Archives of the Salon's log
喫茶室 過去ログ84(2006.5.1〜5.31)

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喫茶室:[最新の発言を見る/投稿する] [2006年6月のログ] [2006年4月のログ]


やっぱ、目糞鼻糞やったか。w  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月31日(水)16時05分34秒
  やっぱ、公器$V聞が、ネットねたを取り上げるちゅうのは、諸刃(もろは)の剣やね。

イワヤ氏、GJ!!  おおきに。

May 31, 2006
【しかしだからといって】藤田勝久と話し合いで解決できたのでは?
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50515393.html
2006年05月30日
■朝日新聞より朝鮮日報のほうがマシかもしれない
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/50581675.html

■新聞が書かないから書く「新聞特殊指定」問題(1)【PJニュース 05月31日】
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2025255/detail?rd
■PJニュース「新聞特殊指定問題」記事リンク集
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2025263/detail?rd
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2025255/topics_detail

諸君!2006年7月号
http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/index.htm

正論 7月号
http://www.sankei.co.jp/seiron/mokji.html
■外務省の反日症候群を解剖する
 国連・NGOとの「赤い癒着」の現場

May 26, 2006
【週刊新潮】朝鮮総連とズブズブの外務省 総連参加団体に乗っ取られた「児童の権利条約」意見交換会
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50509690.html

『あす、『正論』7月号発売。目玉は、なんといっても共産党のナンバー4だった筆坂秀世氏と外務省のラスプーチン佐藤優氏の特別対談。ぜひ、お読み下さい。』
http://seiron.air-nifty.com/seiron/2006/05/post_56e8.html

■経済大国に求められる「情報力」とは 手嶋龍一 × 佐藤優
(『波』2006年6月号 P2-7.)
http://book.shinchosha.co.jp/nami/
『究極のところで言うと、インテリジェンスオフィサーというのは、常に本質的に二重スパイであると僕(手嶋)は考えています。(中略)これはインテリジェンスの世界の「公理」だと言えるでしょう。』(P7.)
 

Re:ニセ君が代  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月31日(水)16時01分3秒
  この程度の皇室への悪口は、戦前戦中からよく聞いていました。
産経新聞が一面で取り上げたことは、彼らの精神がいかに歪(ゆが)んでいるかを知らせる効果があるとともに、面白(おもしろ)がって真似(まね)をする人が出る逆効果もありますね。
功罪あると感じました。
 

ニセ君が代  投稿者:岩谷文太  投稿日: 5月31日(水)14時57分23秒
  アカ日のお里さんのご紹介記事にあった「ニセ君が代」ですが、

■「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?(産経新聞 5/29 3:16)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060529-00000000-san-soci

 私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。
 おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。
 死者たちの声を知ってくれるのかい。
 すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。
 だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。
 お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。


産経新聞の訳ですが、ちょっと解釈し過ぎですね。むしろ「従軍慰安婦」の設定にとらわれ過ぎている感じがします。そもそもこれは音を当て嵌(は)めただけの疑似英文、それも英語をさほど理解してない人が作ったもので、文法的にも破綻してるし、かなりナンセンスです。使われてる言葉に、いささかデスメタル系の臭いがします。

「ニセ君が代」の訳を書いてある通りそのままに訳してみました。

 Kiss me, girl, your old one.
 Till you're near, it is years till you're near.
 Sounds of the dead will she know?
 She wants all told, now retained, for,
 cold caves know the moon's seeing the mad and dead.

 キスしておくれ少女よ、あなたの古いもの
 あなたが近くに来るまで何年もかかった
 死者のざわめき、彼女は知るのか?
 怒りと死者を月が見ていることを、冷たい洞窟は知っている
 そのために彼女は、今記憶されてる全てが語られるのを望む


実際書かれてるのはこの程度のことで、これを作った人が従軍慰安婦を想定していたなら、これは大失敗ということになります。

・「おばあさん」のことを「your old one」とは言いません。これはむしろ「あなたが使い古したもの」になります。

・主語が「少女」「あなた」「彼女」とあちこちに飛ぶので、結局何を言ってるのか分からない。

・「the mad and dead」という表現は英語にはありません。これらは冠詞がついて並記されているので名詞となりますが、その場合は「怒りと死者」としか訳せません。


全体が文法的に破綻していて意味不明なだけでなく、各表現をそれぞれ英語Googleでググって見たのですが、ヒット数が殆(ほとん)どないものが多く、つまり一般的英語表現からかなり逸脱しているということです。つまり「ニセ君が代」なだけでなく、これは「ニセ英語」です。産経新聞は「難解」と表現していますが、これはただの「滅茶苦茶(めちゃくちゃ)」です。

書かれていることを出来るだけそのまま忠実に訳し、つまり原文のニュアンス、ナンセンスさ、文法的破綻、不明瞭さもそのまま伝え、読み手の想像力に任せるというのが本来あるべき訳だと、私自身はそういうスタンスを持っていますが、産経新聞の「超訳」はそれはそれで読み手のイメージを強制してしまうものです。
 

『卑弥呼と日本書紀158』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月31日(水)12時06分21秒
  [承前]

 ここまでの東征譚(たん)を読むと、大和(やまと)朝廷の先祖たちは、圧倒的な軍事力や戦いのうまさによって制覇するのではなく、先祖神の助けを得ながら、アノ手コノ手で敵を帰順させて進んだことがわかる。

 敵対していた豪族たちを策によって帰順させ、恩賞や名誉をあたえて味方につけるやり方は、ずっとあとの天皇たちも同じである。
 神社にもその証拠が残っていて、大和朝廷のがわの神社よりも、敵対していた出雲(いずも)の神社のほうが巨大だし、《大和》をめぐる競争相手だった〈饒速日命(にぎはやひのみこと)〉を祀(まつ)る神社も多い。
(じつは、この平和的な方法は、明治〜平成にまで、形は違うが続いているといえる。谷沢永一の著作など参照)


▽▽▽ 皇宮の造営と皇后の決定 ▽▽▽

 こうして《大和》は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曾孫(ひまご)にあたる〈磐余彦尊(いわれことのみこと)〉によって平定された。
 やがて〈磐余彦尊〉は次の詔勅(しょうちょく)を発する。
 これは大和朝廷の「施政方針演説の原型」である。

「東征してから六年がたった。遠い地にはまだ賊もいるが、この《大和》は平穏である。そこで、都をつくり宮殿を建てて皇位につこうと思う。
 そして、天神(あまつかみ)の〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉と高皇産靈神(たかみむすび)が国を授(さず)けてくださったご意向に応え、天孫の瓊瓊杵尊の正しい御心(みこころ)を広めよう。
 その場所は大和の奥深い場所である畝傍(うねび)山の東南の橿原(かしはら/図5・2や5・3参照、現在の橿原神宮のあたり)がよい」

 そしてそこに宮殿を造営なさった。

 また、皇妃を求めたところ、ある人が推薦して、〈大己貴神(おおなむちのかみ)〉(大國主神(おおくにぬしのかみ))の子どもの事代主神(ことしろぬしのかみ)が玉櫛媛(たまくしひめ)を娶(めと)って産んだ媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ/彦が頭に来る名と同じく媛が頭に来ている。彦や媛が尊称だったからである)が容姿秀麗で最適です――と申し上げたところ、〈磐余彦尊〉はお喜びになって、宮中に召(め)して正妃とされた。

 正式におきめになるまえに〈磐余彦尊〉は、《三輪山》から流れ出る狭井川(さいがわ)の近くで遊ぶ媛を見て気に入り、その媛の家に泊まって歌を詠(よ)んだと、伝えられている。
 これが歴代天皇最初の御製(ぎょせい)である。

[つづく]
 

右と左の『君が代』をめぐる攻防  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月30日(火)12時55分33秒
  ◇日の丸・君が代
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/hinomaru_kimigayo/?1148955408
◇藤田勝久
http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%C6%A3%C5%C4%BE%A1%B5%D7&st=n
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1148954676/l50

■「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?(産経新聞) (29日3時16分)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060529-00000000-san-soci

「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?

 卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか、「君が代」の替え歌がインターネット上などで流布されている。「従軍慰安婦」や「戦後補償裁判」などをモチーフにした内容だが、本来の歌詞とそっくり同じ発音に聞こえる英語の歌詞になっているのが特徴で、はた目には正しく歌っているかどうか見分けがつきにくい。既に国旗掲揚や国歌斉唱に反対するグループの間で、新手のサボタージュの手段として広がっているようだ。

 替え歌の題名は「KISS ME(私にキスして)」。国旗国歌法の制定以降に一部で流れ始め、いくつかの“改訂版”ができたが、今年二月の卒業シーズンごろには一般のブログや掲示板にも転載されて、広く流布するようになった。

 全国規模で卒業式、入学式での国旗掲揚、国歌斉唱に反対する運動を展開するグループのホームページなどでは、「君が代替え歌の傑作」「心ならずも『君が代』を歌わざるを得ない状況に置かれた人々のために、この歌が心の中の抵抗を支える小さな柱となる」などと紹介されている。

 歌詞は、本来の歌詞と発声が酷似した英語の体裁。例えば冒頭部分は「キス・ミー・ガール・ユア・オールド・ワン」で、「キー(ス)・ミー・ガー(ル)・ヨー・ワー(ン)」と聞こえ、口の動きも本来の歌詞と見分けにくい。

 歌詞の意味は難解だが、政府に賠償請求の裁判を起こした元慰安婦と出会った日本人少女が戦後補償裁判で歴史の真相が明らかにされていくのを心にとどめ、既に亡くなった元慰安婦の無念に思いをはせる−という設定だという。皇室に対する敬慕とはかけ離れた内容で、「国家は殺人を強いるものだと伝えるための歌」と解説したホームページもあった。

 ≪陰湿な運動≫

 高橋史朗・明星大教授(教育学)の話「国旗国歌法の制定後、正面から抵抗できなくなった人たちが陰湿な形で展開する屈折した抵抗運動だろう。表向き唱和しつつ心は正反対。面従腹背だ。国会審議中の教基法改正論議で、教員は崇高な使命を自覚することが与野党双方から提案されている。この歌が歌われる教育現場では、論議の趣旨と全く反する教育が行われる恐れすらある」

 ■「君が代」の替え歌 歌詞と訳

 【詞】

 Kiss me, girl, your old one.
 Till you're near, it is years till you're near.
 Sounds of the dead will she know?
 She wants all told, now retained,for, cold caves know the moon's seeing the mad and dead.

 【訳】

 私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。
 おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。
 死者たちの声を知ってくれるのかい。
 すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。
 だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。
 お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。

(産経新聞) - 5月29日3時16分更新


http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1148852940/l50
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1148888217/l50
【産経抄】平成18(2006)年5月30日[火]
http://www.sankei.co.jp/news/060530/morning/column.htm

産経抄

平成18(2006)年5月30日[火]

 唱歌、童謡から軍歌にいたるまで、人々に親しまれた歌であればあるほど、替え歌が作られてきた。筆者だって、子供のときは親や先生、長じてからは、ご婦人の前ではとても披露できない歌詞を口にしたことがある。

 ▼もっとも、きのうの小紙が報じた「君が代」の替え歌は、そんなおふざけの限度を超えている。英語の歌詞でありながら、本物そっくりに聞こえるから、国歌斉唱に反対するグループの「新手のサボタージュの手段」となっているという。しかも、モチーフが「従軍慰安婦」と聞けば、いやな記憶がよみがえる。

 ▼平成十二年、元朝日新聞の女性記者が代表を務めたNGOが主催し、元慰安婦や各国の女性活動家を集めて開かれた「女性国際戦犯法廷」のこと。弁護団もいないまま、昭和天皇を「強姦と性奴隷制」で一方的に断罪するものだった。

 ▼これを取り上げたNHKの番組に対して、政治家の圧力がかかったと報じた朝日新聞は、事実関係がうやむやのまま幕を引いた。そもそも、北朝鮮工作員が検事役で参加するなど、「法廷」は政治的意図がみえみえのショーだった。果たして替え歌と関連はないのか。

 ▼現在、国会で審議が行われている教育基本法改正に対して、反対の立場の人たちは、口をそろえておっしゃる。「子供たちの内心の自由を侵(おか)すな」「愛国心は自然に育つものだ」。その通りである。

 ▼しかし現実には、日の丸や君が代に敵意を燃やす教職員がさまざまな抵抗運動を続けている。そうした人たちが、またぞろ平和教育の名の下(もと)に、生徒の内心に入り込み、替え歌を奨励する恐れは十分にある。だからこそ、新しい教育の憲法で、国を愛することが教育の原点であることを、あらためて謳(うた)う必要があるのだ。


http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1148938330/l50

■天皇制は今や時代遅れでは  無職 石黒 寿夫(新潟市 73歳)
(30日付朝日新聞東京版「声」)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1148198874/355-

こりゃまた凄いキチガイ投稿を、平然と晒すくおりちぃぺーぱー。
社長の顔が見たいものだ。
http://www.asahi.com/national/update/0529/TKY200605290315.html

本社社長の長男に実刑 大麻事件で判決

2006年05月29日18時36分

 麻薬及び向精神薬取締法違反と大麻取締法違反の罪に問われた元フリーディレクター、秋山竜太被告(35)に対し、東京地裁は29日、懲役1年2カ月(求刑・懲役2年)の実刑判決を言い渡した。村瀬均裁判官は「仕事上の悩みから薬物に手を出した。規範意識が鈍っており刑事責任は重大」と述べた。

 同被告は朝日新聞の秋山耿太郎社長の長男。

 判決によると、同被告は今年3月8日ごろ、東京都渋谷区の地下鉄半蔵門線渋谷駅改札口そばで合成麻薬のMDMAを飲んだ。同10日には同区内で大麻を所持した。

 秋山社長は「息子が判決を厳粛に受け止め、しっかり罪を償って、社会復帰するよう祈っています。世間をお騒がせしたことをおわびします」とのコメントを発表した。


May 30, 2006 藤田勝久元教諭に有罪判決
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50514310.html
May 29, 2006 立川二中の根津公子教諭健在なり
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50513374.html

【甦れ美しい日本】◎図書室(書評)
■「世界共和国へ−資本=ネーション=国家を超えて」 柄谷行人、岩波新書(松永太郎)
http://www.melma.com/backnumber_133212_3195547/
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c81a9c5034309a72f3358dd57afa58e7
■「在日論の嘘=贖罪の呪縛を解く」 浅川晃弘 PHP(松永太郎)
http://www.melma.com/backnumber_133212_3205802/

『戦後の日本の風潮で、私など、なにがいやかといえば「偽善」である。「偽善」とは、自分を百階の棚の上にあげておいて、他人を断罪することによって、自分(たち)は良心的な人間である、あるいは上等な人間であるという自己証明ないし自己欺瞞を得ることをさす。
 とくにこの風潮を主導したのは、学校の先生たち(日教組)と左翼マスコミ、とりわけ「朝日新聞」である。偽善者たちは、まず自分たちが戦争中にやったことを百階の棚の上に上げて「日本軍国主義」や「日本のナショナリズム」を断罪し、自分たちを「良心的な人間」あるいは「良心的な言論」に見せかけようとした。』

 

『卑弥呼と日本書紀157』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月30日(火)11時57分18秒
  [承前]

▽▽▽ 〈饒速日命〉の出現と帰順 ▽▽▽

 こうして勢いづいた〈磐余彦尊(いわれひこのみこと)〉は、さらに軍勢を進めて強襲したところ、長髄彦(ながすねひこ)は使者を派遣してきた。

 使者は述べた。
「昔この地に天神(あまつかみ)の御子である〈饒速日命(にぎはやひのみこと)〉が天磐船(あまのいわふね)に乗って降臨され、妹の三炊屋媛(みかしきやひめ)と結婚して可美眞手命(うましまでのみこと)をお生みになりました。天神の御子がお二方もおられるはずはありません」
〈磐余彦尊〉はこれに答えて、
「天神の御子はたくさんいる。もし〈饒速日命〉が本当に天神の御子なら証拠がある筈だ。見せなさい」
 ――といった。
 すると長髄彦は、〈饒速日命〉の天上界の矢とそれを入れる用具を見せた。
〈磐余彦尊〉は、
「たしかに本物だ」
 ――と述べて、自分の矢と入れる道具を見せた。
 それは〈饒速日命〉のものとまったく同じだった。

 この交渉で長髄彦は〈磐余彦尊〉に畏敬の念を抱いたものの、反抗心は変わらなかった。
 しかしこのことを知った〈饒速日命〉は、天神が〈磐余彦尊〉の味方をしていることを感じとり、また長髄彦の乱暴な性質も知っていたので、長髄彦を葬って、〈磐余彦尊〉に帰順した。

〈磐余彦尊〉は、〈饒速日命〉が自分と同じ〈天照大神〉の子孫――つまり自分の祖父または曾祖父の兄弟――であることを知っていたし、また自ら帰順したので、これを褒賞して親しくされ、味方につけた。

 この〈饒速日命〉の子孫は、尾張一族、熊野一族、海部(あまべ)一族などたくさんいるが、その代表が、大和(やまと)朝廷の重臣となった物部(もののべ)一族である。
 そのご、あちこちに残って反抗していた土蜘蛛(つちぐも)たち――生駒(いこま)市、奈良市、天理市、御所(ごせ)市などの土着の豪族たち――を破って帰属させた。

*****

[つづく]
 

「渤海国の石碑」  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月30日(火)11時51分22秒
  いま話題になっています、「渤海(ぼっかい)国の石碑」って、何が書いてあるんですか?
どなたか、日本語に訳してください。
「北関大捷(ほっかんだいしょう)碑」については解法者さんの精密な翻訳と解説がありますけど・・・。
 

Re: RE*2;遺棄化学兵器に新史実  投稿者:岩谷文太  投稿日: 5月30日(火)09時09分39秒
  オロモルフさん
最近は中国の不正を追求しようという動きが出て来たのは良い流れだと思います。黙っていれば時間とともに事実は埋もれ、中国の作り出す「既成事実」ばかり積み重なって行きますから。

竹下さん
中国の不正が明らかになったあかつきには、日本が賠償を請求するのは当然の権利ですが、まず中国が自分達の不正を認めないのはいつものことで、それに対してなあなあで事勿(ことなか)れ主義の日本政府の体質がそう簡単に改善するとも思えません。特に外務省は朝鮮総聯との関係が最近週刊新潮で話題になったばかりです。外務省は一度解体する必要がありますね。

■【週刊新潮】朝鮮総連とズブズブの外務省 総連参加団体に乗っ取られた「児童の権利条約」意見交換会 (mumurブログ 5/26)
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50509690.html
 

RE:【若】【宮】【啓】【文】、通名 or P・N?  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月29日(月)21時30分19秒
  >皇居に1世紀眠る「渤海(ぼっかい)国の石碑」、中国で返還求める声

「渤海国」は、支那の一地方政権でも無ければ、朝鮮の一地方政権でもありません。
夫余・高句麗(こうくり)の流れを汲む満州(マンチュリア)の王朝国家です。支那・朝鮮どちらにも、「相続権」はありません。

支那史から見れば、唐・新羅(しらぎ)連合によって滅ぼされた高句麗の再興国家が渤海であり、支那が「我が国の一地方政権」と言う事自体、烏滸(おこ)がましい限り。

又、朝鮮史から見ても、新羅が唐と結託して、自ら滅ぼした国、高句麗の再興国家であり、統一新羅─高麗(こうらい)─李氏朝鮮の流れから見れば、高句麗─渤海は全くの別流。ましてや、半島の南半分しか領有していない韓国になんぞ発言権すら無いでしょう。(北鮮ならまだ分からんでも無いが)

さて、そうなると、日本が返還すべきや否や?と言う事になりますが、「返還」する必要は全くありません。日本は夫余の流れを汲んでいますし、平安の世に、渤海の武芸王が派遣した使節が日本の朝廷に奉戴した国書には、「日本と渤海は兄弟国である」とはっきりと謳(うた)われていた訳ですし、全く「アカの他人」である支那・韓国とは異なり、「親族」である日本に相続する正当な権利があるものと考えます。本来、「渤海国」が今も尚、存続しているのでしたら、返還すべきでしょうが、返還すべき本来の所有権者がいなくなってしまった以上、最も近い日本が所有保管する事は当然です。

やれ、研究だの何だのと行ってきたら、「日本に見に来れば良い」と言ってあしらえば済む事です。
 

RE:独善的な大中華主義  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月29日(月)21時13分7秒
  >ロシア語ですから「万里の長城が契丹(キタイ、支那のロシア語表記)の限界である」が宜しいかと(笑)

これは失礼しました。
モンゴルやロシアでは、支那の事を「キタイ」(Китай)と呼んでいましたね。
支那が、日本に対して「支那」呼称の使用中止を求め、「中国」呼称の使用を強要するのでしたら、「中国」呼称に異議を唱える私としては、「支那」呼称を使用しない代わりに、「契丹(きったん/キタイ)」を使用してやろうかと。これなら、モンゴル・ロシアで使用されている以上、支那も使用中止を求められませんからね(笑)

>内蒙古(もうこ)・満洲・台湾・雲南・ティベット・トルキスタンなどが該当しますね。
>元々、彼らは中国人と一緒になりたい訳では無いですから…

東アジアで膨張主義を採り、嘗(かつ)ての「華夷秩序の復活」に血道をあげる支那に対しては、「食うか食われるか」のシノギを削る立場にある日本としては、上記地域の分離独立運動を全面支援する事は国策に適(かな)います。

嘗て、支那事変の際、日本軍がビルマ経由の「援蒋ルート」の存在に苦しめられた事を逆手にとって、今度は日本が印度経由で独立チベットを支援するのも手です。

(と)に角、支那が東アジアに於ける覇権を確立したら、民主主義も、人権も、知的財産も、資源も、文化も、皆、収奪・破壊・抑圧され、残されるのは、大量のゴミと公害だけですよ。そんな「パックス・シノワーナ」(支那による平和)等、真っ平(まっぴら)御免ですね。
 

エセン=ハーン  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月29日(月)20時56分35秒
  利亜さん

>ティムールより半世紀後に出現したオイラートのエセンは名目上推戴していた黄金氏族
>(チンギスの子孫)を皆殺しにしてカンを名乗りましたが結局、殺されてしまいましたね。

祖父・マフムード、父・トゴンと「順寧王」の地位を以て、五代の大ハーンに仕えてきたオイラートの名家のプリンスだったエセンは、「太師准王」として仕えていたトクトア=ブハ=ハーン(脱脱不花)から大汗位を簒奪。「大元天盛大可汗」と称し、オイラートの天下にしましたが、「盛者(じょうしゃ)必衰の理(ことわり)をあわらす」が如く、大汗位にあったのは僅か一年。因果応報と言うか、黄金氏族=タタールに復権され、結局、西方のジュンガル盆地へと追いやられしまいましたね。

「摂政」はあくまでも摂政であって、主君にとって代わった瞬間から、逆賊として討たれる運命だった訳です(合掌)
 

【若】【宮】【啓】【文】、通名 or P・N?  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月29日(月)14時32分5秒
  May 29, 2006
拝啓、小泉首相殿 アメリカ人も靖国反対してますよ
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50512996.html
http://www.vipper.org/vip265189.jpg

>これを読んで「ほおほおなるほど。米国でも靖国参拝を憂慮する人が増えているのだな。靖国参拝はやめるべきだな」と感じた人は、デジタルディバイドの向こう側にいる人。

>「中国がロビー活動を行い米国人にも靖国反対の声を上げさせ、朝日新聞と結託して『ほら、米国も反対してるでしょ』と報じさせている」という構図が見えた人はデジタルディバイドのこっち側にいる人。

■皇居に1世紀眠る「渤海国の石碑」、中国で返還求める声(2006年 5月28日 (日) 12:21 アカ秘伝聞)
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20060528/K2006052703230.html

http://www.asahi.com/international/update/0528/001.html

皇居に1世紀眠る「渤海国の石碑」、中国で返還求める声

2006年05月28日12時22分

 皇居の中に、中国から運ばれた一つの石碑が眠っている。7〜10世紀に東北アジアにあった「渤海(ぼっかい)国」と、唐の関係を伝える史料で、日露戦争後、「戦利品」として当時の日本軍によって持ち出された。中国の研究者らの間でいま、この碑の公開や返還を求める声が出始めている。

 石碑は「鴻臚井碑(こうろせいひ)」と呼ばれ、横3メートル、高さ1.8メートル。713年、唐が渤海国の国王に「渤海郡王」の位を授け、唐と渤海国が君臣関係を結んだことを記している。現在の中国遼寧省旅順市に設けられた。

 日本と直接関係のないこの碑が皇居に移されたのは1908年。防衛研究所図書館収蔵の「明治37、38年戦役戦利品寄贈書類」などによると、海軍によって、日露戦争の激戦地だった旅順から運ばれ、戦利品として明治天皇に献上された。

 それが最近になって、中国の遼寧省を中心に、碑の公開や日中の共同研究、中国への返還を求める声が出始めた。

 遼寧省大連市の政治協商会議(市政の諮問会議に相当)では今年1月、大連大学の王禹浪教授らが石碑研究の促進を求める提案をした。王教授は「多くの人が石碑のことを知るべきだ」と話す。大連日報は3月、石碑の特集記事を掲載。「国宝の返還には団結が大切だ」として返還を求める意見を紹介した。旅順市では石碑の展示館建設計画も浮上している。

 北京の研究者らが04年に設立した「唐鴻臚井碑研究会」(羅哲文会長)の関係者は、「石碑研究での協力を進め、中日友好関係を発展させたい」と話し、性急な返還要求には慎重だが、研究への日本の協力は求めたいとしている。

 中国側の関心の背景には、歴史的な帰属をめぐる韓国との論争がある。中国から見れば、石碑は「渤海国は唐の藩国であり、中国の歴史に位置づけられる」ことを示す物証となる。中韓両国間では、渤海国の前にこの地域にあった高句麗をめぐって激しい論争があり、昨年5月の首脳会談でも取り上げられた。石碑は高句麗論争の有力な材料にもなりうる、というわけだ。

 関係者によると、やはり日露戦争後に朝鮮半島から日本に持ち去られ、靖国神社に置かれていた「北関大捷碑(プックアンテチョプピ)」が、今年3月に北朝鮮に返還されたことも、今回の動きを刺激しているという。

 渤海史を専門とし、99年に石碑を紹介する論文を発表した国学院大栃木短大の酒寄雅志教授は、「渤海という国ができた当時を考えるかけがえのない史料だ。皇居の奥深くしまい込んでおかないで、まずは開放・公開してほしい」と語る。

 宮内庁によると、石碑は現在も「国有財産」として皇居内の吹上御苑で保管されている。立ち入り規制があり、写真の提供に応じることはあるものの、公開はしていないという。返還などを求める動きについては、「そういう報道には接していない」としている。

 〈キーワード:渤海国〉 698年から926年まで、現在の中国東北地方とロシア沿海地方、朝鮮半島北部にまたがる地域を領土とした国家(当初の国号は「震」)。「海東の盛国」と呼ばれたが、唐と新羅の連合軍に滅ぼされた高句麗(紀元前37〜668年)の遺民や、現在の中国・満州族の祖先とされる靺鞨(まっかつ)などによる多民族国家だったため、契丹に滅ぼされた後に継いだ国はなく、自分たちで書いた歴史書も残っていない。「まぼろしの王国」とも呼ばれる。日本とは727年以降、使節の派遣などを通じて、友好関係にあった。


■北関大捷碑
http://www.excite.co.jp/exblog/search/?blogid=970029437&t=0&q=%E5%8C%97%E9%96%A2%E5%A4%A7%E6%8D%B7%E7%A2%91

■偽書の精神史:シアトル酋長がピアス大統領に宛てた手紙 2006/5/27(土)
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1416929

古事記は言わずもがな、日本書紀もな。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569640907
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/sim-explorer/explore-items/-/4569643345
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/sim-explorer/explore-items/-/4896674669
■『日本史の誕生』(松岡正剛 千夜千冊)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1011.html

【十七条の憲法】
http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm
http://home.c07.itscom.net/sampei/17ken/17kenpo.html

『悠として其れ言を貴(わす)れ、功成り事遂げて、百姓、皆な我れを自然と謂う。』
http://www.netwave.or.jp/~m-kenji/page/rousi/rousi017.htm
じぱんぐ。w

 

お世継ぎ  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月29日(月)13時30分30秒
  八幡和郎『お世継ぎ――世界の王室・日本の皇室――』平凡社
を読まれた方、いらっしゃいます?
産経新聞に良書として紹介されていたので読んだのですが、強い違和感を覚えました。

天皇は十年で再選を
われわれの先祖は中国人や朝鮮人だった
頭の良い天皇はいないほうがいい
・・・などなど、不敬発言がどっさり。
 

『卑弥呼と日本書紀156』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月29日(月)12時49分32秒
  [承前]

 神武(じんむ)天皇の実名は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)だが、国風謚号(しごう)の〈磐余彦尊(いわれひこのみこと)〉に磐余(いわれ)地方の名が入っているのは、この磐余や磯城(しき)での戦いを記念したからかもしれないし、磐余が大和(やまと)朝廷にとって「重要な土地」だったからかもしれない。
 さらに、出身の秘密が磐余地方にあったからかもしれない。

 この土地は、のちに聖徳太子らが活躍した飛鳥(あすか)の隣接地である。
 神武天皇のこの名前の問題にも、古来諸説がある。


▽▽▽ 〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉の助け4 ▽▽▽
〔金の鵄(とび)の救援〕

 こうして〈磐余彦尊〉の一行は、大和平野を北上して、いよいよ、《大和》に君臨していた長髄彦(ながすねひこ)の軍勢と直接対決することになった。
 しかし、大阪湾から入って河内から生駒(いこま)を越えようしたとき、戦って勝てず、長兄の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)の命まで奪った強敵なので、たとえ太陽を背後にしたといっても、簡単には討伐できなかった。

 いくたび戦っても勝利できず、困惑しているとき、奇跡が起こった。
 天がにわかにかき曇って、雹が降ってきたかと思うと、金色の霊妙な鵄が飛翔してきて、〈磐余彦尊〉の弓の先に止まったのである。

 その鵄は光輝いて、稲妻のようであり、その光に撃たれて長髄彦の軍勢は目がくらんで混乱し、戦う気力も無くなってしまった。
 この現象も有名で、やはり昔の教科書の挿絵の定番であった。
 図6・4の左である。
 この金色の鵄にちなんだ勲章が「金鵄(きんし)勲章」で、いまは廃止されているが軍功抜群の軍人に下賜されていた(*)。

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H62-71.htm

 その奇跡が起こったのは、鵄の村がなまって鳥見(とみ)となっている場所で、図5・2の枠外のずっと北で、いまの奈良市西部の鳥見町や富雄元町のあたり(近鉄奈良線の富雄駅近く(**)らしい。

 奈良盆地を北へ一気に駆け抜けて長髄彦と対決したのだ。

(* 神武東征を助けた鳥に、〈八咫烏(やたがらす)〉と〈金鵄〉があるが、この二つはまったく性質が異なる。〈八咫烏〉は天皇の配下として記されているが、〈金鵄〉は光を放つ神秘の鳥である)

(** 現奈良市ではなく、《大和》の南端部にある神武天皇の神事で有名な鳥見山のあたり(現桜井市)だったのではないか――という気もしないではない)

[つづく]
 

独善的な大中華主義  投稿者:利亜  投稿日: 5月29日(月)00時14分57秒
  >彼のフルシチョフはこう言ったそうです。曰く、「万里の長城が支那の限界である」と。

ロシア語ですから「万里の長城が契丹(キタイ、支那のロシア語表記)の限界である」が宜しいかと(笑)


>長城の「内側」が本来の支那の疆域(きょういき)であって、「外側」は蛮夷の住む「化外(けがい)の地」。
故に、「中華人民共和国」は解体し、長城の内側を以て、新たな疆域とする支那国家に
再編すべきです。

内蒙古(もうこ)・満洲・台湾・雲南・ティベット・トルキスタンなどが該当しますね。
元々、彼らは中国人と一緒になりたい訳では無いですから…
朝鮮人は別かもしれませんがね
懸命に中国自身が呆れるほど中国化してきた歴史がありますから(苦笑)

しかし、当の彼らは中華民族になりたくもないのに問答無用で無理矢理取り込んでいますから当然ながら拒絶反応を起こしてますね。

このような独善的な中国が「民族自決」を主張しても説得力は皆無です。
 

ティムール朝  投稿者:利亜  投稿日: 5月29日(月)00時00分9秒
  >モグリスタン汗国(東チャガタイ汗国)の王女を娶った彼

ティムールは元々、東チャガタイ・カン国の君主、トゥグルク・ティムール・カン(彼の子孫が代々モグーリスタンを支配することになる)に仕えていたことが切欠(きっかけ)で大躍進しましたね。


>初代ティームールは、あれだけの大帝国を築きながら、終生、「ハーン」の
称号を名乗りませんでした。

ティムールは「カン」を名乗る実力がありながらも敢えてスルターン(王)やアミール(指導者)、キュレゲン(娘婿)辺りで満足していた(というよりせざるを得なかった)のでしょう。

ティムールより半世紀後に出現したオイラートのエセンは名目上推戴していた黄金氏族(チンギスの子孫)を皆殺しにしてカンを名乗りましたが結局、殺されてしまいましたね。(明側が黄金氏族のカンとエセンとの間に反感策を巡り合わせたのが切欠でしょうが)

ティムール亡き後のティムール帝国は彼自身が後継者に定めた孫のムハンマド・スルターン(一四〇三年に死亡)が健在であれば政権も揺るがなかったのかもしれません。
元々、彼はティムールが愛してやまなかった最愛の長男の忘れ形見でもあり、チンギス・カンの血を引く「貴種の中の貴種」でしたから(ちなみにハリルの時代に彼の子は名目上のカンとなる)

サマルカンドにある有名なグル・エミール廟でティムールは眠っていますが孫のムハンマド・スルターンも同じように眠っています。


勿論、実力が大きく物を言いますが母方とは言え、チンギス・カンの血を引いていることは後継者の主張する上での有形無形の恩恵を受けているはずです。

ティムールはムハンマド・スルターン亡き後は彼の異母弟ピール・ムハンマド・ジャハーンギール(同名の孫がいるため敢えてフルネームで記載)を後継者に指名しましたが結局、従兄弟のハリル・スルターンに取って変わられましたね。
ハリル・スルターン自身も同じ末路を遂げますが…
 

RE*2;遺棄化学兵器に新史実  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月28日(日)22時08分54秒
  >兵器が中国やソビエトに引き渡されていたならば、補償を求めてきた中国と日本外務省の
>姿勢が問われることになる。

日本政府・外務省の失態について「総括」する事は当然ですが、支那に対しても、虚偽による補償要求=資金・技術援助に対しては、しっかりと「利息」を加算した上で、返済要求を突き付けてやりましょう。

彼らが「払えない」のでは無く、「払わない」と言うのであれば、そうですね・・・大連(旧関東州)あたりを「差し押さえ」ますか?
 

RE:第二のティムール朝  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月28日(日)22時02分1秒
  ティームール(帖木児)朝は、初代のティームールが一大で築いた大帝国ですが、彼の死後、チンギス=ハーン(成吉思汗)の大帝国が、幾つものウルス(汗国)に分裂したが如く、サマルカンド・ヘラート・カブール等の要衝に拠った王族が後継者を自認して自立。バーブルもその争いの中で、北印度(インド)に新天地を求めざるを得なかったのでしょうね。

ところで、初代ティームールは、あれだけの大帝国を築きながら、終生、「ハーン」の称号を名乗りませんでした。彼が用いた称号は「キュレゲン」。和訳すると「娘婿(むすめむこ)」。モグリスタン汗国(東チャガタイ汗国)の王女を娶(めと)った彼は、モンゴル王家の「娘婿」を自認。弱体していたチャガタイ王家に代わって、中央アジアの統一を目指したのでしょう。
 

RE:竹下義朗様へ  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月28日(日)21時48分37秒
  ウイングさん

>フラッシュを見られたでしょうか。

生憎(あいにく)とまだ見ておりません(忙しかったもので)。
明日にでも見てみます。
 

RE:万里の長城  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月28日(日)21時46分43秒
  (か)のフルシチョフはこう言ったそうです。曰(いわ)く、「万里の長城が支那の限界である」と。

長城の「内側」が本来の支那の疆域(きょういき)であって、「外側」は蛮夷の住む「化外(けがい)の地」。故(ゆえ)に、「中華人民共和国」は解体し、長城の内側を以て、新たな疆域とする支那国家に再編すべきです。
 

RE:トラ・トラ・トラ!  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月28日(日)21時41分37秒
  大神さん、お元気そうで何よりです。

>実は、真珠湾に行っておりました。
>・・・戦後60年経過の締め括りに、戦艦ミズーリの甲板(かんぱん)から、
>烈士英霊の御霊(みたま)に黙祷を捧(ささ)げて参った次第です。

先般の神宮(伊勢)と言い、遠路ご苦労様です。

>「彼もまた、祖国を守る為に命を賭けた英雄です。彼は上官の指示に従ってここに
>来ただけです。もしかしたら私も君達に同じ命令を下していたかもしれない。
>・・・その時、願わくば君達も、彼の様な勇気を持って闘って欲しい。」

敵将とは言え実に天晴(あっぱ)れな物言いですね。
この敵将の爪の垢(あか)を、靖国参拝に対して物言う不逞の輩(やから)に煎じて飲ませてやりたいですね。

>もうひとつの話は・・・米国海軍潜水艦“BOWFIN”。

こう言うのを、「人道に対する罪」と言うんですよ>米国
「勝てば官軍」で驕(おご)っている米国ですが、彼(か)のルメイにしたところで、敗軍の将だったら、真っ先に「A級戦犯」として刑場の露と消えていた筈。勝敗は時の運。東條大将以下、「A級戦犯」として裁かれた方々は、あくまでも戦勝国による不当な裁判(もどき)によってレッテルを貼られ裁かれたのであって、日本国内法に於いては犯罪者でも何でも無い事を国民はもっと認識すべきと言えるでしょう。
 

RE:捏造の、歴史と事実とで、回る  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月28日(日)21時32分29秒
  >2審も軍人遺族の請求棄却 百人斬り「虚偽と言えぬ」

確か、司法は「疑わしきは罰せず」ぢゃありませんでしたっけ?
日本は、下は地裁から上は最高裁まで、機能不全を起こしていますね。
靖国訴訟一つとってみてもそうですが、「三権分立」の一つがアカに毒されています。

と言う訳で、「最高裁判所判事に対する国民審査」は毎回、きちんと各判事が関わってきた裁判での判断を精査しましょう。そして、「こやつは・・・」と言う者に対しては、はっきりと「NO」の意思表示をしましょう。
 

日本政府とひと括りか?  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月28日(日)13時19分55秒
  事務方である、お役人がかかえちょる事実と、その正論が、やっとオモテに出せるような政治体制になってきたということやろ。

いままで、さんざん蓋をして、頭おさえつづけてきた、売国屋本舗の連中の劣勢によって。
コイズミ君は、よおやってるよ。

イチロー軍の台頭は気ぃつけんとあかんやろねえ。
ありゃ、旧社会党勢力のやり口と、瓜二つや。

■第31回 小泉劇場の「軽さ」から小沢民主の「重さ」へ
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/31/

■第23回 ここまで鮮明になった米中両国の断層
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/23/

■2006年05月22日 「福田総理」実現へ本気で動き出したアカヒ
http://blog.livedoor.jp/asapykadan/archives/50015288.html

ネオ・コミンテルンの連動工作。
 

Re:遺棄化学兵器に新史実  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月28日(日)12時36分40秒
  北京政府がいちゃもんつけている遺棄化学兵器は、先方の要求に応じて日本軍が正式に引き渡したものだという話は、戦史に強い人たちが昔から言っていたことですよね。
それが最近になっていろんな具体的な資料が出てきたのはありがたいことです。
同時にこれまでの日本政府がいかにだらしなかったかも白日のもとに。。。
 

『卑弥呼と日本書紀155』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月28日(日)12時33分26秒
  [承前]

 香具山(かぐやま)の位置は図5・2にあるが、畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)とともに大和(やまと)三山とされる聖山である。

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H52-61.htm

 二人は敵軍のなかを怪しまれずに進み、ぶじ香具山の土を持って帰った。

 この土で土器を作って兎田(うだ)を流れる川(たぶん図5・2の右下の枠外を流れる宇陀(うだ)川)で天神地祇(あまつかみくにつかみ/てんしんちぎ)――すべての神々――に祈ると、いろいろな奇跡があらわれた。
〈磐余彦尊(いわれひこのみこと)〉は喜び、榊を立ててさらに諸神に祈った。

 これが、土器の皿や瓶に供物や御神酒(おみき)を盛って祈る「神社神事のはじまり」とされる。
 この神事をすませた〈磐余彦尊〉は、必勝の勢いで国見丘の八十梟帥(やそたける)を討った。

 このあたり、討伐のたびに、久米歌といわれる歌が、大伴(おおとも)氏一族にひきいられた久米部という一族の人たちによって謡われている。
 久米歌は現在でも宮内庁楽師が雅楽として演奏している。

 まだ残党がいたが、大伴氏の先祖たちが、酒を飲ませて酔ったところを退治した。


▽▽▽ 〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉の助け3 ▽▽▽
〔再度、八咫烏(やたがらす)の救援〕

 こうして〈磐余彦尊〉の軍勢は、いよいよ磐余地方に迫った。
 図5・3の右下部分に到着し、楕円で描いた磐余の地を目前にしたのだ。
 磐余には兄磯城(えしき)と弟磯城(おとしき)という首領がおり、彼らが八十梟帥たちを配下にしていたのだが、強敵であり従おうとはしなかったので、八咫烏に頼んで、空から帰順を呼びかけてもらった。

 すると、兄磯城は烏が不吉な声で鳴いている――と怒って矢を射た。
 八咫烏は逃げて、弟磯城の上で呼びかけたところ、弟磯城は恐れ畏んで、八咫烏に料理をふるまい、〈磐余彦尊〉に帰順した(*)。
 兄磯城はあくまでも逆らったが、〈磐余彦尊〉の軍は二手に分かれる作戦をたてて猛攻し、兵が疲労すると〈磐余彦尊〉が歌をつくって励ますなど、日本神話独特の歌の力を加味して、ついに兄磯城を平らげ、待望の磐余や磯城の地に進出することができた。

(* この〈八咫烏〉のエピソードも、〈八咫烏〉が紀伊半島または《大和》の近くの豪族であった事を示唆している)

[つづく]
 

遺棄化学兵器に新史実  投稿者:岩谷文太  投稿日: 5月28日(日)12時15分15秒
  中国における旧日本軍の化学兵器処理問題で最近ちょっと面白い動きがあります。ここで問題になっているのは、戦後中国に引き渡され、中国によって遺棄された化学兵器の処理すらも日本の負担で処理を行なっている可能性があるということです。これが立証されれば、中国に言われるままに金を出し続けて来た外務省の姿勢が問われることになります。

この「引き渡し文書」に関して報道してるのはフジサンケイのみ。他のマスコミはことごとく無視を決め込んでいますが、今後の展開が注目されます。


■旧日本軍化学兵器処理問題
 中国やソビエトに兵器が引き渡されたことを示す書類発見 (FNN 5/27 1:56)

http://www.fnn-news.com/headlines/CONN00090741.html

FNN HEADLINES

旧日本軍化学兵器処理問題 中国やソビエトに兵器が引き渡されたことを示す書類発見

05/27 01:56

旧日本軍が遺棄したとされる化学兵器について、兵器が引き渡されたことを示す書類が見つかった。この発見は国会でも取り上げられた。
旧日本軍が遺棄したとの前提で日本政府が資金や技術などを提供してきた化学兵器処理問題。
26日に行われた衆議院内閣委員会で、自民党の戸井田 徹議員はこの問題に疑問を示した。
戸井田議員は「手元にお配りいたしました引き継ぎ書にあります日本側と中国側の授者(受者)の署名・なつ印は、引き継ぎ者側の同意を得ていたことになります」と述べた。
戸井田議員が配った資料は、旧日本軍が中国やソビエトに化学兵器を正式に引き渡したとされる「兵器引き継ぎ書」。
ジャーナリストの水間政憲氏から提供されたものだという。
戸井田議員は「旧日本軍の化学兵器なども同じように引き継ぎ者側の同意を得ていたのであれば、当然、旧日本軍の化学兵器といえども、所有権は中国側に移行したものと理解しておりますけども」と述べた。
外務相の梅田邦夫参事官は「今この時点で明確なお答えをすることはできない」と述べた。
日本は1997年発行の化学兵器禁止条約に基づき、廃棄することが義務づけられている。
日本政府は2000年以降、970億円を投じて化学兵器の発掘、回収事業を実施。事業総額は2,000億円以上とみられている。
中国・吉林省敦化市ハルバ嶺には、遺棄化学兵器が30万発以上も眠っている。
中国やソビエトに化学兵器が引き渡されていた場合、遺棄したのは旧日本軍ではない可能性もある。
戸井田議員は指摘の意義を「中国との関係が変わってくる可能性がある」、「遺棄化学兵器に関しては、関係きちんと精査して、真実はなんだったのかということをそこに出せる資料なわけですよ」と強調した。
安倍官房長官はこの兵器引き継ぎ書について、「遺棄化学兵器が当該目録に記載されているかどうかが、1つある意味でポイントになる」と述べた。
日本政府も精査の必要があるとした兵器引き継ぎ問題。兵器が中国やソビエトに引き渡されていたならば、補償を求めてきた中国と日本外務省の姿勢が問われることになる。


■遺棄化学兵器に新史実!?
 史料精査し責任の所在明確に (フジサンケイ・ビジネスアイ 5/18)

http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200605180002o.nwc

『…国際社会の「ゲームのルール」では、遺棄化学兵器について、それを遺棄した国家がカネや技術などをすべて提供して廃棄する義務を負う。… ただし、それは日本が遺棄した化学兵器に限られる。終戦時に日本軍を武装解除した中国軍やソ連軍に化学兵器が引き渡されている場合、日本に化学兵器を廃棄する義務はない。

 『正論』六月号のグラビアには「旧日本軍兵器引継書」の写真が掲載されているが、そこには「四年式十五榴弾砲台榴弾」「四一式山砲榴弾甲」など秘密兵器概説綴と照合すると化学兵器とみられる事項が記載されている。政府は、今般水間氏が発見した史料と日本政府がこれまでに廃棄した遺棄化学兵器のリストを早急に照合して、重複が発見されれば直ちに遺棄化学兵器廃棄事業を凍結し、データを精査すべきだ。同時に外交ルートを通じ、ロシア政府に対して、ロシアが保管する旧日本軍の兵器引継に関するすべてのデータの提供を要求すべきだ。

 仮に日本政府が廃棄する義務を負わない、旧日本軍が中国やソ連に対して引き渡した化学兵器が、国民の税金を用いて廃棄されている事実が後に明らかになれば、日中関係に取り返しのつかない悪影響を与えることは必死だ。データの精査が真の日中友好に貢献する。水間氏の史料が国益に与える重要性について、外務省もマスコミも感度が鈍いようだ。 』



■< スクープ >
 “遺棄化学兵器”は中国に引き渡されていた
 ――残っていた兵器引継書 ジャーナリスト 水間 政憲 (正論6月号)

http://www.sankei.co.jp/seiron/mokji.html


■中国に兵器引き渡し文書発見なら日本の処理義務なし 担当室長  (産経新聞 2/25)
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1140805310


その他関連ニュース

■遺棄化学兵器:中国、新たな負担要求 処理施設計画は中断 (毎日新聞 5/24 3:00)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060524k0000m040139000c.html

遺棄化学兵器:中国、新たな負担要求 処理施設計画は中断

 旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器の処理施設建設をめぐり、中国側が新たな費用負担を日本に求め、計画が中断状態に陥っていることが23日分かった。日中両政府は昨年10月、建設の事業主体となる「日中連合機構」を設立し、早期着工を目指すことで合意しているが、中国側の新たな要求で機構設立の覚書締結のめども立たない状態だ。

 処理施設は中国吉林省ハルバ嶺に約3000億円をかけて建設する。日本政府関係者によると、中国は今年3月の協議で森林伐採を名目に追加費用を要求。建設予定地の森林が政府指定の保安林となっているため、「解除には日本側の負担が必要」と説明したという。

 これに対し、日本政府は「法令の根拠が分からず、中国の言うままに負担できない」(内閣府幹部)との立場。中国側から具体的な金額の提示もなく、真意を測りかねている。

 4月に現地視察した超党派の国会議員でつくる「日中新世紀会」の遠藤乙彦会長(公明党衆院議員)は「施設は危険を伴うため、地元では補償を求める声が強かった。伐採費用というより補償費という意味合いではないか」と語っている。

 97年発効の化学兵器禁止条約により、中国に残した遺棄化学兵器を07年4月までに廃棄する義務が日本に生じた。これを受け、04年4月に旧日本軍の遺棄化学兵器(推定30万〜40万発)の大半があるとみられるハルバ嶺に処理施設を建設することで日中両政府が合意。ところが、建設計画の滞りを受け、両政府は今年4月、処理期限を12年4月まで5年間延期するよう化学兵器禁止機関(OPCW)に申請した。【大場伸也】

毎日新聞 2006年5月24日 3時00分


■旧日本軍の遺棄化学兵器、共同処理機構設立で日中合意 (読売新聞 2005/12/03)
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1133575190

■遺棄化学兵器処理費 中国要求丸のみ巨額化
 法外な森林伐採代償/プール付き宿舎 (産経新聞 2005/11/03)

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1130966058

■遺棄化学兵器処理 中国案では1兆円超 施設分散を要求、膨張 (産経新聞 2005/6/22)
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1119399265

■中国の遺棄化学兵器処理施設、日本2000億円負担 (日経新聞 2005/06/06)
http://www.nikkei.co.jp/china/special/20050606c1e0500l05.html

(6/6)中国の遺棄化学兵器処理施設、日本2000億円負担

 日中両政府は5日、旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器の発掘・回収や廃棄処理を担う大規模施設を中国国内に建設する費用として、日本側が2000億円以上を拠出する枠組みを固めた。建設促進のための特別協定を今夏にも結び、事業に参加する日本を含めた外国企業への中国国内での課税などを優遇することでも合意した。日本政府は建設企業を選ぶ国際入札を年内にも実施する方針だ。

 日本政府は、遺棄化学兵器の大半が埋まっている吉林省ハルバ嶺に大規模施設の建設を計画している。事業規模は発掘・回収、保管関連施設が800億円前後で、燃焼などの方法で兵器を無害化する廃棄処理施設が千数百億円以上。両事業を合わせると建設費だけで2000億円を上回り、日本が海外で実施する事業としては過去最大規模となる。回収が長期化すれば、日本の負担がさらに膨らむ可能性もある。

 

第二のティムール朝  投稿者:利亜  投稿日: 5月27日(土)23時05分59秒
  それはムガル帝国

創始者はティムール朝の王族の一人であるザヒール・ウッデーン・ムハンマド・バーブルです。

彼が中央アジアでのティムール朝王位継承戦での内紛に敗北し、中央アジアでの活動に見切りをつけ単なる略奪の場としか見ていなかったインドで再現(実質、創建)した政権は普通「ムガル帝国」と呼ばれます。

これはバーブルが父方は『ティムール』、母方は『チンギス・カン』の血を引いていると宣伝した為。

面白いことに彼自身はムガル(モンゴル)と呼ばれることを忌(い)み嫌っていました。

このムガル朝の創設者はバーブルはその豊かな文才で書かれた有名な『バーブル・ナーマ』でインド人を嫌っていた(一例として、食べ物がまずいこと、インド人の気難しい性格を挙げている)ことで有名です。

インドの好ましい点として挙げているのは土地が広いこと、雨季があること、金銀財宝、多数の職人があることを述べている。

バーブルは当時、ヒンドゥースタンを支配していたデリー・サルタナット(スルターン政権)最後の政権ロディー朝の内紛に漬け込みデリー西北のパーニーパットという所で戦いました。

インドを支配した集団はイギリスを除きほぼ西、若(も)しくは中央アジアから侵入した者たちでした。

だから、インドでは西北での防衛に力を注いでアフガニスタンに存在したイスラム政権であるゴール(後にインドでのイスラム支配を固定化させた要因)朝等の侵入を度々(たびたび)防いだりしました。

彼は前述したロディー軍とパーニーパットで戦い見事勝利を納め、北インドを支配し、ムガル帝国を創始しました。

ムガル軍はロディー朝の軍隊に比べ数では劣りましたが(ムガル軍が一万二千の兵力に対し、ロディー軍は約十万の兵力差があった。多少、誇張があると思われる)

この戦いでムガル軍が勝利したのはバーブル自身の指導力は勿論のこと、中央アジアでの戦争を戦い抜いた精鋭の騎馬軍団、そして当時の画期的な最新兵器であるキャノン砲を用いたことで少ない兵力でありながら大多数の敵軍に勝利できました。

日本の織田信長の桶狭間(おけはざま)の戦いを連想させる戦いでありました(時代的にも近いです)

バーブルはこの戦いでスルターン(イスラム世界の世俗君主)を初め多数のロディー軍を倒し、勢いに乗ってデリー、アーグラを陥落させ北インドを支配ムガル朝が創始されました(一五二六)

その後、バーブルは各地を転戦とし、勝利を上げ領土を拡張しましたが北インドでの酷暑が彼を蝕んだのか四年後の一五三〇年に亡くなりました。

冷たいせせらぎ流るるアフガン台地で故郷である中央アジアを想い、一切れのマスクメロンに涙したというムガル皇帝バーブルは現在のアフガニスタンのカーブル郊外の険(けわ)しい岩山に静かに眠っている。


彼自身が忌み嫌っていたインドでの亡命政権が子孫たちの手で大いに栄えたのは歴史の皮肉なのでしょう・・・・
 

渋谷赤化工作電波教会  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月27日(土)16時11分4秒
  ■NHKと朝日新聞の人事異動  2006-05-27
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9b1900c520df5d861c9cb7d2cc9a9b16

>永田氏は、ドキュメンタリストとしては有名な人でした。長井氏は、NHKの「チャイナスクール」の1人。このグループのリーダーであるI女史(当時NHKエンタープライズ21)は、「女性国際戦犯法廷」を主催したVAWW-NETジャパンの発起人です。

>つまり問題の番組は、主催者側の1人がNHKの内部にいて、ドキュメンタリー・ジャパンに提案させて「採択」した、という八百長(やおちょう)みたいな話なのです。だから内容のチェックがきかなかったのは当たり前。

■朝日新聞虚偽報道問題
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/cat5/index.html

【月刊 WiLL】2006年7月号
http://web-will.jp/latest/index.html
■匿名内部座談会 朝日新聞社会部大粛清の真相

朝日の「ネオ・コン」=「ネオ・コミンテルン」。
 

『卑弥呼と日本書紀154』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月27日(土)12時27分36秒
  ■■■■■ 六・四 〈饒速日命(にぎはやひのみこと)〉の帰順と狭井川(さいがわ)の恋歌 ■■■■■


◆◆◆ 第一代(初代) 神武(じんむ)天皇の物語(2)――苦戦を制して大和(やまと)進出に成功―― ◆◆◆


▽▽▽ 〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉の助け2 ▽▽▽
〔天香具山(あまのかぐやま)の土で救われる〕

 兎田(うだ)の首領は兄猾(えうかし)・弟猾(おとうかし)だったが、兄猾の悪巧(わるだく)みを弟猾が知らせたので、無事にすんだ。
 そのあと〈磐余彦尊(いわれひこのみこと)〉は隣接する吉野の地を視察し、井戸の中に棲(す)んで光った身体で尾のある井光(いひか)や岩の中にいた尾のある磐排別(いわおしわく)を帰順させた。
 また阿太(あた)という地方にも行った。ここは現在の五條市の東部で、図5・2の左下の枠外にある。

 それから兎田に戻って高倉山(宇陀(うだ)郡にある山)の上から《大和》を眺めると、国見丘には八十梟帥(やそたける)の軍がおり、磐余(いわれ)には兄磯城(えしき)の軍がおり、また弟猾の知らせで、磯城には磯城八十梟帥が、高尾張には赤銅八十梟帥がいて、容易なことでは《大和》に進出できないことが分かった。

 ここで八十梟帥とはたくさんの武人といった意味である。
 磐余(いわれ)と磯城(しき)は地名で、図5・3に描いておいたが、これはごく大まかな位置である。

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H52-61.htm

 国見丘は高倉山と桜井市の間にある山、高尾張も地名で、図5・2の左下の葛城(かつらぎ)地方(金剛山地の東側の御所(ごせ)市やその南北の広い地域)らしい。
 兄磯城は磯城の首領という意味で、磯城から磐余に出て陣地を張ったのであろう。

 悩んだ〈磐余彦尊〉が祈ると、また〈天照大神〉が夢に現れて、
「天香具山の土を取って土器の皿や酒瓶(さかびん)を作って祈りなさい」
 ――といわれた。
 そこで、九州の豊予海峡で味方につけていた椎根津彦(しいねつひこ)を老夫に化けさせ、兎田で帰順させた弟猾を老婆に化けさせて香具山に派遣した。

[つづく]
 

竹下義朗様へ  投稿者:ウイング  投稿日: 5月27日(土)08時32分1秒
  フラッシュを見られたでしょうか。朝鮮自民軍のダラケぶりが書かれていますよ。  

Re:各紙の報道や論説が、まるで戦時中のように一致  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月26日(金)17時45分40秒
  天気予報と同じですね。
当たるときはどの局のどの予報士も当たるし、当たらないときはどの局のどの予報士も当たらない。
気象予報の独自性がまったくありません。
 

『各紙の報道や論説が、まるで戦時中のように一致』  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月26日(金)14時31分49秒
  ■新聞の「特殊指定」はなぜ必要なのか 2006-05-26
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5138f84c1fafb6dbb609f23e4093864c

>何よりも異様なのは、この問題をめぐる各紙の報道や論説が、まるで戦時中のように一致していることだ。「新聞協会としては各社に意思統一を求めていない」とのことだから、なおさら異様だ。「他の業界の規制についてはきびしく批判する新聞が、自分の業界については甘いダブル・スタンダードだ」と見られることが、新聞の信用を傷つけていることを自覚すべきである。

■大麻日新聞社の場合 ―今までなにを報じてきたのか―
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/virus/v-asahi.html

■「大麻日報道」を検証する ―その罪を考えて欲しい―
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/asahi-hanzai/frame1.html

【月刊 WiLL】2006年7月号
http://web-will.jp/latest/index.html
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【総力特集】新聞の恥部
■匿名内部座談会 麻日新聞社会部大粛清の真相
■山際澄夫 麻日新聞がお手本!? 地方紙の偏向報道
■佐藤薫 「特殊指定堅持」とは片腹痛い
 地方読者から徴収していた「上乗せ配達料金」
■編集部 A@A60店に新聞料金を聞いてみました
■河村慶彦 アガリクス、インチキ商法 片棒かついだ麻日、埋日、嫁売

■屋山太郎 ゼニに眩んで国を売るのか 経済恫誘会
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2006年05月20日【活字利権】朝日「全政党が特殊指定廃止反対」だから何?(上)
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/50565880.html
2006年05月21日【活字利権】朝日「全政党が特殊指定廃止反対」だから何?(下)
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/50567278.html

【常に北京の顔色をうかがう外務省の優柔不断さ】
http://www.sankei.co.jp/news/060526/morning/column.htm

産経抄

平成18(2006)年5月26日[金]

 因縁をつける、とはまさにこのことだ。中国の駐大阪総領事が、わざわざ鳥取県庁まで出向き、「いかなる形の政府レベルの往来もすべきではない」と片山善博知事に台湾との交流をやめるよう文句をつけた。

 ▼地方自治体に過ぎぬ鳥取県を政府というのは、まったく話にならない言い掛かりだが、相手が悪かった。知事は「どこと交流しようと問題はない」と、おひきとり願ったという。

 ▼中国政府は「一つの中国」と主張しているのだから、鳥取と台湾の人たちが交流するのは「日中友好」の精神にかなうと喜んでいいはずだ。仲の良い人々を邪魔するとは了見違いもはなはだしいが、この因縁戦術、かなり効いているから始末が悪い。

 ▼というのも、台湾と姉妹都市の縁組をしている主要都市は岡山だけ。東京をはじめ台湾出身者が多い横浜、神戸も中国には姉妹都市があるのに、台湾には一つもない。米国のサンフランシスコやロサンゼルスが台北、ポートランドが高雄と姉妹都市の協定を結んでいるというのにだ。中国は黙認である。

 ▼この現実は、交流協会台北事務所長を昨年まで務めた内田勝久氏の「大丈夫か、日台関係」(産経新聞出版)から教えてもらった。著者が「台湾大使」時代を振り返った回顧録で、森喜朗元首相が訪台した際、「出迎え見送りまかりならず」と本省が訓令を打電したことや、李登輝前総統の訪日顛末(てんまつ)など、日台外交の舞台裏もつづられている。

 ▼常に北京の顔色をうかがう外務省の優柔不断さもよくわかるが、日台関係強化のため外務省に中国課から独立した台湾課の新設を求める著者の提案は傾聴に値する。その内田氏は昨年末、病に倒れ、本の後半は病院で書いたという。一日も早い回復をお祈りしたい。


◇麻秘網
http://asahi-net.jp/companyinfo/history.html
シナLAN侮るなかれ。

 

『卑弥呼と日本書紀153』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月26日(金)12時58分12秒
  [承前]

 この霊剣で助けられた一行は山中を進もうとしたが、険阻で道もわからない。
 そこでまた天の〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉が助けを出して、道案内の八咫烏(やたがらす)を遣(つか)わした。
 八咫の咫とは親指と人差指を拡げた長さで、二十センチ弱だから、八咫は一メートル以上となる。
『古事記(ふることふみ)』では八咫烏だが『日本書紀(やまとのふみ)』では頭八咫烏のなっていて、羽の長さではなく頭の大きさが八咫とされている。超巨大な烏である。

 もちろんこれは一種の修辞で、大きくて立派という意味であろう。
 一般には、天地(あめつち)の初めの神のお一人である神皇産靈神(かむみむすびのかみ)の孫の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身または称号とされており、その孫が、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)となっていて、賀茂県主(かものあがたぬし)の祖とされている。

 また熊野にある熊野神社の神事にも、日神祭祀(さいし)のトーテムとして登場するし、八咫烏神社という神社もある。

 八咫烏神社の由緒譚(たん)では、賀茂県主の祖が黒い衣装を着て木から木へと飛び移りながら一行を案内したので、〈磐余彦尊(いわれひこのみこと)〉が「まるで大きな烏のようだ」と言われ、そこから出来た称号だとされている。

(拙著『女性天皇の歴史(栄光出版社)』参照/〈八咫烏〉の足が三本あったという俗説が最近流行しているが、史料に基づくそれへの反論をこの書に記しておいた。この掲示板でも連載した)

 熊野神社を根城とする熊野一族は、物部(もののべ)一族などとならんで〈饒速日命(にぎはやひのみこと)〉の子孫――つまり〈天照大神〉の子孫――のひとつとされ、独自の文化をもった豪族である。
 八咫烏の道案内は、この熊野一族が早期に大和(やまと)朝廷に帰順したことを示しているともされる。

 そのほかいろいろな説があるが、とにかく天皇の配下につけられた綽名(あだな)の一種とするのが、昔からの解釈らしい。
 この有名な神話は、昔の小学校の国史の定番であり、かならず挿絵があった(図6・4)。

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H62-71.htm

 この八咫烏に導かれて、天孫降臨以来の直参豪族である大伴(おおとも)氏の先祖たちが先頭にたって険しい山道を進み、ついに兎田(うだ)に達した。
 兎田はいまの宇陀郡で、図5・2の右下に記入してある。奈良盆地の南端部に近い山地である。
 ようやくにして〈磐余彦尊〉一行は、太陽を背にする南東の側から、《大和》にたどりついたのだ。

(このあたりからは、図5・2や図5・3の地図を参照しながら読んでいただきたい)

[次ぎは「第六・四節 〈饒速日命〉の帰順と狭井川(さいがわ)の恋歌」]
 

(無題)  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月26日(金)12時52分17秒
  『東京大空襲・戦災誌』の第五巻の冒頭部分。  

(無題)  投稿者:はにぃ  投稿日: 5月26日(金)00時57分37秒
  >昔、家永三郎などと座談して、
>「金持ちの家が焼けるのを見て嬉しかった」
> ――という意味のことを楽しそうに語っていました。


どこのどいつですか?名前をば・・・・
 

万里の長城  投稿者:利亜  投稿日: 5月25日(木)23時05分13秒
  秦王政(始皇帝)が遊牧の民である匈奴から強奪した領土を保持することを目的に作られた今で言う国境です。

元々、長城は戦国七雄(秦・楚・斉・趙・魏・燕・韓)がそれぞれの境界線として作られたのが起源とされている。

始皇帝は中華統一を成し、有名な度量衡(どりょうこう)や漢字の統一(七雄はそれぞれ違う、字や銭を用いた)匈奴との国境に接する秦、趙、燕の長城は防衛の為に残しそれ以外の長城は政治を行う意味で邪魔になるので破壊しました。



現在の長城は煉瓦(れんが)で覆われた長城をイメージしますがこれは明代の物で秦・漢時代の長城は2〜3メートルぐらいの土の壁だったそうです。
元々、漢字の「城」は「土を固めて成る」と言う合成字なのだそうです。



しかし、長城の補修のために2千年もの間、多くの人々や自然を犠牲にしながらも歴史を見ると遊牧民の前には「無いよりもマシ」程度の物であまり役にたいませんでしたね。


まあ、意識の境界線と言ったほうが正確でしょう。

本当に役に立っていれば所謂(いわゆる)、中国の他称である拓跋(タヴガチュ、北魏、北周・北斉、隋・唐は支配者の名称は違うが血統的には一貫性がある、リーダー即ち<皇帝>が交代しただけで体制に変化はない。我が国での政権交代のようなものだと思えばいいでしょう。)契丹(キタイ)など遊牧民に起源がある名称で「中国」を意味する名称にはならなかったでしょう。


日本の場合は「海」と言う自然の国境があるお陰で豊かな文化を創り上げることができましたが。
 

偶然・・・  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月25日(木)21時25分50秒
  原宿駅付近で、火災とのこと。

◇火災情報
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/fire/
◇放火
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/incendiarism/

■イスタンブール空港の貨物用施設で大規模火災(読売新聞) - 5月25日1時32分更新
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/turkey/

■日本の米関連施設にテロ攻撃可能性…米大使館(読売新聞) - 5月24日21時7分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060524-00000313-yom-soci

日本の米関連施設にテロ攻撃可能性…米大使館

 在日米国大使館は24日、日本国内の米国関連施設に対するテロ攻撃の可能性があることを明らかにし、在日米国人に警戒するよう呼びかけた。

 同大使館ホームページ上に掲載されたメッセージによると、テロなどの「脅威」に関する情報の確度は「まだ不明」としているが、特に米国の祝日である29日の戦没将兵記念日を中心に、日本在住米国人に注意を促すとともに、「米政府当局に対するあらゆる疑わしい活動」を報告するよう求めている。

 米国大使館のメッセージについて、安倍官房長官は24日夕の記者会見で、「メッセージは承知している。現時点では、国内で国際テロによる攻撃が行われるという特定の具体的な情報は把握されていない」と語った。

(読売新聞) - 5月24日21時7分更新


http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/terror_in_japan/

 

原宿の大空襲  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月25日(木)13時15分21秒
  ■昭和二十年五月二十六日の蛮行

 私の祖父は幕末の生まれですが、日清・日露の両戦役に軍医として従軍しまして、その後は東京の原宿で医院を開業し、貧しい人からお金をとらない医者として親しまれていました。
 戦争が激しくなってから、父が疎開を勧めましたが、「こんな所に爆弾が落ちる筈はない」といって疎開しませんでした。
 父は浅草の隅田川に近い場所で開業していた歯科医で、原宿から毎日通っておりました。

 やがて昭和二十年の三月十日になり、父の歯科医院は消滅しました。
 幸い父は疎開していて無事でしたが、行ってみると、隅田川に無数の死体が浮いていたそうです。

 やがて五月二十五日夜(つまり今夜ですね)になり、ついに東京原宿が空襲を受けました。
 当時、祖父は八十五歳、祖母は八十歳でしたが、焼けていなかった隣町の千駄ヶ谷に、何とか逃げ延びました。
 ところがその翌日の二十六日の夜、大勢の人が逃げていたその千駄ヶ谷めがけて爆弾の雨が降り、祖母はなんとか逃げましたが、祖父はそこで焼死してしまいました。
 これは明らかに、民間人を狙った大量虐殺行為でした。
(民間人だけが住んでいる場所の周囲に爆弾を落として逃げられないようにしてから皆殺しにする手口は、米軍もよく使っていたようです)

 父が疎開先の埼玉県から駆けつけて祖母を見つけましたが、祖母はのどがからからに渇き目もよく見えないような状態だったそうです。
(関東大震災で逃げた人の話を読んでも、のどが渇いた話と目が見えなくなった話が多いですね)
 やがて祖父の遺体を見つけて、生きのびた人たちと協力して板きれを集め、何人かのご遺体を一緒にして火葬にしたそうです。

 空襲であっても、遺体は火葬場に運ぶことになっていたのですが、三月の下町大空襲によってそれが不可能になったため、その場で火葬にしてよい――というお触れが出ていたそうです。

 しかし素人が板きれを集めたくらいで、人間の遺体が簡単に灰になるはずはありません。
 いくら焼いても灰にならず、とくに腸の部分が焼けず、とても困った――と父はよく言っておりました。
 まさに地獄図であります。

 何年か前、東京都の予算で反日的な空襲記念施設が出来そうになり、反対運動が起こったことは記憶に新しいのですが、その時施設推進運動の側にいた某氏は、昔、家永三郎などと座談して、
「金持ちの家が焼けるのを見て嬉しかった」
 ――という意味のことを楽しそうに語っていました。
 それを読んだとき、心が寒々といたしました。
 そういう人たちが、あの運動をしていたのです。
 

『卑弥呼と日本書紀152』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月25日(木)12時54分46秒
  [承前]

▽▽▽ 熊野まわりの作戦 ▽▽▽

 竃山(かまやま)まできたとき、長兄の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)は、長髄彦(ながすねひこ)軍の流れ矢でうけた傷が悪化して、亡くなられ、この場所に葬られた。
 竃山はいまの和歌山市であり、彦五瀬命を祀(まつ)る神社がのこされている。

 この近くで名草戸畔(なぐさとべ)という者を討ち、紀伊半島を廻って熊野に至り、今の新宮(しんぐう)市のあたりの海路を進んだ。
 そのとき、暴風に遭遇して、船は大揺れとなった。

 すると次兄の稻飯命(いないいのみこと)とつぎの三毛入野命(みけいりののみこと)は、「母は海神(わだつみ)の娘なのに、どうしてこんな目に遭うのか」といって、海に入ってしまった。
 稻飯命は鮫(さめ)の神となり、三毛入野命は常世国(とこよのくに/遠い不老国)に行かれた。
 結局、三柱の兄神はすべて薨去(こうきょ)されてしまったことになる。

 兄たちを失った〈磐余彦尊(いわれひこのみこと)〉は、皇子(みこ)の手研耳尊(たぎしみみのみこと)と二人で軍勢をひきいて、熊野の荒坂津(あらさかのつ/三重県の度会郡のあたりらしい/図6・3参照)に上陸し、ここで丹敷戸畔(にしきとべ)という者を討ったが、そのとき軍勢は毒気にあたってみな倒れてしまった。
 危機の連続である。


▽▽▽ 〈天照大神〉の助け1 ▽▽▽
〔霊剣と八咫烏で救われる〕

 このとき、〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉は布都御魂(ふつのみたま)という霊剣を天から授(さず)けられた。
 すると全員が眠りから醒め、元気になった。
 この霊剣は、伝えられるところでは、先に經津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)が出雲(いずも)の〈大己貴神(おおなむちのかみ)〉に国譲(くにゆず)りを迫ったときに、その切っ先の上に乗ったという、有名な剣である。

 この霊剣の『日本書紀(やまとのふみ)』での名は難しい文字(韴霊)なので『古事記(ふることふみ)』にしたがったが、のちに物部(もののべ)一族に恩賞として与えられ、天理市にある《石上神宮(いそのかみじんぐう)》に奉納されて祭神となった。

 そして、戦乱の世の略奪から守るために拝殿後方の禁足地に埋められていたのを、明治になって発掘し、あらためて社殿を建てて奉祭した。
(この話はのちに詳しく述べる)

 もちろん学問的な同定は不可能だが、神話のなかの剣や鏡や神社が現存していて、今でも神話の神々の子孫が拝んでいるという事実は、日本の歴史の、世界でも稀(まれ)な長期継続性を示している。

[つづく]
 

捏造の、歴史と事実とで、回る  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月24日(水)20時18分0秒
  ■2審も軍人遺族の請求棄却 百人斬り「虚偽と言えぬ」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060524-00000193-kyodo-soci

2審も軍人遺族の請求棄却 百人斬り「虚偽と言えぬ」

 日中戦争時に「百人斬(ぎ)り」をしたと虚偽を報道されたとして、旧日本軍少尉2人の遺族3人が朝日、毎日両新聞社と元朝日新聞記者の本多勝一さんに総額3600万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は24日、請求棄却の1審東京地裁判決を支持、遺族側の控訴を棄却した。遺族側は上告する方針。

 石川善則裁判長は判決理由で「日本刀の性能などから記事中の殺傷数などは信じられないが、2人が記者に話した内容が報道のきっかけになっている。当時『百人斬り』と報道される競争をした事実は否定できず、記事は虚偽とは言えない」との判断を示した。

(共同通信) - 5月24日18時14分更新


【裁判】 「殺傷数など信じられないが、百人斬り競争の記事はウソと言えぬ」…2審も朝日・毎日・本多勝一氏ら勝訴
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1148467283/

■「靖国は不幸なこと」 リー氏が小泉首相に(共同通信) - 5月23日13時5分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060523-00000093-kyodo-pol

「靖国は不幸なこと」 リー氏が小泉首相に

 小泉純一郎首相は23日午前、官邸でシンガポールのリー・クアンユー元首相と会談した。元首相は、首相の靖国神社参拝について「(日中、日韓関係の)基礎は強いが、靖国問題は不幸なことだ」と懸念を表明、その上で「アジアとの経済関係や人とのつながりを乱すものではない」とも指摘した。

 小泉首相は会談後、記者団に「元首相から靖国も中国が心理的なプレッシャーをかけているだけで、日中友好の底流は変わらないと(言われた)。わたしもその通りだと思う」と述べた。

(共同通信) - 5月23日13時5分更新


■シンガポール元首相と会談、「日中友好の底流変わらず」で一致=小泉首相(ロイター) - 5月23日15時31分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060523-00000354-reu-int

シンガポール元首相と会談、「日中友好の底流変わらず」で一致=小泉首相

[東京 23日 ロイター] 小泉首相は23日午前、官邸内でシンガポールのリー・クアンユー元首相と会談した。元首相が、靖国問題は中国が心理的なプレッシャーをかけているだけで、日中友好の底流は変わらないと述べたのに対し、小泉首相は「私もその通りだと思う」と答えた。小泉首相が会談後、官邸内で記者団に明らかにした。

 外務省によると、会談では冒頭、小泉首相が最近のシンガポールの総選挙における勝利に祝辞を述べた。また両国の外交関係40周年にあたり、天皇皇后両陛下の6月訪問が2国間関係のさらなる発展の契機となることを期待する、と伝えた。

(ロイター) - 5月23日15時31分更新


凶働と露板の同じ事実内容のはずの報道記事、よく比較されたし。
凶動の事実の捏造がよくわかるだろう。

■防衛長官装いウイルスメール…中国のサーバー経由も(ZAKZAK 2006/05/24)
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_05/t2006052431.html

防衛長官装いウイルスメール…中国のサーバー経由も

 防衛庁の額賀福志郎長官や航空幕僚監部広報室が発信したように装った偽の電子メールが今月中旬、不特定多数のネット利用者に送り付けられていたことが24日、分かった。添付ファイルを開くとウイルスに感染する恐れがあるという。

 一部は中国のサーバーを経由。防衛庁は中国人ハッカーが関与している可能性もあるとみている。着信しなかったメールが空幕広報室などに大量に返信されており、防衛庁は近く偽計業務妨害容疑で警視庁に被害届を出す方針だ。

 空幕によると、偽メールには額賀長官の事務所や空幕広報室の実際のアドレスが送信者として表示されていた。件名は「第16駆逐戦隊の3週間」で、中国のサーバーを経由していることが確認されたほか、「付属のファイルに見てください」など本文の日本語表現に誤りがあった。

 添付ファイルを開かせるよう仕向けており、ウイルスに感染させて同様の偽メールを、受信者のパソコンに登録してあるアドレスに送信させる仕組みとみられる。

ZAKZAK 2006/05/24

 

愚者は経験に学ばない。  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月24日(水)17時36分15秒
  >「ビスマルクはこう言ったそうだ。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

しかし、いまや、歴史は捏造だらけだ。

歴史とはなにか    文春新書 岡田 英弘(著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166601555
世界史の誕生    ちくま文庫 岡田 英弘(著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480035044
日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った    叢書 日本再考 岡田 英弘(著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896674669

松岡正剛の千夜千冊『日本史の誕生』岡田英弘
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1011.html

事実と虚構の分別をつけよ!!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569640907

■ドイツ首相、中国民主活動家らと面会【大紀元日本5月24日】
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/05/html/d81951.html

■「中国農民調査」著者:「ドイツは中国民主活動家の状況を重視している」【大紀元日本5月23日】
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/05/html/d13052.html

■焦国標氏:西側首脳との面会は、中国民主勢力を勇気付ける【大紀元日本5月21日】
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/05/html/d94106.html

■前北京大学・焦国標教授来日、中共当局の言論統制を批判【大紀元日本3月1日】
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/03/html/d70878.html

やはり、腰が引けてる親中媚中派。

■分かれる反体制派知識人の身の処し方(2006/03/28(火) 12:19:22更新)
 中国を読み解く視点(2)−T井潔司(ペ海道大学教授)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=0328&f=column_0328_002.shtml

胡散臭(うさんくさ)いやつ。

『「中央宣伝部」を討伐せよ! 』焦 国標(著), 坂井 臣之助 他(翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794213395
『中国農民調査』陳 桂棣(著), 春桃(著), 納村 公子(翻訳), 椙田(くすだ)雅美(翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163677208
 

『卑弥呼と日本書紀151』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月24日(水)12時30分59秒
  [承前]

 こうして、〈饒速日命(にぎはやひのみこと)〉と〈磐余彦尊(いわれひこのみこと)=神武(じんむ)天皇〉との、《大和(やまと)》をめぐる覇権争いが始まる。

〈磐余彦尊〉一行は、途中いろいろな事はあったが、とくに困難はなく、図6・3の経路を通って吉備(きび)の国まで着いた。いまの岡山県である。

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H62-71.htm

 ここに三年ほど滞在して船や武器や食糧を調達し、浪速(難波 なにわ)の湾に入り、河内国(かわちのくに)の草香邑(くさかのむら/東大阪市の日下(くさか)あたり)に達して上陸した。
 日下というと、大阪府と奈良県の境の生駒(いこま)山地のすぐそばだが、前記のように汽水湖が深く入り込んでいたので、古代にはこのあたりまで船で行けたのである。


▽▽▽ 長髄彦との戦い ▽▽▽

〈磐余彦尊〉はそこから陸路を東に進んで生駒山地を越えようとしたが、そこで長髄彦(ながすねひこ)の激しい抵抗にあった。
 生駒越えの場所は、上陸地点のすぐそばで、現在の近鉄奈良線のトンネルの東大阪市側にあたり、物部(もののべ)氏の本拠のひとつとされる石切(いしきり)町の石切神社の近くだったらしい。
 図5・2でいうと、左上枠外の「生駒」という文字のすぐ右のあたりである(図5・1も参照されたい)。

 長髄彦はこの地に古くから勢力をもっていた物部一族の先祖――つまり〈饒速日命〉一族――だから、抵抗するのは当然のことで、〈磐余彦尊〉の軍勢は大苦戦となった。
 そこで秘策をめぐらし、

「日神の子孫でありながら、太陽に向かって戦っているのはまずい。いったん下がって太陽を背にして戦うことにしよう」

 と、紀伊半島に沿って船で南下をはじめた。

[つづく]
 

伊勢神宮崇敬会(および神宮会館)行事予定  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月24日(水)12時24分50秒
  ◎6月18日、19日
 第29回神恩感謝祭

◎9月30日、10月1日
 第11回崇敬会員研修会

◎10月15日、16日
 神嘗(かんなめ)祭奉祝外宮(げくう)領初穂曳(はつほひき)

◎5月21日〜23日
 10月29日〜31日
 3月11日〜12日
 第16回〜18回お伊勢さん125社まいり

◎6月16日
 月次祭・神嘗祭奉拝(内宮(ないくう)
◎10月15日
 月次祭・神嘗祭奉拝(外宮・初穂曳参加者)
◎12月16日
 月次祭・神嘗祭奉拝(内宮)

◎4、1月を除く毎月1日(8、10月は開催日変更)
 お神楽(かぐら)奉納と神宮茶屋の拝観

◎11月中旬〜12月上旬
 第52回伊勢神宮新穀感謝祭

◎5月19日、20日(個人会員)
 5月27日、28日(維持会員)
 一日神領民お木曳(きびき)行事参加

◎7月1日〜20日
 文月ゆったり宿泊プラン(神宮会館)

◎7月31日、8月1日
 八朔(はっさく)まいりとお水汲(く)み(神宮会館)

◎12月21日、22日
 冬至まいりと注連縄(しめなわ)つくり体験(神宮会館)

◎2月1日〜28日
 伊勢詣 お値打ち宿泊プラン(神宮会館)

◎11月12日、13日
 次期御遷宮御敷地清掃奉仕(外宮)(神宮会館)

◎10月5日、6日(第9回)
 2月17日、18日(第10回)
 お伊勢さん正宮・別宮まいり(神宮会館)

◎9月1日〜30日
 女性限定レディースプラン(神宮会館)

◎1月11日
 新春初参宮と一月十一日御饌奉拝(神宮会館)

 連絡先は 0596-24-7162。入会は簡単で会費も安いです。
(わたしは参加したことありませんけど、毎月のように面白そうな行事があります)
 

源田実論  投稿者:三保 平清  投稿日: 5月24日(水)11時28分22秒
  先の大戦において、源田実は常に華やかな部署にいた。誰も知らぬ者はいない。そして戦争末期のあの「三四三空」の紫電改部隊の活躍は有名だ。しかし「三四三空」は源田司令だから、強かったのではない。かつては、源田実に異を唱える人は少なかった。しかしその人間性には、とかく横柄(おうへい)なところがあったようだ。ある人が書いていた。報告があって、まず敬礼して申告したのに、源田参謀は答礼も返さずに、その人を睨(にら)みつけたとか。そして、航空畑でありながら、日本の戦闘機の発展を一時阻害した。「戦闘機無用論」。「柴田武雄」と激論になった。そして「零戦」の根本的改造強化も反対した。曰(いわ)く、必要なのは精神力だ。

『第二次世界大戦記 ネイヴィーアラカルト』
http://www02.so-net.ne.jp/~kasumi/Navy.html

そして戦後は航空自衛隊に入り、航空幕僚長になった。その時あの鬼畜「カーチス・ルメー」に勲章の提案をした?本当ならば、「海軍の辻政信」と呼ばれる所以(ゆえん)であろう。参議院議員になって何をしたのだろう。

『源田実 Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%94%B0%E5%AE%9F

 

おさらい  投稿者:大神 正念  投稿日: 5月24日(水)00時21分31秒
  (ちな)みに、米国最後の戦艦ミズーリについておさらいです。

昭和19年1月29日進水式。処女航海の進水式を先導したのが、当時ミズーリ州の国会議員であったハリー・トルーマンの愛娘(まなむすめ)マーガレット・トルーマンでした。そう、後の米国大統領トルーマンの娘です。

昭和19年12月24日、パールハーバーに寄港。

昭和20年2月19日、硫黄島上陸作戦に参加。同3月沖縄攻撃作戦に参加。4月、沖縄上陸作戦の際、艦砲射撃を行う。

昭和20年8月29日東京湾入港。
言わずと知れた通り、この戦艦の甲板(かんぱん)で、昭和20年9月2日午前9時2分。マッカーサー元帥(げんすい)率いる連合国側見守る中、重光葵(しげみつ-まもる)全権率いる日本政府代表との間で、降伏文書調印式が行われました。

昭和25年8月、朝鮮戦争に出動。
昭和30年2月26日、一時退役。

昭和61年、推定約470億円をかけて最新の兵器と設備を備え、戦場復帰。
平成3年、湾岸戦争に出動。同年1月17日、最初のトマホークミサイル発射。
平成4年3月31日、再度退役。
平成10年6月22日、パールハーバーへ到着。
平成11年1月29日、戦艦歴史博物館として一般公開。

・・・長きに渡り血塗られた戦艦であった。

◆戦艦ミズーリ概要◆
●全長270.4m ●最大幅33m ●高さ63.9m ●排水量58000t
●速力33ノット(時速約65km) ●主砲口径40.6cm ●射程距離37km

戦艦大和(やまと)と比べると、全長は大和より7m程長く、全幅は大和の方が広い。
因みに、その全幅は、スエズ運河航行の為、スエズ運河の川幅に合わせわざと狭めた設計にしたのでという事です。
主砲2本の重量は、ジャンボジェット約1機分に相当するそうです。
 

トラ・トラ・トラ!  投稿者:大神 正念  投稿日: 5月23日(火)23時58分50秒
  竹下さん、ご無沙汰しております。
その、『中国「恫喝外交」に呑まれるな』私も読みましたよ、飛行機の中で。

実は、真珠湾に行っておりました。
・・・戦後60年経過の締め括りに、戦艦ミズーリの甲板(かんぱん)から、烈士英霊の御霊(みたま)に黙祷を捧(ささ)げて参った次第です。

ご存知の方も居(お)られると承知ですが、涙禁じ得ない逸話を二つ。

その、今は戦艦歴史博物館として、真珠湾で一般公開となっている戦艦ミズーリですが、甲板右舷後方に残された、微妙にゆがんでいる傷跡の逸話をご存知でしょうか? それは、ゼロ戦特攻機が体当たりした部分です。今でも補修されずにその傷跡が残されています。
・・・この体当たりしたゼロ戦は、右翼が甲板に散乱し、その中に若干19歳の日本人操縦士が投げ出され、絶命していました。すぐさま艦上の作業員が、その遺体を海に投げ落とそうとした時です・・・。ミズーリ艦長はそれを許しませんでした。
「待ちなさい!明日、彼のお葬式を執(と)り行います。」
その艦長の言葉に、乗組員は「何を言ってるんだ!」と訝(いぶか)り、反対したそうです。・・・ですが、艦長はこう言いました。
「彼もまた、祖国を守る為に命を賭けた英雄です。彼は上官の指示に従ってここに来ただけです。もしかしたら私も君達に同じ命令を下していたかもしれない。・・・その時、願わくば君達も、彼の様な勇気を持って闘って欲しい。」   沖縄陥落の頃の話です。
・・・涙。。。胸に込み上げるものがあります。思わず目頭(めがしら)が熱くなりました。敵国ではありますが、“海の男”に国境は無いというお話しです。
この戦死した操縦士のご兄弟が、今でも日本で元気に暮らしておられるそうです。

もうひとつの話は・・・米国海軍潜水艦“BOWFIN”。
我々大和(やまと)民族にとっては悪名高い潜水艦ですが、現地では、数多くの日本船を撃沈したという事で、ヒーロー潜水艦として展示されております。

1944年8月22日、日本の民間船“対馬丸”が、一般・学童合わせ1788名を載せ長崎へ向けて航行していました。戦闘中の沖縄県より疎開のため航海中だったのです。鹿児島県トカラ列島悪石島沖にて、対馬丸はこのボーフィン号が放った2発の魚雷によって雷撃され沈没します。これにより乗員乗客合わせ1418名の罪も無い同胞が死亡しました。BOWFINは、対馬丸が民間船だと知ったうえで魚雷を放ったのです。・・・それは何故(なぜ)か。。。「勲章が欲しかったから。」です。・・・私はこの非業(ひごう)の出来事に涙を禁じえません。また、この悪行を今でも許す気持ちはありません。

こういう実話は、米国民にはあまり知らされていない事実なんでしょうが、真珠湾攻撃を「卑怯だ!」と罵(ののし)る米国民こそ、そういう卑怯な事を平気でやってしまうんですから、何を言わんやですねぇ。
 

RE:別冊正論  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月23日(火)21時30分16秒
  私も買いました。
(つい)でに、『SAPIO』5/24号『中国「恫喝外交」に呑まれるな』も。
 

RE:ご無沙汰しております  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月23日(火)21時25分37秒
  利亜さん

こちらこそ、ご無沙汰しています・・・と言うよりも、お帰りなさい。

>かなりブランクが開いてますので以前に比べて(お世辞にも良いとはいえませんが)
>文章使いが雑なところがあるかも知れませんが。

私も、最近は何かと多忙でなかなか書き込めませんから、余りお気になされないで下さい。
 

RE:旧宮家について  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月23日(火)21時18分24秒
  中島さん

>旧宮家は明治維新という大きな時代の変化の中で、大政奉還で天皇が大権を握ると、
>その流れのなかでうやむやに、間違って皇族という地位になってしまったに過ぎません。

戦後、「皇籍剥奪」された旧宮家の多くが、明治に入ってから創設された訳で、そこには明治天皇の叡慮(えいりょ)が働いていたと考えるのが自然では無いでしょうか? 何せ、現在と違い、明治天皇は「現人神(あらひとがみ)」であり、国家の主権者として君臨していたのですから、その叡慮を無視して新宮家が創設されたとは考えられません。

ところで、先般、一時休戦状態にある『皇室典範』改正問題ですが、有識者会議の提言では、内親王は結婚後も皇籍離脱する必要は無く、内親王の婿殿(むこどの)も皇族に列せられるとの事。更には、何世代経(へ)ようが、臣籍降下せず共良い「永世皇族」であると言う。

「皇籍剥奪」された旧宮家も含め、赤の他人の男性が内親王と結婚する事で皇族になった事例は未(いま)だ嘗(かつ)てありません。ご指摘の「宮家」が「皇族」であるか否か云々よりも、こちらの方が余程(よほど)問題では無いかと私は考えています。
 

貴方こそ、冷静になりなさい  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月23日(火)21時05分55秒
  荒木又右衛門さん

>まだそんなアホなお題目を唱えてるんですか。すこしは大人になりなさい・。

実名はおろか、メアドも非公開の貴方に、その様な事を言われる筋合いはありません。

>竹田恒泰青年、あんなにギタギタと野望丸出し、最もわが国の尊敬の統合象徴から縁遠い存在、
>その推薦の弁を述べる貴殿の精神年齢も疑わざるを得ない。

私の投稿をきちんと読まれましたか? 私は、たまたま面識があった竹田氏が、旧皇族・竹田宮家の子孫である事から、「一例として」と断った上で挙げたのであって、竹田氏を天皇に擁立する等とは一言も書いておりませんよ。その意味では、貴方(あなた)が私に対して、

>もう少し冷静になりなさい。

と仰有(おっしゃ)った事に対し、その言葉をそのまま貴方にお返しします。
 

中共工作機関 築地伝令所  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月23日(火)16時47分53秒
  【ポスト小泉】 "安倍41%、福田29%" 小泉内閣不支持層では、福田氏が安倍氏に勝つ…麻日新聞調べ
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1148319119/

May 23, 2006
パトカーのサイレンを明るい童謡に変えてみてはどうだろうか
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50506122.html

【麻日新聞に投書する人】
http://tiyu.to/n_j_asahi.html#13_08_20

【亜忌夜魔社長の長男逮捕・起訴!】
http://www.asahicom.com/
■大麻日新聞社長に育てられた子供の頼もしい半生
http://www.asahicom.com/akiyama/
■記事で綴る大麻日新聞社史
http://www.asahicom.com/asahistory.htm

売国新聞社
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%A3%B2%E5%9B%BD%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%A3%B2%E5%9B%BD%E6%96%B0%E8%81%9E&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

「麻日」ともあろうものが。 烏賀陽 弘道 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198618844
■「『麻日』ともあろうものが」について■
http://ugaya.com/column/051028asahi.html
■烏賀陽の麻日新聞社退社関連記事■
http://ugaya.com/column/taisha_index.html

麻日新聞 「麻日新聞は日本一信用できる新聞で社会的な評価が高い」
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1148305541/

身内に甘く、他人に厳しい、マスゴミ関係者。
http://blog.livedoor.jp/yabumoto_net/
May 21, 2006
元日テレの薮本アナ 「盗撮の炭谷宗佑は社会的制裁を受けた」
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50504066.html

>マスコミ業界内での相互監視システムと自浄作用が期待できないのであれば、マスコミを
>監視する新たな機関が必要になってくる。というか、インターネットがこの役割を果たし
>ているわけだが、ネット登場以前に一般に知られていない同類の事件がたくさんあると思
>うとゾッとする。
 

『卑弥呼と日本書紀150』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月23日(火)12時38分16秒
  ■■■■■ 六・三 初代 神武天皇の東征物語 ■■■■■


◆◆◆ 第一代(初代) 神武天皇の物語(1)――難波での苦戦と熊野まわり―― ◆◆◆

 国風謚号 神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)
 (尊称 始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)
 漢風謚号 神武天皇(じんむてんのう)
〔在位・西暦前六六〇年〜前五八五年〕
〔降誕・西暦前七二一年/崩御・西暦前五八五年〕*
〔皇宮・畝傍橿原宮(うねびかしはらのみや/奈良県橿原市畝傍町)〕
〔御陵・畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのみささぎ/奈良県橿原市大久保町)〕
*史実を反映しているとした場合、推定実崩年は崇神(すじん)天皇から遡(さかのぼ)って西暦一世紀ごろか?


▽▽▽ 神武天皇、いよいよ《大和》へ向けて出陣 ▽▽▽

 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曾孫(ひまご)にあたる〈神日本磐余彦尊〉は四男で末子だったが、古代には末子相続の習慣があったらしく、十五歳で皇太子になり、父の崩御(ほうぎょ)後は日向(ひゅうが/ひむか)の王になっていた。
 四十五歳のとき、
「西の地は治まったが、遠方では国々が境をつくって争っている。平定しなければならない」
 ――として、どこへ進出すべきかを相談したところ、老翁が、
「東方に四方を青い山で囲まれた美しい土地(*)があります。そこへ天磐船(あまのいわふね)に乗って降臨した者がおります」
 と答えた。

〈磐余彦尊〉(**)は、
「それは〈饒速日命(にぎはやひのみこと)〉であろう。そこへ遠征しよう」(***)
 ――といって、諸皇子をひきい、三人の兄とともに水軍を組織し、争う国々を統一するための東征の途についた。

(* 《大和(やまと)》のこと)
(** ここでは即位前の神武天皇を〈磐余彦尊(いわれひこ)〉と記すことにする)
(*** 出発の前から大叔父にあたる〈饒速日命〉の大和支配を知っていたことになる)

[つづく]
 

別冊正論  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月22日(月)23時13分29秒
  ◎『別冊正論 反日に打ち勝つ! 日韓・日朝歴史の真実』産経新聞社

隣人よ!(渡部昇一)
汝、ふたたび中華帝国の属領と化すか(中西輝政)
拉致問題の風化は亡国に至る道(平沼赳夫)
対北朝鮮外交のプランを立てよと命じられたら(佐藤優)
増大する中朝の核脅威――「核武装」という日本の選択(対談:伊藤貫・東谷暁)
大韓民国はどこへ行く(黒田勝弘)
私が「在日」をやめた理由(浅川晃広)
歴史の嘘に呪縛される不幸を断つために(新田均)
日本人の知らない韓国「独立戦争」史観の奇天烈(八木秀次)
「冬ソナ」に胸ときめかす前に(呉善花(お=そんふぁ)
勝者は誰か! 朝鮮半島をめぐる経済戦争の内幕(宮崎正弘)
日韓友好を阻害する“歪んだ符号”(呉善花・金完燮(キム=ワンソプ)
「強制連行」はなかった(坪井幸生/大師堂経慰/石川水穂)
「創氏改名」の真相(坪井幸生/大師堂経慰/杉本幹夫/石川水穂)
北朝鮮に「対話」は通じない!(横田滋・早紀江/N・フォラツェン)
(以上四篇は対話)
朝日新聞は日韓・日朝問題をどう報じてきたか(片岡正巳)
北朝鮮に憑かれた人々の鉄面皮(稲垣武)
テポドンが飛来する日(潮匡人)
「在日」と「日本人」の間で・・・(前田日明/福田和也)
(上は発掘対談)
1965年の韓国(吹浦忠正)
北朝鮮を呑み込む中国(湯浅博)
韓国ホラーに見る「反日」の深層(佐藤健志)
「在日」永続化としての「在日」映画(浅川晃広)
「嫌韓流現象」を読み解く(鵜野光博)
大日本帝国に生きた韓国系軍人(牧野弘道)
 

【中国が嫌われる七つの理由】  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月22日(月)20時37分12秒
  ■自分以外は人間ではない
  1. 自己中心
  2. ご都合主義
  3. 独善
  4. 責任転嫁
■二人で井戸をのぞくな
  1. 人間不信
  2. 土匪国家
  3. 危険な「友好」
http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/hitori050501.htm

■反日派日本人の泣き所(平成18年05月22日)
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0605/060522-14.html
 

『卑弥呼と日本書紀149』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月22日(月)13時21分1秒
  [承前]

 さて、山幸彦(やまさちひこ)と結婚した豐玉姫が産んだ御子は、やはり貴人であり、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)といわれた。
 この御子は、母の妹の玉依姫と結婚して、

   彦五瀬命(ひこいつせのみこと/尊称の彦が頭についている点に注意)
   稻飯命(いないのみこと)
   三毛入野命(みけいりののみこと)
 ――をお生みになり、ついで、
   神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
   {狭野尊/彦火火出見尊}
 ――をお生みになった。

 この四柱の神は、いずれも男神である。

 この最後の尊(みこと)こそ大和(やまと)朝廷の初代、神武天皇なのだが、幼名を狭野尊(さののみこと)、実名を彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと/祖父にあたる山幸彦と同名)とされている。
 神日本磐余彦尊はもちろん、後でつけられた尊称である。

*****

 こうしていよいよ、有名な神武天皇の東征物語がはじまる。

[次ぎは「第六・三節 初代 神武天皇の東征物語」]
 

ほっほお、工作員のお出ましか?  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月22日(月)12時44分10秒
  日本人よ、バック、ツー、ベーシック(基本に戻れ)。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060521/1148172897

そして気付け、急ピッチで進む「対日工作」。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060519/1147998428

>王毅大使は日本に戻るや各地で講演して回っている。今回、中国から多くの研究者達が、堰(せき)を切ったように来日した事と決して無縁ではあるまい。工作活動にからっきし弱い、ウブな我々は、9月の自民党総裁選を意識して、慎重にこれらの動きを観察すると同時に、工作に掛からないようにしなければならない。日本の将来は、日本人である我々が決める事である。

◇中共「日本解放第二期工作要綱」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801china.html
◇日本が敵国から武力以外による攻撃を受け、破滅へと導かれないように
http://nokan2000.nobody.jp/switz/

『覚醒せよ、覚悟せよ、日本人!日中関係は今や“冷戦時代”に突入しているのだ!』
http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/

■米中が激突する日
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569648983
■つけあがるな中国人うろたえるな日本人―21世紀日中文明の衝突
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4198924104
■命がけの夢に生きた日本人
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4413035798
■騙される日本人
http://www.melma.com/backnumber_45206_3190372/
http://www.amazon.co.jp/gp/product/456964693X

第30回 日本は外国より100年先進国
第29回:世界思想の最先端にある日本の慣習
第28回:日本人の感覚に科学がやっと追いついてきた
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/

『日本には「神聖をあきらかにしようとした王」がいなかったというものだ。統一王も、統一をめざした王もいなかったのである。まして、神聖者との応答を解読し、それを表記したいとも思わなかったのだ。』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0987.html

日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896674669
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1011.html
源氏と日本国王
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061496905

◇皇室典範改悪問題にふれているサイト
http://koutou.seesaa.net/

■皇室典範改正問題
http://tech.sub.jp/cat12/

■旧宮家復籍キャンペーンフラッシュ
http://tech.sub.jp/cat15/

■日本を虐げる人々―偽りの歴史で国を売る徒輩を名指しで糺す
http://www.melma.com/backnumber_45206_3194570/
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569647650

■「反日」の超克 中国、韓国、北朝鮮とどう対峙するか
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569643663

『日本』という「国体」は「皇統」あってのもの。
さすがの藤原不比等(ふひと)の野望も、それを消し去ることはできなかった。
それ以前の歴史は闇に葬ってしまったが・・・。
そして、GHQ政策。
そこでも、それをなきものにすることができなかった。
だが、しかし・・・。
「日本」の日本たる由縁の「皇統」がいまや風前の灯火なのである。
「共和制的世界地域」を画策せんと妄想を抱く者どもによって。
そして、なによりも、われわれ「日本人」自身の「公(国家観)」の精神の稀薄化によって。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/456966427X
 

旧宮家について  投稿者:中島  投稿日: 5月22日(月)11時21分28秒
  竹下義朗 様

ご提示された系図について、検証するための資料がありませんのでコメントは控えます。
(保留します)
しかし、現在の宮家と旧宮家は全く別ものです。
室町時代や江戸時代は、皇位継承順位では皇太子に次ぐ身分である、天皇の直の子である親王が門跡寺に出て行った時代です。
なぜ親王が皇室を離れ、男系では相当な遠戚の「宮家」は残ったのでしょうか?
状況から判断して「宮家」は皇族としてではなく、他の役割があったからです。
今「宮家は皇族としてではなく」と書きましたが、竹下さん風に書けば

旧宮家は皇族ではない

ということです。
その理由は、明治維新までの日本の国の制度は「朝幕並存」でした。
幕府が実権を握っていても、建前上の制度として、天皇と朝廷が存在していました。
その天皇を日本の主権者と定め、天皇の権力の証(あかし)である「律令(りつりょう)」には、皇族の身分は四世の孫までとなっています。
旧宮家を皇族と呼ぶことは、天皇家自ら律令の法を犯すことになります。
旧宮家は明治維新という大きな時代の変化の中で、大政奉還で天皇が大権を握ると、その流れのなかでうやむやに、間違って皇族という地位になってしまったに過ぎません。
旧伏見宮家は、約600年の歴史の中で皇族であったのは最初の四世までで、その後はあくまでも「宮家」で、明治維新から七十数年誤って皇族であったということです。
 

冷静になりなさい  投稿者:荒木又右衛門  投稿日: 5月22日(月)10時26分59秒 Remote Host: p9209-ipbffx02sasajima.aichi.ocn.ne.jp, Time: 1148261219
  竹下義朗さん

>「、竹田氏について書きましたが、他の旧宮家についても多かれ少なかれ現皇室との
血縁が認められる訳で、女帝を立て、全くの赤の他人を夫君に迎え、更にその子(女系天皇)に
皇位を継承させるよりも、余程(よほど)、旧宮家の皇籍復帰の方が皇統の伝統に適(かな)うものと私は
考えます。」<

まだそんなアホなお題目を唱えてるんですか。すこしは大人になりなさい・。
竹田恒泰青年、あんなにギタギタと野望丸出し、最もわが国の尊敬の統合象徴から縁遠い存在、その推薦の弁を述べる貴殿の精神年齢も疑わざるを得ない。もう少し冷静になりなさい。
 

ご無沙汰しております  投稿者:利亜  投稿日: 5月21日(日)23時44分0秒
  久々に書き込ませて頂きます。

ようやく自宅ネットが復活しましたので何かネタがあればちょくちょく書き込みたいなと思います。
かなりブランクが開いてますので以前に比べて(お世辞にも良いとはいえませんが)文章使いが雑なところがあるかも知れませんが。

管理人さん、私をご存知の常連の皆様、新たにこちらに書き込みに来られた方
これからも宜しくお願いします。

時事関連は感覚が麻痺してますので主に東洋史関連の投稿になるかもしれません。
 

『卑弥呼と日本書紀148』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月21日(日)12時32分34秒
  [承前]

▽▽▽ 木花之開耶姫と海幸彦・山幸彦 ▽▽▽

 野間岬についた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、そこで見そめた鹿葦津姫(かしつひめ)――またの名を木花之開耶姫(このはなさくやひめ)で天の神と山の精霊との娘――と結婚し、

   火闌降命(ほのすそり/海幸彦)
   彦火火出見尊(ひこほほでみ/山幸彦)
   火明命(ほのあかり/饒速日命)

 ――という三柱の神を生んだ。
 長男の火闌降命は海の幸を得る霊力をもっていたので海幸彦と呼ばれ、二男の彦火火出見尊は山の幸を得る霊力をもっていたので山幸彦と呼ばれた。
 三男の火明命は別名を〈饒速日命〉といって、古代の謎を秘めた神であり、神武天皇より先に《大和》を制覇していたとの伝承がある。
 またこの神は瓊瓊杵尊の兄弟――つまり一代上――だったとの説もある。

 さて、あるとき兄の海幸彦と弟の山幸彦が相談して、自分たちの霊力(道具)を交換してみようということになった。
 しかしうまくいかなかったので、もとに戻すことにしたが、弟が預かった釣り針が無くなってしまっていた。
 兄がそのことを責め立てたので、弟は老翁の助けで海中にある海神(わだつみ)の宮殿に行って、魚の口に入っていた釣り針を見つけた。

 そしてそこに留まって、海神の娘の豐玉姫(とよたまひめ)と結婚した。
 やがて望郷の念が増して、陸に帰ることになったが、豐玉姫は身ごもっていたので、妹の玉依姫(たまよりひめ)をつれて海中から海辺に出て、そこでお産をすることになった。
 陸に戻った弟は海神に教えられた方法で兄を懲らしめて降参させたが、豐玉姫のお産のとき、姫との約束を破って産屋(うぶや)をのぞいてしまった。
 そこにいたのは龍の姿の姫だったが、見られた姫はひどく恥じて、産んだ御子を置いて海中に帰ってしまった。

 この海幸山幸の物語にはいろいろな解釈があり、人生訓話にもなっているのだが、九州南部を勢力圏として大和(やまと)朝廷に逆らっていた隼人族(はやとぞく)との抗争が一部に反映している――との説がある。

[つづく]
 

RE:旧宮家について  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月20日(土)13時38分46秒
  中島さん

>旧東久邇(ひがしくに)宮家と旧竹田宮家の元の伏見宮家は、上に書いたとおり南北朝時代に
>崇光(すこう)天皇から分かれた家です。約600年間、世代にするとおよそ20世代にわたり男系男子が続いた
>のでしょうか?一つの家としては天皇家(光格天皇の例)も、徳川将軍家(吉宗は紀州家)も
>なしえなかったことを、一つの宮家がなしえたとは思えません。

伏見宮家

栄仁親王(初代)─┬貞成親王(3代※)┬後花園天皇・・・・桃園天皇
         │         │
         └治仁王(2代)  └貞常親王(4代)─邦高親王(5代)─┐
                                      │
┌─────────────────────────────────────┘

└貞敦親王(6代)─邦輔親王(7代)─貞康親王(8代)─邦房親王(9代)──┐
                                      │
┌─────────────────────────────────────┘

└貞清親王(10代)─┬邦尚親王(11代)─邦致親王(13代)─邦永親王(14代)─┐
          │                           │
          └邦道親王(12代)                   │
                                      │
┌─────────────────────────────────────┘

└貞建親王(15代)─┬邦忠親王(16代)━貞行親王(17代 実父桃園天皇)
          │
          └邦頼親王(18代)─貞敬親王(19代)─邦家親王(20代)─┐
                                      │
┌─────────────────────────────────────┘

├依仁親王(東伏見宮初代)

├載仁親王(閑院宮6代)

├貞教親王(21代) ┌博恭王(23代)──博義王──博明王(24代断絶)
│         │
├貞愛親王(22代)─┴邦芳王 ┌成久王(北白川宮3代)
│              │
├華頂宮博経親王       ├恒久王(竹田宮初代)─恒徳王(竹田宮2代)─┐
│              │                      │
├能久親王(北白川宮2代)──┘ ┌────────────────────┘
│                │
├智成親王(北白川宮初代)    ├恒正王(竹田家3代)
│                │
├彰仁親王(小松宮初代)     ├恒治王
│                │
│                └恒和──竹田恒泰氏

├朝彦親王(久邇宮初代)─┬稔彦王(東久邇宮初代)
│            │
└晃親王(山階宮初代)  ├鳩彦王(朝香宮初代)
             │
             ├邦彦王(久邇宮2代)─┬朝融王(久邇宮3代)
             │           │
             ├邦憲王(賀陽宮初代) └香淳皇后(良子皇后)
             │             ┃
             ├邦憲王(賀陽宮初代)   ┣━━━━━━━━━━┓
             │             ┃          ┃
             └守正王(梨本宮3代)  昭和天皇        ┃
                                      ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

┗今上天皇─┬皇太子徳仁親王──敬宮愛子内親王
      │
      └秋篠宮文仁親王

(※伏見宮3代貞成(さだふさ)親王の実父は、清和天皇の後裔である足利義満)

伏見宮家は、第3代貞成親王を基点に見ても、男系男子によって継承されています。先般、一例として挙げた(旧)竹田宮家は、伏見宮家の分家ですから、同様に男系で皇統に繋がっている事になります。又、竹田恒泰氏は明治天皇の玄孫(明治天皇の皇女を祖母に持つ)ですが、今上(きんじょう)天皇も実母である香淳皇后が久邇宮家出身であり、母系では伏見宮家と血の繋がりを持っていることになります。

竹田氏は、父方(父系)を通じて竹田宮家─伏見宮家─皇統に、祖母(昌子内親王)を通じて明治天皇に連なっており、皇統から分かれて約600年間云々と言う程、血の開きは無い訳です。

たまたま、竹田氏について書きましたが、他の旧宮家についても多かれ少なかれ現皇室との血縁が認められる訳で、女帝を立て、全くの赤の他人を夫君に迎え、更にその子(女系天皇)に皇位を継承させるよりも、余程(よほど)、旧宮家の皇籍復帰の方が皇統の伝統に適(かな)うものと私は考えます。
 

憲法無効論  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月20日(土)12時34分57秒
  ◎小山常実『憲法無効論とは何か――占領憲法からの脱却――』展転社(平成十八年二月)

はじめに
第一章「日本国憲法」改正は日本を滅ぼす
第二章 成立過程において自由意志はなかった
第三章 自己決定できない国家・国民を作った「日本国憲法」
第四章「日本国憲法」無効確認と臨時措置法の制定を
あとがき

 これまで『正論』『諸君!』などに論考を発表しており、それを再編集しています。

◎著者の問題意識(あとがきより)

「私が一番恐れるのは、憲法改正案の内容の低さではない。そのことよりも、「日本国憲法」改正という形で、新しい憲法を作ろうとしていることである。「日本国憲法」改正という形をとるということは、占領下にGHQの完全統制下で作られた「日本国憲法」を有効と認めることである。したがって、今後、再び中国や米国などの外国に圧迫されて「憲法」を押し付けられても、拒否する論理がなくなってしまう。すなわち、独立国の精神を根底から失うことになるのである」

◎著者の提案する具体策

1 無効確認と臨時措置法の制定
2 正気の回復
3 明治憲法復原改正
 

『対日工作』  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月20日(土)12時33分29秒
  2006-05-19 急ピッチで進む「対日工作」
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060519/1147998428

>王毅大使は日本に戻るや各地で講演して回っている。今回、中国から多くの研究者達が、堰(せき)を切ったように来日した事と決して無縁ではあるまい。工作活動にからっきし弱い、ウブな我々は、9月の自民党総裁選を意識して、慎重にこれらの動きを観察すると同時に、工作に掛からないようにしなければならない。日本の将来は、日本人である我々が決める事である。

>中国は戦後早い時期から『対日工作』を推進し、現在は「第二期」を終わって「第三期」に入っていると思われるが、対日工作の中心は「在日大使館」であり、大使がその中心だ、と分析されている。直接の部下達は、勿論大使館員たちだが、日本国内に「留学」や、「交換教授」名目で派遣されてきている多くの中国人たちがその傘下にいて、学内は勿論、各界、特に『マスコミ会』で大活躍していることはもっぱら知られているが、殆(ほとん)どの日本人は、湯浅氏が言うように『ウブ』だから、一留学生、一教授の意見として取り扱い、何の「懸念」も抱いていないのが実態である。

ココの板にも・・・。
 

『卑弥呼と日本書紀147』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月20日(土)12時17分42秒
  [承前]

 さて〈卑彌呼〉との関連でいうと、場所が問題になる。
 まず日向であるが、むかしの日向は今とは違っていてずっと広く、宮崎県と鹿児島県一帯、つまり九州南部の全体を指していたらしい。

 日向はいまは「ヒュウガ」と読むが、元来は「ヒムカ」であり、東(ヒムガシ)のもとになった言葉で、太陽に関係する方角を示す地名だったらしい。

 その日向の高千穂(たかちほ)の峰であるが、現在まで高千穂という地名が残っている場所は九州に二箇所で、図6・2に示したように、宮崎県の北部と、宮崎・鹿児島の県境にある。
 このうち県境の霧島山の高千穂の峰が、有力とされている。

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H62-71.htm

 つぎに、ここから歩いて探した良い場所の笠狭(かささ)であるが、これは薩摩半島の野間岬だとされている。
 奈良時代に唐から帰化した鑑眞(がんじん)和尚が漂着した場所でもある。
 ずいぶん端(はし)の方まで行ったものだが、薩南諸島や南西諸島・台湾を経て大陸とつながるので、海洋漁労や技術の伝搬に関係するのかもしれない。

 さらに高千穂の峰に来たときの出発点であるが、もし〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉が〈卑彌呼〉の史実を反映しているとすれば、そこが《邪馬台国》である可能性もあるので重要なのだが、だとすれば、前述した二箇所の《山門(やまと)》であろう。
 図6・2に示しておいた。
 ただし、高天原(たかまのはら)を《邪馬台国》に比定するのが妥当かどうかは、かなり疑問である。

[つづく]
 

マルクスは先人たちの思想を切り捨てた  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月19日(金)19時56分49秒
  コラム 日下 公人氏
現実主義に目覚めよ、日本!〜グローバル・スタンダードの罠に陥るな!〜
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/index.html

■第14回アメリカが必ず日本を助けるとは限らない
〜戦争のルールの基本を思い起こせ〜
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/14/index.html
トーマス・モアの掲げる9項目の条件
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/14/02.html
「交戦権」は戦争のルール
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/14/03.html
 

前例はあったでえよ。  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月19日(金)17時30分34秒
  ■朝日社説 キトラ公開 白虎(びゃっこ)が語りかけるもの
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060519

藤原不比等(ふじわらのふひと)。また、おなじ繰り返しや。

神道と修験(しゅげん)道が、またまた薄まってしまうでえ。

むかしフジワラ、いま・・・、オワダくんやよ。

■女系でGO! −男系論と女系論−
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-02.htm

■源氏と日本国王
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061496905

>権力の二重構造への納得と数々の楽しみ(レビュー)

■「古代史」の真実 ついに解き明かされた「歴史の闇」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569643345

(宮崎正弘のコメント)“団塊の世代”がなんとなく左翼というのはご指摘の通りです。小生も同世代のはしりのほうですが、戦後教育をまともに受けた教育環境、あの時代の日本は自動的に大量のサヨクを量産していたのです。
 いまも基本構造はかわらず、サヨクのつくった教科書を自民党がただで配布しているわけですから。
http://www.melma.com/backnumber_45206_3194570/
 

旧宮家について  投稿者:中島  投稿日: 5月19日(金)17時01分11秒
  竹下義朗 様
お返事いただき有難うございます。

>現在の皇統の危機は前例の無い危機だと思います。

(おっしゃ)る通りで、私も憂慮している一人です。
しかし、皇位継承という重要な問題について、曖昧(あいまい)な基準で考えるべきではないと思います。
疑問に思っていることを書かせていただきたいと思います。

・東久邇宮家
昭和天皇ー成子ー信彦ー征彦
     盛厚 眞彦ー照彦ー男子
           睦彦
・竹田宮家
明治天皇ー昌子ー恒徳王ー恒正ー恒貴
    恒久王     恒治ー恒昭
               恒智
            恒和ー恒泰
               恒俊
この御両家を認めるということは、女系天皇を認めるということです。
それならば、昭和天皇の皇女の孫、明治天皇の皇女の曾孫(ひまご)にあたる女系の遠戚を60年ぶりに皇族に復帰させなくても、現皇族の内親王が即位し、その子孫に継承すればいいことです。

・旧宮家
伏見宮家・・・南北朝時代に崇光(すこう)天皇から分かれた、天皇の即位なし
桂宮家・・・・織豊(しょくほう)期に正親町(おおぎまち)天皇から分かれた、天皇の即位なし
有栖川(ありすがわ)宮家・・江戸時代初期に後陽成(ごようぜい)天皇から分かれた、天皇の即位なし
閑院(かんいん)宮家・・・江戸時代中期に東山天皇から分かれた、天皇の即位一人(光格天皇)

江戸時代の後期、後桃園天皇が後嗣(こうし/あとつぎ)がないまま崩御(ほうぎょ)した時、閑院宮家から入った光格天皇が即位した。ではなぜ家が興って間もない閑院宮家から天皇が誕生したのか。
他の宮家には該当する男子がいなかったからか?そんなことはないと思われます。
東山天皇の曾孫にあたる光格天皇が皇統から一番近かったからにほかなりません。
そして光格天皇の例外を除けば、上を見ても明らかなように江戸時代から続いていた旧宮家というのは天皇を出す家ではなく、皇后を嫁(とつ)がせる家ではなかったか。

・「男系男子」について

>男系男子の子孫である訳ですから…

これは本当でしょうか?旧東久邇(ひがしくに)宮家と旧竹田宮家の元の伏見宮家は、上に書いたとおり南北朝時代に崇光天皇から分かれた家です。約600年間、世代にするとおよそ20世代にわたり男系男子が続いたのでしょうか?一つの家としては天皇家(光格天皇の例)も、徳川将軍家(吉宗は紀州家)もなしえなかったことを、一つの宮家がなしえたとは思えません。
わずかな可能性として、子供が生れなかった世代や女子しか生れなかった時に、男子の養子が家を継いできたはずです。その養子のなかで最後に入った男子が天皇直系の「男系男子」であることが証明できれば、何代離れても男系男子の子孫であるということが言えます。しかしこの可能性も極めて低いと思われます。

これらの理由で旧宮家の皇族復帰は、何の根拠も道理も無いものと考えます。
ご意見、ご指摘があればお伺いしたいと思います。
 

『卑弥呼と日本書紀146』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月19日(金)12時17分28秒
  [承前]

『古事記(ふることふみ)』では、出雲(いずも)平定に派遣された二神に命令する主体は高皇産靈尊(たかみむすびのみこと)とともに〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉であり、国を譲った〈大己貴神(おおなむちのかみ)〉は〈大國主神(おおくにぬしのかみ)〉となっていて、上記の他にも面白いエピソードが多く記されている。
 たとえば、事代主神(ことしろぬしのかみ)が帰服したあと、弟で勇猛な建御名方神(たけみなかたのかみ)が反抗したがやはり負けてしまって、諏訪湖まで落ち延び、有名な諏訪大社の祭神となった。
 これは北陸から長野県にかけて、山陰地方とおなじく古代出雲一族の勢力が強かったことと関連しているらしい。

 一般に日本の神社の祭神には、大和(やまと)朝廷に反抗したがかなわなかったり悲劇に終わったりした一族の神――出雲系やのちに記す〈饒速日命(にぎはやひのみこと)〉や日本武尊(やまとたけるのみこと)など――がとても多く、朝廷側の神よりも多いくらいである。
 これは大和朝廷の巧みな融和策――権力を持たせないかわりに名誉を与える策――でもあったろうし、また日本人の心理にある判官贔屓(はんがんびいき)でもあったのだろう。


▽▽▽ 天孫降臨 ▽▽▽

 こうして〈大己貴神〉らが出雲の隅(神殿)に隠れたので、高皇産靈尊は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国(あしはらのなかつくに)に降臨させることにした。
 瓊瓊杵尊は〈天照大神〉の孫にあたるので、天神(あまつかみ)の孫が降り立つという意味で、これを「天孫降臨(てんそんこうりん)」と呼んでいる。

 瓊瓊杵尊は、天上の御座(みくら)を押し離し、天の優れた道を選んで進み(図6・1)、日向の高千穂(たかちほ)の峰に降りられた。
 そしてその峰から天浮橋(あめのうきはし)という巨大な橋を伝って平地におり、そこから豊かな土地を求めて歩いて、笠狭(かささ)の岬に到着された。

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H52-61.htm

 一書や『古事記』では、このとき猿田彦神(さるたひこのかみ)という異形(いぎょう)の神が出迎えて案内した話や、〈天照大神〉が「三種の神器(みくさのかんだから/さんしゅのじんぎ)」を瓊瓊杵尊に授(さず)けて「鏡は自分の御魂(みたま)だと思って祀(まつ)るように」と述べた話や、また瓊瓊杵尊に付き添う武将として大伴(おおとも)一族の先祖神がいた話・・・などが記されている。
 本章のトビラにある大伴家持(おおとものやかもち)の長歌は、大伴一族に苦難があったときに、この故事をひいて一族を諭(さと)し励(はげ)ました一種の檄文(げきぶん)である。

[つづく]
 

『卑弥呼と日本書紀145』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月18日(木)12時23分39秒
  [承前]

▽▽▽ 出雲の国譲り ▽▽▽

 いっぽう高天原(たかまのはら)の〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)との対決のなかで、尊が大神の宝玉を砕(くだ)いて生んだ男神五柱(いつはしら)をご自身の御子(みこ)にしたのだが、その長男である天忍穗耳尊(あまのおしほみみのみこと)が高皇産靈尊(たかみむすびのみこと)の姫と結婚して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を生んだ。
 高皇産靈(*)とは、高所から降臨する神聖な生成靈力の意味で、『日本書紀(やまとのふみ)』本文ではここでとつぜん出てくるのだが、『古事記(ふることふみ)』では、前記のように、世界誕生の最初期からおられる神である。つまり神世七代(かみよななよ)の前の神である。

 この高皇産靈尊は瓊瓊杵尊を寵愛して、葦原中国(あしはらのなかつくに)――字義どおりには葦の原のなかの国だが、ここでは天と地底の間の国の意味でつまりは日本の大地――の王にしようとしていたが、土地がたいへん乱れている様子なので、平定するために、男神五柱の二番目の天穗日命(あまのほひのみこと)を派遣した。
 ところがこの神は出雲(いずも)の〈大己貴神(おおなむちのかみ)〉に籠絡(ろうらく)されて報告もせず戻ってこなかった。
 またそのあと、何柱もの神を送ったが、うまくいかなかった。

 そこでさらに高皇産靈尊は神々と相談して、剛勇できこえる經津主神(ふつぬしのかみ)に武甕槌神(たけみかづちのかみ)をつき添わせて葦原中国に派遣した。
 この二神は、〈大己貴神〉のいる出雲に出向いて、剣の切っ先の上にあぐらをかくという凄い迫力で談判したところ、〈大己貴神〉は息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)――物事を代替語で宣言する託宣の神――と相談して、自分たちの国を高天原に譲ることを承諾した。

 そして〈大己貴神〉は遠方に隠れることにし、息子の事代主神は海中に隠れた。
 經津主神と武甕槌神の二神は抵抗する残党を制圧して、高天原に戻った。

 これが『日本書紀』にある出雲の国譲りの神話であるが、一書ではこのとき、高皇産靈尊が〈大己貴神〉に、国を譲ってもらうかわりに天上界と同様な巨大な宮殿を造ってあげようと約束し、〈大己貴神〉は今後は軍事や行政から離れて神事を担当します――と答えている。
 これが出雲大社の創建説話である。

 出雲大社はいまでも高く大きいが、昔はさらに巨大だったらしく、太い柱の遺跡などが発見されている。
 平安時代の記録では、東大寺を上まわる高層ビルなみの十六丈(四十八メートル)もあったとされている。
 この高さは信じがたいとする歴史家も多かったが、最近になって発掘された遺跡から、どうやら本当だったらしい――と推理されるようになった(**)。
 現在の出雲大社も八丈(二十四メートル)の高さを誇り、数多い神社のなかでも最高である。

(* この神名は「高霊」の間に「皇産」が挟まれている。これを強引に解釈して、韓国の高霊(コリョン)郡で天皇の先祖が産まれた――として記念公園を作ったりするのが韓国の反日家たちである。牽強付会の極致である)

(** 著者も先年拝観してきたが、とてつもない大きさであり、四十八メートルも嘘ではないように思われる)

[つづく]
 

RE:竹下義朗様へ  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月17日(水)22時46分5秒
  中島さん

>皇籍離脱した旧宮家の方々には、三世の孫はおろか五世の孫もいらっしゃいません。
>どのようにお考えになりますか?

アカ日のお里さん御紹介の『旧宮家復籍の手がかりとして-フラッシュ作成の件』では、東久邇征彦さん(旧・東久邇宮家)が例として取り上げられていましたが、私が面識のある竹田恒泰さん(旧・竹田宮家)は明治天皇の玄孫(やしゃご/孫の孫)、つまり四世の孫と言う事になります。

「竹田宮家」の淵源 ── 伏見宮家は室町時代に迄(まで)(さかのぼ)りますが、竹田宮家単独で見た場合には、それ程、かけ離れているとは言えません。竹田氏の場合、「男系」では当然ながら五世以内にはなりませんが、女系で明治天皇に連なり、且つ、男系男子の子孫である訳ですから、「何世の孫」かと言う事に余り拘(こだわ)る必要は無いのではないでしょうか?
(例として竹田氏を挙げましたが、その他にも少なからず、近現代の天皇に連なる方がいます)

又、オロモルフさんが投稿『前例』の中で、

>現在の皇統の危機は前例の無い危機だと思います。

と仰有(おっしゃ)った通り、非常に憂慮すべき状況下にあります。それ故(ゆえ)、皇室の祖法である「男系男子」皇位継承が守られるのであれば、「五世(以内)の孫」であるかと言う事は、二次的要素でしか無く、必ずしも満たされなければならない必須条件であるとは考えていません。
 

RE:竹下義朗様へ  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月17日(水)22時19分45秒
  ウイングさん

>九条があるので軍事行動はとりにくいと思います、でももし実行したら、どうなるのでしょうかね。

「竹島は日本固有の領土であり、韓国に不法占拠されている」と言うのが、日本政府の公式見解である訳ですから、侵略・占拠されている領土の奪還の為に、自衛隊が出動したとしても、それは「自衛権の発動」でしかありません。

米製『日本国憲法』には、「国際紛争を解決する手段として」の武力行使を禁止する旨、謳(うた)われていますが、竹島の場合には、「国際紛争」では無く、侵略を受けた自国領の奪還なのですから、何ら拘束されません。副次的に、竹島を巡って日韓両軍が衝突した結果、事態(戦線)が拡大し、全面戦争に発展する可能性もあるでしょうが、それは又別の問題であると思います。
 

(無題)  投稿者:はにぃ  投稿日: 5月17日(水)19時04分23秒
  園部逸夫氏


↑コイツが入ってたら、ホンマもんやね!
 

【日本を虐げる人々】  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月17日(水)17時57分49秒
  『日本を虐(しいた)げる人々―偽(いつわ)りの歴史で国を売る徒輩(とはい)を名指(なざ)しで糺(ただ)す』
 渡部 昇一 (著), 八木 秀次 (著), 松浦 光修 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569647650

>対象人物は、半藤一利氏、保阪正康氏、高橋哲哉氏、二階俊博氏、加藤紘一氏、山崎拓氏、河野洋平氏、前原誠司氏、栗山尚一氏、田中均氏、野田英二郎氏、浅井基文氏、中田慶雄氏、北城恪太郎氏、柳井正氏、吉川弘之氏、岩男壽美子氏、古川貞二郎氏、園部逸夫氏、高森明勅氏、田中卓氏など。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成18年(2006年)5月18日(木曜日)通巻第1465号
http://www.melma.com/backnumber_45206_3194570/
■渡部昇一、松浦光修、八木秀次『日本を虐げる人々』(PHP研究所)
 

『卑弥呼と日本書紀144』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月17日(水)13時51分43秒
  [承前]

 奇稻田姫(くしいなだひめ)という名は、神聖な稲田という意味である。
 また八岐大蛇(やまたのおろち)とは、一説では、河川の氾濫であり、したがってこの説話は、稲田が河川の氾濫によって崩壊するのを、水利工事の知識によって救った史実をあらわしている――とされている。
 興味ぶかいのは、のちの第十二代景行(けいこう)天皇の皇子の英雄・日本武尊(やまとたけるのみこと)が、この同じ剣を借り受けて東国に遠征した説話もまた、稲作技術の伝播をあらわす――といわれていることである。

 さて、こうしてめでたく奇稻田姫と結婚した素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、御子〈大己貴神(おおなむちのかみ)〉をおつくりになった。
 そして宮殿の管理者を定めて、ご自身は約束通り根の国に去っていかれた。
 この〈大己貴神〉は、『日本書紀(やまとのふみ)』の本文では、のちの〈大國主神(おおくにぬしのかみ)〉の親または先祖であるが、『日本書紀』中の一書や『古事記(ふることふみ)』では六代目の子孫で〈大國主神〉と同一神ということになっている。

〈大己貴神〉とは土地の偉大な貴い神といった意味であり、〈大國主神〉とは国の偉大な首長という意味なので、ほぼ同じ含意の神名である。
 したがって同一神(または同一の豪族)としてさしつかえないであろう。

『日本書紀』のこの部分には、朝鮮に行って戻ってくる話や《大和》の《三輪山》の〈大物主神(おおものぬし)〉との関係など、いくつもの長い異説が載せられていて、それぞれ興味ぶかいのだが、ここでは割愛する。
〈大物主神〉との関係については、〈倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)〉についての章で説明する。
『古事記』のこの部分には、有名な因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)の説話などがあるが、それも割愛する。

[つづく]
 

前例  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月17日(水)13時47分20秒
  現在の皇統の危機は前例の無い危機だと思います。
したがって前例の無い方法のうちで、もっとも前例に近く、もっとも皇統にふさわしい方法を複数選ぶ以外に、とりあえずの対処法は無いように思います。
千年単位の長期的対策はまた別ですが。
 

【売国戦隊クニウリセブン】  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月17日(水)01時20分39秒
  ■2006年05月16日(火) 一足お先に日本で赤化統一?
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20060516

>産経新聞が伝えた中国の対日政策責任者が頼りにする
>現役の自民党議員7人(通称:売国戦隊クニウリセブン)の

第1位 河野(こうの)洋平
第2位 福田康夫
第3位 野田毅(つよし)
第4位 二階俊博
第5位 加藤紘一
第6位 山崎拓(たく)
第7位 高村(こうむら)正彦

>この中の3人が揃ってますね。
>どうしても、総裁選の争点を靖国やアジア外交にしたくて仕方がない、
>中国との関係(自己保身)ばかりで内政に全く興味のない連中なんですね。

■2006-05-15 東アジアの軍事情勢と日米安保
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060515/1147701778

>話を聞いていると、今回来日した彼等(かれら)の最大の関心事項は、ポスト小泉であり「安倍か福田か」という点にあったのは、情報収集と言う点では当然だが、どうも日本の全国紙を相当過信しているようで、さて、彼等の予測がどう出るか、多いに楽しみ…という感じであった。

>いずれにせよ、狂気のようにこの問題を取り上げて、中国に都合の良いような論調を掲げている新聞社との何らかの連携プレー?が感じられないでもなかったが、どちらが首相に選ばれてもそれは日本人の問題であって、余り“干渉的な”発言や行動は取らない方が良いだろう、という我々の忠告は理解できただろうと思う。

『朝鮮族も支那人も、順法精神や人権意識のような、人類としての意識に全く欠けていることはもはや言うまでも無いが、核兵器はもちろんのことインターネットのような先進技術を与えることがいかに危険かをもっと認識して、こうした下等動物どもへの先端技術流出を国際的に規制すべきだ。』
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=312071&log=20060516

■新「爆窃団」は韓流? 本国摘発逃れ日本へ 被害5億円(産経新聞) - 5月15日2時53分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060515-00000001-san-soci

新「爆窃団」は韓流? 本国摘発逃れ日本へ 被害5億円

 東京を中心に昨年から全国で相次いでいる「壁を破る」手口の窃盗事件は、韓国人窃盗団による犯行の疑いが強いことが分かった。日韓警察当局の情報交換で浮上した。壁を破る事件は「爆窃団」と呼ばれる中国系窃盗団により、平成四年ごろ多発。今回も中国人グループが活動を再開したとみられていたが、警視庁など警察当局は、韓国人グループの新「爆窃団」が日本で暗躍しているとの見方を強めている。韓国でのITバブルの崩壊による不景気や取り締まりの強化から、日本が狙われているようだ。

 ビルの外壁に穴を開けて店内に侵入、ショーケースや金庫にある腕時計や指輪を根こそぎ奪う手口の事件は昨年四月以降、都内で有楽町や上野で相次いだほか、広島市や兵庫県姫路市、岡山市、福岡市など全国の貴金属店で起きた。

 今年も有楽町で一月に未遂事件があったほか、福島県郡山市の貴金属店や神奈川県相模原市の量販店、川崎市のデパートなどで発生。手口から警察当局が同一犯の疑いがあるとみている「壁破り」は、全国で十五件以上、被害額は五億円を超える。

 警視庁は昨年、有楽町の近接する貴金属店で被害が立て続けに出たことから、平成四年ごろに続発した爆窃団が“復活”したとみて、警察庁などを通じて中国や香港など周辺の警察当局に窃盗団の入国がないか照会を進めたところ、韓国で同一手口の事件が三年前から多発していたことが、韓国警察当局からの情報で判明。同一手口の窃盗団のメンバーが過去、日韓を往復していた事実や、入国時期が日本での被害と一部一致していることも分かった。

 また今年一月、有楽町で起きた事件で現場に残された足跡は、広島市や姫路市の現場で昨年、採取された足跡と類似していたが、有楽町の翌日、銀座の宝石店のガラス戸が壊され、指輪など百五十点が盗まれる全く手口の異なる事件で現場の足跡が有楽町と一致。一連の壁の穴開けでも、油圧ジャッキのほかドリルを使ったケースや換気扇を狙うなど、油圧ジャッキを多用していた香港の爆窃団と比べて手口に統一性がない。

 こうしたことから警視庁などは、新しい「爆窃団」は取り締まり強化などで日本に「市場」を移した韓国人グループの疑いがあるとみている。

 韓国では、ここ数年の景気低迷や富裕層のカード所有が徹底し、多額の現金を持ち歩かなくなっているため、窃盗団は犯行がしにくくなっているという。

 密入国によるすり団の日本への流入も多いが、韓国の警察筋は、「日本人は警戒心が薄く、一回の犯行で稼げる額が大きいため、標的にされている」と指摘している。

     ◇

【用語解説】爆窃団

 貴金属店に壁を破って侵入し、宝飾品を根こそぎ盗み出す大胆な手口からその名前が付いた外国人窃盗グループ。昭和60年代から平成10年ごろにかけて中国・香港から来日したグループを中心に全国で被害が発生。特に昭和62年と平成4年に続発し、中国系窃盗団の代名詞ともなったが、警察の摘発で沈静化していた。油圧ジャッキでビルの外壁を破るのが典型的な侵入方法で、犯行ごとに出入国を繰り返すヒットアンドアウエーも特徴。

(産経新聞) - 5月15日2時53分更新


◇スキミング犯罪
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/skimming/
◇北朝鮮 覚せい剤
http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%CB%CC%C4%AB%C1%AF%A1%A1%B3%D0%A4%BB%A4%A4%BA%DE&st=n

■小沢一郎、古典を知らず
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060516
>「国乱れて忠臣現る」と言うでしょう。国が乱れて危うくなると、一身をなげうって国家のために尽くす忠臣が登場してくるんです。民主党政権前夜には、その言葉通りになることを期待しています。

 

日本対中国&南北朝鮮  投稿者:日本人  投稿日: 5月16日(火)22時30分59秒
  こんばんは、日本人です。昨日のTVタックルに呆れた。
在日のバカパクが竹島問題で『1%でも負けるなら国際司法裁判所に出ない』とか中国人の論客が北朝鮮による日本拉致事件で『拉致放置した日本政府の責任』と発言したり相変わらず反日でした。

この構造見て思った事は、北朝鮮は、日本人拉致をした時点でテロ国家であり我が国・欧米諸国と共に金融・経済制裁是非に反発し北朝鮮を支援する中国とその属国は、テロ支援国家と言って良いでしょう!

昨今我が国の周辺は、異常な国ばかりだ。反中嫌韓で良いのでないかと思います!

毎度駄文ですいません。
 

【中国人の洗練された外交の手法】  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月16日(火)20時38分55秒
  ■2006年05月13日 つくる会クーデター未遂の考察
http://tech.sub.jp/2006/05/post_534.html

>日本人ならもう少し恥を知っていただきたい。
>己の私利私欲のために、国を滅ぼさんとしてなんとする

5月16日付・よみうり寸評
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060516ig05.htm
【「個人的な感情を抜きに公平に、日本のために選んだ」】

5月16日付・よみうり寸評

 ジーコが監督になって4年、この間、日本代表チームに招集された選手は66人に上る。うち23人がサッカーワールドカップ(W杯)ドイツ大会に臨む◆厳選だ。「一つのポジションに5人ぐらいが同じレベルになった」とジーコ監督。4年に一度の大会に技術も体調も万全にもってゆく難しさを思う◆ジーコが重用してきたFW久保竜彦が選にもれた。もっぱら体調への懸念によるものだ。ジーコの下、久保の11ゴールはチーム最多だが、それでも腰、ひざ、足首に不安があってはやむを得ない。若手のFW巻誠一郎が選ばれた◆W杯の攻防は互いの当たりが強く激しい。王様ペレ(ブラジル)でさえ「サッカーシューズの目標になるのはもうたくさん」と言ったほどだ◆ジーコ自身にもW杯でけがを抱えて不満足なプレーをした苦い経験がある。「個人的な感情を抜きに公平に、日本のために選んだ」とジーコ。23人は、3大会連続出場が4人、2大会連続7人、初出場12人となった◆〈正確に、シンプルに、積極的に前へ〉――ジーコの布陣が躍動するように声援する。

(2006年5月16日13時54分 読売新聞)


誇り高きジーコ・ジャパン=B現代の滅私奉公=B
その言葉に拒絶反応を示す、アカやピンク脳左巻き市民。

一方、世界共和国市民の方々に、中共さまから指令?

■牧太郎の大きな声では言えないが…:靖国より「原爆」だ!(毎日新聞 2006年5月16日 12時46分)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060516k0000e070068000c.html

牧太郎の大きな声では言えないが…:靖国より「原爆」だ!

 いまだに自民党総裁選の争点は「靖国」であるらしい。困ったことである。

 小泉さんが「靖国参拝は公約」と言い続けたのが、まず間違いである。「公約」とは国民の大多数が求める政策(例えば減税、例えば年金改革)を「やります!」と約束することである。大多数が求めていないことを「やる!」と言っても公約とは言わない。

 「靖国」に関して言えば国民の意識は複雑である。東京招魂社の昔から、靖国神社は「天皇が行う戦争は聖戦」とする原理主義の社。まつられているのは、お国のために死んだ人であって、東京大空襲、広島、長崎の被害者はまつられていない。その上、何百万人の犠牲者を出した第二次大戦の戦争責任者(戦争犯罪人であるかどうか、意見は分かれるが)がまつられている。「不戦の誓いの場所」としてふさわしいのか。だから、多くの人は終戦記念日に、それぞれの場所で、すべての戦争犠牲者に黙とうする。

 小泉さんの靖国公式参拝は自民党支持者の一部に対する人気取り。もっとも、靖国で反日キャンペーンを繰り、己の内政の失敗を隠そうとする中国の指導者も同じ穴のムジナだ。

 日本が共通の歴史認識を求めるべきは「対アメリカ」である。1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾リトルボーイは第33代アメリカ大統領トルーマンの命令で広島に投下された。爆心地では鉄やガラスも溶けるほどの高熱。14万人が死んだ。3日後、長崎にファットマンが投下され、7万人が殺された。

 アメリカは「日本本土決戦によって予想される日米双方の犠牲者を救うため、原爆によって日本の抵抗意思を砕き、降伏に導いた」と主張している。そうだろうか。当時の日本はソ連を仲介とした戦争終結工作を行っていた。原爆投下がポツダム宣言受諾への直接的な動機とは言えない。

 大きな声では言えないが、ドイツには原爆を投下せず、日本にだけしたのは、有色人種に対する差別と思えるほどの理不尽さである。今、歴史認識を議論する相手は中国ではなく、同盟国・アメリカではないのか。

 何度となく戦ったフランスとドイツは共通の歴史認識による教科書を07年秋には導入すると聞いた。

 基地の移転に3兆円よこせ!と言う前に、アメリカは「60年前の原爆投下」の本当の狙いを明らかにすべきだ!と総裁選の候補者はなぜ、言わないのか。(専門編集委員)

毎日新聞 2006年5月16日 12時46分


■【天声人語】2006年05月16日(火曜日)付
http://www.asahi.com/paper/column20060516.html
【「戦争が起こらない仕組みをつくらないといけない。そのためには世界を連邦にするしか道はない」】

【天声人語】2006年05月16日(火曜日)付

 広島でも長崎でも、原爆は地面すれすれで炸裂(さくれつ)したのではない。広島は約600メートル、長崎では約500メートルの高さで爆発した。かつて爆心地でその辺りを仰ぎ見た時、熱線や放射線をより広い範囲に浴びせるための悪魔的な計算なのかと思った。その瞬間の爆心地周辺を想像する度に、背筋が凍り付く思いがする。

 国が、被爆した人を原爆症と認定する時、これまで爆心地からの「距離の壁」があったという。被爆してがんなどを患う被爆者9人が「原爆症と認められないのは不当だ」とした訴訟で、大阪地裁が「壁」を破る判決を出した。「国は審査基準を機械的に適用すべきではなかった」と指摘、爆心地から3キロ以上の距離で被爆した原告を含む全員の不認定処分を取り消した。

 被爆国・日本には、人類初の核兵器がもたらした惨禍の実相を把握し、伝える役目がある。その積み重ねが、惨禍を世界に知らせることになる。

 核兵器の廃絶を目指す運動に尽力した湯川スミさんが亡くなった。日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏の妻で、世界連邦世界協会の名誉会長だった。

 戦後、スミさんは夫と米国に渡った。同じ研究所に居たアインシュタインが、原爆開発の一端となったことを深く後悔し、秀樹氏に言ったという。「戦争が起こらない仕組みをつくらないといけない。そのためには世界を連邦にするしか道はない」

 共感し、自らも核廃絶を希求した秀樹氏は、がんを患ってからも言い続けた。「君が運動の先頭に立て」。この言葉を胸に抱き続け、96歳で夫の元に旅立った。


文学的虚構世界を、現実にせんと夢見る、共惨カルト狂信者ども。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004310016
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c81a9c5034309a72f3358dd57afa58e7

■当然の理屈(平成18年05月16日)
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0605/060516-12.html

 

第九条  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月16日(火)17時14分5秒
  日本国憲法は無効だという竹下さんのご意見に賛成です。
無効な憲法の条文について賛否の議論をすることに矛盾を感じます。
『憲法無効論とは何か』展転社
 

そんなに遠いわけやあらへんのにな  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月16日(火)16時20分4秒
  2006年02月20日
旧宮家復籍の手がかりとして-フラッシュ作成の件
http://tech.sub.jp/2006/02/post_393.html
 

竹下義朗様へ  投稿者:中島  投稿日: 5月16日(火)16時03分0秒
  はじめまして。
旧宮家の皇籍復帰問題について、思うことを書かせていただきたいと思います。
歴史再考の161で、旧宮家の皇籍復帰を提唱されています。
しかし、天皇家の伝統として、これも前例が無いものだと思います。
皇籍離脱・復帰の前例と経緯については、お書きになっている通りですが、古来から重視されている皇太子・皇族の資格とは、天皇となられた方からの何世の孫かということです。
ご存知の通り、継体天皇以降、三世の孫が即位したケースが二度あります。
これ以上のケースで具体的な血縁がわかっているのは、継体天皇の応神天皇の五世の孫というものです。(もちろん男系で)
皇籍離脱した旧宮家の方々には、三世の孫はおろか五世の孫もいらっしゃいません。
どのようにお考えになりますか?
 

ニ・ニ六事案の再来か?  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月16日(火)12時59分15秒
  >もし実行したら

九条を後生(ごしょう)大事に、つまり、日本の手足をもぎ取り自主防衛の力を殺(そ)いだまま、それでよしとするキチガイ勢力は、領土拡張の意識のみの国家モドキの餌食(えじき)となるべく、それらの傀儡(かいらい)そのものである。それをわざわざ呼び込んでいるようなもの。

九条の会
http://www.9-jo.jp/
無防備地域宣言運動全国ネットワーク
http://peace.cside.to/
共産主義とは、なんとおそろしい教義なのであろうか。
そして、麻秘新聞は、今日もまた、脳内妄想の世界共和国を語る。その物象化を希求しているのであろう。
http://www.asahi.com/paper/column20060516.html

【覚醒せよ、覚悟せよ、日本人!日中関係は今や“冷戦時代”に突入しているのだ!】
http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/

■<驚愕スクープ その時、小泉官邸は蒼ざめ怒声が飛んだ>
竹島海域調査は「海保・若手官僚のクーデター」だった!
韓国側の「日本人漁民射殺」にも弱腰外交で決起
http://www.weeklypost.com/060519jp/index.html
(5/19号)

京郷新聞が週間ポストを記事に 2006年 05月 09日
http://kuyou.exblog.jp/3587664/

【海域調査】日本の独島挑発は『海上保安庁のクーデターだった』[05/09]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1147157198/l50

現場の目の前にある「そこにある危機」の「現実」と、政治の机上の空論の「仮想現実」との乖離(かいり)。これじゃあ、シュミレーションの意味がない。
 

『卑弥呼と日本書紀143』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月16日(火)11時44分0秒
  ■■■■■ 六・二 出雲の国譲りと天孫降臨 ■■■■■


◆◆◆ 神代の物語(2)――八岐大蛇から神武天皇御降誕まで―― ◆◆◆


▽▽▽ 八岐大蛇と天叢雲剣 ▽▽▽

 素戔嗚尊(すさのお)が高天原(たかまのはら)から追放されて出雲(いずも)国に降りてみたところ、老夫婦が奇稻田姫(くしいなだひめ)という名の娘を間にして泣いていた。
 たずねると、八つの頭と八つの尾を持つ八岐大蛇(やまたのおろち)が娘をつぎつぎに飲み込み、のこるこの娘もまもなく食べられたしまうと訴えた。
 素戔嗚尊は酒を大蛇に飲ませ、酔って眠ったところを自慢の十握剣(とつかつるぎ/握り拳が十個の寸法=大きな剣)で寸断した。

 そのとき尾を切ろうとすると剣の刃がすこしかけてしまった。
 割いてみるとそこに立派な剣があった。
 これが天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で、のちに日本武尊(やまとたける)が使って草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになり、現在は名古屋の熱田(あつた)神宮に御祭神として奉斎されている神剣である。

 古代の剣は諸刃の直刀で、刃の部分の形状は鉾(ほこ)とあまりかわらない。
 材質はかなり古くから鉄が使われていたが、銅製の可能性もある。
 素戔嗚尊は「これは霊剣だ」として、〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉に献上した。
 これが「三種の神器(さんしゅのじんぎ/みくさのかんだから)」の最後のひとつである。

 それから素戔嗚尊は助けた娘の奇稻田姫と結婚するための宮殿を、出雲の清々(すがすが)しい場所――現在の島根県大原郡大東町須賀(清々しいので須賀という)――に建てて、第一章のトビラにも掲載したつぎの歌を詠(よ)んだ。

八雲立つ 出雲八重垣(やえがき) 妻籠(つまご)みに 八重垣つくる その八重垣を

 これは短歌の先祖とされる有名な歌だが、素戔嗚尊のような乱暴者がこういう優美な歌をつくるのが、日本神話の真骨頂である。

[つづく]
 

竹下義朗様へ  投稿者:ウイング  投稿日: 5月16日(火)07時43分57秒
  九条があるので軍事行動はとりにくいと思います、でももし実行したら、どうなるのでしょうかね。  

「絶対に国を売ることはできない」  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月16日(火)00時21分6秒
  ■妻あて遺書の中身…在上海日本総領事館員自殺事件(ZAKZAK 2006/05/15)
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_05/t2006051523.html

「職務重圧で自殺」上海領事館、遺体引き取り時に説明(読売新聞) - 5月15日3時8分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060515-00000001-yom-pol

【中国】上海領事館員の自殺、人民日報が反論「遺書は怪しい」(サーチナ・中国情報局) (4月6日11時41分)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060406-00000001-scn-int

◇上海総領事館員の自殺
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/japanese_consular_officer_in_shanghai/

【領事館員自殺】 「日本は売れぬ」「死ぬくらいなら辞めると言ったが、もう…(中国は)卑怯。怖い国だ」 遺書の内容★2
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1147704369/l50

May 15, 2006
朝日新聞が韓国人教授の「日本の左翼と韓国の右翼が結託してナショナリズムを煽っている」という主張を人ごとのように掲載
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50496859.html

■中国で「MI3」上映は無期延期 「SAYURI」も無期延期 2006-05-15
http://nullpo.2log.net/home/engacho/archives/blog/main/2006/05/15_150443.html

■2006/05/15 (月) 昨日の日記 共謀罪に反対する筑紫哲也は麻薬がお好き
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=312071&log=20060515

■2006年05月11日(木) 中国よ、遺棄化学兵器を金づるにするな!
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41506&pg=20060511

『中国人の「平和的な勢力浸透」によって、「中国人の洪水」がある点を突破すれば、おそらく日本列島は見えなくなるとトインビーも予言していた。』(P125.)
(黄 文雄『華禍―こんなに中華主義が怖いわけ』第4章 中国の「平和的浸透力」はやがて世界を埋め尽くす)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898310788

■高校生交流 ようこそ、日本へ
http://www.asahi.com/paper/editorial20060515.html
暢気なものだ。旅行会社の利権にでもなってるのだろ。

■国家冥利(平成18年05月14日) 投稿者: 冷泉 文恵
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0605/060515-12.html
 

リクエスト大募集〜  投稿者:香織  投稿日: 5月15日(月)18時16分5秒 Remote Host: 221.212.25.63, Time: 1147684565
  (当掲示板に相応しくない投稿であると判断し、管理者権限に於いて削除)  

『垂仁天皇と田道間守』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月15日(月)11時02分57秒
   我が家の狭い庭にある柑橘類は、庭に植えてある甘夏と本柚子と金柑、鉢植えの温州(うんしゅう)蜜柑と花柚子の五種類です。
 今年は白い花が無数に咲きそうです。

 で、柑橘類といえば思い出しますのは、第十一代垂仁(すいにん)天皇と田道間守(たじまもり)の物語です。
 垂仁天皇の九十年、天皇は田道間守に常世(とこよ)の国に行って「非時香菓(ときじくのかくのみ)を求めて帰れ――とお命じになりました。

 田道間守は、但馬(たじま)地方を本拠として外交を専門とした一族と考えられており、『魏志倭人伝』の難升米と同一かもしれないと言われております。

「常世の国」とは、不老長寿の国のことで、大陸の神仙境とされています。
 また「非時香菓」とは不思議な名前ですが、常に輝いている香りのよい果実で、昔の柑橘類・橘と想像されております。

 現在わが家にあります柑橘類は品種改良によって垂仁天皇の時代とはずいぶん違っているでしょうが、しかし、その基本的な性質は同様だと考えられます。
 その特色の一つは、香りが良く、人間の健康に良い――ということですが、その他にも、不老長寿を連想させる性質を持っています。

 それは、果実や葉がなかなか腐らないという事です。
 柿や杏(あんず)と違ってなかなか樹から落ちませんが、地面に落ちても、長い間腐りません。
 常緑樹ですから秋に枯れて落葉することもありませんが、剪定(せんてい)して葉を落としても、一ヶ月くらいは平気で緑のままでおります。
 柿などの葉はたちまち腐って土に帰してしまうのですが・・・。
 このような柑橘類の性質が、不老長寿の妙薬を連想させたのでありましょう。

 さて、垂仁天皇の命を奉じた田道間守は、大陸に行って「非時香菓」を探して持ち帰りましたが、すでに十年の歳月が過ぎており、帰国の前年に天皇は崩御(ほうぎょ)されておりました。

 田道間守は、天皇の墓前で嘆(なげ)き悲しみ、死んでしまいます。
 哀れに思った後の人々が、垂仁天皇の巨大な前方後円墳の周濠の中に、橘の形のような丸い墓をつくって慰め、忠義の心を顕彰しました。

↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/815.htm

 この写真は自分で撮ったので下手(へた)くそなのですが、周濠に見える半球状の島が、田道間守のお墓です。
 背後はもちろん垂仁天皇陵です。
 田道間守の忠義とともに、日本民族の優しい心が感じられる御墓ですね。

(垂仁天皇の御在位は三世紀末から四世紀にかけてと推理しています。卑弥呼の少しあとの天皇です。その御孫にあたるのが日本武尊(やまとたけるのみこと)です)
 

『卑弥呼と日本書紀142』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月15日(月)10時48分20秒
  [承前]

 困った神々は天の川に集まって相談して、智慧のある神がつぎの作戦をたてて実行した。
 不老長寿の国の鶏を集めて長鳴きをさせた。
 力のある手力雄神(たちからおのかみ)を岩戸のそばに隠れさせた。
 祭祀(さいし)担当氏族の中臣連(なかとみのむらじ)の先祖(藤原氏の先祖)や祭祀実務担当氏族の忌部(いんべ)の先祖が天香具山(あまのかぐやま)の聖木・榊(さかき)を抜いてきて、その上の枝に八坂瓊(やさかに)の五百箇御統(いおつみすまる/大きな勾玉(まがたま)をたくさん連ねた飾りで後の三種の神器のひとつだが、別の見解もある)をかけ、中間の枝に八咫鏡(やたのかがみ/大きな銅鏡で後の三種の神器のひとつ)をかけ、そして下の枝に御幣(ごへい)の一種の青和幣(あおにきて)・白和幣(しろにきて)をかけて、全員で祈った。
 勾玉をつくったのは玉作部(たまつくりべ)の先祖であり、鏡をつくったのは鏡作部(かがみつくりべ)の先祖であり、そして和幣をつくったのは忌部の先祖である――とされている。

(注・・・このときの、榊に勾玉と鏡をかけた神木の模型は、一般の家庭でも見ることができる。神棚にかならずそなえられている向かって右側の真榊がそれである。左側の真榊には剣がかけられているが、これは素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲(いずも)で発見した「神剣」である)

 それから鎮魂の舞楽に奉仕する猿女君(さるめのきみ)の先祖の天鈿女命(あまのうずめ)が巧みに演技し、神憑(かみがか)りになって踊りくるった。
 この騒ぎを聞いて、岩屋のなかの〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉は、自分が隠れて世が暗くなったのに、どうして喜んでいるのかと不思議に思って、岩戸をすこしだけ開けて外をうかがった。
 そのとき手力雄神はすぐに岩戸をこじあけて〈天照大神〉の手をとってそとにお出しし、ついで中臣と忌部が注連縄(しめなわ)をはって境界をつくり、二度と入らないで下さい――と請い願った。
 そして神々は素戔嗚尊から賠償を徴収し、高天原(たかまのはら)から追放した。

*****

 これが有名な「天(あま)の岩屋伝説」で、第二章の図2・1は、昔の歴史の教科書にあったこの物語の挿絵(さしえ)である。

↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H11-22.htm

 この岩屋伝説と〈卑彌呼〉とのつながりの推理については、後述する。

[次ぎは「第六・二節 出雲の国譲りと天孫降臨」]
 

ネットを見ずとも  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月15日(月)01時44分20秒
  月刊誌を読んでさえいれば、さほどかけ離れているわけでもないようですが・・・。

文藝春秋
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm
諸君!
http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/index.htm
正論
http://www.sankei.co.jp/seiron/mokji.html
Voice
http://www.php.co.jp/magazine/detail.php?code=12342
WiLL
http://web-will.jp/
 

インターネットへの勧誘  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月14日(日)23時32分13秒
  わたしはSFの同人雑誌を主宰しており、同人の多くは年輩の理系の人ですが、「インターネットは信用できないので見ていない」という人がとても多いです。
(で、A新聞を読んでいる人も多い。)
雑誌を出すたびに自分のサイトを宣伝しているんですけど・・・
 

■反日スプリンクラー  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月14日(日)23時19分5秒
  2006年05月13日 オオニシ特集
http://adon-k.seesaa.net/article/17741382.html

>アサヒ→NYT→反日メディア

新聞・テレビ・雑誌などの、ほとんどのオモテ・メディアは、特亜事例に関して腰が引けてしまっているようです。
まあ、それも広告料という餌に左右されてしまうということは多少仕方のない面は認めますが。それと、ヤバイことは命がけになるということも。

■マスコミ不信日記 打倒ジャーナリスト宣言!
http://blog.livedoor.jp/saihan/

自らの国策・国益を毀損(きそん)する方向へ誘導しようと画策するものたちも。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/fb022e37a8236b83d167604cd130b0b4

『麻日の「翻訳ミス」という名の「捏造」あるいは「世論誘導」だったようです。』
http://blog.livedoor.jp/asapykadan/archives/50014848.html

2006年05月13日(土) 総裁選の争点は靖国じゃないだろ。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20060513

アカ秘、埋日、手BS、テレ麻、犬H系、凶働通信などは、もう大陸・半島の情報統制に従っているとしか思えん。
 

落差  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月14日(日)22時42分23秒
  竹島にしても対馬にしても何にしても、私がふだん見ているインターネットとテレビとでは、あまりにも落差があります。
違う国のようです。
靖国神社問題も同様です。
 

RE:■第3次蒙古来襲  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月14日(日)21時50分54秒
  >【日韓】ウリ党の金元雄(キム・ウォヌン)議員:「対馬を国際紛争地域化して、日本の独島妄言に対抗すべき」★4 [04/06]

「鬱陵島(旧・竹島)を国際紛争地域化して、韓国の竹島妄言に対抗すべき」

>対馬は韓国の領土です。

鬱陵島は日本の領土です。

>そろそろ日本は対馬を韓国に返還するべき

竹島は当然の事として、そろそろ韓国は鬱陵島を日本に返還するべき

と言ってやりましょう。
(そもそ)も、現在の「竹島」は嘗(かつ)て「松島」と呼ばれ、同じく現在の「鬱陵島」は嘗て「竹島」と呼ばれ、共に紛(まご)う事無き日本固有の領土だったのですから、誰(たれ)(はばか)る事はありません。

韓国が竹島「領有」(不法占拠)の根拠として、『三国史記』や『三国遺事』等に於ける新羅(しらぎ)の記事(于山国)を引用し、正当化するのであれば、日本も『記紀』に於ける神功(じんぐう)皇后の「三韓征伐」記事や、実在した「任那(みまな)日本府」(加羅。現在の釜山(プサン)・金海(キメ)などの南岸部)の存在、更には「同胞国家」百済(くだら)の王族・国民の大量受入(帰化)の史実を根拠に、現在の韓国領全土に対する領有権を主張すると言うのも一興でしょう。

又、韓国側が一方的に設定した「李承晩ライン」に倣(なら)って、日本も竹島・鬱陵島を含む海域に海洋主権線を一方的に設定し、海保・海自を使って韓国側を排除、操業漁船に対しても、韓国側が日本漁船に対して採った様に、強制排除し、抵抗したものに対しては拿捕(だほ)も辞さないと言う手もあります。

再三再四に亘(わた)る韓国の「嘗(な)めた行為」に対して、そろそろ日本も「きついお灸(きゅう)」をすえてやらねばならない時期に来ている、と私は正直思っています。
 

『卑弥呼と日本書紀141』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月14日(日)13時43分54秒
  [承前]

▽▽▽ 〈天照大神〉と素戔嗚尊の軋轢 ▽▽▽

 素戔嗚尊(すさのおのみこと)は根の国に行く前に高天原(たかまのはら)の姉に会いたいといって、海を揺り動かし山を鳴り響かせて、荒々しい態度で天に昇った。
 高天原とは、〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉が統率する天の世界で、この神話が史実の反映だとすれば、九州の一部――たぶん北部――ではないかとされている。
〈天照大神〉は武装してむかえて――天の川を挟んで――詰問し、それに応えて素戔嗚尊は、邪心のない証拠を示すために、誓約をして子を産むことにしようと提案した。

 そこで〈天照大神〉は素戔嗚尊の剣をかみ砕いて吹き捨てて、三柱(みはしら)の女神を生んだ。
 この女神たちは九州の筑紫(ちくし)に祀(まつ)られて、朝鮮に渡る人たちの守護神となった。有名な宗像(むなかた)大社の祭神などである。
 素戔嗚尊は〈天照大神〉が身につけていた宝玉(瓊)をかみ砕いて五柱の男神を生んだ。
 この男神たちは、出雲(いずも)・河内(かわち)・山代(やましろ)などの豪族の祖、また葬儀や造墳を役目とする土師連(はじのむらじ)の祖、とされている。
 そして〈天照大神〉は提案して、女神と男神を交換する。なにやら暗示的な交換である。


▽▽▽ 「天の岩屋」事件 ▽▽▽

 軋轢(あつれき)が解けたようにみえたが、素戔嗚尊は高天原に留まったまま乱暴を続け、田畑や御殿を荒らしまわった末、〈天照大神〉が機織(はたお)りをしているときに、馬の皮を剥(は)いで投げ込んだ。
〈天照大神〉は驚いて機織りの梭(ひ/横糸を通す道具)で身体を突いて怪我(けが)をしてしまった。
 一書では〈天照大神〉の妹の稚日女尊(わかひるめのみこと)がこういうめにあって死んでしまうし、また『古事記(ふることふみ)』では機織の姫が梭で陰部を突いて死んでしまうことになっている。

 尖(とが)ったもので高貴な女性が下腹部を突かれて死んでしまうこの話は、〈卑彌呼〉の死と関係が深いという説もある。
〈卑彌呼〉の有力候補の一人である〈倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)〉の死に方ととても似ているのである。

 さて〈天照大神〉は立腹して天(あめ)の岩屋(天石窟)に隠れて、岩戸を閉じてしまう。そのため国中が闇となり昼がなくなってしまった。

[つづく]
 

■第3次蒙古来襲  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月13日(土)22時00分52秒
      ■2006-05-12 韓国が“合法的に”対馬を侵略か?
    http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060512/1147400825

>沖縄方面は100を越える離島が散在し、有人離島も50を超える。それを陸・海・空合わせて僅か7000人の自衛隊で守ることになっている。相手が公然と侵略してきた場合には、防衛出動が発動されるだろうから、存分に訓練の成果を発揮できるだろうが、問題は平時に間接侵略が行われた場合、適用できる法律がないから、恐らく政府は『困惑』して、何も手出しが出来ないだろう。その内に『合法的に』島々は占領される。竹島がその良い?例である。

>『週刊文春5月18日号』を見て驚いた。『警告』通り、今対馬では恐るべき事態が進行しているようである。見開きのグラビアに『傍若無人!我が物顔で跋扈(ばっこ)する彼等(かれら)に対馬住民は大迷惑』とあったので、“彼等”の姿から、どこかの暴力団か?と思って読んだ所、“彼等”とは韓国からの『観光客御一行様』だったのである。現地ルポは、本文154ページに特集してあったが、『対馬に4万人の韓国人が来襲』とタイトルにあった。まるで第3次蒙古来襲さながらではないか。

    【日本】 対馬の全人口に迫る増え方 対馬への韓国人観光客増える★2 [05/03
    http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1146715818/l50
    対馬は韓国人に乗っ取られかけている
    http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1145315230/l50
    対馬がヤバイ
    http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1146807033/l50
    【日韓】ウリ党の金元雄(キム・ウォヌン)議員:「対馬を国際紛争地域化して、日本の独島妄言に対抗すべき」★4 [04/06]
    http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1144573811/l50
    対馬占領計画
    http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1145559334/l50
    対馬は韓国の領土です。
    http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/geo/1045545510/l50
    そろそろ日本は対馬を韓国に返還するべき
    http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1145767573/l50

    【週刊文春5月18日号】
    現地ルポ 対馬に4万人の韓国人が来襲 竹島だけじゃない
    http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/
    【週刊新潮5月18日号】
    竹島の次は「対馬」か! 「明日は韓国領土」の危機が進行中
    http://book.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
 

RE:英語でしゃべらナイト  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月13日(土)20時07分38秒
  日本人の英語習得については、やりたい人がやれば良いのでは無いか?と私は思っています。
例えば、「英語圏」(米語圏。実際にはヒスパニックの比率が急速に増加しているが)である米国で、自国語である英語以外に日本語を含む外国語を一体どれ程の人々が話す事が出来るのか? 何でもかんでも、「国際化」=英語習得の様に短絡的に考えている人が多い様に見受けられますが、真の「国際化」と言うのであれば、例えば、日本人は英語を習得し、米国人は日本語を習得する、と言った具合に互いが相手の民族・国家を理解すべきであって、一方的に相手に合わせるのは、「国際化」でも何でも無いのでは無いでしょうか?

かく言う私は、英語力が限りなくゼロに近い状態ですが、日常生活では全く困りません。少なく共、日本で生まれ日本で育ち日本で生活していく分には、英語を習得せねばならない必要性はありません。

昨今、義務教育下での幼少時からの英語教育強化が課題の如く言われていますが、自国語である日本語でさえ上手(うま)く使えない、漢字もろくに書けない状態で、外国語である英語を習得させようと言う考え方が果たして正しいのかどうか? 教育関係者は先(ま)ずこの部分から再考すべきものと考えます。
 

>英語でしゃべらナイト  投稿者:黄東洋hwangdongyang2002  投稿日: 5月13日(土)15時07分54秒
  タイトルからして惡質なので觀る價値無しです。

また、NOVAの「日本が沈む前に」という廣告も無~經。
「日本がなくなればいい」と言っているのと同じ。英會話學校は人類の敵です。

逆に言えば日本が沈むような事でもない限り、英會話など不要という事でしょう。

『ユーラシア言語研究2』
http://6008.teacup.com/hwangdongyang2002/bbs

 

『卑弥呼と日本書紀140』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月13日(土)11時47分17秒
  [承前]

▽▽▽ 初めての結婚と国土の誕生 ▽▽▽

 天と地を結ぶ天浮橋(あめのうきはし)の上に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が立って、矛(ほこ)で下界の海を探ると、その矛から落ちた潮が固まってオノコロジマという島になった。
 その島に降り立った二神は、そこにある大きな神聖な柱をまわって結婚し、日本列島を生んだ。

 巨大な柱は古くから神が宿るとされ、神社の鳥居の源といわれている。
 いまでも古い神社には横柱のない二本の柱に注連縄(しめなわ)をはっただけの鳥居があるし、また諏訪大社のように御柱(おんばしら)祭がなされる神社もある。
(著者の家の近くには二本の巨大な杉が鳥居になっている神社がある)

 伊弉諾尊・伊弉冉尊がこのとき生んだ島は八つだったので日本列島を大八洲(おおやしま)という。
 これは日本が数多くの島から成っていることを、古代のひとたちがすでに知っていたことをあらわしている。
 つぎに二神は、海・川・山・木・草などを生んだ。


▽▽▽ 〈天照大神〉の誕生 ▽▽▽

 伊弉諾尊・伊弉冉尊はつぎに、〈日神〉を生んだ。
 これを〈大日靈女貴(おおひるめのむち)〉といい、一書では〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉といい、さらに一書では〈天照大日靈女尊(あまてらすおおひるめのみこと)〉といい、さらに『古事記(ふることふみ)』では〈天照大御神〉とも書いて尊称しているが、この御子は明るく美しく、天地の隅々までが輝いた。
 太陽神の誕生である。
 喜んだ二神は、この御子を天に送った。

 つぎに月神を生んだ。一書では月弓尊(つきゆみのみこと)、月夜見尊(つくよみのみこと)などと尊称している。

 つぎに素戔嗚尊(すさのおのみこと)を生んだが、この尊は勇ましく強く過酷で泣くことを仕事にしていた。そのため国土が荒れてしまった。
 そこで伊弉諾尊と伊弉冉尊は、
「遠く根の国に行きなさい」
 と、追放なさった。
 根の国とは、地底の異境とされる。

[つづく]
 

(無題)  投稿者:ウイング  投稿日: 5月12日(金)22時10分35秒
  NHKの英語でしゃべらナイトで裏切り者が出ます、これじゃ受信料を払えというのは無理だと思います。

これが中国や韓国ならどうなるか、場合によっては親族が襲撃されることもあります。

本来、愛国心は強制するものではありません、でも法律で明記せねばならないほどに陥(おちい)っているのです。

君が代や日の丸ですが処分すれば、逆に相手を利することになるのでほっとけば良いと思います。

お忙しい中有難(ありがと)うございます。これからも頑張ってください。
 

『卑弥呼と日本書紀139』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月12日(金)12時41分41秒
  [承前]

◆◆◆ 神代の物語(1)――天地開闢(かいびゃく)から天の岩屋まで―― ◆◆◆


▽▽▽ 天地開闢と神世七代 ▽▽▽

 世界の初めは陰陽も天地もない混沌とした状態だったが、澄んで明るい部分が天となり、重い部分が地となった。
 その天地のなかに、
  國常立尊(くにのとこたち)
  國狹槌尊(くにのさつち)
  豐斟渟尊(とよくむぬ)
 ――という三柱(みはしら)の男神が生まれた。
 (第二章に記したように読みのミコトは略す)

 そのあと、以下の四組八柱の男女の神々が生まれた。
  泥土煮尊(うひじに)・沙土煮尊(すひじに)
  大戸之道尊(おおとのじ)・大苫邊尊(おおとまべ)
  面足尊(おもだる)・惶根尊(かしこね)
  伊弉諾尊(いざなぎ)・伊弉冉尊(いざなみ)

 國常立尊からここまでを神世(かみよ)七代という。

『古事記(ふることふみ)』では、この神世七代のさらに前に、
  天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
  高皇産靈神(たかみむすびのかみ)
  神皇産靈神(かみむすびのかみ)
  宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)
  天之常立神(あめのとこたちのかみ)
 ――の五柱の神がいたが、すぐに身を隠したとされている。
(ここまでの神々については『古事記』と『日本書紀(やまとのふみ)』で少しだけ違っている)

[つづく]
 

『卑弥呼と日本書紀138』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月11日(木)12時37分35秒
  ■■■■■ 六・一 〈天照大神〉と「天の岩屋」 ■■■■■


◆◆◆ 教科書が教えない日本神話 ◆◆◆

 いよいよこの章から、第二章で略述した〈卑彌呼〉の正体についてのいくつかの意見を、くわしく説明することにする。
 本章の対象は、第二・一節で記した「〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉説」である。

 一般に、

「〈卑彌呼〉=〈天照大神〉説」
 は、
「《邪馬台国》九州説」

 ――と結びついており、それはまた神武(じんむ)東征神話とも結びつくことが多い。
 ロマンにあふれた説であり、たいへんポピュラーである。
 大量に自費出版されているアマチュア研究者の主張も多くはこの説になっているし、この説にもとづく小説もたくさんある。

〈天照大神〉説について考えるには、とにもかくにも〈天照大神〉の神話や神武天皇の東征伝説の概要を知らねばならないが、いまは学校でほとんど教えなくなったらしい。
 アメリカの義務教育の教科書には、日本神話が、日本の教科書よりもくわしく書かれており、天孫降臨、神武東征、「三種の神器(さんしゅのじんぎ/みくさのかむだから)」などもちゃんと載っているといわれる。
 こういうことだといまに、日本の若者がアメリカの若者に日本神話を教えてもらうという情けない時代が来てしまうであろう。

 ――というわけで、まず『日本書紀(やまとのふみ)』をたどる形で、神武天皇即位までの日本神話の概要を記してみよう。
 ただし神話の解釈については、議論が多すぎるし、頁(ページ)も超過してしまうので、ここでは〈卑彌呼〉問題に直接関係する事項にかぎることにする。
 また『日本書紀』は主文のほかに「一書に曰(いわ)く」として、多くの異説や補足を記している。また『古事記(ふることふみ)』の方がくわしい部分もある。
 以下では、『日本書紀』の主文を主としながら、それ以外の補足も随時記すことにする。
 文中「一書では」という注書きは、『日本書紀』のなかの異説や補足のことである。

*****

[つづく]
 

『卑弥呼と日本書紀137』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月10日(水)11時53分59秒
  ■□■□■ 第六章 〈天照大神〉説の検討 ■□■□■


(あめ)の戸の あくる光も のどかにて 神代(かみよ)かわらぬ はるは来にけり
〔桃園天皇御製(ぎょせい)

天地(あめつち)の 初(はじめ)の時 ひさかたの 天(あめ)の河原に
八百万(やおよろづ) 千万(ちよろづ)神の 神集(つど)ひ 集ひいまして 神計(はか)
はかりし時に 天照(あまて)らす 日女(ひめ)の尊(みこと)・・・
〔柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ 万葉集167)〕
「天地がはじめて出来て多くの神々が集まって相談なさったとき、天照大神は・・・。(日女の尊という表現に注意)」

ひさかたの 天(あま)の戸開き 高千穂の 岳に天降(あまくだ)りし
皇祖(すめおや)の 神の御代(みよ)より 梔弓(はじゆみ)を 手握り持たし
真鹿児矢(まかこや)を 手挟(はさ)み添えて・・・
〔大伴家持(おおとものやかもち 万葉集4465)〕
「わが大伴一族は天の岩屋を開いて高千穂の峰に天降られた皇祖瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の時代から、梔の木の弓を手に握り、鹿を射る矢を手に挟んで添えて・・・。(神武前から大和朝廷につかえてきた誇りを持てと、大伴一族を励ました歌)」

[次ぎは「第六・一節 〈天照大神〉と「天の岩屋」」]
 

あれがお詫び?  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 9日(火)22時58分56秒
  台湾についての安藤優子のコメント、何が何だか分からない話でしたね。
あれがどうしてお詫びになるのやら・・・。
 

『卑弥呼と日本書紀136』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 9日(火)12時29分42秒
  [承前]

(一)年代の信憑性
「シナの正史における他国の記述の信憑性は薄いが、自国に朝貢(ちょうこう)に来た使者や他国に派遣した使者についての、年号で記した年代は、比較的信用がおけるし、年号と西暦の換算も信憑性がある」

(二)女王の存在感
「女王の記述に奇妙な存在感がある。とくに男王と対比させているので、当時の日本に女性の権力者がいたのは確からしく思われる」

(三)作為の必要性の無さ
「侮蔑的な表現がされているし記述も数値もあいまいだが、当時のシナにとって日本は、今とはちがって競争相手ではなかったから、ことさら事実とちがう日本像を創作する必要性もなかった」

(四)唯一の外国文献
「三世紀ごろの日本について書かれた、現存する唯一の外国文献なので、信憑性の有無は別にして、無視することはできない」

*****

 したがって著者としては、『魏志倭人伝』は、[一]〜[三]の理由によってB級史料にすぎないが、そうかといって(一)〜(四)の理由により、無視すべきでもない――と考える。
 それは、『古事記(ふることふみ)』や『日本書紀(やまとのふみ)』を補足するいくつかの――『古語拾遺(こごしゅうい)』『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』『風土記(ふどき)』『万葉集(まんにょうしゅう)』などの――史料の一つとして頭に入れておくべきであろう。

 だから大切な事は、『魏志倭人伝』の数値や事項自体のことこまかな詮索ではなく、『記紀』の類(たぐい)や古い神社や古い地名や古い伝承などにある古代日本人の「心」と、考古学的研究とを結びつけ、その成果によって『魏志倭人伝』を解釈することであろう。

 そしてそれには、科学技術に詳しい人材を大量に投入しなければならない――と思う。
 ハイテクを駆使した科学技術的感性に基づく研究こそが、推古天皇以前の神話的な時代の真相に近づく、最善の方法ではないだろうか?

*****

 付言するが、以上のように考えてくると、現行の多くの歴史教科書における『記紀』と『魏志倭人伝』の扱いは本末転倒であり、とても奇妙なものに思える。

[次ぎは「第六章 〈天照大神〉説の検討」]
 

日本人ヘタレ化教会(NHK)  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月 8日(月)18時36分51秒
  草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)に、総合で、思う存分、中国さまに電波貸切や。
二日にわたって。昨日一昨日と。
最近、特亜ネタ、必死こいて露出してる風情(ふぜい)
中国さま半島さまキャンペーンでもやってるみたいやね。

これもな。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2006-05-04&ch=21&eid=20793
 

『卑弥呼と日本書紀135』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 8日(月)17時36分59秒
  ■■■■■ 五・五 『魏志倭人伝』の信憑性についての結論 ■■■■■


 この節では、前節までの知識を背景にして、第四章に記した『魏志倭人伝』の信憑性についての検討結果を、補足し整理してみることにしよう。
 まず第四章の結論をまとめてみる。

[一]又聞きの信憑性(第四・一節)
「熱意不明の使者が実力不明の通訳を介して聞いた記録の又聞きや書写という文献に、どれほどの信憑性があるのか?」

[二]地理的な信憑性(第四・二節)
「不正確な地理的知識を元にして書かれた文献に、どれほどの信憑性があるのか?」

[三]シナ正史自体の信憑性(第四・三節)
「周辺国については伝統的に侮蔑的で間違いの多い正史を書くシナの古い史書中のごく短い文献に、どれほどの信憑性があるのか?」

 この三つによって、もし『古事記(ふることふみ)』や『日本書紀(やまとのふみ)』を一級の史料だとすれば、『魏志倭人伝』とは二級三級の史料にすぎない――という樋口清之らと同じ結論が導かれる。
『古事記』や『日本書紀』、およびこれら『記紀』のもとになったといわれるいくつかの古い日本の史書は、量的に圧倒的であるだけではなく、古代日本人の「心」が感じられ、またじつに生き生きとした「人間模様」が感じられる。

 四百年のひらきがあるとはいえ、多くの日本人が伝承し口伝(くでん)してきた記録の集大成であり、その迫真力は『魏志倭人伝』の比ではない。
 またそこにある固有名詞は現在の日本地図の位置関係やいまに残る地名や神社名とよく一致しているし、記述も考古学の成果と合致することが多い。

 もちろん、そうかといって著者は、『魏志倭人伝』を無視すべきだ――と主張するわけではない。
 それは、つぎの四つの理由によっている。

*****

[つづく]
 

(無題)  投稿者:ウイング  投稿日: 5月 8日(月)17時34分39秒
  またNHKが反日行動をしましたよ。
その内容は英語番組で、レナ・ボルトウィンを僅(わず)かな時間とはいえ出したことです。
 

中共「偽装」新聞社  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月 8日(月)13時56分3秒
  旧日本軍化学兵器引継書を発見
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/china/1146889463/l50

113 :名無的発言者 :2006/05/07(日) 12:23:00
正論6月号
http://www.sankei.co.jp/seiron/
< スクープ >
“遺棄化学兵器”は中国に引き渡されていた
 ――残っていた兵器引継書  ジャーナリスト 水間 政憲
http://vista.x0.to/img/vi4662896961.png
http://vista.x0.to/img/vi4662882015.png
http://vista.x0.to/img/vi4662885120.png
http://vista.x0.to/img/vi4662888118.png


528 名前: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 投稿日: 2006/05/07(日) 12:10:22 ID:+eo4rOWC
つかお前等、「正論」買ってちゃんと記事読んだのか?

この問題も火付け役は朝日で
その後に新華社が「朝日がこう伝えてる」と記事にし
さらに朝日はその記事を引用し「新華社もこう言っている!」としたと
朝日と新華社の工作を暴露してるぞ。

(以上コピペ)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1146109773/26
 

プロパガンダ  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 7日(日)18時09分49秒
  わたしは技術の歴史を勉強しているので、戦前の雑誌などを読むことが多いのですが、戦前の日本も、軍事力では中国を圧倒していたのに、プロパガンダでは負けていますね。
とくにアメリカの世論を味方につける宣伝戦では、一方的に負けているようです。
その事を嘆(なげ)いて、日本の外務省を批判している投書を、戦前の雑誌で読みました。
 

中共の台湾攻略の一環、プロパガンダ  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月 7日(日)17時27分8秒
  ■飢饉の中国農民 旧日本軍が救う 作家・劉震雲さん史実題材に小説 福岡の書店が翻訳本 「戦争の愚かさ一端表す」(西日本新聞) - 5月6日17時1分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060506-00000009-nnp-kyu

飢饉の中国農民 旧日本軍が救う 作家・劉震雲さん史実題材に小説
福岡の書店が翻訳本 「戦争の愚かさ一端表す」


 日中戦争の最中の1942年、大飢饉(ききん)に苦しむ中国河南省の農民を救ったのは旧日本軍だった―。こんな史実を題材にした中国人作家の小説「温故一九四二」が、福岡市の出版社「中国書店」から翻訳出版された。著者の劉震雲さん(47)=北京市在住=は「中日関係が極端に冷え込んだこの時期に日本で翻訳出版されるのは意義深い」と話している。 (北京・傍示文昭)

 同小説は「中国の山田洋次」と称される馮小剛監督による映画化が決定。ハリウッドスターらとの出演交渉が続いており、早ければ年末にも撮影が始まる予定だ。

 河南省出身の劉さんは、歴史研究家の友人の依頼で、干ばつと中国軍の容赦ない食糧の取り立てにより、餓死者300万人、避難民3000万人を出した42―43年の大飢饉を調査。故郷を歩き、祖母や伯父(おじ)らへのインタビューを重ね、当時の新聞記事など資料を収集するうちに、農民に食糧を提供して餓死から救ったのは、同省に侵攻した旧日本軍だったという史実を知ったという。

 この食糧は他の中国人から収奪したものだったが、餓死しないことを選択した農民は旧日本軍に協力し、猟銃や農具で武装して決起。農民を見捨てた中国軍を武装解除させた。劉さんは「表向きは戦争や政治が歴史を変えたかもしれないが、本当の意味で歴史を動かしたのは『農民のご飯』という生きるための欲求だった」という事実に注目。93年、小説として発表し、今も重版が続くロングセラーとなっている。

 劉さんは「中国に侵略した日本軍の行為の一部を美化するつもりはないが、農民が生きるために収穫した穀物が中国人によって収奪され、日本人によって農民に返されるという皮肉が、戦争そのものの愚かさの一端を表している」と分析した上で、中国軍を率いた国民党の蒋介石が敗走した最大の要因は「日本との戦争でも、共産党との内戦でもなく、農民を尊重することを忘れたためだ」と強調する。

 映画化に向け、劉さんは馮監督とともに再び故郷を歩き、小説をベースにほぼ2年をかけて脚本も執筆したという。「河南省の農民は今も貧しく、五輪に向けて建設ラッシュが続く北京の工事現場を支えている労働者の多くは河南省の元農民」。劉さんは小説や映画をきっかけに、そんな故郷の厳しい現実も知ってほしいと訴えている。1600円。中国書店=092(271)3767。

 =2006/05/06付 西日本新聞夕刊=

(西日本新聞) - 5月6日17時1分更新


■八路軍(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%B7%AF%E8%BB%8D

>毛沢東は軍閥や列強に対抗するには民衆による革命運動では限界があることを認識していた。一方で1920年代の中国国民党は装備こそ貧弱であるものの党の軍隊を組織しており、第一次国共合作は軍隊組織を持つ国民党・蒋介石による反共クーデターにより瓦解した。この経験から、中国共産党は軍隊の組織を開始することになる。

■《中国共産党とは何ものか》
http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/
■『九評』
http://www.epochtimes.jp/editorial/9ping.html

 

『卑弥呼と日本書紀134』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 7日(日)13時06分56秒
  [承前]

◆◆◆ 「年号」の制定と日本人の気迫 ◆◆◆

 これに関連してもうひとつ強調すべきは、天皇という尊称の制定と同時期に、「年号」も日本独自に定めたことである。
 その最初は、孝徳天皇のとき、その即位の西暦六四五年を元年とした「大化」であった。
 有名な大化改新の年である。
 以後平成の今日まで、日本独自の年号が続いている。
 シナの年号を使用して年代を表現するのが普通だった当時のアジア諸国のなかで、わが国だけが年号もまた独立を宣言したのだ。

 これら、

 《日本》という高貴な国名の決定
 「天皇」というシナの皇帝に並ぶ称号の決定
 「年号」をシナに合わせるのではなく日本独自の制定

 ――は、たとえれば、アメリカ合衆国がイギリスから独立し、インドネシアがオランダから独立したのと同じくらいの、日本国の独立運動だったのである。
 そして、東アジアの国々のなかで、このようなシナの権威からの独立を果たしたのは、近代にいたるまで、日本のみだったことも、再度強調しておきたい。

 朝鮮半島の王権なども、ずっとあとの時代まで「王」と称して、けっして「皇帝」とならぶ称号はつけていない。
「朝鮮」という国名すらシナ(明朝)につけてもらったもので、清朝時代の朝鮮の国旗には「大清国属」と書かれていた。
(新羅は古い国だが、初期の支配者は「王」とも言っていない)
 つまりシナの皇帝のはるか下位に甘んじていたのだ。

 明治になって近代国家としての体制をつくった一環として、国旗と国歌の制定があるが、これについては、平成十一年の「国旗・国歌法」の施行に伴って数多くの解説書が出されたので、ここでは省略する。いずれも誇るべき古い歴史をもっている。

*****

 册封体制からの独立と名称の問題が長くなってしまったが、『魏志倭人伝』や『日本書紀(やまとのふみ)』を検討するさいに、きわめて重要な背景となることがらなので、お許しいただきたい。
 次節では、『魏志倭人伝』の信憑性についての話をまとめてみることにしよう。

[次ぎは「第五・五節 『魏志倭人伝』の信憑性についての結論」]
 

部下の責任にして逃亡した卑劣な将官  投稿者:三保 平清  投稿日: 5月 7日(日)11時01分26秒
  戦後支那に残されて、昭和二十三年に、「八路軍」と戦わされて、しかもそれを命じた指揮官は、部下を置き去りにして、日本へ逃げ帰り、部下が勝手にやった事だと、言って部下に責任をなすりつけてた?その責任をなすりつけられた残留部隊の指揮官が、あの「仁将今村均(ひとし)」の実弟だったとは、本当なのですか。「今村均」の実弟「今村方策大佐」は第一軍司令官澄田中将と第一軍参謀長山岡道武少将らに騙(だま)された。どうして戦後の昭和二十三年に、大勢の兵士が戦闘で死ななければならなかったのか。そしてその作戦?(犯罪だ)の首謀者は日本へ逃げ帰って、部下にその責任をなすりつけるとは。これが皇軍の将官で何故(なぜ)いられたのか。

http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/1HA_4.htm

 

70歳代  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 7日(日)00時27分6秒
  私は60代から70代にかけての人たちと手紙のやりとりをすることが多いのですが、ほぼ半数はA新聞に洗脳されていますね。
確信犯的な反日家はめったにいませんが、大部分の人は「自分はとても良心的な人間なのだ」と信じているらしいので、それがかえって厄介です。
昨日は85歳の人から手紙を貰いましたが、やはり80歳代になりますと、さほど洗脳はされていないようです。
前途は遼遠です。
 

「中国政府の発表に虚偽はない」  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月 6日(土)15時06分38秒
  ■鳥インフル情報「隠ぺいはない」 中国、米紙に反論 (2006年 5月 6日 (土) 10:00)

 【北京4日傍示文昭】中国衛生省の毛群安報道官は、米国の一部メディアが「中国の鳥インフルエンザのデータは疑わしい」と報道したことに真っ向から反論し、「中国政府の発表に虚偽はない」と強調した。新華社などが伝えた。

 中国衛生省によると、中国国内で昨年11月以降、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)に18人が感染、うち12人が死亡している。米紙ウォールストリート・ジャーナルのアジア版は「中国の地方政府の関係者が発症例のデータを隠している可能性があり、死亡者は政府発表の12人を超える可能性がある」と伝えた。

 これに対し、毛報道官は「感染情報の発表は速やかに行われており、透明だ」と強調。過去、18人の感染経緯を発表した際に「あまり迅速ではなかった報告があるが、原因の1つは知識不足だ」と指摘し、「隠ぺいの事実は一切ない」と述べた。

 衛生省は、原因不明の肺炎患者が見つかった場合、ネットワークを通じて直接通報するよう指導し、現地の衛生部門にも報告。速やかに専門家チームによる確認、診断などを行っているという。
=2006/05/05付 西日本新聞朝刊=
http://news.goo.ne.jp/news/nishinippon/kokusai/20060506/20060505_evn_001-nnp.html

「国家」そのものが、中共の「偽造・偽装」だ。
 

『卑弥呼と日本書紀133』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 6日(土)12時50分46秒
  [承前]

 そこで、シナの皇帝に匹敵する尊称は無いかといろいろ考えた末、七世紀に入るころから「天皇」という称号が登場してくるのだ。

 さきの西暦六〇七年の国書にある「日出(い)ずる処の天子・・・」の天子とは皇帝の尊称としての別名なので、日本の側が「天子」を用いたということは、日本の最高指導者はシナの最高指導者の皇帝と同じ地位であって下の身分ではない――という意味を具体化したものであり、すでにこの時に「天皇」という尊称の下地ができていたと考えられる。

『日本書紀(やまとのふみ)』によると、聖徳太子の時代の何回かの外交交渉のなかに、西暦六〇八年の小野妹子(おののいもこ)の隋への派遣があるが、そのときの日本側の国書に、

「東(あずま)の天皇、敬(つつし)みて西の皇帝に曰(もう)す」

 ――とあるので、この時代に天皇という尊称が登場したらしいと推測できる。
 しかしもちろん『日本書紀』は八世紀初頭の書なので、これだけではほんとうの証明にはならない。

 そこでさまざまな学説が出され、古い方の意見としては六世紀から七世紀にかけての推古天皇の時代(聖徳太子の時代)という説、もっと後だとの意見としては、七世紀後半の天武(てんむ)天皇や持統天皇の時代とする説がある。

 さいきんは考古学の進展が著しく、その知見をもとにすると、どうやら推古天皇の御代(みよ)の中頃に天皇という尊称がきまったらしい。
 そしてその訓読みには、前記のような、「統率する尊(みこと)」という意味を語源とする「スメラミコト」が用いられたのである。

[つづく]
 

いまこそ読んで実感しよう  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月 6日(土)11時14分42秒
  黄 文雄『華禍―こんなに中華主義が怖いわけ』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898310788
(中共工作員のレビュー付。)
■目次
 第1章 「華禍」の恐怖は「黄禍」を超える
 第2章 原理主義より中華主義が怖い
 第3章 流民と植民で膨張を続ける中華帝国
 第4章 中国の「平和的浸透力」はやがて世界を埋め尽くす
 第5章 世界にはびこる中国国際流民の凶悪犯罪
 第6章 世界を脅かすニセモノと仮面の中国
 第7章 世界を襲う中国発の疫病と地球汚染
 第8章 軍国主義へ狂奔する中国の行方

ウソのような事実が確実に存在している国、それが現実の中国。

【香港】NECを会社丸ごと「偽造」、中国で発覚
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060503-00000020-nna-int

【香港】NECを会社丸ごと「偽造」、中国で発覚

 NECのブランド製品だけにとどまらず、NECという会社組織を丸ごと偽造していた集団がこのほど発覚し、業界関係者を仰天させている。同集団は「NEC」として活動し、中国本土、台湾、香港などで50カ所以上の製品工場ネットワークを築き上げていたようだ。【香港編集部・西原哲也】

 1日付米紙ニューヨーク・タイムズや蘋果日報によると、NECは2004年半ばころ、同社製を装った偽物キーボードやCDなどが北京や香港の小売店で販売されているとの情報を入手。依頼した調査会社インターナショナル・リスク(IR)が長期にわたり調査し、中国と台湾の18カ所の工場や倉庫を突き止めた結果、偽造は同社製品だけでなく会社組織そのものに及んでいたことがこのほど判明したという。ただしこの偽造集団の身元などについては法的問題も絡むため、明らかにされていない。

 各報道によると、偽造集団は中国本土、台湾、香港で50カ所以上の製品工場ネットワークを構築し、家庭用オーディオ機器やビデオ、DVDプレーヤー、 MP3まで複数のNEC製品を偽造していた。また製造や販売だけでなく、調達業務などまで組織的に「NEC」として活動。製品は比較的「良質」だったが製品保証はしなかったため、正規のNEC側が偽物商品についての苦情まで受けていたという。

 ■名刺も持ち歩く

 また偽造集団の従業員はNECの名刺も持ち歩き、外部リサーチを依頼したり、独自の製品開発なども行っていたほか、生産・供給契約の調印までNEC名義で行っていた。工場側には、NEC製品を生産する「ライセンス料」まで徴収し、公的文書も偽造して輸出。トータルで約50種類の製品が偽造されたとみられる。製品は中華圏のほか、東南アジア、北アフリカ、中東、欧州などに輸出されていた。正規製品と並んで販売されるケースもあったという。一部報道では、台湾や日本の一部企業がこうした偽造ネットワークに関与していたとの見方も出ている。NEC側は、偽造製品による被害額を推計するのは困難としているものの、偽造集団が膨大な利益を上げたのは間違いないとみているようだ。

 IRは、NNAの取材に対し「詳細は明らかにできないが、一部工場は以前香港にあった。大変手の込んだ国際的グループが関与している」としている。

 またNEC(本社)は「わが社としては過去最大クラスの偽造事件。わが社が製造していない商品を作るなど、非常に複雑な手口で驚いている」と話した。

 ■ブランド自体を乗っ取り

 IRのスティーブ・ヴィッカーズ代表は「今回発覚したケースは、知的財産権侵害に絡む一連の事件のように見えるかもしれないが、実際は極めて高度に組織化された集団がブランド自体を乗っ取ろうとした事件といえる」としている。今回の多くの工場は、大元締めの偽造集団からNEC製品の生産ライセンスを得たと思い込んで稼働していたという。

 ■知財権状況は改善せず

 中国政府は、胡錦涛・国家主席が今回の訪米でマイクロソフト社のビル・ゲイツ会長と会談するなど、知的財産権保護に向けた取り組みに意欲を示す。だが米ビジネス界からも「状況はほとんど改善されていない」との声も根強い。実際は、今回のNECのように、より高度に組織化された新しいケースに直面しているとも言える。同代表は、NYタイムズに対し「現実的には、工場は作れと言われたものを作っているに過ぎない。難しいのは、だれが発注し、だれが資金を提供しているのかを突き止めること」としている。

(NNA) - 5月3日8時0分更新


■NEC、会社丸ごとパクられる!
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41506&pg=20060504
【中国 香港】NECを会社丸ごと「偽造」[05/03]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1146614162/l50

■中国青海省で鳥インフルエンザ(時事通信) - 5月5日20時1分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060505-00000068-jij-int
■ 中国青海省で発生した鳥インフルの感染がすでに抑制され(cri 2006-05-05 21:12:40)
http://jp.chinabroadcast.cn/151/2006/05/05/1@62523.htm

抑制?人為でどうこうなる問題ではない。「疫病」とは、まさに天災なのだから。地震や津波や台風がコントロールできるかい?それと同じだ。

問題は、畜産業内での変異による新型ウイルスが漏れて発生しているという疑いが非常に高いこと。そして、そのウイルス変異の促進・活性が、鳥ウイルスだけではなく、あらゆる生物宿主のそれぞれで起こっている可能性が高いということである。もちろんヒトのウイルスもである。

不用意無防備に軽く認識するべきではない。が、かといってヒステリーやパニックになることでもない。ウイルス感染症は、きちんと認識しておけばけっして脅威でもなんでもないのだから。すくなくとも、寄生体である以上、ホストを根絶やしにするようなことにはならないのである。しかも、インフルエンザウイルス感染(増殖)の実態の約50%は、不顕性感染で終わってしまい発症は見られない。(抗体を獲得する間に、感染源とはなる。)
(鳥のウイルスはAIV、ヒトのFulとは、宿主(しゅくしゅ)側のレセプターによって、交互に「感染・増殖」することの可能性はほとんどない。通常は起こらないということ。)
つまり、感染が起こって、発症が事実起こってしまったあとでは、すでに拡大まん延のあとで、人為でその感染まん延の制御は不可能であり、それをあたかもできるが如くに吹聴しているものはペテン師に等しい輩(やから)だということだ。そのような似非な専門家がぞろぞろ跋扈(ばっこ)しているのが今の状況だ。よく見極められたい。

■鳥インフルエンザ騒動は、根拠なしの集団ヒステリーだった!『世間のウソ』日垣 隆
http://images.amazon.com/images/G/09/detail/review/4106100991.jpg
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100991
■暮らしと微生物
http://www.microbes.jp/aimai/aimai.html

 

>「が行」の発音の区別  投稿者:黄東洋hwangdongyang2002  投稿日: 5月 6日(土)02時38分53秒
  日本は絶望的なほど「言葉の発音」についての教育も学習もできていません。
昨今の「日本語ブーム」でもその点は同じです。

発音について無知な人は、ただイメージで、「早く覚えれば上手(うま)くなる」と勘違いして「幼稚園から英語教育」などという手段に走るのでしょう。

以前、話題になった韓國での「舌の手術」という愚行よりはましですが。

こちらにコピー&コメントを入力しました。

日本のことばと外来語・ガ行鼻濁音は守る価値があるか投稿日: 5月 4日(木)20時26分37秒

『ユーラシア言語研究2』
http://6008.teacup.com/hwangdongyang2002/bbs

 

(無題)  投稿者:ウイング  投稿日: 5月 5日(金)18時38分30秒
  歴史再考の最新号についてです。
私は今回の調査は最初からイージス艦をだすべきだと思います。

仮に日本が強気に出てしまったら韓国はどうなるのでしょうか、まさか北朝鮮の手を借りるということはございませんか。

これはないと思いますが日本にヘーコラするんでしょうな。
 

Re:国旗  投稿者:yf  投稿日: 5月 5日(金)15時49分11秒
  オロモルフ先生
祝日に国旗掲揚大賛成です。

まずは公共放送であるNHKに範を示してもらいたい 以前のように放送開始終了時に「日の丸・君が代」セレモニーを実施して、日日のメリハリをつける。このゆかしい行為をやらなくなってから日本は悪くなったのだ、眠らない町は悪の温床になる。
現在、NHKの教育TVの放送終了時のみ「日の丸・君が代」が流れているのを確認しているが、緊急用の1波のみ残して12時−05時まで停波せよ。夜は寝るもの、経費の節減にもなる。
 

国旗  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 5日(金)12時36分27秒
  祝日には国旗を自宅に掲揚しましょう。  

『卑弥呼と日本書紀132』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 5日(金)12時35分16秒
  [承前]

◆◆◆ 「天皇」という尊称の制定とその歴史的意味 ◆◆◆

 さてここまで、《大和》や《日本》の由来を述べてきたが、《日本》という国名を自称するにいたった精神的自立はまた、「天皇」という日本独自の称号を生んだことも、記しておかねばならない。
 昔のシナの周辺国の指導者は、「王」またはそれ以下の位であり、シナの皇帝のお墨付きをもらってそれを権威としてその地を支配する册封体制に組み込まれていた。
「王」とは皇帝にくらべてずっと低い称号である。

 それは日本も同様であり、一世紀に倭奴国の王がもらった金印にも「漢委奴國王」とあるし、『魏志倭人伝』に記されている〈卑彌呼〉がもらった詔書にも、「親魏倭王」とある。
 倭奴国の時代と《邪馬台国》の時代との間にも、何回か日本の西方の豪族がシナの皇帝に朝献して「王」というお墨付きを貰うことがあったらしい。

 ところで、古代の日本国内における豪族(氏族)たちの貴人や首長の呼称は、前述した尊称を用いて「ヒコ」「キミ」「ミコト」などといっていたらしい。
 そして大和一族の長の場合には、多くの豪族の中の特別な豪族の長という意味で、「キミ」の前に「大きい」をつけて「オオキミ」といったり、「ミコト」の前に「統べる」または尊敬語の「スメラ」をつけて、「スメラミコト」といったりしていたらしい。
 これを漢字で書くと、『記紀』よりかなり前の時代ではやはり「王」であり、特例として「大王」である。
 だから初期には豪族の長も大和一族の長もすべて「王」であり、大和朝廷の最高の位を「大王」と漢字で書くのは、五世紀ごろからといわれている。

 しかし、日本列島の統一がすすみ、文化も向上し、シナの皇帝を中心としてその支配に甘んじる册封体制から独立しようという気概が漲ってきた六世紀以降、日本の指導層が、シナの皇帝のはるか下の位である「王」や「大王」という文字に満足できなくなったのは当然である。

[つづく]
 

ご教示戴き、御礼申し上げます  投稿者:怒る小市民  投稿日: 5月 4日(木)17時40分40秒
  竹下様、丁寧なお答えを戴(いただ)き痛み入ります。
また、アカ日のお里様のコメントも、小生に戴いたご返事と受け取って宜しいのでしょうか?。だとすれば、ありがとうございます。判断がつきかねましたので、ご挨拶が遅れ申し訳ございません。
(おっしゃ)るように、日本は洋物かぶれの風(ふう)を棄(す)て、今一度、古き習いに立ち戻るべきなのやも知れません。戦後の自虐史観に立脚した教育からか、戦前までの日本はとかく軍事一辺倒の息苦しい社会であったかのように喧伝(けんでん)されておりますが、様々の書籍を渉猟し文献の目を通さば、当時の人々は現代に生きる我々より遥かに自信に満ちて気骨があるやに思えます。なれど、古き気質は形を変質させただけで喪(うしな)われたのではなく、今も日本人の胸裏に息づいておると信じたい。特亜の横暴が目に余(あま)る昨今、憂国の士たる者、奴らの邪(よこしま)なる思惑(おもわく)を撥(は)ね退(の)けんが為、国民へ古き習いに立ち戻るべしと訴えかけねばならぬやも知れません。小生も及ばずながら微力を尽くしてゆく所存です。
此度(このたび)は貴重なご意見、誠にありがとうございました。
 

『卑弥呼と日本書紀131』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 4日(木)12時09分41秒
  [承前]

 なお当然のことだが、さらにずっと昔から日本という地名はあり、とくに大化改新の結果の都である難波(なにわ)地方に有ったらしい。
 難波の都から見ると、その場所から太陽が昇るように見えることから、そういう地名がつけられた――と推理する学者もいる。
 だから、そういうことにヒントを得て、《日本》という国名を考えたのかもしれない。

 ではシナではどうだったかというと、ずっと「倭国」といっていたのだが、八世紀の初めに《日本》という名が伝えられてからしばらくしてそれを認め、そののち次第に《日本》と記すことが多くなり、十世紀ごろには定着したようである。

 九世紀に撰述された『舊唐書(くとうじょ)、倭國日本傳』に、

「日本國ハ倭國ノ別種ナリ。ソノ國日邊ニアルヲ以(もっ)テ、故(ゆえ)ニ日本ヲ以テ名トス。或(ある)イハ云フ、倭國自ラソノ名ノ雅(みやび)ナラザルヲ悪(い)ミ、改メテ日本トナスト。或イハ云フ、日本ハ舊(もと)小國、倭國ノ地ヲ併(あわ)セタリト」

 ――とあり、また明代にできた『元史、外夷、日本傳』に、

「日本國ハ東海ノ東ニ在(あ)リ。古ク倭奴國ト稱(とな)フ。或イハ云フ、其ノ舊名ヲ悪(い)ム。故ニ名ヲ日本ト改ム。其(そ)ノ國ノ、日ノ出(い)ヅル所ニ近キヲ以テナリ」

 ――とある。

 シナ大陸や朝鮮半島から見て太陽が昇る方角だという意味も――聖徳太子の文面などからみて――あるだろうが、外国に対してそんな偉そうな事ばかりいっていたわけではない。
 属国ではない、対等な国である――と主張し、毅然とした態度で、侮蔑的な意味の「倭国」という名称を改めさせたのである。

 なお前記のシナ正史をみると、十世紀前後になってもなお、日本列島の地理的理解はあいまいであり、倭国を併せて大きくなったとか、東の海にあるとか、古くは倭奴国と呼ばれていたとか、誤解が大きいことがわかる。
 こういう正史記事からも、『魏志倭人伝』時代のシナの歴史家が、日本列島について正確な地理的認識をもっていたとは、とても思えないのである。

 本章のトビラ部分に記した山上憶良(やまのうえのおくら)の歌は、遣唐使の一員として唐にわたり、西暦七〇四年に帰国した憶良が、唐の都で詠(よ)んだ有名な望郷歌だが、原文にも「早日本邊」と記されている。

[つづく]
 

RE:甲類乙類  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月 3日(水)21時57分48秒
  最近は、「が行」の発音の区別も出来ない人が多いですね。
「が行」には、濁音の「が(ga)ぎ(gi)ぐ(gu)げ(ge)ご(go)」と、半濁音の柔らかい「が(nga)ぎ(ngi)ぐ(ngu)げ(nge)ご(ngo)」があります。(半濁音の「が行」は、発音の際に鼻に抜く)

例えば、「賀正」の「が」は 濁音の ga ですが、「私が」の「が」は半濁音の nga です。表記上は、濁音の「が」も半濁音の「が」も同じ「が」ですが、発音上は ga と nga 。「え」と「ゑ」同様、こう言った発音の微妙な違いを学校で教えず、やれ英語の幼少時教育だの、と言う教育政策には非常に違和感を感じます。
 

RE:日本、如何にあるべしや?  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月 3日(水)21時48分31秒
  怒る小市民さん

>そこで竹下様、皆様方へお伺(うかが)いしたい。日本はこの先いかになすべきかと。

私は趣味で北アルプスを中心に登山しておりますが、登山で道を間違った時の鉄則と言うものがあります。それは、むやみやたらに進まない事。「間違ったな」と思ったら、先ずは元来た道を戻る事。そうすれば、必ず今進んできた道(間違った道)と正しい道の分岐に出ます。其処(そこ)まで来ればしめたもの。分岐を正しい道へ進み直せば良いのです。

さて、怒る小市民さんのご質問「日本はこの先いかになすべきか」に対する私の個人的見解は、先(ま)ずは、時計の針(物理的には無理ですが)を60年前に戻し、占領下で強制された価値観や政策、法令を一旦破棄する所から始めるできでは無いかと考えます。それについては、当然、靖国や軍隊に対する見方、そして、我々日本国民一人一人の精神構造(心の持ちよう)に迄(まで)踏み込む抜本的な「改革」──小泉氏が称した生半可(なまはんか)で上辺(うわべ)だけの「構造改革」等では無い、文字通りの全面改革をせねばなりません。

日韓もし戦わば・・・僅(わず)か十数分で韓国軍を殲滅(せんめつ)可能な軍事力を日本は有しています。にも関わらず、精神面で韓国に負けているのが現在の日本です。ですから、日本が自主独立を維持していこうとするならば、真っ先に国民の精神・道徳面の向上を図らねばなりません。義務教育に於ける「修身」等の徳目教育の復活や、自虐史観を全面的に払拭した歴史教育も重要です。そして、最も重要な事。それは、「子は親を見て育つ」以上、先ずは我々大人からしっかりとせねばならない、襟(えり)を正さねばならない、と言う事です。

軍事力も経済力も、その手綱(たづな)をさばく人間あってのもの。ならば、人間=日本国民自身の民度向上こそが、これからの世を渡り歩く際の最大の武器になるのでは無いでしょうか?
 

南海太郎さん  投稿者:竹下義朗  投稿日: 5月 3日(水)21時20分45秒
  遅くなりましたが、弊ウェブへのリンクを掲載頂きました『憂国・正論・国防ブログ』へのリンクを、先程、弊ウェブ内リンク集(外部接続 ─ オピニオン)に掲載させて頂きました。
と言う訳で、今後共、宜しくお願い致します。

(ちな)みに、先般の竹島 ── 海洋調査騒動をテーマに昨日、弊ウェブ内「歴史再考」にコラムを掲載しましたので、ご一読頂ければ幸いです。
 

『卑弥呼と日本書紀130』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 3日(水)12時05分19秒
  ■■■■■ 五・四 《日本》という国号および「天皇」という尊称の由来 ■■■■■


◆◆◆ 《日本》という国名の発祥と歴史的意義 ◆◆◆

 さて、これまでに述べた《大和》が次の段階で《日本》となったのだが、それは、良い意味を持つ《大和》といえども、その元は差別的な《倭》であり、いくらいいかえてもシナから輸入された名前にすぎなかったからであろう。

 聖徳太子の時代や大化改新のあたりまで来ると、日本人としての気概がみなぎってきて、シナ皇帝から与えられた名称では満足できなくなり、かつ天皇やその周囲の人たちも、かならずしも「ヤマト地方」出身とはいえなくなり、別の名前を考えるようになってきたと思われる。

 そこで出てきたのが、《日本》という漢字で書かれた国名である。
 ここで使われている漢字「日」の訓である「ひ」という言葉は太陽を意味していてとても日本人の好みに合った神聖な雰囲気があり、歴代の天皇の名にもじつに多くつけられている。
 また〈天照大神(あまてらすおおみかみ)〉の尊称のひとつが「日神」であることからも、「日」のもつ特別な語感が理解できる。

 推古天皇の皇子で摂政として実質的な最高指導者だった聖徳太子(六世紀末〜七世紀初)が、西暦六〇七年に小野妹子を遣隋使として派遣したときの国書に、

「日出(い)ずる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無(つつがな)きや」

 ――とシナ皇帝の煬帝(ようだい)に述べて册封体制からの離脱宣言――すなわちアジアで最初の独立宣言――をし、不快にさせたというエピソードの出来た時点でその構想が明瞭になり、大化改新(七世紀中葉)のあたりで太陽の昇る所といった意味の《日本》が確立しはじめ、七世紀末の天武(てんむ)天皇・持統天皇のころの律令(りつりょう)のなかに定められ、八世紀初頭には遣唐使によって唐の都に伝わったようである。
(法的に明確になったのは七〇一年の大宝令(たいほうりょう)といわれる)

 この《日本》の読みは、古来からの日本語では――つまり訓では――「ヒノモト」であり、伝統的には当て読みの「ヤマト」であるが、シナ人にも読んでほしいので音読みを採用して、しだいに「ニッポン/ニホン」となってきたのであろう。

[つづく]
 

やけにリンク踏ませよと必死やね  投稿者:アカ日のお里  投稿日: 5月 2日(火)16時17分12秒
  それじゃあ、たんなる売名行為にしか見えんぞ。
もしくは、アクセス分析による新手の素性調査とかな。
ここ見にきたり書き込んだりする人間のな。

◇中国人
http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%C3%E6%B9%F1%BF%CD&st=n
◇韓国人
http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%B4%DA%B9%F1%BF%CD&st=n

特亜人の犯罪、テレビ、新聞では、ほとんど報道されておらん。
昨日の報道ステーションもやけに強烈なデムパとばしておったしな。

報道ステーションPart16
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1135186845/l50
番組ch(朝日)@2ch掲示板
http://live22x.2ch.net/liveanb/subback.html
ほお、昨日たっておったスレ、ことごとく消されたな。

今日の報道ステーションはいつにも増して反日だなw
http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/liveanb/1146489279/
【絶対sage】報道ステーション【マターリ】
http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/liveanb/1146489517/
報道ステーションPart7【反日捏造洗脳番組】
http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/liveanb/1146489707

『スパイネットワーク(w』
http://8621.teacup.com/akakattaaitu/bbs
 

『卑弥呼と日本書紀129』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 2日(火)12時35分50秒
  [承前]

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H52-61.htm

 この図5・3参照

《箸墓》はまたの名を大市墓ともいわれ、またこの付近から「?市」と墨で書かれた土器が発見されている。
 宮内庁の正式表示も現在《大市墓》とされている。
 これはまた、国々には市があったという『魏志倭人伝』の記述とも暗合している。

 右上に「山の辺(べ)の道」と書かれている道は、いまは大和(やまと)めぐりの観光の道になっているが、日本最古の国道ともされており、《三輪山》の山麓から笠置(かさぎ)山地の麓(ふもと)を縫って天理市の《石上(いそのかみ)神宮》を通過して北へ続いている。
 このほか平野の中心部には、直線的な古代の道が何本も作られたらしい。

 地図の説明が長くなってしまったが、このように《大和》はその土地自体が豊かで資源も豊富で暮らしやすいばかりではなく、想像以上に交通も便利で、かつ防備にも適した場所であった。
 そして、畏敬すべき山々の近くであるので「ヤマト」と呼ばれていた。
「ヤマト」という呼称が最初から《大和》の地にあったのか、それとも九州などから持ち込まれたのか、あるいはその両方なのかは分からないにしても、『記紀』ができる前からそう呼ばれていたことは間違いない。

 そしてここに、縄文時代から生活していたり、弥生に入って外部から進入したりして拠点をかまえた多くの豪族がいた。
 それら豪族のなかでもとくに強力だった大和一族が弥生後期に急速に成長して、大和朝廷を建設し、西の九州から東国までを従えるようになった。

 そこで自然のうちに、日本そのものをあらわす「倭」や「大和」と、ヤマト地方の「ヤマト」とが一体のものになっていった――というわけである。

*****

 なお、図5・3の《大和湖?》は半円になっているが、半円形の湖があったという意味ではない。
 このあたりが水郷だったらしい、という意味である。

[次ぎは「第五・四節 《日本》という国号および「天皇」という尊称の由来」]
 

『卑弥呼と日本書紀128』  投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月 1日(月)12時29分2秒
  [承前]

↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/H52-61.htm

 この図5・3参照

◆◆◆ 水郷を囲む豊かな土地 ◆◆◆

 その左に大和(やまと)湖?――とした大きな半円が描いてある。
 前述のごとく古く縄文時代には、この大和一帯が大きな湖であり、土地の隆起によって次第に水が減って平地になったものの、大和朝廷の時代になっても、まだその跡が残っていた――という説があるので、描いておいたものである。
 たしかに、縄文〜古墳時代の遺跡は、この想定される湖の周囲に連なる形で発見されており、湖の中心部にはほとんど無い。
 明確な形での湖ではなかったとしても、このあたりが水郷であったことは確かと思われる。

 この図の左下の外側で金剛山地の右側あたりの広大な地帯が葛城(かつらぎ)で、そこは有名な豪族の葛城氏が支配していたといわれている。
 大和朝廷がこの豪族を帰順させるために、婚姻政策などあれこれ苦労したあとが、『記紀』に多くみられる。

 磯城(しき)のなかの海石榴市(つばいち)というのは、現在の桜井市金屋のあたりで、聖徳太子の時代に船で初瀬川まできた隋の使者裴世清(はい-せいせい)をここで迎えたという話がのこされている場所である。
 初瀬川を船で上ってきてここで下船したのであろう。
 瀬戸内からの船便が大阪湾を通って大和まで通じていた何よりの証拠である。

 またここは、歌垣という、歌を男女でやりとりして睦み合う遊びがなされたことでも知られる場所である。
 歌垣については、場所は不定だろうが、初瀬川岸に宮殿のあった第二十五代武烈天皇と恋敵(こいがたき)の鮪(しび)との真剣勝負の掛け合いなどが有名である。

 纒向(まきむく)のなかの大市は、もじどおり大きな市場があった古代の繁華街ではないかと想定されている場所で、「《邪馬台国》大和説」で〈卑彌呼〉の有力候補の一人とされる〈倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)〉の墳墓《箸墓》(はしはか または はしのみはか)がある場所である。

《箸墓》は巨大な前方後円墳の最初とされる著名な古墳で、あとの章で詳述する。

[つづく]
 


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