ可能性もある」という。

 この地震の余震については「震度4程度が予想され、それほど心配ない」とした上で、「本震の余震活動が続いており、土砂災害や家屋の倒壊などの危険性が高まっているおそれがある。引き続き十分に注意してほしい」と述べた。

 また発生当初、「栃木県南部」としていた震源について「茨城県南部」に訂正した。

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誘発された地震の方が余震よりも恐ろしいと、嘗て述べたが、誘発された地震は新潟だけではなかった。

先程余震とした地震が実は誘発されたものであることが判明、しかも震源地も離れており、東海地震の可能性は低いが、関東大震災が誘発される恐れは十分にある。関東の皆様は充分に注意してほしい。

なお、先日の大規模余震の原因が判明した。

先日のM7余震、予想外の井戸沢断層が原因
 

「レベル7」は先月から判明していた!

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月16日(土)12時35分31秒
  【大新聞が書かない福島原発 破滅的な真相】遅すぎた「レベル7 」引き上げ
日刊ゲンダイ4月16日(土)10時0分[.]

 原子力安全・保安院が、12日原発事故の深刻度を「レベル5」から最悪の「レベル7」に一気に引き上げた。(中略)安全・保安院の西山英彦審議官は、レベル7に引き上げながら「放射能の放出量はチェルノブイリの1割程度だ」と、楽観的なことを語っていた。それなら「レベル7」に引き上げる必要はない。なにがあったのか。

 原発事故の深刻さを示す「国際評価尺度」では、放出された放射性物質の量が重要な判断基準になる。放出量が数万テラベクレルを超えると「レベル7」と評価される。福島原発は、安全委の推計でも63万テラベクレルだ。これは大気中への放出だけで、海水への漏出を含めると、さらに放出量は上がる。

 なにより深刻なのは、福島原発はいまでも放射性物質を吐き続け、事故を収束させるメドが立たないことだ。いずれ520万テラベクレルを放出したチェルノブイリを上回る恐れがある。東京電力の松本純一・本部長代理も、12日の記者会見で「放射線量の合計はチェルノブイリを超えるかも知れない」と明言している。(中略)安全委の代谷誠治委員は、12日の会見で「レベル7の放射線量だということは先月に把握していた」と話していた。(中略)技術評論家の桜井淳氏がこう言う。

「原発の専門家は、福島原発が冷却システムを失った時点で『これはレベル7だ』と判断したはずです。政府はスリーマイルと同じ『レベル5』と言い続けてきたが、スリーマイルは事故を起こした原子炉は1つだけです。しかも、最後には冷却システムが働き、原子炉容器の損傷も起こらなかった。比べること自体ナンセンスでした」

 (中略)「政府は国民をパニックに陥れないために、『レベル5』と評価したのかも知れないが、防災は最悪から考えて徐々に解除するのが鉄則です。それに『国際評価尺度』は、たんなる数字ではなく、健康と環境へ与える影響のレベルを意味している。国民の健康を考えたら、低く評価すべきじゃない。なにより、過小評価すると、対応が後手後手になってしまいます」

 二言目には「ただちに健康に害はない」と口にしていた枝野官房長官は、今度も「チェルノブイリと違って、直接の健康被害は出さないできている」とコメントしているが、国民は詳細を知らされないまま、事態はどんどん悪化しているのだ。

(日刊ゲンダイ2011年4月13日掲載)
[.](c) 2011 Nikkan Gendai

このように、今回の地震は管直人も詐欺師であることが判明した。作業員は二十人以上が被爆しているという。もういい加減原発は廃止しなければならない。
 

また余震

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月16日(土)12時05分34秒
編集済
  茨城県南部で震度5強…津波の心配はなし
産経新聞4月16日(土)11時25分[.] 16日午前11時19分ごろ、関東地方で地震があり、茨城県南部で震度5強を観測した。気象庁によると、震源は栃木県南部で深さ約70キロ。地震の規模を示すマグニチュード(M)は5.9と推定される。なお、この地震による津波の心配はない。

 主な震度は次の通り。

 震度5強=茨城県南部。震度5弱=茨城県北部、栃木県南部、埼玉県北部。震度4=福島県中通り、福島県浜通り、栃木県北部、群馬県北部、群馬県南部、埼玉県南部、千葉県北西部、東京都23区。

[.]Copyright 2011 SANKEI DIGITAL INC.[.]

津波の心配がなくてよかった。

聞くところによると、M8も起こる可能性があるという。今回の地震とは無縁の播州人として、関東の人々の安否を心配している。

ところで、やはり福島第一はレベル7になった。原発反対。
 

一つの案

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月16日(土)11時24分7秒
編集済
  震災復興院」――省庁から独立した組織。首相に代わり、自衛隊や専門家を動かす権利を持つ。(竹下先生の案を参考)

「震災復興委員会」――少人数の専門家による、非政治的な組織。政府からも独立。(解法者氏の案を参考)

>委員は被災した東北3県の知事、地元財界の大物、漁業組合のまとめ役、都市計画学者、災害法学者、大切なことは自衛隊の幕僚長を忘れてはならない。政治家は必要ない。経験もなく利害関係があるからだ。少人数で結構。多いと会議が踊りまとまらないからだ<

無論、「震災復興院」の下部組織として「原子力対策部」、「水産業復興部」、「市街地復興部」などを置く。これらは「日本国」及び『日本国憲法』からは独立した組織。解法者氏の言う「憲法停止」は「無法状態」になりかねないから、代わりに『大日本帝国憲法』を導入する。その法的根拠去年十二月の過去ログ参照。

政府の存在を否定すると、菅首相が実行する気をなくすであろうから、菅首相には「大日本帝国総理大臣」となってもらう。『大日本帝国憲法』に基づき自衛隊(軍)の統帥権無し、衆議院の解散権なし、裁判所長の罷免権なし、閣僚の任命権無し、の総理大臣となるわけである。そうすると、戦前の総理大臣の気持ちがよくわかり、軍事権がなかったにもかかわらずA級戦犯になった人の気持ちもわかるだろう。

戦後の総理大臣は権限が多すぎる。戦前に戻して、無能な首相の権限を減らすべきであろう。大日本帝国に戻っても、「帝国議会」の三分の二以上の賛成で今と同じ体制に戻るわけだが。
 

復興に向けた組織はどうあらねばならないか

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月16日(土)10時35分0秒
   政府を批判ばかりしているだけでは事態は変化しないから、復興に向けた建設的な意見を提示してみたい。やはり「震災復興庁」が必要と思える。関東大震災、戦後復興にその前例がある。「震災復興庁」 法律に基づいた機関が必要で、単なる首相の諮問機関・提言機関では困る。内閣と一体になって強制力を付与することが必要だ。政治家の関与は国会に止める。つまり、復興案は国会の承認を要するとすれば足りる。もちろん首相が先頭に立たねばならないから内閣府に附属させる。
 長は官僚OBがいい。復興の実働部隊は官僚が担うから調整も必要だし、何よりも押さえが利かなければならないからである。今、思いつくのは「石原信雄」(元総務省事務次官−内閣副官房長官)。次長には伊豆大島の噴火のときに後藤田官房長官を補佐した「佐々淳行」(内閣安全保安室長)がよいと思う。委員は被災した東北3県の知事、地元財界の大物、漁業組合のまとめ役、都市計画学者、災害法学者、大切なことは自衛隊の幕僚長を忘れてはならない。政治家は必要ない。経験もなく利害関係があるからだ。少人数で結構。多いと会議が踊りまとまらないからだ。
 もちろん、これだけでは機能しないから、その下部に「原子力対策部」、「水産業復興部」、「市街地復興部」などを置けばよい。これを担うのは専門家に限る。「菅 直人」首相の「東日本大震災復興構想会議」の轍を踏まないことだ。
 復興には<私権の制限>が必要で、これについての法整備は後述する。
 

Yes I CAN NOT!

 投稿者:  投稿日:2011年 4月16日(土)05時19分36秒
  五百旗頭って確か田母神閣下の天敵ですよね。なんであんな人を座長にしたのかな。

ここはやっぱり“CAN  NOT”(菅直人)の私的機関より竹下先生が書いた“震災復興院”や被災地域の知事が言った“東北復興院”なんかを設置して官民力を合わせて復興事業に取り組まなきゃだめなんじゃないかな。
 

首相のお遊びに付き合ってられない

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月15日(金)22時20分5秒
   「菅直人」首相は、有識者や被災地首長らで作る「東日本大震災復興構想会議」(以下「復興会議」という)を立ち上げたがいかに遅い。そればかりかこれは公式なものではなく首相の取り巻きなどを中心とした私的機関であるという。一体いくつ機関を作れば気がすむのか、正に<会議は踊る>を地でいっている。結局無能なんだろうが、復興が一向に進まず、そのツケは被災者および国民に回るからたまらない。
 「復興会議」のメンバ−を見て驚いた。議長「五百旗頭 真」(いおきべまこと)〔防衛大学校長−政治学者(元神戸大学教授)〕、議長代理「安藤忠雄」(建築家)、「御厨 貴」(みくりや たかし)〔政治学者(東京大学教授)〕、特別顧問「梅原 猛」(哲学者〔元京都市立芸術大学教授〕)、東北関係者「村井嘉浩」(宮城県知事)、「達増拓也」(岩手県知事)、「佐藤雄平」(福島県知事)、「赤坂憲雄」(民俗学者・福島県立博物館長)、「内館牧子」(脚本家・東北大学相撲部総監督)、「玄侑宗久」(住職・作家)、「高成田 亨」(仙台大学教授〔朝日新聞元記者〕)、「中鉢良治(ソニ−副会長)、「橋本五郎」(讀賣新聞特別編集委員)、そのほかの有識者「大西隆」(都市工学者〔東京大学教授〕)、「河田恵昭」(防災工学者〔関西大学教授〕)、「清家 篤」(労働経済学者〔慶応義塾大学学長〕)、という。
 復興だというから、都市計画を立案することが眼目となる。このなかで役に立ちそうなのは、「村井嘉浩」(宮城県知事)、「達増拓也」(岩手県知事)、「佐藤雄平」(福島県知事)、「大西隆」(都市工学者〔東京大学教授〕)、「河田恵昭」(防災工学者〔関西大学教授〕)だろう。「安藤忠雄」は建築家であるが、都市計画に長じているか疑問だ。議長の「五百旗頭 真」すら何の役に立つのかわからない。「内館牧子」に至っては相撲のおばさんだが、一体災害復興に関係があるのかしら。
「玄侑宗久」、「高成田 亨」、「中鉢良治」、「橋本五郎」、「清家 篤」にしても同じである。

 「阪神・淡路復興委員会」のときは、委員が7名で半分以下。委員長は「下河辺 淳」(元国土事務次官)だった。委員は兵庫県知事、神戸市長、地元の財界人で構成された。「下河辺 淳」は自ら各省庁との調整に奔走した。「阪神・淡路復興委員会」は政令で定められ「提言機関」の位置づけだったが、やはり法令の裏付けがあるのは違う。委員会の多くの提言が実現したという(讀賣新聞 2011年〔平成23年〕4月15日(金)朝刊 東京14版3面)。
 どうして官僚を登用しないのだろう。復興の手足となるのは官僚をおいてない。また、地元の財界人がいないのもおかしい。「内館牧子」、「玄侑宗久」、「高成田 亨」、「中鉢良治」、「橋本五郎」、「清家 篤」よりも役に立つだろう。
 ともあれ、一体どういう基準で委員を選んだのか、理解できたら天才だろう。それにしてもこういう人たちはよく引受けたものだ。
 

災害に会ってみるのもよい経験だろう

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月15日(金)13時49分11秒
   国民の大半の人は災害に会うことなく一生を終えると思える。
  何度も災害に遭遇した私からすると会ってみることも良い経験だと言える。
 昭和30年(1955年)10月の新潟大火のときには、家が焼けて2週間ほど小学校の体育館に避難していた。よく覚えているが、そこは人の住むところではない。バタンキュウの寝つきの良い私でも喧騒のなかでなかなか寝付けなかった。神経質のすぐ下の弟は大変だった。現在の避難所はダンボ−ルなどで仕切りが作られているからある程度のプライバシ−が守られていて幸せだ。
 母もこれを心配して長屋を探して移った。4畳半(あったか記憶がない)、6畳そして台所の長屋の一角で女中も含めて8人が暮らした。押入れに寝た。机などないからミカン箱で勉強した。長屋 今の人はよく知らないと思うが、よくドラマなどに出てくる江戸時代のそれとそっくりと思えばよい。今にして思えば、江戸時代にタイムスリップしたような感じだった。住んでいるのは貧乏人ばかりで生活が見えておもしろかった。ただ当時は終戦から10年でまだまだ日本も貧しかったし、みんながそうだったから別に驚きもしなかったし悲嘆に暮れたこともなかった。助け合いの社会でそれがなければ生きてはいけなかっただろう。とても幼少時にも貧民窟のそばに住んでいたから、よくよくそういうところに住むという運命だったのだろう。良い経験だった。
 慰問品はハワイの親戚からも送られてきた。アロハが入っていたのにはマイッタ。米軍からも軍事携帯食(大きな缶詰になっている)が届けられ、別にコンビ−フもあり、初めて食べたが、それを見て戦争に負けたのも当たり前だと思った。
 旅館は再建した。母は大変な苦労をしたと思う。従業員のうちで一緒に暮らした女中は知恵遅れの人と行き場のない人だった。彼女らを見捨てるわけにはいかなかった。彼女らのためにも頑張ったと思う。再建後には従業員は板前の一部を除いて全員戻ってきた。
 経営者は従業員を抱えている。彼らの生活も支えている。東日本大震災で被災した経営者も再建を諦めてはならない。従業員を見捨ててはならない。昔は再建が孤立無援でもっと困難だっただ。
 

土左衛門

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月15日(金)00時35分23秒
   この意味をわかる人も年配者ではなかろうか。郷里の新潟は信濃川の河口。
大雨が降るとよく上流で洪水が起きたものだった。
 そして、よく土左衛門が流れてきた。一度、ボ−ト部の練習に特別参加して
拾い上げたことがある。丁寧に拾い上げないとバラバラになるから要注意だった。
土左衛門 酷いものだった。今回の津波でも海に流された者は同じようだと
思える。それと陸地にしても溺死した人は崩壊した家屋、流木にぶつかって
バラバラになっていたり、酷い状態になっていると思う。遺体の収容に当たって
いる自衛隊、消防団、警察の方々もこうした惨状に接するのは初めてのことだ
ろう。本当にご苦労様であるが、国民も彼らに敬意をはらうことも必要だ。
 

邪馬台国(59)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月14日(木)21時53分19秒
   これも前記で説明したが、九州の方が大和より明らかに鉄刀・鉄剣が多い。しかし、これも「大和」では墓に副葬する習慣がなく残存する数が少ないのは当然だという指摘もある(「弥生時代の九州と畿内の比較は難しい」佐原 真〔『邪馬台国は東遷したか』58頁〕。
 青銅器・鉄器は壊れたり不要になると地金として回収し、新しい製品に姿を変えるのが普通だから墓に副葬されたり、銅鐸のように意図的に埋められるなど特殊な場合に限って姿を留めることになる。だから弥生時代に副葬の風習のあった北九州となかった畿内とを、いま残る鉄器の数で比べても弥生時代当時の比較にはならない(朝日新聞 1980年9月6日夕刊の「佐原 真」の発言)とする見解がある。しかし、これはどうかと思う。北九州でも集落遺跡跡からの鉄器の出土もあり、畿内と比較しても67:24となっている(『邪馬台国の東遷』奥野正男 126頁)。「鉄器」はやはり九州北部が畿内を圧倒している。
 今度は「銅」についてである。朝鮮半島から九州北部に「銅」が伝わり、この地で「青銅器」が製造され九州以外の地に搬出されたとし(『邪馬台国の東遷』奥野正男 179頁)、また「大和」の銅が直接に中国の華北から九州を経由しないで畿内に流れるとは有り得ない(『三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か』安本美典 118頁)とする見解がある。銅が貴重品であれば、どこの地域だってそれの原材料を生産地から求めるのは当然のことである。わざわざ対立している地域から求める者はいない。敵国に貴重品を握られてしまうからである。それと仮にそうであるにしても「青銅」(「銅鐸」・「青銅武器」・「武器形祭器」)の総量も「大和」:「九州」=2.5;1となっており、鉄器とは逆に「大和」の方が多い(同 63頁)。どうして貴重な銅の移入地の九州が大和より少ないのかの説明になってない。逆に勢力が劣っていた証左だろう。
 これは、北部九州では「青銅器」からいち早く「鉄器」にその重点を移したとも考えられるのではなかろうか。「邪馬台国」が「大和」に東遷したことには結びつかない。
 

これはオカシイ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月13日(水)21時19分14秒
   名古屋市千種区の契約社員「磯貝利恵」さん(当時31歳)が2007年8月、3人組の男に拉致、殺害された「闇サイト殺人事件」で、強盗殺人罪などに問われ、1審・名古屋地裁で死刑を言い渡された「堀 慶末」被告(35歳)と同じく無期懲役判決を受けた同「川岸健治」被告(44)の控訴審判決が2011年4月12日(火)、名古屋高裁であった。「下山保男」裁判長は「堀 慶末」被告については死刑判決を破棄し無期懲役を、「川岸健治」被告には無期懲役を維持した。
 本件は、第一審で死刑判決を受けた「神田 司」(控訴を取下げて死刑が確定)がサイトで人を募って見ず知らずの人に対する殺人を犯したという現在の世相を映し出すものとして注目を浴びたから覚えている方もおられると思う。犯行は平成22年9月、名古屋市千種区で路上にいた面識のない女性(31歳)を車で拉致し、現金を奪い、金づちで頭部を殴打して殺害。遺体を岐阜県の山中に遺棄したというものである。「神田 司」の呼びかけに応じたのが「堀 慶末」被告と「川岸健治」被告である。
 この度の控訴審判決では、『ネットを通じて知り合った者同士による犯罪であることを、過度に強調するのは相当ではない』と述べたうえで、被害者が一人であることから、「堀 慶末」被告については、安易に「神田 司」の誘いに応じたもので、犯行を反省していることと更生の可能性があることから、死刑判決を破棄して無期懲役に、「川岸健治」被告についても同じで、同被告が自首したため犯行の全貌が明らかになったという側面を持つとして第一審と同じく無期懲役を維持した。
 ここでも<一人殺せば無期で、二人殺せば死刑>というオカシナことがまかり通っている。見ず知らずの者を殺害するという主犯「神田 司」の誘いに安々と応じてしまうという安易な正確こそ再犯の可能性が高いと見るのが常識というものであろう。<犯行を反省している>というが、法廷で犯行を反省しない被告など稀有な存在である。安易に<犯行を反省している>ということを認めてはならない。強盗殺人は被害者に何の落ち度もないのであるから、原則死刑を考え、情状酌量の余地が極めて高いときに無期懲役を科すべきではなかろうか。実際の裁判では自首=減刑というのがお決まりのコ−スだが、「川岸健治」被告にしても<自首>を強調するのもどうかと思われる。殺人を犯して「自首」すれば減刑というのでは「自首」が手段に使われてしまうという危惧がある。
★ 讀賣新聞 平成23年4月13日(水)朝刊 東京14版 35面
  産経新聞 平成23年4月13日(水)朝刊 東京15版 21面
 

誤解を正す

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月13日(水)14時51分21秒
  的を射ているよ
投稿者:解法者  投稿日:2011年 3月10日(木)12時37分30秒

    「歴史の観察者」さんの考えは的を射ているよ!
 板付遺跡の付近に「邪馬台国」があったとは到底思えないな。
 古田武彦という毒饅頭を喰った者が多いのには驚いた。センセイ−ショナルで
素人を引き付けるからな。一度喰ったら止められないのかもね。

思い出した
投稿者:解法者  投稿日:2011年 2月 8日(火)13時01分30秒

    皇国の護国運動家さんは確か「豊前王国」を言っていたが、「邪馬台国」は
豊前王国? 「富来 隆」氏もそう言っていたな。

====================================

以上の二つは誤解である。まず、古田氏は確かに邪馬台国は板付け遺跡の周辺としているが、其れは『東日流外三郡誌』の邪馬台国で、『魏志』の邪馬壹国ではない。つまり、解法者氏のこの表現は誤解があると思われる。(過去ログを調べると、歴史の観察者氏がその原因)

次に豊前王朝の件。私は大芝英夫氏のような古事記豊前王朝説を支持しない。唯、「多婆耶国豊前説」を述べているだけである。

「板付遺跡の付近に「邪馬台国」があったとは到底思えないな。」私もそうです、時代から違うから。(笑)
 

たちあがれ日本

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月13日(水)14時16分20秒
  徳島――公認候補当選
神戸――議席2から1
東京――決起人が都知事

悪くはない成績かな。然し、「打倒民主」「打倒自民」の目標を達成できず、地方では相変わらず自民党の影響が大きいことが判明、「自主憲法」の制定には程遠いといえる。

つまり、今回の統一選挙は自民党の「実質的勝利」だったのである。残念、たちあがれ日本。
 

Wばかむら

 投稿者:DH  投稿日:2011年 4月12日(火)13時30分57秒
  河村たかしは思考能力が低下というか未熟=発達しないなのです。
古紙にまみれて原発の海に流してやれば少しはまともになります。
福井原発の周りのアワビ、エビと同じく必要以上に成長します。

前回の市長選で事務所を仕切っている人とお話させていただいたけど()、「税金を安くすれば国内の企業が名古屋に集まる」というお花畑の話をいただきました。
脳みそにインストールしているお花畑からは数字の論理しか見えてこないようです。

1+1=これは論理ですが、その論理を司るのは「世間」「市場」なのです。
このバカムラはアッパラパーの大村と組んで、世間を見ないようにしているのです。

もうすぐTPP加盟も話題になってきます。
こういうことになれば貿易愛知は経済がさらに発展すると甘く見ています。

農に対してはもうすでに愛知農産物をブランド化するなどの手を打って対策は万全らしいです。
値段を聞くと「・・・・」です。
このWバカ村はTPPを舐めてるというか、庶民感覚が全く存在していないようです。






 

「減税日本」惨敗

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月12日(火)12時53分41秒
   「河村たかし」名古屋市長が率いる「減税日本」が愛知県議員選挙で惨敗した。選挙前は1名だったのが13名となったから勝利ではないかと考える向きもあろうが、定数103名の過半数を獲得すると鼻息が荒かったから惨敗であろう。盟友の「大村秀章」愛知県知事の率いる「日本一愛知の会」が5名、推薦した自民党・公明党などの公認候補27名を入れて大目に見たとしても45名で過半数に達しない。
しかも、「減税日本」の当選者は名古屋市内に止まり、それ以外の地域からは1名の当選者も出してない。
 『大震災の今、増税はとんでもない。景気を悪くするだけだ』という主張は理解できるが、『減税すべきだ』はないだろう。「減税日本」の掲げるものは<市民税10%減税>であるが、これが減税の恩典が富裕層ほどあるという現実を誰も指摘しない。貧困層はそもそも税金を払ってない。年収の少ない人は市民税にしても税率が低く、10%の減税といっても額は少ない。つまり市民税をたくさん納めている人ほど10%の減税は大きい。したがって「減税日本」に真っ先に飛びついたのが富裕層で、「減税日本」の候補者に会社役員が多いのはこれを物語っている。
 名古屋市の財政は、「地方債」を400億円も発行し「実質公債比率」でも全国ワ−スト6位というから、減税など絵空事だ。大半の市民は<減税>の恩典を受けてないのに「減税日本」を支持する。<愚民>の典型的な例であろうが、そういう者たちを煽って権力を掌握するということがいとも簡単に可能となる現在の政治が可能というから、恐ろしい。これを「劇場型政治」というのであろうか、それとも「激情型政治」と呼ぶのであろうか。幸いにして愛知県ではこのような目論見が阻止されたが、消え去ることはないだろう。
★ 実質公債比率
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-co11200.htm
 

人民日報「朝日支局」惨敗

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月12日(火)12時38分27秒
   2011年(平成23年)4月10日(日)、統一地方選挙が行われた。
これを2011年(平成23年)4月11日(月)の朝日新聞の朝刊
(東京14版)から見てみたい。
1.東京都知事は「石原慎太郎」氏が圧勝だったが、「(震災後は)
 ドサクサで都知事が決まるような気がした。結果は高齢も多選批判も、
 天罰発言への顰蹙もかわしてあっさりと勝ちを決めた。(中略)国難
 という世の空気が強面を引き立て、かくて悠々と石原都政は続く」
 という(「天声人語」1面)
  朝日新聞が押す「民主党」が東京都知事候補を擁立できずに残念
 だったと思えるが、それにしても<ドサクサで都知事が決まる>と
 は立候補者に失礼ではないか。
  また、宿敵「石原慎太郎」氏が当選したことは慙愧の思いだった
 ろうが、<国難という世の空気が強面を引き立てた>のが現実であ
 り、大震災という国難こそ強面が必要だという有権者の意識を分析
 もしていない。
2.原発反対の選挙民の声を挙げる(3面)。そこには賛成者のコメン
 トはない。さらに鹿児島県議選で原発増設反対を訴えて社民党候補
 者が当選したと報道する(3面)。しかし、新潟県議選の「東京電力
 柏崎刈羽原発」のある柏崎刈羽郡選挙区(定数2)で、以前から原
 発反対を掲げる運動体のメンバ−が無所属新人として立候補したが、
 落選したことは報じない(当選者はいずれも自民党議員で原発維持
 の立場だった)。しかも原発を抱えている北海道、福井県、島根県、
 佐賀県の各候補者が原発維持を訴えて全員が当選したことには触れ
 ない。お得意の<世論操作>だが、当選した鹿児島県議選での社民
 党候補者でさえ、原発反対ではなく増設反対である。「朝日新聞」ご
 苦労様でしたと言うしかない。
3.『統一選 民主敗北』(1面)、『統一選 民主惨敗』の間違いじゃ
 ない。
  何しろ、民主党の当選者は自民党のそれの1/3にも満たないし、
 擁立した候補者571人のうち当選者は344人(当選率60%)
 という惨状だった。札幌、新潟、神戸など15の政令都市でも第三
 党で、政権党としては見る影もない。
 結局、惨敗したのは民主党と共に民主党をヨイショしていた「朝日新聞」
だったのである。
 

邪馬台国(58)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月11日(月)23時07分19秒
   「邪馬台国」が「大和」に東遷したならば、北九州の土器なども当然に東遷されたと考えるのが普通であるが、「大和」にはその痕跡がない(「邪馬台国東遷の考古学的・神話伝承的根拠」奥野正男〔『邪馬台国は東遷したか』荒木博行・奥野正男 三一書房 1994年9月15日 45頁〕、『シンポジウム 日本の考古学 4−古墳時代の考古学−』白石太一郎・赤塚次郎ほか 学生社 1998年3月10日 [白石太一郎の発言]46頁)。逆に「庄内式土器」(『邪馬台国は二ヶ所あった−邪馬台国から初期ヤマト政権へ−』大和岩雄 178頁)と呼ばれる「土師器」の初期段階のものが「大和」から「九州」に見られる。これは「大和」の九州への影響が見て取れる(「弥生の城と突出墓」石野博信〔『古墳はなぜつくられたか』大和書房 1988年1月25日 28頁〕)。これに対しては「卑弥呼」より後の時代のことであるとの反論も寄せられている(関川尚功−『季刊 邪馬台国』43号〔『三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か』安本美典 97頁〕)。東遷を主張する者はこれを3世紀末から4世紀初頭のこととみる者が多いが(『三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か』安本美典 131頁)、そうすると今度は「三角縁神獣鏡」・「画文帯神獣鏡」・「斜縁神獣鏡」・「龍虎鏡」の分布が九州に極端に少ないという事実を説明できない(『邪馬台国は二ヶ所あった−邪馬台国から初期ヤマト政権へ−』大和岩雄 128頁)。
 また先に「鉄剣」の問題について述べたが、九州の「鉄剣」は柄をつけるナカゴ(剣を柄〔ツカ〕にはめるときの先のもの)が非常に短いが、瀬戸内海沿岸ではそれが長いのが特徴で、九州の「鉄剣」がそのまま「大和」に持ち込まれたとは考えがたい(奥野正男−前掲書31頁)。
 

津波警報は解除――マグニチュードは未定

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月11日(月)18時53分52秒
  福島・茨城で震度6弱、津波警報・注意報解除
読売新聞4月11日(月)18時27分[.] 11日午後5時16分頃、福島県浜通りを震源とする地震があり、福島県いわき市、茨城県鉾田市で震度6弱を観測した。

 東京都内は震度4だった。

 この地震により、茨城県沿岸で津波警報が、宮城県から千葉県沿岸にかけては津波注意報が発令されたが、同6時5分に解除された。

 同庁によると、震源の深さは約10キロ、マグニチュードは7・0と推定される。
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再び津波が来ると思われたが、その心配はなくなった。然し、あの福島で再び揺れが起きたのであるから、注意すべきであろう。

一方で、次の情報もある。

福島・飯舘村「津波は大丈夫か」 計画的避難の説明を続行
産経新聞4月11日(月)18時19分[.] 福島第1原発の事故を受けて「計画的避難」の対象となった福島県飯舘村では、村役場の2階で自治会長への説明が行われていた最中に強い揺れが襲った。椅子やテーブルが大きく揺れ動く中で、出席者らは「またか」「津波は大丈夫なのか」と淡々とした様子だった。

 職員らが館内の点検などを行い、館内放送で「震度4」と流れると「もっと強いかと思った」との声が上がった。その後も揺れが続いたが、大きな混乱はなく、自治会長への説明が粛々と続けられた。

[.]

福島・茨城で震度6弱=続いて震度5弱も2回?津波警報を一時発令・気象庁
時事通信4月11日(月)18時36分[.] 11日午後5時16分ごろ、東北地方で地震があり、福島県の浜通り、中通りと茨城県南部で震度6弱の揺れを観測した。気象庁によると、震源地は福島県浜通りで、震源の深さは10キロ、地震の規模(マグニチュード)は7.1と推定される。同庁は茨城県沿岸に津波警報を発令、宮城、福島両県と千葉県九十九里、外房に津波注意報を出したが、同6時5分に解除した。
 また、同5時17分と同26分ごろにも地震があり、いずれも福島県で震度5弱の揺れを記録した。
 東京電力によると、福島第1原発1〜3号機の外部電源が途絶し注水が止まったが、約50分後に再開した。
 また、東北電力によると、福島県いわき市などで計22万戸が停電。運転停止中の女川原発(宮城県石巻市、女川町)と東通原発(青森県東通村)はいずれも外部電源が確保されており、冷却機能は維持されている。
 JR東日本によると、東北新幹線(東京?那須塩原)、上越、長野新幹線は全線で運転を見合わせたが、約15分後に再開した。
 NEXCO東日本によると、磐越自動車道は福島県のいわきジャンクション?猪苗代磐梯高原インターチェンジ(IC)間が、東北自動車道は白河IC?福島西ICがそれぞれ通行止めに。常磐自動車道は東日本大震災の被災区間を含め、全線通行止めになった。

[時事通信社]

マグニチュードについて混乱はあるようだが、やはり七を超える相当大きな地震なのだろう。

東日本にお住まいの皆さんはくれぐれも注意してください。九世紀の同じ地震の際には、その後私の住んでいる近くの山崎断層も動いたそうですから、私にとっても他人ごとではありません。とりあえず、津波の心配が来なくて良かった。同じ日本人として少し安心しました。
 

倭国と日本(20)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月11日(月)18時36分31秒
編集済
  隋書』では「帝紀」に「倭国」を記載している。之は「倭国が朝貢してきた」というものであり、対等な外交を要求してきたタイ([イ妥]国)国の面影すらない。いや、もっと重要な違いがある。607年に隋とタイ国は「国交断絶」(其の後遂に絶つ)とあるが、倭国は608年以後にも朝貢を続けているのである。(610年など)此の事からタイ国と倭国が別国であることは明白なのである。  

RE:邪馬台国(57)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月11日(月)18時21分49秒
  倭奴国が邪馬台国に滅ぼされたと言われますが、はたしてそうでしょうか?

ええと、解法者氏の考えがこれでわかってきました。九州倭奴国と天皇家の邪馬台国があって、邪馬台国が二世紀ごろに倭奴国を併合したという仮説ですね。ですが、私の考えでは「倭奴」は「匈奴」の対義語になると考えています。また説が違いましたが、私の説については後で述べましょう。
 

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月11日(月)18時16分19秒
編集済
  高温超電導の件もありますし、常温核融合も本当に起こったのかもしれませんし、或は良くある虚報かもしれません。唯、その常温核融合が「誤報告」とされたため、今後虚報が起こる可能性は低いでしょう。詰まり、今後常温核融合が確認されたら、まず「本物」としていいわけです。

そう考えると、常温核融合の報告も無意味ではなかったと思います。研究者たるものは自信がなくとも発表すべきでしょう。私のような素人(というより、この掲示板の投稿者のほとんどは素人で学者ではないと思うが)にとっては「状況判断」以外に信憑性を判断する根拠がないのですから。

やはり、こういうことは学者にしかわからないのかもしれませんね。杏氏の意見はどうなのでしょうか?あと、できたら理系の常連である珍宝啓氏の意見も聞きたい。他にも詳しい方がいたら教えてください。私は英語の論文が読めませんから、調べても情報源が限られます。
 

常温核融合

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月11日(月)18時06分1秒
  私は此の現象により、恰も相対性理論が崩壊したかのような話を聞いたことがあるが、其れは根拠に乏しい。

問題はスタンレー・ポンズ教授の実験が成功か、ということではない。例えば、大規模なトンネル効果によってたまたま起きた可能性もあるし、全くの出鱈目の可能性もある。唯、私は学者ではないので、実際に核融合の実験をやるつもりはないのですが、これまでの多くの学者が同じことを再現できなかった時点で「役に立たない」ことは明白である。

核変換現象かと思ったこともあるが、このミズノ理論は学説としてはあまり信頼せれていない。(第一、之は多元的宇宙論を批判する目的もあると聞くが、其れなら「確率」を説明できない)但し、「可能性の高い説」の一つとして処理すべきであろう。

個人的には、此の現象は何らかの小規模な核現象が起きたものであると考えているが、「核融合」と言われると、余りにも私の常識から離れすぎているので、ここでは「核反応」としておく。
 

地震再び

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月11日(月)17時46分48秒
  <地震>福島、茨城で震度6弱、津波警報=午後5時16分
毎日新聞4月11日(月)17時20分[.] 11日午後5時16分ごろ、福島県中通り、同浜通り、茨城県南部で震度6弱を観測する地震があった。気象庁によると、震源地は福島県浜通りで、震源の深さは約10キロ、地震の規模を示すマグニチュドは7.1と推定される。

 このほか、福島県中通り、茨城県北部で震度5強▽山形県村山、山形県置賜、福島県会津で震度5弱を観測した。

 気象庁はこの地震で、次の地域に津波警報・注意報を発令した。

 ▽茨城県:津波警報▽宮城県:津波注意報▽福島県:津波注意報▽千葉県九十九里・外房:津波注意報
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あらら、また津波だ。被災地の方は原発に津波と大変でしょう。私からはこれ以上の死者が出ないことを祈ります。

杏氏より常温核融合についての事を聞かれましたが、之については今から投稿します。
 

護国さん

 投稿者:あんず  投稿日:2011年 4月11日(月)17時18分52秒
  素晴らしい!
凄い知識をお持ちなんですね!

かなり前、常温核融合の実験に成功したとの報告がありました。
世界中の研究機関が再現を試みましたが、まだ決着はついていません。
護国先生の御意見は?
 

核融合

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月11日(月)13時03分4秒
  燃料電池は最終的には核融合に落ち着く、とする意見があります。確かに、どちらも水素を使っているという点、似ているといえば似ているのですが、やはりこれも放射能を出します。ご存じのとおり、其れを利用したのが水素爆弾。

結局核融合発電も大反対という訳ではありませんが、「もんじゅ」さえ使い得ない我が国に核融合で暮して行けと言えますか?技術力の問題、核融合発電の技術はいまだに確立しておらず、何十年もたった原発でさえ、こういう事故が起きる。従って、(未来の世界は未知の世界ですが)今世紀中にはすべきではないでしょう。来世紀になると私も死んでいるので知りませんが。

此処で問題なのは、核が絶対悪か、ということです。そうではないでしょう。唯、今のところは「必要悪」でもありません。其処を考えると、大規模発電は地熱、水力(揚水式)小規模発電は太陽光、風力とすべきであると思います。


 

護国さん

 投稿者:あんず  投稿日:2011年 4月11日(月)02時06分33秒
  色々な発電方法を御存知なのですね。
驚きました。
では核融合に関してはどんな御意見をお持ちでしょうか?
 

J−CASTニュースより

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)15時12分29秒
  鳩山前首相「想定外だから仕方ないという話ではない」

また、前首相の鳩山由紀夫氏は3月19日、菅首相と民主党代表経験者との会談の際、東電に対し「想定外のときにどうするかという発想が足りなかったのではないか」「想定外だから仕方ないという話ではない」と批判している。


――――――――――――――――――――――――――――

遂に鳩山首相もきれた。もう菅も終わりだな。
 

皇国の護国運動家氏の指摘は鋭い

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月10日(日)15時10分11秒
  >まずアメリカ人は中国が好きで日本が嫌い、東南アジアには親日派は多いが、
経済は華僑に握られている<
>亜米利加合衆国の仮想敵国は日本<

 中国が台湾に侵攻したときにアメリカ世論は中国寄りになると思える。
こうした点からも日米同盟に危惧を抱いている。
 

邪馬台国(57)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月10日(日)14時51分18秒
  「邪馬台国」は『三国志』魏志倭人伝にもあるとおり「交易」による富で国家を支えていた。古代国家は農地を確保するよりも交易品を確保することで成り立ち、その交易路を押さえた者が権力を掌握したのである(武光誠−前掲書 273頁)。「卑弥呼」がたびたび「魏」に遣使したのは「魏」からの文物の授受とこの交易路の確保を「魏」に認めてもらうためであろうことは『三国志』魏志倭人伝の記事から容易に想像がつく。『三国志』魏志倭人伝に「卑弥呼が狗奴国の男王と仲が悪く戦争状態になっているので「魏」に救援を求めている」との記事が見える。これなども交易を巡る紛争であろう。それより以前の時代の「倭奴国」も「邪馬台国」と並んで「倭」の中の大国であり「魏」に朝貢して交易権を確保していたが、「邪馬台国」に「倭国大乱」(180年ころ)で敗れ去った。中国との交易を巡る争いに敗れたのである。これについては「倭奴国」の背後に控えた「邪馬台国」が水稲技術の発達により巨大な農業国となって力をつけ「倭奴国」を圧迫し、ついには「邪馬台国」により滅ぼされたとする考え(『日本古代の国家形成』水野 祐 講談社〔講談社現代新書〕1967年10月16日 75頁、奥野正男−前掲書 139頁)があるが、従えない。当時でも農業よりも交易の方が国家に莫大な富をもたらしたからである。「水野 祐」は「邪馬台国」は「狗奴国」により滅ばされて歴史上から消え去ってしまったと言うが(前傾書 88頁)、その可能性も『三国志』魏志倭人伝の両国の抗争の記事から捨てがたい。  

太陽光発電

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)14時48分46秒
  世界的に見たら、地域に限られる地熱や、資源の少ない原子力などよりももっといいものがある。それが太陽光なのだが、天気に左右されるため、完全利用は難しいようだ。然し、年間一テラワットの太陽エネルギーが地球上に降り注いでおり、其れは十年分である。  

風力発電

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)12時46分17秒
  風力発電は開発可能な分だけで世界の電力を補えるとされています。日本だけでも35ギガワットの発電ができ、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)による風況調査などで設置有望地域が多く存在する可能性が示されています。詰まり、日本に風力が向かないというのは出鱈目であったということです。

世界的にみると、年間約498000TWhの電力が得られ、之は全人類が使用している電力の四倍を超えます。尚、日本での陸上での導入量としては、2030年までに20GW、2050年までに25GWなどの導入シナリオが提示されており、さらに洋上(オフショア)発電まで考慮すれば、合計81GW程度まで利用可能と言われています。

これだけの電力、さらに地熱とも兼ね合わせれば原子力に頼る必要もないでしょう。然し、東北電力と北海道電力は電力連絡網(普段は使用されない)のほかには風力発電所を設置していません。東京電力や関西電力に至っては検討さえしておらず、今回の原発事故は起こって当然です、やはり天罰でしょう。
 

燃料電池

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)12時38分1秒
  この燃料電池を「天然ガスを改質して、水素を作って……」というように専門家は説明しています。然し、そんなことをしていると水素を作る段階で二酸化炭素が出てしまいます。そんな馬鹿なことをする前に、水を電気分解するという方法があります。そうすると、ほぼ純粋な水素が取り出せます。

このメリットは、レアメタルです。尖閣諸島事変でレアメタルの一種であるレアアースが禁輸されましたが、レアメタルはアルカリ性を除くすべての燃料電池に不可欠です。何故か?其れは純粋な水素を使っていないことと関係があります。詰まり、純粋な水素を天然ガスではなく水から取り出せばレアメタルは不要=中国に対しても強気になれるという、一石二鳥の展開となるのです。

 

原発

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)12時31分13秒
  この原発も不要です。原子力は地震の多い我が国は向いていない。寧ろ、地震に火山と地殻変動のおいに我が国、其処では地熱発電こそが有効です。

かといって、原発に必要以上恐怖しないように。これはあくまでも「現在」の話です。未来はどうなるかわかりませんが、今のところは原発は不要です。

考えてみてください、二酸化炭素と放射能、どちらが体に悪いと思いますか?答えは後者です。二酸化炭素は人間が生きていくうえで不可欠の気体であり、これがなければ人類は生きていけません。(酸素は寧ろ有害です)良く酸素が重要と言われますが、酸素は人間の体にあるDNAを破壊してしまうという厄介な性質を持っています。空気中の空気がすべて酸素であるならば、とっくに人間は死んでいるでしょう。
 

核武装

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)12時25分55秒
編集済
  核兵器は実戦では使用できない平気である。何故なら、一度それを使うと核報復の連続で、挙句の果てには人類が滅びるまで戦わなければならないからである。

核兵器よりも重要なものはいくらでもある。例えば、空母に揚陸艦、これが日本の海軍(自民党曰く、「小さな戦力」たる自衛隊)が持っていると今回の地震の被害も少しは小さくなったかもしれません。「東日本大震災」の教訓、これは「小さな戦力」では仮想敵国は無論、天災さえ免れないということ、そして日米安保の重要性でしょう。
 

二酸化炭素

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)12時20分30秒
  これを解決するのは、放射能に非ず、植物であろう。放射能は逆に植物を殺してしまう。植林こそが、壊された自然を基に戻す道である。  

地熱発電

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)12時18分5秒
  地域に合ったエネルギーというものがある。原子力は地震の多い我が国は向いていない。寧ろ、地震に火山と地殻変動のおいに我が国、其れは地熱発電を行う絶好の場所ではないだろうか?災いを転じて福となす、これぐらいの力量がないと首相は務まらない。(あれ?いつの間にか菅首相への批判になってしまった――人物が人物だから、しょうがない)  

パチンコ店を破壊せよ

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)12時07分12秒
編集済
  竹下先生からも公式論考「未曾有の大震災から日本が立ち直る為にも「震災復興院」を設置せよ!」が発表。その原発論、完全に賛成です。

【原発事故で、其の安全性が世界規模で問われている原子力発電に付いて。「原発は発電の際に温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)を排出しない」と言う触れ込みで、恰(あたか)も「脱石油」だとか「クリーンエネルギー」だとか持て囃(はや)されて来ましたが、正直言って、あれはとんだ嘘です。(中略)原発と言うものは「脱石油」と言い乍ら、建設にも運転(燃料輸送)にも解体にも石油は不可欠であり、挙げ句の果てに他の発電では生じない極めて危険で厄介な放射性廃棄物と言う「お釣り」迄付いて来る訳で、正直「夢のエネルギー」でも何でもありません。(中略)であるならば、従来からの火力や水力(近年脚光を浴びている小規模水力発電等)、そして、前述の風力や太陽光による発電等、原発以外の方法による発電所を増設したり、この際、東日本(50Hz)と西日本(60Hz)で異なる電気の周波数の統一を図ったり、店舗の大型電光掲示広告や五月蠅(うるさ)いだけの必要以上のBGMに対し規制を掛けたり、我々国民も国民で巷間でブームとなっている「ヤシマ作戦」(節電運動)のより一層の徹底を図ったり、とまだまだ出来る事は幾らでもある筈です。】

私の提案ですが、電気の無駄遣いであり、しかも在日と関係のあるパチンコを廃止すればいかがでしょうか?パチンコは麻薬に並ぶ北朝鮮の収入源であり、北だけではなく南も「民団」という組織を通じてパチンコの金を菅首相やその周辺にばらまいていること、其れを知る人は少なくありません。これを機にパチンコ店をはじめ、我が国に相応しくない団体(例:民団)をつぶしていきましょう。

菅首相が地位を保てた理由
@パチンコが儲かる
Aその金が民団へ行く
B民団より菅首相へ献金
Cその献金で非小沢グループを買収
D人数の少ない管グループが民主党を牛耳る
 

(無題)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)11時52分5秒
  いよいよ、チベットより声明発表
http://www.tibethouse.jp/news_release/2011/110407_japanoffice_info.html
有りがたい
 

これが現実

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)11時44分3秒
編集済
  砂浜にスジイルカ「地震との関係は不明」 神奈川
産経新聞4月10日(日)10時18分[.]

海岸に打ち上げられたスジイルカ=9日、神奈川県逗子市新宿(新江ノ島水族館提供)

 神奈川県逗子市新宿の海岸で8日深夜、散歩中の男性が、イルカ一頭が打ち上げられているのを発見、110番通報した。逗子署によると、イルカは体色が白くなりすでに死んでいた。イルカを確認した新江ノ島水族館は「地震との関係は不明」と話している。

 同館によると、体長2・27メートルの雄の大人のスジイルカ。体にはサメの一種、ダルマザメにかまれたとみられる跡があった。スジイルカは数百頭の群れで行動することから、何らかの原因で群れからはぐれたとみられる。相模湾沖を移動することもあり、時々打ち上げられることがある。

 県内では先月19日に鎌倉市七里ガ浜でカマイルカが、同26日に小田原市内でクジラの一種、コマッコウが海岸に打ち上げられているのが見つかったが、いずれもすでに死んでいた。

[.]Copyright 2011 SANKEI DIGITAL INC.

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0410/san_110410_1255550715.html

原発危機に初動から後手の政府、いらだつ米
読売新聞4月10日(日)3時14分[.] 2011年3月11日、マグニチュード9・0の巨大地震と大津波が襲った東日本大震災が発生して11日で1か月を迎える。

 原子力発電所事故を引き起こした複合危機は、日本国内だけでなく、国際的な問題にも発展している。原発事故では危機管理対応の空白が浮かび上がり、米国の苛立(いらだ)ちを増幅させた。

 大震災から一夜明け、東京電力福島第一原発の危機的状況が明らかになった3月12日午前9時前、米太平洋軍のウィラード司令官は、折木良一統合幕僚長に電話し、情報開示を求めた。

 「ワシントンから原発の情報提供を求めるよう言われた。フクシマは安全か?」

 しかし、自衛隊にも詳しい情報はなく、折木は「専門家が情報分析中だ。結果が出れば提供する」と答えるしかなかった。同日未明、1号機の格納容器圧力が異常上昇し、原子炉は危険な状態に陥っていた。ウィラードが心配したように同日午後、1号機原子炉建屋は水素爆発し、白煙が上がった。国内外に衝撃が走った。

 「米国の原子力の専門家を支援に当たらせる。首相官邸に常駐させたい」

 この日以降、ルース米駐日大使は枝野官房長官らに何度も電話をかけたが、枝野は「協力はありがたくお願いしたい。ただ、官邸の中に入るのは勘弁してほしい」と条件もつけた。
[.]

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0410/ym_110410_4954348201.html

原発事故、スリーマイル上回るレベル6の可能性
読売新聞4月10日(日)1時55分[.] 東京電力福島第一原子力発電所の事故の深刻さは、国際原子力事故評価尺度(INES)で、チェルノブイリ原発事故に次ぐ「レベル6」(大事故)である可能性が出てきた。

 経済産業省原子力安全・保安院は先月18日、暫定評価として米スリーマイル島原発事故と同じレベル5(施設外へのリスクを伴う事故)としていた。

 INESの評価は、国際原子力機関(IAEA)の基準をもとに、各国の監督機関が行い、IAEAに報告する。チェルノブイリ原発事故は、最悪のレベル7(深刻な事故)で、レベル6と確定すれば、商業炉の事故では初めてとなる。

 レベル5以上の大きな事故は、放出した放射性物質の量で判断される。原子力安全委員会によると、先月12〜24日に大気に放出されたヨウ素131の総量は、単純計算で約3万テラ・ベクレル(テラは1兆)。これは数千〜数万テラ・ベクレルというレベル6の条件にあてはまる。
[.]COPYRIGHT THE YOMIURI SHIMBUN[.]

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0409/ym_110409_9327601420.html

さすが、菅直人は運がいい。人間だけには飽き足らず、いるかまで地震で殺してしまって、自分は「在日からの違法献金がばれなかった、地震の神様、有り難うございます」とでも行って喜んでいるのだろう。「ザ・コ―ヴ」よりも残酷である。

これではアメリカが起こっても当然。無数の皇国臣民の屍を見て喜んでいる、在日韓国人ととても仲の良い首相、こいつに生きている価値はない。そこで皆さんに提案があるのだが、義援金をこれ以上送るのをストップして、代わりに菅首相を暗殺した人にあげる首賞金にしたらどうだろう?義援金はどうせ菅首相が配分するのだから、いくら送っても意味がないであろう。
 

亜米利加合衆国の仮想敵国は日本

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)11時32分36秒
  なんとなく、そういう予感がしてきた。いまにも、同盟国からハルノートが来るのではないか、そういう予感である。

ええと、まずアメリカ人は中国が好きで日本が嫌い、東南アジアには親日派は多いが、経済は華僑に握られている。

さらに重要なのは、国連憲章から「敵国条項」がまだ残っている。(当然、中国が残しているのであろう)そうすると、中国の日本侵略に対して、国連軍は助けてくれない。これはかなりヤバいのではないか、そして日本が中国に反撃すると、国連がPKOと称して中国を助けるのは目に見えている。
 

繰り返し言いますが…

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)11時20分3秒
  と氏の理解処理が低い能力のようなので、何度も説明する。

>ここで言う「国」は「皇国日本」ではない。寧ろ、其れは「皇」である。倒すべき「国」は「日本国」であり、その憲法典たる『日本国憲法』であり、それに基づく「正統な政府」たる菅内閣である。

>ここで考えていただきたいのは、「愛国」の一語である。若し之が「日本国」を愛すことなら、即ち「菅直人を愛す」こととなろう。何故なら、菅直人は「日本国」の最高権力者であり、「日本国」の象徴たる「天皇陛下」に任じられた「正統な政府」を率いているのであるから、「国家の代表」と言えるのである。

>そんな国を「愛」してどうする。寧ろ「倒」すべき対象であろう。

>これは石原都知事と同じ思想であり、かなりの政治家にこの考えは浸透しているのである。
 

これは正論

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)11時03分26秒
  >「邪馬台国」が東遷したなどということは歴史書のどこにもないのである。そこで、「神武東征」の主役「神武天皇」を280年ころの人にして「卑弥呼」の時代との整合性を持たせているのであるが、『古事記』では「神武天皇」のあった地を「日向」としており、ここを「邪馬台国」としなければ辻褄が合わないのである。加えて九州にあったとされる「邪馬台国」は前記のとおり「鉄剣」・「鉄鏃」などの武器が豊富で、それで以って「大和」を征服したとするのであるが、「神武天皇」の東征にはほとんど戦争がないことである(「三・四世紀の日本列島」原島礼二〔『古墳はなぜつくられた』大和書房 1988年1月25日 156頁〕)。「邪馬台国」の東遷は史実に合致しないのである。この考えは<ご都合主義>の域を出ない。<(解法者氏「邪馬台国」より)

その通りです。私は解法者氏とけんかするのが目的ではありません。唯、安本氏は保守派なので私は親近感を抱いているだけ、歴史にそのような感情は無用。

ただ、解法者氏に盲従するわけでもなく、少し意見を言うが聞いてもらいたい。まず、安本氏の説を解法者氏は誤解しているが、@邪馬台国は北九州にあったAその後、豊前に移動したBさらに宮崎県にも言って、神武天皇につながる――そういうのが安本説なのである。だが、其れには@年代の根拠が薄いA神武東征は奇襲的なものである、等の理由で私もこの説には賛同できない。

だが、解法者氏も誤りはある。まず第一に、日向は既に述べたように福岡県にある。そこにはクシフル丘もある。だから、神武天皇はそこから出発した。第二に、解法者氏は一世紀の倭国の首都を九州としているそうだが、(脱解王は一世紀)それなら二世紀に神武東征があったことになるのだが、それもまた根拠はない。第三に、亦解法者氏は紀元前に神武東征があったともしているが、それは脱解王の出身地が丹波であるという解法者氏の説と矛盾するだけではなく、当時は神武天皇の死亡年齢が百歳を超えていることでも明らかなように、当時の年代は倍数年歴であって、其れによると神武元年は紀元前二十年になる。

以上の理由により、解法者氏の誤りを解いたわけなのですが、私の説では邪馬台国の頃はちょうど崇神天皇、それだと解法者氏の倭百襲述姫説と年代的に会うといわれるのかもしれませんが、崇神天皇が、青の三道将軍を派遣なさった天皇陛下が、一皇女に魏との外交を任せますかね。それに魏の使者の目的は、――少なくともその一つは――日本の属国化にあるわけでしょ?それなら崇神天皇や、実質的に箸墓古墳を作った垂仁天皇のことも調べるはずですよ、そういうことで解法者氏の意見にはあまり納得いかないわけです。

まあ、歴史を解くには『魏志』だけでは不十分でしょう。『古事記』も解く必要があると思うのですが、いかがでしょうか?
 

RE:「東日流外三郡誌」

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)10時42分29秒
編集済
  そうなんです、「和田家文書」はロマンの塊で歴史の史料としてはあまり役に立たないのです。

江戸時代に秋田考秀という人が、神社に伝わる中世神話を集めたもの、其れが『東日流外三郡誌』なのです。古田武彦や古賀達也もそのことは暗に述べていますよ。「私考を許さず」と言っていますが、そりゃそうですよ、中世神話を集めただけなのですから。

その中世神話の中に「シベリアは日本領」とあるわけです。(無論、当時はシベリアを言う言葉はありませんでしたが)あくまでも神話、シベリアあたりの地図は伊能忠敬のパクリのようですが、とにかくそういう伝承がある――それでシベリアの領有権を主張しましょう、韓国の対馬領有権主張よりよほど根拠がある、其れが私の考えなのです。
 

とさん

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)10時35分26秒
  要するに、天皇陛下――天皇制というべきであろうが、それではニュアンスが異なるので、天皇への信仰とでもしておこうか――と「日本国」のどちらが重要なのか、ということなのですよ。若し「日本国」が重要なのなら、先ほど言った通り「菅直人を愛する」というようなとんでもない、売国奴になってしまう。ですが、「日本国」の基本法である『日本国憲法』に従えば、少なくとも行政上は「菅首相に服従」になってしまうでしょう。

そういうことですよ、人の宗教をカルト扱いする前に、過去ログなどで私の思想を確認してください。天皇陛下は国家よりも重要、何故なら国家よりも天皇陛下の方が国民の事を考えてくださるから。之が私の結論なのです。
 

RE:こういう選択肢は十分に有り得る

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)10時19分19秒
  台湾正名運動も、勝手に人の島に入ってきた中華民国の連中を追い出す意味では、私や解法者氏と同じ考えでしょう。然し、正名運動は民間人の運動、日本の軍事力(あっ、これは防衛力というのか)なら台湾も併合できると思います。(強襲揚陸艦がいるかな、災害の時にも必要だ)  

RE:コウナゴ

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)10時14分56秒
  魚の名前として不適切ですね。秋刀魚みたいな名前だと思っていました。
結局、当て字だったのですね。有難うございました。
 

遂にレベル六へ

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月10日(日)10時12分49秒
  いえ、可能性の問題です。チェルノブイリ並みかもしれない、と言われているそうな。危ない、危ない、解法者さん、確かに原発も必要かもしれませんが、今の首相では安全など保証できませんよ。  

「東日流外三郡誌」

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 9日(土)21時33分21秒
   東北王朝 ロマンですな。ロマンは楽しい。  

邪馬台国(56)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 9日(土)11時01分12秒
   「邪馬台国」が九州にあったとする者も「大和」に巨大政権が誕生したことは否定できない。そこで「大和政権」は「邪馬台国」が東遷したものだとする(『「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚構を衝く!』安本美典 196頁、白鳥庫吉−前掲書、『日本国家の起源』井上光貞 岩波書店〔岩波新書[青版]380〕1960年4月18日 90頁、『大和朝廷−古代王権の成立−』上田正昭 講談社〔講談社学術文庫〕1995年8月10日 91頁)。これは「邪馬台国」が女王「台与」が266年に「晋」に遣使した後に忽然と歴史上から姿を消してしまったことにある。どこに行った? どうなった? その挙句に提唱されたのが「邪馬台国」の東遷である。そして、こうした考えは「神武東征」を土台にしている(『大和朝廷の起源』安本美典 勉誠出版 2005年7月20日 239頁)。「神武東征」は『古事記』にも『日本書紀』にも記述がある。しかし、時代は紀元前660年ころのことで「卑弥呼」の時代(170年〜248年ころ)とは大きく異なる。「邪馬台国」が東遷したなどということは歴史書のどこにもないのである。そこで、「神武東征」の主役「神武天皇」を280年ころの人にして「卑弥呼」の時代との整合性を持たせているのであるが、『古事記』では「神武天皇」のあった地を「日向」としており、ここを「邪馬台国」としなければ辻褄が合わないのである。加えて九州にあったとされる「邪馬台国」は前記のとおり「鉄剣」・「鉄鏃」などの武器が豊富で、それで以って「大和」を征服したとするのであるが、「神武天皇」の東征にはほとんど戦争がないことである(「三・四世紀の日本列島」原島礼二〔『古墳はなぜつくられた』大和書房 1988年1月25日 156頁〕)。「邪馬台国」の東遷は史実に合致しないのである。この考えは<ご都合主義>の域を出ない。
「邪馬台国」があったとしても「大和朝廷」に滅亡させられたのかもしれないのである。
 

尊皇倒国?

 投稿者:  投稿日:2011年 4月 9日(土)10時10分20秒
  尊皇倒閣とか尊皇改国ならまだ理解できますが…

天皇陛下を尊び国を倒す?

スローガンとしてもいただけませんし、はっきり言ってどうかしてます。

失礼を承知で言えば、

狂ってます
 

コウナゴの漢字表記

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月 7日(木)14時09分45秒
  このパソコンで変換すると、小女子となったが誤りのような気がする。解法者さん、貴方は私から見てかなり年配ですよ。知っているんのではないですか?

「原子力安全保安院」の広報班の方は明らかに素人だ。最近になって「原子力安全委員会」の方がテレビに出るようになったが、今までは一体何をしていたんだろうと思ったが、どうやら「原子力安全保安院」に任せておけないからしぶしぶ出てきたようだ。それにしても、原子力が安全であるはずがないのであり、これを機にして原発を廃止しないと大変なことになる。
 

四つ目の禍根

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月 7日(木)14時02分31秒
  菅直人の母親が息子を産んだこと、菅直人が自殺しなかったこと、小沢一郎が菅直人を暗殺しなかったこと、鳩山由紀夫が辞任したこと、前原氏が辞任したこと、自民党が政治休戦したこと、等々。  

日本三禍根

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月 7日(木)14時00分8秒
  電気の電圧じゃないのですか?珍宝啓さん、百ボルトと二百ボルトがどうのこうのとなっていたと記憶しているんですが、間違っていたら教えてください。  

滅ばすべき国家一覧

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月 7日(木)13時58分4秒
  「日本国」――「武力革令」の末に「大日本帝国」とする。
「中華民国」――台湾をはじめ、『サンフランシスコ平和条約』で日本が放棄した領土を返還してもらう。
「朝鮮民主主義人民共和国」――併合、若しくは属国化。
「大韓民国」――民族浄化。国家解体。
「露西亜連邦」――『東日流六郡誌大要』で日本領と記された全地域の返還。(サハリン、千島、カムチャッカ半島、東シベリア)
 

RE:大連立

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月 7日(木)13時52分31秒
  政治学となれば、解法者氏の出番となる。然し、「革命」なら天皇陛下までもが追放されてしまう。やはり、ここは私の言う「日本革令論」を採用していただきたいものだ。「武力革令」しか手はないであろう。  

RE:これが現実だ!

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 4月 7日(木)13時50分3秒
  やはり、台湾も併合するしかなさそうだ。「大日本帝国領台湾」とするしかあるまい。  

馬鹿はどうしようもないなあ

 投稿者:倭人  投稿日:2011年 4月 7日(木)13時47分58秒
  歴史の観察者よ、私は「信用できるか、否か」ということなどは一言も聞いていない。唯、「偽書か否か」ということだけ。例えば『赤旗』という新聞があるが、これが本物であればその方が怪しい。要するに、「なぜ、『東日流外三郡誌』は信用できないのか」ということが研究の出発点であり、私の四王朝交代説も同じ問いを『日本書紀』に投げかけてこそできたものなのである。
 

これが現実だ!

 投稿者:憂国の士  投稿日:2011年 4月 6日(水)21時18分57秒
  http://2sen.dip.jp/cgi-bin/upgun/ga1/src/1302073748342.png  

もう一つわからん

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 6日(水)20時27分18秒
   今回の福島原子力発電所の放射能漏れ事故で、「原子力安全・保安院」の方がテレビに出て説明してくれているが、もう一つ「原子力安全委員会」というのがあって、原子力の安全をつかさどり「原子力安全・保安院」を監督する機関のようである。つまり、福島原子力発電所を運営する「東京電力」を「原子力安全・保安院」が監督し、これをさらに「原子力安全委員会」が監督することのようである。2重、3重に安全を確保する意味らしいが、それならばどうして今回の事故が起きたのであろうか。<屋上、屋を重ねる>気がしてならないが、結局は役に立たなかったということではなかろうか。
 それと最近になって「原子力安全委員会」の方がテレビに出るようになったが、今までは一体何をしていたんだろう。
 

不思議なこと

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 6日(水)20時09分4秒
   今回の福島第一原子力発電所の問題で、日立なのか、東芝なのか・・・、どうして建設した者たちがテレビに登場しないのだろう。
 原子炉の破壊についての対処方法や地震対策についてどう考えていたのか、またその対策としてはどのようなことを行っていたのか、など一番聞きてみたいが、どうして報道機関の前に出てきて説明しないのだろう。私は<情報の隠蔽>としか思えないのだが・・・
 

コウナゴ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 6日(水)10時38分25秒
   茨城県の北茨城市の平潟漁港ではコウナゴ漁が最盛期を迎えているという。
  コウナゴ(イカナゴの稚魚) これを漢字で書けたら大したものだというより年配の方だろう。今でもあるが、かつてはこれを甘く煮たものがカルシウム摂取という名の下に食卓を賑わしていた。
 これが例の福島原子力発電所の放射能漏れで大変なこととなっている。4080ベクトルが検出されたが、食品には放射性ヨウ素の暫定規制値というものがあるが、魚介類にはこれがなく漁民に不安を与えている。想定外のことだったと思える。今日になって野菜と同じ2000ベクトルという暫定規制値が定められたが(朝日新聞 2011年〔平成23年〕4月5日〔火〕夕刊 東京4版1面)、混乱を与えたことは否めない。
 現在、コウナゴ漁の出漁が見合わせられている。ヒラメも1/3の値しかつかなかったというから、今回の福島原子力発電所の放射能漏れの影響は大きく、
太平洋沿岸の漁業は津波で壊滅的被害を蒙ったばかりか、生き残ったものもこうした被害を受けてはやりきれない思いがする。
 当事者の東京電力の本社には直接抗議に訪れる者もいるといい、また社員寮にも落書きなど嫌がらせが報じられ、東京電力では社員寮の表札を隠す処置に出たという。しかし、抗議する者たちの気持ちはわかるような気がする。
 

大連立

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 5日(火)12時17分16秒
   ほらほら、やっぱし自民党が喰い付いてきた。大災害のなか政争している場合じゃないだろうという世論の声に押されて自民党が浮き足立っていると言われているが、そうは思えない。震災被害は16兆円から25兆円とされているが、復興にはそれ以上はかかるのではないかと思える。自民党の大連立論はその利権への参入である。もともと自民党は利権政党というのが正しい見方だが、現在は民主党に政権を奪取され、それが見えないだけである。自民党が清潔な政党と見てはならない。
 民主党はそれを見透かして攻勢をかけて来るだろう。残念ながら大連立は成立しよう。今後は利権を握る「経済産業省」、「農林水産省」、「国土交通省」の各大臣を巡っての争いになるだろう。民主党も金の成る木のこれらの大臣は離さないだろう。「法務大臣」、「環境大臣」などは見向きもされない。
 大連立 反対党は力を持ち得ないからやりたい放題だ。現在の政治家に「後藤新平」を期待してはならない。革命しかこの国を救う道はあるまい。
 

やっぱり危惧が的中してしまった

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 5日(火)11時31分8秒
   今回の災害で、福島地方検察庁は今月11日〜16日にかけて、本庁8名、いわき支部12名、郡山支部11人の合計31名を処分保留のまま釈放したという報道をお知らせした(讀賣新聞 2011年〔平成23年〕3月30日〔水〕朝刊 東京14版31面)。
 そのうちのコンビニの事務室に不法に立ち入ったとして窃盗目的の嫌疑を受けて逮捕された女(28歳)が、釈放後の4月2日(土)に再び窃盗を起こしたとして逮捕されたという(サンケイスポ−ツ 2011年〔平成23年〕4月5日〔火〕 1面)。犯罪者は再犯する可能性が高いという典型だが、そのとおりとなってしまった。
 宮城県警管内の震災後の窃盗の被害額は約1億円という。普段の10倍と聞く。治安が悪化していることは疑いがない。各地で自警団が結成されたのも無理はない。中には関西から元ソフトバンクの野球選手らがトラックで窃盗のために震災地に赴き、電線10メ−トルを盗んだ容疑で逮捕されている。こうした<火事場泥棒>は新潟大火、新潟地震でも起こったことはお知らせしたが、残念ながらこういう不心得者は後を絶つことはない。今回の釈放者の中には住所不定という者も含まれていたから、釈放後の掌握はできまい。これ幸いと再び犯罪に走る可能性もある。一体、福島地方検察庁および仙台地方検察庁はどういう責任を取ってくれるのだろうか。
 

「松戸市民病院」の惨状−本郷谷松戸市長の自滅(1

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 5日(火)05時53分23秒
   今、はやりのマニフェストとやらを検証する格好の材料が出てきた。
マニフェスト 民主党が国民に提示してまんまと国民を騙して政権を握ったが、地方政治においても「河村たかし」名古屋市長を始めとするマニフェスト詐欺がまかり通っている。
 舞台は千葉県松戸市である。松戸市民病院(1号棟〜4号棟−600床)が老朽化して1号棟が耐震基準を満たさなくなり、崩壊の危機にあるとしてその建て直しが検討され、前市長は現在の場所では増床も無理として別の場所に新たな病院を建設することを発表した。病床は現状維持の600床で建設費用は208億円かかる計画であった。これに対し、市財政の逼迫および場所の不便さなどからこれに反対する市民運動が起き、これに乗った本郷谷氏が現地で1号棟のみを64億円で立替え病床も150床減らしての450床にすることを掲げて現職を破って市長に当選した。
 ところが、9人(公募で選ばれた3人+専門家−市長が承諾)で構成される「市立病院立替計画検討委員会」が、現地での立替なら、A案−1号館のみ立替 520床 110億円、B案−1号館+医師住宅立替 540床 120億円、C案−1号館+2号館+医師住宅立替 610床 135億円、の3案を提示したうえでC案を答申、しかし、現地立替は、@ 工事期間が7年と長くかかる、A 費用が高くなる、B 立替のため60億近い減収、C 患者の療養環境の悪化、を理由として、移転を示唆した。
 その経過のなかで、本郷谷松戸市長の64億円という立替案の根拠が明確でないことが暴露された。ところが、この答申に対し本郷谷松戸市長は450床が増床(C案−610床)となれば、工事費用が増加するのは当たり前だと開き直っているばかりか、マニフェストの64億円の根拠を明確にしてない。
 

「松戸市民病院」の惨状−本郷谷松戸市長の自滅(2)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 5日(火)05時52分10秒
   しかし、A案(これが一番市長案に近い)によっても市長案を70床上回る(約16%増)だけで、費用は46億円増しとなる(約72%増)。市長の掲げた64億円がそもそも疑わしい。つまり、150床の減床が果たして市民病院として適切であったのか、そもそも64億円は検証されたものであったのか、ということである。
 市民病院の再建問題は暗礁に乗り上げて解決のめどが立たない。そのツケは市民に回るが、そもそも本郷谷松戸市長の64億円という立替案に賛成したのであるから、市民が市民病院の中で地震で押しつぶされようと診療に支障が出ようが、同情はしない。しかし、本郷谷松戸市長に反対した市民は市長および彼を支持した市民運動体を徹底的に糾弾すべきだ。金輪際、こうしたデマゴギ−を市長と一緒になってばらまいた無知蒙昧な市民運動を許してはならない。市民運動体は口をぬぐって<知らぬ顔の半兵衛>を決め込むだろうが、市長と同罪であることを忘れてはならない。
 それとこれをかつて報道し、その市民運動の肩を持ったTBS(東京デジタル6)の「東京マガジン」の「噂の現場」の司会者「森本毅郎」やコメンテ−タ−「清水國明」、「山口良一」、「笑福亭笑瓶」らがそれをすっかり忘れて本郷谷松戸市長を批判しているから傑作だ! マスコミは常に正しい。こういうことをあからさまに知らせてくれた。
彼らも同罪だ!
★ 市民病院移転反対市民運動
 http://www.janjannews.jp/archives/2347194.html
  市民病院移転反対市民運動への批判
 http://blogs.yahoo.co.jp/go_sinzan/36554233.html
 

これは驚いた

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 4日(月)13時16分16秒
   左翼どもが「原発反対・原発廃止」と煽っているなかで、国民は以外と冷静だった。讀賣新聞の行った世論調査で「原子力発電所」を、@ すべてなくすべきだ−12%、A 減らすべきだ−29%、B 現状を維持すべきだ−46%、C 増やすべきだ−10%、となっていることが明らかとなった(2011年〔平成23年〕4月4日〔月〕朝刊 東京14版 1面・9面)。
 圧倒的に「減らすべきだ」が多いと思っていたが、「現状を維持すべきだ」が過半数に近かった。テレビの「ひるおび!」(TBS−東京デジタル6)でも42%だった。やはり、エネルギ−対策のことを考えたら「原子力発電所」の意味は大きいのであろうし、また、今これを廃止したら「計画配電」よりも「計画停電」となることを危惧したものと考えられる。
 私は「増やすべきだ」に賛成で、首都圏にも建設し、負担を均等に受けるという意見に賛成だ。郷里の新潟でも「柏崎原子力発電所」の電力が地元新潟(新潟は「東北電力」圏内)ではなく、首都圏に送られていることに県民からの批判が強い。この問題は過去からあり、「只見川水力発電所」の電力がやはり首都圏に送られることに猛反対が起こり政治問題にまで発展したことがある(昭和30年代?)。「水力発電所」でもこのような問題が起きるのであるから、「原子力発電所」ではなおさらであろう。「巻町」(現在は新潟市)にも東京電力が「原子力発電所」を建設する計画が町民の反対で頓挫したのも、こういうことが根底にあった。県民の一人だった者として理解できる。やはり、各電力会社の圏内で「原子力発電所」に限らず「発電所」を建設すべきだろう。
★ 左翼の原子力発電所反対派の掲示板
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/
  森本卓郎の提案
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/postseven-20110404-16422/1.htm
 

「減税日本」など要らない

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 3日(日)15時18分43秒
   「河村たかし」名古屋市長は、東日本大地震に際しても減税を主張し増税しなくとも災害復旧ができると叫んでいる。こういう荒唐無稽な主張に踊っている国民こそ<溶けていく日本>を象徴している。
 東日本大地震の復興には約10兆円くらいかかると言われているが、これをどうやって調達するのであろう。また、こうしたなかで減税などできるのであろうか。<増税しないで賄えかつ減税ができる>こんな良いことはないだろう。「河村たかし」はそれを提示しないで、そう主張する。馬鹿の極みだ。こうした耳あたりの良いデマゴギ−をばらまいて権力を奪取するのは左翼のお得意とするところで、民主党政権のバラマキにその典型を見ることができるが、国民は反省するどころか今だにそれに夢を託している。国民の愚民化は左翼の最大の功績で一度染み付いてしまったら、洗い落とすのが大変だ。そういう意味では左翼の勝利とも言えよう
 大体からこうした破綻が見えており、荒唐無稽な主張を掲げる「河村たかし」を大々的に誉めそやしたマスコミこそ糾弾されるべきなのに、東日本大地震の後には口をつぐんでいる。<マスゴミ>と言われる所以だ。これも左翼に寝て取られてしまったマスコミの現状であり、これが是正される可能性は難しい。
 

地域主権など絵空事だ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 2日(土)23時26分22秒
   ついこの前まで、地域主権が声高らかに叫ばれてきた。これも<マスゴミ>の「地域主権で豊かな生活」の名の下に大々的にキャンペ−ンが張られてきた。
 国家を超える地域など存在しない。この度の東日本大震災についても地域などで対処できるはずもない。原子力発電所の事故に限らず地域の災害についても地域を越えて国家が主導し統一的に対処しなければ復旧など有り得ない。また復興についても統一性が必要である。
 地域主権を叫んでいる者に限って、復興に国を頼っているから傑作だ! 予算さえもらえれば何でもできると主張した勢いはどこにいったのか。災害復興ノウハウもないのに金があっても何ができるというのか。地域だけでやってみたらよい。
 国民も「郷里は住民の手に」などという地域主権という幻想に酔わないことだ。
 

邪馬台国(54)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 2日(土)00時12分0秒
   こうした「前方後円墳」の大和優位に対し「邪馬台国」=九州の論者からしきりに「古墳」の九州発生が説かれる。「五島山古墳」(福岡市西区)、「山鹿2号墳」(福岡県京都郡犀川町)、「潜塚古墳」(福岡県大牟田市)などを指摘する(『邪馬台国の東遷』奥野正男 233頁・241頁)。これらの古墳の特徴として、@ 丘陵・台地などの高所に立地し、周辺に弥生終末期の群集墓が存在する、A 方形・円形あるいはその一部に前方後円墳の張り出し部分を整え、周囲に溝を巡らすものもある、B 遺体埋葬施設は、弥生後期から」継続する箱式石棺、土壙、組合せ式木棺、割竹形木棺などの直葬で、榔を持たない。また石棺・木棺は2〜3メ−トル以内でまだ長大化してない、C 副葬品は、鏡・玉類・鉄製品(武器・農工具)の3セットあるいはそのうちの1・2種類のみのものが多い、D 墳丘の外表あるいは裾部に配石・貼石・標石・立石を伴うものが見られ、周辺に祭祀用の穿穴した土器(壺・甕)や高杯・器台を供献したり、使用後破砕し一括して周辺の溝に投棄・埋納する例が多い(前掲書 245頁)。
 しかし、こういう見解は肝心なところを見てない。まず、果たして方形・円形墳から「前方後円墳」が発生したとの検証が明確になされてない。それよりも墳墓は宗教的構築物もあり、「前方後円墳」は墳頂部の内方外円区画や三角縁神獣鏡の副葬など弥生墳墓になかった中国思想などが加味されて発生したという重大なことを看過している(『前方後円墳の世界』広瀬和雄 岩波書店〔岩波新書[新赤版]1264〕2010年8月20日 67頁)。
「前方後円墳」は単なる外形的なものでは判断できないのである。
 

職務放棄だ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 4月 1日(金)15時06分12秒
   今回の災害で、福島地方検察庁は今月11日〜16日にかけて、本庁8名、いわき支部12名、郡山支部11人の合計31名を処分保留のまま釈放したという(讀賣新聞 2011年〔平成23年〕3月30日〔水〕朝刊 東京14版31面)。釈放の理由は起訴に必要な関係者の捜査や容疑者の安全の確保が困難になったことだという。しかし、本庁、いわき支部、郡山支部は今回の災害で被害を受けてない。しかも、釈放に関して警察署の事前の了解がなかったそうだ。警察署から抗議されているが、当たり前だろう。こういう場合は「移送」という手続がある。管内の別の場所に被疑者を移すというものだ。現在、8都道府県(北海道、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、千葉、神奈川)で合計約200名の被疑者・被告が他の警察署などに移送されている(現在はそのうち約130名が元の警察署に戻されている)。釈放された容疑者の容疑は、窃盗、強制わいせつ、覚せい剤取締法違反などである(産経新聞 2011年〔平成23年〕3月30日〔水〕朝刊 東京14版22面)。こういう時期に犯罪を犯したと思われる者を釈放することは治安の悪化の危険性がある。しかも釈放から約2週間も経ってから発表している。「強制わいせつ」は重罪だ(6月以上7年以下の懲役)。再犯の危険性も高い。大体から検察庁は警察署と違って災害救援を行わない。人員もノウハウもないからである。つまり暇を持て余しているということである。
 今度は仙台地方検察庁でも今月12日〜16日にかけて、本庁、石巻支部、気仙沼支部、古川支部、登米支部から合計27名の窃盗や詐欺容疑の被疑者を処分保留で釈放し、3名の被告の勾留を取消したという(前同紙)。特に被告は裁判中であり、裁判への出頭が義務付けられている場合がある(刑事訴訟法第284条、285条)。被告が逃亡すれば裁判が開けない場合もある(同法第286条)。保釈中の被告が逃亡することもよくある。これは移送すべき例である。被告が逃亡したらどうするのだろう。
 「江田五月」法務大臣が被災者に不安を与えて申訳なかったと陳謝したが、当たり前だろう。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2011年 4月 1日(金)12時29分43秒
  僕は“と学会”でもありませんよ。


名前が“と”だから“と学会”ってちょっと安直じゃありませんか?
 


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