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喫茶室 過去ログ145(2011.6.1〜6.30)

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喫茶室:[最新の発言を見る/投稿する] [2011年7月のログ] [2011年5月のログ]


金持ちどころか、

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月30日(木)20時02分38秒
  >あなたはいわゆる「金持ち」で、生活に余裕があると思うが、お金は大事だよ。<
もちろんお金は大事。
むしろ低所得者で、デフレ不況の一因を担っているという自覚もある。
恥ずかしながら一人暮らしで、常日頃からせっせと節電に励み、月の電気料金が二千円を超えたことが無いので、仮に倍になっても個人的には困らない。あくまでも個人的には。
 

 投稿者:時満会  投稿日:2011年 6月30日(木)16時36分49秒
  ふむふむ。

非常に興味深いサイトですね。
 

反原発なら何派?

 投稿者:無学人  投稿日:2011年 6月30日(木)16時24分43秒
  原発に反対の前に原発以外の何に賛成するのかを選んでいるのでしょうか?
風力賛成だから原発に反対とか。石炭火力に賛成だから・・太陽電池に・・
賛成する発電方式を意見に出さず、ただ原発反対と言うのは思考では無い。

と思う。
 

解法者

 投稿者:  投稿日:2011年 6月30日(木)12時50分55秒
  この学者きどりが!!!
反原発派を馬鹿にするな!!!
 

人間なんて弱いもんだ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月30日(木)11時08分8秒
   明日(平成23年〔2011年〕7月1日〔金〕)に「電力制限令」が発動される。東京電力、東北電力管内にある大規模工場など大口電力需要家に対して昨年比15%の節電を義務付けるものだ。第一次石油危機があった昭和49年以来の37年ぶりだという。昨日、東京電力管内での電力需要が震災後最大の4570万/キロワットに達し、最大供給力の4900万/キロワットの93%を超えた。関西電力管内でも94%だったという。93%というと十分に余力のない状態だという(讀賣新聞 2011年〔平成23年〕6月30日〔木〕朝刊 東京14版 1面)。東京電力は7月末までに震災で停止した火力発電所を復旧させるなどして、最大供給力を5520万/キロワットに引上げる方針だという。しかし、昨年の7月20日には電力需要が5700万/キロワットを超えており(産経新聞 2011年〔平成23年〕6月30日〔木〕朝刊 東京15版 1面)、今春のような停電の可能性がある。
 ところで、「菅直人」首相は、「脱原発解散」に言及したが(同紙 5面)、それを実行したとしても、「電力制限令」が発令され、さらに大規模停電となれば、果たして思惑通り「脱原発解散」で民主党が勝利するだろうか。国民の「脱原発」風が「原発依存」に急速に変わって行くと思える。人間は弱いもので、自分に火の粉がかからなければどこ吹く風だが、一度危害が迫ってくると前言など簡単に忘れ去ってしまうものだ。おそらく、停止している「原発」を稼動させろ! の大合唱になると考える。
 ここにいる「原発反対」者もどういう状況になっても<右顧左眄>しないことを祈ろう。
 

費用対効果は大切だ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月30日(木)01時27分58秒
   日本は景気が悪く税収がままならず金がない。この度の「東日本大震災」で一層金がない。無駄な金は使いたくない。「原子力発電」に代えて代替エネルギ−を使えば費用がかさむ(火力発電の場合は前に指摘した)。危険を承知というが、今回の「福島第一原子力発電所」の事故で「原子力発電」安全性が高まり、危険性がかなり減少するのは間違いない。これらが「原子力発電」を維持する理由である。

 先に<ドイツでは電力は選択購入制が採られており、国民は「原子力」、「火力」、「水力」、「風力」などを選択できる。やはり、「原子力」が一番安いので、人気がある(確か1番だった)。<と言ったが、はるサン! 日本でもこれが導入されたら、率先して「原子力発電」を選択するんじゃないの? 人間なんてそんなもんだ。それでも「原子力発電」を選択しないというなら<尊敬>しちゃうけどね! あなたはいわゆる「金持ち」で、生活に余裕があると思うが、お金は大事だよ。
 

風力発電の現実(2)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月30日(木)00時59分29秒
   先に、<費用対効果が小さい>と記したが、EU諸国のなかでの消費電力に占める「風力発電」の比率が大きいのが、デンマ−クである(24.9%)。EU平均が5.3%というからかなり大きい。デンマ−クに次いで大きいのはスペイン(15.3%)、ドイツは8.6%となっている。少ないのは、イギリス(3.3%)、イタリア(3.2%)、
フランス(2.2%)となっている(讀賣新聞 2011年〔平成23年〕6月29日〔水〕朝刊 東京14版 7面)。
 デンマ−クでは、積極的に「風力発電」を推し進め、そのため、自然エネルギ−を高値で電力会社に買取らせるという「全量固定価格買取制度」を導入している。その結果、デンマ−クの家庭向け電気料金は欧州で一番高い(1キロワット時=約30円)という皮肉の結果となっている。EU平均で約19円というからかなり高額である。なお、日本は約20円である(同紙)。
 先般、原子力発電を止めたドイツでも同じで、風力発電による電力を1キロワット時当たり約6円〜10円上乗せして買取っているので、1キロワット時=約29円となって、デンマ−クに次いで高い(同紙)。ドイツでは電力は選択購入制が採られており、国民は「原子力」、「火力」、「水力」、「風力」などを選択できる。やはり、「原子力」が一番安いので、人気がある。これも皮肉の結果である。ドイツでは南部に工業地帯が集中しているので、電気量が高い「風力発電」は普及してない(同紙)。
 

何?

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月30日(木)00時28分50秒
  >ナゼ、既存の発電方法にばかりとらわれているのか理解に苦しむ<

 今の段階では<海のものとも山のもの>ともつかないからで、長期的な
展望に止まるか、それさえもつかないからである。
 

水力発電の現実(2)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月30日(木)00時21分59秒
   水力発電といえば、身近な川や水路を利用した小規模な水力発電である「小水力発電」が注目されている。これは水を取水口から導水管から取り込み、発電後に元の流れに戻す「流れ込み式」がほとんどで、従来の「水力発電」のようにダムなどの貯水池を造り、水量と落差を確保して出力を大きくするものとは異なる。わかりやすくいえば、流れの速い小川や農業用水路に発電機を据え付けて発電するもので、出力1千/キロワット以下をいうことが大きい(朝日新聞 2011年〔平成23年〕6月29日〔水〕夕刊 東京3版 11面)。
 わが国における「小水力発電」の歴史は長く、明治時代からあり、京都の「蹴上(けあげ)発電所」が有名だし、かつて銅の採掘で栄えた別子山村(現在の新居浜市)では1960年ころから地元を流れる川に発電機2基(1070/キロワット)を設置し、総ての電気を支えている(同紙)。
 この方式の欠点は、@ 小規模で民間の商業ベ−スに乗らないこと、
A 初期費用がかさむ、発電所建設にかかる費用は、1基当たり200万円〜300万円で(1千/キロワット=約20億円)、太陽パネルの70万円〜100万円と比べて割高である、B 水利権との調整に時間がかかり、計画から5年以上もかかることも稀ではない、にある。
 利点は、@ 小規模でどこでも設置が可能である、A C02が発生せず環境問題が発生しない、にある。
 環境省の調査(2011年4月発表)では、全国に1万9千ヶ所、約540/キロワット分の導入が可能だという(同紙)。
 「小水力発電」は如何せん小規模発電に止まり、大都会では設置場所も少なく、あくまで補助用発電に止まる。
 

電気

 投稿者:ヤマタノオロチ  投稿日:2011年 6月29日(水)21時34分52秒
  原発よりはずっとマシでしょ 水力発電。日本国土は渓谷が多く台風などもあり水力の恩恵を授かるべきだ。  

既に、

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月29日(水)21時30分43秒
  >特に問題なのは短期的なエネルギ−をどうするのか、その費用は?
それまで、どうする?(投稿日:2011年 6月14日)で、表明済みのつもりですが…。

原発の利点として、大規模発電が挙げられており、それ故に低コストが達成されているのは間違いないと思う。
これは反面、リスク管理の面から考えると甚だ問題で、発電量が大規模なほど故障等で停止した時には停電範囲が広範囲に渡る。
むしろ、少々のコストアップがあっても、中・小規模の分散化が必要と考える。
戦艦と空母だけでは、融通が利かないのと同じ理屈だし、そこで止まらず、更なる進化が常に必要なのも同じこと。
原発さえ有れば、それで未来永劫問題が無いとでも言われてるようにさえ聞こえる。
ナゼ、既存の発電方法にばかりとらわれているのか理解に苦しむ。
 

水力発電の現実

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月29日(水)12時42分20秒
   水力発電には、欠陥として、@ 環境を損なう ダム建設を利用する場合は、下流の河川の環境を損なうことが予測される。A ダムの建設により住民の立退きが必要とされることが多く、住民の負担が大きい。B 決壊の恐れがある。C 費用対効果が小さい 13.6円/キロワット、であり、原子力発電の5円〜6円に比べると大きい。
 こうした点から、わが国ではこれ以上「水力発電所」が建設される可能性は極めて小さい。それは前記の環境問題が大きいからである。その例として、富山県の「黒部川ダム」の排砂問題がある。ここのダムは溜まっている砂をダムの下流に放出しなければならない。放出された砂は富山湾に流れ込む。その結果「ヨコエビ」という肉食性の小さなエビが異常に繁殖し、富山湾での漁業の網にかかった魚を食い荒らすため、漁業が成り立たなくなっているほか、ヘドロが海底に溜まり魚が減少している。漁師にとっては死活問題である(FNSドキュメンタリ−大賞「不可解な事実〜黒部川ダム排砂問題〜」〔フジテレビ BS181 2011年6月25日[土]12時〕)。もちろん、ダムの排砂は内水面(河川)の漁業にも深刻な影響を与えることは否定できない。全国でも同じようなダム排砂問題が発生していることは想像に難くない。
 ダムの決壊については今回の東日本大震災でもあった。福島県須賀川市長沼地区の農業用ダム「藤沼湖」(貯水量150万トン)が決壊し、濁流が集落を飲み込み、7人が死亡、1人が行方不明、全壊家屋−19棟、床上・床下浸水家屋−55棟、になっている(讀賣新聞 2011年〔平成23年〕5月30日〔月〕朝刊 東京14版 37面)。規模の比較的小さいダムでもこうだから、大規模なダムなら大変な被害になることが予想される。原子力発電は核攻撃で危険というなら、ダムも同じであろう。

 このようなダムを利用した水力発電に代わって「揚水発電」が考えられている。これは山に貯水池を上下に作りその間に発電所を設け、上の貯水池から下の貯水池に水を落とす落差を利用して発電し、水を
下の貯水池から上の貯水池に循環揚水し、発電を繰り返すというものである。これならば「排砂問題」は起きないだろう。しかし、この方式では大規模の発電は無理だと思えるし、費用対効果はまだ検証されておらず、課題は大きい。
★ 揚水発電
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9A%E6%B0%B4%E7%99%BA%E9%9B%BB
 

「国賊」の竹下です

 投稿者:竹下義朗メール  投稿日:2011年 6月29日(水)07時54分57秒
  解法者さんが原発を支持し、反原発派が国賊であるとの持論を堅持されているようですので、私も反原発の持論を堅持します。

抑も、原発問題は技術問題以上に、原発を建設・管理・維持している人間の問題であると私は考えます。

例えば、福島第一原発の立地場所が過去幾度と無く大地震と大津波に見舞われてきた事は、歴史を繙けば誰にでも分かる事で、何故その様な場所に建設したのか? そのスタート地点からして問題です。又、事故後の一番の問題は、原発を推進してきた経産省、原子力委員会、原子力安全・保安院と言った国の機関の誰一人として責任を取っていない事です。「想定外」の錦の御旗の下、誰も責任を取って辞任(或いは解任・更迭)せず、関係部局の職員の給与も何らカットされず。これが、一般企業であったなら、それこそこれ程の不祥事が起きたなら、全社挙げて給与のカット等目に見える形で責任が取られるでしょう。然し、国は何らの責任も負っていない。ここで私が何を言いたいのかと言うと、「誰も責任を取らない」体制の下で、原発を推進する等以ての外だと言う事です。

原発が事故を起こし放射性物質が拡散したにも関わらず、一体誰が責任を取ったのか? 現時点では誰も取っていない。結局、今後も誰も責任を取る事は無いでしょう。それは、年金不祥事問題の経過を見ても既に証明されている事です。

誰も責任を取らず、互いに責任転嫁をする様な体制の下で「極めてデリケートで危険な」原発が推進されているにも関わらず、それに異を唱える者を「国賊」と称し、原発推進に賛意を表す方々の気が私には到底知れません。
 

原発の賛否以前に

 投稿者:無学人  投稿日:2011年 6月29日(水)00時41分45秒
  原発賛成か反対かを問う前にどんな原発かを決めるのが先だと思います。
私が思う原発の仕様。というか希望する姿です。

(1)500キロ爆薬の巡航ミサイル30発の直撃に耐える事
(2)50メートルに着弾するバンカーバスター爆弾2発に耐える事
(3)1トン爆薬ミサイル10発の直撃に耐える事
(4) 200ミリ砲弾200発に耐える事
(5) ナパーム弾攻撃に2時間以上耐える事
(6) 発電所地下に居住区を設け3年間の完全封鎖に耐える事
(7) 対空砲と対空、対艦ミサイル部隊の常駐
(8) 我国の領土全域に放射線測定器の高密度配置
(9) 原子炉圧力容器は分割式とし非常事態には炉心を強制分割可能とする事
(10)使用済み燃料を熱源としたスターリング機関で非常ポンプ動力や発電
(11)攻撃下最中でも外部との通信維持確保
(12)5年以上十万人規模核シェルターの併設
(13)500万人5年以上の食料と基礎生活物資の貯蔵
(14)300キロ重量の人工衛星10機の極軌道打ち上げ能力
(15)自衛隊地下弾薬庫の併設
 

巻町の原発断念は真に残念だった

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月28日(火)20時23分49秒
   新潟県西蒲原郡巻町(現在は新潟市西蒲区巻町)で原発を建設する計画があった。
町民の反対で断念に追い込まれたが、これが建設されていたら、おそらく東京電力
の発電量の不足問題は起きなかったと思える。
 巻町町民が外部から来た左翼の原発反対に踊らされた結果であった。当時は私も
もちろん原発建設に賛成した。
 原発反対者はどこに居住しようが、国賊であるということには変わりはない。

 なお、はるサンのエネルギ−への考察は残念ながら、検証不足。長期的な展望への
確証もないが、特に問題なのは短期的なエネルギ−をどうするのか、その費用は?
についての考察がない。これでは<左翼の原発反対!! 後は政府が考えてくれ!!>
と全く同じだ。
 

君が代考(7) 番外 「古田武彦」批判

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月28日(火)20時07分24秒
   在日朝鮮人で「金 達壽」という者がおり、日本各地の遺跡・文化を何が何でも朝鮮伝来のものと結びつけたが、「古田武彦」も同じで、持論の「九州王朝」を維持するために「君が代」も九州発祥としたもので、<噴飯歴史家>の類で無知蒙昧な者を煽り立てているから始末が悪い。そして「古田武彦」は偽書「和田家文書」の中にある「邪馬壹国」の記述に飛びつき迷路へと迷い込んだのである(「和田喜八郎」が「古田武彦」の「邪馬壹国」を知ってこれを「和田家文書」に引き入れるために画策し、古田もまんまとこれに引っかかったというのが真相と考える)。
 「古田武彦」の「高句麗王碑(広開土王碑)」の朝鮮人研究者「李 進熙」の改竄説に対する果敢な挑戦は当時、朝鮮人研究者に対する追従に明け暮れていた日本人研究者に鉄槌を加えたという意味で特筆すべきものがあった。その後、研究が進み、今では改竄説を唱える研究者は「李 進熙」のみで、誰もそれを信じる者はいない。これは「古田武彦」の功績と讃えてよい。また「古田武彦」の歴史的研究の中心である「九州王朝」はそれなりの説得力があり、賛同者も存在する。しかし、その基となった「邪馬壹国」を唱えているうちは良かったが、「九州王朝」を強調するがあまり「関東にも大王がおり」また「和田家文書」を信じ、「君が代は九州王朝の歌」と言うようになってからは、迷宮に入り込み、せっかくの研究が台無しになってしまった。ここに至っては、研究者の中でも孤立が一段と深まっているから活動が止めばこうした暴論は消え去る運命にある。「古田武彦」は自己の歴史観を推し賛同者を募るために「市民の古代研究会」を立ち上げ、機関誌『市民の古代』を発刊していたが、主宰者自ら前記のようなものにはまっていくようでは「市民の古代研究会」が瓦解していくことは目に見えていたのである。
 「古田武彦」のこうした妄言に騙される者の特徴として、他の史料、見解を精査して多角的に検討するという能力に欠けており、一度思い込んだら衝かれて我を忘れてしまう性格であるので、諸君らもユメユメそれにはまらないようにお願いしたい!
                                                               〔本稿 完〕
 

反原発は“国賊”って…

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月28日(火)17時58分11秒
  >7.「ベント命令の直後に首相が福島第一原発を視察した」が、何のためだったのか。そこで何か指示がなされたのか。また、その視察がベント作業開始の遅れにつながらなかったか。<
『ベント』:原子炉圧力容器に消防設備を使用して冷却水を注入しようにも、容器内部の圧力が高く実行不可。その為、内圧を下げる為に内部の放射性物質を含む気体を大気に開放することを指す(多分)。その際、法に基づく政府の命令や、周辺住民への避難勧告などが必要なのか迄は調べていませぬ(あしからず)。
 ヘリで現地へ向かう途中、管首相と斑目委員長の会話
  管  「ベントが遅れたらどうなるんだ?」
  斑目 「(注水が出来ない為、原子炉内で燃料棒が露出し)化学反応が起こって水素が発生します」
     「それでも大丈夫、水素は格納容器(圧力容器の更に外側の覆い)に逃げます」
  管  「その水素は格納容器内で爆発しないのか?」…何度も聞いたらしい。
  斑目 「大丈夫です。格納容器内は窒素で満たされてますから爆発しません」
 これを聞けば、少々遅れても大丈夫かと思ってしまうのでは?(実際、急ぐ必要が無いのかと私は勘違いした)
 では、ナゼ実際に水素爆発が起こったのか? しかもベント実施確認から1時間後に…。
 1号機では、建屋が吹っ飛んだものの格納容器は無事だと言われていた(希望的観測とは思うが)。では、水素はどこで発生したのか? 燃料棒は、使用済みの貯蔵プールにも有り、そちらが発生源で建屋内に充満し爆発したのか? 停止中で、原子炉内の燃料棒を取り除かれていた4号機火災はまさにそれ。それとも既に、メルトスルーまで起こり、格納容器から漏れ出ていたのか? 3号機は明らかに建屋内に水素が充満していて手の施しようが無く爆発。2号機建屋が爆発しなかったのは、3号機の爆発で2号機建屋に穴が開き、大気開放されていたから。しかしその後、2号機では格納容器が破損する爆発発生。
 斑目委員長は、原子炉を守ることで頭が一杯で、貯蔵プールのことを失念していたのだろうか?
 現場の人間の方が、誰よりも現場を理解していたと思うのだが、だとすれば、冷却機能喪失から半日も経過した時点でベント指示を受けたとしても、誰が建屋内に入りたいだろうか。
 海江田経産相が、「ベント指示出したのに、ナゼ実施されないのか」などと、不満を顕わすコメントで自己弁護する姿もあさましき限り。
 福島第一では、1〜6号機までを比較することで、何が起こっていたのかある程度は想像できるものの、まだまだ、情報不足で真相には程遠い状況。NHKには、続編が有るのならば、是非納得のいく内容をお願いしたい。

>10.福島第一原発から10キロしか離れてない福島第二原発は事故が起きず、また同じ津波が襲ってきた岩手県の女川原発も同じだった。なぜ福島第一原発のみが甚大な事故が発生したのか。<
 女川原発は、県境付近ですが岩手ではなく宮城です。また、以前これらについて書いたことがありますが、もっと深い情報をお持ちのようで。是非、ご提供ください。
  参考:福島第一・第二原発の違い(投稿日:2011年6月11日)
     “人災”だから     (投稿日:2011年5月29日)

 他の発電方法にも言えることですが、特に風力発電に関しては、素人の地方自治体が経営しているからうまく行かないのでは? 是非とも巨大な電力会社に参入を御検討いただきたい。そもそも、コスト面で割に合わないとか、すぐに故障するとか、日本のプラントメーカーがそんなものを売るだろうか? どんな悪徳業者かと言いたい。
 地熱発電についても、地熱資源とは吹き出る“熱水”のことでしょうから、潜在地熱発電可能量も小さく見積もられていると思う。熱水ではなく、地上から発電用水を循環供給してやるとか、マグマを直接利用(無理?)するとか、現在できなくとも将来できないとは限らないでしょう。また、火山自体が国立公園になっているようなところは政治判断と国民の世論次第だと思う。
 電力が本当に不足するのならば、それは真夏の昼間のピーク電力のことだろうから、その時間帯のテレビ放送を中止すればいい。その時間にテレビを見るのがどんな人かは知らぬが、テレビではなく読書でもしたらよかろう。テレビをつけると部屋の気温が上がるしね。夏の甲子園だけは、見たいけど…。
 いかに原発推進の解法者さんでも、故郷新潟の魚沼への立地には反対しませんか?
 最後に、福島の人々が反対しても“国賊”と呼びますか? そもそも戊辰の役でも会津は賊軍でしたから、何とも思わんでしょうが。しかし、奥羽越列藩同盟では共に賊軍だったというのに、…。
 

風力発電の現実

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月28日(火)15時16分41秒
   エネルギ−の中でこれが一番効果が薄いと考える。風力発電の欠陥としては、@ 風まかせ 特に電力需要が高まる夏場は風が弱いという気候の制限がある、A 風車の騒音、B 景観の破壊、C 費用対効果が小さい 10円〜24円/1キロワットで原子力発電の5円〜6円に比べると大きい、D 発電量が小さくわが国の需要(10,000億/キロワット)をまかなえない、にある。
 わが国の風力発電の設置基数は2010年3月末で1683基、発電量は2007年3月時点で、168万/キロワットに過ぎない。計画でも2030年に2000万/1キロワット時となっている。世界でも最低の部類に属する(第1位は中国で約4200万キロワット)。
 先に<費用対効果が小さい>と記したが、北海道のオホ−ツク沿岸に位置する興部町(おこっぺまち)は2001年に1億9千万円をかけてドイツ製の風車(出力 600/キロワット)を建設し、使え切れなかった電力は北海道電力に売ってきた。しかし、建設時の町債(約4500万円)の返済に回せるほどの収入が上がらず、昨年(2010年)には風車の一部の部品が劣化し、このまま回し続ければ他も壊れることが判明し、修理費の見積もりは3〜4千万円に上がり、止むを得ず同年10月末に風車を止めた(朝日新聞 2011年(平成23年)6月25日(土)夕刊 東京4版 1面)。
 費用の回収がままならず、また風車の故障のため四苦八苦している自治体も多い。新潟県上越市は2001年〜2003年に4基(750/キロワット−2基、600/キロワット−2基)を導入したが、風車の羽が落雷により落下するなど故障が相次ぎ、2009年までに修理費が約2億5000万円かかった。東北電力への売電収入は良い年でも約2000万円で、当初の見込みの約半分以下で、累積赤字は約2億円を超えた。市は風車の撤去も検討したが、耐用年数前に撤去すると国からの補助金のうち約2億3000万円を返還しなければならず、撤去費用も含めると約4億円の負担となるため、市は昨年、止むなく事業の継続を決めた(前同紙)。
 上手くいっている例もある。北海道の寿都町(すっすまち)は、1989年に全国の自治体で初めて風力発電事業に乗り出した。約1億円をかけて小規模の5基(約82,5/キロワット)を設置したが、発電量は見込みを大きく下回った。それでもあきらめずに、10年後により規模の大きい1基(230/キロワット)を建設。さらに2007年までに約31億円をかけて8基(11750/キロワット)を稼動させた。2009年度は売電収入から3500万円を一般会計に繰入れた。町は今年10月にさらに2基(4600/キロワット)を稼動させる予定だったが、財政的にもリスクがあり、北海道電力が買取ってくれる量にも限度があり、建設の適地も少なくなり、これ以上風力発電を増やす予定はない(前同紙)。
 自治体が風力発電を行なうには危険があり、無理だと思える。後は民間だが、居酒屋チェ−ン大手の「ワタミ」は秋田市に風力発電所(1基−2000/キロワット)の建設に共同出資するという(前同紙)。上手くいくことを祈るが、<風まかせ>の風力発電に国が補助するのは危険が伴い、結局国民の負担となるので、賛成できない。
 なお、海に設置する「洋上風力発電」も考えられるが、台風の影響も心配されるし、費用がさらに増す可能性もあり、賛成できない。
 

RE:原子力発電反対は国賊だ

 投稿者:竹下義朗メール  投稿日:2011年 6月27日(月)23時13分13秒
  解法者さんの論理に従えば、私は間違い無く国賊の一人に名を連ねる事でしょう。然し、それでも私は「反原発」に固執します。

抑も、今回の福島第一原発事故に対して、東電、経産省、原子力委員会、原子力安全・保安院がどれ程の責任を取ったでしょうか? 電力会社と官僚に全ての責任を転嫁するのは理不尽と言う意見もあるでしょうが、一義的には原発を推進してきた者が責任を負うのが筋であると私は考えます。まあ、その恩恵に与り、原発を容認してきた受益者=国民にもそれ相応の責任はある訳ですが。

>企業がこれを機に一段と海外に移転すれば、国民の雇用ばかりか税収も失われ、国家が破綻に向かう。こういう自明の理さえ理解できないから本当に馬鹿だ。<

それを仰有るのなら、最大で万年単位の放射能により、皇祖天照大神爾来、今上陛下に至る「神の国」の皇土を汚してしまった事に対する責任は一体誰が負うのか? 申し開きは一体誰がするのか?

経済面や効率だけで物事を判断している様では、昔の呼び方で言う所の「夷狄」(外国)と何ら変わらないではありませんか? それこそ、「神の国」である日本を同列に堕とす事になるのではありませんか?

「原発ありき」で固執される方に対して、私はメタンハイドレートやオーランチオキトリウム、その他、原発に代わる発電システムによる複合的な発電の推進を支持します。

もう、放射能被害は広島、長崎、福島だけで充分。これ以上は真っ平御免です。
 

原子力発電反対は国賊だ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月27日(月)12時50分20秒
   原子力発電所はこのままでいくと順次、運転点検のため、来年(2012年)5月には総てが停止するとされる。
 福島第一原子力発電所の事故を受けて、今春には東日本で停電が発生し、今夏も同じ状況に陥るかもしれない。関西電力管内では15%の節電が求められている。企業にとって停電は生産の停止をもたらすことになって死活問題となる。また、原発停止で火力発電に移行せざるを得ないため、電力料金の値上げも現実問題となり、企業の経営を圧迫する。それを避けるために、企業が中国など海外に生産拠点を移す動きが加速しているという(産経新聞 平成23年〔〔2011年〕6月27日〔月〕朝刊 東京15版 1面〕)。
 こういうことは十分に有り得ることだと思える。国民は右も左も<原発反対>一色だ。マスゴミも左翼の原発反対デモを報道し、批判もしない。原発反対デモを行っている連中も企業の海外逃避で首になる危険性を感じてないからノンキなものだ。それとこういう連中は、原子力発電に代わる発電が現時点でどの程度可能なのか、日本のエネルギ−が将来どうなるのか、国民・企業への負担はどうなるのかを検証しないで騒ぎ立てているから正に<溶け行く国民>を表している。
 彼らから、現時点で原子力発電に代わる発電が可能なのか、その費用はどうなのかを聞いたことがない。従来の<国家の行う施策には何でも反対!>、<反体制は格好いい!>の域を一歩もはみ出してない。右翼の一部も彼らと一緒になって<原発反対>というから始末が悪い。
 企業がこれを機に一段と海外に移転すれば、国民の雇用ばかりか税収も失われ、国家が破綻に向かう。こういう自明の理さえ理解できないから本当に馬鹿だ。
 

福島第一原子力発電所の事故の検証(5)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月27日(月)11時47分46秒
   以上がNHKの本番組の内容であるが、単なる事実を網羅しただけで、
検証が全くと言ってよいほどなされてない。「はる」サンもご指摘のと
おり<政府寄りの報道>だと言われても反論の余地はなかろう。それは
次のことに現れている。

1.「地震発生により福島第一原子力発電所への電源を供給する鉄塔が
 崩壊し、電源が喪失した」のであるが、どうしてそうなったのかが
 明らかではない。この点については事前に国会でそのような可能性
 があることが議員から質問されており、政府はそういう危険はない
 と答弁している。
2.「津波が同発電所に押し寄せ、非常用電源および同バッテリ−水没
 により双方とも喪失した」が、どうしてそうなったのかが明らかで
 はない。
  これはその建屋が原子炉建屋よりも海側にあり、津波による危険
 性があることも事前に国会でそのような可能性があることが議員か
 ら質問されており、政府はそういう危険はないと答弁している。
3.「東京電力は15時42分に「原子力安全・保安院」に非常事態を
 通告しなければならないのに、1時間03分も通告を懈怠していた
 ことになる」がその理由は何だったのであろう。
4.「原子力安全・保安院は16時45分に、「東京電力」から非常事
 態の通告を受けた時点で、直ちに政府に通告しなければならないの
 に、1時間09分も通告を懈怠していたことになる」がその理由は
 何だったのであろう。
5.「政府は「原子力安全・保安院より17時54分に非常事態通告を
 受けていたが、18時12分からの党首会談のため、首相が中座し
 たため、緊急非常事態宣告が遅滞したとされ、結局、緊急非常事態
 宣告がなされたのは、19時03分であったが、どうして党首会談
 を中止して宣言を発しなかったのであろうか。また、野党党首など
 にどうして事態を説明しなかったのであろうか。
 

福島第一原子力発電所の事故の検証(6)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月27日(月)11時45分1秒
編集済
  6.「3月12日0時00分に「東京電力」がベントを決断し、政府が
 同日1時30分にベントを指示したのに、法による命令がなされた
 のは、6時50分であった」 どうしてそのような遅れがあったの
 か。
7.「ベント命令の直後に首相が福島第一原子力発電所を視察した」が、
 何のためだったのか。そこで何か指示がなされたのか。また、その
 視察がベント作業開始の遅れにつながらなかったか。
8.「3月12日15時36分に1号機が水素爆発した時点で、政府は
 放射能線量の拡散図を把握していたにもかかわらず」なぜ公表せず、
 しかも、首相が福島第一原子力発電所から20キロ以内の住民に避
 難勧告をした際にもどこに避難すべきかの指示をしなかったのか。
9.「3月14日7時00分 陸上自衛隊に3号機の注水要請をした際
 に、3号機建屋水素爆発の可能性」を陸上自衛隊に隠匿したのか。
  ◆ 少なくとも、この8・9は、首相および官房長官に「業務上
   過失傷害罪」が該当する。
10.福島第一原子力発電所から10キロしか離れてない福島第二原子
 力発電所は事故が起きず、また同じ津波が襲ってきた岩手県の女川
 原子力発電所も同じだった。なぜ福島第一原子力発電所のみが甚大
 な事故が発生したのか。

 前記に指摘しておいたが、NHKの本番組は単なる事実の羅列で
報道番組としては<非常に>物足りない。第二回が予告されたが、
一向に放映されない。こんな内容では政府から文句が出るとは考え
られないが、首相が「東京電力」で恫喝したと指摘されたのが気に
障ったかも知れないし、視聴者から<生ぬるい>とお叱りを受けた
のかもしれない。いずれにせよ、第二回目も期待できまい。「福島
第一原子力発電所の事故」番組では民放の方がまだましであるよう
な気がする。
                            〔完〕
 

君が代考(6)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月26日(日)11時39分51秒
  5.「きみ(君)」とは「女神」を指す言葉であり、「細石神社」の祭神「磐長比売(イワナ
 ガヒメ)」と「木花之咲耶比売(コノナハサクヤヒメ)〔いずれも女神〕と合致する(前
 掲書 64頁)と指摘する。
  しかし、この神社の来歴が明確でないことは前記のとおりであり、後世になってから
 祭神を定めた疑いも残る。
 「君」が「歌を贈る相手」(『古今和歌集』小沢正夫・松田成穂 148頁、『古今和歌
 集(二) 全訳注』久曽神昇 174頁)、「「祝い」の対象となっているお方、必ずしも
 天皇とは限らない」『和漢朗詠集』菅野禮行 403頁)、「天皇」をいう(新 日本古典
 文学大系 5 『和漢朗詠集』小島憲之・新井栄蔵 113頁)、とされる。「女神」と
 解するならそれなりの根拠が必要だ。
6.「君が代」は詠み人知らずとなっているが、これは編者の「紀 貫之」が「大和朝廷で
 はない、他の先住王朝の歌」ということを知っていて、敢えてこれを隠蔽したものであ
 る(前掲書 73頁)。
  「紀 貫之」が詠み人を知っていた可能性があることは前記のとおりであるが、それは
 そこでも示されているとおり「大和朝廷」の「橘 清友」であって、<他の王朝の人>で
 はない。古田の考えは何ら根拠のない<妄想>である。
7.「八千代」 これは前記のとおり原本『古今集』には、存在しておらず、後になって
 変更したものであろう。「八千代」、これに深い意味を持たせることは必要なく「多くの
 千代」の意味である。これを「博多湾」という者がいるが、それが言えるなら「若狭湾」
 でも「東京湾」でもよかろう。
 

福島第一原子力発電所の事故の検証(3)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月25日(土)22時05分40秒
  8.3月12日0時00分 「東京電力」 ベント 決断
  同日1時30分    政府 ベント 指示
  同日3時05分    経済産業大臣・東京電力 共同記者会見
              放射能漏れのため住民避難の必要性
                             説明
  ★ ベントの作業マニュアルが電動となっており、電源が喪失し
   ていたため、作業マニュアルは実行不可能
          ↓
   手動に取掛かるも作業難航
  ◆ べントによる放射能漏れの危険性のため、住民避難をどうす
   るかに政府内で調整難航
9.同日6時50分 政府 ベント命令
  首相 福島第一原子力発電所の現場視察
10.同日9時04分  ベント作業開始
  同日14時30分 ベント実施確認
  ◆ 東京電力のベント決断から9時間4分、政府のベント指示か
   ら7時間34分が経過
11.同日15時36分 1号機 水素爆発
  ◆ 政府 放射能線量の拡散図を把握→公表せず
  ◆ 政府 このころより情報管理
12.同日20時32分 首相 福島第一原子力発電所から20キロ以
 内 避難勧告
  ◆ 避難勧告はどこに避難すべきかの指示なし
 

福島第一原子力発電所の事故の検証(4)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月25日(土)22時04分45秒
  13.3月13日 5時10分 3号機 冷却機能喪失
14.同日11時00分ころ 政府 官邸に外部専門家を招集
  ★ 原子力プラントメ−カ−社長
    3号機建屋爆発の可能性を示唆
15.3月14日 7時00分 陸上自衛隊に3号機の注水要請
  ◆ 3号機建屋水素爆発の可能性 陸上自衛隊に隠匿
  同日11時01分 陸上自衛隊 3号機の手前5メ−トルに到着
           車のドアを開けようとしたときに3号機建屋
           水素爆発  ガレキが車両の屋根を突き破り
           隊員 4名重軽傷 放射能を浴びる
16.同日17時00分ころ 福島第一原子力発電所の吉田所長 2号
 機の原子炉が空焚き状態にあることを確認  作業員に退去の自由
 を通告→同日夜 東京電力の社員70人を残して、200人以上が
 福島第一原子力発電所から退去
  同日夜 「東京電力」の清水社長 福島第一原子力発電所からの
 撤退を政府に通告(清水社長は全員の撤退は否定)
17.3月15日 3時15分 首相 「東京電力」の本社を訪問し、
 「東京電力」の撤退を面罵
  政府 「東京電力」に「原子力対策本部」を設置
18.同日5時35分 福島第一原子力発電所 2号機・4号機 水素
 爆発
 

君が代考(5)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月25日(土)16時34分12秒
  3.「いはほ」は「岩羅(いわら)」のことをいい、「井原」に通じ(前掲書 27頁)、ま
 た「いはほ」は「岩穂」にも通じ(前掲書 45頁)、岩の先が尖ったものの意である。
  そして、「井原」は背振山脈最高峰の「井原山」(983メ−トル)〔佐賀市−福岡県との
 県境〕である。何とも創造力がたくましいが、「いはほ」は知られているように「巌」に
 当てられている。つまり一般的な「大きな岩」という意味である。彼は「岩羅」とは巨
 石信仰からくる「岩の領域」というが(前掲書 45頁)、それが正しいにしても「岩羅」
 など全国至るところに存在している。
4.「こけ」は、「桜谷(若宮)神社」(福岡県糸島市)であり、祭神は「苔牟須売神(コケ
 ムスミノカミ)」であり、「君が代」の歌詞の「こけ(苔)のむすまで」に合致する(前
 掲書 28頁)。
  ところが、ここの祭神は、「苔牟須売神」と「木花之咲耶比売(コノナハサクヤヒメ)
 であり、「苔牟須売神」は「磐長比売(イワナガヒメ)」のことである(末尾HPおよび
 前掲書 63頁)。何のことはない。次項(5)の「細石神社」の祭神と同じなのである。
 これでは、どっちなのかわからない。それよりも「糸島郡誌」(末尾HP)のよると「寛
 永元年(1848年)11月5日、浦の漁人仲西市平の妻に神告ありて、初めて勧進せ
 しという。近世になって神社を創設したもので祭神も取ってつけたものと思われ信頼性
 に欠ける。「こけ(苔)のむすまで」と「苔牟須売神(コケムスミノカミ)」との結びつ
 けは、単に語呂が似ているだけの話で一致もしておらず、<付会牽強>の何物でもない。
 ★ 桜谷(若宮)神社
 http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E6%A1%9C%E8%B0%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE
 

「君が代」

 投稿者:皇国の護国  投稿日:2011年 6月25日(土)14時23分18秒
  出典を明示しない、この掲示板が公衆の場であることを忘れた言動を謝罪します。今後は出典を明記します。すみませんでした。

今度は自力で考えた憲法論を述べます。
 

福島第一原子力発電所の事故の検証(2)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月25日(土)11時03分31秒
  5.3月11日19時03分 政府 緊急非常事態宣告
  ★ 政府は「原子力安全・保安院」の通告を受け、官邸地下にあ
   る「危機管理センタ−」で協議を開始
   出席者 官邸側     首相 官房長官 官房副長官(福山
               哲郎) 経済産業大臣 総理大臣補
               佐官(寺田 学)
       原子力関係者  原子力安全・保安院 原子力安全委
               員会 東京電力
  ★ 政府は「原子力安全・保安院より17時54分に非常事態通
   告を受けていたが、18時12分からの党首会談のため、首相
   が中座したため、緊急非常事態宣告が遅滞
6.政府(官邸) 福島第一原子力発電所の電源喪失に対応するため
 電源車の確保を決定
  同日21時00分 最初の電源車到着 その後、新潟などから5
 0台が到着 電源車の電源をつなぐ作業が電源接続の不具合により
 手間取る
  同日22時00分 電源車の電源をつなぐもポンプが作動せず
7.同日21時00分すぎ 原子炉建屋 10秒−0.8ミリシ−
 ベルトのため、1人20分しか作業不能 原子炉 立入禁止

  原子炉から放射性物質漏れ
       ↓
  ベルトダウン(炉心溶解)の可能性
       ↓
  ベント(気体を抜いて原子炉の圧力を下げる操作)を考慮
       ↓
  放射性物質 外部拡散の恐れ
 

福島第一原子力発電所の事故の検証(1)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月24日(金)22時22分13秒
   NHKスペシャル シリ−ズ 原発事故 第1回 事故はなぜ深刻化したのか (平成23年(2011年)6月5日(日) 地上D011 午後9時)から、福島第一原子力発電所の事故の推移を追ってみたい。これについては、既に「はる」サンから批判が寄せられている。検証といっても前記NHKスペシャルは問題点すら明らかにせず、しかも私は専門家でないので、疑念を指摘することに止まることを了解していただきたい。
 本番組はそれでも事実の経過を明らかにしただけでも価値はあろう。

1.3月11日 14時46分 地震発生により福島第一原子力発電
 所への電源を供給する鉄塔が崩壊し、電源が喪失
2.同日15時42分 津波が同発電所に押し寄せ、非常用電源およ
 び同バッテリ−水没により双方とも喪失
  ★ これらにより、原子炉への注水が不能
3.同日16時45分 同発電所の運用者である「東京電力」が「原
 子力安全・保安院」に非常事態を通告
    ★ 規定によるとこうした非常事態が発生したときは、15分以
   内に「東京電力」が「原子力安全・保安院」に非常事態を通告
   することになっており、さらに同院は直ちに政府に非常事態を
   通告し、政府は緊急事態宣言を行うことになっている。
  ◆ 「東京電力」は15時42分に「原子力安全・保安院」に非
   常事態を通告しなければならないのに、1時間03分も通告を
   懈怠していたことになる。
4.同日17時54分 「原子力安全・保安院」 政府(官邸)に非
 常事態を通告
  ◆ 「原子力安全・保安院」は16時45分に、「東京電力」から
   非常事態の通告を受けた時点で、直ちに政府に通告しなければ
   ならないのに、1時間09分も通告を懈怠していたことになる。
  ◎ 結局、「東京電力」および「原子力安全・保安院」は、合計
   2時間12分も通告を懈怠していたことになる。
 

君が代考(4)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月24日(金)13時29分48秒
   冒頭に「君が代」の歌詞について、九州王朝から盗まれたものであると説く者がいる(『奪われた国歌「君が代」』古田武彦 情報センタ−出版局 2008年8月11日 11頁以下)。
 例によって古田で、反論するだけ馬鹿馬鹿しいが、浅学で無知蒙昧の者ほど騙されやすいので、警告の意味で指摘しておく。彼の言い分は次のとおりである。
1.千代とは、福岡市の県庁前にある「千代の松原」のことをいう。
  ところが、「千代の松原」などは全国にもある。そればかりか、福岡市の「千代の松原」
 がいつの時代からそう呼ばれたかについて定かではない。また「千代」は当て字であっ
 て「千世」という考えもあり(新 日本古典文学大系 5 『古今和歌集』小島憲之・
 荒井栄蔵 岩波書店 1989年2月20日 113頁)、これを「千代」と決め付けるのは
 誤っている。古田武彦自身が『「世」の方が本来であったのでしょう』と述べているから
 (前掲書 65頁)、始末が悪い。この男、一体何を考えているのだろう。
  そもそもこういうものを「君が代」に結びつける神経がわからない。単なるデマゴギ
 −を振り撒いているだけだ。
2.これは福岡県前原市にある「細石神社」のことをいう。
  これはコジツケの何物でもない。「さざれ石」を「細石」と記したが、古田自身も認め
 ているように『古今和歌集』にはそう書かれているわけではなく当て字である。さらに、
 そもそもこの神社の来歴が明確ではない(次項参照)。
 ★ 細石神社
  http://blog.goo.ne.jp/noyamany/e/e9d92be44b6b385a34c4830c7616596b
 

君が代考(3)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月23日(木)18時09分15秒
   「君が代」の作者は不詳となっているが、『古今和歌集隠名作者次第』には「橘 清友」(758年〜789年)とある。「橘 諸兄」の孫で、嵯峨天皇皇后嘉智子の父、仁明天皇の外祖父で、後に正一位太政大臣を追贈された。古注には、「平城天皇を橘清友が祝してよめる歌」、「寛平七年(895年)正月に人々正月に人々を召して歌続給ける時、貫之歌也」とある(『古今和歌集(二) 全訳注』175頁)。
 これらのことから『古今和歌集』の編者「紀 貫之」は作者を「橘 清友」と知っていたとも考えられる。
 

何なんだろうね

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月23日(木)09時59分4秒
   >解法者氏も、複眼的すぎてわかりにくいのだけどね(笑)<
と言っても本人自身が>何が言いたいのかサッパリわかりません<
と言われているようじゃ世話ねぇや。
 

天邪鬼さん

 投稿者:塩辛問屋  投稿日:2011年 6月22日(水)17時11分51秒
  何が言いたいのかサッパリわかりません。  

あらら・・・(2)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月20日(月)20時57分5秒
   「倭人」氏の「千島列島・樺太・台湾」は、私の「千島列島・南樺太」などからの<盗用>だね。下記を参照されたい。
 「中道保守」さん お褒め頂いてありがとうございます。

 http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/chishima_karafuto.htm
 

あらら・・・(1)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月20日(月)19時57分59秒
   「倭人」氏の「神功皇后」は、私の「神功皇后」(15)以下からの<盗用>
だ。下記を参照されたい。
 http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/nicho11.htm
 

訂正・追加

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月20日(月)19時48分10秒
  被災地周辺の高速道路無料化は意味がない

3.被災の激しかった地域では車も流され、破壊されて利用者が少な
 い。つまり、一番救済されるべき人たちに利益がない。これでは被
 災が少なかった、あるいはなかった者たちの物見遊山に利用される
 だけになりかねない。
  利用するには被災地自治体での「罹災届出証明(被災証明)」が
 必要だが、それには「生活再建への支障」が要件となる。ところが、
 「停電や断水などはそれに該当しない」というのが自治体の見解だ
 ったが、住民からなぜ発行しないとの問い合わせが続き、結局、盛
 岡市・八幡平市(岩手県)、水戸市・日立・つくば市・鹿嶋市(茨城
 県)などでは「罹災届出証明(被災証明)」を出したという(讀賣新
 聞 平成23年(2011年)6月20日(月)朝刊 東京14版
 35面)。市民の<我欲>に自治体が負けたが、これなど住民のタカ
 リだろう。そもそも自治体にしても高速道路無料化の負担がないか
 ら<気楽>なもんだ。「停電や断水」だったら東京でも千葉県でもし
 たよ。千葉県の「浦安市」などの液状化の被害は相当のものだった
 という。
  さらに、「罹災届出証明(被災証明)」は各自治体ごとに書式が異
 なり写真は必要ない。したがって、売買される悪用される恐れもあ
 る。また、青森県から「東北自動車道」を利用し、九州に行く場合、
 「首都高速」では無料化がされてないため、浦和本線料金所で通行
 券が回収され、そこからは有料となる。ところが「常磐道」・「北陸
 道」を経由すると九州まで無料となる(朝日新聞 平成23年(2
 011年)6月20日(月)夕刊 東京4版 11面)。これはオカ
 シイだろう。
 

この掲示板は…(2)

 投稿者:天邪鬼  投稿日:2011年 6月20日(月)18時06分58秒
編集済
   この掲示板にも「浅学は」見られる。例えば、金科玉条のごとくにある研究者の論述を
崇めて他の批判的資料を検討しようともしない。まず、自分の考えを述べるときに、それを先に他の者が述べているときは必ずその者の研究者の論述を挙げる。これは研究の発表の基本的態度である。反対する研究者がいるときは、これも必ずその者の論述を挙げる。その上でこれを批判して、自説を述べる。この掲示板に登場する者のなかには、その論述が自分の考察なのか、それとも先行研究者の論述なのかを明確にしない者がいる。何度注意しても止まないから始末が悪い。これは先行研究者の<腰巾着>とも言えるが、<剽窃>に他ならない。「とか言っているが、石原藤夫への腰巾着は、解法者氏だよ」「なんで『人権擁護法』を批判しないの?」「泣きそばや氏は、腰巾着への腰巾着だね」

 結局、物事を複眼的に見るという能力がないのだろう。「皇国の護国運動家」氏 あなたがそれだ。「そういう解法者氏も、複眼的すぎてわかりにくいのだけどね(笑)」

 「無学老人」氏はこの度の福島第一原子力発電所の事故に関し、東京電力の原子力発電について「原子力委員会」および「原子力安全・保安院」の決定に拘束され、東京電力には何ら責任はないと強調されていた。これは相当な根拠のあるものと考えていたが、仮にそうだとしても少なくとも運転・管理責任は東京電力にあるはず(民法上の原則)だと思い反論したら、東京電力にも責任があることを認めた。何のことは無い。先の見解は<単なる思い付き>だったのである。「無学老人」氏は考察すら怠っており、もっと惨い。これも「浅学」の一種である。 「自分の誤りを認められるのは、偉大だよ」「考察が難しいことが解法者さんはわからないのか」

「解法者氏を批判しなかったら、ソックパペット扱いされるので、批判しました」「次批判するのは、皇国の護国運動家氏と珍宝啓氏です」
 

(無題)

 投稿者:歴史の解明者  投稿日:2011年 6月20日(月)17時59分58秒
  >保守派に対する人気取り?<

いや、そうではないでしょう。「科学的」に考えて、其れしかあり得ない、ということでは?

事実、左翼にも「主権残留説」があることは倭人自身が言っています。

>また、日本共産党も『樺太・千島交換条約』を根拠に支持している。<

 

そうかな?

 投稿者:売国者?  投稿日:2011年 6月20日(月)17時57分31秒
  倭人氏の全体の論調から考えて、ちょっと突飛な気もするが…。倭人氏の邪馬台国論はwajin128のそのものだったし…。

保守派に対する人気取り?
 

RE:千島・樺太・台湾

 投稿者:中道保守  投稿日:2011年 6月20日(月)17時55分53秒
  さすが!このような投稿を待っていました。どうぞ続けてください。  

樺太・千島・台湾(3)

 投稿者:倭人  投稿日:2011年 6月20日(月)17時53分43秒
編集済
  >千島列島(3)<

1、ヤルタ協定(1945年2月11日署名―1946年2月11日米国国務省より発表
 2.(a)樺太の南部及びこれに隣接するすべての諸島がソヴェト連邦に返還されること
 3.千島列島がソヴェト連邦に引き渡されること

2、一般命令第1号(1945年9月2日)
 その1(ロ)樺太・千島列島の日本軍は、ソヴェト極東最高司令官に降伏すべし

3、連合国最高司令官指令第3号(若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離すること 覚書―1946年1月29日)
 3.日本から除かれる地域として(c)千島列島、歯舞群島、色丹島
 4.更に、日本帝国政府の政治上行政上の管轄権から特に除外される地域は次の通りで
  ある。(d)樺太

1、ヤルタ協定が日本に適用されない。

2、一般命令第1号は、樺太・千島列島の日本軍がソヴェトに降伏すべきことを命令した
 ものであって、樺太・千島列島の領有権(主権)をソヴェトに認めたものではない。

3、連合国最高司令官指令第3号は、行政的に日本から離れる地域を指定したもので、樺
 太・千島列島の領有権(主権)をソヴェトに認めたものではない。なお、この6項で「こ
 の指令中の条項は、いずれもポツダム宣言第8条にある小島嶋の最終的決定に関する連
 合国の政策を示すものと解釈してはならない」とあることからも伺える。
 なお、ここで、@千島列島と歯舞群島、色丹島を区別していること、A千島列島、歯舞群島、色丹島と樺太を区別していることは興味深い。

 結局、ソ連(ロシア)の千島・南樺太の領有(主権)根拠は疑わしい。さらに、ソ連の「カイロ宣言」に反して領土拡張を行ったことに対しては、連合国からも非難されている(アメリカのダレスの議会での証言など)。
 なお、「日ソ共同宣言―1956年10月19日調印」では、領土問題についての解決がなされていない。


 

千島・樺太・台湾(2)

 投稿者:倭人  投稿日:2011年 6月20日(月)17時50分46秒
編集済
  >千島列島(2)<

 これらの見解について、どれが妥当であろうか。各見解に対する批判を上げ、最後に結論を述べたい。

1、主権日本残留説
 日本は敗戦国であり、放棄を宣言した土地の領有権を主張できるのか、という問題がある。

2、処分権日本残留説
  @ソ連が平和条約に参加しても、その第2条(a)、日本国は千島列島・・・
   樺太・・に対するすべての権利、権原および請求権を放棄する。からは、
   千島列島が直ちにソ連領となるものではなく、アメリカ、イギリスなどの
   連合国と共に共同管理となるだけである。したがって、千島列島がソ連領と
   なるためには、条約を改正するか、連合国間の新たな議定によってそのこと
   が確認されなければならない。
  A平和条約第26条で、日本国はソ連などのような戦争状態にある国で署名
   していない国との間で平和条約と同一(実質的同一も含む)の条約を締結
   することを用意する。ただし、この日本国の義務はこの条約の最初の効力
   発生から3年で満了する。日本国がこの条約よりも大きな利益をその国に
   与えたときは、その利益はこの条約の当事者国にも及ぶ、と規定されている。
   したがって、平和条約で千島列島をソ連の領土として認めていない以上、
   ソ連に千島列島に領有権を認める場合は、日本国がこの条約よりも大きな
   利益をその国に与えることになり、他の連合国にも同等の利益を与えなけれ
   ばならない。しかし、他の連合国に千島列島の領有権を認めることなどあり
   えないから、そのよう条約をソ連と締結することはできない。
  Bソ連は平和条約の署名を拒否した。このことは、ソ連が千島列島のソ連への
   帰属を拒否したことを意味する。一方、日本は連合国に対して千島列島の
   領有権を放棄しているのであるから、これの帰属については日ソ間ではなく、
   連合国間で決せられるべきである。そして、その場合でも、領土不拡大の
   原則および前記の平和条約の規定によって、千島列島をソ連へ帰属させる
   ことは法理上から不可能である。

3、無主地説・無主地先取(先占)説
 日本の千島列島・南樺太の放棄は日本の自発的なものでなく、連合国によって行わたものであり、その連合国に対して放棄したものである。したがって、それが、途中で無主の地となるということはありえない。まして、ソ連は「平和条約」締結会議以前に領有国内的手続きを完了している。

4、放棄予約説
  @一切の権利・権限・請求権を放棄するということは、宣言的効果を持つ
   のであって、条約の発効と同時に放棄も無条件に効力を有する。したがって、
   予約などということはありえない。
  A連合当事者国が放棄されたと考えたとしても、これが予約に過ぎないと
   するとすることは連合当事者国が違和感を抱き、賛同しない。

5、ソ連主権移転説
  (1)無異論帰属説(ヤルタ協定根拠説)
     @日本もアメリカもソ連の占有に対して異議を唱えている。
     A不法な占有も異論がなければ正当化されるということは、無法者の
      主張であり、近代的法治国家の承認されるところではない。
  (2)無異論帰属説(条約効力根拠説)
     当事者国が締結しない条約は締結していない第三国に対して効力が
     及ばないという原則を覆す根拠に欠ける。

6、現状承認説
 講和条件を定める条約なく戦争が終結した場合には、交戦国間の法的地位は戦争終結当時の状態がそのまま認められ、そこを占領した国に主権が存する
 ということであれば条約不要論にもつながり、また、無法者の主張を認めることにもなって、近代的法治国家の承認されるところではない。

 このように、どの見解も欠点があるが、当事者国が締結しない条約は締結していない第三国に対して効力が及ばないという原則もあり、自ら平和条約に参加(署名)しなかったことによる不利益はソ連が負うべきであって、「主権日本残留説」が妥当であると考える。
 したがって、千島列島および南樺太の領有権(主権)は日本に存している。


 

千島・樺太・台湾

 投稿者:倭人  投稿日:2011年 6月20日(月)17時49分37秒
  >千島列島(1)<

 千島列島(南千島、北千島)の帰属についての見解について整理して検討してみたい。
1、主権日本残留説
 第三国に義務を付与する場合は、その同意なしには義務も権利も創設しない(ウイーン条約第34条)のであり、千島列島(南千島、北千島)の帰属についての平和条約にソ連が署名していないので、主権が日本に残留している。
 日本政府の見解であるとともに平和条約を主導したアメリカの見解でもある。
 田村幸策―中央大学教授(ジュリスト 1955年4月15日号 「日ソ交渉と領土問題」有斐閣)、重光 晶(「北方領土」とソ連外交 昭和58年1月5日発行時事通信社)もこの見解を支持されている。また、日本共産党も『樺太・千島交換条約』を根拠に支持している。

2、処分権日本残留説
 平和条約では、千島列島をソ連に譲渡することが予定されていたが、ソ連が参加(署名)しなかったので、ソ連との間に平和条約と同一趣旨の条約を締結するまでは日本に処分権がある。したがって、可能かどうかは別として日本が日本人を千島列島に移住させることができる。

3、無主地説
 平和条約で日本によって放棄されたが、これに参加(署名)した連合国などが受取ってはいないので無主の地となった。ソ連がそこを先取(先占)したが、どこの国の領有権(主権)が認められない。
 前原光雄―慶応大学教授(北方領土の法的地位(「北方領土の地位」に所収 昭和37年3月発行  南方同胞援護会(原典は「国際法外交雑誌 第60巻」)、田嗣延(北方領土 昭和53年3月10日発行  時事通信社)の見解であり、かなり有力である。

4、無主地先取(先占)説
 平和条約で日本によって放棄されたが、これに参加(署名)した連合国などが取ってはいないので無主の地となった。ソ連がそこを先取(先占)したのであるから、ソ連の領有権(主権)が認められる。
 田畑茂二郎―京都大学教授(法律時報1956年10月15日 法律時報社)の見解である。

5、放棄予約説
 平和条約で日本によって放棄されたが、現実にはそれらの地域はソ連が占有している。したがって、放棄しても放棄できない。そこで、放棄するためには先ず、ソ連から返還を受け、その後に放棄することになる。つまり、条約締結時点ではその実質的な放棄が不可能であるので、それは単に予約に止まるとする。
 横田喜三郎―東京大学教授(ジュリスト1955年4月15日号  有斐閣)の見解である。

6、ソ連主権移転説
 (1)無異論帰属説(ヤルタ協定根拠説)
     ヤルタ協定を権原として占有しており、ソ連も自国の法律手続きを経て
     その占有を既定化し、これが国際的に異論なく継続している。
     入江啓四郎―愛知大学教授(ジュリスト1955年4月15日号 「ヤルタ
     協定と領土問題 有斐閣)、高野雄一東京大学教授(ジュリスト
    「日ソ共同宣言」1956年12月1日号 「日ソ共同宣言」 有斐閣、国際法
     からみた北方領土1986年5月20日発行、北方領土の法理(「北方領土の
     地位」に所収 昭和37年3月発行 南方同胞援護会(原典は「国際法外交
     雑誌 第60巻」)、の見解である。
 (2)無異論帰属説(条約効力根拠説)
     領土の処分を定める条約は当事者国だけでなく、当該条約に参加(署名)
     しなかった国にも効力を有するので、平和条約で日本によって放棄された
     ので、平和条約に参加(署名)しなかったソ連にも効力が及ぶ。
     臼杵知史北海道大学教授(現代国際法講義(第二版) 平成7年5月21日
     発行 有斐閣 杉原高嶺など編)、小川芳彦(経歴不明)―国際法(第三版)
     1996年12月20日発行  有信堂 田畑茂二郎など編)らの見解である。

7、現状承認説
 講和条件を定める条約なく戦争が終結した場合には、交戦国間の法的地位は戦争終結当時の状態がそのまま認められ、日ソ共同宣言(1956年10月19日)が領土間題を含めて日ソ間の戦争状態を総て終結した。そして、ソ連が日ソ平和条約締結後に日本に引渡すことを約した歯舞・色丹を除く千島列島はソ連に帰属したとする。
 金子利喜男―札幌大学助教授(「北方領土問題」の経過と将来(「二十一世紀の国際法」に所収 昭和62年10月21日発行)

 なお、木村 汎―国際日本文化センター教授(日露国境交渉史 1993年9月25日発行 中央公論社)、大寿堂 鼎−京都大学教授らは、見解を明らかにされていない。
 それほど、この問題は複雑ということであろう。

 

神功皇后(5)

 投稿者:倭人  投稿日:2011年 6月20日(月)17時45分7秒
  なお、「池内 宏」は、「神功皇后」研究の先駆者である。彼の持論を挙げ、これについても検証したい。
 彼の49年条が造作であるとする論拠は、@ 49年にいったん「卓淳国」に集まっておきながら、この「卓淳国」も含めた7カ国を平定するのは不合理だとする(前掲書 53頁)、A 「千熊長彦」は新羅に対する「問罪使」として派遣されたもので、突然に盟約の当事者として記されているのは不自然である(前掲書 58頁)、B 当時の「百済」は「漢城」(ソウル市近郊)にあり、盟約の地として「辟支山」(韓国全羅北道金堤市)と「古沙山」(韓国全羅北道古阜郡)に赴いたというのは不自然である(前掲書 59頁)、にある。
 @については、「百済」の軍と合同して「新羅」を攻めるには、この両国の中間点(緩衝地帯)に集合してから事を起こすのが妥当であり、「新羅」を攻略した後に「卓淳国」を平定したとすることは不合理な説明ではない。Aについては「山尾幸久」への批判でしてきしてある。Bについては、この地はいずれも「山」で、当時から「百済」の領土であり、後の「百済」の王都(「熊津」)にも近く、「聖地」としての役割を担っていた可能性も捨てきれない。『三国史記』新羅本紀第30代「文武王」5年(665年)8月条に、王が「唐」の勅使「劉 仁願」・熊津都督「扶余隆」らと共に「熊津」の「就利山」(現在の韓国忠清南道公州市)で盟約を結んだという記事がある。おそらくこの辺りは「聖地」であったのであろう。したがって、彼らがここに立ち寄ることも決して不可思議なことではあるまい。

 

神功皇后(4)

 投稿者:倭人  投稿日:2011年 6月20日(月)17時41分47秒
編集済
  これに反論する。まず、「津田左右吉」の見解について述べる。
@〈1〉
  神功皇后の「三韓征伐」の320年頃は、まだまだ「新羅」が日本と比べて文化が高
 かったことは、「新羅」から出土する文物からもうかがえる。当時、それ以前からも「新
 羅」は「倭」と戦闘を交えていたことは『三国史記』新羅本紀の記事からも明らかであ
 る。戦争といえば「武器」であるが、「武器」のなかの「鎧」を見てみると、朝鮮のもの
 は「桂甲」と言って、鉄製の鎧(甲)で、小さくて細長い鉄板を縦に並べ、革紐・組紐
 でつなぎ合わせたものである。騎馬用に使用されていたと考えられている。これは北方
 民族から伝わったもので、「高句麗」に最初に伝来したとされ、「三室塚」の壁画には「騎
 馬甲冑武装」の人物が描かれている(『韓国の考古学』金 廷鶴 河出書房新社 1972
 年8月30日 236頁)。これは朝鮮半島南部にも伝えられ、古墳から出土している。
 「新羅」からは、「九政洞」(慶州の郊外)から同じようなものが出土している。時代は
 4世紀前半ころといわれている(『韓国の古代遺跡 T新羅編(慶州)』森 浩一 中央
 公論社 1988年7月20日 52頁)。こうした「鎧」が日本に伝来し、さらに改良され
 て、それまで革紐・組紐でつなぎ合わせたものが「鋲」でつなぎ合わされている「鉄製
 三角板鋲留甲冑」が「黒姫山古墳」(大阪府)から出土しており、同じようなものが「上
 栢里古墳」(韓国の慶尚南道咸陽郡水東面上栢里)から出土している(「南部朝鮮出土の
 鉄製鋲留甲冑」穴沢和光(正確には、口+禾)・馬目順一〔『考古学からみた 古代日本
 と朝鮮』西谷 正 学生社1978年12月20日 132頁〕)。その他「冑」についても
 同じである(同110頁)。こうしたものは戦闘の連続のなかで互いに進化して発達した
 ものであることは説明するまでもない。以上、「鎧」・「冑」を例に取って説明したが、「
 武具」に限らず他の文物についても同じであろう。『三国志』魏志 東夷伝辰韓・弁韓
 条に「土地肥美。宜種五穀及稲。暁蠶桑作?布」とある。「辰韓」とは新羅のことをいう
 が、ここでは養蚕(蠶桑)を行い、絹(?)を生産していたことがうかがえる。日本と
 の密接な関係から日本にも輸入されたであろう。文化の水準はどちらが高かったかにつ
 いては即断しかねるが、「新羅」の文化水準は4世紀代には日本とそれほどの違いはない
 などと言うのはいかがかと思われる。
  「朴 天秀」はこれまで「加耶」産と考えられていた5世紀末の「鉄?」・「金銅製装身
 具」・「馬具」・「武具」・「武器」は<新羅産>であるとしている(『加耶と倭−韓半島と
 日本列島の考古学−前方後円墳』講談社〔講談社メチェ398〕朴 天秀2007年10月
 10日 134頁)。

@〈2〉
  「阿利那礼河」は、慶州の北部を流れる「閼川」(北川)であって、「漢江」ではない。
@〈3〉
  確かに、当時「任那」は日本の支配下にあったが、日本から大軍を動員して「新羅」
 を攻めるのは、一度、朝鮮半島南部(金海付近)に上陸してそこから長い距離を北上し
 て内陸部を行軍して「任那」に至り(当時の「任那」の本拠地は「卓淳」〔韓国の慶尚北
 道大邸市−「新羅」の王都「慶州」から北西約70キロ、「金海」から北へ120キロ〕)、
 そこから、「慶州」に往くことになる。そんなことをするより、日本よりいったん「金海」
 (当時は「金官加耶」があった)に停泊し、そこから海づたいに「慶州」の北東の「迎
 日湾」(現在の慶尚北道浦項)に上陸し、南西20キロのところにある「慶州」に攻め入
 る方がより効率的である。
@〈4〉
  「百済」の帰服については、「百済」が神功皇后の「三韓征伐」の320年頃も含めて
 長年「高句麗」と戦争を繰り返していたことは『三国史記』の記事からもうかがえる。
 それを考えれば、この時代から「百済」が「倭」に保護を求めていたことは十分に考え
 られよう。一方「高句麗」であるが、これは「倭」に帰服したことはなく、潤色を加え
 たものであろうが、これだけのことを以って、「百済」が神功皇后の「三韓征伐」の記事
 が虚構に満ちていたとするのは早計であろう。
A・B
  〈1〉神功皇后の「三韓征伐」の記事は、前述の『三国史記』新羅本紀の記事にも合
    致する。これが前述のとおり、奈勿王(第17代王)の子、未斯欣(ミキシン)
    人質であるが、「朴時亨」は、1.この時期は「新羅」が「倭人」を撃退しており、
    人質を「倭」に出す必要がなかった、2.「倭」(実体は海賊)が人質を20年も
    生かしておくことが有り得ない、としたうえで、『三国史記』新羅本紀の記事は<
    誤伝>だという(『広開土王陵碑』そしえて 1985年8月1日98頁)。しかし、
    当時の「新羅」は「高句麗」にも攻められ「実聖」を人質として差し出し(39
    2年)、北部の日本海側の「靺鞨」にも侵略され(395年)、もちろん「倭」に
    も「王城」(慶州)を5日間も包囲されている(393年)。何としてでも「倭」
    を認めたくない<妄想>の為せる業である。
  〈2〉前述のとおり、神功皇后の「三韓征伐」の<伝承>は長い間、人々の中に伝え
    られて来たものであって、『日本書記』の編纂時期に編纂者が創作したと考えるの
    は無理がある。

  次に、「直木孝次郎」の見解について述べる。
@ 同じ記事があるからといって、これが同一の事実であると決め付けるのは根拠がない。
A 「直木孝次郎」も述べているように(前掲書 81頁)、「香椎宮」のことは中央政府の
 人々の記憶には残されていたが、『日本書記』や『続日本紀』に記録されないことも十分
 に考えられる。
 「池内 宏」の見解について述べたいが、これはBを除けば「津田左右吉」のものと大差
 ないので、省略する。Bについては後述する。
 最後に、「水野 祐」の見解について述べたい。
  「神功皇后」が「斉明天皇」の化体であるならば、どうして「神功皇后」を天皇にし
 なかったのであろうか。また、「斉明天皇」は筑紫の朝倉宮で急死しているが、神功皇后
 伝説で亡くなったのは「仲哀天皇」で男帝であり、相違がある(『ヤマト王権の謎をと
 く』塚口義信 学生社 1993年9月25日 53頁)。

  何よりも前述のとおり、『記紀』のみならず、その他の史料にも「神功皇后」の「三韓
 征伐」に関する伝承が記されている。『日本書記』の編者が「神功皇后」の史実を<造作
 >したなどということが有り得るだろうか。当時、「神功皇后」の「三韓征伐」は疑いの
 ないものとして信じられて来たのである。特に注目すべきは、前述の『常陸国風土記』
 行方郡条の「息長足日売の皇后(おきながたらしひめ−神功皇后)のとき、この地に「古
 都比古」(こつひこ)という人がいた。三度韓の国に遣わされた」という伝承である。こ
 のような都から遠く離れた地にまで、「神功皇后」の「三韓征伐」の伝承が存在していた
 のである。現在「風土記」はほとんど失われているが、他の地域にも同じような伝承が
 あったと思える。したがって、これらの者の見解は採用できない。

  それでは「神功皇后」はどうして「三韓征伐」を行ったのであろうか。「神功皇后」が
 「三韓征伐」をして、初めて「朝鮮半島」に拠点を持ったとは考えてはいけない。>倭
 はどこにあったのか<で詳しく説明したが、「倭」(日本)はその遥か前から「朝鮮半
 島」の南部に拠点を有し、数多くの人たちが居住していたのである。ところが、それを
 「新羅」が排除しようとしたから「神功皇后」が「三韓征伐」をしてその権益を守った
 のである(『倭の五王の謎』安本美典 講談社〔講談社現代新書637〕1981年12月
 20日 213頁)。

 次に、「直木孝次郎」の見解について述べる。
@ 同じ記事があるからといって、これが同一の事実であると決め付けるのは根拠がない。
A 「直木孝次郎」も述べているように(前掲書 81頁)、「香椎宮」のことは中央政府の
 人々の記憶には残されていたが、『日本書記』や『続日本紀』に記録されないことも十分
 に考えられる。
 「池内 宏」の見解について述べたいが、これはBを除けば「津田左右吉」のものと大差
 ないので、省略する。Bについては後述する。
 最後に、「水野 祐」の見解について述べたい。
  「神功皇后」が「斉明天皇」の化体であるならば、どうして「神功皇后」を天皇にし
 なかったのであろうか。また、「斉明天皇」は筑紫の朝倉宮で急死しているが、神功皇后
 伝説で亡くなったのは「仲哀天皇」で男帝であり、相違がある(『ヤマト王権の謎をと
 く』塚口義信 学生社 1993年9月25日 53頁)。

  何よりも前述のとおり、『記紀』のみならず、その他の史料にも「神功皇后」の「三韓
 征伐」に関する伝承が記されている。『日本書記』の編者が「神功皇后」の史実を<造作
 >したなどということが有り得るだろうか。当時、「神功皇后」の「三韓征伐」は疑いの
 ないものとして信じられて来たのである。特に注目すべきは、前述の『常陸国風土記』
 行方郡条の「息長足日売の皇后(おきながたらしひめ−神功皇后)のとき、この地に「古
 都比古」(こつひこ)という人がいた。三度韓の国に遣わされた」という伝承である。こ
 のような都から遠く離れた地にまで、「神功皇后」の「三韓征伐」の伝承が存在していた
 のである。現在「風土記」はほとんど失われているが、他の地域にも同じような伝承が
 あったと思える。したがって、これらの者の見解は採用できない。

  それでは「神功皇后」はどうして「三韓征伐」を行ったのであろうか。「神功皇后」が
 「三韓征伐」をして、初めて「朝鮮半島」に拠点を持ったとは考えてはいけない。詳
 しく説明したが、「倭」(日本)はその遥か前から「朝鮮半島」の南部に拠点を有し、数
 多くの人たちが居住していたのである。ところが、それを「新羅」が排除しようとしたか
 ら「神功皇后」が「三韓征伐」をしてその権益を守ったのである(『倭の五王の謎』安
 美典 講談社〔講談社 現代新書637〕1981年12月20日 213頁)。

 

『風土記』について

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月20日(月)17時36分40秒
  倭人氏の説、大筋においては賛成なのですが、『風土記』を『古事記』などと同列に扱うのには抵抗を感じます。

せめて、『風土記』の引用元を明らかにしてほしい。
 

神功皇后(3)

 投稿者:倭人  投稿日:2011年 6月20日(月)17時34分50秒
  このように、「神功皇后紀」の朝鮮に関する記事が朝鮮側の史料と合致することは、史実であったと考えられよう。
 これに対して、次のような反論が提起されている。
1.第14代「仲哀天皇」9年(320年)(神功皇后摂政前紀)〔『日本書記』卷第九〕(新 羅征伐−「三韓征伐」)
  ここでは、これを否定する「津田左右吉」の見解を挙げなければなるまい(『日本古典
 の研究』(津田左右吉全集 第1巻)岩波書店 1963年10月17日 87頁)。
@ 神功皇后の「三韓征伐」の『日本書記』の記事には、後人の添加したところがすこぶ
 る多い。『古事記』も歴史的事実を語っていない。
〈1〉神功皇后の記事では、「新羅」のことを、金銀の国・宝の国などと称しているが、
  「新羅」の文化水準は4世紀代には日本とそれほどの違いはなく、それが発達するの
  は6世紀初期以降のことであるから、この記事の成立は4世紀代に作られたものでは
  ない。
〈2〉神功皇后の記事での「新羅王」の降伏の言葉に出てくる「阿利那礼河」(そりなれ
  かわ)の名が出てくるが、これは現在のソウルを流れる「漢江」であって、「新羅」が
  この地を支配するのは新羅24代王「真興王」(在位 540年〜576年)のこと
  である。したがって、神功皇后の「三韓征伐」の記事はそれ以後に創作されたもので
  ある。
〈3〉神功皇后の記事での「新羅」征伐について、「任那」を経由せずに直接、海から「新
  羅」に攻め入っている。これは「任那」が滅亡した562年以降に作られたものであ
  ることを物語っている。(ここのところがとても強調されている−神功皇后の「三韓征
  伐」の<虚偽性>はここにあると言ってよい)。
〈4〉神功皇后が「新羅」征伐の際に、「百済」、「高句麗」も「倭」に帰服したというが、
  「百済」が「近肖古王」のときから「倭」の保護を得ようとしたのは事実であるが、
  それよりも前に「倭」に帰服したということはない。その「近肖古王」のときの事実
  を神功皇后のこの記事のなかに挿入したのである。また、「高句麗」が「倭」に帰服
  したことはなく、潤色を加えたものである。
A 日本の対韓経略の初期に一時新羅を征服したのは事実であるが、神功皇后の「三韓征
 伐」伝説自体は、事実の記録または伝説口碑から出たものではなく、よほど後になって、
 恐らくは新羅征討の真の事情が忘れられたころに、物語として構想されたものらしい。
B 5世紀末期以来、新羅が強大になり、日本の朝鮮半島支配が動揺してきたため、日本
 の朝鮮半島に対する支配権、特に新羅に対する優越性を歴史的に基礎づけることが必要
 とされたことから、作り出された物語である。つまり、継体・持統朝に創作されたもの
 である。

「直木孝次郎」は「津田左右吉」の見解を承継したうえで、次のことを付け加える。
(「神功皇后伝説の成立」〔『古代日本と朝鮮・中国』講談社[講談社学術文庫 845] 1988年9月10日 80頁〕)。
@ 神功皇后の記事での「新羅」征伐で、「新羅王」が一戦も交えず降伏していることは、
 「推古朝」31年(623年)の「(日本の)将軍たちが「任那」に至り、相談して「新
 羅」を討伐しようとした。「新羅王」は大軍がやって来ると聞き、恐れてすぐに降伏する
 ことを願い出た。」と類似している。神功皇后の記事での「新羅」征伐は、この推古天皇
 紀の話を真似して導入したものである。
A 「香椎宮」は、『日本書記』の「仲哀天皇」9年条(320年)(神功皇后摂政前紀)、
 春2月、天皇は筑紫の「橿日宮」(香椎宮)で崩御されたとの記事で見られる。この地は
 「新羅征伐」の発端となった重要なところである。しかし、これが再び現れるのは、『続
 日本紀』(天平9年〔737年〕4月乙己(1日)条に、「夏4月、使者を筑紫の「香椎
 宮」に幣帛(みてぐら−供物)を奉り、「新羅国」の無礼なことを報告した。」その後、
 天平勝宝3年〔752年〕8月巳亥(6日)条、同6年〔755年〕11月庚寅(16
 日)条、で、それまで420年弱、「香椎宮」が記録に現れない。このことは奈良時代に
 なって初めて政府の遣使・奉幣を受けたと解釈でき、これを神功皇后の「新羅」征伐の
 記事に挿入したと考えられる。

 「池内 宏」は、次のように述べる(前掲書 31頁)。
@ 神功皇后の新羅征伐に関する地理上の記載がない。
A 神功皇后の新羅征伐に関する戦闘の記載がない。
B 神功皇后に降伏を願い出た新羅王「波沙寐錦」(「寐錦」は王の意味)は5代王の「婆
 娑尼師今」(在位 80年〜112年)で、伝説上の人物であり、これに関する伝承を
 神功皇后の「三韓征伐」に挿入したもので、後世の造作である(前掲書 45頁)。ま
 た「波沙寐錦」を一書を引いて「宇流助富利智干」とするが、これに該当する「新羅
 王」はいない(前掲書 49頁)。

 「水野 祐」は、次のように述べる(『日本古代の国家形成』講談社〔講談社現代新書 128〕1967年10月16日 164頁〕)。
 「神功皇后」の「三韓征伐」は「斉明天皇」7年(661年)1月6日の「新羅」出兵の挫折(天皇薨去により断念)を遠い過去に反映させ、そこでは「神功皇后」による「三韓征伐」の完成という形を採り、7世紀の現実における理想像を過去因としてここに描き出したのである。

 その他にも「山尾幸久」(「『日本書紀』のなかの朝鮮」〔『共同研究 日本と朝鮮の古代史』〕吉田 晶・鬼頭清明など 三省堂 1979年4月25日 121頁)など(「倭の五王の時代と登場人物」近江昌司〔『倭の五王の謎』近江昌司・飯島吉晴 学生社 1993年6月25日 11頁〕、「神功・応神伝説に秘められたもの−神功皇后は卑弥呼か−」松村一男 同58頁)があるが、前述の者たちと大同小異なので省略する。

 

神功皇后(2)

 投稿者:倭人  投稿日:2011年 6月20日(月)17時32分32秒
  『筑前国風土記』芋眉(正しくは「サンズイ」+「眉」−以下同じ)野条
  息長足比売命(おきながたらしひめのみこと−神功皇后)は、新羅を討とうとして軍
 を指揮したときにお腹の子の胎動があった。そのとき、2つの石を取って裳(腰巻)の
 腰のところにはさんで、新羅を討った。凱旋して芋眉野(うみの−福岡県糟屋郡宇美町
 宇美)に来たところで太子が生まれた。
 同資珂嶋条
  糟屋郡(かすやのこおり)資珂嶋(しかしま)。昔、息長足姫尊(おきながたらしひめ
 のみこと−神功皇后)が新羅に行かれたときに船が夜に来て、この島に泊まった。
 同大三輪神条
  息長足姫尊は、新羅を討とうとして軍勢を整えて出発したが、途中で軍兵が逃げてし
 まった。その理由を占いで尋ねたところ、祟る神があるという。その名を大三輪神(お
 おおみやがみ)という。そこで、この神の社を建てて祭り、ついに新羅を平定した。
 『肥前国風土記』高来条
  周賀郷(すかのさと)昔、息長足姫尊が新羅を討とうとして出たとき、船をこの郷の
 東北の海につないだ。
 『肥前国風土記』揖保郡条
  宇須伎津(うすきつ)。大帯日売命(おおたらしひめ−神功皇后)が、韓の国を平定し
 ようとして渡り出たときに、船が宇頭川(うつかわ)の泊に宿った。
 同
  萩原里。息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと−神功皇后)が、韓の国から還
 られたときに、船をこの村に泊められた。
 同讃容郡条
  中川里。息長帯日売命が韓の国に行かれたときに、船が淡路の岩屋に泊まった。
 『摂津国風土記』美奴売松原条
  昔、息長帯比売天皇(おきながたらしひめのすめらみこと−神功皇后)は、(美奴売
〔みぬめ〕神の教えに従って命じて船を作らせ、この船で新羅を征した。
 『常陸国風土記』行方郡条
  息長足日売の皇后(おきながたらしひめ−神功皇后)のとき、この地に「古都比古」
(こつひこ)という人がいた。三度韓の国に遣わされた。
 『新撰姓氏録』
  大矢田宿彌(おおやだのすくね)は、気長足姫皇尊(おきながたらしひめのみこと−
 神功皇后)に従い新羅を討った。
  和気朝臣。垂仁天皇の皇子、鐸石別命(のてしわけのみこと)の後裔である。神功皇
 后が新羅を征伐し凱旋して帰る。

『続日本紀』孝謙天皇(天平勝宝4年〔753年〕6月壬辰(17日)条
  新羅の国が朝廷に供奉するのは、気長足媛皇太后(おきながたらしひめ−神功皇后)
 がかの国を平定したとき以来今に至るまでわが国を守る垣根の役割を果たしてくれた
 からである。

 ◆ 『三国史記』新羅本紀 第18代「實聖尼師今」元年(402年)
    3月、倭国と修好し、奈勿王(第17代王)の子、未斯欣(ミキシン)を人質
   とした。
   『三国史記』卷四十五 列伝第五 「朴堤上」条
    「實聖尼師今」元年(402年)に奈勿王(第17代王)の子、未斯欣を人質
   として「倭」に送った。
   したがって、「仲哀天皇」9年(神功皇后摂政前紀)の出来事は、402年の事実
  と合致する。これについて「池内宏」は、果たしてこういうことがあったか疑問で
  あり、信頼はおけないという(『日本上代史の一研究−日鮮の交渉と日本書紀』中央公
  論美術出版 1970年8月15日 43頁)。しかし、そういうことを言えば、古代の
  歴史書はすべて後世になって編纂されたもので<信頼がおけない>ことになり、年代
  の確定した「金石文」のみが信頼に足ることになってしまう。これでは「文献学」は
  成り立たない。こうした「歴史書」のなかから真実を見出していくのが「歴史学」の
  使命であろう。とうてい賛同し難い。こうした「三韓征伐」実在については後ほど詳
  しく述べる。
 ◆ 「神功皇后」の「新羅征伐」に関する伝承がかくも多く日本の史料に残されている
  ということは、民衆の間にそれだけ「神功皇后」の事蹟が広まっていたことを示して
  いる。つまり、実在の人物として描かれていたのである。

★ 「仲哀天皇」・「神功皇后」など天皇などに関する紀年の西暦への比定は『卑彌呼と日
 本書紀』石原藤夫 栄光出版社 2001年11月10日、に従う。

「神功皇后」の「三韓征伐」と関連して、次の史料がある。
  第17代「奈勿尼師今」9年(364年)
  『倭兵が大挙して攻めて来た。王はこのことを聞き、敵対できないと恐れ草人形数千を作り、着物を着せ兵器を持たせて吐含山(慶州の東)の下に並べ立たせ、勇士一千を斧見〔正しくは「山」+「見」−以下同じ〕(慶州の近郊の東原)に潜伏させておいた。
 倭人は多勢をたのんで直進してくるところを伏兵たちが飛び出して不意に撃つと、倭人は大いに敗れて逃げた。それを追撃してほとんど皆殺しにした』
  これは大変重要な記事で、「倭」がどこから「新羅」の王都「慶州」に迫ったかがわ
 かる。韓国側の資料で、ここが迎日湾(韓国の慶尚北道浦項市)から「慶州」の途中にある(『韓国歴史地図』韓国教員大学歴史教育科 平凡社 2006年11月10日 31頁)ことがわかった。そこでは、232年、364年、393年の「倭」の侵入経路は「迎日湾」から「斧見」を経由して「慶州」に迫ったことが記されている。
  もう一度、第14代「仲哀天皇」9年(320年と考えられる)(神功皇后摂政前紀)〔『日本書記』卷第九〕(新羅征伐−「三韓征伐」)のところの記事を思い起こしていただきたい。「冬10月3日、和珥津(対馬の鰐津)から新羅に向けて出発なされた。このとき、海水が新羅の国の中まで上がってきて新羅の王は恐れおののき降伏した」という記事がなく、直接「新羅」に近い場所からそこを攻めたことを表わしている。つまり、「倭」の「新羅」へに侵攻ル−トは『三国史記』に合致するということなのである。


 

神功皇后(1)

 投稿者:倭人  投稿日:2011年 6月20日(月)17時28分59秒
  それでは、「神功皇后」の実在と「三韓征伐」について考える。
 「神功皇后」は果たして実在していたかを考えてみる前に「神功皇后」の朝鮮関係記事が事実であるかどうかを考えて見たい。これが事実でないならば「神功皇后」は実在しなかったことになる。各項目の下に「◆」を入れ、「神功皇后」の事蹟が事実かどうかを検証した。竹下義朗氏や石原藤夫氏の説は参考になりました最初に文献・金石文などを挙げ、後にこれに対する批判について考えたい。
1.第14代「仲哀天皇」9年(320年と考えられる)(神功皇后摂政前紀)〔『日本書
 記』卷第九〕(新羅征伐−「三韓征伐」)
  秋9月10日、諸国に令して船舶を集め、兵を練られた。
  冬10月3日、和珥津(対馬の鰐津)から新羅に向けて出発なされた。このとき、海水が新羅の国の中まで上がってきて新羅の王は恐れおののき降伏した。新羅の王「波沙寝錦」(はさむきん−寝錦とは王の意味)は「微叱己知波珍干岐」(みしこちはとりかんき)〔第17代「奈勿尼師今」の子「未斯欣」(ミキシン)〕を人質に差し出した。高麗(高句麗)、百済の2国の王も降伏し、朝貢を絶やさないことを誓った。それで「内官家」(うちつみやけ−日本〔正確には「倭」あるいは「大和」とも記すべきであるが、このように記すことにする。以下も同じである〕の朝廷への貢納国)を定めた。これを三韓という(「三韓征伐」とはこれらのことを言う)。
  『古事記』仲哀天皇紀、『筑前国風土記』、『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、
 『萬葉集』(813番 山上憶良)、『続日本紀』(天平勝宝4年〔753年〕6月壬辰(17日)条、にも「神功皇后」の「新羅征伐」に関するものが載せられている。ここは「三韓征伐」があったかどうかについて極めて重要なところであるから、それについて述べたい。合わせて『日本書紀』の前述の部分をもう少し詳しく記す。
  『古事記』仲哀天皇紀
  軍を整えて船を並べて渡った。(中略)その船を乗せた波は新羅の国に押し寄せてな
 かばにまで至った。ここに新羅王は恐れをなして言うには「これから以後は天皇の命令
 のままに御馬甘(みまかい−馬を飼育する部曲)として、毎年船を並べて船腹を乾かす
 ことなく、また??(さおかじ)を乾かすことなく、天地とともに永遠に
 御仕えしましょう」。そこで、新羅の国を御馬甘と定め、百済の国を渡の屯(わたりの
 みやけ−海の向こうにある直轄地)と定めた。神功皇后はその杖を新羅王の門に突き立
 てて、墨江の大神の荒御魂(あらみたま−御神霊)を国を守る神として祭って帰られ
 た。
  『日本書紀』
  和珥津(対馬の鰐津)から新羅に向けて出発なされた。新羅に至ると船に従う浪は遠
 く新羅の国の中にまで満ち溢れた。新羅王は恐れおののいてなすべを知らなかった。船
 は海に満ち、軍旗は太陽の光に輝き、鼓笛の音は山川に鳴り響いた。新羅王は降伏し、
「これからは末永く服従して馬飼になりましょう。船?(ふねかじ)を乾かすことなく、
 馬梳(うまはたけ−馬の毛を洗う刷毛)と馬の鞭を奉りましょう。また求められなくと
 も男女の手になる物を奉げましょう」と重ねて誓った。(中略)神功皇后は新羅に入って
 宝の倉に封をし、地図や戸籍を収めた。皇后は持っていた矛を新羅王の門に突き立てて、
 後の世の印とした。その矛は今でも新羅王の門に立っている。

 

浅学?

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月20日(月)17時24分19秒
編集済
  >これが「君が代」の総てと言ってよく、後、何があるのね?<

是を使わなければ、後、何があるのかね?

『人権侵害救済法』反対!売国奴の人権なんか、侵害されとけばいいんだ!

解法者さん、それに竹下先生、が賛同してくれないと、○○の方からひどい目にあうのですが…。そろそろかばってください、お願いです。
 

被災地周辺の高速道路無料化は意味がない

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月20日(月)13時13分48秒
   平成23年(2011年)6月20日(月)から、被災地周辺の高速道路無料化が実施される。内容は被災地住民の車、中型車以上のトラック・バスについて、被災地周辺の高速道路料金を無料(被災地住民の車−1年間、中型車以上のトラック・バス−8月末まで)これには次の理由から賛成できない。
1.高速道路利用料金はその利用者が負担すべきであり、これを被災地救済という名目で税
 金つまり国民全体に負担させるのは「受益者負担」の原則に反する。
2.被災地の交通機関は何も車だけではない。鉄道、船もある。しかし、鉄道、船について
 は無料化はない。これまでの高速道路無料化でも同じである。この差別化についての理由
 がなく、無料化から漏れた鉄道、船に甚大な損害を与える。
3.被災の激しかった地域では車も流され、破壊されて利用者が少ない。つまり、一番救済
 されるべき人たちに利益がない。これでは被災が少なかった、あるいはなかった者たちの 物見遊山に利用されるだけになりかねない。
4.運送会社に利益をもたらさない。つまり、被災地周辺の高速道路無料化により委託者に
 その分の値引きを要求されるだけの話で、結局、これにより利益を得るのは値引きを要求
 できる大会社(委託者)である。
 

地熱発電の現実

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月20日(月)12時43分27秒
   地熱発電については、その欠点として、@ 環境を損なう わが国内の地熱資源は国立公園内に多く、それ以外は20%に過ぎない、A 発電量が小さくわが国の需要(10,000億/キロワット)をまかなえない。。B 単体の地熱資源が枯渇する恐れがある、C 温泉の湯源に影響を与える恐れがある、ことが挙げられる。
 利点としては、@ 一定の発電力が見込まれ、設備稼働率が70%
 と高い、A 費用が安い 7円〜9円/1キロワットと安い、B C02 の排出量が少なく、この面での環境問題に発展しない、とされる。
 平成23年(2011年)6月19日(日)の「Mr サンデ−」(東京D081 午後10時)を見ていたら、地熱発電の最進国ニュ−ジ−ランドの事情が紹介されていた。地熱発電所35基で500万/キロワットだという。日本では「松川地熱発電所」の例を採ると、1基=2万3500/キロワット(原子力発電では約90万/キロワット−末尾資料参照)で、これを基に計算すると500万/キロワットを発電するのに213基かかる(原子力発電では約6基弱)。1基当たりの建設費用が約20億円というから、213基で4260億円かかることになる。日本の潜在地熱発電可能量は2400万/キロワットだというから、わが国の需要をとうてい賄えない。
 なお、わが国の地熱発電量は2010年時点で、53万/キロワット(世界第8位)過ぎない。計画でも2025年に950万/キロワットとなっている(第1位はアメリカで309万3000キロワット)である。日本の潜在地熱発電可能量をフルに利用することは先の欠点で指摘した@・B・Cからいって無理だろう。
 わが国の地熱発電の技術力は高く、世界の70%のシェァを占めている。電子力発電でもそうだが、日本は発電の技術でも世界のトップレベルにある。ニュ−ジ−ランドの地熱発電所のほとんどが日本の技術を導入している。
★ 原子力発電量
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
 

「浅学」ということ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月20日(月)11時02分12秒
   「浅学」とは何か、それは物事を複眼的に見るという努力を怠ることである。典型的な例を平成22年8月に、日韓併合100年に合わせて「菅直人」首相の談話が発表されたとき、当時の「仙谷由人」官房長官が「植民地支配の過酷さは言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった」と述べたが、これは朝鮮人の常套文句でこれに左翼が宣伝に努めたため拡大したもので、事実に反することは学問上確定していると言ってよい。
つまり、仙谷は「日韓併合」について最近の研究を学んでないんだろう。
 この掲示板にも見られる。例えば、金科玉条のごとくにある研究者の論述を
崇めて他の批判的資料を検討しようともしない。まず、自分の考えを述べるときに、それを先に他の者が述べているときは必ずその者の研究者の論述を挙げる。これは研究の発表の基本的態度である。反対する研究者がいるときは、これも必ずその者の論述を挙げる。その上でこれを批判して、自説を述べる。この掲示板に登場する者のなかには、その論述が自分の考察なのか、それとも先行研究者の論述なのかを明確にしない者がいる。何度注意しても止まないから始末が悪い。これは先行研究者の<腰巾着>とも言えるが、<剽窃>に他ならない。結局、物事を複眼的に見るという能力がないのだろう。「皇国の護国運動家」氏 あなたがそれだ。「無学老人」氏はこの度の福島第一原子力発電所の事故に関し、東京電力の原子力発電について「原子力委員会」および「原子力安全・保安院」の決定に拘束され、東京電力には何ら責任はないと強調されていた。これは相当な根拠のあるものと考えていたが、仮にそうだとしても少なくとも運転・管理責任は東京電力にあるはず(民法上の原則)だと思い反論したら、東京電力にも責任があることを認めた。何のことは無い。先の見解は<単なる思い付き>だったのである。「無学老人」氏は考察すら怠っており、もっと惨い。これも「浅学」の一種である。
 

後、何があるのね

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月19日(日)16時59分55秒
  >私が古田武彦氏の文を使用したのは、(少なくとも君が代関連では)以下の部分のみ。

【ちよー福岡県福岡市県庁前。 千代の松原(千代東公園)、千代町、千代県庁口(地下鉄駅名)。千代は現在の千代町。広げて言っても、その前の海岸である千代の松原。
やちよー(博多湾) 八千代というと、それを広くして、おそらく博多湾全体
ざざれいしー細石神社、三雲遺跡の直ぐ裏 福岡県前原市、細(さざれ)石は神聖な石。
いわおー岩尾 細石神社南隣に井原(いわら)遺跡がある。井原山の尾(を)に当たる所 井原(岩羅 いわら)など、福岡県前原市 背振山脈の第一峰が井原山(いわらやま)、第二峰が雷山(らいさん)。ここは見事な鍾乳洞がある。
こけむす(ひめ)ー苔牟須売(こけむすめ)姫神 桜谷若宮神社の祭神 福岡県糸島郡(唐津湾)漁師さんが信仰する女神】<

 これが「君が代」の総てと言ってよく、後、何があるのね?
 

君が代考(2)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月19日(日)12時15分55秒
   「君が代」の歌詞は、次のように変遷している(『古今和歌集(二) 全訳注』久曽神昇 講談社〔講談社学術文庫〕 1982年11月20日 175頁)。
1.わが君は千代にましませさざれ石のいはほとなりて苔むすまでに(原本『古今集』、初
 稿本『和漢朗詠集』
2.わが君は千代にましませさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで(『和歌体十種』『和
 歌十体』『古今和六帖』
3.わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで(再稿本『和漢朗詠
 集』、精撰本『和漢朗詠集』『深窓秘抄』
4.君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで(歌謡、『古今集』
 顕昭 注、『捨玉集』所引)

 歌詞も平安の末ころから、「君が代」と変えられ、宴会歌舞の後には必ず歌って祝い収めるようになったとされる(前記『和漢朗詠集』菅野禮行 403頁)。
 

ナスカ

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月19日(日)11時10分36秒
  先程、過去ログを見ると、石原藤夫氏も面白いことを言っていた。やはり、石原氏も南米の倭人には賛成らしい。


すると、なぜわたしが「投稿拒否」されたのだろうか?やはり、「誤解」であると信じたい。

よって、私は石原藤夫氏の掲示板に投稿してみることにする。
 

解法者氏による濡れ衣を晴らす(4)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月19日(日)10時17分57秒
  要するに、「だが「言論統制」もあった。いつの時代にもある。それに抗してこそという気概が大切」という解法者氏だが、それは解法者氏の本心ではなかったのである。結局、解法者氏は『人権侵害救済法』という、言論版圧を目的とした法律にたいして、「抗する」どころか逆に「屈して」いるのである。

もう一度問いたい。解法者さん、貴方は何故「言論弾圧」(の動き)に屈してしまうのですか?と。


付言する、最近提出される予定の『人権侵害救済法』は『人権擁護法』の布石である。そして、『人権擁護法』が制定されたら最期、「言論の自由」はなくなり、この掲示板も強制的に閉鎖、そのうえで、菅首相の持論である「創憲」が実施されるのである。
 

解法者氏による濡れ衣を晴らす(3)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月19日(日)10時10分9秒
編集済
  >ところで、皇国の護国運動家氏 今回の事故がある前から原発反対と叫んで
いたのかね? 証拠は。 <

この掲示板に投稿する、その行為自体が「核反対」の意思表示なのである。そんなこともわからないのですか?

>だが「言論統制」もあった。いつの時代にもある。
それに抗してこそという気概が大切<

遂に解法者氏のセリフは精神論に達した。何故菅政府は「原発反対派」に対して「言論統制」を行ったのか、それを考えるのが貴方の役割ではないのか?法律の専門家が、なぜ菅に対して「違憲だ!」と叫ばないのか?


いや、単刀直入に言おう。何故、解法者氏は『人権侵害救済法』を批判しないのですか?と。
 

解法者氏による濡れ衣を晴らす(2)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月19日(日)09時58分29秒
  >)。『萬葉集』は成立時期も編者も明らかではないが、編者については「大伴家持」ではなかろうかとされている(新編 日本古典文学全集 6 『萬葉集 @』小島憲之・木下正俊・東野治之 小学館 1994年5月20日 383頁以下〔解説〕による)。収録されている歌は7世紀後半から8世紀後半である。 <


なんとまあ、呆れるばかりの文章である。『万葉集』には仁徳天皇陛下の皇后陛下の歌まで記載されておられるというのに…。

法律をやっていると、文献史学には疎くなるのかな?だが、法律学も文献史学も、どちらも文章を相手にするから、同じはずだが……。



>これまでの「邪馬台国」論も同じだった(「「邪馬台国」はなかった〔『奪われた国歌「君が代」』77頁〕)。さらに「倭国=九州王朝」論も然りだった(「消された九州王朝」〔『奪われた国歌「君が代」』153頁〕)。つまり、これが<種本>だったのである。<

亦濡れ衣。わかりました、これからはこうした誤解を生まぬよう、出典を明記します。然し、何処が「種本」なのでしょうか?確かに、私は竹下先生の分まで一部借用しましたが、「種本」にはしていません。

第一、古田元教授は「高天原=対馬」なのに対して、私は「高天原=パラオ」ですよ?私の説は古田氏学でも、竹下史学でもない、独自説です。(多くは竹下史学に基づくが…)
 

解法者氏による濡れ衣を晴らす

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月19日(日)09時48分55秒
  >それは別として、「古田武彦」の「君が代」が九州王朝から盗まれたものだという<荒唐無稽>な考えに引き込まれて行く方もおられると思い、少しでもそれを阻止したいと思うが故に投稿する次第である。<

そんな人、どこにもいませんよ。仮にいたとしても、そのような人は大抵左翼で、帝國電網省には投稿しない。心配の必要はありません。



>これを調べるキッカケとなったのは、「皇国の護国運動家」氏の「君が代」論である。これも調べたところ、そのほとんど(「八千代」の意味1ケ所を除いた総て)が『奪われた国歌「君が代」』古田武彦 情報センタ−出版局 2008年8月11日、からの<盗用>であったことが判明した。<


濡れ衣です。私は『奪われた国家君が代』はジュンク堂書店で一度だけ立ち読みしたほか、一度も読んでいません。面白くなかったので。

ただ、私が君が代に関する論考を投稿する際、PCの横に『君が代は九州王朝の賛歌』を置いていましたが、私と古田氏とでは思想上、天地の開きがあります。
 

盗用について

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月19日(日)09時43分27秒
  私が古田武彦氏の文を使用したのは、(少なくとも君が代関連では)以下の部分のみ。


【ちよー福岡県福岡市県庁前。 千代の松原(千代東公園)、千代町、千代県庁口(地下鉄駅名)。千代は現在の千代町。広げて言っても、その前の海岸である千代の松原。
やちよー(博多湾) 八千代というと、それを広くして、おそらく博多湾全体
ざざれいしー細石神社、三雲遺跡の直ぐ裏 福岡県前原市、細(さざれ)石は神聖な石。
いわおー岩尾 細石神社南隣に井原(いわら)遺跡がある。井原山の尾(を)に当たる所 井原(岩羅 いわら)など、福岡県前原市 背振山脈の第一峰が井原山(いわらやま)、第二峰が雷山(らいさん)。ここは見事な鍾乳洞がある。
こけむす(ひめ)ー苔牟須売(こけむすめ)姫神 桜谷若宮神社の祭神 福岡県糸島郡(唐津湾)漁師さんが信仰する女神】



ほとんどは私の独創であり、「奪われた国歌」などという、左翼的なフレーズには反対である。HNに「護国」があるのだから、藤田友治なんかと一緒にしないでほしい。
 

君が代考(0)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月18日(土)15時52分5秒
   「君が代」の歌詞について、少しその由来を拾ってみた。独自の考察などなく、史料からの寄せ集めである。
 これを調べるキッカケとなったのは、「皇国の護国運動家」氏の「君が代」論である。これも調べたところ、そのほとんど(「八千代」の意味1ケ所を除いた総て)が『奪われた国歌「君が代」』古田武彦 情報センタ−出版局 2008年8月11日、からの<盗用>であったことが判明した。出典を明らかにしないから読者をして総てが「皇国の護国運動家」氏の独創的な考察だと考えてしまう。これまでの「邪馬台国」論も同じだった(「「邪馬台国」はなかった〔『奪われた国歌「君が代」』77頁〕)。さらに「倭国=九州王朝」論も然りだった(「消された九州王朝」〔『奪われた国歌「君が代」』153頁〕)。つまり、これが<種本>だったのである。
 それは別として、「古田武彦」の「君が代」が九州王朝から盗まれたものだという<荒唐無稽>な考えに引き込まれて行く方もおられると思い、少しでもそれを阻止したいと思うが故に投稿する次第である。
 

君が代考(1)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月18日(土)15時50分35秒
   国歌「君が代」の歌詞は、『古今和歌集』の巻第七、343番「わが君は千代に八千代に細石の巌と成りて苔のむすまで」から採られたとされる。詠み人知らずとなっている。ここでは漢字交じりの歌詞となっているが、原本(散逸して残されてない)の歌詞は総て平仮名で書かれていた(『古今和歌集入門 ことばと謎』佐々木 隆 国書刊行会 2006年3月31日9頁)、あるいはそうと推定されている(『『古今和歌集』の謎を解く』織田正吉 講談社〔講談社メチェ 193〕2000年9月10日 87頁)。
 『古今和歌集』は10世紀の初めに醍醐天皇の命令を受けて編集された勅撰和歌集とされる。詳しいことはわからない。編者は「紀 貫之」だと言われている。収録されている歌は大同4年(809年)から天慶8年(945年)である(新編 日本古典文学全集 11 『古今和歌集』小沢正夫・松田成穂 小学館 1994年11月20日 513頁以下〔解説〕による)。
 この歌は『和漢朗詠集』の775番「わが君は千代に八千代に細石の巌と成りて苔のむすまで」にも採られている。『和漢朗詠集』はもともと漢詩文集であるが、この歌は『古今和歌集』からの引用であるため漢詩文とはなっておらず、ひらがなで記されている。『和漢朗詠集』はこれもはっきりとした成立年次は不明であるが、長和元年(1012年)から寛仁5年(1021年)の間であるとされる。編者は「藤原公任」である(新編 日本古典文学全集 19 『和漢朗詠集』菅野禮行 小学館 1999年10月20日 419頁以下〔解説〕による)。
 この歌のル−ツだが、『萬葉集』の巻第二、228番「妹が名は 千代に流れむ 姫島の小松が末(うれ−枝先)に 苔生すまでに」でないかと思われる。作者は「河辺宮人」で、姫島の松原に若い娘の入水死体を見て悲しんで作る歌である。このことは歌の前に説明書きとして記されている。「姫島」とは現在の大阪府西淀川区の淀川河口にあった島のことである(後記『萬葉集 @』151頁)。『萬葉集』は成立時期も編者も明らかではないが、編者については「大伴家持」ではなかろうかとされている(新編 日本古典文学全集 6 『萬葉集 @』小島憲之・木下正俊・東野治之 小学館 1994年5月20日 383頁以下〔解説〕による)。収録されている歌は7世紀後半から8世紀後半である。
 

在日朝鮮人のための韓国講座(696)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月17日(金)13時33分14秒
  >とんでもない言い草だ(2)<

 「中央日報」が2011年5月17日付けで、韓国の「セウカン」(エビセン)が中国で模倣されて販売されていると非難した。この「セウカン」は日本の「かっぱエビセン」と瓜二つである。味も包装も似ている。
 問題は、「中央日報」がこうした事実を隠して、それがいかにも韓国製であるかのように偽って、それが中国で模倣されたと指摘したことである。韓国のお菓子の多くは日本発である。「チョコパイ」(森永製菓が1958年に発売した「エンゼルパイ」が元祖−ロッテ製菓の「チョコパイ」もその模倣品)などはその典型的な例である。話は別だが、「チョコパイ」は北朝鮮でも有名らしく、映画「JSA」((板門店)共同警備区域)〔2000年製作 朴 賛旭監督〕で、韓国軍兵士が北朝鮮兵士に向かって「韓国に来れば腹いっぱい「チョコパイ」が喰えるぞ」と亡命を勧誘する場面が描かれている。
 今年の正月、韓国人親子が日本の自宅にやってきたときに、小学校6年の女子に日本のお菓子をたくさん持たせてあげた。もちろん「かっぱエビセン」、「チョコパイ」も入っている。こちらはこれが日本製だよということを知らせたかったが、その女子は両親が日本通なので、既に知っていた。お菓子などに限らずアニメ、テレビ番組(「ウルルン滞在記」やバラエティ番組)も日本を模倣したものが多く、日本に来てテレビなどを見て日本製とわかり、恥ずかしい思いをしたという韓国人がとても多かったと聞いている。いまでは国恥だとして韓国でも日本発のものは正しく伝えたり、消え去ったりしているので、少なくなっているが、お菓子や果物(イチゴ)などには根強く模倣品がまかり通っている。
 >韓国の日本菓子摸倣問題は以前から提起されてきた。 その度に国内企業は「摸倣ではなくベンチマーキングであり、単にコピーしたというには無理がある」という立場を固守してきた。<というが、これなど<付会牽強>の何物でもない。こういう言い訳をするから、「模倣王国」からいつまで経っても脱皮できない。
 今回も「中央日報」は、>一方、駐韓日本大使館や日本貿易振興機構(JETRO)の関係者は本社を訪問し、「過去には韓国の日本の商品をコピーする例が多かったが、最近は著しく減っている。韓国も中国のコピー商品に苦しんでいるだけに、韓日両国が力を合わせて中国のコピー商品に対応できればいい」と述べた。< 本当かいな? と疑ってしまうが、今度は、模倣した先の>日本企業との法的紛争はない<と伝えている。これは韓国に<法治>がないからであって、日本からの意匠権、特許権などの裁判はまず100%負けるから、やらないだけである。こうしたレベルは中国と同じである。つまり、模倣した方が勝ちということだ。ここでも「中央日報」は、韓国の知的財産権裁判の現状を隠蔽している。
 とにかく、「中央日報」からは先の記事についての謝罪は一切無く、言い訳に始終している。確かに朝鮮語には「申し訳ございませんでした」という言葉がないから、致し方ないとも思えるが、これでは国際社会には通じない。加えて、マスコミが模倣を非難しないから、韓国に模倣がなくなるはずも無い。
★ 中央日報
http://japanese.joins.com/article/868/140868.html?servcode=A00§code=A00
http://japanese.joins.com/article/869/140869.html?servcode=A00§code=A00
http://japanese.joins.com/article/870/140870.html?servcode=A00§code=A00
 

支那膺懲

 投稿者:  投稿日:2011年 6月15日(水)17時46分11秒
  撃ちてしやまむ!  

これが現実だ!

 投稿者:シナ蕎麦屋  投稿日:2011年 6月15日(水)14時49分41秒
  尖閣諸島が中国領ではない5つの理由
http://www.youtube.com/watch?feature=iv&v=Z_HTByLr6Ak&annotation_id=annotation_712718

『尖閣諸島が中国領でない5つの理由』

1. 国際法は、1971年まで日本の尖閣諸島の領有に一度も抗議を行わなかった中国の権原 を認めない。

2. 尖閣諸島を発見したのは中国人ではなく琉球人である。

3. 中国が尖閣諸島を実効支配した歴史的事実は存在しない。

4. 林子平の『琉球三省並三十六島之図』(1786)は、当時の日本が尖閣諸島を中国領と 認めた根拠にはならない。

5. 尖閣諸島がかつて中国領であった歴史的事実が存在しない以上、カイロ宣言は尖閣諸島と-無関係である。

結論:中国による尖閣諸島の領有権の主張は、中国の帝国主義以外の何ものでもない。
 

日独伊

 投稿者:クワトロ  投稿日:2011年 6月15日(水)08時04分21秒
  “反原発の枢軸”を結成すれば?  

どっちにする?

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月14日(火)22時31分20秒
  連合国(米英仏中ロ)は原発推進を、旧同盟国(独伊)と元永世中立国スイスは脱原発を宣言。日本は…。

原発にそこまで固執する理由が今一つ理解できないのですが…。
国策として、原発に予算を投入したからこそ安全性や発電効率が向上したのですから、他の発電方法にも予算を投入するべき時だと思うのですが…、見解の相違でしょうね。ちなみに、より安全でより効率の高いものが出来れば脱原発は有りでしょうか(シツコイ)?
ところで、原発の使用済燃料棒や放射性廃棄物の処理・保管場所を、どこにするつもりでしょう。幸か不幸か、福島第一跡地という有力候補地が出来たので一安心でしょうか。もし、大陸の砂漠のどこかをお考えでしたら、ウイグルに負担を押し付ける漢人と根本において同じ発想ですから反対です。それは、六ヶ所村であっても同様。東北の人達も、もはや都会のような繁栄など求めてはいませんから(多分)。
確か、「首都圏にも建設し…」、と以前に書き込まれていたように思いますが、用地買収費用や地元への交付金増額による費用対効果の低下を考慮しても変わりありませんか? そこまで安全性に信頼をおけるならば、多摩川や荒川など、浄水施設取水口の上流に建設されてはいかがでしょう。原発推進には、そのくらいの覚悟が必要かと思います。その時、皇居をどうしましょう?
現実問題として、原発を推進しようにも新規建設は無理かと考えます。
 

現実を見よ!

 投稿者:シナ蕎麦屋  投稿日:2011年 6月14日(火)18時48分8秒
編集済
  ● 在日企業の脱税システム 「 五箇条の御誓文 」

1976年10月、社会党の高沢寅男により、国税庁と朝鮮人商工会 ( = 在日韓国商工会議所、在日朝鮮商工会 ) との間で
税金の取り扱いが決められた ( 別冊宝島 『 ザ ・ 在日特権 』 14 〜 15ページ )。


 ■ 在日企業のすべての税金問題は、朝鮮人商工会を協議窓口とし、解決
 ■ 裁判中の諸案件は、朝鮮人商工会と協議し解決
 ■ 朝鮮人商工会の会費は損金として認める。
 ■ 学校運営の負担金を前向きに解決する。
 ■ 第三国旅行の費用を損金として認める。


これにより在日企業に個別税務調査ができなくなり、脱税し放題に!! 具体的には


  在日企業が 「 税引前利益 」 相当額を朝鮮人商工会に会費として納める。 損金とみなされ利益ゼロとなり、無税に!
  ( 利益ゼロだと法人所得税がかからず、法人住民税や、社員の社会保険の企業負担分も安くなる )

    ⇒ その後、朝鮮人商工会から在日企業に返金 ( もちろん帳簿上の操作で、初めから金は動いてない )


在日経営者が9割 ( 1割は帰化日本人 ) のパチンコ産業の年商は申告ベースで30兆円、ヤミだと50兆円とも!
パチンコ産業の売上高営業利益率は30%、実効税率は約40%なので、脱税額は年間6兆円以上も!! ← ★★★

姦酷はパチンコを禁止しているくせに、大統領がパチンコ保護をミンス汚沢に訴えていた。
 

RE:復興財源

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月14日(火)16時52分59秒
   前に「国債発行」を説いたが、埋蔵金で賄えるようだ。これが一番良い。これに
ついては前に説明してある。
 「政府紙幣」の発行も「国債」発行もダメ。仮に「国債発行」なら、相続税免除の
無利子国債を発行すればよい。タンス預金を引き出す効果がある。今は非常時だから、
多少の闇の金には目をつぶる度量が必要だ。これなら国民の金を右から左に移すだけ
で済む。利子付の国債は国家の財政を圧迫する。
 それと単なる「無利子国債」は無策。日銀が引き受ける? 引受けた「無利子国債」
はどうするの?
 とにかく消費税増税などは愚の骨頂。
 とにかく、今は増税はダメ! 民主党は「政治主導」と言いながら、いつの間にか
財務省の増税戦略に籠絡されている。自民党も同じ。
 野田財務大臣の首相就任が取りざたされており、自民党も乗るらしい。これを許して
は増税路線の自民党との協調を画策する財務省の思うがままとなる。
 

復興財源

 投稿者:  投稿日:2011年 6月14日(火)12時35分26秒
  政府発行紙幣もいいが無利子の復興国際発行も必要だ。万策尽きる前の安易な消費税増税には反対!  それこそ景気が益々減速して税収の更なる悪化を招くだけだ。  

また

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月14日(火)11時42分19秒
  >「戦前」なら「言論の自由」はあったのだぞ!<
 だが「言論統制」もあった。いつの時代にもある。
それに抗してこそという気概が大切

 ところで、皇国の護国運動家氏 今回の事故がある前から原発反対と叫んで
いたのかね? 証拠は。
 

次に

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月14日(火)08時22分55秒
  >解法者氏は竹下先生の「震災復興院」のアイデアを盗んで「石原藤夫」の掲示板に投稿しているが、仮に竹下先生の「許可」があったとしても、これは「言論」の妨げになる。<

 「復興院」のアイデアは過去にあったもの。何も竹下管理人さんの専売特許ではない。
関東大震災の後の「震災復興院」と敗戦後の「戦災復興院」とがある。

 皇国の護国運動家氏の「君が代」、「邪馬台国」の論考は「古田武彦」の見解の引き写し。ところが、「古田武彦」の見解の引用とは記されててない。これこそ<泥棒>。
 いつも注意しているが、見解が自分のものなのか、それとも他人のものを基本にしたものなのかを示す書籍の名、内容、記載頁が記されることは全くといっていいほどない。これは浅学以前の問題だ。


 

回答

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月14日(火)07時08分2秒
  >原発に代わるエネルギーに予算を振り分けるよりも、原発の安全性を向上させて推進し続ける方が良いとお考えなのでしょうか?<

 そのとおりです。
 

それまで、どうする?

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月14日(火)00時10分52秒
  他の方々の考えは存じませんが、代替エネルギーが実用化される迄は、原発を含めた現状の発電方法を維持せざるを得ません。ただちに運転終了せよ、とは言ってないはず。
たとえ、停止していようとも、何年間も冷却し続けなければ決して安全ではないことが分かったのですから、極論、運転していようが停止していようが、危険度にさほどの違いが無いとも言えます。あくまでも、地震時、原子炉の緊急停止が円滑に行われるという前提ですが…。しかし、万が一にも緊急停止されない場合を考えて、浜岡原発に関しては、予想される東海地震がいつ起きてもおかしくないということ、日本一の火山である富士山と首都圏に近接しているという立地条件から、予め運転停止しておくという判断は妥当だと考えます。できれば、燃料棒も別地域に移動保管すべし。
また、定期点検で停止していた原子炉が、定検終了後も運転できない雰囲気がありますが、その為に、運転中の原子炉を定検の為に停止させづらくなるようなことがあれば、それも問題です。誘致した地元は冷静な対応が必要に思います。
逆に、お尋ねしたいのですが、今後、原発に代わるエネルギーに予算を振り分けるよりも、原発の安全性を向上させて推進し続ける方が良いとお考えなのでしょうか?

財政については、よく分からないのでコメント無し。
ちなみに、国債はあと何百兆円発行可能? 政府紙幣ってのもよく聞きますが、最大何百兆円の発行が可能?
ところで、米国債を売却させない為の“トモダチ作戦”だったのかなぁ。
 

まずはここから

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月13日(月)22時11分51秒
  >「造幣権」を「日本銀行」から「震災復興院」に移管、大量に「特別紙幣」を印刷すれば「増税」の必要無し、おまけに「インフレ」で「高景気」と、いいことばかりではないか!<
 紙幣は政府も発行できることを知らないようだ。だから、「造幣権」を「日本銀行」から「震災復興院」に移管というのは無知そのもの 「震災復興院」は政府の機関だから、何も
「震災復興院」に紙幣の発行権を移譲しなくとも、政府が発行すればよい。「政府紙幣」であって「特別紙幣」ではない。
 少し、無学過ぎないか。
 

台湾は日本領

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月13日(月)18時43分44秒
  中国は「尖閣諸島は台湾の一部」と主張しています。そして、「台湾=中国領」であることについては(賛否両論こそありますが)「事実」であると、日本・中国・台湾ともに思っておられるようです。

事実、台湾を「実行支配」しているのが「中華民国」であることは事実です。然し、私は最近、「台湾は日本領である」ことに気付きました。詳しくは後ほど言いますが、そのような立場もあることも考えておいて下さい。
 

私が何故「右翼」を批判するのか――「原発存続」と「憲法停止」の不条理(1)

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月13日(月)18時39分30秒
編集済
  仏典(仏教の経典)の一つ、『月蔵経』(がつぞうきょう)に次の事が記されています。

【是の時、須臾の頃(あひだ)、大地普(あまね)く震動し、其の虚空(こくう)中に於いて、大悪音声(だいあくおんじょう)を出し、四方に大悪起こり、火爨(かさん)数百千、火幢大いに畏(おそ)るべし。現住して空中に在り。


時に当たり虚空中に大声あり、地を震(ふる)ふ、一切皆遍(あまね)く動き、なお水上の輪の如し。城壁砕け落下し、屋宇(おくう)悉く(いき)し、樹林の根・枝葉・花葉・果薬尽く。】

現代語訳(竹下先生による): 是の時、須臾の間、大地が揺れ動き、空中で耳を聾(ろう)さんばかりの大きな音を出し、各所に被害をもたらす。数百、数千にものぼる火の手が上がり、空中に留まっている。その時、空中で大きな音がして大地が震える。全ての物が巻き込まれ広がりゆく有様は、水面の波紋とそっくりだ。市街の壁は崩れ落ち、家屋は大小を問わず倒壊し、樹木は根こそぎにされる。

「この『月蔵経』は『法滅尽経』と共に、釈迦が入滅(死ぬ)直前、弟子達に「遺言」として残した経典で、「予言書」共言われています。まあ、「予言」として見た場合、広島や長崎に投下された「原爆」の情景にそっくりだったとしても、納得できるのですが…」と、竹下先生は述べられていますが、似たような場面は『古事記』にもあります。一般に『古事記』は過去の記録とされていますが、谷口雅春先生によると、予言書としての側面も持つようです。

其れはともかく、これは「物質文明のいきつく先」を考えると、「予言者」でなくとも分かることです。この「誰でもわかる」はずの道理がわからない人がいるのは、残念なことです。(続く)

 

RE:言論統制

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月13日(月)18時27分38秒
  >これまで沈黙してきて、事故があったら原発反対!
むしろ、その方が問題なのである。「皇国の護国運動家」氏もその一人だろう。

そんなわけありません。私は「核反対」を「前提」としてこれまで述べてきたのですから。竹下先生も核保有に反対のはず、「核保有」を「自明の道理」にしろ、と言われても困ります。私は竹下先生の立場を「基本的」に支持しているから、ここに投稿しているのであって、「石原藤夫」の支持者ではないのです。無論、「改憲論」の「安倍晋三」にも批判的です。

>いつの時代にも「言論統制」はある。これを言っても始まらない。


ふざけるな!「戦前」なら「言論の自由」はあったのだぞ!だいたい、何故世論調査が「改憲か、護憲か」なのだ、これでは「自主憲法論」を支持する人がどれくらいいるか、全然わからないではないか!

>他にも代替燃料の話がたくさん出てきますが、
いつ実現するのかが全く語られてません。

私は「三十年プラン」で「脱、地下燃料(ウラン、含む)」を考えています。

>震災復興にもお金がかかるのにね。
 こういう話って妄想とも考えてしまいます。

馬鹿か!「造幣権」を「日本銀行」から「震災復興院」に移管、大量に「特別紙幣」を印刷すれば「増税」の必要無し、おまけに「インフレ」で「高景気」と、いいことばかりではないか!

解法者氏は竹下先生の「震災復興院」のアイデアを盗んで「石原藤夫」の掲示板に投稿しているが、仮に竹下先生の「許可」があったとしても、これは「言論」の妨げになる。



つい、感情的になってしまいました。私は解法者氏に学んだことも、無論少なくないのですが、生まれたころから「自由」を「権利」として学んだ私(そして、恐らく同じ教育を受けた他の人も)には「言論統制」を認めるかのような、解法者氏の立場にはなじめません。解法者氏も「徴兵制」を嫌がる私の気持ちは理解できないでしょうが…。
 

RE:訂正、他

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月13日(月)18時11分32秒
  >2Fで、冷却機能喪失した時にベントを準備した為、半径八キロ圏内を「警戒区域」にしたようですが、その後解除されていない?のならば、何かあるのかもしれませんね。

解除されたとは聞いていませんね。ただ、第一の方が「半径二十キロ」になった時、枝野官房長官は「特に理由はない」と言いましたね、ところが実際には「メルトダウン」していた。そのことは、私も察知していたのですが…(3月過去ログ参照)。

すると、何かあるに違いない。(まあ、メルトダウンとは限りませんが)

>以前、護国氏が言っていた、筑紫君の宗廟“高良大社”との関わり有りや無しや。

このことですが、壹与(ゐよ 卑弥呼の宗女)が高良大社の祭神、即ち宇佐八幡の「比売命」ではないか、と最近思っています。


>どんな目に遭ったんですか?

私は会っていませんが。G氏の言うことが本当か、嘘かはともかく、「誰にも言うな」というのは恐らく「本心」でしょう。竹下先生が「関係ありません」といった理由も良くわかる。

何故、『朝日新聞』が「人権擁護法」に賛成しているのか、そのあたりを考えてください。解法者氏が「人権侵害救済法」を批判しないのも、そのあたりが怖いからでしょ?
 

RE:オーラントオキトリウム

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月13日(月)12時46分26秒
   実用化はいつのことでしょうかね。
 もちろん、努力することはいいのです。他にも代替燃料の話がたくさん出てきますが、
いつ実現するのかが全く語られてません。それまではどうするのでしょうね。ただでも
景気が悪く、震災復興にもお金がかかるのにね。
 こういう話って妄想とも考えてしまいます。
 

費用対効果

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月12日(日)15時18分51秒
  火力発電は首都圏にも建設できるが、原発は過疎地域にしか建設できない。故に、用地買収費用が全く異なるから、費用対効果に大きく影響する。
まずは、費用対効果の計算式や計算に用いた数値を明らかにすべきと思うが、おそらく同一条件にはなっていないのではないか?
ちなみに火力発電の燃料として、オーラントオキトリウムが実用化されれば、燃料が自給でき、環境破壊が無く、海水に沈んだ水田が活用でき、米余りが解決でき、被災地に新事業と雇用が生まれるなどのメリットがある(といいね)。深さ1mで3000坪程の池があれば、1万トンもの炭化水素が作りだされると考えられている(らしい)。
ちなみに、先日、建設中の胆沢ダム(別名小沢ダム)を見に行ったが、外観だけなら戦艦大和よりも頑丈そう。意外とテロには強いかも?
 

訂正、他

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月12日(日)14時41分25秒
  管首相が視察した1Fでは隠しきれない事故となり、管首相が視察しなかった2Fでは隠しきれない事故とはならなかった、と訂正。
2Fで、冷却機能喪失した時にベントを準備した為、半径八キロ圏内を「警戒区域」にしたようですが、その後解除されていない?のならば、何かあるのかもしれませんね。
昨日、「なんだか分けワカランね」と書いた、冷却機能喪失した12日早朝から、冷却システム回復した14日迄(4号機は15日)のことがはっきりしていないので、内心疑っているところです。こんな長時間(約40〜60時間)冷却機能が失われていたら無事なはずが無いのに、記事が見つからぬ。
今回の震災を“天罰”と呼ぶには少々抵抗を感じますが、福島第一原発が、1号機運転開始から40年経過後も運転を続け、更に7・8号機の新設計画まで有ったなどと知るに至っては、そこまでして交付金が欲しかったのか、と“強欲”さを感じざるを得ない。中電浜岡原発1・2号機は30数年で廃炉が決まっていたのに、東電1Fでは40年経過後も運転継続、この違いも知りたいものだ。

先週、NHK朝の連ドラ『おひさま』のワンシーンで、主人公(小学女教師)の夫が出征する日、主人公は音楽の授業で、
「肩をならべて兄さんと
  今日も学校へ行けるのは
   兵隊さんのおかげです」
という歌詞の唱歌を子供達に歌わせていた。非常に画期的なシーンだと思うのですが、これも時代の変化なのか、この震災で自衛隊員らが決死の働きをしてくれていることが、国民感情を変えたのか…。防空壕への避難訓練や火災消火訓練などのシーンでも悲壮感漂う演出が少ないようにも思う。
ちなみに、主人公の夫役の俳優“高良健吾”は熊本出身らしく、“こうら”という読みはなかなか珍しいように思います。以前、護国氏が言っていた、筑紫君の宗廟“高良大社”との関わり有りや無しや。

>批判したらどういう目に会うかは自明のことである。
どんな目に遭ったんですか?
 

言論統制

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月12日(日)14時37分9秒
  >「原発問題における言論統制」< つまり、原発反対派に対する「言論統制」があったのは事実だろう。しかし、この度の原発事故を受けて左翼どもと一緒になった原発賛成派に対する「言論統制」が行われてこよう。
 いつの時代にも「言論統制」はある。これを言っても始まらない。
 「言論統制」など、糞食らえだ。これまで沈黙してきて、事故があったら原発反対!
むしろ、その方が問題なのである。「皇国の護国運動家」氏もその一人だろう。
 

火力発電の現実

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月12日(日)14時23分36秒
   火力発電については、その欠点として、@ 環境を損なう C02 の排出量が大きい。A 費用対効果が小さい 石油を使用 10.2円/キロワット、LNGを使用 6.4円/キロワット、石炭を使用 6.5円/キロワット、で原子力発電の5円〜6円に比べるといくらか大きいことがあり、利点としては、@ 発電効率が高い、ことは先に示したが、今回、新たな事実が判明した。
 平成23年6月7日(金)、「政府の新成長戦略実現会議」で、「海江田」経済産業大臣が、国内の原子力発電所が定期点検のため運転停止し、再稼動できない場合、エネルギ−源を火力に置き換えると、化石燃料(天然ガス、石油)の費用が、今年は2兆4000億円の負担増に、来年以降は年間3兆円の負担増になると公表した。
 一方、火力に代替した場合の二酸化炭素排出量の増加は「環境省低炭素社会推進室」によると震災時に定期点検中の原子力発電所12基分を化石燃料に置き換えた場合、二酸化炭素排出量は1億9000万トン(1999年比で15%増加)となる。「日本経済研究センタ−」が6月1日に発表した報告では、原子力発電所54基をそれに置き換えた場合のそれは年間7500トン余り増え、これは日本の総排出量の6%に相当するという。そして、火力発電所がうまく稼動した場合でも今年度の国内総生産(GDP)は1.4%下落、来年に全原子力発電所が停止した場合は2.2%のマイナス効果が出ると予測される(讀賣新聞 2011年(平成23年)6月9日(日)朝刊 東京13版 11面)。
 前記の数値は政府のものも含まれるから、検証しなければならないが、化石燃料は世界の埋蔵量に限度があり、価格も高騰していくことが予測され、わが国のエネルギ−を火力発電に依存することは国力の低下を生む。さらに二酸化炭素排出量が増加するということは健康にも悪影響を及ぼすと思われることもあって、火力発電は望ましくないエネルギ−源であることは間違いなかろう。
 

「君が代」条例は、当たり前だ(6)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月12日(日)12時40分35秒
   「君が代」条例は公教育において教職員に「思想・良心の自由」が無制限に認められるのかという問題と密接に関係する。修学旅行を考えてみよう。修学旅行には神社・仏閣の見学が含まれている。教員の中に神社は軍国主義の中枢にあるという思想を持ったり、キリスト教徒だから他宗教の施設には立ち入らないということがあったらどうだろうか。また、長崎市の浦上天主堂への見学で、自分は仏教徒だから生徒を連れて行くのは拒絶するなどと言ったら、どうなるのであろうか。こんなことがあれば修学旅行などはそもそも成り立たない。京都・奈良などには行けないことになる。こうしたことは何も宗教的思想だけの問題ではない。千葉のデズニ−ランドに行くにしても、あればアメリカの低俗的な遊園施設だから、生徒を引率できないなどということも有り得るのである。
 これは誰が考えても納得できない。「君が代」の斉唱時の起立命令について従わない教員およびその同調者はこれには答えられまい。彼らはて教職員に「思想・良心の自由」が無制限に認められると考えているからである。
 こうした問題への解答は、【公教育に教職員らにおいて「思想・良心の自由」が認められる範囲は、直接に教職員らの歴史観、世界観、教育上の信念を持つことを禁じたり、これに反対する思想を強制したりするものに止まり、そうでないものには及ばない】ということに尽きる。つまり、間接的なものは含まれないということである。そして、もう一つ、【公教育の統一性の見地から、教職員らの歴史観、世界観、教育上の信念を教育の現場に持ち込んではいけない】ということである。理由は前に説明してある。
 

追記

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月12日(日)10時22分14秒
  http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/nanboku4-5.html
(G氏の文書)が同時に発表、私が先ほど言った問題との関連が暗示されています。

このような問題が元からわが国の言論を圧迫してきた、まして『人権擁護法』など…。
 

原発における言論統制

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月12日(日)10時16分58秒
  竹下先生の論考・「たとえ右翼・保守派から反発されよう共、私は原発全廃を主張する!」を読んだ。私が予感していた「原発問題における言論統制」が是で正しいことがわかったのであるが、是で竹下先生の支持者が減るとしたら、私はそれを我が国の根本的な問題と考える。

そもそも、何故『人侵害救済法』の提出を菅内閣(日本人民共和国政府?)が決定した際、誰もそれを批判しなかったのか?何故私しか批判しなかったのか?

返事はなくてもわかっている、批判したらどういう目に会うかは自明のことである。然し、そのような意気地なしばかりが「愛国者」を名乗る時点で、この国の欠点がわかるのである。
 

それでは聞きますが…

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月12日(日)10時06分41秒
  福島第二原発では事故が起きなかったといいますが、政府は福島代により半径八キロ圏内を「警戒区域」にしております。其れを無視して、恰も「事故ナシ」というのは、左翼につつかれるすきを与えることとなりますので、気をつけられたらよいと思います。



久しぶりに投稿すると、皆さんが重要な視点を忘れているようである。そもそも、造反議員が出るということは、自民党とは違い、民主党においては自壊作用が働くという訳で、自民党も民主党も両方ペテン師ということを忘れている。


世の中には、次のように考えている人もいるであろう。

自民党――憲法改正
民主党――憲法擁護

然し、実際には自民党は憲法の「復元・改正派」であり、民主党(特に菅直人)は「廃棄・新制定派」と、どちらも護憲でも改憲でもないのである。

何故社民党が不信任案の採決時に「欠席」という曖昧な措置をとったかというと、菅直人が護憲でも改憲でもない、「創憲」ということを言っている(明言)からであり、解法者氏は「憲法停止」を主張したが、そのようなこと、菅直人は「百も承知」なのである。



即ち、本来の自民党は、たちあがれ日本のように『大日本帝国憲法』復権を主張しており、菅は「社会主義憲法」の制定を目指している。其れを知らなければならない。
 

付け加えるならば、

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月11日(土)21時24分33秒
  管首相が視察した1Fでは事故となり、管首相が視察しなかった2Fでは事故とはならなかった、ということも歴然としている。  

RE:福島第一・第二原発の違い

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月11日(土)16時43分11秒
  はるサン 解説ありがとうございます。
 こちらも訳がわからんが、第一では事故となり、第二では事故とはならなかったということは歴然としている。
 政府は第二の件について、総てを隠蔽していると思う。なぜか? これを明らかにすると
第一での失態が明らかになるからだと考えている。
 それにしても野党のときはあれだけ何事についえても「情報公開」を迫っていたのに、権力の座に座ったとたん<健忘症>にかかってしまったようだ。
 「菅 直人」がペテン師ではなく、民主党全体がペテン師だと考えるべきだ。こんな奴らに簡単に騙されるとは国民も馬鹿だよ!
 

福島第一・第二原発の違い

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月11日(土)16時08分47秒
  福島第一(以下1F)・第二(以下2F)原発の津波による設備損傷の違いは、非常用発電機・変圧器などの“電源装置”と
“冷却用海水ポンプ”の二つに大別される。
参考(http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/0405/TKY201104050670.jpg

1)電源装置
  1F:海側のタービン建屋内に有り冠水、6号機の1系統を除き使用不能
  2F:より陸側で気密性の高い原子炉建屋内に有り、浸水はしたが機能維持
2)冷却用海水ポンプ
  1F:設備がほぼむき出しで全て運転不能
  2F:ポンプ用建屋内に有り、3号機用ポンプは運転可
他に、外部からの受電についても、1Fは受電設備も被害を受けたが、2Fでは一部で機能していた。
これらの相違によって、2Fでは、3号機が地震発生翌日の12日に、残る1・2・4号機も14〜15日に冷温停止となった。
参考(http://www.asahi.com/national/update/0405/TKY201104050625.html

つまり、2Fでは非常用発電機が機能していた為、海水ポンプが無事な3号機は難無く冷却し、他の1・2・4号機は、おそらくECCS(緊急炉心冷却装置)によって、海水ポンプが復旧し冷却システムの回復する14〜15日迄保たせたのだろう。一方、1Fは非常用発電機が損傷した為にECCSを使えず、しかもせっかく集めた電源車からの受電もできない為、おそらくRCIC(原子炉隔離時冷却系)によって冷却をしたのでしょうか。しかしそれもバッテリー切れ迄の数時間のみ。電源車は12日午後に2Fへと移動してしまったそうな。
と思ったら、少々違っていた。
2Fでも、1・2・4号機で冷却機能喪失(3月12日08時04分読売)とあり、ECCS作動せず温度上昇している1・2・4号機でもベント検討(3月13日09時59分読売)など。
これは、どういうことだろう? この記事に間違いが無ければ(間違いも有り得るが)、津波襲来から12日朝までの十数時間RCICで冷却していたのだろうか? そうだとしても、24時間以上冷却機能が失われていることになり、1Fのケースではいつ水素爆発してもおかしくない状況に思える。そもそも、ナゼECCSが作動していないのか? 12日午後には電源車も集結しているし、そもそも非常用発電機は機能しているのに…。ところで、ECCSでもRCICでも、貯蔵プールの冷却も可能なのか? なんだか分けワカランね。

昨日の投稿に追記、
 3号機は13日午後から海水注入が行われているのに、翌朝、陸自に更に注水を要請している。3号機はこの時点で爆発していないから放水などできないと思うが? おかげで陸自隊員は爆発に巻き込まれてしまったし。
 

「君が代」条例は、当たり前だ(4)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月11日(土)14時25分0秒
   毎日新聞 平成23年〔2011年〕6月10日〔金〕朝刊 統12版 9面 記者の目(大阪社会部 田中博子)に、6月3日に成立した大阪府の「君が代」条例について『学校に強制はなじまない』という題でこれを批判している。
 まず、この表題が間違っている。<学校教育は強制の連続である>。学校教育の目的は生徒を一定の学業レベルを維持することである。したがって、そのためには生徒にそのレベルに達するように学業に励むように強制することが必要となる。生徒の自由に委ねていたのでは一定のレベルを維持できないのは自明の理である。一方教師にも生徒を一定の学業レベルを維持するように自ら研鑽する義務が課せられる。そのためには強制がこれまた必要となる。ここでは生徒が苦痛だからやらないなどという「思想の自由」などは存在しない。こういうものを許せば、そもそも学校教育などは成立しない。
 国旗・国歌はこれとは違うのではないかという反論が想定される。しかし、好むと好まざるにかかわらず国民は国家の存在の下にある。近年「地球市民」を標榜する者がいるが、彼らがそれを理想としていても国家から超越した「地球市民」など存在しないことは、その賛同者が国際的にも広がっていない事実に如実に示されている。その国家を象徴するものが国旗であり国家である。刑法第92条に「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処す」と定めているのもその趣旨に基づく。また、わが国においても「国旗及び国歌に関する法律」を定めて(平成11年制定)、「国旗及び国歌」を規定したのもそれに基づく。先の「君が代」の起立斉唱命令についての最高裁判所の判決(平成23年5月30日〔月〕の合憲判決の中で「竹内行夫」裁判官が【他国の国旗、国歌に対し敬意を持って接するという国際感覚を身につけるためにも、まず自分の国旗、国歌に対する敬意が必要で、学校教育において、この点の配慮がされることは当然である】と補足意見を述べているのは、このことを示している。こうしたことを考えれば、学校教育を担う教員が「思想・良心の自由」を掲げて「君が代」の斉唱時に起立しないことは権利の乱用であって「公共の福祉」に反するものとして制約を受けることは当然のことと言わなければならない。
 

「君が代」条例は、当たり前だ(5)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月11日(土)14時23分40秒
   そもそも大阪府が「君が代」条例を制定したのも学校教育を担う教員がこうした行為をすることにより教育現場を混乱に陥れることを慮ったのであるが、そもそも教育を取り仕切る「教育委員会」が教員のこうした行動を放置してきた現実が背景にあるということを忘れてはならない。この度の「君が代」条例は、国旗、国歌に対し敬意を持って接するということを公共教育の教員に示すとともに「教育委員会」に対してもそれへの法的根拠を与えたものである。
 この記者の記事については、もう一つ見逃せない問題がある。それは「君が代」条例についての見解を万遍なく教員から聴してないことである。つまり反対派の教員の意見しか取り上げていないことである。これは自説を補強するために自説に賛同する見解のみが存在するかのように読者を誤導くもので、公平が要求される記者としては禁じ手である。この記事でも今春の入学式で府立高校の教員のなかで起立しなかった者が38人だったと述べている。このことは起立した者が大多数だったことを示している。率先して起立した者も多かったはずだ。なぜそういう者に意見を求めない。「田中博子」は一定の思想を読者に押し付けていることに気が付いてない。記者失格だと思う。
 

私の関心事

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月11日(土)01時22分49秒
   福島第一原子力発電所があるということは福島第二原子力発電所があるということではないかと考えていた。そのとおりだったが、なぜ福島第一原子力発電所に事故が起き、福島第二原子力発電所に事故がなかったか、ということに説明がない。
 これこそ原子力発電所の安全性に関する重大な問題で、政府の福島第一原子力発電所での不手際の隠蔽そのものではないか。
 それとともに、日本のマスコミはなぜこれを衝かないのだろう。果たして情報発信機関としての役割を疑う。<マスゴミ>と揶揄されるのがわかるような気がしてならない。
 

政治主導のNHKスペシャル

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月10日(金)18時15分37秒
  6/5(日)21:00から放送された『原発危機』では、随所に政府擁護のニュアンスを感じたのですが、見た方います?
例えば、
 東電から原子力安全・保安院、保安院から官邸への連絡がそれぞれ遅れた(15分?以内に通報すべきところ、1時間45分後だった)。
 対応協議の途中、党首会談で中断し対応が遅れた(野党にも責任の一端有り?)。
 東電の要請により電源車確保に奔走したが役に立たなかった。しかもそれ以外の対策を東電も保安院も考えていなかった。
 原子力安全委員会のベント作業の進言に対し、ベントを躊躇しているかのような東電社員のコメントを挿入。
 政府がベント指示してから7時間半後にやっと実施されたが、遅れた理由を東電側の作業不手際と周辺住民の避難確認の遅れの為とし、東電が政府の法に基づく正式“命令”が無い為に実施していないかのように。それを受けて政府はすぐに命令に切り替えたイメージ。
 管首相がヘリで現地視察したことがベントの遅れとなり、それが水素爆発に繋がったことを打ち消す為に、ヘリ内での管首相と斑目委員長の会話を挿入。
 が、ベント実施後に水素爆発が起こると、東電・保安院・安全委員会らへ不信感を強めて行ったのも無理はない…みたいな。
 何より、電源喪失とベントに焦点を当て、同時に進んでいたはずの海水注入には一言も触れなかった。

また、いくつか疑問点など。
 電源車は、1〜6号機全てで使えなかったのか?その割には、一定時間冷却機能を維持した炉があるのはナゼか。
 1・3号機の水素爆発は、建屋が壊れただけで、格納容器は無事って本当?きのこ雲に見えたけど…。
 3号機のベントについては、一言も無かったが、実施しなかったのだろうか?
 3号炉ではMOX燃料が使用されていた。だから外国人は逃げたのか?
 2号機のみ格納容器に破損が生じた原因は何か?2号機がベント不可となったこととの関連は?
 4号機は震災発生時には休止中。炉内には燃料棒すら無く、使用済核燃料が貯蔵プールに有っただけ。それなのに、火災が発生しているし、後に小さな爆発も起きた。5・6号機も休止中だったが、こっちは炉内に燃料棒が有ったのに、より安全に停止している。違いは何か?
 1号機は電源喪失から約24時間後に水素爆発。その約12時間後に3号機が冷却機能喪失、その約30時間後に水素爆発。結果的に見れば、3号機の水素爆発は防げたのではないかなぁ。
 ベント弁はMOV(電動弁)ではなく、SOV(電磁弁)にし、屋外にも手動弁を設けるべきだったかも(ちょいと知ったかぶり)。
 

RE:ペテン師

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月 6日(月)18時37分32秒
  鳩山由紀夫は鳩山一郎譲りのペテン師であるが、一方の菅直人は中国というお師匠さんから伝授されたペテン師であるから、こっちの方が問題。  

回答

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月 5日(日)23時09分0秒
   これはなぜ鳩山が菅と会談したかを分析した上での考えです。資料は新聞報道によります。鳩山は内閣不信任案に賛成を表明してました。ところが自派は彼の思惑とは別でした。これを取り繕うための会談だったと考えます。以下の訂正投稿を参考にしてください。

 次の部分を訂正します。こんなところを間違ってお恥ずかしい限りですが、誤りは誤りですから。

内閣不信任案否決について思う(2)

 鳩山はこのままでは自派さえまとめきれず、かつての加藤紘一自民党議員の二の舞になり鳩山派自体が消滅し影響力を失うことを恐れ、菅との会談を行い、菅から退陣の言質を取ることで民主党内の内閣不信任案賛成の芽を摘もうと考えたと思う。鳩山派でありながら内閣不信任案否決の方針を堅持した平野博文元官房長官が鳩山の影響力の低下と鳩山派自体の崩壊を懸念して、羽田派ながら菅に近い北沢俊美防衛大臣に頼み込み、鳩山と菅との会談を設定した。その目的は菅から早期辞任の言質を取って内閣不信任案否決の方針に傾いている自派の維持を図り、小沢の菅退任主張へのメンツを立てるためである。
 小沢は鳩山と菅との会談を知らなかったというが(讀賣新聞 2011年(平成23年)6月3日(金)朝刊 東京14版 4面)、前記のとおり鳩山派の内情を知るに及びこのままでは内閣不信任案決議は通らないと覚悟していたので、このままでは内閣不信任案が否決され求心力を失うから彼は彼で鳩山と菅との会談が行われ、鳩山が菅から早期辞任の言質を取るならば願ってもないことであった。ただ、内閣不信任案成立の見通しを語った鳩山が尻拭いをするのは当然だから、鳩山にやってもらいお手並み拝見とばかり洞ヶ峠を決め込んだのであろう。
 他方、菅にしても今回の大震災への対応のまずさから国民に見放され、いつまでも首相を続けることができないことを認識していたので、内閣不信任案賛成により民主党政権が瓦解することは望むところではなかった。菅は鳩山との会談で辞任の時期についての言質を取られないように辞任だけをほのめかし民主党内の内閣不信任案賛成の動きを封じた。鳩山は菅との会談で「菅首相は復興基本法の成立および2次補正予算の編成時点で辞任する」と言明したと言うが、これはそのとおりだと思うが、書面にしたわけではなく、今更言った言わないの争いになり後の祭りとともに菅に騙されたと憤激しても自らの不明を暴露するものだろう。
 

内閣不信任案否決

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月 5日(日)19時22分45秒
  本当にルーピーなんだから。乗せられた周りもルーピー。
不信任案採決を欠席した小沢一郎らを、党員資格停止のみで除名できなかったことを思えば、本気で管首相を辞めさせたいと考える者がいたのなら、否決覚悟でも賛成票を投じれば良かった思う。70名近くも除名にできるわけが無いのだから…。所詮、自己保身が主で、本気ではないということ。それとも解散総選挙の可能性が少しでも有ったのだろうか?ならば、尚更処分できないだろうに。

>ところが、鳩山派(約40人)のうち賛成に回るのは2・3名に過ぎないということを聞くに及んで、決議の前々日(31日)あたりから敗北を悟ったと思える。<
前日までは可決が濃厚だったように聞いているが、これは本当? ナゼ?
 

ペテン師

 投稿者:クワトロ  投稿日:2011年 6月 5日(日)19時03分19秒
  ペテン師の鳩山前首相が菅首相をペテン師呼ばわりしたのには思わず笑ってしまった。  

痛快!アンサイクロペディア

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月 4日(土)11時43分6秒
  >2012年に関するさまざまな人間のコメント
「1999年のノストラダムスの次は、我々が嘘つき呼ばわりですか?」
〜 2012年 について、マヤ族の長
「菅直人とか言うアホな首相の国なら滅ぼしてもよい。地球の恥だ。」
〜 2012年 について、地球の神及び国際連合の共同声明
「我が国は滅びない!必ず中国が守ってくれる!」
〜 2012年 について、変な妄想を言う菅直人<


面白い、八百事典。
 

井沢史学について

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月 4日(土)10時29分44秒
  >霊力の衰えた王には退いてもらい、新王を立てて国難に対応すべきところ。卑弥呼も邪馬台国もそうしたはずだが、目途が立たなければ辞めないってことのよう。<

 「昔、此の堺の上に麁猛神あり、往来の人、半ば生き、半ば死にき。其の数極く多なりき。因りて人の命尽の神と曰ひき。時に、筑紫君・肥君等占へて、今の筑紫君等が祖甕依姫を祝と為して祭る。爾より以降、路行く人、神に害はれず。是を以ちて、筑紫の神と曰ふ。」『筑後国風土記』

卑弥呼の前に「八十健の乱」があった。
 

皇国政情速報(1)――菅直人は「二年間」やめない!

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月 4日(土)10時22分41秒
  石原知事「一定のめどってのは2年先だよ」
スポーツ報知6月4日(土)8時1分[.]
会見する石原慎太郎都知事

 東京都の石原慎太郎知事(78、たちあがれ日本)は3日の定例会見で、菅首相が一定のめどがついた段階で辞任する意向を示したことについて「一定のめどってのは正確に言ったら(実質上の任期期限である)2年先だよ。(衆院議員の)任期満了だよ」と皮肉った。また、不信任決議案が否決されたことには「政府が(震災対応を)テキパキやればああいう騒動も起こらなかった」と述べた。また菅首相が辞任した場合の首相候補には、「静かじゃない男」と言いながら、国民新党の亀井静香代表(74)の名前を挙げた。
[引用終](一部、日野により補足、引用元――ビグロべ)


内閣不信任案を出したのは、自由民主党、公明党、たちあがれ日本の三党。さて、どうなるのか。(国民新党が最大与党に?)
 

内閣不信任案

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月 4日(土)09時50分52秒
  今回の教訓
@鳩山由紀夫は菅直人にだまされる程度の人間である。
A小沢一郎は「国民投票法」のときと同じ行動――欠席――をとった。
B然し、「安倍晋三」と同じ手は「売国奴」には通じない。
C結局、菅首相は「支持率一%になってもやめない」を実行しようとしている、




わかりましたか?菅首相は決して「馬鹿」ではないのですよ。「売国の天才」なのです。まだ小沢さんの方が百倍ましですよ。

 

内閣不信任案否決について思う(1)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月 3日(金)13時08分52秒
   平成23年6月2日(木)、「菅 直人」首相が率いる内閣不信任案が否決されたが、当日の午前中の鳩山由紀夫・菅 直人の密室協議による茶番だった。鳩山に振り回されたのが小沢一郎だった。
 小沢の考えは内閣不信任案を成立させ、自民党にも恩を売り、大連立の盟主となって影響力を保持することであった。その前提として、小沢チルドレンの内閣不信任案賛成に賭けたが、岡田幹事長の決議への賛成はもちろん欠席にも除名を以って望むとの強硬な態度に怖気づいた者が多かったため、鳩山に命運を託したと思う。ところが、鳩山派(約40人)のうち賛成に回るのは2・3名に過ぎないということを聞くに及んで、決議の前々日(31日)あたりから敗北を悟ったと思える。大体から小沢チルドレンは1回生議員が多く、不人気な民主党では前回の自民党の小泉チルドレンと同じくほとんどが落選することが確実で、内閣不信任案が成立せず大連立も夢となり、さらに除名されれば党の公認すら得られず、当選は絶望的である。最初から内閣不信任案可決の公算が確実でなければ、当てにならなかったのである。
 

内閣不信任案否決について思う(2)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月 3日(金)13時07分54秒
   鳩山はこのままでは自派さえまとめきれず、かつての加藤紘一自民党議員の二の舞になり鳩山派自体が消滅し影響力を失うことを恐れ、菅との会談を行い、菅から退陣の言質を取ることで民主党内の内閣不信任案賛成の芽を摘もうと考えたと思う。表面的には自派の北沢俊美防衛大臣が鳩山の求心力の喪失を心配して、小沢もこのままでは内閣不信任案が否決され求心力を失うから彼は彼で側近の平野博文元官房長官が菅との会談を設定することは願ってもないことであった。ただ、これは鳩山からの指示に基づいたものと思う。小沢の指示があったかもしれないが、内閣不信任案成立の見通しを語った鳩山が尻拭いをするのは当然だから、鳩山にやってもらいお手並み拝見とばかり洞ヶ峠を決め込んだのであろう。
 他方、菅にしても今回の大震災への対応のまずさから国民に見放され、いつまでも首相を続けることができないことを認識していたので、内閣不信任案賛成により民主党政権が瓦解することは望むところではなかった。菅は鳩山との会談で辞任の時期についての言質を取られないように辞任だけをほのめかし民主党内の内閣不信任案賛成の動きを封じた。鳩山は菅との会談で「菅首相は復興基本法の成立および2次補正予算の編成時点で辞任する」と言明したと言うが、これはそのとおりだと思うが、書面にしたわけではなく、今更言った言わないの争いになり、菅に騙されたと憤激しても後の祭りだろう。
 

内閣不信任案否決について思う(3)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月 3日(金)13時06分59秒
   そして、小沢も菅の辞任決意を知り今更内閣不信任案賛成することもないと悟り、かと言って反対するのはこれまでの行動を批判されるので、敵前逃亡を図り、内閣不信任案議決に欠席し、除名を何とかして免れ、民主党に在籍しなから影響力を保持しようと考えたのである。しかし、敵前逃亡はさることながら自派の議員(約120人)がこのような軟弱の状況ではもはや政治的影響力は完全に無くなったと考えてよい。自民党も小沢を見限ったと思う。たとえ大連立になっても出る幕がない。
 今回の内閣不信任案不成立は、小沢が鳩山を過信していたことが一番の原因であったと思える。小沢チルドレンも前記のとおり鳩山派が賛成でまとまれば内閣不信任案が可決され、大連立のなかで生き残りが図れたかもしれないので、賛成に回った可能性もあったので、小沢チルドレンの動揺・離反は副次的な理由だと思う。
 

内閣不信任案否決について思う(4)

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月 3日(金)13時06分15秒
   内閣不信任案は不成立に終わったが、提出した意味がなかったといえば、そうではない。単に内閣不信任案が不成立となれば、野党側は政治の混乱を画策しただけとの批判が強まり、民主党政権の継続の可能性が高くなったが、「菅 直人」首相が内閣不信任提出騒ぎで辞任を言明したことは大きな成果で、今後、その時期について野党からの執拗な攻撃にさらされることになり、一層「菅 直人」首相のみならず民主党政権が追い詰められる可能性が高くなったことと首相の辞任時期の曖昧さについては民主党内からも批判が一層強くなると思え、これが浮き彫りになったからであると考えるからである。やはり待っているのは大連立だと思える。
 ただ、谷垣禎一自民党総裁は再三内閣不信任案の提出時期(5月2日の第一次補正予算の成立直後か、遅くても同月24日のサミット前)を誤り、優柔不断で首相の器ではない。前原誠司民主党議員だと思うが、どうだろうか。
 さて、「菅 直人」首相の辞任時期についてであるが、本人は原発の冷却化と言っているらしい。これは予定では来年の1月らしいが、冷却にもう少し時間がかかると言えば、さらに伸びることになろう。ただ、これは本人の意向で、そこまで延命できると考えられない。鳩山が菅との会談で「菅首相は復興基本法の成立および2次補正予算の編成時点で辞任する」と菅が言明したとおりとなるものと思える。
 

Re:原発問題

 投稿者:はる  投稿日:2011年 6月 3日(金)12時27分37秒
   霊力の衰えた王には退いてもらい、新王を立てて国難に対応すべきところ。卑弥呼も邪馬台国もそうしたはずだが、目途が立たなければ辞めないってことのよう。まぁ、新王樹立即、乱の収拾とは書かれていませんが…。所詮、人間が自ら変わることは難しい。このままでは、2・26事件前夜の雰囲気に近くなり歴史が繰り返されるかも。天災は忘れた頃にやって来るし、機械は故障するもの。そして、人は過ちを繰り返す。福島第一原発は廃炉とし、仕方が無いから、跡地には使用済み核燃料廃棄施設を建設(できれば東京)し、原発遺跡の指定をして立ち入りを禁止。並びに原発観音神社を建立し祀る。もはや、神頼み。

「簡単に見解を変えた方に疑いの目を向け」られているので、少し反論。
>権力が強かったというのは理由になりません。<
 そんなことは言ってないと思いますが…。第一、物心ついた時には既に原発が有ったし、当たり前の光景として…。だから反対でもなかったし。
>安全だったと考えていたが、事故が起きてみたら危険そのものだったということは、騙されたということで、…後略。<
 騙されたとは思ってません。ただ失望しただけ。騙されたと言うなら、やはり金の亡者共は騙していたのか?と問いたい。
>つまり、原子力発電所は簡単に危険だと決め付けるのではなく、安全も確保できるということが、今回の大震災で明確になったのではないでしょうか。それと今回の事故で安全性は飛躍的に高まっていくものと考えます。<
 絶対の安全を求めることはやめた方がいい。ハイリスク・ハイリターンは日本人には馴染みません。来年の大河ドラマは『平清盛』だそうですが、この世は全て“無常”。どんな発電方法をとっても、絶対の安全はあり得ないと達観した上で、どこまでのコストや被害ならば許容できるかを検討するべき。人間が自ら容易に変われない以上、喉元過ぎれば同じ状況はもたらされ、見計らったように天災がやって来る。東海地震の前に宮城県沖地震がやって来たことは、天の警告と受け止めなければならないでしょう。最近流行のドラッガーが言うところの“真摯さ”を今こそ取り戻す時。しかし、ナゼ日本なのか…。
>原子力発電所が核攻撃の対象になるから危険であることには変わりはないという考えもあるでしょう。<
 原発が有る時点で核攻撃の必要すらないのですから、原発を持たないことがむしろ安全。他の発電所の方がリスク分散になることも以前書いた通り。逆に、日本が核を保有せずとも、原発を保有している近隣仮想敵国を核攻撃できるようなもの(小規模ですが)。第一、核を保有したところで、それを報復に使う気構えが無ければ外交上優位には立てないでしょう。核戦争も辞さない覚悟があるのでしょうか? 相手が中国として国土面積が違い過ぎますが、何倍返しするつもりでしょう? 通常兵器の範囲内で、有効な報復を考えた方が現実的と思う。例えば、無線誘導による無人特攻機とかなら空中給油の必要も無いし、管理も楽そう。諜報部門の充実も必要でしょうけど。
 

政変不発?

 投稿者:クワトロ  投稿日:2011年 6月 3日(金)05時29分14秒
  内閣不信任案が否決されましたね。

それにしても当初賛成を口にしてた鳩山前首相が反対票を入れたり、造反するぞって言ってた民主党議員が腰砕けになったり。なんなんでしょうね。民主党って。とは言うものの自民党も頼りないんですくどね。
 

菅直人辞任?――改めて問う、「連衡」か「合縦」か

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月 2日(木)19時00分18秒
編集済
  菅首相が辞任するかもしれない。目出度い、目出度い、素晴らしいことだ。最も、菅首相は「国家反逆罪」で(「死刑」とは言いませんが)「終身刑」となって其の罪を償ってもらわないと。

何度も言ったが、菅首相は「連衡」派で、前原氏は「合従」派である。

中国――――朝貢国(日本、韓国、朝鮮)

が「連衡」。それに対抗するには「合従」しかない、というのが前原元外相の主張である。詳しくは後で。
 

「広開土王碑」

 投稿者:皇国の護国運動家  投稿日:2011年 6月 2日(木)18時55分34秒
  解法者氏や竹下先生の許可がないので、書くのをためらっていました。

しかも、「君が代」に「不信任否決」「売国奴辞任?」と、相次ぐ重大ニュース。是は大変だ。

昨晩、私は「万歳」と、不信任案が可決されるとばかり思っていましたので。「好太王碑」(「広開土王碑」)については、解法者氏の許可を得た、者として売国奴騒ぎが終わってから投稿します。
 

皇国の護国運動家さんへ

 投稿者:解法者  投稿日:2011年 6月 2日(木)13時46分59秒
   「広開土王碑」の論考はどうしたのかな。  


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